■ 2003.03.01
sat「甘酒」
甘酒を飲んだ。
二袋でいくらだったか、正月も過ぎて余ったらしく、妙に安かったので買った。
引越のかなり前に、一袋をあけて作ってみたが、まずくて飲めたモノではなかった。頑張ってみたものの、四半ものめず捨ててしまった。しかし、もう一袋は捨てずに残しておいた。
水が悪かったからだとおもったからだ。
はたして、クロカワの、しかも雪が溶けて山から滑り落ちてきた清水で作った甘酒は、信じられないほど美味かった。
実家の水も、けっして不味いわけではないと思う。東京に住んでいたとき、水道の水に慣れるのに苦労したほどだ。
水と、空気。
食事を美味しくするのは、そういうものの違いなのかもしれない。
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■ 2003.03.03
mon「田舎での仕事さがし」
今日の出来事:いままで持っていた余計な口座の解約など、手続き上の整理いろいろ。
神様にお祈りした。
かみさま、どうか田舎ではありますが、良い仕事が見つかりますように。
願わくば、今度の仕事は、業務とは直接関係ない変な人間関係に悩まされませんように。
万引きなどの犯罪の匂いが日常的にしない仕事でありますように。
瞬間的に胃に2〜3発の穴が開くような、クレームや事件が毎日おきるような仕事でありませんように。
1日に100本もの電話がかかってくるような仕事ではありませんように。
ありとあらゆる方法で交通法規を都合良く解釈しショートカットしても、通勤時間が片道1時間を切れないような勤務地でありませんように。
時給が700円以上でありますように。
8時間の勤務が基本で、定時に帰れますように。
単純な作業の堅実な積み重ねを本質とする仕事でありますように。
そうして出会ったのは、鉄工所の旋盤工だった。
「君がやりたいといっている農業のことは、社長のオレが教えてやる」
「え?」
「畑は、会社の前にあるのを好きなだけ無料で貸してやろう」
「え?」
「道具もひと揃いあるから好きに使っていい」
「え?」
「耕耘機も、それ用のガソリンも、鍬(くわ)や鍬(すき)も、各種肥料も、ぜんぶ自由に使えばいいし、畑の草は、もう刈ってある」
「え?」
「勤務時間は朝8時から(昼食一時間をはさんで)夕方5時までの8時間。その後で、一時間か、日の長い季節によっては二時間、畑をやってかえればいいだろう」
「え?」
「君の借りてる家からなら、うちの会社まで5分くらいだから(4キロで、実際には6分)それなら通勤も楽だ」
「え?」
「まあ、最初はアルバイト時給だが、後々に技術が向上してくれば、男性社員として家族を養っていけるくらいの給料は出せる」
「え?」
「だから、うちで働け」
「ええ!?」
ホントにこれでいいのかと思ったが、当面の生活のためでもあるし、試用で採用してもらった。
手放しで喜べないが、ゆるい条件の仕事で現金収入を得て、畑をやりたい、という前提を考えると、好条件といえば好条件で、向こうから整った環境が飛び込んできたと言える。
ただ、鉄工所というのは、過去の人生に照らし合わせてみても、いくらなんでも畑違いだと思う。とはいえ、接客業やましてや書店など、この辺にはない。クロカワの住人でそういう職業に就いている人は、それこそ二時間くらいかけて片道通勤するほどだ。それを思うと、職業はなんでもいいと思うのなら、鉄工所でやってみるのも、いいかも知れない。
人間やってみればどんな仕事でも、ある程度はできるものだと思う。
とはいえ、工業高校で学ぶような分野の仕事でもあるので、これは理系の仕事だ。文系一本で、そっちの勉強などサッパリしてこなかった身分だから、製図の見方などで悪戦苦闘しそうである。しかし、これが出来ないとは思わない。
ただひとつ。これに魅力を感じるかというと、正直ひかれるものはない。それで、やっていけるだろうか。
いまさら、書店時代の、今日死ぬ、明日死ぬ、と言っていた華やかなりし時代に未練を感じないでもなかった。
しかし、田舎で仕事というのは、市街地で雑誌を見て選べるほど多くはない。うち、この近所で満足な業績を上げている企業は、五指に余る。社長の提示した条件と会社の業績が揺るぎないものなら、この仕事に楽しみを見いだしてみるのも、一興かも知れない。
