■ 2006.11.18 「一年ぶりに更新再開」 2005年の10月から、仕事関係が忙しく日記の更新を控えていた。 そのへんの事情が解消されたので、更新を再開しようと思う。 忙しいとはいっても、日記自体は簡単に書いていたので、これを掲載するつもりだ。 従って、しばらくは実際の日付と大きくズレた日記になるだろう。もともと時事ネタなどはあまり書いて無いと思うが、季節感や時間感覚はちょっとおかしくなると思う。 放映時期と原作連載時の季節がズレてるために、夏の盛りに正月ネタをやっていたアニメ版のめぞん一刻みたいなものだと思ってもらえれば助かる。(・・・分かる人いるだろうか) 毎日更新しても、現在の日付に追いつくのに、どれくらいかかるだろう。 とにかく、がんばって更新しようと思う。 そうそう、これだけは報告を。 2006年10月14日。結婚式を挙げました。 それを中心とした忙しさも落ち着いてきたので更新再開、というのがこの時期からという理由である。
■ 2006.11.19 「お蔵入りになった絵」 日記更新の前に、公開の時期を逸してしまった「お蔵入り」の絵を出しておこうと思う。 メインのコンテンツの方でも公開していくが、こちらにはラフ程度のものを。 ※ clickで拡大 2002年8月1日に描いてた香里(Kanon)。なぜかコインランドリーで雑誌を読んでる上にジャージ姿。当時の自分がなにを考えていたのか、これほど思い出せない絵もないくらい正体不明。しかもけっこうちゃんと描こうとしてる。なんだろう。「生活感萌え」とかだろうか。見た人からは「栞の入院の世話では」という話も。なるほど。 ※ clickで拡大 男汁あふれる感じの男を描いてみたい・・・ような気がするがそれはやっぱり気の迷いで今日も女の子か女の人ばっかり描いてる。 ちなみにこれは、2002年の2月7日に描いた落書き。 ※ clickで拡大 「こたつたん」という、ある方原作のオリジナル作品があった。 某チャットで某知人が他の参加者と会話中に出た妄想ネタで、小説形式で語られている。いまだ完成してないが別荘みたいな彼の日記で19話まで綴られており、以降ストップしているが、プロット的には完結したそうだ。 こたつたん第一話 それに絵を付けてみた。 非絵描きにとっては、自分の妄想がビジュアル化することがすごく驚くべきことだそうで、これもとても喜んでもらえた。だが、描いた方としてもっとも喜ばしかったのは、ラストの決まっていなかったこの「こたつたん」という少女にまつわる物語が「この絵をみて、ハッピーエンドにしようと思った」と、しあわせな落着点を得られそうなことだった。 はやくラストが読みたいところである・・・が、すでに休載して2年。この子は幸せになっているだろうか。
■ 2006.11.19 「お蔵入りになった絵」 日記更新の前に、公開の時期を逸してしまった「お蔵入り」の絵を出しておこうと思う。 メインのコンテンツの方でも公開していくが、こちらにはラフ程度のものを。
※ clickで拡大
2002年8月1日に描いてた香里(Kanon)。なぜかコインランドリーで雑誌を読んでる上にジャージ姿。当時の自分がなにを考えていたのか、これほど思い出せない絵もないくらい正体不明。しかもけっこうちゃんと描こうとしてる。なんだろう。「生活感萌え」とかだろうか。見た人からは「栞の入院の世話では」という話も。なるほど。
男汁あふれる感じの男を描いてみたい・・・ような気がするがそれはやっぱり気の迷いで今日も女の子か女の人ばっかり描いてる。 ちなみにこれは、2002年の2月7日に描いた落書き。
「こたつたん」という、ある方原作のオリジナル作品があった。 某チャットで某知人が他の参加者と会話中に出た妄想ネタで、小説形式で語られている。いまだ完成してないが別荘みたいな彼の日記で19話まで綴られており、以降ストップしているが、プロット的には完結したそうだ。 こたつたん第一話 それに絵を付けてみた。 非絵描きにとっては、自分の妄想がビジュアル化することがすごく驚くべきことだそうで、これもとても喜んでもらえた。だが、描いた方としてもっとも喜ばしかったのは、ラストの決まっていなかったこの「こたつたん」という少女にまつわる物語が「この絵をみて、ハッピーエンドにしようと思った」と、しあわせな落着点を得られそうなことだった。 はやくラストが読みたいところである・・・が、すでに休載して2年。この子は幸せになっているだろうか。
■ 2006.11.20 「メイドさんのみみはネコのみみ」 もうとっくにコンテンツ化されているので、いまさらではあるが、「独り言以外の何か」というニュースサイト管理人で、Su−37さんというスラブ系戦闘機みたいな名前のひとに送った絵・・・というか企画がある。 くわしいいきさつは 「メイドさんのみみはネコのみみ」のあたまに書いてあるので、一読を。 せいるさんの協力もあったが、なんで自分でもここまで入れ込んでいるのか、良くわからないまま書いたお話である。 いちおうアクセス解析を仕込んであるのだが、本家の「独り言以外の何か」と、「サテライト美汐」さんのこちらに取り上げられてるくらいで、あとは検索サイトによる「オナニーアニメ」とか「腹マイト」とか「スーパーロサギガンティア」とか、かなりハズレっぽいヒットくらいしか見受けられなかった。 公開後、ずいぶん時間が経っており、現在のヒット数は一日数発あるかないか。しかもかなり誤爆っぽいかんじとゆー、なんかイマイチな盛り下がり方でおわってしまいつつある。「ねりこちゃん」のときもそうだったが、面白がられているのに世に広まらないのは、やはり造りが甘いからだろうか。 ところで読んだ人からはちょこちょこ感想をいただけている。 そのなかでおよそダントツに多いのは 「副音声がおもしろいですね」 という、たぶん末端冷え性のヒトの爪先くらいにはあたたかいのであろうと思われる感想であったという。
■ 2006.11.21 「客層」 ふりかえってみれば(誰に語っているのか口語調)昔の「夜想曲」はですね、開設初期はずーっと「ハーメルンのバイオリン弾き」オンリーのサイトで、当時はもうお客さんがかなりの割合で女性だったんですよ。過半数というのは言い過ぎかも知れませんが、まあ、少年漫画の濃い口マニアは女性といいますからな。 ただ、ヨコハマ買い出し紀行から、Kanonあたりに手をだしたのと、そのへんの繋がりから、せいるさんの影響でぱんつ絵とか、なにを考えたのか 「脇毛を剃る秋子さん」とか描くようになって、気がつくともう女性のお客さんがドン引きです。あといま気がついたけど、脇剃絵を載せた時点でただでさえ絶滅危惧っぽい女性客が根こそぎイッてしまいそうですが。それはともかく「マリみて」でゴリゴリ描いてたころは一瞬だけ増えた気がしたものの、それでもなんとなく一線おかれてるというか、ああもうあの頃には戻れないんだな、と最近感慨深く夕暮れを眺めてたりするわけですよ。かつての華やかなりし客層は、ごっつぉりと男性向けに入れ替え完了なわけですが、未公開絵日記用に昔の描きかけ絵を探してたら、女性客でにぎわっていた当時のスタンダード「ハーメルン」の「サイザーさんがちびオカリナを風呂にいれてる絵(ラフ止まり)」が見つかりました。ちょっと昔を思い出しながら載せてみます。 いや、ただの蔵出しに長い前フリでしたな我ながら。 まあ、これ描いてたのって、 天野さん的にはAIRにもKanonにもはまりきっていた時期なのでいまさらではあるんですけどねえ・・・・。
