2003.06.21 sat 「ジャガイモの収穫」


このころは雨天が続いており、休日で晴れたとなれば今日しかないと、
ジャガイモの収穫を行った。
うちのジャガイモは、5月の中頃からポツポツとちいさな花が咲き始めていたが、それが枯れて茎に力のなくなったいまころが収穫時期らしい。
掘り返すのが大変なせいだろうか、園芸書には「晴天が続いた日に掘れ」とある。しかし、書店復帰の日取りもあり、引越は7月1日と決めたので(その後もクロカワには何度か行くことになったが)、そう悠長なことも言っていられない。
社長に挨拶し、二重構造になった頑丈な段ボール箱を持って、芋掘りを開始する。道具は軍手のみだ。

本当はもうすこし後期の方がいいようだが、やむをえずの早まった収穫である。そのためか、やや実が小さい。
社長が途中で収穫を見に来た。小粒を見て唸(うな)る。
「雑草がはえすぎた」とのこと。たしかに、土寄せのとき以外は、雑草を抜いてないので、ぼうぼうに生えていた。これに栄養がとられたため、ということだろう。

社長は、
雑草をきれいにとる派だ。そちらの畑にはいつも食物以外の植物しかなく、とてもきれいである。
だが、わたしはモノグサだったせいもあるが
「畑に草が生えるのは自然なこと」という意見が好きで、野放しで育ててみたかったのだ。なので、この結果で満足している。
社長の言も、除草の怠慢を責めるのではなく、わたしに
大きな収穫をもたらせてやりたかった悔しさから出た言葉だと思う。


久々の快晴の中、疲れたら休憩しながら、ゆっくりとジャガイモを掘っていく。

それにしても、
ミミズと蜘蛛(くも)がすごい。
ミミズは土を肥やすし、蜘蛛は虫を食べてくれるから、
これらが多いのはよい畑であると聞く。ちょっとうれしい。
特に、ミミズはどれもまるまると肥えていて、一本いもの茎を引っこ抜くだけで、
ウドンなみのものがウヨウヨ出てきた。なかにはソーセージ級の大物もいて、ちょっとミミズにみえないくらいだった。気の小さい蛇が逃げ出すくらいの大きさである。

最初こそ驚いたが、この生き物がいっぱいの畑で一心に土を掘るというのは、
実にたのしかった。すごく気持ちいいのだ。
ふと、
こんなに何も考えずに気分のいい時間というものが、ここへくるまでにあっただろうか、と思う。ここで畑をやっていて、なんども抱いた感慨だ。ちょっと疲れたらすぐ土手で横になるのだが、それがまた問答無用の強烈すぎる気持ちよさで、そのたびに、ここを離れるのがやはり身勝手ながらも残念に思えた。

箱を引っ張りながら、一本ずつジャガイモの茎を引き抜いていく。
そら豆ほどの小物もたくさんあったが、なかには握り拳ほどもある大物もあり、それ以外のほとんどがその中間サイズという、まあ皮を剥くとしてもさほど苦ではない大きさの芋ということもあって、5箱の段ボールはすぐにいっぱいになった。

その日のうちに、キタアカリ(男爵)とメークインとをわけ、そのなかのちいさな芋は除けておいた。あとは陽のあたらない冷暗所で、できるだけ浅い段ボールをつかって芋を積まないように保存する。陽を避けるのは、感光すると芋が緑色になって味にエグ味がでてしまうためだ。

昼飯を食べて休憩した後、とりあえず鉄工所のみなさんに芋を配った。社長が自分で作っていることもあり、こちらのご家族には最初ことわられたが、けっきょく笑いながら受け取ってもらえた。向こうにしてみれば、わざわざジャガイモをもらう必要性はない。なにせ、しばらくすれば食べきれないほど収穫されるのだ。それでも受け取ってもらえたのは、
わたしがここにいたことの証として認めてくださったという、そういう意味だと思う。好意として、それがうれしかった。


家に帰って、ウズラの卵ほどのちっこい芋を食べてみる。
なにせ新ジャガなので、皮ごと食べられるのがうれしい。まるごとよく洗って、茹でてマヨネーズやバターをつけて食べてみた。


うまーっ!!


叫んだ。

ついさっきまで土ン中で栄養すってただけはある美味さだった。
ジャガイモのくせに甘かった。

これを食べるためだけにここに来たと言い切ってもいいくらいにはうまかった。



ちょっと泣けた。






ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。




2003.06.23_01 mon 「利休さん・らむださんとのオフ会・1」

  
※ オフ会の様子はこちらでも(利休さんサイド ・らむださんサイド  まとめて読む場合この24日以降 )




利休さんと会った。

利休さんは、
たいへんよく働くひとだ。
脳内オフ会の時に、
108時間連続勤務と書いたが、先日も53時間はたらいたというし、その直後、ほぼ連続で38時間はたらいたそうだ。

65日連続出勤ってこともあったっけ」と彼はサラリと言う。「そのときは同僚と競ってたんだけど負けた。彼は68日だった」

「あの、それは修学旅行などで、
友人と旅行中の睡眠時間の少なさを競うことがありますけど、あれの凄まじいバージョンでしょうか・・・」

「いまは大丈夫。むかしはもっと働いていて、
月に520時間ってこともあったし」

「あの、
1ヶ月というのは、30日×24時間=720時間しかないですが・・・520時間?」

「そう考えると、
200時間も休んだんですよね」

「いえ、あの・・・」


上には上がいるものである。
よいこはマネしないように。



利休さんはお仕事のかたわらで、SSなどの物語を書いている。

ところで、まこみし文庫のオフ会のときにも書いたが、小説を書くというのは大変な作業だと思う。
「一本の小説を書き上げる」というハードルが、わたしには、なかなか越えられない。

だから、ちゃんと小説として一本の物語を書きあげている人というのはスゴイと思う。その後、プロの作家としてデビューした人など、とくにそうだ。

プロとアマの評価の違いについて、前にちょっと書いた。
アマ作家に対する感想や評価は、おおよそ
「ほめる」方向に偏るようだ。否定的な意見はあまり積極的にもたらされない。それを言う使命の関係者がアマにはいないからだ。
それに対して、プロ作家に対する使命者であるところのプロ編集者は、その感想や評価ほとんどが、
まず否定する言葉ではじまると思う。(大先生とかはまた違う世界だろうけど)

否定されるのは、
プロの場合は、つねに最低限度以上のクオリティが求められるからだ。ここをなおせ、ここをもっとよくしろと、なおすべき箇所があれば容赦ない注文がつく。そのわりに具体的な指示は、きっとないのだろう。「もっとよくしろ」とだけ言われて、良くしなければならないのは作家自身だ。手取り足取り教えてくれるものではなく、自力で「いいもの」になおしていくしかない。それができなければ、やっていけない職業なのだろうとわたしは推察している。