後から聞くと、定休日は日曜祝祭日のみなので、週休2日を考えていたのでちょっと残念だが(それ以外の休日は、要申請)、まずはこの仕事をしてみようと思う。
そして、後日。
採用以降、毎日ここに通っているが、まだこの仕事のどこが面白いのか、わたしにはどうも分からない。
単一電池ほどの鉄材を、旋盤のチャック(固定爪)にはさむ。社長がプログラムした行程にしたがって、オイルまみれの古びた機械が、高速で回転する鉄材を指定の形状に削りだしていく。プログラムが終了すると扉が開くので、製品の寸法をチェックし、問題がなければ、また鉄材をはさむ。
この繰り返しである。後に、自分でこのプログラム(といってもBASIC以下の簡単なものだが)を図面から起こすようになっていくのだろうけれど、今はなんとも単純な仕事だ。ロボットにでも出来そうな仕事だと思う。
人間でなければならない接客業などとは、まったく違う仕事なので、過去の能力がうまく活かせず、戸惑う日々である。
だが、ここに入ってから、私は自分を戒(いまし)めている。
鉄工所の仕事であるからと、決して馬鹿にはすまい、と。
私は最初、紹介者から「鉄工所の仕事」と聞いたとき、書店業や、管理職、大型店舗の責任者などの過去の仕事と比べて、低レベルなものだと思っていた。製造業の扱いを軽んじていたのだ。
田舎暮らしを考える前までの求職時代には、鉄工所の旋盤工の仕事など、考えてもいなかった。
それはたぶん「こんな程度の低い仕事はできない」と、傲慢な考えを持っていたからではないだろうか。
いまは就職難の時代だというが、それは、多くの人が、わたしと同じように考えているからではないかと、思う。
だが、変なプライドを捨ててしまうと、なんでも仕事はある。
そして私が実感として見いだせないだけで、どんな仕事にも社会的な意味はあり、この妙な縁で入った工場にも、私の人生にとっての意味は、きっとあるのだ。
そして、今日も、一日の仕事が終わった。
「ああ、ここがジオニック社(代表機:ザク・グフ・ゲルググなど)かツィマッド社(代表機:ドム・ゴッグ・ギャンなど)の下請けだったらなあ。いや、この際、MIP社(代表機:ザクレロ あ、ズゴックもここだ)でもいい。」
と愚痴がでないでもないが、まあ、とりあえず、三ヶ月はやってみよう。
その後のことは、その間に考えるさ。
ただ「しかたなくこの仕事をやる」という結論だけは、出すまい。
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■ 2003.03.04
tue 「田舎暮らしの不満な点」
今日の出来事:常時接続整備完了
いまの住処に関して、不満なことはいくつかある。
まずは、なんといっても通信環境だ。さすがに過疎地だけあって、ADSLは通じておらず、ISDNまでである。入居時の手違いでできていなかったフレッツ契約が、先日ようやく受理されたので、さっそく通信速度を測ってみた。
57kbps
7kB/sec
非常に懐かしい数字である。
実家の方では、基地局から遠いものの、ADSLがいちおう通っていて
818kbps
104kb/sec
くらいは出ていた。
あらためて、自分のサイト(夜想曲)の、とくに写真や画像を多用した日記の重さを実感する。ISDN環境の読者さまには、申し訳なかった。
ともあれ、通信速度は、生活自体がそれほど忙しい環境ではないので、別にいいだろう。そのうち慣れる。
つづいて不満なのが、トイレだ。
この家は、いまだに汲み取り式なのである。近所の家は浄化槽を庭などに埋め込んでいて水洗だが、いまのところ引っ越す可能性も高いことだし、高額を出してそこまで改造する気もない。
いまはまだ気温も低いので平気だが、避暑地ながら夏などはどんなことになるか、いまから心配である。
そして、用を足すときに、そっと深淵なる穴底を覗くのだが、これが毎回緊張する。
とりあえず「自由落下坑(ブラジル・エクスプレス)」と名付けたが、こんなところに落ちたら、いかなルノア隊といえども助かるまい。
財布や携帯電話など、トイレには持ち込まないようにしなければ、と強く強く意識する。
不満ではないが、家の四方に、近接して人家がないというのは、ちょっと寂しいながら、いい環境である。誰も聞いてる人がいないので、気兼ねなく音楽がかけられるからだ。
