2008年07月14日

自分の妊娠に気づかない


毎年、春先から六月ごろにかけて、女子高生がトイレで出産とかいう話がちょくちょくニュースになる。
これが季節のニュースなのは、前年の夏頃に過ちを犯しているからというイヤな計算が成立するのだが、これはまた問題が大きいので別にしよう。
ともあれ、ニュースに対する反応を見ていると「気づかないはずが無い」というのがやはり多いようだ。

ところで、自分の妊娠に気づかないまま出産に及んだケースは、実はけっこうあると思う。少なくとも、うちの近所(といっても隣の市だが)ではあった。私も伝聞で知る程度だが、割と有名な話なのでちょっとボカしつつ書いてみる。

まず本人が経産婦なのが驚きだった。彼女には妊娠・出産の経験があるのだが、それでも生まれるまで自分が妊娠しているとは思わなかったのだ。

本人の自覚としては、最近ふとってきた、というだけ。
常態でも生理不順だったので時おりある出血が生理のものだと思っていたらしい。自覚がないのにマタニティドレスなど着るはずもなく、普通にジーンズを着用して暮らしていたそうだ。

あるとき、突然に腹痛が走り、同時に尿がもれたような感覚。驚いてトイレに行こうと思ったが、もしやと思いバスルームへ。
このときやっと「まさか」と思ったレベル。
アレが陣痛と破水であることに気が付いたのは、ぎゃんぎゃん泣く赤ちゃんのへその緒をハサミでちょん切ってからだったという。


「出産費用がういた」という産後の第一声を聞かされた家に帰ってきた旦那は、死ぬほど驚いたらしい。


「自分は妊娠している」という強烈な自覚が、女性のお腹を大きくする、と彼女のことを語ってくれた知人は言っていた。
なので、本人にそれがないと、世の中でテクテク歩いている妊婦さんみたいなわかり易い体型には、ならないケースがあるらしいのだ。

六ヶ月くらいまで気づかずにいる人、というレベルならけっこういる。さすがに出てくるまで無自覚というのはめったにいないと思うが、それでも「わたしは妊娠していない(していたくない)」という強烈な自覚が、女性の体を妊婦らしくしないのかもしれない。

 








2008年03月10日

「バイバイ!」

 2007.09.01 ちいさな手

 


書店にいた頃、とにかく嫌いだった言葉、「バイバイ!」

子連れできたお客さんが、どこかの売場で本や文具やオモチャにひっかかって着いてこない子供にそう言い放つ。

店舗勤務を経験したことのあるひと(子連れ客のありうる店舗という条件はあるが)なら、けっこう見かけたことがあるのではないだろうか。

すくなくとも、愛知でも岐阜でも、ウンザリするほどあった。

怒気と苛立ちを込めて皮肉っぽく「バイバイ!」





「あたしは、いつでもあんたを捨てる準備がある」





そう言っているように、見えてしまう。
これは、強迫だ。
そうやって言うことをきかせてきた結果に、なにが残るというのだろう。

先日も、ドラッグストアで同じ光景を見かけた。
子供が、ゼリー飲料(ヴィダーインゼリー?)の売場でひっかかっている。そして先行していた母親が「バイバイ!」
その子は、自分が捨てられるなんて考えることもできないほど母親を信頼しきっているみたいで、何を言われているのかまったく分からない様子だった。
ややあって、その子が母親に駆け寄る。手にゼリー飲料を2個もっていて、1個を母親に差し出していた。美味しそうだったから、お母さんの分ももってきた。そんな感じだった。母親は2個ともむしりとって売場に突き返し、子供をひっぱって歩いていった。

書店時代だけではない。やっぱり、いまでもある。よくあることなのだろう。


書店時代「バイバイ!」を言わない母親も、もちろんいた。
ちゃんと子供のところまで戻ってあげて、むしり取るようにでも手を引いて、泣き叫ぶのも辞さずに店から引きずり出す母親の、なんと頼もしいことか。子供に、ちゃんと向き合っている。

その母親は、無言で言っていたのだ。

 

 

「わたしは何があってもあんたを見捨てない」

 

 

と。


自分たちも、そうでありたい。晶ちゃんがお外についてくるようになっても「バイバイ!」とは言うまい。


 








2008年02月08日

「嫁ぎきる」ということ・「なにもしない」という義母の共助

2007.05.29 赤ちゃんは勝利者のポーズで眠る
 2007.05.29 赤ちゃんは勝利者のポーズで眠る
 

 

無事に孫が生まれてホッとした母が、一時期お義母さん(ゆきこさんの実家のお母さん)への不満を口にしていたことがあった。

事情があって孫の顔を見に来られないことを初めとして、あちらからの電話があまりないことなど、リアクションが薄いことへの不満である。要するに、先方にもっと大騒ぎを希望しているのだ。

自分の時代には、妊婦・産婦の面倒はすべて実家が見るものだった、ともいっている。もっともそういう母は、ゆきこさんが里帰り出産しないことを喜んでいたものだし、こちらで面倒を見ることも買って出ていたのだが。

でも、これはひとえに両者の教育方針、もしくは県民性の相違だと思う。

山形のお義母さんは、ゆきこさんを自立した女性に育てた。嫁いでいった娘のことはたしかに心配だが、嫁がせた以上、自分が出しゃばることではないと思っているのだ。だから、よほどのことがないと、向こうからは連絡してこない。気になっていても、だ。

わたしは、これってすばらしいことだと思う。

もし母の希望通りに、山形のお義母さんがこっちにすっ飛んできて、あれやこれやと世話を焼きだしたり、毎日毎日詳細な情報を要求する電話をかけてきたら、どうなったろう。

母は、ゆきこさんはおろか、あきらちゃんにも手が出せなくなるし、嫌気もさすだろう。そして、実家の母の世話を甘受せざるを得ないゆきこさんを、嫌いになってしまうと思う。

だから、いまぐらいがちょうど良いのだ。
嫁の実家が引いているから、この家にゆきこさんは入ってこられる。「嫁ぎきる」ことができるのだ。


あとは、わたしからこまめに詳細情報をお義母さんにつたえたり、向こうから電話しやすいように、父の日や母の日、先方のありとあらゆる記念日に贈り物する事で、「御礼の電話」という名目で娘のことを聞く機会を提供することができるればいい。

母はいろいろ言っているが、いまの状態は、おおよそ理想的な状態だと思う。

あとはまあ、たまにお義母さんから母に「電話をしやすいきっかけ」をつくってあげればいいだろう。この線があまり太すぎない程度でつながれば、家庭内の人間関係は完璧だ。

このへんの嫁姑問題など、要らぬ心配が発生しなかったのは、本当に幸運だったと思う。