■ 2003.06.24_02
tue 「利休さん・らむださんとのオフ会・4」
利休さんが浜辺を歩く。
それに続くようにして、長い砂浜をわたしも歩く。
そして、ふと気がついて振り返ると、らむださんが波打ち際に座っていた。
彼のかたわらには、
先のアレとともに贈られてきたというトレーディングサイズの可憐フィギュア(写真左)。
思わず歩みを止めて、彼の足下をみる。
その汀(みぎわ)には、まるで天使が書いたような天真爛漫な筆跡で、おおきく「おまる」と書かれていた。
みずから刻んだその砂文字が、幾度か目に寄せる大きな波に洗われ、かき消されていく様子を、らむださんは可憐とともに、静かに見守っている。
わたしは、しばし茫然とこの光景を見つめ、つぶやいた。
「この感動的な光景の意味を、日記に書くのは不可能だろうな。コード的に」
とりあえずそっとしておくことにする。
後に聞いた話では「シスタープリンセスリピュア」の第1話で、可憐が波打ち際でスカートを濡らしてしまったシーンを思い出していた、とのこと。( ↓ 某オペラハウス様より無断拝借の画像)
らむださんコメント:「テレビの下に這いつくばって見上げてました」
その後、海を後にし、この辺では有名な神社を見学に行った。
広く、森に囲まれた境内。その空間と静寂が内省をうながす。
それぞれの人生に思いを巡らすには、いい雰囲気である。
だが、らむださんはそのとき「お嬢様喫茶」の企画を考えていた。
「メイド喫茶に続く新たな喫茶店構想ですよ」
以下、らむださんの日記より抜粋
(1)お客は執事・侍従として、お嬢様(ウェイトレス)がありがたくも手ずからおつくりになられたお料理を頂戴する。感想を聞かれてひたすら「美味しい」と答えると、「当然よ」と高笑いされる。
(2)忙しく動き回るメイドウェイトレス達を、お嬢様が優雅にお茶を飲みながら叱り飛ばす。
(3)零落したお嬢様がウェイトレスとして働いている。調理にもサービスにも全く不慣れで無理しているが、唯一例外的に得意な料理・デザートがある。ただし相当気に入られないと何が得意か教えてもらえない。チップを渡されるとややためらう。あまりふざけた客にはむやみやたらに厳しく凛々しく応対する。
「でも、これだとウェイトレスを探すのがむつかしいですね。いったいいくらなら雇えるんだろう」
「らむださん、(3)みたく、ホントに落ちぶれてしまった名家のお嬢様を雇うんですよ!」
「おお、なるほど!」
「で、そのお嬢様が住む部屋は四畳半の賃貸木造アパートなわけですよ。西日がキツイわけですよ。そこに帰ってきて、ひとり侘びしさに涙するわけですよ! うわ萌えー!!」」
「ああ、わたし食べにいきたい」
そんなことを話しながら境内を散策し、階段を登る。
おおきな神社だからか、社務所にはなんと巫女さんがいた。しかも三人。ひとりは文庫本を読んでいる。
無責任な妄想が爆発するらむだ氏とわたし。すでに見境(みさかい)なしである。
「あの巫女さん三人は、三姉妹ですね!」
「いちばん背の高い娘が読んでたのは、きっと『マリみて』ですよ『マリみて』!」
「読んで影響を受けたあの娘は、ぱたんと本を閉じておもむろに妹たちへ『今日からはお姉さまとお呼びなさい』とか言うんでしょうね!」
彼女らの人生とか勝手に弄びつつ境内を退出する。そろそろ日も暮れてきた。
今回は高速バスによる旅行ということもあって、帰りのバスの前に温泉に入っておいた。食事をし、その後、ゲーセンで身体をつかうゲームとかやっておくと、車中でよく眠れるのだ。市内のスーパー銭湯に温泉がひかれているようなので、利休さんと入る。
それにしても、個人情報保護のため場所は特定できないが、遠くまで来たものである。
でも来た甲斐は、大いにあった。
いろんな事情があって書くことはできないが、お二人ともすごく面白い人物だったのだ。
利休さんは、いろんな修羅場をくぐっている人で、話に迫力がある。それに、確固たる世界観を構築して書かれる彼の物語は、わたしも大好きだ。話しも面白い。今回は、時間的にも内容的にも、らむださんより長く話をしたが、書けない内容のものばかりだったので、とりあげたテキスト量的には逆になってしまった。残念である。