だが、いまの家は門構えなどがなく、道路から引き戸までかなり近いため、人が訪ねてくる気配が分からない。これが意外に危険なのだ。
「天野さん、まえに欲しいって言ってた電話機、もってきたよ」
と、近所の親切な人が、ガラッと戸を開けて訪ねて来た瞬間に、
ちょうど「おにいちゃんロックンロール」のサビがかかっていたりするからである。
「おにいちゃんロックンロール」とは、兄の自慰行為を目撃した妹が母親にその詳細を報告し疑問点を述べるという趣旨の、かなりみもふたもない某ゲームの主題歌である。どこかのニュースサイトで紹介されていたので、ゲームメーカーのサイトから落としてきた試聴版だ。(興味のある方は、ここのここ(下から二段目)からどうぞ)
「ははははいっ ちょちょっちょっと待ってくださいっ」
とてもテキストには出来ないような歌詞がハイテンションで流れるのを慌てて止める。
こういうところが、田舎は油断できない。
そしてこの事件に関連して、もうひとつ不満な点があった。
そう、この家には、内側からかける鍵がなかったのだ。
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■ 2003.03.09
holy 「夜想曲が引越後しばらく更新できなかった理由」
ボンジュール・スケジュール。
1日のスケジュールをふりかえってみます。
05:00 起床・朝食
05:30 「ノワール」鑑賞
06:00 「ガンダムシード」鑑賞
06:30 「ビッグオー」鑑賞
07:00 「キングゲイナー」鑑賞
07:30 「花右京メイド隊」鑑賞・その後出勤
12:10 昼休憩に帰宅し「ちっちゃな雪使いシュガー」鑑賞・昼食・その後出勤
17:00 勤務終了・畑で農作業
18:00 農作業終了・帰宅・夕食
18:30 「まほろまてぃっく」鑑賞
19:00 「りぜるまいん」「朝霧の巫女」鑑賞
19:30 「藍より青し」鑑賞
20:00 入浴時読書「虚無回廊(小松左京)」
21:00 就寝
ど
どうりで更新している時間がないわけだ!
引越をする前の2月18日あたりから、現在でこそ実際の日付に準拠して後追い更新をしてはいるが、4月ごろまで更新はまったくストップしていた。その間、生活の詳細は上記の通りである。(農作業はこのころまだやってないので、実際の開始日付とは違うが)
それにしても、定時に帰れるって、素晴らしい。
8時間はたらいて、8時間ねて、8時間あそんでいる。24時間って、ほんとに24時間なんだな、と思う。
夜想曲を中心にした関係者をざっと見渡してもいても、わたしよりも健康的な生活をしている人間は、ひとりとしていないだろう。(ちょっと申し訳ないような気もするが)そして、半径30キロ圏内において、私よりも充実したアニメ鑑賞生活をしている社会人も、たぶんいないだろう。(いたら友達になってくれ)
そうしみじみと思う。
ところで、同時期に並行してしかも連続でいろんな作品を通過すると、その概念が混ざることがあるらしい。
鉄工所で単純作業など繰り返していると
「アクション!」と叫んでストライクガンダムを操るロジャー・ザ・コーディネイターと、彼に従う和服を着こなす12才の幼妻型アンドロイドメイド・ドロシー(口癖は「あなたたちのえっちは最低だわ。はふ〜ん」)×100人は、巫女服を着た二人の女暗殺者(処女)とともに「きらめき」を探していた。(オープニングはドロシー100人によるキンゲ(キングゲイナー)ダンスと、両手を広げてドロシーを背中に乗せた瞬間に潰れるロジャー)
とかいう物語が勝手に頭の中に合成されてきて困る。
むかしどこかの日記で、ウィザードリィと、アンジェリークと、サルゲッチュを同時進行でやっていたら、守護聖さまを網で捕まえてモンスターに告白しそうになったという話があったが、アレに近いかもしれない。
とはいえ、とりあえず、いい生活を送れている。ような気もする。
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■ 2003.03.10
mon「ちっちゃな雪使い シュガー」
いまごろだが「ちっちゃな雪使いシュガー」を最終回まで見た。
死ぬほど感動した。
泣き濡れた顔でしゃくりをあげながら、わたしは叫んだ。
「いっ (訳:入江さん、ありがとう!)
