2008年02月19日

乳幼児突然死症候群

 

2007. 07.08 寝るときは王者のポーズで

 

「乳幼児突然死症候群(SIDS)」というものがある。(晶ちゃんは、大丈夫ですので。念のため)

「寝てると思ったら死んでいた」というイメージでだいたいあっていると思うが、本当に、突然に死に至るらしい。
これを聞いてからもう、毎日どこかで恐怖心がぬぐいきれないところがある。

原因は正確には不明。ただ、減少させる対策としては

・うつぶせ寝にしない。
・できるだけ母乳で育てる。
・乳児の近くで喫煙しない、妊娠中に喫煙しない
・過度に暖めない

などがある。

逆に言えば「うつぶせにする」「誰かが近くで煙草を吸っている」「寒かろうと厚着をさせたまま時間がたった」などでも、可能性によるが簡単に赤ちゃんは死ぬのだ

「親がちょっと目を離したすき」さえあれば、悪魔は簡単に赤ちゃんの命を奪うことができる。
水深が2センチあれば赤ちゃんは溺死する。ある程度の衝撃が与えられれば脳に異常が起こる。誤飲、転落、本当にどこにでも、この子の命を奪いうるものが潜んでいるように思える。

戦慄とともに、ほんの少しだが、親のありがたみがわかる。
そして、街中を歩く人々見るにつけ、これだけの人が、多くの危機の乗り越え、あるいは護られて、こうして生きていることが、奇跡に思える。

いま、生きて、息をして、歩いているひとりの背後には、襲い来る悪魔から、四六時中目を離さずに護ってくれていた存在の戦いがあったのだ。

わたしも戦おう。
大丈夫。そこらへんのオバサンとかでもできたことだ。
なめてかからなければ、かならずこの子を護りきることはできる。

かならず。
今度こそ。

 








2008年02月16日

「つきあってくれて、ありがと」 九女・麗(うらら)

 
 
つきあってくれて、ありがと 
 
level crossing alarm
 
   
 
 
 
イベントのから帰り道。
 
今日はすごい勢いで一日中前を歩いていた麗が、くるりと振り向いた。
 
 
 
たぶん、はじめて聞く、感謝の言葉だった。 
 
 
 

 

 

 

九女絵制作完了直後の会話

あまの 「九女の麗絵かけました」
あんよ 「おおお」
とくそん「おおおおお」
あんよ 「いや、これはいい『風景のなかの女の子』ですね。瞳が凛々しくも優しくて素敵」
あまの 「ありがとうございます」
あんよ 「これは、こんなシチュですかね」
あまの 「はい」

 

「つきあってくれて、ありがと」

こっちが返事しようとすると電車通過の警戒音が鳴り始めて、たちまち麗はさっと腰をおろしてデジカメを構えて向こう向き。

「あのさ」

「黙って!」

しょうがないので、車両通過の間は口を閉ざして麗のおしりを眺めている。

 

あまの 「いつもながらすごい瞬発力でございますな」

 

後ろ向きのまま、

「ちょっと!」

と怒鳴られて、こっちの視線に気づいたかと思いきや、

「帽子おさえてて!」

ぽすんと手を置いてやると、ちょうど通過する電車の風に長い髪がたなびく。

こんなやわらかそうな髪を、結わえもせずに冷たい強風にさらしてしまうんだから、姉達からみてもさぞもったいないんだろうな、と思いつつ。

 

あまの 「ああ、なんか視点が優しくていいですね」

 

電車が通過し終えると、デジカメを構えたままの後頭部の向こうから、かすかに白い息がひとすじ立ち上っていた。

ああ、満足げな溜息をもらしてる。

 