アマチュアからプロの世界に入っていく人には、そういう覚悟が必要だろう。
いままで肯定的な感想ばかり受けてきた人が、プロでデビューした途端に、
一転して否定の嵐に晒(さら)されるのだ。
だが、この試練をくぐれば、その作家は一気にうまくなるに違いない。「インフィニティ・ゼロ」という電撃文庫の小説があるが(4巻でねえなあ)あれなど、そのいい例だとわたしは思っている。二作目から急に文章の無駄が減り、キレが出てうまくなったのを見て、
さぞや編集に絞られたんだな、と想像できた。(ホントのところはどうだか知らないが)

ただ、この壁は想像以上に過酷であり、多くの人は潰れていってしまうだろう。
作家というのは、たいてい
とても繊細だからだ。しかし、繊細でない人は、小説など書けないものなのだろう。難しいところである。

プロの作家というのは、すごい。
よいものを作らなければならないのが、プロだ。もちろん商業主義的な思惑もあるが、おおむねクオリティの高いものが、当然のように要求される世界で生き続けていくのがプロある。

だが、同人作家やネットで文章や絵を公開しているアマチュアであっても、いいものを作りたいという気持ちはある。

だから、商業誌であっても、同人誌であっても、
お金を取る以上は、それだけのクオリティを出したいと利休さんはいう。
そして、お金をだしたものであっても、ネットで無料閲覧できるものであっても、
時間をとる以上は、それだけのクオリティを追求したい、と。

とくに小説というのは、完読にかかる時間が長い。
「商業誌でもネットでも、
それだけの時間を読者から奪うのだから」という、「こだわり」であると同時に「責任感」とも言うべきその意識は、ちょっと新鮮だった。


同人誌に編集はない。もちろんウェブコンテンツも。

これらは、
書いた本人だけがダメ出しをできる世界だ。作家が自分で編集者の目も持たなければならず、自作を客観的に見られるその能力を含めて、同人作家の力量は問われるのだろう。
編集を介さないで出版される同人誌のクオリティの高低は、
作者の自己責任によるところがほとんどだ。
作品をつくる実力だけでなく、「ここをなおす」「まだ満足できない」という
基準の高みをもとめる意識(こだわり)や責任感が、最終的なクオリティを決めると言っていいだろう。

同人というのは「いやなら買わなきゃいいじゃないか」という無責任な考えに陥りやすい。
ウェブで言えば「見なきゃいい」だ。もちろん、それで困る人間はいない。ただ、程度の低いサイトや同人誌ができて、作家の時間や持ち金が減るだけだ。

自分のすきな物語を描くのが同人の基本だろう。だが、ただ書きっぱなしではなく、そこに、
ほんの半歩ふみこんだ責任感があるだけで、その物語は初期の想定以上のクオリティを発揮できるだろうと思う。
特にウェブのほうは、利用者側には(ネット環境の整備以外)ほぼ完全に無料であり、製作者側には何の見返りもない分、責任感というのが持ちにくい。でもそれだけに、
製作者の責任感が如実にでる分野であると思う。そしてそれが内容の高度さやクオリティにつながるのだと思う。


プレッシャーかもしれない。だが、
それだけの圧力を受けて生み出される作品は、美しく成形されているにちがいない。そして、自身がどこまでその責任感に耐える器をもてるかは、作家が自分で判断しなければなるまい。そしてそれに耐える力というのが「こだわり」というものなのかも知れない。




おまけ

「天野さんの日記、普通に面白いですよ」

利休さんは、わりとプロ的な視点からきつい指摘をする(と思われる)人なので、この人がいう「普通に面白い」というのは、かなりの誉め言葉であろうと思う。なんだか嬉しかった。







ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。



2003.06.23_02 mon 「利休さん・らむださんとのオフ会・2」


利休さんと会ってから、すぐに、
らむださんと会い、三人でオフ会となる。
このお二人とは、脳内オフ会のときに触れた「可憐アンテナ」つながりで知り合った。
らむださんは
「シスタープリンセス」関係では有名な人で、あちこちのニュース系サイトから、彼の考察にリンクがはられている。わたしの通っていたニュースサイトからもそういえばリンクがはられていて、あとで本人と知り驚いたものだ。

らむださんのことを日記でかくとき「彼についての説明は、
箇条書きにするとただの変態にしか見えないので気をつけてください」と文月さんから念を押された。せつない言い草である。とりあえず忠告を無視して挑戦的に箇条書きで試みてはみたものの「尿瓶」のあたりですでに夜想曲の更新コード(あったのかそんなものが)に引っかかるため、やはり断念する。まあ、いつもどうり、会話記録から人柄を読みとってもらうしかないようだ。


あちこちで食事してから、利休さんの部屋で、いつものようにIRCチャットをする。
チャットできるPCはひとつなので、たとえば利休さんがキーボードを打っているときは、わたしとらむださんで適当なことを話した。

たしか
「ビキニカラテ」の話が出たときだったと思うが、らむださんが瞬時に

「だったら
『スク水カラテ』のほうがやってみたい」と反応する。

「いいですね、スク水カラテ」

「今年はなんか、スクール水着の夏みたいですしねえ」「同人誌即売会とかあるし」

「『スク水カラテは、スクール水着を着用した女の子達が戦う格闘ゲームです』」

「徒手空拳でしょうか」「武器格闘でもいいですよ」

「ビート板で思いっきり
ぱこぱこ殴り合うとか」

「ストレスゲージが限界を越えると、
うわーんと泣きだしてバーサク化し、大回転式の駄々っ子パンチで、前進のみのガンパレード状態になるとか」

「この時点で、すでに
カラテでも何でもないような・・・」

「まあよくある格闘ゲームですが・・・
ナウローディングのときの画面が見所ですよ!」「スク水の下の日焼けラインがみえるような絵があったりするんですよ!」「夏の間、校外ではセパレートの水着を着てて、スク水とはちょっと違う日焼け跡なわけですよ!」「でもほとんど真っ黒なんですよ。じゃあ、いったいどこから白いのかと。えっ この子、どこから日焼けのままなの!? と考えざるをえないようなですね絵をですね」「あと日焼けの皮をそぉっとめくってる絵もいいですね!」「それと、バスタオルを頭にのせて、腰まで塩素水につかってるグラフィックとか!」