■ 2006.11.21 「客層」 ふりかえってみれば(誰に語っているのか口語調)昔の「夜想曲」はですね、開設初期はずーっと「ハーメルンのバイオリン弾き」オンリーのサイトで、当時はもうお客さんがかなりの割合で女性だったんですよ。過半数というのは言い過ぎかも知れませんが、まあ、少年漫画の濃い口マニアは女性といいますからな。 ただ、ヨコハマ買い出し紀行から、Kanonあたりに手をだしたのと、そのへんの繋がりから、せいるさんの影響でぱんつ絵とか、なにを考えたのか 「脇毛を剃る秋子さん」とか描くようになって、気がつくともう女性のお客さんがドン引きです。あといま気がついたけど、脇剃絵を載せた時点でただでさえ絶滅危惧っぽい女性客が根こそぎイッてしまいそうですが。それはともかく「マリみて」でゴリゴリ描いてたころは一瞬だけ増えた気がしたものの、それでもなんとなく一線おかれてるというか、ああもうあの頃には戻れないんだな、と最近感慨深く夕暮れを眺めてたりするわけですよ。かつての華やかなりし客層は、ごっつぉりと男性向けに入れ替え完了なわけですが、未公開絵日記用に昔の描きかけ絵を探してたら、女性客でにぎわっていた当時のスタンダード「ハーメルン」の「サイザーさんがちびオカリナを風呂にいれてる絵(ラフ止まり)」が見つかりました。ちょっと昔を思い出しながら載せてみます。 いや、ただの蔵出しに長い前フリでしたな我ながら。
まあ、これ描いてたのって、 天野さん的にはAIRにもKanonにもはまりきっていた時期なのでいまさらではあるんですけどねえ・・・・。
■ 2006.11.22 「バトン」 2005年の6月の話ですが、当時の流行で「○○バトン」というのがありまして、当時いちばんよく見るのが「Musical Baton」というやつだったんですが、これは好きな曲についての思い入れを天下御免で書きまくるついでに私的録音金保障制度への調査協力までするという心配性のヒトにはちょっとしたスリルも楽しめるアレで、書いたひとは5人のヒトにバトンをまわしていくという決まりがあるらしく、天野さんの周囲でも「あー、5人もバトンわたすヒトがいないなあ」と言いながらみなさんがどうにか挙げてるメンツについに私の名前が挙がらないまま誕生日を迎えようとしている昨今ですが、貴様らいかがお過ごしでしょうか。(しつこいようですが2005年の6月の話です) たぶん、天野さんは日記も書けないくらい疲労がコンパイラなので(この一言で日常的なトルク値の低さを思い計ること)、せめて残った気力ゲージをこんなところで消費させず、他はともかくうちの絵だけは締切までにあげて欲しいので少しでも無駄な話題を振るまいとする、コミケ同人誌用に絵を依頼ずみな方々による、いわゆる「愛ある放置」だと思いますが、そんな日々にも終止符を打つかのように来ましたよバトンが! しかもよりによってというか 「エロゲバトン」が! 受け取った瞬間にヌルッとかしそうなシズる感が涙を誘いますが、お応えしましょう、エロゲバトンに。もりたさんが毎日日記更新するためだけにチラッと思いついて書いたと思われる上に、企画発起人からしてものすげえどうでもよさげな、エロゲバトンに。 ・現在のPC内ゲームデータ アトラク=ナクア(文月さんから借りた) (すみません) とらいあんぐるハート(Beeさんから借りた) (すみません) Fate/staynight(同人誌の挿絵かくためにカゲロウさんから借りた) (すみません) え・・あれ? Kanonは全年齢版だったし、CLANNADもそうだし・・・。これだけかあ。セーブデータだけ保存してアンインストールしてるからなあ。 ・最近の購入エロゲー ええと・・・、廉価版の「MOON.Renewal」? 何年前だろう。 (このあと「智代アフター」で更新されました) ・現在プレイ中のエロゲー 「とらいあんぐるハート2」・・・って言っても美緒がでっかくなっちまったときに「お、俺はいったい・・・なんのために・・・いままで・・・」とうなだれて以来、ほぼストップ。 ・思い入れのある5本 5本もあるか心配でしたが、充分にありました。 というかソレっぽいゲームの履修歴を挙げた方がよさげなので、まずはそこから。厳密ではないけど、いちおう時経列で。 全てのはじまりだった「Kanon」 マルチ目当てで委員長に誤爆、眼鏡属性を開発された「To Heart 」 「分子レベルで粉々にされる」というのをなんとなく体験した「AIR」 絵の凄まじさにつまづきながらも、みさき先輩に駆け寄りたい衝動がかなり切実だった「ONE」 本編よりも下手するとオマケのほうが面白かったとは言っちゃいけないと思う「MOON.Renewal」 アリアとれち子が出会ったときの演出・・・というか隠された意図がすばらしかった「デアボリカ」 初音ちゃんの可愛らしさよりも、楓ちゃんのいたいけさよりも、梓はまあ置いておいて、千鶴さんに心臓あたりを根こそぎもっていかれた感のあった「痕」 シエル先輩の絵しか描いてないが「やきいも(やきもち焼きの妹)」っていいなあとしみじみ思った「月姫(歌月十夜ふくむ)」 佐々木さんが出てきたときに鳥肌たてながら「この少年漫画的な面白さは・・・!」と歓喜しつつセイバーに恋した「Fate/staynight」 CLANNADはAIRを卒業できなかったひとのためのゲームである、というが、その裏付けになるだろうか、AIRを消化しきった感のある私にはいまいちのめり込めなかったものの、風子シナリオ終盤の早苗さん(井上喜久子さん推奨・フルボイス版では見事実現!)には涙が出た「CLANNAD」 「どうしてこんなに女の子の気持ちが分かるの?」と声優陣にいわしめたという脚本が、なるほどたしかな「とらいあんぐるハート2」 お姉さまを慕う気持ちだけで最後の扉をあけたかにゃこにやや真剣に感動したあげく最近では百合以外の恋愛関係を許容しがたくなってきた自覚があるくらい染まりつつある百合傾向を思えばけっこう加速させてた「アトラク=ナクア」 レナたちがいつアレになるかと思うと真剣に恐かった「ひぐらしの泣く頃に」(この当時は「解」が始まってなかった)(「祭囃子編」のかけら集め中にパソコンが壊れて以降ストップ中) ある程度以上ちゃんとやったのはこのへんまで。エロゲであるかどうかは、むしろ選択肢をせばめるだけなので考慮してません。すみません。 一言で書いてあるのでどうもアッサリしているけど、どの作品も、物語として、あるいはゲームとしての評価は充分に高く、忘れてしまえるようなゲームでなかったのはたしかです。 ベストをあげるなら、やはり「AIR」「Kanon」「Fate/staynight」そして「痕」でしょうか。これだけはやはり別格で、あとは大きく間をあけてしまいます。 (現在はここに「智代アフター」が殿堂いり) さて。 そのエロゲバトンですが、どうも回しはしないもののようで、個人的にきいてみたい人をあげるだけでよいとか。 じゃあ、小野寺浩二氏。 いや、なんとなく漫画よんでるとわかるような気もするんですけど、はっきり聞いておきたいな、と。