こっ (訳:こんないいもの貸してくれてホントにありがとう)!」
涙ながらに呟く。
「あなたに対する私のこころのスタンプカードには、また大量のハンコが押されました!(ニニンがシノブ伝CDドラマ化おめでとうございます)」
そして、ガラッと窓を開け放つなり、大自然に向かって、
だれだ「シュガーには萌えない」なんて言った奴はァ!! と叫ぶ。
春前の、まだ寒々とした山嶺に、
そうだよHAY!さん! ぷちこじゃでかすぎるんだよ!
身長が30センチ以上もある女になんて興味はねえんだよねえんだよねえんだよ
とゆー腹の底から出た声が木霊となって、朗々と響いていた。
鉄工所と自宅が近いので、昼に帰ってきては、1話ずつ「シュガー」をみて、そして毎話泣いてる日々が続いた。オタク世間一般では、あまり「シュガー」の評価は高くないらしい。でも、わたしには素晴らしく感動的で、かなりなんでもない話でも、ことごとく泣かされた。
24話の時間の中で育まれた、ヒロインであるサガと、雪使いという妖精・シュガーの結びつき。その日々が、きらめきに満ちていたがゆえに、わかりきったラストへの流れは、抑えきれないほどの、幼いせつなさにあふれていた。
ネタバレになるので、長く語れないが「ねりこちゃん」の話を考える前にこれを見ないでほんとに良かったと思う。見ていたら、絶対に影響されただろう。
そして「終わらないでくれ、終わらないでくれ」とすがるように見た最終回のあと。
久しぶりに、月琴を持つ。
ネットでMIDIを落としてきて、それをMIDIグラフィッカーにかけ、音階を書き写して、シュガーのテーマを弾いてみた。
季節使いであるシュガーが、雪を降らせるときに奏でていた曲。
だから、雪が降る度に、どこかで雪使いがこの曲を演奏しているのだろう。
2月の終わりまで、この近所では雪が降っていたが、さすがにもう雪の生まれる気候ではない。
今年の終わるころ、また雪が降ったら、あの最終回をもう一度見ようと思う。
そして、そのときに、この曲をもう一度、弾いてみようと思った。
おまけ
主役であるサガとシュガーを除くと、一番好きなキャラはグレタである。(フォルテさんといい、自分でも、好みが一般的でないとは思うので放っておくように)
できることなら、グレタのパパかママになって、この子が溺れ死ぬくらいまで愛してみたい、という歪んだ妄想に毎回ひたりながらずっと見てた。ラストの方で彼女はちょっとイイ感じのキャラになるが、それ以前の、このあまったるい物語の中で、ただひとりスパイス役になっていたころから、わたしは彼女が好きだった。
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■ 2003.03.11
tue「畑仕事の開始」
今日やったこと:冬に刈ってあった草を集める・草マルチの準備
ようやく暖かくなってきたので、仕事帰りに畑仕事をはじめるようになった。
手始めに、なにか簡単なものを作ろうと考える。とりあえず、仕事に慣れる必要もあるので、手間のかからないことが条件だ。
となれば、その代表格はなんといってもジャガイモだろう。とにかく手がかからないと昔から聞くし、保存も利く。そして何よりビランデル閣下の大好物というのが、素晴らしい。ところで、火浦功はいったいどうやって生活しているのだろう。とりあえず、この狭いようでけっこう広い畑をブライトサイトと名付けてみた。
今日は、まず冬に刈ってある草を集める作業である。
熊手を使い、畑に放ってある草をかき集める。これは干し草にして、後に「草マルチ」に使うのだ。
「マルチ」というと決まってあるものを想像する人が多数いると思うが、これは正式にはマルチシートというもので(くどいようだが、ベッドシーツでもない)本来は、雑草などが生えるのを防ぐために、畑などの土壌を覆ってしまう黒い薄手のビニールシートのことである。