「ローディング画面が見所ってことは、ハードは『サターン』かな・・・」

「それにしても、ビキニカラテだとどこにいても違和感すくない(というかどうでもいい)くせに、スク水だとステージ設定が難しいなあ」

「学校のプールに市営プールに海水浴場、あとは、
イベント会場とか、畑の真ん中とかか?」「畑? ああ、メロンちゃんですか」

「ところで、プールサイドのステージでは、
転倒時にダメージ大ですね」「はしっちゃいけませんからね」

「ファイトの途中にあるボーナスステージでは『スイカ割り』ゲームを」

「あと
『塩素ひろい』

「ところで、キャラセレクトからファイトコールまでは、こう、ポンチョとかバスタオルを巻いて、
もぞもぞしながら着替えるわけですよ」

「で、ばっとタオルをとって対戦開始ですね」

「あるいは、
一定の確率によって、体操服で見学、不戦勝とかね」

「・・・・」

「・・・・」

「あの、それって」

「キャラはどうしましょうねっっ」

「ええと、スク水キャラというと・・・」

「まず、
カスミンでしょ? さくら(CCさくら)、スフィーに、・・・あとは、そうイリヤ!(なんか偏ってるなあ)

「ダメージレベルによっては
鼻血が!」「あと2Pでは髪の色が」「あぶないあぶない」

「そして、ラスボスは
伝説の白スク水!」

「あの
透けるという理由で廃止になったの!」

「じゃあ、
キャラは秋子さんね」

「・・・なんで?」

「眼鏡っ娘キャラも欲しいなあ。戦闘時に
ダメージで眼鏡がとれると画面がぼやけるとか」

「髪の長いキャラは、同じくダメージ時に
スイムキャップがとれて長い髪がこぼれ落ちる

「そこ
カットインじゃなくて、ムービーね」

「ゲームのエンディングでは、
なかよく目を洗うシーンを」

「いいですねえ」

「いいですよねえ」

「それにしても、
なんでぼくはこんなことをサクサクと思いつくんだろう・・・

「らむださん、急に我に返って頭を抱えんでください」

「そうだ、これが売れたら、次はかならず
『体操服カラテ』も出しましょう」

「あ、わたし最近アニメのほうの『To Heart 』みたんですけど、体育祭のときの
黒ブルマに黒ソックスの芹香先輩ちょっと良すぎますな! 有罪ですなあの良さは!

「いや、それはともかくとして。さらに
エクスパンションとしてセット販売も! 『スク水対体操服』という夢の共演も可能ってことで!」



この会話はどうも
IRCを通じて実況されていたようで、利休さんは「すげえたのしい」と無言のままコメントを入力していた。

そういえば、若くて教養のある女性のお喋りを聞きながらでなければ眠れないため、金でおちぶれた貴族の娘たちを雇い、ベッドの周りでお喋りさせたというフランスの銀行家がいたと聞くが、
あの状況にちょっと近いかもなあ、となんとなく思っているうちに、チャットの文月さんから「そ、そこに利休さんとらむださんと天野さんがいるんですが・・・? うわ、近くにいるだけで頭痛がしそうなメンバーですねえ」という趣旨のことを言われる。放射性廃棄物みたいな扱いだが、


「ところで、らむださん、
ここ(※ 飲食中の閲覧はご遠慮ください)に書いてあるのってホントですか」

「ええ、この日は
このビールジョッキを片手にホカ弁たべました。さすがに悪酔いしましたが、そのうち花でも生けて窓辺に飾ります」


文月さんにそう言われるのも、ちょっと無理もないような気がしてきた。









ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。



2003.06.24_01 tue 「利休さん・らむださんとのオフ会・3」


明けて翌日。
海無し県の岐阜に住んでいる人間としては、やはり近所に
があるとなれば連れていって欲しいものである。そんなわけで利休さんに案内してもらった場所で、しかし、呆然と立ちつくす自分がいた。


そこには、まるきりそっくりな、
あの海岸があったからだ。

微かな風。そして、ひかえめに騒ぐ波の音。

どうきいても
「AIR」メニュー画面の音響だった。

瞳を閉じればふっと夏の日の、このメニュー画面が浮かぶ。

そしてそれ以上に、このシーズンオフなせいで誰もいない海は、
以前に描いて無言の高評を得たあの連作を思い出させた。

(AIRをやってない人はネタバレなので、見ないようにお願いします)


実際にはまったく別の海の写真を参考に描いたものだったが、それでも「あの絵」以外の何でもない海がここにあった。
資料写真ではよくわからなかった、立体的に刻々と姿をかえる波や、エネルギーが成形する水のかたちが目の前にある。
あの絵は、本当に、ここにあったのだ。
やっと出会えた。そんな感じがした。

急に猛然と絵が描きたくなる。襲うような衝動が一瞬だけ溢れ、そして収まった。
そうだ。わたしはこの海を、すでに絵に描いていたのだ。

いまのわたしがこの海を見て、あのときのわたしがあの絵を描いた。
実際の時間位置は逆転している。でも、
そういう流れの因果律だと思えた。
そもそも絵描きの世界に、時間の概念などありはしないのだ。

だから

 長く続く砂浜に視線をむける。

いまこの海岸に、
わたしは晴子さんの姿をクッキリと見ることができる。

本当に見えていた。重なった世界を同時に視認しているのではなく、
そこにいるように見えていた。
風景の中に、そこにはいない存在の姿を重ね合わせることができているのだ。
下手に話すと痛ましい人よばわりされそうだが、疑えないほどの鮮明さで見える。想像力の問題だと思うが、この海を見て、なにかとつながって、感覚が開花した感じだった。

本当に、いまそこに、
いないはずの幻を仰ぎ見る晴子さんの、そのすがるような笑顔までが見える。

ふっと後ろの堤防をみた。
砂浜へ続く階段に、
リアルなポテト(リアルなポテトって何だろう・・・)が見える。

そしてその上、風のわたる堤防の上。
そこでは、ひとりの少女が手をひろげていた。

観鈴だった。
気持ちよさそうに、しかしひとりで、濡れた翼を乾かす鳥のように、彼女は両手をひろげていた。

やがて、AIRと違う点がひとつあることに気がついた。
ややセピアトーンになっているような気もするが、それ以上に明確な違いがある。

そう、
ここにいる観鈴は、デッサンがちゃんとしていたのだ。

さわれそうな観鈴だった。









ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。




2003.06.24_02 tue 「利休さん・らむださんとのオフ会・4」


利休さんが浜辺を歩く。
それに続くようにして、長い砂浜をわたしも歩く。
そして、ふと気がついて振り返ると、らむださんが波打ち際に座っていた。

彼のかたわらには、

先のアレとともに贈られてきたというトレーディングサイズの可憐フィギュア(写真左)。

思わず歩みを止めて、彼の足下をみる。
その汀(みぎわ)には、まるで天使が書いたような天真爛漫な筆跡で、おおきく
「おまる」と書かれていた。
みずから刻んだその砂文字が、幾度か目に寄せる大きな波に洗われ、かき消されていく様子を、らむださんは可憐とともに、静かに見守っている。