■ 2006.11.23 「無駄を是とする考え方」2005年7月 創作は、自分自身を表現するものであるという、自己完結した考え方がある。 これに対して、作品は捧げものであるとして、神に捧げる気持ちで作るという考え方がある。 宗教芸術なんかがわかりやすいが、これは「捧げる」という気持ちさえそうであれば対象は何にでもあてはまる。 何かを愛する気持ちを形にしてみただけ。そんなものでもいい。 芸術からはやや外れるが、仕事の動機と置き換えても通用すると思う。仕事を自己表現の場とするか、それとも誰かに捧げるためにしているのか。芸術家として、あるいは仕事人として、自分の近い立場で読んでみて欲しい。 さて、捧げものとして作ったものがどのように扱われるかは、捧げた先方に委ねる。 先方というのは、神であったり、閲覧者であったり、取引先などだ。 捧げるとは、結果を問わないことである。なので、結果として無駄に終わってしまった、ということがあっても文句を言わない姿勢が「捧げる」という立ち位置だ。 結果的に作品をつくる労力は同じだが、その結果が無駄に終わったとき、「自己表現のために」と「捧げるために」では、両者におおきな差が生まれる。 自分の表現のために作ったものは、自分の分身であり、または自分の子供のように思えるときがある。 したがって、これを駄々草にあつかわれたり、蔑(ないがし)ろにされたりすると、その人は怒る。 動機が完全に自分にあるからだ。 一方、捧げる気持ちで作ったものの場合は、もちろん当人としては傷つかずにはいられないが、それでもこの事態を受け入れることはできる。 自分は判断を委ね、捧げたのだから、と。 あるいは「今度こそ、もっとよいものを作ろう!」と再出発の決意がしやすいのも、こちらだ。 それは創造という神のような立場の活動において、自分を神だと錯覚する愚者と、自分が神でないことを知っている賢者の差ではないだろうか。 はたして、人間は、少なくとも自分は、「神のような完全な存在」だろうか? もし仮に自分が完全な存在であったなら、無駄なことをすることに意義を申し立てることもできるだろう。 完全なものにとって、それは理不尽だからだ。 「どうしてこんな目に会わなければいけないのか」そう言っていい。 だが、それはたいてい愚痴だ。そして、その愚痴への回答は簡単である。 私が、完全な存在でないからだ。 もし私が完全な存在であったなら、それを訴える権利はある。だが、違うのだ。「本来は完全な存在のはずなのに」というイデア(理想)としての自分と、現実の自分は乖離しているのだが、そのへんの自覚がないから、不完全な自我が無駄を嘆く。「どうしてこんな目に会わなければいけないのか」まるで自分が完全者であるかのような言い草で、だ。 「創作において、わたしはこの作品世界での神性をもっている、ゆえに自分は神であり、完全者であり、無駄なことは一切あるはずもなく、誰もがこの作品をみとめ、敬い、拝むべきだ」と考えてしまってはいないか。 実際はそこまで極端ではないだろうが、この度合いが高いとき、無駄に終わったときのダメージの跳ね返りがきつい。 無駄に終わったことを、嘆いたり恨んだりするというのは、まともな知性があれば、起きて当然の衝動だろう。だが、その感情を治められないのは、どこかで自分が完全者であるはずだという、幼児的な思いこみがあるからではないか。 自分が完全でないことを知る者は、理不尽な否定・無駄を感謝できる。(悲しみの中において、それは難しいことだが) やることなすことの結果に無駄が無く、作ったものは全て完璧。そんな人間がいるだろうか。 いないだろうし、間違いなく自分はそれではない。 だから、無駄に終わったことをせめて当然のことと思おう。 あきらかな人間の努力不足による無駄もかなりの割合であるだろう。 これは注意して、あるいは無駄の生まれないシステムを構築して直していくしかない。 だが、こちらが人事を尽くして、それでもなお発生する無駄がある。 これについては、自分の魂の完成度を上げるしかない。 もし、無駄に終わることがあったとき、それは自分の魂の練度をあげる必要があることを再決意する場面なのだと、わたしは思っている。無駄におわったことは、結果ではない。自分が完全に近づくためのステップなのだ。この無駄を真にまったくの無駄にしないためには、これを感謝するしかない。自分の傲慢、自分を完全者だと思いこんでる勘違いを正すためにあったことだと、感謝したい。 わたしは、まだ、神ではないのだ、と。
おまけ たとえば「お絵描き掲示板」に投稿する絵を描いていて、ふと別のウインドウを開いてみたら突然にブラウザがフリーズし、試行錯誤を繰り返して偏執狂的に描き込んできた傑作絵(予定)が消えてしまったとする。 「て、てめえ、神様ーッ!! お、お、おおおおおれの三時間四十八分を返せーっ!!」と叫びたくなる気持ちも分かるが、そこをあえて感謝してみる。「そうだ、この描き方では不十分だったんだ!」とか「それでこそ、ここまで描いた甲斐がある!」とか。 そうして、もう一回、最初から描き直す。すると、紆余曲折を経た分だけ、こんどは描く道筋がハッキリしているし「ああすればよかった」と実は悔やんでいた処がやり直せたりする。さらに言えば、筆も暖まって(絵を描くための腕が「できあがって」)いるのだ。 気がつけば、半分の時間で、倍のクオリティの絵ができあがる。 データ消失の試練を乗り越えて、一からの描き直しができるかどうかは、その絵に筆を着けた動機による。 全てが消えてしまったとき、かならず人間は出発の動機に立ち返る。ただの暇潰しや、完全な自己満足では、再出発は難しい。だが、そこに「海を見ながら泣いていた観鈴ちんのために・・・!」とか「俺は志摩子さまを愛しているからな!」とかいった、最終的な目標を見据えた捧げる動機があれば、それは可能だ。 出発さえできてしまえば、あとは不思議と筆が進む。 それはきっと、自分のためでない動機で芸術を出発しようとする無私で謙虚な者にこそ、芸術の女神が力を注いでくれるからだ。
■ 2006.11.24 「園崎詩音」2005年8月 世の中で「ひぐらしの泣く頃に」の「罪滅し編(第六話)」が販売された当時、一歩おくれて、ひとつ前(第五話)である「目明し編」をクリアした。 (やはり当時の話) (以下、若干のネタバレなので、「目明し」をやってないひとは読まないこと推奨) 園崎詩音は私だ。 私が堕ちそうになった道に堕ちたのが彼女だ。 この話は男女が逆だが、詩音が悟史を奪われたのと同じに。 わたしが憎いものを憎む快感に犯されながら負けなかったのは、私には魅音がおらず、前原圭一が現れるまでその誘惑に耐えることができたからだ。 ただ、それだけだ。 奇声をあげて笑い続ける彼女。 憎悪に身を委ねるのは強烈な快感であるがゆえに、笑いがこみ上げる。 あの狂気についていける自分が、なつかしかった。 彼女は私だ。狂った詩音は、どこまでも、あのころの私だ。 だからわたしは、いまの人生を大切に生きねばならない。 詩音があれほど欲した道を、わたしはいま、どうにか歩いている。 後ろに、一歩おくれる気配を、いまだ引き連れたままで。