らむださんは、温厚であることもさることながら、社会人として俗に染まらず個性的で優秀な人物だと思う。そして実際のところ、かなり真面目である。そのせいか仕事のストレスが起因して反転衝動がおこるのだろう。退勤後は日記に書いたような、かなりみもふたもない人格と化す。決してわたしが上手い具合に誘導しているわけではない。
その証拠に、彼は温泉に入らなかったが、出てきた我々に対して一言。
「ちっちゃいこはいましたか?」
こんなこと、わたしは考えもしねえからだ。
おまけ
わたしは「萌え文集2」の、らむださんの文章(「くるぶしあんよ」名義の:「あんよの日記」)を読んで天才だと思った。
彼のチャットログを読み、あるいはそのチャットに同席してみて、さらに確信した。すくなくとも十人並みの人間でも、凡百のオタクでもないな、と思った。
らむださんは「○○○で○ー○を○○だ」とか「○ょ○!」だとか「○ちゅ○○」だとか、自身のサイト上ではいろいろ痛ましげな独白をしているが、彼自身から受ける印象は、ただ単語の印象として判断されがちな「幼女趣味の人」というわけではない。
こんなことをわざわざ書くまでもなく、彼と実際に会ったり、あるいは彼のテキストを熟読するだけでも、彼のあたたかな人柄は伝わってくると思う。
らむださんは聡明な人物である。性格もいいし、温厚で真面目で、そして楽しい。
彼は、あの穏やかな人柄という土台があるからこそ、ええとなんというかその、とてもここでは書けないようなアレな世界で、とくにネジくれもせず、楽しく遊ぶことができるのだと思う。
今日も彼は、チャットなどで、夜想曲の更新コードを軽くひとまたぎするような言葉を駆使し、みもふたもない世界を作り上げている。他の誰かが言ったら眉をしかめてしまうような話でも、らむださんから聞くととても楽しく、穏やかな世界に感じられるのは、まさしく彼の人徳だろう。
らむださんとも、そして、利休さんとも、また必ず会いたいものである。
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■ 2003.06.25_01
wed 「新居について・1」
前職書店に「どのツラさげて戻れば良いんだろう」と思いつつも面談を申し込み、社長と話す。
復帰はかなった。願ったりかなったりの、超好条件で、ビックリである。
うれしかった。
せっかく家を出たので、実家に戻らず書店の近くに部屋を借りることにする。
今度の職場はテナントに入っている店なので、そのビルの高層階にあるアパートメントが安く借りられるそうだ。(関係者は優先的に入居できるらしい)
復職が決まってすぐに、じつは賃貸契約を進めていたのだが、物件も一度みせてもらい、問題ないようなので借りることにする。いまから契約をすすめれば7月1日から住めるというので、その日に引越を決めた。
この日は、オフ会に向かう前にそろえておいた書類を、不動産管理に提出する日だった。
今度の引越先は、入居に際してけっこう厳しい審査があるため、いろいろ準備が必要なのである。
「ええと、これとこれとこれと・・・」
保証人の印鑑証明など、事前に指示された書類を示す。
担当者の前で、オフ会にも持っていった愛用のカバンをひっくり返していたそのとき、なぜか身に覚えのない
「明日のナージャ・セイカのぬりえ」が賃貸契約書類に混じって突然まろび出る。
「・・・・」
「・・・・」
一瞬、凍結する会議室の空気。
目の前にズラリと揃えられた書類で借りる部屋は「単身者用アパートメント」という、かなり言い訳の余地とか、逃げ場のない類の状況。そこに、ナージャのぬりえである。違和感がスゴイ上に、娘さんのかな? と思いやってもらうこともできないという、純粋に個人の趣味としか認識されえない状況であった。
「こっここここれとこれと、これで必要な書類は全部です」
「え、ええ、それではですね・・・」
その場はなんとか誤魔化して、強引に話をすすめるもさすがに肝が冷えた。
ふと窓の外をみると、らむださんの「してやったり」という感じの笑顔が青空に浮かんで見えていた。
トラブルはそれくらいで、あとの手続きは順調に進んだ。
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■ 2003.06.25_02
wed 「新居について・2」
せっかく2時間半もかけてクロカワから来たわけなので、賃貸契約手続きのついでに、部屋の確認もさせてもらう。