わたしは、しばし茫然とこの光景を見つめ、つぶやいた。
この感動的な光景の意味を、日記に書くのは不可能だろうな。コード的に」


とりあえずそっとしておくことにする。




後に聞いた話では「シスタープリンセスリピュア」の第1話で、可憐が波打ち際でスカートを濡らしてしまったシーンを思い出していた、とのこと。( ↓ 某オペラハウス様より無断拝借の画像)


らむださんコメント:「テレビの下に這いつくばって見上げてました」






その後、海を後にし、この辺では有名な神社を見学に行った。
広く、森に囲まれた境内。その空間と静寂が内省をうながす。
それぞれの人生に思いを巡らすには、いい雰囲気である。

だが、らむださんはそのとき
「お嬢様喫茶」の企画を考えていた。

「メイド喫茶に続く新たな喫茶店構想ですよ」

以下、らむださんの日記より抜粋

(1)お客は執事・侍従として、お嬢様(ウェイトレス)がありがたくも手ずからおつくりになられたお料理を頂戴する。感想を聞かれてひたすら「美味しい」と答えると、「当然よ」と高笑いされる。

(2)忙しく動き回るメイドウェイトレス達を、お嬢様が
優雅にお茶を飲みながら叱り飛ばす。

(3)零落したお嬢様がウェイトレスとして働いている。調理にもサービスにも全く不慣れで無理しているが、唯一例外的に得意な料理・デザートがある。ただし相当気に入られないと何が得意か教えてもらえない。
チップを渡されるとややためらう。あまりふざけた客にはむやみやたらに厳しく凛々しく応対する。


「でも、これだとウェイトレスを探すのがむつかしいですね。いったいいくらなら雇えるんだろう」

「らむださん、(3)みたく、ホントに落ちぶれてしまった名家のお嬢様を雇うんですよ!」

「おお、なるほど!」

「で、そのお嬢様が住む部屋は
四畳半の賃貸木造アパートなわけですよ。西日がキツイわけですよ。そこに帰ってきて、ひとり侘びしさに涙するわけですよ! うわ萌えー!!」」

「ああ、わたし食べにいきたい」



そんなことを話しながら境内を散策し、階段を登る。
おおきな神社だからか、社務所には
なんと巫女さんがいた。しかも三人。ひとりは文庫本を読んでいる。
無責任な妄想が爆発するらむだ氏とわたし。
すでに見境(みさかい)なしである。

「あの巫女さん三人は、
三姉妹ですね!」

「いちばん背の高い娘が読んでたのは、
きっと『マリみて』ですよ『マリみて』!

「読んで影響を受けたあの娘は、ぱたんと本を閉じておもむろに妹たちへ
『今日からはお姉さまとお呼びなさい』とか言うんでしょうね!」

彼女らの人生とか勝手に弄びつつ境内を退出する。そろそろ日も暮れてきた。



今回は高速バスによる旅行ということもあって、帰りのバスの前に温泉に入っておいた。食事をし、その後、ゲーセンで身体をつかうゲームとかやっておくと、車中でよく眠れるのだ。市内のスーパー銭湯に温泉がひかれているようなので、利休さんと入る。

それにしても、個人情報保護のため場所は特定できないが、遠くまで来たものである。
でも来た甲斐は、大いにあった。
いろんな事情があって書くことはできないが、
お二人ともすごく面白い人物だったのだ。

利休さんは、
いろんな修羅場をくぐっている人で、話に迫力がある。それに、確固たる世界観を構築して書かれる彼の物語は、わたしも大好きだ。話しも面白い。今回は、時間的にも内容的にも、らむださんより長く話をしたが、書けない内容のものばかりだったので、とりあげたテキスト量的には逆になってしまった。残念である。

らむださんは、温厚であることもさることながら、社会人として俗に染まらず個性的で優秀な人物だと思う。そして実際のところ、かなり真面目である。そのせいか
仕事のストレスが起因して反転衝動がおこるのだろう。退勤後は日記に書いたような、かなりみもふたもない人格と化す。決してわたしが上手い具合に誘導しているわけではない。

その証拠に、彼は温泉に入らなかったが、出てきた我々に対して一言。

「ちっちゃいこはいましたか?」

こんなこと、わたしは考えもしねえからだ。





おまけ

わたしは「萌え文集2」の、らむださんの文章(「くるぶしあんよ」名義の:「あんよの日記」)を読んで
天才だと思った。
彼のチャットログを読み、あるいはそのチャットに同席してみて、さらに確信した。すくなくとも十人並みの人間でも、凡百のオタクでもないな、と思った。

らむださんは「○○○で○ー○を○○だ」とか「○ょ○!」だとか「○ちゅ○○」だとか、自身のサイト上では
いろいろ痛ましげな独白をしているが、彼自身から受ける印象は、ただ単語の印象として判断されがちな「幼女趣味の人」というわけではない。

こんなことをわざわざ書くまでもなく、彼と実際に会ったり、あるいは彼のテキストを熟読するだけでも、彼のあたたかな人柄は伝わってくると思う。
らむださんは聡明な人物である。性格もいいし、温厚で真面目で、そして楽しい。
彼は、あの穏やかな人柄という土台があるからこそ、ええとなんというかその、
とてもここでは書けないようなアレな世界で、とくにネジくれもせず、楽しく遊ぶことができるのだと思う。

今日も彼は、チャットなどで、
夜想曲の更新コードを軽くひとまたぎするような言葉を駆使し、みもふたもない世界を作り上げている。他の誰かが言ったら眉をしかめてしまうような話でも、らむださんから聞くととても楽しく、穏やかな世界に感じられるのは、まさしく彼の人徳だろう。

らむださんとも、そして、利休さんとも、また必ず会いたいものである。





ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。




2003.06.25_01 wed 「新居について・1」


前職書店に
「どのツラさげて戻れば良いんだろう」と思いつつも面談を申し込み、社長と話す。
復帰はかなった。願ったりかなったりの、超好条件で、ビックリである。
うれしかった。

せっかく家を出たので、実家に戻らず書店の近くに
部屋を借りることにする。
今度の職場はテナントに入っている店なので、そのビルの高層階にあるアパートメントが安く借りられるそうだ。(関係者は優先的に入居できるらしい)
復職が決まってすぐに、じつは賃貸契約を進めていたのだが、物件も一度みせてもらい、問題ないようなので借りることにする。いまから契約をすすめれば7月1日から住めるというので、その日に引越を決めた。

この日は、オフ会に向かう前にそろえておいた書類を、不動産管理に提出する日だった。
今度の引越先は、入居に際してけっこう厳しい審査があるため、いろいろ準備が必要なのである。