■ 2006.11.25 「いつもいっしょにいるのではなく」2005年9月29日の日記より 前回ゆっこさんのことを書いてから、ずいぶん経つ。実に三年前だ。 この間、ほとんど紹介もされなかったため、心配してくださっている方も多くあった。本当にありがたい話だ。 いろいろあったが、なんとかやっている。 とりあえず、2005年9月29日の時点では、ゆっこさんと二人でもっていた負債を、ようやく返し終わった。 わけあって、いまもまだ彼女は働けないわけだが、これでいろいろ楽になるだろう。 もういくばくかの貯金ができたら、いまの書店を辞めるかもしれないが、それはまだ未定の話。どうなるかはわからない。 (※2006年6月21日に退職しました) 東京と岐阜に別れての遠距離恋愛でおよそ5年。 「遠距離恋愛」と呼ばれるもので成就した(しそうな、というべきか)ケースを、わたしは自分たち以外に知らない。 なにが鍵だったのかは、正直わからない。 ただ、二人ともお互いを強くは見つめず、ともに共通の目標を、ただ目差しているだけだったのが、よかったのかもしれない。 あの日記で書いた後、もう大丈夫に思えた方もたくさんいたろう。だがそれからも、それはもう人には語れないような非道い非道い状況を何度も通過した。あれとは別に、またしても婚約を破棄する話し合いの場を設けたことすらあった。だが、それでも私と彼女は、その試練をのりこえて、のりこえさせてもらって、お互いとともにいる。 いま振り返っても奇跡のようだ。 だからと言って、いま特別に恋人らしい何かをしているわけでもない。 ただ、離れてしまわないでいてくれるだけ。 そしてほんとにときどき、うんと愛しく思うだけ。 ただ、それだけだ。 だが、それでいまは十分だ。 追記 2005年8月、さまざまな試練をどうにか乗り越え、結婚の準備のためとして、ゆっこさんに岐阜に来てもらった。それでも、20キロほど離れて暮らしている。 なんども挫けそうになって、ここまできた。 ほんとうに、なんども。
■ 2006.11.26 「NHK」2005年10月 前会長がちょっとビックリするくらいベヘリットに似ている例の放送局に、わたしの顔写真が出ることになった。 きっかけは、NHK(おそらくは東海地方版)の夕方17:10からやっている「ほっとイブニング」の金曜版で、地域のベストセラー本を紹介するという番組。 (現在は終了) どうもうちの書店がベストセラー紹介役の岐阜県代表になったらしい。 そこで、ベストセラーランキングは別にいいのだが、もうひとつ「書店員さんのおすすめ本」みたいな企画があるので、これ用におすすめ本の出版データと、100字程度のコメントと、書店員の顔写真を送ってくれ、とのことだった。これはベストセラーランキングとは違い、多少古くてもよく、思い入れのあるものを熱っぽく紹介してください、という説明だった。 写真も頭が痛たかったが、それ以前になにを紹介しようか迷う。 仕事をする一方で、脳内会議のはじまりである。 「うーん、NHKで紹介して何かネタになりそうな本だな」 「ネタにする必要はないと思うが・・・」 「よし、じゃあ『撲殺天使ドクロちゃん』!」 「やめとけ」 「ええー」 「よりによって記念すべき第一回だぞ。方向性ってものがあるだろ。そんな時代の最先端(当時)を切り取らなくていいから!」 「正確には2巻巻末にあった『BINKANサラリーマン』が真におすすめなのだが」 「同じだ」 「じゃあ『シスタープリンセス考察大全』!」 「同人誌じゃねえか」 「あぁ、放送圏の書店に『NHKで紹介されてたぞ。出版社が分からないってことはないだろう』とかいって問い合わせが殺到するだろうなあ」 「自分が挿絵かいた本を自分で紹介するってのもなんかな。もうちょっとNHKに協力的な方向性でいけ」 「じゃあ『N・H・Kへようこそ!』 これならバッチリだろう!」 「紹介文、なんて書くつもりなんだ」 「いやほら『巨大な悪の組織、N・H・K(日本ひ○こ○り協会)の陰謀が君を狙っている』って」 「本家ががんばって無視してるんだからそっとしとけ・・・っていうか、なんか消防署に放火しにいくみたいな本ばっかだな」 いろいろ考えたが、結局いま読んでてはまっている作家さんにしようと思う。 その条件で挙げるなら「西の善き魔女」だろうか。(この当時はまっていた) いまのところすごくおもしろいが、なんとなく推薦したい本とは違う。 過去を振り返ってみれば、秋山瑞人氏と笹本祐一氏の名があがってくる。だが、両者とも、残念ながらちょっと紹介しづらい。すくなくとも、NHKの「ほっとイブニング」なんか見てる人と接点があるかというと、やや遠すぎる気がするのだ。ドクロちゃんとかシスプリみたいな地球の反対側ほどの離れ方ではないが、それでも難しい。 いま推薦したいのは、と考えて思いついた。 小川一水 だ。 実は、最近よんだ「老ヴォールの惑星」が、ものすごくおもしろかったのだ。SFであることを考えると「第六大陸」の方が受け入れられるかと思えたが、短編集であることや、なにより収録されてる「漂った男」が、読書途中で会社に行く時間に挟まってしまい、中断せざるを得なかったのがすごく嫌だったことなど、続きを読むために急いで部屋に帰るくらい楽しませてもらえたこと、その感覚がイリヤ以来久々であったことなどもあり、現時点で人に紹介したいのは、やはり「老ヴォールの惑星」の、なかでも「漂った男」だ。 この「漂った男」は、2006年に星雲賞を受賞している。(おめでとうございます) 力強いラスト、そして、残る読後感が素敵だった。 小川一水氏は、最初こそ秋山氏と笹本氏の両方の色をもっていると思ったが、著作を読み進めて行くに連れ分かってきた。このひとは、小松左京の色に近い。将来が楽しみだ。たぶん、40歳くらいですごい小説を書くと思う。 推薦本は決まった。あとは推薦文を書いて、放映を待つのみである。 当時の話だが、担当の売場で小川一水フェアとして現在流通している著作の全てを各5冊そろえていた。ファンがついたみたいで、ちょこちょこと売れているが、放映をきっかけに、すこしでもファンが増えれば、書店冥利、ファン冥利に尽きるというモノだ。 岐阜出身で愛知にいるという御当地作家であることや、著作がNHKでラジオドラマ化されたことなどもあるが、それは後付けにすぎない。 この作家をお薦めするのは、書店としても正解だ。 だが実は、そう確信する一方で 「・・・いや、いまからでもドクロちゃんに変更してみようかなあ・・・」 という危険な誘惑がギリギリまで頭を離れなかった。 これにうち勝ち、まともな本が推薦できたのも、彼の小説の魅力のおかげである。