先述のように一度みせてはもらったのだが、クロカワの住居とくらべると、あらためてすごい違いだと思った。
ここは岐阜県のIT産業期待の街らしく、非常にサイバーな建物が林立している。
中央にあるビルなど、このまま変形合体してロボットになると言われて疑いきれないステキな造形だ。その西隣にある入居予定のビルも、かなり立派なものである。入り口は、ライオンズマンション式のドアロック。黒とグレーと青で統一されたバリアフリーの廊下。そして複数のセキュリティが付いたドア(クロカワには鍵すらなかったのに)。部屋はフローリング。かすかにクリーム色な感じの白い壁紙。そして、7.5畳+4.5畳の1DK。ビルごと築一年なので、まだピカピカだ。
ここはそもそも岐阜県が管理する物件であり、それゆえに家賃の補助(らしきもの)がある。収入を基準にある程度の変更幅をもたせる家賃設定制なのだが、鉄工所でのお給金が少なかったため、これがいい感じに効いて、学生アパートなみのかなり安い値段で契約することができた。職場とのY軸的な距離がほぼ0(つまり真下)で、通勤時間が歩いて90秒という好条件。中心街まで車で10分くらいという立地である。おまけに街全体に光ファイバーが蔓延(はびこ)っており、しかも当ビルは全室にLANの端子が設備されているため、無料で高速回線を使いたい放題(ポートが最低限しか開いてないけど)という、かつて夢にみたよーな特典(991003holy 〜 991004mon 参照)までついている。現在はniuサーバーで夜想曲のスペースを持っているし、別にプロバイダと契約するのが無駄だったので、これはとてもありがたい。
部屋に上がり、管理人から話しを聞きつつ、家具をならべる算段をする。
いい部屋だ。一軒家の荷物を12畳に入れるのはそれなりに大変そうだが、書店復帰に際して、ここほど好条件の物件はあるまい。
だが、部屋の中をグルグルとうろつきながら、それでもわたしはある存在の欠乏感に、いまさらながら釈然としなかった。
ここは、かつて大垣に住んでいたことのある火浦功をして「無駄に広い土地」と言わしめた場所で、もとは何もなく田んぼばかりだったときく。
ITバブルからまわりは開発され、ビルが建ち並んだ。そしてこの部屋は地上9階。窓から外を眺めても、街並みと、飛んでる鳥の背中しかみえない。ほとんど空中である。クロカワとくらべて自然がないのは当たり前だろう。
でも違う。
これは、緑がない、というだけの違和感ではない。
学生のころだったら、このたいへん清潔ですごくキレイな部屋に喜んだだろう。
でも、クロカワで古びた木造の家に住んでいると、住環境はそのほうがいいように思えてくる。
たとえ回線がISDNしか通ってなくても、はたらき場所が少なくても、街まででるのに1時間以上かかっても、病院がなくても、冬は死ぬほど寒くても、ネズミが出ようとも、カマドウマが出ようとも、タヌキが出ようとも、ハクビシンが出ようとも、サンタナが転がっていようとも、食料品のスーパーが近所になくても、あってもそこが他店と競争しないために田舎の物価は、実際にはえらく高くても、消費期限の当日商品が三割引にしかならなくても、消費期限が越えてからやっと半額になっても、特価コーナーがまるでズボラな家庭の冷蔵庫深層部みたいな品揃えで乾燥調味料など消費期限を一ヶ月くらいイッていても(住宅に関する愚痴は別の日記でかいたので割愛するとして)それでも、町中にあり、清潔で美しいこのアパートメントよりも、あのクロカワの田舎の方がいい、クロカワのボロ住宅の方がいいと思えてくる。
住居のグレードに差がありすぎること以前に、ずっと新居に感じていた何かの欠落。
クロカワに帰ってきたとき、それはやっとわかった。
言ってしまえばたいしたことではないので、いったん続くことにする。
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■ 2003.06.25_03
wed 「新居について・3」
「マナ」と呼ばれるものがある。
旧約聖書の出エジプト記にある神のもたらしてくれた食糧ではなく、メラネシア語でいう「力」の意味で、ハワイなどの宗教でいわれる自然にやどる神秘の力だ。RPGなどでは魔力の根源であったり、精霊の存在を意味するものであったり、そして自然をよい環境で保持するために存在するエネルギーの一種のように言われている。