だが、できるだけ安価に自然農に近くやりたいので、この代用品として干し草を使うのだ。
もっとも、今はちいさな山にして積み上げておくだけである。こうして、中の方が発酵して、干し草の持ってる種が死んでくれるのを待つ。
仕事が終わった後、一時間だけ、この作業を進めている。
ホントに一時間だけ。べつに作業が完了しなくてもかまわないので、無理せずに時間がきたら帰る。続きは、また明日やればいい。
社長の指示に従って、昼間は工場、夕方は畑をやっている。
最初に聞いていた、休む暇のない農業の過酷な実体とは、かなり違う感じである。職業としての農業を、単身でいきなりはじめるのは、やはり無理なようだ。こういう楽なやり方でないと、すくなくとも素人である私には、務まらなかっただろう。
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■ 2003.03.12
wed「耕耘機で二往復」
刈り取った草が少量であればかまわないが、それまで生え放題だった今年はかなり多かった。
これを利して、草マルチとして集めたわけだが、こうして土の見えてきた地面を、今度は耕す作業にうつる。
土は、かなり硬いようだ。以前は田んぼだったとはいえ、なにせ農薬が抜けきるまで何年も放ってあったという土地なので、このへんはしっかり掘り起こさなければならない。
ここで登場するのが耕耘機(こううんき)だ。とはいえ、赤いトラクターの類ではなく、原動機つき乳母車程度のしごく小型なものである。
使い方にコツはあるが、すぐに慣れた。基本的に耕耘機の進むままに任せて、肩の力をぬいて操縦するのだが
なんというか。
たのしい。
土とたわむれる、というか、自然の中でなにも考えずに、また何の過剰な責任感もなしに、ただ耕耘機の手綱を御するだけ、という時間が、とても楽しかった。たのしい、というより「らく」なのかもしれない。このときの私は、たぶん締まりのない顔をしていたと思う。
ところで、むかしは、この作業をぜんぶ鍬(くわ)でやっていたんだな、と思うと、ちょっと衝撃的だ。
これだけ硬い土地を、そんな方法で開墾していくのは、大変な労力だったろう。
たまに出土するゴミや石ころを排除しながら、全面を縦に二往復したあと、横にもう一往復しておく。
本格的に農業をやっている人からみれば、狭い土地だが、いまの自分には、これでも両手両脚で耕せる精一杯くらいの広さだった。そこを、耕耘機の振動に身を任せて、ぼーっと何も考えずに畑を進む。
「『農作業用ザク』っていくらぐらいで開発できるんかなー」
そんなことを考えているうちに、今日も日が暮れた。
寒くなったので、そろそろ帰ろう。
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■ 2003.03.13
thu「流行性感冒」
何も考えてないのに知恵熱が下がらないと思ったら風邪だった。おかしいとは思っていたのだ。頭が痛いのは、たぶんストーブをたいてるからだろうなーと何となく思っていたが、この家は抜群の通気性を誇っており、強風が吹くと家鳴りする上に前髪が揺れるくらいの風が室内に吹く。これで一酸化炭素のせいであるわけがない。やはり環境の変化のせいか体調が狂ったようだ。ううげほごほ。おお、チャットによるとBeeさんの妹さんも風邪か。可哀想に。よし、わたしが風邪の特効薬を教えてやろう。それはズバリ「添い寝」です。これで間違いなし。なに殴られた。しかも、こんどはBeeさんが風邪。うむ、あなたにも教えてしんぜよう。ネギをケツのアナにブチこみなさい。一般に「ホーリーランス」と呼ばれる風邪の治療法です。これで治ります。一発です。なに困る? 貴様、それでも日本の軍人かー! ネギは青いところまでつかってね。