■ 2006.11.26 「NHK」2005年10月 前会長がちょっとビックリするくらいベヘリットに似ている例の放送局に、わたしの顔写真が出ることになった。 きっかけは、NHK(おそらくは東海地方版)の夕方17:10からやっている「ほっとイブニング」の金曜版で、地域のベストセラー本を紹介するという番組。 (現在は終了) どうもうちの書店がベストセラー紹介役の岐阜県代表になったらしい。 そこで、ベストセラーランキングは別にいいのだが、もうひとつ「書店員さんのおすすめ本」みたいな企画があるので、これ用におすすめ本の出版データと、100字程度のコメントと、書店員の顔写真を送ってくれ、とのことだった。これはベストセラーランキングとは違い、多少古くてもよく、思い入れのあるものを熱っぽく紹介してください、という説明だった。 写真も頭が痛たかったが、それ以前になにを紹介しようか迷う。 仕事をする一方で、脳内会議のはじまりである。 「うーん、NHKで紹介して何かネタになりそうな本だな」 「ネタにする必要はないと思うが・・・」 「よし、じゃあ『撲殺天使ドクロちゃん』!」 「やめとけ」 「ええー」 「よりによって記念すべき第一回だぞ。方向性ってものがあるだろ。そんな時代の最先端(当時)を切り取らなくていいから!」 「正確には2巻巻末にあった『BINKANサラリーマン』が真におすすめなのだが」 「同じだ」 「じゃあ『シスタープリンセス考察大全』!」 「同人誌じゃねえか」 「あぁ、放送圏の書店に『NHKで紹介されてたぞ。出版社が分からないってことはないだろう』とかいって問い合わせが殺到するだろうなあ」 「自分が挿絵かいた本を自分で紹介するってのもなんかな。もうちょっとNHKに協力的な方向性でいけ」 「じゃあ『N・H・Kへようこそ!』 これならバッチリだろう!」 「紹介文、なんて書くつもりなんだ」 「いやほら『巨大な悪の組織、N・H・K(日本ひ○こ○り協会)の陰謀が君を狙っている』って」 「本家ががんばって無視してるんだからそっとしとけ・・・っていうか、なんか消防署に放火しにいくみたいな本ばっかだな」 いろいろ考えたが、結局いま読んでてはまっている作家さんにしようと思う。 その条件で挙げるなら「西の善き魔女」だろうか。(この当時はまっていた) いまのところすごくおもしろいが、なんとなく推薦したい本とは違う。 過去を振り返ってみれば、秋山瑞人氏と笹本祐一氏の名があがってくる。だが、両者とも、残念ながらちょっと紹介しづらい。すくなくとも、NHKの「ほっとイブニング」なんか見てる人と接点があるかというと、やや遠すぎる気がするのだ。ドクロちゃんとかシスプリみたいな地球の反対側ほどの離れ方ではないが、それでも難しい。 いま推薦したいのは、と考えて思いついた。
小川一水 だ。 実は、最近よんだ「老ヴォールの惑星」が、ものすごくおもしろかったのだ。SFであることを考えると「第六大陸」の方が受け入れられるかと思えたが、短編集であることや、なにより収録されてる「漂った男」が、読書途中で会社に行く時間に挟まってしまい、中断せざるを得なかったのがすごく嫌だったことなど、続きを読むために急いで部屋に帰るくらい楽しませてもらえたこと、その感覚がイリヤ以来久々であったことなどもあり、現時点で人に紹介したいのは、やはり「老ヴォールの惑星」の、なかでも「漂った男」だ。 この「漂った男」は、2006年に星雲賞を受賞している。(おめでとうございます) 力強いラスト、そして、残る読後感が素敵だった。 小川一水氏は、最初こそ秋山氏と笹本氏の両方の色をもっていると思ったが、著作を読み進めて行くに連れ分かってきた。このひとは、小松左京の色に近い。将来が楽しみだ。たぶん、40歳くらいですごい小説を書くと思う。 推薦本は決まった。あとは推薦文を書いて、放映を待つのみである。 当時の話だが、担当の売場で小川一水フェアとして現在流通している著作の全てを各5冊そろえていた。ファンがついたみたいで、ちょこちょこと売れているが、放映をきっかけに、すこしでもファンが増えれば、書店冥利、ファン冥利に尽きるというモノだ。 岐阜出身で愛知にいるという御当地作家であることや、著作がNHKでラジオドラマ化されたことなどもあるが、それは後付けにすぎない。 この作家をお薦めするのは、書店としても正解だ。 だが実は、そう確信する一方で 「・・・いや、いまからでもドクロちゃんに変更してみようかなあ・・・」 という危険な誘惑がギリギリまで頭を離れなかった。 これにうち勝ち、まともな本が推薦できたのも、彼の小説の魅力のおかげである。
■ 2006.11.27 「コウ・ウラキの轍」 バーミヤンで、ゆっこさんと中華定食を二人で食べた後、しばし雑談。 たしか「いろいろ決めておこう」と以前にメールした件を彼女が言い出した時だったと思う。 「決めるってなに?」 そのメールを打っていたとき考えていた「いろいろ」とはまた別のことだったのだが、とつぜんいまがそのときだと分かった。分かってしまった。 何の準備もしてなかった。いや、指輪はお互いで既に持っているので、ピアスを買ったのだ。 ためらった。適当に誤魔化すことはできそうだ。 「いや、ええと、ほら、うん」 目をそらして笑った瞬間に、あるシーンを思い出した。 「機動戦士ガンダム0083・スターダストメモリー」の第7話。 ニナを映画に誘おうとしていたウラキが、照れてしまって言い出せず、ついにはニナを怒らせてしまうシーンがあった。 いまがそれだ。自然と口から言葉が出た。 「結婚しよう。 ちゃんと、結婚しよう」 「うん」 きっと、いろんなプロポーズがある。 しりとりの「け」の連打から「けっこんしよう」という言葉がでて「う」から「うん」「よっしゃ、お前の負け」というプラネテスの美しい流れや、語るだけ語ってから「お前が好きだ! お前が欲しい!」と絶叫するガンダムファイト・恋の奴隷編みたいな、劇的なのをやれなかったのが残念な気もしないではないが、これはハチマキの結婚でもドモンの告白でもない。 何の飾りもないが、私のものだ。 「えへへ、最初からそのつもりだよー。いまさら何いってるのー」 袖で顔を隠しながら、ゆっこさんが照れまくっていた。
■ 2006.11.28 - A part 「五年目の真実」2006年1月 ゆっこさん 「モビルスーツは、シャアザクが一番すき」 わたくし 「あ、あなた、ガンダマーだったのか・・・!」