ほかに言葉がないので「マナ」という表現を使うが、わたしは大垣の部屋を見に行ったとき、その欠乏感を強烈に覚えた。それは「渇き」に近い感覚だった。
だから、そのままクロカワへ戻ったとき、わたしは感じてしまった。
家に近づくに連れて身のまわりに満たされていく、この、都市とは明らかに違う空気の感触。これこそが「マナ」なのだと。
クロカワで静かにじっとしていると、遠くから虫の声が聴こえてくる。
すぐ近くで泣いている声に紛れて、遠くで泣いている声も。
それは、ほとんど不可聴域の音だけろうけれど、それでもきこえているのがわかる。
コンクリートなどの人工遮蔽物に当たっていない、やわらかな反射。
山々をわたって流れ着いた、遠い遠い虫の声。空気をつたわってとどく、きこえない音。
胸一杯に吸入する大気。木々が吐き出した強く甘い自然の息吹を、ごく間近で、直接すいこむ。肺から全身になにかが染み渡る。そして、おとずれる急速な覚醒感。
山から引いてきた清水を口にふくみ、飲み干す。舌には、水道水によくある微かな違和感すらまったく残らない。もっとも自然な液体が、何の抵抗もなく血流に溶けていく。
触れるもの、聴くもの、吸うもの、飲むもの。なにもかもに、マナが溶けている。あるいはマナを伝え、湛(たた)えている。
単に自然が豊かである、という目に見える違いではない。
ここは、マナがゆたかなのだ。ただそれだけが、わかる。
欠乏感を自覚してはじめて感じ取ったマナの存在。
それだけにここを離れるのが、いまさら残念だと思えた。
わけても、クロカワでも最高にいい季節である夏と秋がまるまる体験できなかったのは、本当に心残りである。さぞやマナの息吹に溢れた季節だったことだろう。
ビジネスの環境としては、比較にならないくらい新居はいい。
だから、クロカワにすむひとは、多くがわたしをうらやむだろう。
だが、彼らは生まれたときからそこにいるせいか、ここの価値というものを、クロカワがいかに素晴らしいところかを、わかっていないように思える。
きっと。
きっと、よその世界からきたものこそが、あの世界の素晴らしさを、わかることができるのだ。
そしてその価値を初めてこころから思い知るのは、きっと、そいつがそこを去るときなのだろう。
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■ 2003.06.26
thu 「『まこみし文庫・秋』の挿絵」
「まこみし文庫」の締め切りが近づいている。(この日記更新してる7/21にはとっくに終わってますが)
まこみし文庫は、年四回季刊発行される同人誌なので、夏号は2月の末に、秋号は6月の末に締め切りが来るのだ。
そして、どういうわけか、天野はこの両方の締め切りにあわせるようにして引越をしている。
今回などは、引越予定日7/1の前日が締め切りという、狙い澄ましたかのようなものすごいタイミングで、メールをチェックしながら妖狐による災禍というやつだろうかとやや真剣に思った。
引越作業があるので、できるだけ早めに作業を進めておきたいものだが、わたしはイラスト担当なので、原作たる小説ができてこないと何もできない。せめて絵を描かないでおいて気力を貯めておくくらいだ。
小説の方の締め切りは、6/20頃。どうあがいても引越準備と被らざるを得ないので、梱包の方を早めに進める。途中、事情を話して担当作家さんに校正前の原稿などを見せてもらうことができたので、やや早めに作業にかかることができた。校正前原稿など見せたくないであろうに、申し訳ない話である。
一度通読し、浮かんできた絵のイメージだけ、ちょこちょことメモする。
ちょっと間をおいて今度は、絵を拾うように熟読。このときは、浮かんだ絵のイメージと、小説的な見せ場と両方あわせて8枚分ほどラフをとる。扉絵をつけるので、できれば小説の中頃か終わりの方のシーンを描いた方が、ビジュアルが散るのでいいだろう。そのへんと、あとは自分の実力で破綻無く描ける絵かどうか考え、製作時間を鑑みて四枚を選出する。
二日ほどで、なんとかラフだけできた。
とりあえず、作家さんに「こんなんできました」という感じで送っておく。
礼節のようだが、実際には「土壇場で内容を変えるときに、参考にしてもらうため」だ。作家さんもいろいろ気を遣ってくれるので、手探りよりはいいと思う。
