■ 2003.07.01
tue 「引越」
引越である。
一連のことをチャットなどで相談していたBeeさんに、手伝いをしてもらうことになった。
クロカワへ来たとき同様に、ジャパンレンタカーでハイエースのロングを借り、出発である。
例によって狭い道を通り、クロカワの家に着いた。前日までに「まこみし文庫」の入稿もすませ、公共料金の関係には全て通達もすんでいる。荷物もある程度はまとめてあった。家具と、細々としたものを運び出した後、Beeさんにも手伝ってもらって掃除をする。掃除自体は何日か前からやっていたが、おもえば
初めての大掃除が退居の日というのが悲しかった。
入居時よりは綺麗になったのを確認し、電気のブレーカーを落として、ガスなど元栓をしめ、最後に大家さんに鍵を返す。
おもえばクロカワは、すごくあけっぴろげなところだった。
大家さんから家を借りるとき、なんの手続きも要らなかった。書類もなし、家賃も月末ごろに適当に持っていくだけ、しかもわたしの実家の住所はおろか携帯電話の番号すらも聞かれなかった。審査なんてとんでもないし、そもそも私の下の名前すらも憶えてなかったのではないか。これなら何かから逃げてきたいわく付きの人物であっても、ノーチェックで入ってこられるなと思ったほどだ。
大家さんは実際のところ、わたしがどういう人間かもよくわかっていないで、家を貸す決定をしてくれたのだと思う。ただ「クロカワの誰かが信用して連れてきた人」というだけで。
クロカワには不動産業者がない。だから住環境に関しては(町営住宅を除くと)、紹介がすべてだ。
世の中では普通、不動産業者がある。部屋を借りるにしても、住民票やら敷金やらいろいろ要るものだ。変なひとや家賃を焦げ付かせるような人をいれないため信頼すべき書類が必要なのである。保証人の必要性などその最たるものだ。
街は、書類で入居者を信頼する。あるいはその入居者が粗相をしたときに、思いっきり責任を追及できるように書類で縛る。
だが、クロカワでは信頼すべきは紹介した人間だ。そしてその新入りが粗相をしたときは、紹介した人がいっしょに謝ってくれる。
複雑な書類よりも、よっぽどわかりやすい。
わたしは、このわかりやすさが、とても好きだった。
新居は書類準備の手間こそかかったものの、問題もなく借りることができた。
でも、やはり誰も信頼しないシステムを見せつけられたような気がして、あまりよい気分ではなかった。
クロカワには、移住するまでは苦労したが、入ってしまうと疑われるということがまるでなかったので、気分はよかった。
これからそこをでていくわけだが、かえすがえすも、善いところに住めたものだと思った。
小雨のなか、クロカワを出立する。
もう当分の間、ここに来ることはない。
運転しつつ、周りの風景から、どんどん緑が消えていくのが分かる。
通り慣れた道、見慣れた景色の変化なのに「街へ移るんだ」という感慨が、いまさらのように押し寄せた。
この景色を、よく憶えておこうと思った。
新居への荷物搬入は夜までかかった。なにせ片道で2時間半かかるのである。
だが、同ビルテナントの勤務先から台車を借りることが出来たのと、バリアフリーであること、身障者用の車椅子が中で方向転換できるくらいには広いエレベータなどのおかげで、作業自体はかなり楽だった。
結局10時くらいまでかかって、なんとか新居に荷物を収めきる。
Beeさんに礼を言って、食事に誘った。ココイチだったが、引越のあとのカレーというのは、これはこれで美味い。
その後、慣れない手つきでセキュリティをくぐり、部屋に帰ってみる。
さすがに一軒家分の荷物を12畳に押し込んだのは無理があったか。
唯一確保された横になれる空間であるところのベッドまで辿り着くのに、バレリーナのように荷物の隙間に足を挿しながら移動する。
投げ出すようにベッドに倒れて、今日はそのまま眠った。
染みひとつない天井が、心細かった。
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■ 2003.07.03
thu 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・1 『出発』」
クロカワを退くことに決めてから、最近はそれほどでもないヨと噂に聞きつつも出入りの業者からは「○○○○さんとこって、ちょっとえげつないくらい忙しいですよね」と、よくわからない酷評(えげつない=無遠慮で不快なようす・・・?)をいまだにいただく書店に若干の不安を抱きつつ復職するまでの、この上手い具合に空いた短い期間を利用して、天野はとにかくできるだけ人に会っておこうと考えた。とりあえず、先の利休さんやらむださん、せいるさんやmasterpieceさんと会うことができたが、せっかくなので知人の固まっている関東方面にも行っておきたい。
そんなわけで、引越荷物もおおよそ収まるべき所に固まりだした(収まったといまだに書けない)7月3日の夜。着替えと「戦闘妖精雪風」と「マリアさまが見てる・涼風さつさつ」(ともに文庫)を詰めたカバンをもって部屋を出る。前々から準備していた、東京渋谷および横浜桜木町オフ会への出発のためだ。
渋谷で会うのは、まず東京時代の親友である版画家兼トラック運転手。ほんとうに何年かぶりの再会だが彼の人生も波瀾万丈である。ちょっと前まで彼は確か墓石を掘っていた。そして、ゴールデンウィーク以来のゆっこさん。その後、すでに東京現地妻化している文月さんの部屋に泊まって、翌日は愛しいサンフェイスさんに会いに横浜桜木町へ。そこで夜にはMK2さんとまゆみさん(MK2さんの奥さん)が合流。この夜はカプセルホテルにとまって、翌朝は桜木町から三崎口に移動。こちらにてKAZZさん、彼の相方さん、えるらさんとオフ会の予定だ。そして、その日の夜行列車で帰ることになっている。
せっかく大垣に引っ越してきたわけでもあるので、俗に言う大垣夜行をつかうことにした。23時頃に大垣を出て、東海道線で朝の4時頃東京(もしくは品川)駅に到着する夜行列車だ。夜行バス以上にほとんど寝られないのが辛かったが、時間的には申し分ない。帰りもこれを使うので、その分の指定席もとっておいた。
しかし、どういうわけかこの日、静岡あたりで大雨による土砂崩れのために運転が見合わされ、停車につぐ停車で列車はいっこうに進まない。最初に会う予定だった東京時代の親友とは途中で連絡をとり、なんとか都合を合わせようと思ったが、午前5時頃、会えないことが確定してしまった。とても残念である。天候のせいだし、鉄道関係会社の方も復旧に奔走してくれたのが分かるので、文句は言うまい。
だが、これでゆっこさんを除くと、あとはまるで大宇宙の意思であるかのように、今回も濃ゆーぅいメンツばかりが自動的に残った。
貴重なバランサーを初っぱなから失ったこのオフ会旅行に明日はあるか。
そんなことを思っているうちに、ついには熱海辺りでダイヤの都合により列車は運休になり、普通列車への乗り換えが指示される。早朝予定の東京着はけっきょく昼前になった。
「やれやれ」と呟いて山手線を降り、渋谷の東口バスターミナルに向かう。
とりあえずゆっこさんとのデエトには間に合ったので善しとしよう。
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■ 2003.07.04_01
fri 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・2 『ミレー三大名画展』」
ゆっこさんと会う。
別れ話ではなく、真性のデートである。
こちらから誘うかたちになったが、渋谷のBunkamuraで7月13日までやっているミレー展を見に行った。
この「ミレー三大名画展」は、オルセー美術館との共同企画による美術展で、目玉となる「晩鐘」「落穂拾い」「羊飼いの少女」などは、保存状態の理由から海外への貸し出しは今後困難になるというので話題を呼んだ。とくに日本で先の三枚がそろうことは、実に初めてでありながら二度とないという事情らしく、ふたりとも前から気になっていたのだ。この機会に観られて感激である。
会場に着いてみると、さすがに金曜の昼ながらかなりの人出だった。入場券売場で20分待ちである。
思えば金を払って絵を見るというのも、実に久しぶりだ。京都の堂本美術館以来だろうか。
入場後、デエトというわりに、お互いに完全な別行動だったあたりがアレだが、彼女もわたしも一人で見たかったので、これでいいとお互い思う。彼女は順路にそってじっくりと。わたしはメモを片手にやや距離をとって絵の世界に入らせてもらった。
ところで、ミレーといえば「晩鐘」「落穂拾い」である。

「晩鐘」 L'Angelus / Jean-Francois Millet

「落穂拾い」 Les Glaneuses / Jean-Francois Millet
彼の作品は、これに限らず、どれも素晴らしかった。ミレー作品だけでも見に来てよかったと思う。
作品をみていて、農夫の姿に聖人のごとき威厳を見いだしてしまう彼の気持ちが、いまはちょっとだけ分かるような気がする。
「落穂ひろい」を見ていて思うのは、私が農的生活に対して感じた、敬虔な信仰や慎ましやかな生活への憧れと、そこに見いだした美が時代をさかのぼってここにもある、ということだ。きっとわたしがクロカワに抱いたのと同じような感慨で、ミレーもこの情景を絵にしたのだと思う。
ミレーについての予備知識など用意していないので、上記のような感想はまったくの推測だ。(実際に後で解説など読むとぜんぜん違っている) だが、作者の内容が作品にあらわれるなら、絵から彼のこと、あるいは絵を描いたときのその動機が読み解けるはずだと思う。そしてこのときは、頭を使わないのがコツだ。ただ精神に写る感情だけをみる。それはもちろん推測者の思いこみである部分も多く、また、実際に映るのはこの絵に触発された自身の心象だったりするが、それはそれで面白い。
そうして、絵の中に入っていくと、いろいろな感情が自分の裡に映り込み、浮かび上がってくる。
いちばん最初に感じたのは、なんというか「芸術家の負い目」みたいなものだった。
ミレーがどんな人物だったかしらないが、芸術家になれるようなひとは、(よっぽど傲慢でなければ)地に足をつけて働くひとに対して、なんとなく負い目を感じていると思う。夢も抱かずに額に汗して働く者こそ尊い。それが分かっているから、あるいは目の当たりにしてきたから、彼は農夫の尊厳を描いているのではないか。それこそ、まるで聖人画のように。
でも、その一方で、芸術家として「美しいものしか描く価値がない」とも、ちょっと思っていて、そういった感情の経路でこの三枚を描いたのではないか。そんな風にみえた。尊敬すべき世界を、現実以上に美化してでも美しく描きだしたいと思うその衝動が、この絵の中に押さえ込まれている。・・・と思う。
「晩鐘」など、その極みであろう。
この風景に出くわした彼は、風景に対するショックと、同時にあせりや罪悪感を覚えているように見える。
実際のところ、これは彼の祖母の姿をモデルとしているので、純粋なノスタルジーによるもののようだ。なので「ように見える」というのは、この絵を通じてこの情景に立ち会っている自分の内容なのだろう。だが、絵を見ながら断片的な感想をメモに取っている時点では、すっかり勘違いしている。面白いのでそのまま書いておこう。
芸術家は情的に豊かな人間が多い。そして、情的であるが故に、当時もっとも重要な精神文化である宗教に対しての引け目も、同時に強く持っている。この絵で描かれている、あまりに純粋で敬虔な祈りに対して、彼は尊敬とともに、我が身の信仰の低さを思い知らされたのではないだろうか。
素晴らしい絵が描ける人は「そういう内面をもっているので素晴らしい人格者だ」と思われ勝ちだが、必ずしもそうではない。そのへんは全く別である。ミレーは決して不信心者ではなかったと思うが、それでも晩鐘の情景には信仰的な衝撃を受けたことだろう。