■ 2006.11.28 - B part 「御対面」2006年1月30日 それは、前日にプレイした「智代アフター」のせいかもしれない。 彼女を迎えに行く道すがらに、不意に胸が暖かく満ちた。じんわりと暖かく、とても単純な気持ちだった。 昼すぎ、まだ免許をもってないゆっこさんを拾い、わたしの実家へ向かう。 天野の家族との、初顔合わせの日だった。 結果から言うと大歓迎だった。 母は、すでに兄・姉につづいての三人目の「我が子の婚約者と御対面」ということもあり、落ち着いて見えるが、よく観察すると静かにはしゃいでいる。 少し話をしたあと、営業中の店を閉めてしまい、寿司屋に繰り出すことになった。 微妙に距離をとりながらの質問責め。しかしゆっこさんに対する興味もそうだが、ふたりの未来についての質問が多い。 だが、試すような質問、悪意のある言葉は欠片もなかった。 おこがましい話だが、自分が息子として、あるいは同席した兄には弟として、多少は信頼されているのだなと思う。 丁寧に返事をするゆっこさん。看護婦であることもあって、手術歴や持病の数で競ったらどんな大部屋でも部屋長になれるくらい病歴のある母とは、医療関係の消毒液くさい話に花が咲いている。 ゆっこさんの母への印象は、商売人だなあ、という感嘆。そして「いいおかあさん」 兄と母が揃うとたいてい商売の話ばかりになる。そして、あらゆるものに値段をつける。そういう家系で育った人間には当たり前だが、縁遠いゆっこさんには新鮮だったみたいだ。 帰りしなに、あれも持って行け、これも持って行けと、ゆっこさんが両手で持ちきれないくらいのおみやげをもたせる母。自家製の煮豆や高そうな米菓、とつぜん「いもけんぴ好き?」と聞いて、スーパーの駄菓子コーナーで買ってきたと思われる推定105円(税込)のいもけんぴを返事も待たずに手に乗せる。たしかあれは食べかけだった。さらに仏間からお歳暮でもらった菓子セットを全部持ち出そうとしたのを私が止めた。 関節炎で全部の指が変形している母は、もう指輪をすることができない。 自分が嫁入りのとき持たされたというダイヤの指輪をツブしてゆっこさんのために作るのだと、母によって前が見えないくらい積み上げられたお土産を両手でどうにか抱えもって身動きできないでいるゆっこさんから、薬指のサイズまで測っていった。 江南の部屋を出る前に予感はあった。 大丈夫だという予感。それがそのままなぞられた感じの御対面だった。 つぎは、わたしがゆっこさんの家に出向く番である。いまの出勤状況(当時はまだ書店員でした)でゆっこさんの実家であるところの山形県に行ってこられるだけの休みがとれるかどうか。 なんとかするしかない。できるだけ早くに決めて、出発しよう。 ゆっこさんを彼女のアパートまで送り届けて、江南の部屋にむけて車を走らせる。 不意に出発前の高ぶりが甦ってきて、胸がいっぱいになって、たまらなくなって、ゆっこさんに電話した。 「もしもし、わたしです」 「あ、はい。どうかしましたか?」 「いつも、横にいるときには言えないのが申し訳ないんだけど」 「うん?」 「ゆっこさん、好きだ」 「は?」 「・・・すごく、すごく愛してる。なんか溢れて、他に言葉がない。」 「あぁ、うん。あは、あははは・・・・。なんか、照れるね。恥ずかしいね」 「こっちはあなたよりもっと恥ずかしい・・・」 「ん、ありがとう」 「本当に感謝してる。あなたと出会わせてくれた神様に、本当に感謝したい」 「ん・・・」 「じゃ、おやすみ」 「おやすみなさい」 死んじゃいそうだ。
■ 2006.11.29 - A part 「山形ソバ喰い紀行」2006年2月18日 かなり無理矢理に休みをとって山形へ出発する。 そう、ゆっこさんの実家へ挨拶に行くためだ。 行きの道中を、ほとんど寝て過ごす。11時24分に名古屋を出て、山形駅着は18時頃だった。 駅に、お義父さんが迎えにきていた。 会った瞬間にときめいた。 いっしゅん自分がどうかなったかと思うくらい、お義父さんに愛情が流れた。 なんだろうこれは。一言二言を交わすたび、こんなにも好きになる。でも、その理由が分からない。50ヘルツで炊いた飯を喰っている人間は、こんなにも魅力的なのかと、やや錯乱気味なことを考える。でも、イイ感じに気持ちがぽかぽかしていて、ここちよい。 ああ、なんかこのお父さん、すごく好き。 そう思う一方で、しかし頭の冷静な部分が「自分は、ほんとはこの手のおじさんが苦手なはず」と分析もしていた。 ゆっこさんによると「標準語が喋れない」というお義父さん。 なるほど、話していることはほとんど理解できない。が、ここは気合いである。もしくは魂で聞くのである。 40分以内に克服してみせるという気合いが功を奏したか、それともさっき芽生えた愛の力か、ゆっこさんの実家につくころには、だいたいの言ってらっしゃることがわかるようになった。 2月のおわりの山形は、まだ雪深かった。 ゆっこさんの実家にて、お義母さんに挨拶する。甥っ子くん(5才)に挨拶。この年頃だけに当然のように人見知り。返事してくれない。 お義兄さんに挨拶。このお義兄さんにも、ピンときた。この人とは絶対に趣味が合う。そういう確信があった。オタクでは無いと思うが、環境さえそろっていればそうなったのではないかと思える素質を感じる。本棚を見せてもらえれば一発で仲良くなれる自信があった。でも、自分の部屋を見られたり、いじられたりするのを嫌うタイプなので、それはまだ先だろう。 簡単な挨拶をすませてから、夕食にでかける。寿司屋に席をとっていただいていた。海のある県だからか、家を挙げての歓待だからか、海の幸がどれもおいしかった。このころになるとさすがに山形弁にも慣れてきて、お義兄さんとひとしきり談笑する。 帰ってきてからもいろいろお話。なぜかガンダムの話に花がさく。確認してみるとお義兄さんは、私のひとつ上。ほとんど同世代と考えていい。満を持してゼータガンダムについて語る。そういえばゆっこさんがガンダムをZZまで見てたのは、このお義兄さんにつきあってのことらしい。いろいろ感謝したい。 お義兄さんの趣味が車中泊しての自動車旅行で、島根の方まで行った話や、この家に三匹いるという猫の話、お母さんが49才にして運転免許を取得した話など、いろいろたのしく聞く。甥っ子くんは、ゆっこさんが大好きらしく、ゆっこさんにウケるためなら何でもやるような子で、私の存在に慣れてきてからは終始飛んだり跳ねたりしてゆっこさんを笑わせていた。 最後の方では、どうにかうちとけて話せたと思う。自分の聞き上手能力だとか、むこうが歓迎してくれたから、というのもあるが、それ以上に私が彼らを好きでしょうがなかったのが大きいと思う。「うちはせまいから泊まれないよ」というゆっこさんの言葉に従ってホテルをとっておいたのだが、ちゃんと宿泊の準備はしてもらっていたらしい。申し訳なかった。だが何にせよ、そろそろお暇(いとま)をいただく時間だ。 「ではそろそろ・・・」という雰囲気になってきたところを、いったん止める。 そして、こたつで崩していた脚を正し、お義父さんに正対し、正式に申し出た。 ゆっこさんを傍らに、 このひとと二人で生きていきたいと思います。 岐阜で暮らすことになりましたので、この家からいただいて行くことになります。 どうか、お義父さんの許可をください。 幸せにする、とは言えない。 だが、ともに生きることは出来る。 お義父さんは山形弁でなにか言っていた。私が緊張していたせいか、ほとんど意味はわからなかった。でも、お義父さんは笑っていた。お義父さんの方が照れていたための笑いだったが、そのなかにほんの少しだけ、ほんの少しだけ、引き潮が陸を削るような、そんな喪失感があったような気がした。 お義兄さんが、すごく神妙な顔をしていた。ゆっこさんはこのお義兄さんのことを神経質だとか怒りっぽいだとか言うけど、この人は妹をちゃんと愛してるんだなと、思った。 ホテルまで送ってもらう。 チェックインしてすぐに、メールをうった。 「あのさ、私、お義父さんのこと凄い好き。なんかすごい情が行くわ。お義兄さんは、私の親友にちょっと似ててやっぱ好き。なかよくなりたいなあ。