四枚ということもあるし、ラフの段階でできるだけ寝かせておいた方が問題も浮かんでくるので、ちょっと絵を休み、企画発起人のせいるさんとチャットで話をした。
「これ、いつか日記かコンテンツで書こうと思ってたことなんですけど、まこみし文庫(の製作)って、ゲームでは語られなかった美汐さんと真琴の幸せな生活を、みんなで具体的に存在させるという、愛というか、暖かい善意の行動だと思うんです」
「原則、本編では美汐さんは弱った真琴しか知りませんからねぇ」
「この二人を、みんなで よってたかって幸せにしようとしているのが、なんか微笑ましいというか、美汐さんと真琴がいるとしたら、こんな風に幸せに存在することを積極的に認めてるというか。それがなんか嬉しくて参加してます。あと、本をつくる、という具体的な行動がいいですよね。愛というのは行動してなんぼですから」
「構想事態は二年前からあったんですけど。そのころは、力がなくて。今頃ようやく、といったかんじ。>愛の具現化」
「わたしも二年前だったら、いまのような画力はなかったなあ」
仕上げの絵を、引越をおして、段ボールに囲まれた部屋で描いている。
いろいろ忙しいが、その甲斐は、充分にある企画だと思う。
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■ 2003.06.27
fri 「誕生日」
いま第一線で、実力派として活躍している人物には、意外に年齢の近い人が多い。
以前に日記に書いた秋山瑞人という小説家は、1971年生まれ。わたしよりひとつ年下だ。(天野は1970年生)
連載は終わってしまったが「ヒカルの碁」を描いている漫画家・小畑健は、1969年生まれ。わたしよりひとつ年上だ。
ともにプロとしての実力者であり、その年齢の近さから絶望的な憧れを抱かせる芸術家である。
だが、私が「年が近い」という点で、もっとも驚愕したのは、1969年6月15日生まれの、オリバー・カーンだった。
オリバー・カーンは、FIFAワールドカップで一躍有名になったドイツのゴールキーパーである。
一年以上も前の話で恐縮だが、わたしはサッカーやワールドカップのことなど特に興味はなかったものの、この強烈な人物のことだけは一発で好きになった。
対韓国戦のときのインタビューがいい。(以下転載)
記者団のインタビューを受けたオリヴァー・カーンは、次の試合で再び韓国寄りの判定が下されるのではないかという問いに対し、「審判は自分の任務を自覚していると考えている。もしそうでなかった場合には、試合開始10分でゴールを決めて、それが認められなければその10分後にまたゴールを決めるまでだ。それも駄目なら30分後にゴールをもう一つ決める」と勝利への決意を語った。
「どれだけシュートを打たれようと関係ない。全部止めれば良いだけだ。」
この記事には惚れ惚れとした。オリバー・カーンはかっこいい。そして実力も、世界一と讃えられるほどのゴールキーパーだ。
彼は、その容姿が「北斗の拳」のラオウ様に酷似しすぎているあたりから世紀末(いつのだ)覇王とか、霊長類最強とか、「毎試合敵チームを壊滅させるサッカーマシーン」とか、「実は人間だった」と衝撃スクープされるなど、いろいろ美味しいところを得していると思う。
彼はいろんな面白いエピソードを持っていて、一番すきなのが
子供がワンゴール入れるたびに1000マルクが寄付されるというチャリティイベントでゴールキーパー役を務めた際も、
見事0点に押さえ込んだという完璧主義者(むかし、ちゆニュースで見た)
という話。
会場のいたたまれねえ雰囲気が凄かったことだろう。
世界一のショットストッパーに、その辺の妥協とか、軽々しい要領のよさは関係なかったのだ。
彼の本質は、仕事を懸命にこなす男なのだと思う。
そして、決勝のブラジル戦で、指を負傷しながら戦ったオリバーカーンは、敗北の原因は指の故障ではないと語った。
言い訳をしない男だった。
このときより以前に残した、彼の名言にいいのがある。
「勝負が人々の心を掴むのは、時々素晴らしい敗者がうまれるからだ。
その存在は、世界中のあらゆる物事に敗れた人々の心を打ち、
未来への希望となるのだ。」