彼は、信仰よりも少しだけ芸術を愛していた人間なのだと思う。信仰が生活であり、生活が信仰であった時代において、神様以上に愛するものをもってしまった者の社会への引け目を、それはほんの微かなものかもしれないが、私はこの絵に感じる。
それは同時に、わたし自身のことなのかもしれないが。
いろいろ断定的に書いたが、その実、これらは直感でしかない。「いや、実は誰でも知ってることですが、ミレーは・・・」といろいろ詳しい人からツッコミがあるだろう。でもいいのだ。これはこれで楽しいから。
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■ 2003.07.04_02
fri 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・3 『直感で絵を見る』」
今回の美術展は、ミレーの三大名画が中心となっているが、副題にもなっている「19世紀のヨーロッパ自然主義」の画家作品も、ここでは数多く展示されている。ミレーにならぶ名画家もたくさんそろっているようだ。
とはいえ、パッと見て、ピンとこない奴はどんどんパスする。ミレーにはことごとく足を止められたが、彼の一画が終わった後は、画家によってはほとんど素通りのときもあった。おかげであっという間にゆっこさんを追い抜く。
こんなところにあるのだから俗に名画と呼ばれるであろう絵を、遠慮なくどんどん飛ばす。その場その場で、ほとんど指さし点検のようなやりかたで、適当に感想だけつけた。
こいつはまた神経質そうな奴だな。
こっちのは薄っぺらい見栄っ張り。
妄想家でロマンチスト。
悲しい物語が好きな甘ったれ。
ドラマチックな演出とかぜんぜんしないくせに、画家としての地力だけで平凡な風景を芸術にしてしまう力業師で、たぶん生き方自体は不器用。
いい絵を描くが、萌えがわかってない。
あ、でも、こっちのは、きっと萌えがわかってる。
バスティアン=ルパージュに葉鍵系の絵を描かせてみたいなあ。「登校する娘」とかで。
一部を除いて、画家のファンがいたら悪いので、誰の絵とはコメントしないでおく。
こうしてのしのし歩きながらガリガリ書いたメモをしょぼしょぼとリライトしていても、我ながら無茶苦茶なことを言っているとはおもうし、ミレーのときのように調べてみたら見当違いな人物観かもしれない。でも、絵を見るのに頭をつかわず、直感でそう感じ取っただけのことを書いていくのは楽しい。
ただそれだけに「年老いた漁師」をみたときは、震えが走った。
すげえ、天才だ。まず最初にそう思った。直感なので、なぜ天才かはわからない。
「いや、こいつ、絵が上手いなあ」
思わずそう呟く。だが、プレートをみると、「こいつ」というのはピカソだった。ちょっと恥ずかしかったのであわてて口を押さえる。名画展に来てることを完全に忘れていた。
でも後に、この絵を描いたのが、ピカソ13才の時と知って二度ビックリである。たぶん当時これを見た多くの人も、若い天才の出現に、同じように呟いたのかもしれない。(この当時は、まだわかりやすい絵だったからね)
ミレー、ピカソにつづいて、もうひとつ足を止めさせられたのは、ゴッホの「麦藁を束ねる農婦」だった。
なんて悲しくて寂しい絵だろうと思った。この絵に限っては、いままでとはかなり違うベクトルで、絵に釘付けにされた。
描かれている風景も色使いも普通だ。普通にゴッホタッチである。
でも、かなしい。
悲しい情景が描かれているわけではない。ただ、農婦が麦藁を束ねているだけだ。
それでもこの絵は、胸あたりの体温が急激に低下したかと思うくらいに、とても悲しく寂しい。どう考えても悲劇の因子を含んだ題材ではないが、ひと目みたときに強烈な寂寥を感じた。具体的に描かれていないなにか。絵描きの内面が、それこそ伝わってくる感じだった。
こりゃ、かなわんわ。
汗を拭くふりして、ハンカチは口にあてたままである。
声にならない感嘆がもれるからだ。やはり、すごいものは本当にすごい。
「うーん・・・」とうなって、歩を進める。
しかし、比べてその横にある絵の脳天気なこと。
「変な絵ー」と思ってプレートを見ると「変な絵のひと」はゴーギャンだった。
あわてて口をおさえる。名画展に来てることを、もうに忘れていた。
しかし、名前は知られているが、ゴーギャンの絵は正直、どこがどういいのかよくわからない。
絵のセンスの違いというものだろうか。どんな「よい絵」と評価されうるものであろうとも、自分のセンスと共感しないものは、やはり響かないので評価がつかないのだ。別に0点という意味でも、無価値というわけでもなく計算不可能なのである。それが悪いわけではないし、いい人にはいいのだろう。現にゴーギャンは評価を受けている。でもやっぱりわからん。
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■ 2003.07.04_03
fri 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・4 『ミレーの世界』」
共感しない絵は、まるで評価ができないし、よい絵なのかどうかも、実際の所さっぱりわからない、
そういう意味ではミレーは、私の描きたいと思っている世界に、けっこう近いものを愛している人だと思った。逆かもしれないが、なにせ相手が遠すぎて実感がないのでこう記述しておく。
彼の絵には共感する要素が多く、自然と評価も高くなった。でも、やはり100年以上の時間のせいか、方向性が近いわりに、絵に対する感覚がまるで違うのを感じる。
なまじ絵の方向に共感できて近づける分だけ、そこに厳然としてある時代的な感覚の断絶を感じた。いい絵だし、自分の目差すべき方向性に途中までは沿っていると思うが、これはやはり違う。
とはいえ、やっぱりわたしはミレーの絵が好きだ。
たしかに時代的な感覚の格差はあるものの、絵描き個人同士として、私は彼にとてもひかれる。
たとえばミレーの「慈愛 」( 1858 - 1859 )という絵。
この瞬間を「いい」と思った視点がここにある。
母と娘の情景。愛すべきひとときと思ったモチーフ。
しみじみと胸を満たすやすらぎがそこにあったように思える。
この絵に描かれている情景を、143年前のミレーも「いい」と思ったのだ。
館内において、有名な「晩鐘」あたりでは歩みもとまるが、多くの観客は、順路の流れに押されて、この絵をすれ違いざまのように観ていく。いい絵だとは思うが、なにせ小さいし、特に目を引かない当たり前の絵に見えるからだろうか。
だが、行きすぎる観客としてではなく、わたしは、絵描きとして、この絵を描いたミレーとともにこの情景を見る。この絵を描いている彼と、同一化してこの情景をこころに映す。
すると、ミレーがこの絵を描くときに「これがいい」と思った瞬間の感情が実感としてわかる。描くべきモチーフを得たときの感動がかすかにこの絵に残っている。そして絵の中に入り、ミレー視点でこの光景をみているわたしも「いいなあ」と感じる。ほんとうにいいなあ。これを絵にしたいなあ。そう思う。
このシーンを彼は愛した。一番ではないかもしれないが、このシーンを彼は愛したのだ。
絵自体は写実的に、ほんとうにリアルに描かれているが、それでもわかる。正確に写し取る作業のなかで、この瞬間よ、この愛情に満ちたあたたかい空気よ、どうかどうか永遠に続けと祈るように筆をとった彼のその愛情が「慈愛」というこの絵にこめられている。わたしは美術館のこの絵の前に居ながらにして、前を横切る観客の姿を認識しつつも、同時にこの絵のなかに居(お)り、この絵を描いているミレーと同一の視点をもつ。この情景を愛し、彼と同じように筆を動かす。彼の完璧な技術でその愛情は写真以上に写実的な絵となり、気がつくとそこに存在している。いつのまにか、額縁にはいって。
わたしには彼のような技量がないので、どうやってこの絵が生まれたのか、その過程がわからないのがすこし悲しい。
でも、途中までは間違いなく、ミレーと同じものを見、同じものを愛したという、そんな感動。
時間の感覚が喪失したなかで、いつのまにか満たされていた幸福感。
そして、ここにもあった愛情に満ちたあたたかな空気の発見。
慈愛。
ちいさな絵だし、ミレー展ポストカードセットからも外されている、ややマイナーな作品だ。いま見ると他にもよさそうな作品はいくらでもある。
でも、わたしは「慈愛」を、この絵を観て、ちょっと泣いた。
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■ 2003.07.04_04
fri 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・5 『空想の大きさ』」
ミレーは130年前に死んだ人である。(正確には1875年没)
130年ということを考えていて、ふと思ったのだが、描いた当時にどんな色を使っていたのかを、ぜひ知りたいと思った。
使用された絵の具は、経年劣化で基本的に退色しているため、それだけで絵の雰囲気は変わって見えてしまう。ミレーとて、いま目の前にあるような色に描きたかったわけではないだろう。
絵を見ているうちに引き込まれたのだろうか、わたしは、彼らがどんな色の世界をみて、これを描いたのか、おそらくは相当に色あせたであろう絵の表面をみていて知りたくなった。たとえば空の色や大地の色など、現実と比べ、この写実的な絵にどれくらい空想の大きさが割り込んでいるのか、下世話なことだが、知りたくなってきたのである。
この美術館に並ぶ写実主義の絵において、空想の大きさというのは、ごくわずかだ。
ある写実主義作家の絵を見ていて、こいつは根が正直で真面目な小心者なのだと失礼なことを思った。そして、きっと繊細なダメ男だろうな、とも思った。思い切って空想のみの世界に逃げることもできないという意味でだ。
だが、そう思いつつも、わたしは彼らを評価している。
ただ写実的で、本物そっくりというただそれだけの絵。こんなのはクソ食らえだと思う。カメラのなかった昔ならともかく、いまそのまま絵にする価値はない。
でも、ここにある写実主義絵画のいくつかは、間違いなく写真を越えている。写実的でありながら、写真にはない温度や味があるのだ。
素材が同じでもスパイスによって味が変わるように、画家の筆使い色使いによって絵は変わってくる。
それは、絵を描く動機によって選ばれ、実物の美しさを土台として混ぜられる、かすかな「空想」というスパイスだ。それ次第で、絵は甘くなるしも、辛くもなる。
ミレーのそれは、農人への尊敬と彼らへの負い目、そしてあたたかい敬愛だったのだと思う。
それが、あの絵を、ああいう味に描かせたのではないだろうか。
だが、それも100年を経て、すこしだけ色あせた。
贅沢な話だと思うが、彼による出来立ての絵を味わってみたかったと思う。
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■ 2003.07.04_05
fri 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・6 『解説』」
振り返ってみるといろいろ書いたが、絵に対してもった印象は、すべて完璧に勝手な思いこみだ。
私の中に、その絵に対して反応する、共感や拒絶といった要素があってこその出力なので、その絵本来の意味とはだいぶ違うことだろう。
でも、わたしはこういう絵を描く奴は、こういう奴だろうなとおもったのだ。
一連の美術館日記は、ただそれだけのメモである。
だから、なんだこのつまらねえ絵は、と思ったのがゴーギャンだったりするのだ。名画としての評価される要素がどこにあるのか、というかむしろ名画の基準がよくわからないが、素でみてて、やっぱりゴーギャンの良さはサッパリわからねえ。
あらためてゴッホを観ていると、不意に耳が痛くなった。そういえば、彼は自分の耳を切っている。それを思い出したから痛くなったのかどうかはわからない。でも、辛い思いをしているときの胸が苦しく痛む感じではなく、耳から脳髄にかけて鋭利な刃物でえぐり、切り出されるような種類の痛みだった。