さて寝るか。たくさん食べてよく寝るのが実際一番の治療法だからな。ごほごほガサガサ。む、なにか天井裏から物音がする。ガサガサ。これはひょっとしてネズミか。イントルーダーアラート! イントルーダーアラート! 香奈花ちゃん落ち着いてげほげほ。ぬう、齧歯類ごときに我が安眠を妨げられてたまるか。わたしはこれでもぬしらの同朋、ハムスター12匹を地獄に葬った男よ(しかも何もせず)(むしろ愛情をもって飼っていたのに)ガサガサガサガサ。さあ、風邪を押してスーパーで買ってきたぞネズミ取り用の粘着シートを。子ねずみなんかは一列になって行動するからかかるときにはダンゴになってかかるというアレだ。ククク、貴様らただで死ねると思うなよ。ううげほごほ。て、天井裏のほほこりがき気管にげほごほげほげほほ。
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■ 2003.03.14
fri「ペース配分」
今日やったこと:日曜休みなので、このころ、通販と自動引き落としの手続きに困る。あと町内会に出た。じいさんばっかだった。
耕耘機での作業が終わったので、今度は畑の周りに溝を掘ることにした。
雨などが降ったときに、畑の端にある排水路へ水を捌くための堀(ほり)のようなものである。
ここで、はじめて鍬(くわ)を振るう。慣れない作業なので手元が狂うこともしばしばあり、こんなに大変だったのかと、耕耘機の偉大さを思い知った。
その翌日のことである。
「お、俺のシャイニングフィンガーがああっ!」
朝起きると、右手が傍目にも分かるくらいむくみ、手首から先の感覚がうろたえるくらい鈍く、痺れていた。
先日の鍬作業のせいで、どこかに無理な力がかかったのだと思う。
しばらくするうちに、おさまってきたが、とりあえず、長くキーボードを打っていると痺れが酷くなる。絵もかけないかもしれない。とりあえず「まこみし文庫」のイラストの仕事が終わったあとでよかった。
それにしても、鍬を振るうのはホントに大変だと、もう一度思う。今度からは、老人がやるように、ゆっくりゆっくりやろう。
あの日の自分は、一時間以内に全周を終わらせようと、全速力で耕していた。これがいけなかったのだろう。
まだ、社会人時代の「一定仕事量を終了させるのが短時間であるほど善」という、体にしみついたルールに踊らされているようだ。鉄工所の仕事はそうかもしれないが、畑での作業は、少なくとも私に許されている範囲では、そうではない。
人間が、とくにせっかちな日本人が決めた時間ではなく、土と植物と、自身の体がもつ、ゆったりとした時間感覚に従って、手足を動かそう。
たぶん、それが一番、畑作業にはいいペースなのだろうから。
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■ 2003.03.15
sat「時計とカレンダー」
鉄工所の仕事は、五時できっちり終わる。いまのところ残業はない。九時から出勤している人もいるので六時までは工場が動いているが、それ以降はメインの電源から落とすので、やったとしても残業はそこまでだ。(納期によっては、夜間もやることはあるようだけど)
仕事が終わり、タイムカードに打刻をしてから、軍手と長靴に履き替えて畑をいじる。
ここまでは、会社の時間。そして、ここからは、植物の時間、自然の時間に従うよう、自分の感覚をシフトする。
畑から少し下ったところに、電柱が三本ある。ここは谷になっていて、ちょうど西日が射し込むところだ。
数本しか電線を伝えてない柱の、ハンマーヘッドの上にある白い碍子(がいし)が陽光でひかっていて、これが、太陽の移動とともにひとつづつ夜に呑まれていく。最後の一本が闇に包まれ、その向こうにある家の白い壁が陰(かげ)ったら、今日の農作業はおしまいだ。春でもそのころから寒くなる。夏はもうちょっと長く続けられるだろう。これがここの時計だ。