「ええと、これとこれとこれと・・・」

保証人の印鑑証明など、事前に指示された書類を示す。
担当者の前で、オフ会にも持っていった愛用のカバンをひっくり返していたそのとき、なぜか身に覚えのない
「明日のナージャ・セイカのぬりえ」賃貸契約書類に混じって突然まろび出る。

「・・・・」

「・・・・」

一瞬、凍結する会議室の空気。
目の前にズラリと揃えられた書類で借りる部屋は
「単身者用アパートメント」という、かなり言い訳の余地とか、逃げ場のない類の状況。そこに、ナージャのぬりえである。違和感がスゴイ上に、娘さんのかな? と思いやってもらうこともできないという、純粋に個人の趣味としか認識されえない状況であった。

「こっここここれとこれと、これで
必要な書類は全部です」

「え、ええ、それではですね・・・」

その場はなんとか誤魔化して、強引に話をすすめるも
さすがに肝が冷えた。
ふと窓の外をみると、らむださんの「してやったり」という感じの笑顔が青空に浮かんで見えていた。


トラブルはそれくらいで、あとの手続きは順調に進んだ。





ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。




2003.06.25_02 wed 「新居について・2」


せっかく2時間半もかけてクロカワから来たわけなので、賃貸契約手続きのついでに、部屋の確認もさせてもらう。
先述のように一度みせてはもらったのだが、クロカワの住居とくらべると、あらためて
すごい違いだと思った。

ここは岐阜県のIT産業期待の街らしく、非常に
サイバーな建物が林立している。
中央にあるビルなど、
このまま変形合体してロボットになると言われて疑いきれないステキな造形だ。その西隣にある入居予定のビルも、かなり立派なものである。入り口は、ライオンズマンション式のドアロック。黒とグレーと青で統一されたバリアフリーの廊下。そして複数のセキュリティが付いたドア(クロカワには鍵すらなかったのに)。部屋はフローリング。かすかにクリーム色な感じの白い壁紙。そして、7.5畳+4.5畳の1DK。ビルごと築一年なので、まだピカピカだ。

ここはそもそも岐阜県が管理する物件であり、それゆえに
家賃の補助(らしきもの)がある。収入を基準にある程度の変更幅をもたせる家賃設定制なのだが、鉄工所でのお給金が少なかったため、これがいい感じに効いて、学生アパートなみのかなり安い値段で契約することができた。職場とのY軸的な距離がほぼ0(つまり真下)で、通勤時間が歩いて90秒という好条件。中心街まで車で10分くらいという立地である。おまけに街全体に光ファイバーが蔓延(はびこ)っており、しかも当ビルは全室にLANの端子が設備されているため、無料で高速回線を使いたい放題(ポートが最低限しか開いてないけど)という、かつて夢にみたよーな特典(991003holy 〜 991004mon 参照)までついている。現在はniuサーバーで夜想曲のスペースを持っているし、別にプロバイダと契約するのが無駄だったので、これはとてもありがたい。


部屋に上がり、管理人から話しを聞きつつ、家具をならべる算段をする。

いい部屋だ。
一軒家の荷物を12畳に入れるのはそれなりに大変そうだが、書店復帰に際して、ここほど好条件の物件はあるまい。

だが、部屋の中をグルグルとうろつきながら、それでもわたしは
ある存在の欠乏感に、いまさらながら釈然としなかった。

ここは、
かつて大垣に住んでいたことのある火浦功をして「無駄に広い土地」と言わしめた場所で、もとは何もなく田んぼばかりだったときく。
ITバブルからまわりは開発され、ビルが建ち並んだ。そしてこの部屋は
地上9階。窓から外を眺めても、街並みと、飛んでる鳥の背中しかみえない。ほとんど空中である。クロカワとくらべて自然がないのは当たり前だろう。

でも違う。
これは、緑がない、というだけの違和感ではない。

学生のころだったら、このたいへん清潔ですごくキレイな部屋に喜んだだろう。
でも、クロカワで古びた木造の家に住んでいると、住環境はそのほうがいいように思えてくる。

たとえ
回線がISDNしか通ってなくても、はたらき場所が少なくても、街まででるのに1時間以上かかっても、病院がなくても、冬は死ぬほど寒くても、ネズミが出ようとも、カマドウマが出ようとも、タヌキが出ようとも、ハクビシンが出ようとも、サンタナが転がっていようとも、食料品のスーパーが近所になくても、あってもそこが他店と競争しないために田舎の物価は、実際にはえらく高くても、消費期限の当日商品が三割引にしかならなくても、消費期限が越えてからやっと半額になっても、特価コーナーがまるでズボラな家庭の冷蔵庫深層部みたいな品揃え乾燥調味料など消費期限を一ヶ月くらいイッていても(住宅に関する愚痴は別の日記でかいたので割愛するとして)それでも、町中にあり、清潔で美しいこのアパートメントよりも、あのクロカワの田舎の方がいい、クロカワのボロ住宅の方がいいと思えてくる。


住居のグレードに差がありすぎること以前に、ずっと新居に感じていた
何かの欠落
クロカワに帰ってきたとき、それはやっとわかった。


言ってしまえばたいしたことではないので、いったん続くことにする。





ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。




2003.06.25_03 wed 「新居について・3」


「マナ」と呼ばれるものがある。

旧約聖書の出エジプト記にある神のもたらしてくれた食糧ではなく、メラネシア語でいう「力」の意味で、ハワイなどの宗教でいわれる
自然にやどる神秘の力だ。RPGなどでは魔力の根源であったり、精霊の存在を意味するものであったり、そして自然をよい環境で保持するために存在するエネルギーの一種のように言われている。

ほかに言葉がないので「マナ」という表現を使うが、わたしは大垣の部屋を見に行ったとき、
その欠乏感を強烈に覚えた。それは「渇き」に近い感覚だった。

だから、そのままクロカワへ戻ったとき、わたしは感じてしまった。
家に近づくに連れて身のまわりに満たされていく、この、
都市とは明らかに違う空気の感触。これこそが「マナ」なのだと。

クロカワで静かにじっとしていると、遠くから虫の声が聴こえてくる。
すぐ近くで泣いている声に紛れて、遠くで泣いている声も。
それは、ほとんど不可聴域の音だけろうけれど、それでもきこえているのがわかる。
コンクリートなどの人工遮蔽物に当たっていない、やわらかな反射。
山々をわたって流れ着いた、遠い遠い虫の声。空気をつたわってとどく、きこえない音。