順路も最後のほうに来て、だんだんシンクロ率が上がってきているのだろうか。
美術館になら、一日中でもいられるかと思ったが、とんでもなかった。
一周しただけで、こっちが焼き切れるくらいの負荷がかかる。評価しなかったものも、やはり時を経ても価値を失わなかった名画だということだろうか、全体を振り返ってみると、刺激も、流れ込む情報もすごすぎた。
出口に辿り着いた頃には、息が上がっていた。はーはーぜーぜー言ってる変な人に見えたと思う。
出口にある売店で、パンフレットを買っておく。
ゆっこさんがなかなか出てこないので、ぐるっともう一回りしたあと、出口付近で彼女を待つ。
出口では、会場に入ったときに貸し出されていた解説端末が回収されていた。これは、絵に添えられた番号をハンディサイズの端末に入力すると、付属のイヤホンからその解説が流れるという代物だ。他にも、絵の横には描かれた当時の時代背景や、また美術史における意味などが丁寧に説明されたパネルがある。画家や美術の派や歴史に疎い人間でもこれらがあれば安心というわけだ。
まったくもって、クソ食らえである。
絵を見るのに、なぜ頭を使う必要があるだろう。
自分は、どんな技法で描かれた絵なのか、この絵の描かれたのはどんな時代だったのかなど、解説の類は一切よまずに、絵をみてまわった。絵から何かを感じようとするとき、固定観念ほど邪魔なものはないと思ったからだ。
たとえ、その絵から時代背景や画家の意図と違うものを読みとったとしても、それは絵に対する不正解だろうか。そんなことはないと思う。きっと、そこに間違った解釈など、なにひとつありはしないのだ。名画を見る方法に、そもそも正解はない。あっていても外していてもいい。この絵に潜んでいるものに対しては、どうせ私の中にあるものしか、反応しないからだ。優れた絵画は、いろんな境遇を通過してきた人間ほど、情の根底に訴え、様々な感慨を引き出してくれる。直接こころに訴えてくれるなら、それをわざわざ変な情報で狭量にとらえ、屈折させることもない。
「これこれこういう背景で描かれた絵で、こういう意味があります」と言われても、たいていのひとは「ふーん」としか思わないだろう。下手をすると、ものすごく自由な発想ができるひとでも、その解説に捕らわれてしまうかもしれない。こんな馬鹿なことはない。
絵の背景を勉強する必要など、まったくないと思う。よっぽどその絵が好きになって、関連情報が欲しいと思うようになったら、それからでいいのではないか。それに、もし直感で勘違いな解釈をしていても(いや実際しているわけだが)、それで変な文章を書いても、私が恥をかけばすむ程度のことなら、勝手な思いこみをしたほうが、よっぽど楽しいと思うのだ。
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■ 2003.07.04_06
fri 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・7 『本物の地力』」
ところで、名画にはついて回る話だが、ときとして美術商をだまし続けるほどの贋作(にせもの)が産まれることがある。形ばかりを同じように真似た絵は物理的に描けるだろう。だが、真贋を極める要素、もしくは贋作でありながら美術商を騙し通すのは、絵にこめられた気迫であるという。鴨川会長がそんなことをおっしゃっていた。
ならば、真贋のほどは美術館を信用するとして、この本物の絵に込められた気迫を、わたしは理解したいと思った。そしてそのためには、自分でこの絵を描いているつもりになって観、この絵を描いた本人になって観、この絵が産まれる過程に立ち会うことだと思った。なにせ、得難い実物が目の前にあるのだ。パンフレットの掲載写真や画像ではぜんっぜん伝わってこない、オリジナルの気迫を感じ取るチャンスだと思った。
そのためにも、何も考えずに絵を見たかったのだ。
なにも考えずに絵をみるというのは、じっさい楽しい。それが名画ならなおさらだ。
絵の良さ、というのは、数値などにできない、はっきりしないパワーである。
それはいわば、ボクサーの強さのようなものだ。ランキングはあるが、パンチ力があるとか、フットワークが軽快だとか、あるいは総合的に実力があるとか言われるだけで、数値的にどう強いかはわからない。でも、強い奴はつよい。そんなかんじだ。そしてボクシングで勝つには、単純に強くなるしかない。伊達さんもそう言っていた。
絵の良さは、それに近い。あとから頭で考えてみても、どうにも解析できない良さが、ある絵にはある。それは絵の地力であり、絵の魅力だ。数値にはできないが、頭で理論的に考えずにみていると、ボンヤリとだが、むしろそれでこそ正確に捉えられる。その絵の強さ、こめられた気迫が肌でわかるような気がするのだ。構図や、絵の意味、作家の都合など、頭で考えないでみてこそ、わかる世界がある。そして、この名画展にあったいくつかの絵は、かなりのハードパンチャーだった。解析不能でありながらほとんど打撃に近い衝撃を何発ももらった。はたして、解説端末というシールドをつけていたら、これほどのショックがあっただろうか。
いい刺激を受けられたと思う。どうもうまく言葉に出来ないが、やはり本物の迫力が多少なりとも分かった。
でも、こんないい絵を見せられているのに、よくネットでアマチュアのすごく上手い人のイラストを見て「ああ、こんなうまいひとがいるなら、もう絵を描くのやめようかな・・・」と凹むような感じでないのが不思議だ。
個人的に「絵描き殺し」と言いたくなるくらいに上手い絵師がネット上にはゴロゴロいてよく凹まされるが、名画と呼ばれるものに対しては、なぜかそういう感覚がない。不思議なものである。土俵が違いすぎるのだろうか。
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■ 2003.07.04_07
fri 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・8 『くしゃみ』」
ボールペンでメモを取っていると、美術館のスタッフに声をかけられ、鉛筆を貸してもらえた。こういうところではボールペンは禁物らしい。美術館には、いろんな決まり事がある。
それにしても、お客さんの多くが、一生懸命に説明を読んでいるのは、正直なところ呆れた。
やや距離をとって見ていると、人によっては、下手をすると解説を読んでる時間の方が、絵を見る時間よりも長かったりする。しかも、解説読了後に絵をぱっと見て「ふーん」というくらいの間しかとらず、次の絵・・・ではなく解説に移ったりしている。
解説を読み、絵を数秒みて、なにも感じなかったらすぐに立ち去る。整然と順路に従い、解説を読むことに頼るこの鑑賞法を見ていて、自分の「絵の見方」とはずいぶん違うのを感じる。
まったく本物を目の前にして、なんで解説の方を熱心に見ているのだろうか。観光ホテルなどにある「海が見えるプール」で泳ぐようなものだ。
彼らは、絵から何かを感じようとする姿勢を最初から放棄してはいまいか。それが一番大切だとおしつけてはいけないと思うが、それでも微かな憤りが湧きでる。もっと何も考えずに絵を見てみたら面白いのに。もっと何かを感じるまで絵を見ていたらいいのに。
それとも、一般的な「絵を見る」という行為は、まず解説を読むことなのだろうか。
そんなことを考えていると、一人の中年客のすがたが目についた。
彼は、とても全体の構成など見渡せないくらい絵に近いところまで寄り、いやらしいくらい絵に鼻先を近づけてじっと細部を凝視している。
この人はなにを見に来たんだろう、と人のことは言えないが美術館で人間観察しながら思った。絵の具のひび割れでも見に来たのだろうか。家に帰ってから「ミレーみてきたけど、やっぱりボロボロだったなあ」とか言うのだろうか。とにかくひび割れが好きで仕方がないんですねおじさんは、と心でツッコミを入れたいくらい、その人は表面の状態にのみ見入っている。絵になにが描かれているのかとかはよくわかんらんから別にどうでもよいような感じだ。
しかし遠巻きに見ていて、どうも危なっかしい。馴れ馴れしいくらい接近しているので、そのうち指でペリッと絵の具でも剥がしそうな雰囲気にみえる。
美術館司書の人も気を揉むだろうな。
そう思っていると、舐めるように顔を近づけていたおじさんが、その場で
口も押さえずにいきなりクシャミをした。
汁気の多そうな噴射音が、ここまで聞こえてきた。
名画にむかって噴かれる飛沫。
よく聞く話だが、あめ玉を舐めながら名画を見ていて、やはりクシャミをしてしまった人がいる。
勢いよく飛び出したそのあめ玉は名画にべったりとくっついてしまったようで大変な問題になった。それ以来だろうか、今回のミレー展でも入り口には、館内でのガム・飴などを禁じる旨のメッセージがあった。
彼らはきっと、こんなことになるなんて思ってなかった、あるいは、うっかりやってしまったミスだと弁解するだろう。
でも、それはきっと違う。
彼らはきっと、実はそもそも名画になど関心はないのではないか。だから、飴玉を舐めながら絵を見ることの危険性などまったく感じない。彼らにとって名画など、単に「あ、オレその絵の本物みたことあるぜー」と誰かに自慢話するためか、ひけらかすことを前提としたお粗末な教養をみにくく上塗りするためか、あるかないかもわからない「自分」を豊かにするために、名画とかいう栄養水を己の魂に注いでいるつもりなのかもしれない。どうみても、その魂には名画とか以前にまず塞ぐべき穴がボコボコと空いていそうなのだが。
全てではないだろうが、美術展の客の何割かは、興味本心冗談半分だと思う。
その証拠に、クシャミのオジサンは、まちがいなく「クシャミのついでに名画を見ていた」からだ。彼にとっては、クシャミの方が名画より優先順位が高いのである。なので、クシャミを手で押さえるなど考えもしない。
ろくに絵を見ず、解説を一心に読んだり、絵の具の状態にとりあえずの関心を示してみたりする彼らの鑑賞法は、「絵を見に来た」というよりは、ただのポーズなのではないか。そう思った。
そして名画は、そんな彼らから吐きかけられた唾を、今日も一身にうける。
それも名画の宿命であろう。
更新後、幾通かのメールをいただいた。
「それはたしかに名画の宿命かもしれないが、同時に、絵に興味のないひとに対しての啓蒙を促し、文化に対する興味の裾野を広げるという使命も名画は持っている」
どれもそういう主旨だった。
・・・完全に忘れていた。
解説は、その使命に応じて用意された、ひろく一般のための補助システムであり、他に絵の見方を試してみたい人は、好きなように見たらいいのだと思う。それをどうのこうのと押しつけることはない。
今日の日記を書いたそもそもの動機は、くしゃみのおじさんを見て呆れたという一点にあるのだが、描き方も感じ方も、ちょっと個人主義に走りすぎていたようである。反省反省。
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■ 2003.07.04_08
fri 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・9 『ついていく』」
読んでる方は長い割りに面白くないだろうなあと思いつつもひっぱってきた美術館ネタだが、これはそもそも、いちおうデートネタである。
最初に書いたように、ゆっこさんとはいっしょに観たのではなく、別々に、好きなように名画鑑賞をした。これでよかったと思う。だいたい彼女が横にいてあんな感想が出るほどの集中力は、わたしにはない。おかげで思う存分、絵をみることができた。
2000円もする豪華なパンフレット(ほとんど美術書)(これでカバンが重くなった)を購入し、近くの喫茶店に入る。
例によって、ほとんど一方的に絵の感想など述べる私。
自分がなにを感じているのかいまいち言葉に変換するのが苦手であうあう言っているゆっこさん。