あんよ 「そのまま去っていく車両の音を、消えるまで黙って聞いているのかな、という感じでひとつ」
あまの 「今度はその満足そうな、無邪気な表情を描いてあげたいですね」
あんよ 「うまく撮影できた画像を見返してるとこ、とかはいかがでしょう」
あまの 「いいですね。こういう頑(かたく)なな感じの娘は、そういう解放された顔を描いてあげたい」
あまの 「あと、描いた後でナンですが、こんなとこに座ってたら、きっとお尻よごれてるだろうなあ」
とくそん「服に頓着してる姿が想像できない」
あまの 「十歳くらいでしたっけ。いまさらですが、えらく育った身体に描いてしまった」
あんよ 「胸おおきすぎますね」
あまの 「すみません」
とくそん「暫く兄と暮らした後説」
あまの 「実際、兄に笑顔を見せたり、打ち解けるまでにはけっこうな時間がかかるでしょうねえ」
とくそん「中学生になった麗ならこんな感じかなーと」
あんよ 「いい塩梅ですね」
あまの 「ずっとこの服なのかしら。一万年と二千年前から同じ服ー♪ という歌が唐突に想起されました」
とくそん「そいえば、姉妹の服が殆ど違うんですよね」
あんよ 「蛍の手製かも」
あんよ 「撮影用の機材などは兄が背負ってるんだなきっと」
とくそん「麗のって制服なんだろうか」
あんよ 「麗の服装は、なるべくちゃらちゃらしていない、女の子らしからぬのを着ようとした結果、かえって魅力倍増ということかしらん」


BGMは「飯田線のバラード」

麗の絵を描いてみて思った。 この娘は、あれだけの大家族の中にいて、すごく孤独、あるいは孤高な子だと思う。

自分の趣味に理解を示してくれる姉妹は、ほとんどいないに違いない。否定はされないが、あくまで消極的に容認という程度の距離。
姉妹以外にも、話の合いそうな鉄オタはたくさんいると思うが、彼女自身の男嫌いもあって、友人になれる人物など皆無だろう。

だから彼女は、基本的にひとりで廃線イベントに行ったり、写真をとったり、名鉄パノラマカーの発車音を録音しにいったりするのだと思う。(音鉄かどうかは勝手な推測だが)

たとえば、麗がひとりで古いラジカセもって、白線ギリギリにしゃがんで録音とかしてる様子(危険です)とか想像すると、もうその孤独がかわいそうになる。
あれだけ鉄道を愛しているのに、それを分かち合える人がいない。

それだけに、つきあってくれる兄の存在は、とまどいながらも、時間はかかりながらも、彼女を解放してくれるような、そんな気がするのだ。


これは、あんよさんが言ってくれたように「風景の中の女の子」の絵だが、その兄との関係性のある視線を描いてみた。
私は、電車のことは正直よくわからないが、鉄道関係で好きなのが「踏み切り」なので、これを「麗が愛しているもの」の象徴として背中に配してみた。描かれているのは、それごと見つめてくれる兄の視線を受けた彼女の姿である。

麗のカラーイメージは、服からもわかりやすい青。絵全体も青系フィルターでそろえてみた。
たぶん、すんごい朝はやくか、あかるい曇天のような天気の下。
いかにも情熱的な夕景や、青く抜けるような爽やかな青空は、まだこの子には似合わない。兄との間にはさむには、うすぼんやりと夜が明けていくような、青い闇が晴れていくようなそんな空気が似合うのだと思う。

資料にした踏切にはコンクリートの割れ目から雑草が大量に生い茂っていた。これを最後に描き加えようかと思っていたが、思いとどまる。草を描くのが大変だからでもあるが、冷たいコンクリートの地面は、まだ固い麗そのものの象徴のようでもあると思えた。これで、完成としたい。









2008年02月15日

階層の移転

 http://air.niu.ne.jp/blog/

にアクセスの方へ

 

なんどもバタバタしてすみません。

現在、夜想曲の更新は、現住所である「http://air.niu.ne.jp/blog/」ではなく、もとのトップページであるところの 「http://air.niu.ne.jp/」にて行っております。

ブログ公開をはじめたとき、たくさんの方が「/blog」の方をブックマークしていただいていたようです。そして、こちらを何度ものぞきにきていただいたご様子。アクセス解析をしらべてやっと気づきました。