胸一杯に吸入する大気。木々が吐き出した強く甘い自然の息吹を、ごく間近で、直接すいこむ。肺から全身になにかが染み渡る。そして、おとずれる急速な覚醒感。
山から引いてきた清水を口にふくみ、飲み干す。舌には、水道水によくある微かな違和感すらまったく残らない。もっとも自然な液体が、何の抵抗もなく血流に溶けていく。
触れるもの、聴くもの、吸うもの、飲むもの。なにもかもに、マナが溶けている。あるいはマナを伝え、湛(たた)えている。


単に自然が豊かである、という目に見える違いではない。

ここは、マナがゆたかなのだ。ただそれだけが、わかる。


欠乏感を自覚してはじめて感じ取ったマナの存在。
それだけにここを離れるのが、いまさら残念だと思えた。
わけても、クロカワでも
最高にいい季節である夏と秋がまるまる体験できなかったのは、本当に心残りである。さぞやマナの息吹に溢れた季節だったことだろう。


ビジネスの環境としては、比較にならないくらい新居はいい。
だから、クロカワにすむひとは、多くがわたしをうらやむだろう。

だが、彼らは生まれたときからそこにいるせいか、ここの価値というものを、クロカワがいかに素晴らしいところかを、わかっていないように思える。

きっと。

きっと、よその世界からきたものこそが、あの世界の素晴らしさを、わかることができるのだ。

そしてその価値を初めてこころから思い知るのは、きっと、そいつがそこを去るときなのだろう。







ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。




2003.06.26 thu 「『まこみし文庫・秋』の挿絵」


「まこみし文庫」の締め切りが近づいている。(この日記更新してる7/21にはとっくに終わってますが)

まこみし文庫は、年四回季刊発行される同人誌なので、夏号は2月の末に、秋号は6月の末に締め切りが来るのだ。
そして、どういうわけか、天野は
この両方の締め切りにあわせるようにして引越をしている。

今回などは、
引越予定日7/1の前日が締め切りという、狙い澄ましたかのようなものすごいタイミングで、メールをチェックしながら妖狐による災禍というやつだろうかとやや真剣に思った。

引越作業があるので、できるだけ早めに作業を進めておきたいものだが、わたしはイラスト担当なので、原作たる小説ができてこないと何もできない。せめて絵を描かないでおいて気力を貯めておくくらいだ。

小説の方の締め切りは、6/20頃。どうあがいても引越準備と被らざるを得ないので、梱包の方を早めに進める。途中、事情を話して担当作家さんに校正前の原稿などを見せてもらうことができたので、やや早めに作業にかかることができた。校正前原稿など見せたくないであろうに、申し訳ない話である。

一度通読し、浮かんできた絵のイメージだけ、ちょこちょことメモする。
ちょっと間をおいて今度は、絵を拾うように熟読。このときは、浮かんだ絵のイメージと、小説的な見せ場と両方あわせて8枚分ほどラフをとる。扉絵をつけるので、できれば小説の中頃か終わりの方のシーンを描いた方が、ビジュアルが散るのでいいだろう。そのへんと、あとは自分の実力で破綻無く描ける絵かどうか考え、製作時間を鑑みて四枚を選出する。

二日ほどで、なんとかラフだけできた。
とりあえず、作家さんに「こんなんできました」という感じで送っておく。
礼節のようだが、実際には「土壇場で内容を変えるときに、参考にしてもらうため」だ。作家さんもいろいろ気を遣ってくれるので、手探りよりはいいと思う。


四枚ということもあるし、ラフの段階でできるだけ寝かせておいた方が問題も浮かんでくるので、ちょっと絵を休み、企画発起人のせいるさんとチャットで話をした。

「これ、いつか日記かコンテンツで書こうと思ってたことなんですけど、まこみし文庫(の製作)って、
ゲームでは語られなかった美汐さんと真琴の幸せな生活を、みんなで具体的に存在させるという、愛というか、暖かい善意の行動だと思うんです」

「原則、本編では美汐さんは弱った真琴しか知りませんからねぇ」

「この二人を、みんなで
よってたかって幸せにしようとしているのが、なんか微笑ましいというか、美汐さんと真琴がいるとしたら、こんな風に幸せに存在することを積極的に認めてるというか。それがなんか嬉しくて参加してます。あと、本をつくる、という具体的な行動がいいですよね。愛というのは行動してなんぼですから」

「構想事態は二年前からあったんですけど。そのころは、力がなくて。今頃ようやく、といったかんじ。>愛の具現化」

「わたしも二年前だったら、いまのような画力はなかったなあ」



仕上げの絵を、引越をおして、段ボールに囲まれた部屋で描いている。
いろいろ忙しいが、その甲斐は、充分にある企画だと思う。






ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。



2003.06.27 fri 「誕生日」


いま第一線で、実力派として活躍している人物には、意外に
年齢の近い人が多い。

以前に日記に書いた秋山瑞人という小説家は、1971年生まれ。わたしよりひとつ年下だ。(天野は1970年生)
連載は終わってしまったが「ヒカルの碁」を描いている漫画家・
小畑健は、1969年生まれ。わたしよりひとつ年上だ。

ともにプロとしての実力者であり、その年齢の近さから
絶望的な憧れを抱かせる芸術家である。

だが、私が「年が近い」という点で、もっとも驚愕したのは、1969年6月15日生まれの、
オリバー・カーンだった。

オリバー・カーンは、FIFAワールドカップで一躍有名になった
ドイツのゴールキーパーである。
一年以上も前の話で恐縮だが、わたしはサッカーやワールドカップのことなど特に興味はなかったものの、この
強烈な人物のことだけは一発で好きになった。

対韓国戦のときのインタビューがいい。(以下転載)


記者団のインタビューを受けたオリヴァー・カーンは、次の試合で再び韓国寄りの判定が下されるのではないかという問いに対し、「審判は自分の任務を自覚していると考えている。もしそうでなかった場合には、試合開始10分でゴールを決めて、
それが認められなければその10分後にまたゴールを決めるまでだ。それも駄目なら30分後にゴールをもう一つ決める」と勝利への決意を語った。

「どれだけシュートを打たれようと関係ない。全部止めれば良いだけだ。」


この記事には惚れ惚れとした。オリバー・カーンはかっこいい。そして実力も、世界一と讃えられるほどのゴールキーパーだ。
彼は、その容姿が
「北斗の拳」のラオウ様に酷似しすぎているあたりから世紀末(いつのだ)覇王とか、霊長類最強とか、「毎試合敵チームを壊滅させるサッカーマシーン」とか、「実は人間だった」衝撃スクープされるなど、いろいろ美味しいところを得していると思う。

彼はいろんな面白いエピソードを持っていて、一番すきなのが

子供がワンゴール入れるたびに1000マルクが寄付されるという
チャリティイベントでゴールキーパー役を務めた際も、
見事0点に押さえ込んだという完璧主義者(むかし、ちゆニュースで見た)