それにしても、ふたりで茶を飲むこのひとときが、とても久しぶりに思える。
GW以来なので2ヶ月しか経ってないが、この間をずいぶん長く感じていた。
日記にも書いた、GWにあったひと悶着の話をする。ホームページで大々的に書いたことなどバラしていないので(そんなわけで、夜想曲のことをゆっこさんと考えられる人に教えるの禁止)、「知人夫婦に相談した」とした上で「『ゆっこさんはすごく情の深い人だ』っていわれた」と話す。
「えー」
いくらなんでもそりゃないだろう。
とゆーよーなニュアンスが、かなりの高密度で込められたリアクションだった。ないない、と本人笑って否定。
「それはないでしょ」
「うん、実はわたしもちょっとそう思う」
「ねえ」
「ねえ」
酷いことを書いているなあと思わないでもないが、お互い当然という雰囲気である。こちらとしても、やっぱりそうだったかと思った。ちょっとホッとしたような気もする。
やはりGW日記のときにいただいた某御夫婦からのメール(その内容)にあったように、わたしはゆっこさんのことを何も分かってなくて、今回こそ「ばかばかばか、もう知らない!」というリアクションが見られるかと内心ワクワクしてはいたが、やはりこちらの勘の方が、ある程度は正しかったようだ。
『このわからずやっ! なんて鈍い人なのかしら、私が、こんなにずっと好きだっていうサインを出しているのに、気がつかないで自分ばっかり片思いだと思いこんで!』という御意見もあったわけで、こっちのほうがかなり萌えるのだが、ゆっこさんは、そんなこと微塵も思ってなかったという。これはこれでちょっと寂しい。
某御夫婦さんの推測は、ひとつの未来予測なのだろう。だが、たぶんゆっこさんは、そこまで高ぶったところに到達してないだけなのではないか、と思った。現状のホントのところは、いま目の前にいるゆっこさんの態度が全てに思える。
彼女はほんとに私を傷つけてきたことを申し訳なく思ってくれていて、ここにきても、木訥なくらいに謝っていた。
GWをきっかけに、二人の関係は大きく変わった。見た目に劇的な変化はないが、いまは不思議なくらいに寂しくない。そして、お互い好きなように開けっぴろげに話ができている。「打ち明けると打ち解ける」というやつだろうか。
二人にとっても強烈な思い出なので、GWのことをいろいろ話す。先の一連の見解に関して、ゆっこさんは否定することが多かった。
だが、彼女はひとつだけ全肯定した。
「うん、ついていくつもりだったよ。最初からずっと」
なにも考えていないような顔で、彼女はさらりと言った。
迷いのない声だった。
「結婚するつもりがなかったら、約束なんてしないよ」
俺は馬鹿だと思った。
「でもどうしても葛藤があった。自分の中に別の自分がいるみたいで」
「そうだね。わたしも結婚が迫ってきて、あれだけしたかったことなのに、なんか恐くなるときがあるし」
「でしょお」
「だねえ」
適当なところで喫茶店を出て、東急ハンズに遊びに行く。
二人の誕生日は、じつはとても近い。星座も血液型も同じで「蟹座のO型」だ。わたしがちょっと前。彼女はちょっと先である。この機会に、天野は使っていた財布が壊れていたので、好きなのを選んで彼女に買ってもらった。こちらも、彼女の選んだバッグを買ってあげる。お互い「選んであげる」という感じではない。でも、それでいいと思う。お互い、親にでも買ってもらったような感じだが、二人にはこれでちょうどいいと思うのだ。目の前で渡すのに、わざわざプレゼント包装してもらったのが、ちょっとワクワクした。
その後、渋谷駅にある「とんかつのまい泉」にいく。
渋谷で生活していたころ、東急百貨店(だったっけ)のアナウンスで、毎日のように「まい泉」の宣伝を聴いていたものの、学生にはちょっと辛い値段だったため、ずっと食べられなかったとんかつだ。10年前の恨みをいまこそ晴らすのだと二人して突撃。とりあえず黒豚を退治する。考えてみればゆっこさんの方は、別に恨みなどなかったが、さすがに美味かった。恨みの旨を店の人に話すと、すごくいい笑顔で笑ってくれた。
たのしいデートだった。
最初こそ緊張したが、普通に、いっしょに空気を吸ってる感じだった。来てよかった。
おまけ
「あのとき、やっぱり分かってた?」
「なになに」
「GWのとき、実は書店に未練があったってこと」
「あー、うーん、どうかなあ」
「分かってくれてたのか、って感動したんだけどなー」
「えー。うぅん。・・・わすれた」
「そうですか・・・。まあ、わたしもメモしてないとすぐ忘れるしな・・・」
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■ 2003.07.04_09
fri 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・10 『妄想力』」
文月さんちにいく。
東京へ行くたびに泊まっているので、現地に婚約者がいるくせに、むしろこっちのほうが現地妻みたいな存在の文月さんの家に、今回もありがたく泊まらせていただいた。(ゆっこさんちは寮だし)
すっかり勝手の知れた文月さんの部屋に、ニューアイテムとして抱き枕を発見する。
しかし、カバーは無地だった。
え? という顔をしていると、勝ち誇ったような声で、文月さんが断言した。
「抱き枕に、絵など必要ないと思うのですよぼくは!」
「え、でもやっぱりこう、美汐さんのビジュアルとかないと・・・」
ちっちっち。
人差し指をワイパーのように左右に揺らし、彼は言った。
「そんなヤワな妄想力ではありませんよ、天野さん」
相変わらず高濃度な男だった。
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■ 2003.07.05_01
sat 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・11 『百合姉妹』」
注:
この日記に書いてあることは、ウソです。
文月さんの家から横浜駅に出て、そこから山崎まさよしで有名な桜木町へ行った。
ほかにも桜木町といえば、平成3年にゴジラがブチ壊したランドマークタワーが駅の前にそびえるのでも有名な街である。
今日はこの駅で待ち合わせて、サンフェイスさんとデートだ。
再会を喜び合った後、家族連れや、カップルや、百合カップルや、真性ホモカップルなどがうじゃうじゃいる山下公園を、男二人でのんびり歩く。我々は周りの目にどう映るだろうかとか、片方はヒゲヅラなのでもう決定的ですねとか、いやむしろサンフェイスさんとなら望むところだとか話す。話題の方向性はともかく、彼と話しながら散歩するのはなんとも楽しかった。
GWのときにはあまりお話ができなかったので、この度の再会はなにか久しぶりな気がする。一年前に会ったとき以来という感じだ。そして、あのときとの違いと言えば、何と言っても
「ごきげんよう、サンフェイスさん・・・いえ、ゆみすけ」
「ごきげんよう、天野さん・・・いえ、お姉さま」
これである。
思えば、のっけから挨拶がこうだった。このごろのサンフェイスさんのサイトは、完全にマリみて化が進行していて、一年前の面影は皆無に等しい。そして現在、二人はチャットでも「お姉さま」「ゆみすけ」の仲だ。性別とかの委細はともかく、ハマちゃんスーさんの仲みたいなものだと言えよう。(・・・そうか?)
実年齢もちょうどひとつ違いとは言え、サンフェイスさんを「ゆみすけ」呼ばわりするのは失礼極まりないとは思う。だが、そこはそれ、冗談の範囲はお互いに心得ているので、日常会話もこれで通した。
「お姉さま、山下公園はいかがですか? はじめてですよね?」
「なかなかよくってよ、ゆみすけ」
この段階でかなり終わっている感もあったが、この日記に書いてあることはあくまでウソなので、おかまいなしにそのまま海沿いを歩く。
視野の彩度がくっきりと上がるほどの快晴であるためか、山下公園には家族連れも多く、まるで幸せを絵に描いたような風景だった。
「核ミサイルでも落ちてきたら、絵になるわね」
「お、おねえさま・・・」
ちょっと見ない間に歪んでしまわれたのかと心配そうなゆみすけである。
でも、つい破滅を夢想してしまうのは、この街全体がどこか偉そうに見えるからだと、あとで思った。
横浜は、どこか街のセンスが違う。神戸や長崎に共通した港町独特のセンスのよさ、というか、どうもちょっとスカした感じがあるので、ついミサイルによる爆破とかに思考が流れてしまった。
ところで、横浜といえば「ポーリン橋」という井上喜久子さんを偲ばせる魅力的なスポット(名前以外なにも知らないけど)があるが、この近辺でいちばん行きたいのは何と言っても中華街である。横浜中華街は、実は10年くらいまえに素通りして以来なので、今回とても楽しみだった。
道程によっては気がつかないうちに中華街入りすることもあるというが、サンフェイスさんの案内のおかげで、ちゃんと門をくぐって街に入ることができた。
それにしても「中華街と言えば愛想の悪い給仕の姉ちゃん」という印象があるがなぜだろうなあ、などど考えながら中国趣味の街を歩き回る。とにかく暑かったので、よく店先でアイスクリームなどを買って食べた。甘栗アイスとチーマーカオが美味である。サンフェイスさんは杏仁豆腐を注文。だが、買い食いしながら美味い美味いとあれこれ食べたせいで、噂になっていたひとつ500円するという豚まんに辿り着いたときには、胃袋が限界で諦めざるをえなかった。今度きたときには必ず食べようと誓う。500円とは高い気もするが、食べる価値は充分にあると思うのだ。中華街の食べ物は総じてやや高めだが、旅先で遊ぶのに金をケチるのはつまらない。ほんとうに欲しいと思ったものは、食べ物でもアイテムでも、ちゃんと買おう。
「そうよね、ゆみすけ」
「まったくですわ、お姉さま」
そういうわけで、チャイナドレスの店に二人で入る。
「お姉さま、このスリットが手で止めたくなるくらい深いとこまでキレ上がったチャイナドレス、きっと似合いますわ。こっちのロンググローブを合わせると、ちょっとどうしたことかと思うくらい萌えましてよ?」
「そう? ゆみすけも、この着たら最後一歩も動けなくなるような丈(たけ)の短いミニチャイナきてごらんなさい。中身ごと麻袋に詰め込んで持ち帰りたくなるくらいかわいくてよ?」
お互いを牽制する姉と妹。でも気になる服があったので、結局、天野が一着を手にとった。試着し、鏡の前に立ってみる。
※ 功夫服の一種。
「どう? 似合うかしら」
「素敵ですわ、お姉さま。まるで二〜三回は死に損なった闇社会の暗殺者みたいによくお似合いです」
「そうかしら、なにか恥ずかしいわ」
「そんなことありません。素手で自然石くらい叩き割れそうなくらい素敵にみえましてよ」
「うふふ。じゃあ、これいただくわ」
ゆみすけに誉めてもらえたので、一着つつんでもらった。ブルース・リー師父の包(ぱお)である。フリーサイズなので体格のいい私でもちゃんと着れる。短髪、グラサン、ヒゲ、そして黒い包(ぱお)。セットで売れるくらいに素敵なコーディネイト。なので、これを着るときにはこの組み合わせにしなくちゃいけないと思う。こうして、どこにも着ていけない服がまた一着ふえてしまった。
※ 包(ぱお)は、ふつうの功夫服とちがい、ロングコートくらいまで丈があるものです。・・・しかし、サンフェイスさんも、ゆっこさんも、よくこんな奴とつきあってるよな。
中華街のマップがプリントされた紙袋を抱えて、ホクホクしながら店をでる。
その後、サンフェイスさんの案内で外人墓地ちかくの洋館を見に行った。
横浜は坂が多い、というか傾斜がキツかった。喉も渇くので自販機でジュースを求める。以前にマンデリンさんに薦められた「ゴクリ」を買った。
「あら、すごく美味しいわ」
「そういえば『ゴクリ』は飲んだことありませんわ」
「ゆみすけのも美味しそうね。ちょっと交換しない?」
「はい、お姉さま」
「それっ 間接キスよ! ぶぢゅずちゅるるるっ」
「んもう、お姉さまったら!」
「うふふ、照れることはないわ、ゆみすけ」