お知らせが遅れて申し訳ありません。 

上記の通り、現在はあちらで更新しておりますので、よろしくお立ち寄りください。 

 

http://air.niu.ne.jp/ 








2008年02月14日

子守アニソン

2007.06.27 お宮参りの写真があったのでもう一枚


晶ちゃんは、おそらく一般的に言う「手のかからない子」なのだと思う。生後一ヶ月くらいの新生児としては、いまのところ。

育児書やソレっぽいサイトを見ていても、とにかく泣き叫ぶ子や、いつまでも泣き止まない子、8時間連続ライブとかいう話もザラに聞くが、晶ちゃんは、泣くときはそりゃ物凄いものの、理由が、おっぱいか、オムツか、お散歩(だっこして歩き回ること)と、だいたい相場が決まっていて、意味不明な泣き方や、ぐずり方は、あまりしない。

ところで、散歩に関しては要するに「遊んでほしい」が動機なので、実は「歌を歌ってあげる」というのでも、解消するらしい。
抱っこして、鼻歌を歌ってあげると(おっぱいかオムツでなければ)けっこうな確率で泣き止む。

とりあえず、思い出せる範囲で、Key系のBGMとか適当なアニソンを「ラララ・・・ルルル・・・」と、インストゥルメンタルにして鼻ずさんだりしている。他にもいろいろ歌ってみた。

当時の話で妙に古いのが恐縮だが「ETERNAL BLAZE(なのはA's)」では泣き止み「アンインストール(ぼくらの)」は低音部分が怖かったのかほとんど効果がなかったことを報告しておこう。(作品の差かもしれない)
ちなみに、一度「もってけ! セーラー服(らき☆すた)」を鼻ずさんでやったら、けっこう聴いてくれた。

更新している現在の八ヶ月目でも、やっぱり歌であやすことは多い。いまのところ「だんご大家族(CLANNAD)」が一番よく効く。次点が「空の欠片(電脳コイル)」

15年くらいたって親子でカラオケいったとき「あれ、わたしこの曲しってる・・・。なんで・・・?」とか不思議に思ってもらえれば成功だ。いや、成功というか失敗かもしれないが。

 

 








2008年02月13日

お宮参り

 

2007.06.27 まだ軽々と抱けるころ

 

生後の一ヶ月間を無事に過ごせたので、お宮参りに行った。
お宮参りは、土地の産土神(うぶすながみ=守り神)に赤ちゃんの誕生を報告し、健やかな成長を願う行事である。うちの場合でも、氏神である神社に予約した。

おまもりとして犬張子をぶら下げて出発。犬張子というのは・・・まあ、あれだ。「犬ガンダム」というのがいま一番わかりやすい説明だろう。

晶ちゃんの祝い着は母が用意した。「呉服屋の孫娘」という位置は、次男の娘とはいえ色々ハッタリが必要らしいので、生半可なものは着られないようだ。
写真に写っているピンクの方の着物は、なんと50年前のもの。いまでは、もう探してもこういう柄のものは見つからないらしい。まだ着れるという現実と、いままでとって置いたという事実がすごい。
そして祝い着は、紅鬱金というか凄味のあるオレンジ色。琉球染めの紅型(びんがた)だ。
(こちらは、母かゆきこさんの顔がモロに写ってるものばかりなので、見せられないのが残念)

当日は天気もよく、ちょっと暑かったが、あきらちゃんが終始寝っぱなしという好条件のおかげで、とても楽しくすごせた。
泣かされることもあるが、それでも基本的に仲のいいゆきこさんと母が、この日もいいコンビだった。


散歩に訪れた近所のおばあさん以外は、神主と我々だけという、すごく静かな中での式。

この日は6月27日で、おりしも私の誕生日だった。
去年のこの日は、ちょうど結納だった。

一年を振り返って得たものは、あまりにも豊かで、多彩で、幸せなものばかり。

これを、今度は広げていこう。
自分だけ、あるいは自分の家庭だけというレベルで護りに入っては、受けた恩恵が腐ってしまう。

お宮参りは、その出発の儀式なのだ。








2008年02月12日

「徳」と捨て子


2007.06.13 このころは湿疹がひどかった。
薬は使わず、沐浴などで丁寧にガーゼで拭いていたら、一月半くらいで綺麗になおった。


晶ちゃんのファーストキスも無事に父親が強奪し

 

 

 


いや、あの

 

 

 

 