お母さんには、いろいろ気を使ってもらっちゃってありがたいです。甥っ子くんはゆっこさんのことが好きだってことがよく分かるんで、取っていくようにおもわれないか心配。でも、最後にちょっと話ができてよかった。ゆっこさんの実家の人には、凄く情が行く。ちょっとありえないくらい。これは、皆さんがいい人だからというのもあると思うけど、 たぶん私があなたのことを愛してるからだと思う。 あなたを愛してくれていた人たちだから、好きなんだ。きっと」 返事は簡潔だった。 「私もあなたのこと愛してます」 シーズンでもなく、日曜の夜なこともあって誰もいないホテルの温泉で、風呂の外にはきこえないくらいの音で、思いつく歌を鼻歌で唸ってみる。 どんなラブソングも、うすっぺらに思えた。 いまなら死んでもいいと思った。 「げんしけん」で、大野さんが荻上さんを評していた言葉がよくわかる。 愛して愛してメロメロに愛しまくらないと応えてくれないタイプ。 徹底した待ち体質。 ツンデレとするなら、ツン期がおおよそ5年。いまようやくデレ期にさしかかろうというところか。 5年。客観的にみると、よくやってるなあと思う。でも、自分にこのひとが愛せることが当然のようにも思える。 私には、この人しかいないからだ。いまはもう、神様が用意してくれていたとしか思えない。そして神様がいたから、ここまで来られたのだと思う。自分の独善的な愛では、きっとダメだった。誰かが、それはきっと神様が、ふたりを辛抱強く祝福し続けてくれたのだと思う。だから、私はいまここにいられるのだ。 翌朝。 入場券を買って、ホームまで見送りに来てくれた御両親に、丁寧にあいさつしてお別れする。 すごく楽しかった。帰りはゆっこさんと話が弾んだ。 山形駅でおみやげを買う。 八つ裂き光輪で両断されたみたいな断面図がおもしろい牛タンが売ってる。なんかすごい。乗り換えを調整して、山形名物と思われる「板ソバ」をたべた。二人前ひとざるを二人で食べる。すごいコシだ。これが山形のソバかと感動する。 山形新幹線に乗る。もってきた「第六大陸」を少し読んだが、ここでもずっと話をしていた。 ところで福島あたりで「峠のちからもち」というのが車内販売で売っていた。 夜想曲の過去日記における天野とせいるさんの関係にやや近い匂いを感じる「鉄子の旅」という鉄道旅行漫画(IKKIコミックス。大好き)があって、その漫画においてせいるさんであるところの「横見さん」が絶讃してたのが「峠のちからもち」だ。思わぬところで出会えた。大喜びで買い求める。美味かった。それにしても「鉄子の旅」を読み出してから、なんとなく「モハ」とか「キハ」とか分かるようになってきた。この上さらに鉄属性まで病み込んだら・・・、いや、考えまい。 東京駅に到着。タイミングを合わせてもらったネモ船長と、その相方であるみくにょさんと会う。もとは「ヨコハマ買い出し紀行」で知り合った仲だ。実に久しぶりだった。 主に私と彼らの間で会話が弾む。だが、これはほとんどネットの話である。そして問題がひとつ、いまさらのように浮上した。そう、 ゆっこさんは夜想曲をしりません。 ながれている単語の9割以上が意味不明であろうゆっこさんに副音声を入れるわたし。 絶好調で話すネモ船長の解説を、しかし「こっちの世界」をまったくしらない彼女に、せめて筋だけでも理解させるには、それでもかなり説明を要する。どれくらいのレベルでかというと 「天野っていうのは、わたしのネット上での名前で」 というこのすさまじき低さ。 このときはまだ次号が最終回とは思わなかったヨコハマ買い出し紀行の話。ヨコハマサイト林立時代の話。夜想曲は第四世代にあたるらしいという考察。ヨコハマのイラストが注目されてきたころの話に花が咲く。あのころオフ会といえばヨコハマだった。連載より先に、丸子×ココネを描いたぞ(「酒乱の気」のこと)うはははは、とか、「夕凪」か「夕闇の時代」かあるいはどんな最終回だろうかという話など。ネモ船長が、ゆっこさんにたまに解説を入れながら絶好調でしゃべり続ける。(当時はまだ連載中だった) 「あー、でも最近は葉鍵系ばかりで! あっ葉鍵系っていうのはですねパソコンゲームのメーカーでリーフとKEYっていうのがありまして」 がっしゃん 「あ、天野さんが急に挙動不審に!」 「いいいいいや、なんでもないですよすみやかなわだいのへんこうをせつにねがいつつガクガクブルブル」 「ヨコハマのオフ会なのに、どういうわけかみんな葉鍵系のゲームやってて、ヨコハマの話題とかまったくでないんですよ! あまのさんもエロゲの」 「ぅいやこれ以上私のことはいいですカラ! ネモ船長の自己紹介を! そうだあなたぜんぜん自分のこと話してないじゃないですか! 自己紹介を!! 一心不乱な自己紹介を!!!」 ネモ船長の現状や、三人共通の友人である風さんや、みくにょさんの話に。二度とエロゲに話題が戻らぬように世界中のありとあらゆる神に祈りつつ、時間が来たのでお別れ。二人とも入場券かってお見送りに来てくれた。 東京駅から名古屋へ帰る。 道中「家を建てる」という話が出た。実は、いろんな条件が通りそうで、将来的にはなんとか建てられそうなのだ。でも、まだふたりとも「結婚」への段階を踏んでいる途中の位置だ。家なんて、夢みたいな話だった。 江南駅で下車し、車でゆっこさんの部屋まで送る。 道中は宇宙の話だった。宇宙人はいるのだろうか、いるとしたらどんな存在だろうかと話し合った。 ゆっこさんを送ってから、自室にもどった。 出発前があわただしかったせいで、汚い部屋だった。 幸せだった。 「世界一しあわせな人」の横に立って、余裕でそのひとを祝福できるくらいには、幸せだった。 仕事を辞めようと思った。 精密検査を受けて、身体を治そうと思った。
■ 2006.11.29 - B part 「さくら」2006年3月13日 3月のお話。 昨日F店に金庫強盗が入ったことや、今日は今日で同い年の万引き犯が捕まって警察に突き出したこととかメールで報告してたら、ゆっこさんから返事が来た。 相変わらず心に沁みるイベント盛りだくさんの業界なのを、やや心配しつつ、向こうも日常を報告してくれる。 「早いもので3月ももう終わりですね。 桜咲き始めましたね。 部屋の前の桜も咲き始めましたよ。 梅の花が咲くときもうれしいけど、 桜の時もやっぱりうれしくなりますね」 通勤中に、桜が咲き始めてることには気がついていた。でも、それだけだった。 それが、このメールを読んだ瞬間に「うれしいこと」になった。 仕事に追われていたせいか、そんな感覚が長いあいだ鈍感になっていたからだろうか。 いや、ちがう。 ゆっこさんがそう感じていると分かったから「桜が咲くこと」が「うれしいこと」になったのだ。 自分でも、桜が咲くことはなんとなくうれしい。でもそれ以上に、ゆっこさんが「うれしい」というなら、それはこっちも頬が緩むくらいにうれしいことなのだ。 彼女を中心に、わたしの世界は回っている。 その事情も、心情も、感覚すらも。