この日記にかいてあることはあくまでウソですと誰となく断りつつ「港の見える丘公園」に到着する。
展望台にてしばし休憩。展望台の手すりにつかまっていると、ゆみすけがこんなことを言う。
「おねえさま、とても絵になります」
「あら」
「海と港が背景になってて、まるでイベントCGみたいでしてよ」
「そう? 萌えるかしら?」
その後、かぶりつきで見た広場の大道芸が面白かったので、チップに1000円札を出す。
大道芸ワールドカップのときに感じたことだが、最後の帽子がまわるこのとき、100円玉がたとえば12枚投じられるより、1000円札の1枚の方が、はるかに価値があるように思えた。以来、1000円分くらいに面白いと思ったら、素直に札を出すようにしている。
「まあ、1000円も」
「それくらいは面白かったわ。それに、自分の分相応をわきまえている限りにおいて、遊びや楽しいことにお金を惜しむのは粋ではないのよ、ゆみすけ」
「さすがです、お姉さま」
そういいつつ、さりげなく500円硬貨を差し出してワリカンにしてくれるゆみすけ。
1000円札の意図が伝わっていたのかと思うと、すなおにうれしかった。
休憩を切り上げて、目的の「横浜市イギリス館」へ向かう。正確には「山手111番館」を目差した。
サンフェイスさんが、以前から紹介したいと言っていた所である。
着いてみて、驚いた。
「薔薇の館」がそこにあった。
デザインの統一感がステキな築77年の館であるが、それ以上に、これはもうどう見ても、あの、マリみての舞台である「リリアン女学院」の生徒会執務室「薔薇の館」そのものだった。いや、実物などみたことはないし、学生の施設としては豪華すぎるが、それでもこのイメージは、私が勝手に抱いていた山百合会のソレそのものである。周囲が薔薇園になっているあたりも、雰囲気は実にいい。
靴を脱いで、スリッパで館に入る。このあたりのいくつかの洋館は、観光用に解放されているのだ。
それにしても、内装がすばらしい。さすがに築77年だけはあるというか、デザインにすごく風情がある。欧米文化への憧れみたいな感情以外に、単純にセンスとして素敵だと思う。朝日がたっぷりと取り込める一枚ガラス窓の寝室なども、実に一見の価値ありだ。全室そうだが、このガラスの造りがまたいいのだ。
あちこち歩き回ったが、どこの部屋も素晴らしく、ここになら山百合会の誰を立たせても絵になる確信があった。もう横浜方面で「マリみてツアー」をやるなら、ぜひ入れたいスポットである。
吹き抜けになっているホールから見上げる2Fの張り出しなど、あのイメージそのままだ。ほんとうに凄い。筆が鈍るからと、カメラを持ってこなかったのが心から悔やまれるほどにピッタリの館だ。あまりにイメージにシンクロしてくるので、ヒロシマの海で身につけたスキルが開花し、あちこちにリリアンの制服が漂い出す。「おお、見える見える」と呟きながら、老朽化のために体重制限のある二階廊下をそろそろと歩いた。自分でも変な客だったと思う。
窓から見える、薔薇を中心に構成された庭園には、石造りの東屋みたいなの(なんていうのかな)があって、すごく雰囲気がよかった。ロザリオの授受には最適のロケーションというものである。
「しまったあああ!!」
思わず素で頭をかかえ、天を仰ぐ私。
「どうなさったの、お姉さま!」
冷静なサンフェイスさん。
「こ、こんなことなら中華街でインチキロザリオ(2ヶ)を買っておくんだったわあああ!!」
「お姉さま、何をおっしゃっているんです。わたしたちはもう心と心のロザリオを交換してるじゃないですか」
「ゆみすけ・・・」
「さ、お立ちになって」
「そうね、わたしたちは、去年の夏に・・・。そうだったわね・・・」
この日記がウソかどうかはさておいて。気を取り直し、一階の喫茶店にいく。
館の一部を改装して作られたこの喫茶店は、その半分が庭園に面している。土曜で混んでいたため、眺めのいいそちらには座れなかったが、屋内席も凄くすてきだった。
ウェイトレスは、やはり英国の文化というものだろうか、メイドさんである。
正確には、この日記を見に来るような連中がたいてい頭に思い浮かべているような、まほろさんとかハンドメイドメイとか花右京メイド隊とか大須のコスプレ物語とかゆー感じのアレではなく、ごく質素であり、エマやシャーリーよりも地味な、とても印象の薄い制服であった。たとえば「まほろまてぃっく」のまほろさんがガンダムだとするなら、そのままジムのような感じだろうか。ベルトラインから下のみの白いエプロンに、ささやかに膨らんだ肩袖。そして何のポイントもない地味な黒色のワンピースという、ごくごく質素な制服であった。ヘアタイもなく、ホントにジムである。
「あら、でもお姉さま、あちらのウェイトレスさん、眼鏡ですわよ」
「ほんとね、MSVかしら。ジムスナイパーと呼んでさしあげましょう」
そのジムスナイパーの運んできてくれたお茶がまた、とても美味だった。
それに、ケーキが抜群においしい。チーズケーキは濃厚でありながら、あくまで上品に舌に媚びる。いい薫りのする薔薇のシフォンは、空気だけで作られたようにすごく軽かった。
この館と、窓から見えるこの庭園。この好環境にあって茶が安っぽいわけにはいかない。そういう自覚がしっかり店にあるのもちょっと感激した。
文月さんが合流できそうな時間になってきたので、名残を惜しみつつ、イギリス館を出る。
この近所は、横浜双葉学園やフェリス女学院大学があり、なんとなくマリみての雰囲気でもあって、駅まであるくのも楽しい。
途中、箱座りで寝ているネコをかわいがったりしながら、サンフェイスさんといっしょに、横浜の坂道をあるいた。
一緒に歩いていて、サンフェイスさんが、今日のこの時間をとても大切に扱ってくれているのが、よくわかる。
だから今日はとてもたのしかった。あれだけ急勾配を歩き回ったのに、いささかも疲れた感じがない。疲労はあるが気持ちよく運動した感覚だった。彼といることに、なんの気兼ねもなかったからだと思う。嬉しい気持ちと、それに満たされた、胸がいたむほどの貴重な記憶。得難く大切なこの一日が、ほんとうにほんとうに、たのしかった。
最初に書いたように、この日記に書いたことはウソである。
ただ、サンフェイスさんと過ごした時間があまりに充実して楽しかったから、そして、それをそのまま書くのがなんとなく惜(お)しかったから、だから「ゆみすけとお姉さま」で誤魔化した。
この日記はウソである。そして、どこまでほんとうかは、わたしと、サンフェイスさんだけが知っている秘密だ。
電車にのったまま、なんとなく、「マリみて100質(マリアさまが見てるファンへの100の質問)」などを勝手に考えた。よしづきさんの「ノワール好きへの100の質問」を思い出して脚色する。
「もし無人島に何かひとつだけもっていけるとしたら、祥子様はなにを持っていくと思いますか?」
「ゆみすけ」
「もし無人島に何かひとつだけもっていけるとしたら、祐巳はなにを持っていくと思いますか?」
「祥子さま」
また、横浜に桜木町に中華街にイギリス館に来ようと思った。
そのときも、きっとゆみすけといっしょに。
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■ 2003.07.05_02
sat 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・12 『MK2さんとまゆみさんと』」
美しく終わったような感じの先日分だが、実は、そのままサンフェイスさんとともに、次のオフ会会場へ向かった。
本日は、オフ会のはしごである。というかむしろ一日中オフ会である。
まずは桜木町で文月さんと合流し、近所のバーミヤン(中華料理のファミレス)へ。ここでお会いする予定なのは、MK2さんと、その奥さんのまゆみさんである。脳外では初対面だ。
お仕事でいそがしいお二人があらわれたのは、だいたい7時頃。一時間前から陣取っていた我々だが、すでにサンフェイスさんと文月さんはビールで出来上がっていた。
「あー、MK2さんとまゆみさんだー」
「お久しぶりです」
「おお、はじめまして天野です!」
「MK2です。天野さん、立派なヒゲですねえ」
「まゆみさんが『見てみたい』というので生やしてきました! というのは冗談で、サンフェイスさんから洋館下の喫茶店が『男二人ではいると誤解されそう』ときいていたので『なるほど、ホモのハッテン場か』と推察し、あえて生やしてきました! いや、もてるかなーって思ってうははは」酒も入ってないのに天野もできあがっていた。
MK2さんと会うきっかけになったのは、サンフェイスさんが紹介してくれた「どこをさがしてもきみはいない」に、MK2さんが日記でレスを付けてくれたときのことである。その後、氏には日記などのコンテンツもいろいろ読んでいただいた。そうして何通かのメール交換をしているとき、彼の伴侶であるまゆみさんこう言ったときいた。
「ウワサの天野さんを見てみたい」
思えば、過去の日記でも特徴的だったXさん(守護月天の某氏)や、Sさん(矢島晶子さんの某氏)について語った後にも「見てみたい」という感想がちょこちょこ来ていたものである。
そう「見てみたい」なのだ。
なぜか、「見てみたい」とは言われても「会ってみたい」とは言われない。
ほとんど珍獣あつかいである。
わたしもようやくその部類に入ったのかと、あのメールをいただいたときは感慨深かった。
適当に注文した中華を、適当につつきながら、とりとめもない話をする。
「いや、しかしクラナドいつでるんでしょうなあ」「もうね、なんかいつまでも出ないゲームってことで、都市伝説になりそうですよ」「SFC版の『ああっ女神さま!』が、いつまでもいつまでも発売予定表にのってた時代があったけど、あんな感じになるんかもしれませんね」「大丈夫ですよ、いまも寝食を削るスタッフによってクラナドは作られているはずです!」「いや、それにしてもサンフェイスさんが、ほろ酔いなんて珍しい」「たいてい酒がはいると青くなっちゃうのに」「今日はいいね」「運動したからね」「たのしいし、なによりお姉さまといっしょにいたから」「うふふ、ゆみすけったら」「てへっ」「この日記に書いてあることはウソです」「サンフェイスさんとラ・ブ・ラ・ブ♪」「Bee氏がハンカチ噛みしめて悔しがりそうだ」「そうそう、わたし(MK2さん)、Beeさんの日記すきなんですよ、いや、なんかあの雰囲気が」「Beeさんがきいたら喜ぶでしょうね」「ところで、最近よみはじめたんですけど村上春樹の『ノルウェーの森』って純愛小説なんですか? 帯にそう書いてあったけど」「いや、その分類だけは違うと思うな」「関係ないですが、うちのアクセス解析で、最近『バニラコークたん SS』で来る人がいるんですよー」「バニラコークたん、って、炭酸飲料の擬人化ですか?」「おお、じゃあキャラつくってSSかいてよ文月さん」「うーん、でも『バニラコカコーラ』ってイマイチ味が普通だし、個性に欠けるなあ」「キャラはどうでもいいから、まずものすげえ子煩悩な父親がいるって設定で」「ああ」「あれね」「公式サイトにあった、賞讃以外の感情を許さないアンケートね」「たしか飲んだ感想の選択肢が『けっこうイケル』『ハマりそう』『こんな味はじめて!』『友達にも教えたい』しかなかった」「全部の回答の頭に『ある意味』ってつけたい」「だれもが新しい不味さを期待して飲んだのに」「普通の不味さだったね」「でもなぜか、けっこう売れているみたいですよ」「ぬう、普通のひとの考えることはわからんなあ」「最近、極端にまずいジュースが無くて寂しい」「赤メロンソーダとかね」「あれ、むかし近所で110円→100円→60円になって、最後に姿が消えた」「なんで変動相場制なんですか」「そういやバナナウーロン茶(「金魚屋古書店出納帳」より)って、ホントにあるのかな」「バナナ茶はバナナの皮の味がしますが」「緑茶ソーダってのもあったっけ」「しかも無糖」「あれはなんだったんだ」「売り物じゃないけど、麦茶でカルピス割るやつがある」「人呼んで、麦ピス」「もしくはカル茶ー」「舌にものすごく残るんだよね」「ところで天野さん、カレーヨーグルトって知ってます?」「東海地方では比較的メジャーですよ」「そうなんですか?」「いや、わたしの周りだけかもしれないけど」