晶ちゃんの、新生児によくある湿疹も、生後一ヶ月頃になって、ようやく治まりだした。
実家でお世話になっているせいもあって、赤ちゃんを見ようと、いろんな人が尋ねてくる。
お風呂に入れるときなど、野次馬をいれれば6人ぐらい群がっていることもあった。

ひとが集まってくる赤ちゃんには、「徳」があるという。
うれしい限りだ。

この時期は「乳吐き」と、産婦の精神の不安定期。
あきちゃんは噴水のように母乳を吐き出すことがあったし、ゆきこさんはこっそり泣いてた。
そういう時期だった。泣きながら笑いながら、どうにかお世話する日々だった。

おおよそ三時間ごとの大泣き以外は、大半の時間を寝てすごす晶ちゃん。
抱かれて移動しているときでも、アフガンという赤ちゃん用の「おくるみ」(赤ちゃんをくるむ、薄手のかけ布団みたいなの)の中で、スヤスヤ眠っている。

そのアフガンで包まれている姿は、赤ちゃんのイメージそのものであるとともに、同時に私には「捨て子」のビジュアルイメージとも感じられた。
こういう「おくるみ」で、哺乳瓶と手紙なんかを添えられて、施設やお寺の玄関先に捨てられる新生児、というのが、捨て子のイメージだった。


2007年に話題になった赤ちゃんポストや、幼児虐待のニュースが絶えないが「捨て子」自体はどうなのだろう。話題にはならないが、かなりの暗数として存在していると思う。

父親の本能が思考にブロックをかけるので、自分がこの子を捨てる、という状況が想像できない。
だが、捨てる親は、どんな事情と心情で、その子を置き去りにするのだろう。

芥川龍之介の歌にこういうのがある。










「蚊柱の 礎(いしずえ)となる 捨て子かな」











音が聞こえてきそうな歌だ。

そして、親が赤ちゃんを捨てるというのは、そういうことなのだ。








2008年02月10日

「ふたつの揺籃歌」

 

 

ふたつの揺籃歌

sleeping eyes



薔薇水晶は左目だけで泣く。
使命とともに与えられた眼帯が、
ただそれを塞き止める。

真紅は、何も言わない。

 




ローゼンメイデンオンリーイベント「まきますか? まきませんか? 6」初出の同人誌表紙絵です。
「パン食グランギニョル」の一誌として出た「ふたつの揺籃歌」は、ふづきさんと、すなふさんのシリアス長編。作中でとりあえず薔薇水晶が出るとだけ聞いたので、それを頼りに描かせていただきました。

イベントや打ち上げ会などで本をいただくのが通例だったのですが、ここしばらく東京に行っていないため、実は、いまだに本誌を手にすることができておりません。
はたしてこの絵で内容と合っているのか、非常に不安です。

この絵を描いていたのが2007年の4月ごろ。コミックバーズの公式サイトで「7月号でローゼンメイデンの連載終了」と告げられたのが、同年4月28日。この絵を描いてから、ローゼンメイデンは一気につきはなされるように終息を迎えてしまったという印象でした。

この絵のように、ドールたちも忘れ去られていくのかな、と過去の自分の絵を整理していて思いましたが、こちら(http://nijiket.net/maki/)を見る限り、まだまだ愛されてる様子。ちょっと安心しました。


おまけとして、拡大サイズのタイトル等レイアウト済みのものも。

 

 

 








2008年02月09日

退院・母乳の話


2007.06.05 ちいさくても、ちからづよい手


産後は、一週間は安静に、2~3週間たったら軽い家事ならしてよいといわれている。
うちでは、この期間は私の実家兼仕事場で、お世話してもらうことになった。
一週間を無事にすごし退院、実家に三人で転がり込ませてもらう。

このときが、晶ちゃんには初めての外出。車での移動、車外の騒音、知らない部屋、知らない人、と、ゆきこさんのお腹から出てきて以来の、はじめての環境変化。 そのためか、いつもより目がさえていた。緊張、もしくは興奮しているのだろう。なかなか眠ってくれない。
いつもはおっぱいを飲んでオムツを代えたら2~3時間は寝てくれるのだが、1時間でぴーたかぴーたかと泣き出す。
おっぱいに加えて、ミルクを作って飲ませたら、やっと満足げな顔になった。