こんな人物が、自分よりひとつしか違わないのが恐ろしいくらいだが、同時に、今日からこれくらいのことが出来る年齢になるということだ。いまいい年齢に生きているんだな、と思う。
2003年のこれから、なにができるかが、楽しみだ。
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■ 2003.06.28
sat 「こっとんぱんつの偉い人」
せいるさんと会った。
引越先や不動産管理への書類提出などで、このごろ頻繁に下界におりてくるついでである。
ところで、先述のまこみし文庫のイラストだが、実は一枚つまっている絵があった。
小説担当の七瀬氏から送られてきた今作は、だいたいのところ、スカートめくり万歳夕映え白ぱんつ最高という趣旨の物語で、しかも美汐さんと真琴との二連発である。なんど読み返しても、この盛大な「まくり」こそ本編の目玉であるのは疑うべくもなく、まさかこれを描かないわけにはいかない、というのが絵師であるわたしに突きつけられた現実であった。
すっぽんぽんを描くには、どういうわけか何の抵抗もないのだが、こう「ぱんつ」とか「スカートめくり」とかいう扇情的なナニに関しては、やはり、ちょっと照れるというか、越えてはいけない一線のような危機感があったのだ。
じつはラフだけは描いてあるのだが、これを使ったものかどうか、思案しているところである。
先日もチャットでせいるさんと話をした。
「いや、せっかくの『ぱんつ』なのに、やっぱりこう描くのに抵抗があって」
「ほう」
「それに、資料とかもないですしねえ」
このチャットの翌日、機会があって、せいるさんと会う。
まこみし文庫の作業をねぎらい、製作について語らうためだ。
だが、彼からは喫茶店で席につくなり
「はい、天野さん。これ、頼まれていたもの」
といきなり「ファッションセンターし@む@」の袋を渡される。あけてみると中には
純白の幼女ぱんつ。
袋を覗き込んだまま、しばし自失する。
あーそういやそんなこともいったよおでもさあべつにかってきてくれとかいったおぼえないんじゃけどなあそれにしてもこれひょっとしてせいるさんじぶんでかってきたんかなあれじくぐってなあと平仮名で考えているうちに、せいるさんがあわただしく弁明をはじめた。
「いや、ほら、天野さん、資料が欲しいって言ってたじゃないですか! だからですよ!」
「だからって・・・」
「べべべつに、嬉しそうな顔してかったわけじゃないですよ!?」
「いや、そんなフルオープンな笑顔で言われても説得力ないです」
「こっ こっ これはアレですよ、そのええと」
「プロデューサーとしてのお仕事?」
「そそそそそそう! まさにそう! ものすごくそう!」
「ふーん」
「プロデューサーとしては、こう、やむをえない仕事なわけですよ!」
「へー」
「深い意味なんてぜんぜんないんです!」
「そう」
「あの、天野さんさっきから机のしたで何かやってるのって、ひょっとしてメモですか? 右肩がピクピク動いてるんですけど」
「ああ、気にしないでください。もう手元とかみないでメモ取れるレベルになったんで、机の下とかで人知れず記録とか取れるんですよ。いやーそっかー、でもせいるさんが嬉々として幼女ぱんつ握りしめて領収書の発行おねがいしているところが、こうまざまざと目に浮かびますわ」
「ななにをおっしゃいますか! これは資料ですよ資料! 領収書の但書にも『資料』ってあるでしょ! アレですよアレ! あと『幼女ぱんつ』ではなく『小学生のおにゃにょこ用ぱんつ』ですっ! そのあたりお間違えのないように! なお、中学二年生までのちっこい子なら穿(は)けます」
「いえ、あの、名称とか対象年齢とかはともかく、ホントに領収書かいてもらったんですか・・・」
「うっ・・・!」
「まあ、それはよしとしまして」
「わかってもらえましたか!」
「なんでこのぱんつ二枚も入ってるんですか? ナニ用のつもりなんです?」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・あの」
「世間一般にはあ!」
「うわビックリした」
「『まこみし文庫は ぱんつ文庫』などと呼ばれていますがあ!」
「ああ、はいはい」
「本来は、美汐さんと真琴の幸せこそがテーマの文庫なんです!」
「はあそうですね」
「でも、偉い人にはそれがわからんのです!」
「いや、ぱんつの偉い人に言われてもなあ」