一見まったりとした会話に見えるが、みなさん出来上がってるせいもあってテンションの方は、実際のところかなり高かった。
MK2さんとまゆみさんはスパスパと煙草を燃している。まゆみさんとはあまり喋られなかったのが、いま思うと残念である。
MK2さんからは「天野さんは、もっと押しの強い人かと思った」と言われた。「うふふ、日記の上ではわかりませんわよ」「天野さん、天野さん」「ああ、すみません。別の地が・・・。でもいまのうちに謝っておこう。何を書くことになるか自分でもわかりませんが、いまのうちに謝罪しておきます。すみませんでした」「・・・書いてないのに過去形なんですか」「天野さんは、そんな酷いことを書くひととも思えませんが」「いやいや、その場では、にっこりわらってるのに後ろから刺したりしますから。いや後ろからってのは、日記のことですが」「あと、サンフェイスさんにも謝っておきます」「は?」「今日のことは、その場にいたのに想像もしなかったような日記に仕上がっていることでしょう。なにせ日記脳がそれなりのギアに入って執筆するわたしのことですから、いまは信用できても、筆の方を信用してはいけません」「はあ」「ところで天野さん、田舎暮らしはどうでした」「いや、最高ですがあるいみ退屈でした」「ほほう」「楽すぎるっていうか、若いときはもっと仕事とかで苦労したいなって思いましたよ」「天野さんはマゾですからね」「そう?」「マゾなのかなあ」「志摩子さまに踏まれたいって言ってるし」「最近だと、素子少佐に手加減無しで背骨を踏み砕かれるのもステキかしらって思うの」「まず『踏まれたい』ですか」「どうしようもないくらい離れた存在を愛してしまったらもう降参するしかないわけですよ」「ううむ、そこだけきくと、そこそこイイ話っぽいんですがねえ」「ところで話はもどりますが『ホモのハッテン場』といえば、某所には、落書きのホモ率がとても高いトイレがありますね」「うわー、見てみたいような入ってはいけないような」「入館するときに『ホントにいいの?』って訊かれるそのスジの映画館とかのトイレかな」「話がやな方向になってきたので方向性を変えますが」「はいはい」「脳内オフ会、すごいことになりましたね」「いや、あれ実はちゃんと終わったの初めてだったんですよ」「そうなんですか」「天野さんのおかげで終われた」「というか天野さんいきなり終わらした」「いや、話を聞いたとき、こんな得意な分野ないと思ったから、つい」「ところで、MK2さん。みさき先輩はどうなったんですかあれから」「え・・・。いや、その、ねえ?」「そうそう、帰ったらいよいよアレですよ」「書店の仕事ですか」「ちがいます。鉄騎を買うんですよ!」「そっちかい」「いいですねえ、自分(MK2さん)も、大きくてゴツくて動きまくるの好きですよ」「ガオガイガーとか好きです」「キングジェイダー変形時の、肩関節機構部が収納されるとことか好き」「ブロークンマグナムとかも」「あなたもロケットパンチニストですね、仲良くしましょう」「あと笹本佑一も好きです」「ああ、こういう組み合わせの知人ってけっこういるよなあ」「『星のダンスを見においで』が一番すきです」「あれ、評価たかいですねえ」「わたしは『妖精作戦』なんですが」「あれ読んでいいなと思った人は、絶対にイリヤ(「イリヤの空、UFOの夏」/電撃文庫・秋山瑞人)も読むべきですよ。逆も然りで」「というか『妖精作戦』は20年前のイリヤですよ」「そういうつながりってありますよね」「わたし大学の頃はアニメとかから離れてて、エヴァで戻ってきたんですが」「ああ、わたしも」「で、いまKanonとかにはまっているのって、なんかアレですね。ガンダムでこっちの世界に目覚めたオタクが、『ビューティフルドリーマー』でうる星やつらの潮流にのまれていった構図みたいですね」「なるほど」「じゃあ、そのうち『あ〜る』みたいなのも出てくるのかな」「『妄想戦士ヤマモト』や『辣韮の皮』や『げんしけん』あたりがそうなんじゃないかな」「しかし、天野さん。本屋にもどるとゲームとかやる時間がまたなくなるんじゃないですか?」「いや、かなりキツい時期でも毎日やってましたから大丈夫でしょう」「でも考えてみればよくやってたよなあ」「人間なんとか生きていけるものです」「でもそれも極限状態になるといろいろ変なことをやりだしますよね」「ぼく(文月)なんか追いつめられてくると、仕事以外のことに異様に執着するようになっちゃって」「たとえば何に?」「いや、ネコを追うんですよ」「はい?」「こう、街を歩いてて、ネコがいるじゃないですか。何の気もないふりして歩きながら、いきなりネコに襲いかかるんですよ!」「しかもノーモーションでいきなり直角に! 無理矢理からだをねじ曲げて!」「なんかデンプシーロール破り破りみたいですね」「骨とか筋肉とかに無茶させて大追跡!」「ネコすごいびびるし!」「気力も体力もないのに、ただネコをなでるためだけに鬼みたいな顔で爆走してネコを追ってましたね、あのころは」「よくやってたといえば、天野さん、あのマクドナルドの話とかすごいですね」「いや、飢えてましたからね」「コンビニの電源かってに持ち出して御飯たいたり」「MK2さんはそういえばコンビニの店長さんでしたね」「・・・・もうしわけありませんでした」「いやいや」「そんなそんな」「実はアレだけじゃないんですが、もうすぐ時効なので黙っておきます・・・」「でもお金が無くて、マクドナルドとかは、もう、しかたがなく・・・」「で、攻撃型ボランティアですか」「たいがい凄い名称だけど」「ボランティアといえば黒柳徹子」「るーるるー、るるるるーるるーるるるるーるーるーるーるるっるー♪」なぜかバーミヤンで「徹子の部屋」のテーマ合唱「CMで『いま、天野さんが飢えています』」「ぢぇーしー(高音)♪」「徹子さんも応援してくれますよ」「うれしいような気もするけどなんかいやだ」「自分でできることは自分でしたいですし」「それでマクドを襲うのはちょっと違うような・・・」「いや、たしかにマクドナルドの店員さんには、悪いことかも、ってチラリと思いましたが」「思いましたが?」「かわいそうだが、わたしのためだ、と!」「うーん」「動機だけはボランティアだ」「いまのそうなのか?」
明日も仕事なMK2さんとまゆみさんが、残念ながら途中で退席する。「名古屋の方に行ったときには、また会いましょう」そう約束して見送った。
初めてあったMK2さんの印象は「謙虚なひと」だった。
自分にできることとできないことが、よく分かっている感じの人物に思える。本人は鬱だ鬱だと言っているが、この世の中でも、正しい大人の部類にはいるとおもう。まあ、そのなかには先のらむださんとかも入っている天野基準なので、社会的な保証の限りではないし、なにがどう正しいのかよくわからないが。
この一年くらいで、日記にかいたり、出会ったりした人は、そこそこイタい人が多い。(いや、なんか酷いことを書いてるなわたしは) でも、いまどきイタくないひとには、会ってもそれほど面白くないと思うのだ。イタいイタいと書いたが、それだけ真面目で、繊細で、なにかを深く愛している人たちなのだとおもう。だから、魅力的なのだ。
たとえばエンターテイメントやテクノロジーの世界でも、現在活躍している人や、面白い生き方をしている人で、なんらかのマニアでなかった人などいないと思う。マニアな人は面白い。そして、マニアなだけでは話にならないが、ひとのこころのことがある程度わかっていて、そして真面目なひととは、つき合っていて安心できる。
そうでないひと、いわば普通のひととは、あまり積極的に、個人的な時間までおつき合いはしたくない。
いまどきの普通の人ほど、面白くない人種はいないと思うからだ。
その後も、文月さん、サンフェイスさん、天野は、しばらくファミレスに残って遊んだ。
それも気がつくと午前様である。思えばサンフェイスさんとも13時間フルタイムでいっしょにいたオフだった。彼を神のようにあがめるBeeさんもハンカチ以下略であろう。そんなことを考えながら、文月さんが終電を逃したことに気がついたころには、深夜1時を楽にまわっていた。先日からの強行軍で、ここまでくるともう「にんげんっておもしろいなああはは」とかいう感想しかでてこない。
気分転換に、夜食がわりの冷やし中華をたのむ。分け合って食べていると、「101」みたいに一本の麺がつながった。
だが、すでに健全な思考能力などドブに捨てた我々にしてみれば、
これにしか見えない。(田中松太郎さん好きです)
「あらうわきはいけませんわおねえさま」「うふふゆみすけったら」「わーたのしそーじゃあぼくつたこさまー」
ここまできて半徹夜の脳味噌でやる「マリみてごっこ」は、奇妙に面白かった。
桜木町の夜はふけていった。
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■ 2003.07.05_03
sat 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・13 『魔法詠唱』」
「天野さんのメモはアレですね、あのMP(マジックポイント)ですね」
「はい?」
「天野さんの『メモをとる』という行動は、すなわち、魔法の詠唱なのです」
「はあ」
「とくにオフ会の記録のような長い長い詠唱では莫大なMPが蓄積され、HTML化というコマンドによって、まるで突然巨大な魔法陣が出現したかのような衝撃をもって日記化され、我々を驚かすわけです」
「ううむ、なるほど」
「その場にいて詠唱されていることがわかっているのに、日記の方よむととんでもなかったりしますからね。これは魔法ですよ」
「じゃあ、このリングメモの記入済みページの厚さが、そのままMPですね」
「おー、わかりやすい」
せいるさんのときにも書いたが、最近はたまに机の下などの見えないところでメモを取っている。
気心の知れた人には、目の前で書かせてもらったりするが、やはり面と向かって断りもなくメモをとるのは、ちょっと失礼な気がするのだ。
いや、気心が知れてるひとでも目の前でメモすると、過去の学習からか会話がとまってしまうからでもあるのだが。
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■ 2003.07.06_01
holy 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・14 『ホテル』」
桜木町の「カプセルホテル都」にて宿泊する。
昼間のうちに旅行荷物だけ預けてチェックインしておいたのだが、このちっこいカプセルホテルの受付にいたおばちゃんがすごく素敵なひとだった。やさしいし、なにか、ここに泊まっただけで満足感があるほどにいい感じだ。常連のひとも、このおばちゃんを慕っているようにみえる。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
チェックアウトするときでも、そんな風に言いたい感じだった。
某メイド喫茶では「おかえりなさいませご主人様」とか言ってお迎えするそうだが、そのへんのメイド風情には、ちょっと出せないであろう味が、ここのおばちゃんにはあった。
こっちにきたら、また泊まろうと思う。
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■ 2003.07.06_02
holy 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・15 『KAZZさんと、相方さんと、えるらさんと』」
最終日。
ヨコハマ買い出し紀行オフ会でおなじみの「三崎口駅」へむかう。
KAZZさん、その相方さん、えるらさんとのオフ会だ。
しかし、ちょっとオフ会というか、旅行のしすぎだとおもう。
岐阜の山中に住んでいるのに、海が珍しくなくなってきてしまったあたりでやっと自覚が出てきた。