■ 2006.11.29 - C part 「ただ一本の道を一直線に駆け上がっていく男」2006年04月06日 店舗売場にて。 「店長!」 「はいはい、なんですか」 「アマノタクミって誰ですか!?」 「ぶはっ」 「お客様で『天野拓美さんがこちらで働いていらっしゃるはずなんですが・・・』とお問い合わせの方が」 「いきます、いま対応します、ものすごく説明します」 食事を放り出して駆けつけてみると、甥のシンちゃんだった。 「宇宙戦艦ヤマト」から「ガンダム」経由でガンプラの道へ進んだ彼である。 とりあえずコミック文庫売場に連行して説教した。 「店長!」 「はいはい、なんですか」 「『妄想戦士ヤマモト』をお探しのお客様が」 「了解、いま行きます・・・って、またおめーかよ」 本の陳列を放り出して駆けつけてみると、甥のシンちゃんだった。 とりあえず人文歴史書売場に連行して説教した。 「店長、いつもの子からお問い合わせです」 「あー、はいはい」 「拓美にいちゃん『ああっ女神さまっ』みたよ!」 「・・・どれ? テレビ版? OVA? 劇場版?」 「全部! 井上喜久子さんってすごいネ! 井上喜久子さんのCDで、いちばんお薦めなのってどれ!?」 なんでそう順調なんだよおめーはよ。
■ 2006.11.30 - A part 「修学旅行」2006年04月07日 甥のシンちゃんが、5月に東京へ修学旅行に行くそうだ。もらったメールによると 「自由時間(10時間ぐらい)に秋葉原に行こうと思っているんですけど、ラジオ会館以外にも、何かおすすめな所はありますか? よかったら教えてください。 あと、井上喜久子さんのCD、こんどお願いします」 ラジオ会館の他にも「じゃんがららあめん」や「とらのあな」に行きたいという話がでていた(たぶん以前の日記を読んだからだろう)。さすがにとらのあなに中学生(14才)がいると、浮くだろうと思うがどうだろうか。一回、名古屋の「とら」に連れてって高地トレーニングしておくべきかもしれない。そんなことを考えつつ、携帯の画面を見ながら、なんとなく呟いた。 それにしても、その流れで行くと、おまえの修学旅行のおみやげはガレキとエロ同人誌なのか・・・? ちゃんと一般人のペルソナ用にもどこか見とけ。CLAMP巡りで東京タワーとか。なんか、だんだん心配になってきたなあ。シンちゃん、おまえ、ちゃんと非オタの友達いる・・・? ところで、金のない中学生が10時間(実際には集合場所への往復があるのと不慣れで迷うであろうこと考えて7時間くらい(いや、それにしても修学旅行ってそんなに時間あったか?)秋葉原をうろつくとしたら、どんな見所があるだろう。 基本的に「みてるだけ」だと仮定した場合、同人ショップとかエロゲ販売店というルートを中学生という年齢かんがえて削っちゃうと、あまり参考になるルートはないかもしれない。 彼は、田舎の中学生でしかも「古いものマニア」なせいか、秋葉原に幻想を抱いているような気はする。まあどんな幻想かというと「妄想戦士ヤマモト」みたいなのが本場には実在するのではないかという類の幻想だと思うのだが。 実際には「見物」という趣旨でよいだろう。海洋堂に行った、ボークスに行った、とらのあな本店でサンプルショーケースに貼られたポップを見た、レイヤーさんを見た、メイドさんを見てなにかを学んだ、エロゲのポスターを見つめながらわりと大きな声で独り言を繰り返している男性の姿から、どの分岐で選択肢を間違うとこういうルートに入ってしまうのか考察するとか。いや、しかし、修学旅行なのだろうか、これは。 シンちゃんに返事をする前に、一度この話を振ってみたら、知人からいくつかアドバイスがきけた。 「何軒かある武器屋さん」「あまり地方には存在しないであろうドンキホーテ」「中学生さんでも入りやすいアニメイト」「一般人に自慢するのならヨドバシなんかは王道」「水道橋や神田」「そこは、必ず歩いて回ること。色々な発見がある」「覚悟完了なヲタクならば、中野ブロードウエイ」「旬なのは池袋の『乙女ストリート』」「若いうちから妙なものに目覚めてしまうのもアレなので、あまり強くは推奨しません」「秋葉原だとラジオデパートとラジオ会館は必須」「平日であればガード下の怪しいジャンク屋も」「メロンやK、メイトといった大手チェーン系ショップは、地方店よりも品揃えがよい」「土日にメイド喫茶を攻略するなら、遅くとも正午までに店に行かないと行列ができていることが多い。平日なら昼ご飯時を外せば、思ったよりもすぐに入れる」「旧メインストリートと反対側(ヨドバシ周辺)は、秋葉原の『今』を体現してますが、忙しいなら行く必要はない」「あと、JR駅改札の所に無料案内地図が置いてあることが多いので見つけたら即getすべき」「店内や路上を、独り言を延々と繰り返しながら俳諧している奴の傍からは、すみやかに離れる」「ヲタショップ内で、特定の作品の批評をしない」「いずれも実際の傷害事件に発展したものです」「あと基本中の基本ですが『金を落とすな!』」「修学旅行であれば、普段使わないポケットの中に、宿まで帰りつけるだけの交通費(都内なら1000円ぐらいか?)を、裸銭(100円玉がよい)で入れておくのが吉」「単独行動の修学旅行生(あるいはそうでなくてもおのぼりさん)だとみれば、スリに狙われる可能性高いから、お金まわりはかなり注意必要かも」 そのへんの話を転記した上で、甥っ子のアキバツアー(嫌な名前だ)にあたって、個人的に補足を加えてメールを返信した。 「人をみて笑うひとがいるが、人をみて笑わない」「大きな声を出してるひとがいるが、大きな声を出さない」「人混みの中を走ってるひとがいるが、走らない」「エロっぽい商品みて、馬鹿みたいに笑うひとがいるが、笑わない」「できれば声を立てない」「とらのあなの四階には行かない」「中学生の小遣いで何か買おうとは考えない」「店内で飲食しない。歩きながら飲食しない。立ち飲み、立ち食いするときは、ちゃんと立ち止まって通行のさまたげにならない位置で。ペットボトルのキャップはこまめに閉じる」「店内でガムとかつばを吐くひとがいるが、ガムとかつばを吐かない」「下調べを完璧に行う。秋葉原本来のお客さんに道を聞いて、彼らの買い物の楽しみを邪魔しない」「万が一、道を聞いたときは丁寧に御礼を言う」「オタは基本的に接触を嫌うということを、肝に銘じておくこと」「でも、困ってるひとがいたら人助けすること」「万世橋警察署の位置を、念のため調べておくこと」「大勢でメイドさんを取り囲まないこと」「メイドさんに人格を認めること」「軽々しく萌えとか言わないこと」「性欲をもってメイドさんを見ないこと」「『これがわたしの御主人様』みたいな丈の短いスカートのふざけたメイド服には目もくれず、くるぶしまである地を這うロングスカートの純正メイドさんをこそ探し求めること」「基本的に目で見て楽しむこと」「話かけるときは礼儀正しくすること」「あなたは僕の死んだ恋人にそっくりなんだ! だから記念に写真を一枚! できればスカートをたくし上げて! もしよければ眼鏡を着用して! それがダメならせめてぺたんと女の子座りで、ぜひ! とか思ったり考えたり叫んだりしないこと」 こうしてシンちゃんは、アキバツアーに旅立っていった。 そして一週間後。 彼は、なぜかセイバーに恋して帰ってきた。
絵描きと管理:天野拓美( air@niu.ne.jp )