2008年02月08日
「嫁ぎきる」ということ・「なにもしない」という義母の共助
無事に孫が生まれてホッとした母が、一時期お義母さん(ゆきこさんの実家のお母さん)への不満を口にしていたことがあった。
事情があって孫の顔を見に来られないことを初めとして、あちらからの電話があまりないことなど、リアクションが薄いことへの不満である。要するに、先方にもっと大騒ぎを希望しているのだ。
自分の時代には、妊婦・産婦の面倒はすべて実家が見るものだった、ともいっている。もっともそういう母は、ゆきこさんが里帰り出産しないことを喜んでいたものだし、こちらで面倒を見ることも買って出ていたのだが。
でも、これはひとえに両者の教育方針、もしくは県民性の相違だと思う。
山形のお義母さんは、ゆきこさんを自立した女性に育てた。嫁いでいった娘のことはたしかに心配だが、嫁がせた以上、自分が出しゃばることではないと思っているのだ。だから、よほどのことがないと、向こうからは連絡してこない。気になっていても、だ。
わたしは、これってすばらしいことだと思う。
もし母の希望通りに、山形のお義母さんがこっちにすっ飛んできて、あれやこれやと世話を焼きだしたり、毎日毎日詳細な情報を要求する電話をかけてきたら、どうなったろう。
母は、ゆきこさんはおろか、あきらちゃんにも手が出せなくなるし、嫌気もさすだろう。そして、実家の母の世話を甘受せざるを得ないゆきこさんを、嫌いになってしまうと思う。
だから、いまぐらいがちょうど良いのだ。
嫁の実家が引いているから、この家にゆきこさんは入ってこられる。「嫁ぎきる」ことができるのだ。
あとは、わたしからこまめに詳細情報をお義母さんにつたえたり、向こうから電話しやすいように、父の日や母の日、先方のありとあらゆる記念日に贈り物する事で、「御礼の電話」という名目で娘のことを聞く機会を提供することができるればいい。
母はいろいろ言っているが、いまの状態は、おおよそ理想的な状態だと思う。
あとはまあ、たまにお義母さんから母に「電話をしやすいきっかけ」をつくってあげればいいだろう。この線があまり太すぎない程度でつながれば、家庭内の人間関係は完璧だ。
このへんの嫁姑問題など、要らぬ心配が発生しなかったのは、本当に幸運だったと思う。
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- at 09:17
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