この時期はお世話に忙しくて、断片的なメモしかのこっていない。
いちおう、残しておこう。

「あかちゃんなのに土踏まずがある」

生後一週間の晶ちゃんには、土踏まずがある。
これは、母親が妊娠期にいい水を飲んでるとできる、という迷信がある。
迷信だが、たしかに、妊娠が分かってからゆきこさんが口にした水は、すべて購入したものか、なんらかの浄水過程を経たものだった。


「ガッツポーズ」

晶ちゃんが寝るときは、常にガッツポーズだ。勝利者の姿である。マジンガーZとか鉄人28号の起動時みたいだ。これはうつぶせになれるくらいまで続いた。


「笑顔」

晶ちゃんは、私とゆきこさんが「ちゅー」してるとニコニコ笑う。それ以外で笑ったところをみたことがない。一ヶ月より前の赤ちゃんは、めったに笑わないらしいと聞くだけに、ちょっと嬉しい。


「日差しがわかる」

生後一ヶ月以内の赤ちゃんの視力は0.01くらい。ぼんやりとだが目が見えてきた様子。でも、まだ人影や、極端な明暗(日向と日陰)くらいしかわからないらしい。


「新聞に名前が載った」

出生届を出すときに掲載を許可しておいたので、地元の新聞に名前が載った。
そして、紙面に「○○町」としか住所表記はなかったのだが、それでも幼稚園と写真館からハガキが来た。
あれは、どうやって調べてるのだろう。


「母乳」
 

あきらちゃんは、母乳で育てられている。
最初のころこそ粉ミルクも使ったが、離乳食がはじまるまでは完全に母乳だった。

その母乳にも、美味い・不味いがあるらしい。
「食べているものが、そのまま出る」と言われるくらいに、母親の食事の影響力は多い。
「不味いおっぱいは、あかちゃんも飲みたくはない」というほどだ。
脂肪分やタンパク質、カロリーの高い食事では、そうなってしまう。

「だから」と、野菜中心に、質素な食生活をめざすゆきこさん。
あんなに甘いものが好きだったのに、それでも彼女は、入院中から差し入れなどでも甘味の強いものは手を着けなかった。

人間が、母乳を飲めるのは、その一生のうちでもほんのわずかな時間しかない。

そして、

母乳をあげられるのは、自分しかいない・・・・
というのが、彼女の決意だ。


母子の姿の中でも、授乳の光景はほんとうに感動的だ。
その、彼女の動機を聞けば、それはさらに美しく見える。








2008年02月08日

「嫁ぎきる」ということ・「なにもしない」という義母の共助

2007.05.29 赤ちゃんは勝利者のポーズで眠る
 2007.05.29 赤ちゃんは勝利者のポーズで眠る
 

 

無事に孫が生まれてホッとした母が、一時期お義母さん(ゆきこさんの実家のお母さん)への不満を口にしていたことがあった。

事情があって孫の顔を見に来られないことを初めとして、あちらからの電話があまりないことなど、リアクションが薄いことへの不満である。要するに、先方にもっと大騒ぎを希望しているのだ。

自分の時代には、妊婦・産婦の面倒はすべて実家が見るものだった、ともいっている。もっともそういう母は、ゆきこさんが里帰り出産しないことを喜んでいたものだし、こちらで面倒を見ることも買って出ていたのだが。

でも、これはひとえに両者の教育方針、もしくは県民性の相違だと思う。

山形のお義母さんは、ゆきこさんを自立した女性に育てた。嫁いでいった娘のことはたしかに心配だが、嫁がせた以上、自分が出しゃばることではないと思っているのだ。だから、よほどのことがないと、向こうからは連絡してこない。気になっていても、だ。

わたしは、これってすばらしいことだと思う。

もし母の希望通りに、山形のお義母さんがこっちにすっ飛んできて、あれやこれやと世話を焼きだしたり、毎日毎日詳細な情報を要求する電話をかけてきたら、どうなったろう。

母は、ゆきこさんはおろか、あきらちゃんにも手が出せなくなるし、嫌気もさすだろう。そして、実家の母の世話を甘受せざるを得ないゆきこさんを、嫌いになってしまうと思う。