今日は、ふと見上げると、東の空に見事な満月が姿を見せていた。
春の月は美しい黄色をしている。月面にある海の模様もくっきり見えるのは、このあたりの空気がきれいだからだろう。
日本では月面の模様を「ウサギが餅つきをしている」という。西洋では「本をよむ老婦人」に見えるそうだ。実家にいたころは、どちらとも思えなかったが、天空解像度の異様に高いクロカワでは、なるほど、どちらにも見える。個人的には後者の方が好きだ。
はじめて鉄工所の仕事を始めた頃、夜遅くにベランダから空を見上げると、まさしく黒い紙に粉を吹いたような、ものすごい星が見られた。いま思うと、あの晩は新月だったのだと思う。月のあかりがなかったから、星たちがこまやかに見えたのだ。そして、いま端然とのぼる月は、満月である。
ああ、二週間たったのだなあ
豊満な美肢をさらす月を見て、そう実感した。
日の光で時を測り、月の形で日にちを数える。
素敵な暮らしだと思った。
今日は、慣れない時期の連日勤務と、休み時間に敢行したガス代や電話料金などの口座引落の手続きがドタバタして、ちょっと疲れた。
外周に堀を作っているこの畑の前には、4つの山頂がみえる。
それぞれ、隆起の大きさに従って、梓山、千鶴山、楓山、初音山、と名付けた。(「痕」知らない人には何が面白いのかサッパリだと思いますが)
うーん、と、腰を伸ばして山を見上げる。
満月が、梓の乳頭のあたりを越えたら、今日はもう帰ろう。
そんな風に、今日も生きている。
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■ 2003.03.16
holy「天秤」
社長が用意してくれた牛糞が山盛りで届いていた。要するに肥料に使う牛の排泄物だが、乾燥しているので匂いらしいものはまったくしない。とはいえ土でもないので、意識してないと気軽に触ってしまいそうになるので、注意がいる。
「これを『み』で運んで、畑全体に蒔(ま)く感じにして」
と社長が言う。
「み」?
いきなり、そんな農業的テクニカルタームで話をされても
と、困った顔をしていると、社長夫人が説明してくれた。「み」とは竹で編んだ籠の一種らしい。なるほど。納屋にはそれらしい見慣れたものがいくつかあった。これを「み」というのか。
畑に出ていて思う。
鉄工所につとめて二週間になるが、こういう、ひとつのことを考えて、それに集中すればいい仕事でないと、兼業農家というのは無理かもしれないと思った。
同時にいくつもの事態を処理できる人間が、かつては素晴らしいと思っていた。わたしもその理想に応えようとしていたし、そうでないと経費の事情で人員を削減することが、現実的にできなかった。
書店時代は、サイドビジネスという言葉に現実感はなかった。
趣味ならともかく、本業たる仕事をやった上で、その上サイドなどやる時間も気力もないと思っていたのだ。だが、この仕事ならできる。
わたしがやりたかった、ネットと、絵と、文章と、農業と、家庭生活を内包して経済的に支え、負担にならない労働は、その点だけでみれば、ここが理想的だと思う。
田舎で、書店の仕事がしたい気持ちもあった。あるいは農作業で体を使う分、頭脳労働的な職業に就こうかとも思った。でも、鉄工所でよかった。ここは楽だし、なにより、先述の希望をすべて受けとめられる器だ。
ただ、いまだにひとつ、その天秤を支えている自身の手を、放していいものかどうか、迷っている。
今後、この仕事だけをして生涯を終えていいのだろうか、と。