という話。
会場のいたたまれねえ雰囲気が凄かったことだろう。
世界一のショットストッパーに、その辺の妥協とか、軽々しい要領のよさは関係なかったのだ。
彼の本質は、仕事を懸命にこなす男なのだと思う。

そして、決勝のブラジル戦で、指を負傷しながら戦ったオリバーカーンは、敗北の原因は指の故障ではないと語った。
言い訳をしない男だった。

このときより以前に残した、彼の名言にいいのがある。

「勝負が人々の心を掴むのは、時々素晴らしい敗者がうまれるからだ。
 その存在は、世界中のあらゆる物事に敗れた人々の心を打ち、
 未来への希望となるのだ。」




こんな人物が、自分より
ひとつしか違わないのが恐ろしいくらいだが、同時に、今日からこれくらいのことが出来る年齢になるということだ。いまいい年齢に生きているんだな、と思う。

2003年のこれから、なにができるかが、楽しみだ。









ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。




2003.06.28 sat 「こっとんぱんつの偉い人」


せいるさんと会った。
引越先や不動産管理への書類提出などで、このごろ頻繁に下界におりてくるついでである。

ところで、先述のまこみし文庫のイラストだが、実は一枚つまっている絵があった。
小説担当の七瀬氏から送られてきた今作は、だいたいのところ、
スカートめくり万歳夕映え白ぱんつ最高という趣旨の物語で、しかも美汐さんと真琴との二連発である。なんど読み返しても、この盛大な「まくり」こそ本編の目玉であるのは疑うべくもなく、まさかこれを描かないわけにはいかない、というのが絵師であるわたしに突きつけられた現実であった。

すっぽんぽんを描くには、どういうわけか何の抵抗もないのだが、こう「ぱんつ」とか「スカートめくり」とかいう扇情的なナニに関しては、やはり、ちょっと照れるというか、越えてはいけない一線のような危機感があったのだ。

じつはラフだけは描いてあるのだが、これを使ったものかどうか、思案しているところである。
先日もチャットでせいるさんと話をした。


「いや、せっかくの『ぱんつ』なのに、やっぱりこう描くのに抵抗があって」

「ほう」

「それに、資料とかもないですしねえ」


このチャットの翌日、機会があって、せいるさんと会う。
まこみし文庫の作業をねぎらい、製作について語らうためだ。
だが、彼からは喫茶店で席につくなり

「はい、天野さん。これ、頼まれていたもの」

といきなり「ファッションセンターし@む@」の袋を渡される。あけてみると中には







純白の幼女ぱんつ。







袋を覗き込んだまま、しばし自失する。

あーそういやそんなこともいったよおでもさあべつにかってきてくれとかいったおぼえないんじゃけどなあそれにしてもこれひょっとしてせいるさんじぶんでかってきたんかなあれじくぐってなあと平仮名で考えているうちに、せいるさんが
あわただしく弁明をはじめた。


「いや、ほら、天野さん、
資料が欲しいって言ってたじゃないですか! だからですよ!」

「だからって・・・」

「べべべつに、
嬉しそうな顔してかったわけじゃないですよ!?」

「いや、
そんなフルオープンな笑顔で言われても説得力ないです」

「こっ こっ これはアレですよ、そのええと」

「プロデューサーとしてのお仕事?」

「そそそそそそう! まさにそう! ものすごくそう!」

「ふーん」

「プロデューサーとしては、こう、やむをえない仕事なわけですよ!」

「へー」

「深い意味なんてぜんぜんないんです!」

「そう」

「あの、天野さんさっきから机のしたで何かやってるのって、
ひょっとしてメモですか? 右肩がピクピク動いてるんですけど」

「ああ、気にしないでください。
もう手元とかみないでメモ取れるレベルになったんで、机の下とかで人知れず記録とか取れるんですよ。いやーそっかー、でもせいるさんが嬉々として幼女ぱんつ握りしめて領収書の発行おねがいしているところが、こうまざまざと目に浮かびますわ」

「ななにをおっしゃいますか! これは
資料ですよ資料! 領収書の但書にも『資料』ってあるでしょ! アレですよアレ! あと『幼女ぱんつ』ではなく『小学生のおにゃにょこ用ぱんつ』ですっ! そのあたりお間違えのないように! なお、中学二年生までのちっこい子なら穿(は)けます」

「いえ、あの、名称とか対象年齢とかはともかく、ホントに領収書かいてもらったんですか・・・」

「うっ・・・!」

「まあ、それはよしとしまして」

「わかってもらえましたか!」

「なんでこのぱんつ
二枚も入ってるんですか? ナニ用のつもりなんです?」

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・あの」

「世間一般にはあ!」

「うわビックリした」

『まこみし文庫は ぱんつ文庫』などと呼ばれていますがあ!」

「ああ、はいはい」

「本来は、美汐さんと真琴の幸せこそがテーマの文庫なんです!」

「はあそうですね」

「でも、
偉い人にはそれがわからんのです!」

「いや、
ぱんつの偉い人に言われてもなあ」

「そうだ、この場を借りて私信を。文月さん書いて! ぱんつ書いて! もはやあなただけだまこみし文庫でぱんつ書いてない人は!」

「やはりぱんつは必須ですか」

「そう! って、ああいやあのちがいます! ぱんつは本文庫のコンセプトではありませんが大事なものです!」

結婚と恋愛のちがいみたいなものですか」

「そそそそうです! さすが天野さん言葉に重みがある!」

「もしくは
バーベキューの具と串の関係かな。で、ぱんつが全編を通す串と」

「そう、加えて言うならば
テーマは幸せ! そしてツールがぱんつなんです! まこみし文庫のぱんつは萌えガジェットとして重要な意味があるのです!」

「せいるさんの場合は、幸せとぱんつ、両方あってこその人生ですもんねえ」

「そうです! 
幸せなぱんつこそわが人生! それは白く! そして木綿であるべきなのです!」

「具体的だなあ。ところで幸せなぱんつって、一体・・・・・あの、聞いてませんね」

「いやもう、店に入って確かめたりするんですが、デザインは萌えるくせに、いざ手に取ってみると
『ナイロンかよ!』って。あれふざけてますよね!」

「そ、それはちょっと変態なのでは・・・?」

「綿であるべきなんですよすべからく! あの指紋のみぞにひっかかる感覚! (記憶の反芻)(溜め)・・・
すばらしい! 微かな触感だけで素材を当ててしまう人体の驚異は、まさにこっとんぱんつの感触を味わうべく進化したのです!」