前から気になっていた三浦のプロペラ型風力発電施設を見学する。
実は巨大建造物好きでもあるため、モビルスーツくらいに背の高い(といってもザンスカール製くらいだけど)大きな風車がぶんぶん回っているのを下から見上げていると、その迫力にうっとりしてしまう。よく見ると、ブレードの先端はすごい速度で圧力のかかった空気を切っているのがわかって面白い。近くによると視界が圧倒されてしまい、風車の大きさが実感できないのが、逆に楽しかった。
ところで昼食をとった三崎口は漁港である。そしてマグロ料理で有名なところだ。なので昼間はどこの店も混む。
空いているという理由で適当にはいった店は、壁面に龍虎のタペストリーや、レーザーカラオケセットなどがあったりするとゆー、かなり持ち崩した感じのする飲み屋風だったが、だされた「漬け(づけ)丼」はすごく美味かった。漁港というのは、どこもこんなにうまい魚が食べられるものなのだろうか。うらやましいことである。
四人で海を見ながら、あるいはファミレスでデザートを食べながら、いろいろ報告する。
田舎暮らしのこと、ゆっこさんのこと、これからの書店のこと。
できれば、応援してくれた関係者には、こうして直接会っていろいろ話をしたかったが、実際にできたのは彼らとくらいだった。このあと渋滞の関係で、えるらさんとは別れてしまったのが残念だったが、ファミレスではちゃんと話ができてよかった。
天野の都合で桜木町まで送ってもらった帰り道に、KAZZさんの相方さんと、漫画の話でもりあがる。
ここ数年の少コミ(小学館の雑誌「少女コミック」とか「Cheese」)はいったいどうなっているのかとか、他の漫画と明らかに一線の越え方が違うというか、レディコミなみに青少年問題なんですがだいじょうぶなのかとか、これのせいで変な規制がかかったらいやだなあとか、それでも売れているのが情けないとか、そんな話をしているうちに、桜木町についた。
手を振って、車を見送る。
KAZZさんと、相方さんとも、去年の夏以来でちゃんと再会できた。
次はいつ会えるだろう。いつもそうかんがえる。これが最後になるかもしれないと、毎回かんがえる。
でも。
最後だと思ったあとでも、こうしてまた会うことはできているのだ。
だから、我々は、その気にさえなれば、いつでも会うことができるのだと思う。
そう思う。
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■ 2003.07.06_03
holy 「東京渋谷・横浜桜木町オフ会・16 『イベントの帰り路線』」
電車の時間にあわせて休憩し、切符を予約しておいた夜行列車に乗り込む。
持ち帰ったのは、三崎口で買ったマグロの塩辛と、中華街で買った包(ぱお)である。
でも、こんなの街では着れないなあ、どうしようかなあ。
と考えながら紙袋をごそごそやっていると、「この夜行列車に乗り遅れたお客様のために、臨時に停車いたします」とのアナウンスがあった。予定になかった駅で、しばらく電車がとまる。
迷惑な人がいるなあと思っているうちに、どうやら件のお客様が乗り込んできたようだ。停車中の静かな客車通路を、騒々しい足音が近づいてくる。
その姿を見てか、夜行列車独特の疲れた空気が、ほんのすこしざわつく。
乗り遅れて夜行列車を止めたのは、四人の若い女性だった。
そして、ひとりはゴスロリで、ひとりはスーツで、ひとりはメイド服で、ひとりは赤いランドセルを背負っていた。一列になってガコガコと靴音を響かせ行進する彼女らの痛ましい勇姿に関しては、(ゴスとランドセルは明確に憶えているものの)私の記憶が確かならばという条件が付くが、むしろ幻覚の類だったほうがまだマシと思わないでもない、目を覆いたくなるような状況ではあった。
あー、そういえば三連休だしなんかイベントがあったんだろうなあとぼんやり考える。「街で見かけた」というレベルではなく、電車内という日常の限定空間でしかも四連発という、ここまでインパクトのある見せ方をされると「着替えてこい」とかいうまっとうな感想が出ず、ただ、この服装で電車まで止めちゃうんだから、別に包(ぱお)くらい着ても迷惑という点ではまったく問題ないよなあ、と疲れも相まってよくわからない理屈を頭の隅に浮かべる程度だ。失笑のただよう車内の空気を感じつつ、わたしは連日の疲れもあって眠りにおちていった。
この旅行ではじめて利用した大垣夜行。ある時期の別名を「コミケ列車」
日本で最も痛ましい路線と言われる年二回のオマツリ時期の「ムーンライトながら」は、そのすじでは有名な交通手段である。
しかし、単発的なイベントがあった日にも、これはこれでイタい列車のようだった。
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■ 2003.07.08 tue 「新居のレイアウト」
オフ会から帰ってきて、今回もやはり強行軍だったせいか寄る年波のせいか、まる一日を寝てすごしてしまった。
情けないと思いながら体力の回復を確認し、気持ちを引き締める。あと数日で、書店への復帰なのだ。
とりあえず、うずたかく積まれたままになっている段ボールから生活用品を発掘し、机を設置してPCおよびネット環境の準備をする。
だが、かつて一軒家のひろさで思うさま散らばらせてあった荷物を、ここでは12畳に収納するわけである。眼前にそびえる険しい荷物の山をみて「これがどこに入るのだろう」と、途方に暮れたりもする。かなりシビアだ。部屋の機能を活かし、目的性を明確にした、合理的で整合性のとれた無駄のない配置を模索しなければならないだろう。そして優先順位をハッキリさせ、気分にレイアウトを左右されないように心がける。そうでなければ、この部屋に持ち込んだ大量の荷物は、決して収まりきるまい。
もちろんそういう前提で、引っ越しする前から決めていた優先順位は用意してある。
ちなみに最優先事項は
鉄騎コントローラーおよびモニタ・本体の位置である。
目的性が明確なことこの上ない。
当時のメモ帳にもこう記載されている。
「他のことはどうでもいいから、とりあえず鉄騎使用環境を確保」
コントローラーの寸法を想定しながらの作業は楽しかったが、ただでさえ無理のある部屋模様の設定は困難を極めた。
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■ 2003.07.10
thu 「新居の環境」
洗濯物を、ベランダに干してみる。
新居は残念ながら西向きなので、午後からの方が乾きがよかったりするが、クロカワのころには高い山に阻まれて見られなかった夕陽が直接みられるので、この環境は悪くない。おまけに住居が9階で、ここより西には高い建物がないことなど、夕空鑑賞のロケーション的には最高である。
マンションの9階というのは、はじめて住んだ環境なのだが、いろいろ面白い。
先の地べたを這いずる人間どもを見下す危険な精神状態を楽しんだりするのもそうだが、まず虫が入ってこないことに気がついた。藪や、小川(といっても汚い水路だが)などが流れている地上からは高度がありすぎて羽虫の類が上がってこられないのだ。それくらい高いせいもあって、地上を走る車の音などもほとんど聞こえてこない。とても快適である。
ただ、集合住宅なので無理もないが、水が不味い。長良川という水源を持っている県民として、ペットボトルの水を買うのがバカらしいとおもっていたが、ここに来てちょっと手を出すようになっている。クロカワで身に染みたが、やはり飲料水環境というのは重要だとおもった。機会があったら浄水器を手に入れよう。
だが、クロカワとくらべて良い点は、なんといっても街があることだ。
本は勤務店で買うとして、食料品などをいつでも買いに行けるのがありがたい。クロカワではどんなに遅くても7時までしかどの店も営業してなかったが、このあたりの食料品スーパーは9時までやっているし、ジャスコなどは11時まで営業している。
遅くなっても買い物に行けるという環境は計画性を喪失させるだろうし、人間がダメになりそうなのが恐いなあ、などと考えながら、買い物ついでに、エレベータで地上に降りた。
便利な環境というのは悪くはないが、それでもいつの間にかそれが当たり前になっていることがある。
そして、そういう環境でなくては生きていけなくなる、というのはとても不自由なことだと思う。
都市にでも田舎にでも高級住宅にでもボロ屋にでも、どこにでも気兼ねなく気後れなく当たり前にすめる自由な人間でありたい。そして環境で変わらない人間でありたいものだ。
環境に感謝はするものの、変に依存したり、過分な機能を要求して不平を抱くようなことなしに、自由に生きていたいと、そう思う。
さて余談だが、先述の9階という環境と同じく、エレベーターが生活に密着しているのも初めてのことである。毎日これを利用しているわけだが、そのたびにかならず、特殊な操作で行ける特殊な階が存在してはいまいかと、エレベーター内の操作盤を眺めながらつい考えてしまう。
ためしに「↑↑↓↓←→←→×○」とでも打ってみようかとおもったが、エレベータのコンソールにはそもそも「スタートボタン」がないので諦めた。
せっかくサイバーな街なのだから、コナミコマンドで昇降速度がマックスになるとかそういう気の利いた機能のひとつもあるべきだと思うがどうだろう。
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■ 2003.07.12
sat 「岐阜県美濃地方」
岐阜県は南北で標高があまりに違うこともあって、地名が二分されており、北部が「飛騨地方」、南部が「美濃地方」と呼ばれている。
岐阜県は、おおざっぱに三つ葉のような形をしており、上の一葉が飛騨地方、下の二葉を美濃地方に例えることが出来る。ところで下の二葉は東中西とさらに三分され、東濃、中濃、西濃と呼ばれる。(南濃という地方もあるが)
ところでこの「美濃」という言葉が、わたしはけっこう好きだ。
だが、「美しい」はともかく「濃い」というのは、一部の人種を賞讃する特殊な誉め言葉ではあるが、一般的にはややしつこい感じもあるせいか、あまり好印象をもたれていないようである。
ところが、以前書店で働いているとき「美濃ちゃん」という、いま思うと地方自治体ホームページのイメージキャラクターのような名前のアルバイトがいた。
彼女も、やはり一般的な印象のままにだろうか、自分の名前を嫌っており「美しい、はともかく『濃い』なんて名前いやだ」といっていた。無理もないと思う。
だが「濃」という字には、もうひとつの意味があることを御存知だろうか。
ふつうは読まないが「濃か」と書いて、じつは「こまやか」と読む。
うつくしく、こまやかであること。
女性の名としても、地域の名としても、とても佳いと思う。
そのことを説明すると、彼女はちょっと驚いて、そのすぐあとにとても喜んだ。
両親は命名の意図を説明しておかなかったのかとやや呆れたが、彼女同様、この地に住んでいて、意味を知らない人は多いのだろうと思う。
「美濃」という言葉の語源はまったく別にあるのかもしれないが、「うつくしくこまやか」という名を冠した郷土に住んでいることを、住人はちょっとだけ自慢してもいいと思うのだが、どうだろうか。
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■ 2003.07.13_01
holy 「大須オフ会・抱き枕の話」
いよいよ明日から書店勤務というその日に、名古屋でオフ会があった。とりあえず参加する。
しかし本当にオフ会づいている。毎日がオフ会、毎日がパーティー。フランス王妃かわたしは。
自分にツッコミながら上前津の駅出口に行くと、参加者としてmanieraさん、秋月さん(ちょっと前まで「なにか。」さんだったひと)、Wayneさん、(Beeさんは後に合流)そしてなぜか入江さんがきてた。たしか彼は浜松あたりに引っ越したと聞く。あいかわらずオフ会となると神出鬼没のひとである。
ところで、その入江さんは、重度のオーディオマニアだ。