だから、いまぐらいがちょうど良いのだ。
嫁の実家が引いているから、この家にゆきこさんは入ってこられる。「嫁ぎきる」ことができるのだ。


あとは、わたしからこまめに詳細情報をお義母さんにつたえたり、向こうから電話しやすいように、父の日や母の日、先方のありとあらゆる記念日に贈り物する事で、「御礼の電話」という名目で娘のことを聞く機会を提供することができるればいい。

母はいろいろ言っているが、いまの状態は、おおよそ理想的な状態だと思う。

あとはまあ、たまにお義母さんから母に「電話をしやすいきっかけ」をつくってあげればいいだろう。この線があまり太すぎない程度でつながれば、家庭内の人間関係は完璧だ。

このへんの嫁姑問題など、要らぬ心配が発生しなかったのは、本当に幸運だったと思う。








2008年02月04日

生後五日目

 

長女の晶(あきら)が生まれてからのことを、ずいぶん遅くなったが記録しなおしておこうと思う。

赤ちゃんというモノを知らないが故に、そのときは「こんなふうだが大丈夫なのか!?」と悩んだり寝られなかったりと、大変な思いをしていても、あとで 考えればぜんぜん許容範囲だったりすることがある。
写真を頼りに、思い出しながら書いていく日記は、だから「こんな風だったけど大丈夫」という記録にもなるだろう。

すくなくとも、本人の成長においつくまでは。


 


というわけで、いきなり不穏な雰囲気の写真から。

5月22日にうまれたあきらちゃんも、この日で生後5日目。
4日目くらいから黄疸がでてきて紫外線治療開始。これはその様子。

まだ目も見えてないのだが、 こうして目隠しをして日焼けサロンみたいな光線のでるカプセルに入れられる。二日くらいかかっただろうか。

平行して黄疸の原因を特定するための血液検査も行う。
新生児の場合は、かかとから採血しての血液検査。いたそう。でも青い痕になったりしないようにしてもらえたらしい。

結果は、肝臓の異常もなく、母親との血液型相違によるものでもなく、普通の新生児黄疸とのこと。ホッとする。
この日のうちにだいぶ数値も下がってきたので、これで治療はおしまいだった。

明日からは、またお母さんのとなりで寝られるね、あきちゃん。








2008年02月03日

ブログへの再引越と九女下絵 MovableType編

 

えーとですね。
FC2ブログに一度は引っ越したのですが、どうにも使い勝手が悪かったので、再開後の更新三回目にしてこちらに移りました。
落ち着かなくてすみません。
とくに、わざわざリンクを貼り替えてくださったサイトの管理人さまには、ホントすみません。

レンタルのブログではなく、夜想曲本体と同じサーバースペースで、Movable Typeにて展開することにしました。
ちなみにMovable Type というのは、機能拡張に定評のあるブログ用のソフトウェアで、知人の多くがつかっており、わたしもこれを導入しました。個人使用に関しては無料で提供されているのもありがたいところです。
MovableTypeの設定やプライベートの用事で時間がかかりましたが、(これからも忙しくはあるのですが)とりあえず、更新ができる環境にはなり、とりあえずやれやれです。
スタイルシート等、最低限度しかいじっていないので、これから仕様変更を重ねつつ、長女の晶ちゃんが生まれてからのことや、いろいろ書いていきたいと思います。
あと溜まってる絵の更新も。
ずいぶん前の未公開絵も多々ありますが、とりあえずは、引っ越しお騒がせのお詫びと近況の報告を兼ねて公開します。

いま描いてる九女絵(べびプリ)を!

それがおまえの近況なのかと言われれば、もう、そのとおりとしか言えないくらいに食いついてます。

 

 


 

 

線画の段階ですが、こんな感じ。 金曜と土曜の夜、妻子が寝静まった真夜中に、ちょこちょこと進めているので、いつ完成するか不明ですが、テキスト・絵などのストックを公開しつつ、その裏で描いていこうと思います。