「そんだけのためですかい」

「そして、ぱんつ萌えは非常に正統な、ただしい萌えです!」

「ただしい萌え・・・。いやもうどんどん脱線しているような・・・まあいいですけど」

「なにせ
必要最低限度の実用品ですよ、ぱんつは! 人類最後の着衣ですよ!」

くつしただけは脱ぐなって人もいますけどね。金子先輩(「団長ちゃん」)とか」

「くつしたなんて、別に無くても日常生活のなかでそれほど困るものでもないでしょう! そこへいくと
ぱんつは重要です! これは人間の防衛本能に直結しているのですよ! これに萌えることは人間としてより根元的な存在意義に関する・・・

「・・・関する?」

「・・・・」

「・・・・」

「・・・・あの、天野さん」

「うん」

「いまの
全部削除してください」

「だめー。いまごろ正気にもどってもだめー」



だいたいこんな感じで、まこみし文庫は造られている。

これ以降も、この満員の喫茶店において、
テーブルを踏み台にしかねない勢いで、580円(税別)の幼女ぱんつ(え? ああ「小学生のおにゃにょこ用ぱんつ」ですかすみません)を褒めちぎるせいるさんの妙な迫力におされ、結局、ぱんつの絵は描くことになってしまった。まあ、時間もないしラフの段階で存外にイイできだったので、せいるさんに推してもらった感じである。


そしてその絵は、夏コミで販売される「まこみし文庫・秋」に載せられる予定だ。

(「まこみし文庫 秋」は、コミックマーケット64・8/17(日)「西1ホール の-16a」にて発売予定です)
(夏号バックナンバー(増刷かかりました)はメロンブックスなどでの店頭販売予定ですので、この機会にぜひどうぞ)


乞う、ご期待である。








ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。




2003.06.29 holy 「眺めのいい部屋」


7/1に迫った引越の前に、何度か大垣へ行く用事があったので、ついでに初音(忘れてる人も多いと思うけど愛車のネイキッド)でいくつかの荷物を運んでおく。

なにせ、クロカワへの引越はハイエース一台で収まったが、向こうでいろいろと買い足したり、後に実家から持ち込んだものなどで、だいぶ荷物が増えていたからだ。本番の引越でもハイエースを使うつもりなので、確実に溢れる分を、こうして事前に移している。管理人の善意で、部屋は数日前から空けてもらえることになったので、比較的近所になった
masterpieceさんを呼びつけて手伝ってもらう。他にもこの日は、調べてきた家具の寸法が部屋にきちんと入るかどうかのチェックなどもした。


「これだけ運べば、当日は大丈夫でしょう」

「環境が変わるから、いろいろ買い足さなきゃ行けないものがあるでしょうね」

「そうそう、
アレ買って、アレやらなきゃ・・・」天野がつぶやく。

「アレ?」

「そう、ええとまず、
ブラインドと、ブランデーグラスと、葉巻と、偉そうな椅子と、
 あと
バスローブ!

「・・・?」

「これ全部揃えて、9階のこの
ものすげえ『街を見下ろす』感じな部屋から、毎晩のように

『ククク、人がゴミのようだ・・・』

って呟くの! グラスに半(なか)ばほど満たした麦茶(お酒のめないし)を転がしながら!」

指さす天野につられて、masterpieceさんの首がギギギと動き、窓の外を向く。
夜になれば、
きらめくパッションフルーツな感じになりそう街が、眼下にひろがっていた。

「あっ そうだ、
ヒゲのばさなきゃ! しかも口ひげだけ! こう、いやらしくカールさせて! うひゃひゃひゃ! 長年のユメがかなうなあ!」

「・・・・」

「そうですね」などと相槌もうてないでいるmasterpieceさんの迷惑そうな笑顔が引きつっていた。








ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。




2003.06.30 mon 「戦記の終わり・6 『予行演習』」




クロカワは、本当にいい環境だと思う。
ここにすんでいると、おおよそストレスらしいものを感じない。

癒されっぱなしな上に、その感覚がすでに麻痺している。
なので、自分が癒されているという自覚がない。
ストレスがないという自覚すらない。

振り返れば、ここでの生活は本当に天国だった。
だが同時に分かっていた。天国とは、この年齢で入っていく世界ではない。

まだ何かができる人間は、なにかをしなければならないという。
だから、ここでのあまりにも安楽な生活のなかで、わたしは「もう一度しぬほど働きたい」と思っていた。
わたしはまだ、その何かを成し遂げていないから。




ここに来る前のことを思い出す。

「あくせく働かないでも、日本人は暮らしていけるはず」

夏草戦記のころ、それを理想とし、そういう生活を求めた。

驚いたことに、それはあった。

今日までわたしがこの地でやってきた生活がそうだ。もちろん子供がうまれ、養育費がかかるようになれば、もっと稼がなければなるまい。だが、それでもここでなら、充分すぎるほど楽に暮らしていけると思った。それは、わたしにはまだ早かったようだが。

クロカワに越してきたときの荷物で、まだ荷解きもしていない段ボールだってある。
そんなあっというまな時間で得られたことは、この一言につきてしまうが、

思った通りの理想郷が現実に存在すること

を、この目で見、この身体で生活し知ることができた、ということ。
住んでみなければ良さがわからないここに、彼女をつれてこられないのがやはり残念だ。





ここでの生活はここまで。つづきは、老後になるだろう。
となると結局、ごく初期の考えの通り「定年してから田舎暮らし」というプランに落ち着いてしまいそうだ。

だが、これをいきなりやるのは実際のところ大変だったと思う。
これだけ若くても、飛び込んでいくのには勇気が要ったのだ。実家の手伝いや、周りの環境で子供のころに田舎暮らしや農業従事を通過した人ならともかく、商家に育ったわたしには、いまここで予行演習をしておく必要があったのかもしれない。





「癒された」とか「理想郷を確認できた」とか、あげく「予行演習」だとか、手垢のついた言葉で語れば「人生のためになった」とか、もっともらしい言い訳だし、まったく都合のいい解釈だ。夢をあきらめて、ここを出ていくというのに。

でも、段ボールに囲まれたこの部屋で、頭をつかわずに、しみじみと思うのは、ただ

やりたいことをやらないのはうそだ

ということ。
興味本心だったが、冗談半分ではなかった。やってみたいと思った。それをやれた。
それだけだ。おかげで、スッキリした。飛び込んでみてよかった。大変なときもあったけど、得たものに比べれば問題ではなかった。
いろんな人に迷惑がかかったけど、ものすごく楽しかった。

ほんとうに、楽しかった。









引越前夜の、晴れやかな寂しさ。

マナが湛える静寂。

参加賞のような、お粗末な達成感。

それでも楽しかった128日間。


星の綺麗なクロカワ。

水の美味しいクロカワ。

ひとがやさしかったクロカワ。


離れがたい、クロカワ。


明日は、さよならだ。










ところでメールフォームを作りました。このあまり意味のないボタンをおすとそっち(入力用のページ)へ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。