「そうだ、この場を借りて私信を。文月さん書いて! ぱんつ書いて! もはやあなただけだまこみし文庫でぱんつ書いてない人は!」
「やはりぱんつは必須ですか」
「そう! って、ああいやあのちがいます! ぱんつは本文庫のコンセプトではありませんが大事なものです!」
「結婚と恋愛のちがいみたいなものですか」
「そそそそうです! さすが天野さん言葉に重みがある!」
「もしくはバーベキューの具と串の関係かな。で、ぱんつが全編を通す串と」
「そう、加えて言うならばテーマは幸せ! そしてツールがぱんつなんです! まこみし文庫のぱんつは萌えガジェットとして重要な意味があるのです!」
「せいるさんの場合は、幸せとぱんつ、両方あってこその人生ですもんねえ」
「そうです! 幸せなぱんつこそわが人生! それは白く! そして木綿であるべきなのです!」
「具体的だなあ。ところで幸せなぱんつって、一体・・・・・あの、聞いてませんね」
「いやもう、店に入って確かめたりするんですが、デザインは萌えるくせに、いざ手に取ってみると『ナイロンかよ!』って。あれふざけてますよね!」
「そ、それはちょっと変態なのでは・・・?」
「綿であるべきなんですよすべからく! あの指紋のみぞにひっかかる感覚! (記憶の反芻)(溜め)・・・すばらしい! 微かな触感だけで素材を当ててしまう人体の驚異は、まさにこっとんぱんつの感触を味わうべく進化したのです!」
「そんだけのためですかい」
「そして、ぱんつ萌えは非常に正統な、ただしい萌えです!」
「ただしい萌え・・・。いやもうどんどん脱線しているような・・・まあいいですけど」
「なにせ必要最低限度の実用品ですよ、ぱんつは! 人類最後の着衣ですよ!」
「くつしただけは脱ぐなって人もいますけどね。金子先輩(「団長ちゃん」)とか」
「くつしたなんて、別に無くても日常生活のなかでそれほど困るものでもないでしょう! そこへいくとぱんつは重要です! これは人間の防衛本能に直結しているのですよ! これに萌えることは人間としてより根元的な存在意義に関する・・・」
「・・・関する?」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・あの、天野さん」
「うん」
「いまの全部削除してください」
「だめー。いまごろ正気にもどってもだめー」
だいたいこんな感じで、まこみし文庫は造られている。
これ以降も、この満員の喫茶店において、テーブルを踏み台にしかねない勢いで、580円(税別)の幼女ぱんつ(え? ああ「小学生のおにゃにょこ用ぱんつ」ですかすみません)を褒めちぎるせいるさんの妙な迫力におされ、結局、ぱんつの絵は描くことになってしまった。まあ、時間もないしラフの段階で存外にイイできだったので、せいるさんに推してもらった感じである。
そしてその絵は、夏コミで販売される「まこみし文庫・秋」に載せられる予定だ。
(「まこみし文庫 秋」は、コミックマーケット64・8/17(日)「西1ホール の-16a」にて発売予定です)
(夏号バックナンバー(増刷かかりました)はメロンブックスなどでの店頭販売予定ですので、この機会にぜひどうぞ)
乞う、ご期待である。
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■ 2003.06.29
holy 「眺めのいい部屋」
7/1に迫った引越の前に、何度か大垣へ行く用事があったので、ついでに初音(忘れてる人も多いと思うけど愛車のネイキッド)でいくつかの荷物を運んでおく。
なにせ、クロカワへの引越はハイエース一台で収まったが、向こうでいろいろと買い足したり、後に実家から持ち込んだものなどで、だいぶ荷物が増えていたからだ。本番の引越でもハイエースを使うつもりなので、確実に溢れる分を、こうして事前に移している。管理人の善意で、部屋は数日前から空けてもらえることになったので、比較的近所になったmasterpieceさんを呼びつけて手伝ってもらう。他にもこの日は、調べてきた家具の寸法が部屋にきちんと入るかどうかのチェックなどもした。
「これだけ運べば、当日は大丈夫でしょう」
「環境が変わるから、いろいろ買い足さなきゃ行けないものがあるでしょうね」
「そうそう、アレ買って、アレやらなきゃ・・・」天野がつぶやく。