高音質環境になじんでしまい、だんだん耳が肥えてくると、普通の音源やスピーカー環境に我慢ができなくなるのは、音質が分かるようになってしまったものの矜持であり悲劇だが、彼もまたその悲劇性が財政難として実体化してきている人物のひとりである。(なぜか当日の日記参照)
彼と一緒に大須の電気街など歩くと、けっこう大変だ。
ヘッドホン売場などで、しばらく沈黙していたかと思うと、やおら封筒を取りだし、ある事情で手に入ったという「自由に出来る金銭」をそのまま投入して、つい万単位のヘッドホンを購入しそうになる。どう見ても衝動買いである。慌てて止めたのはたしかに余計なお世話だとは思うが、彼の所持する口座の貯金残高は、すでにフタケタまで切れ込んでいるという話を前日に聞いていては止めないわけにもいかない。販売員の舌打ちを背に店を出る。
Wayneさんや秋月さんと会うのは、実は初めてだ。最近はここと「ぱんつ」以外にトモダチいねえのかとか言われそうだが、やはり可憐アンテナでの繋がりである。お二人とも若く、まだまだ純粋という感じであった。
ところで、Wayneさんは、最近「マリみて」を読んだそうである。
「一巻を読んでみて、悪くはないんですが・・・ちょっと・・・」
「うむ、君ももうすこし歪めばこの良さがわかるだろう」
「歪めばって・・・」
「年輩チームは、とりあえずナマ暖かく見守ることにします」
「『マリみて』に関しては、Beeさんも最初は抵抗があったよね」
「でも、だんだんキャラの魅力が染み込んでくると、その違和感も溶けてくるものです」
「なるほど。『とらいあんぐるハート2』のオープニングみたいなものですね」
「・・・・」
「・・・・」
「あれ・・・誉め言葉ですよ?」
大須の電気街でいろいろ買い物をした後、manieraさんの部屋を冷やかしたりしてから「すかいらーく」へ向かう。
例によってとりとめのない話をするのがオフ会というものであるが、オフ会中の会話というのは、いきなり本題から入るケースもあれば、いきなり次の話から始まることもよくあり、また「関係ないですが」と突然話題が吹っ飛ぶので、そのどこかを集中的に抜き出すか、または関連する過去の発言、チャットログなどを流用し、加筆修正しないと日記にのせる文章として成立しないことがよくある。
いままでのオフ会もだいたいそんな感じだったが、とりあえず今回はmanieraさんを集中的にアレしてみよう。
さて、manieraさんといえば抱き枕の人である。あと映画とか怪獣だ。(思えば濃かった最初の出会い参照)
「manieraさん、あのマルチの抱き枕ってコミケで買って家まで持ち帰ったんですか?」
「いえ最初はカバーだけ買って帰って布団を入れてましたあれじつは敷き布団のほうがいいんですよあの重さがいいうなされたり肩こりになりますけど肉体的なダメージがあっても精神的に癒されるからそれでいいんですというかもはや無いと死にますすでに我が生命維持装置です記録によると抱き枕なしの旅行の場合2泊までは生きていられるようですがそれ以上は死にます」
「おお」「すげえ」「このひと本物だ」
「重い方がいいなら、いっそ中身をシリコンにしましょう。それかラテックスラバー」「それは重すぎでは・・・」
「枕の中にいれるのは心音装置と、電気毛布がイイって話ですな」「いえ、マルチは心音しませんし・・・」「あと暑がりなんで、電気毛布はちょっと・・・」「あ、でもコード付きになるのは、ちょっとマルチっぽいかも」
「そうだ、中身に関しては、岐阜県の某樹脂メーカーが開発した、成形すると人間の肉体ソックリの弾力を持つ素材があるのですが、あれ流用できないかな」「モデルグラフィックス誌のライターが『シャレにならねえ・・・』って言ったくらいそっくりな人肌感触だそうです」
「どうですかmanieraさん」「いや、どうですかって言われても」
「この際です、電気毛布の温度も『USB制御ひざかけ』みたいにPCで制御、心音装置と、たまに身動きするギミックとか搭載して、スピーカーも内蔵、各種DVDやゲームから無断でサンプリングした音声(個人視聴目的なので問題なし)をランダム再生、その辺を制御するPCも、いっそ抱き枕の中身である人肌樹脂ボディ内に搭載して『実体ゴースト』にするってのはどうですか!?」
「それはもうすでに『枕』とよべるシロモノではないような・・・」「頭寒足熱完全無視だし」「じゃあ、オーバーテクノロジー気味の湯たんぽって位置付けで」「テクノロジーより以前に萌えがオーバースキルしていそうですが」「あ、この技術で『人工膝枕』ってのもいいかも」
「あの、みなさんの手前勝手なお気持ちはうれしいのですが・・・」「だめ?」
「やはりいまのマルチが一番だとおもうので」
「おお」「すばらしい」「さすが本物だね」
「以前に、夢の中にマルチが出てきましたが夢の中でも枕でしたし」
「おお」「すげえ」「このヒトどこまで本物なんだ」
「それは『私はあなたの抱き枕の精でウィリス』って感じですか」「それはいやだなあ」
「でもキャラクター抱き枕って、純粋なボディピローとしての性能は低いような気がしますね。基本的に平面でないといけないし」
「そんなことはありません。キャラクター抱き枕は、身体よりもココロを癒すのです。」
「おお」「すばらしい」「やっぱり本物だ」
そのほか、中にネコを入れるとか、中に女の子を入れるとか、なんだそれは依存症の一種かとか、秋葉凪樹の掲示板で本人が言ってましたよとか、いろいろ抱き枕について話す。
だが、若い人にはいささか辛い会話だったようだ。
「いや、やっぱりついていけません・・・」
「君たちにはまだ歪みがたりないぞ!」
「いや、そんなの推奨されても・・・」
明日のこともあり途中で抜けたが、大須のオフ会はmanieraさんの部屋に場所を移して続いたそうだ。そこまでつきあえなかったのが、残念である。
ではmanieraさん、最後にサンフェイスさんから贈られた、幸薄いキメ台詞を。さんはい。
「そうだ、私の最後の領地だ」
「ここで生まれ、ここで死ぬ」
「わたしの まるちから はなれろ」
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■ 2003.07.13_02
holy 「スイッチングウィンバック」
オフ会から帰る。名古屋からだいたい一時間ほどで大垣まで帰り着くことが出来た。現在、PM6:30。
明日から仕事である。
だが、どうも身が入らない。オフ会に出たこととは関係なく、いまひとつ「明日から書店の仕事」という感覚がなかった。
ずいぶん離れていたし、一度は切ったはずの世界なので、実感がないのは当然のことである。だが、望んでここまで戻ってきたのに、前日になって波に乗り切れないことに焦りを感じた。
いままで、フラフラしすぎたのかもしれない。こころがピシッと固まらない、ここまできて覚悟がきまらないのが情けない。
でも、ウダウダ考えても仕方がないことである。
こういうときは、なにか思い切った変化をスイッチに、気持ちを切り替えるといいらしい。
そこで、自分で剃るつもりだったヒゲを、床屋さんにあたってもらうことにした。
クロカワを出る前から、三週間のばしてきたヒゲである。すでに味噌汁など飲むときに障害がでていたし、ピザなど食べると口の周りでモッツァレラチーズが直線処理をするようになっていた。
鬱陶しいといえば鬱陶しいそのヒゲが、床屋さんの手による剃刀(かみそり)さばきによって、小気味よい音を立てて消失していく。
蒸しタオルで顔を拭いたとき、そのあまりのスッキリ感につられて、モヤモヤが完全に吹き飛んだ。
よく化粧について「こころを引き締めるものだから、過度でなければしたほうがよい」という話しを聞く。
女性が化粧という儀式で気持ちをピリッと引き締めていくように、男性には仕事に向かう前にヒゲをそる、という行為があるのかもしれない。
ヒゲを剃り、ネクタイを締め、「よし」と呟く。ごく簡単だが、これら精神統一の儀式を、長いあいだ忘れていたのだと思う。
明日きていく服を用意し、袖を通してみた。
ひさしく錆び付いていたスイッチが、バチーンとばかりに音を立てて入る感触。正確には予感。
ヒゲを剃った爽快感とともに、一瞬だけ真っ白になった精神の間隙には、すでに明日からの決意がセットされていたようだ。
その日は安心して眠ることができた。
おまけ
ヒゲは、もとより剃るつもりだった。
接客業であることや、会社の規定ではなく、ただお客様のことを考えるからだ。
一人でもヒゲを嫌うお客様がいるなら剃ってしまおう。お客様のためなら、自分のヒゲくらい安いものだ、とわたしは思う。
接客業では一般にヒゲはやんわりと禁止されている。でもわたしは、仕方がなくではなく、お客様が好きだから剃る。ただ、それだけだ。
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■ 2003.07.14_01
mon 「夏草戦記のおわり」
「あー、仕事はじまるねえ」
「はじまるな」
「そうなると、もう『夏草戦記』って感じじゃないね」
「むぅ・・・」
「どうしようか、次の日記の表題」
「ところで、タイトルをあまりシャレとかでつけてはいけない、とある御大がおっしゃっていたっけ」
「『うる星やつら』を批判してだったかな。で、その御大の言う『うる星やつら』のこうあるべきタイトルってのはどんなふうなんだ?」
「いわく『宇宙人ラム』!」
「そりゃないだろう」
「それはともかく、タイトルは読む前の先入観を決定してしまうから重要だね」
「ううむ」
「たとえば『アフロディーテ』という女神の名前だって、ギリシャ神話の美神という先入観がなかったら、このご時世だと、ソウルフルでファンキーなブラックミュージックの女神ってことになりかねない」
「いや、いくら『アフロ』でも、それは・・・」
「ああ、もうネタはいいから次のタイトルを決めよう」
「思えば最初から変に凝ったコンテンツ名にしないで、単に『日記』とかにしておけばよかったよなあ」
「ふりかえってみると『寝言日記』(二年半)、『寄道余所見』(10ヶ月)、『夏草戦記』(8ヶ月)か・・・」
「どんどん短くなるな」
「この調子だとそのうち毎日日記の名前がかわるかもな」
「いいや、もうこの際だから『天野さんの日記』で行こう」
「なんの捻りもないな」「あとGoogleでも、なぜかちょいヒットするぞ」
「じゃあ『天野さんの頭の中』!」
「あんまり変わらん」
「本質を捉えていていいと思うけどな」
「寝言・寄道・夏草ときて、いまさらそれ?」
「いいんだ、どうせうちにつながるどのリンクをみても、大雑把に『日記』としか記されてないんだから」
「ううむ、最初のうちは『寝言日記は一読の価値アリ』とか固有名詞で書いてもらってたのになあ」
「リンク貼る方も、コロコロ名前が変わるからイラついたんだろう」
「ところで『夏草戦記』っていうタイトルの意味は?」
「クロカワは、夏がいちばん過ごしよい土地だと思ったし、そのときの畑仕事とかが印象的だろうなと思ってつけたんだけど、それより先におわってしまったからなあ」
「でも・・・」
「でも?」
「あそこにいたのはほんとにわずかな期間だったけど、その経験は多種多様な意味合いで自分を高めて、そしてスッキリさせてくれた」
「そのことは、こうして記録にも残せたから自分としては・・・満足かな」
「ほんとに、どれほど多くの思い出が、いまあの地で夏草に埋もれていることか・・・」
「うん」
「でも未練はない」
「・・・じゃあ、夏草戦記はこれでもう終わりだね」
そんなわけで次回からなんのひねりもなく「天野さんの頭ン中」がはじまります。
より脳内度の高まりに高まった日記にご期待ください。(たぶん、あんまり変わらないと思いますが)
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絵描きと管理:天野拓美(
air@asuka.niu.ne.jp
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