「アレ?」
「そう、ええとまず、ブラインドと、ブランデーグラスと、葉巻と、偉そうな椅子と、
あとバスローブ!」
「・・・?」
「これ全部揃えて、9階のこのものすげえ『街を見下ろす』感じな部屋から、毎晩のように
『ククク、人がゴミのようだ・・・』
って呟くの! グラスに半(なか)ばほど満たした麦茶(お酒のめないし)を転がしながら!」
指さす天野につられて、masterpieceさんの首がギギギと動き、窓の外を向く。
夜になれば、きらめくパッションフルーツな感じになりそう街が、眼下にひろがっていた。
「あっ そうだ、ヒゲのばさなきゃ! しかも口ひげだけ! こう、いやらしくカールさせて! うひゃひゃひゃ! 長年のユメがかなうなあ!」
「・・・・」
「そうですね」などと相槌もうてないでいるmasterpieceさんの迷惑そうな笑顔が引きつっていた。
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■ 2003.06.30
mon 「戦記の終わり・6 『予行演習』」
クロカワは、本当にいい環境だと思う。
ここにすんでいると、おおよそストレスらしいものを感じない。
癒されっぱなしな上に、その感覚がすでに麻痺している。
なので、自分が癒されているという自覚がない。
ストレスがないという自覚すらない。
振り返れば、ここでの生活は本当に天国だった。
だが同時に分かっていた。天国とは、この年齢で入っていく世界ではない。
まだ何かができる人間は、なにかをしなければならないという。
だから、ここでのあまりにも安楽な生活のなかで、わたしは「もう一度しぬほど働きたい」と思っていた。
わたしはまだ、その何かを成し遂げていないから。
ここに来る前のことを思い出す。
「あくせく働かないでも、日本人は暮らしていけるはず」
夏草戦記のころ、それを理想とし、そういう生活を求めた。
驚いたことに、それはあった。
今日までわたしがこの地でやってきた生活がそうだ。もちろん子供がうまれ、養育費がかかるようになれば、もっと稼がなければなるまい。だが、それでもここでなら、充分すぎるほど楽に暮らしていけると思った。それは、わたしにはまだ早かったようだが。
クロカワに越してきたときの荷物で、まだ荷解きもしていない段ボールだってある。
そんなあっというまな時間で得られたことは、この一言につきてしまうが、
思った通りの理想郷が現実に存在すること
を、この目で見、この身体で生活し知ることができた、ということ。
住んでみなければ良さがわからないここに、彼女をつれてこられないのがやはり残念だ。
ここでの生活はここまで。つづきは、老後になるだろう。
となると結局、ごく初期の考えの通り「定年してから田舎暮らし」というプランに落ち着いてしまいそうだ。
だが、これをいきなりやるのは実際のところ大変だったと思う。これだけ若くても、飛び込んでいくのには勇気が要ったのだ。実家の手伝いや、周りの環境で子供のころに田舎暮らしや農業従事を通過した人ならともかく、商家に育ったわたしには、いまここで予行演習をしておく必要があったのかもしれない。
「癒された」とか「理想郷を確認できた」とか、あげく「予行演習」だとか、手垢のついた言葉で語れば「人生のためになった」とか、もっともらしい言い訳だし、まったく都合のいい解釈だ。夢をあきらめて、ここを出ていくというのに。
でも、段ボールに囲まれたこの部屋で、頭をつかわずに、しみじみと思うのは、ただ
やりたいことをやらないのはうそだ
ということ。
興味本心だったが、冗談半分ではなかった。やってみたいと思った。それをやれた。それだけだ。おかげで、スッキリした。飛び込んでみてよかった。大変なときもあったけど、得たものに比べれば問題ではなかった。
いろんな人に迷惑がかかったけど、ものすごく楽しかった。
ほんとうに、楽しかった。
引越前夜の、晴れやかな寂しさ。
マナが湛える静寂。
参加賞のような、お粗末な達成感。
それでも楽しかった128日間。
星の綺麗なクロカワ。
水の美味しいクロカワ。
ひとがやさしかったクロカワ。
離れがたい、クロカワ。
明日は、さよならだ。
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