私は、32才でここにきたのが、ちょっと早すぎたと思っているようだ。もうちょっと、全能力を発揮して燃え尽きるまで働ける時期を過ごしておくべきだったかも知れない。それは書店時代に過ごしたはずなのだが、さすがに二年も遊んだあとだと、いくらかでも回復はしていたようだ。もう一度、過酷な充実にもどって潰れるか、考え抜いて決めたはずのここで、新たな道を得るか。
「シスタープリンセス・リピュア( いまごろだけど、なんかはまりそうだよオイ )」みながら
もうすこし、迷ってみようと思う。
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■ 2003.03.17
mon「夕景」
このあたりでは、まだ霜が降りる。(最終的には、4/9まで降りていた)
山盛りだった牛糞を畑全体に均(なら)して、もういちど耕耘機をかける。これで土と肥料たる牛糞を混ぜるのだ。
このあと、別種の肥料を畑にまく。ジャガイモの場合は、根が肥料を嫌う場合があるので、あまりまき過ぎないことが大切だ。そして、もう一度、耕耘機をかけておく。
あとは霜が降りなくなるのをまって、ジャガイモの種芋を植えるのだが、これはまだ先の話だ。とりあえずいまは、種芋を近所の農業用品店で買っておき、できるだけ発芽しないように、家の中で一番寒いところに保存しておく。とりあえず「メークイン(カレー用)」と「キタアカリ(コロッケ用)」というのを買っておいた。
クロカワは、夕景が優しい。
ここは西、というか四方が山なので太陽が隠れるのが早い。
だから、激しい夕焼けは見られない。ちょっと残念だ。わたしはあの情熱的な太陽の光線が好きだったから。
でも、ここの夕景は優しい。山の向こうで、ゆっくりと空が焼けていくのがわかる。
激しさはないが、空気が、茜を一滴ふくんだように色づいていくのが、とても雅だと思った。
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■ 2003.03.21
fri _1「TAKAさんとの出会い」
掲示板に書き込んでもらったのが縁で、TAKAさんと会った。
書店で待ち合わせ「胡蝶蘭」という、おおきなパフェで有名な店へ行く。
名古屋で有名な「マウンテン」ほどではないらしいが、ここもかなり大きなパフェを出してくれる店である。わたしは「ジャパニーズキャノン」という、おはぎがのったパフェを食べたが、それほど大きくはなかった。だが、TAKAさんの頼んだ「ぜいたくパフェ(2500g)」は、隣の席の学生が四人がかりですら処理に失敗していたのを考えると、やはり個人で注文していい商品ではなかったようだ。私も手伝ったが、これは結局、すこし残してしまった。
ところで、TAKAさんは、井上喜久子さんがCDデビューする、ちょい前からのファンである。
女神さまのOVAで本格的に撃沈され以後、敬虔な信者となっているようだ。
「ところで、天野さんって『痕』はやりました?」
「ええ、好きなゲームです」
「千鶴さんっていますよね。わたし大好きなんですが」
「わたしもですよ。最萌えトーナメントで栞と対決したときも、マンデリンさんには悪いなと思いつつ、千鶴さんを応援してました」
「原画集って、持ってます?」
「ちょうど先日購入しました」
「ここの『ラフ原画(千鶴)』のところを見てください。ほら」
そこでは、粗い鉛筆線で描かれた千鶴さんが「チョキしかだせないんですぅ」と発言していた。
「・・・」
「・・・」
「・・・まさか」
「そうです、スタッフがどこまで意識していたかはわかりませんが、これは間違いなく『チョキの神様』です」
「・・・じゃあ」このとき私の声は、すこしかすれていたと思う。
「そう、千鶴さんの声は、裏設定では井上喜久子さんなんですよ!」
井上喜久子さんは、1994年以前のあるとき「チョキの神様」という絶対神からの啓示を受け、その神秘体験以後、ジャンケンではチョキしか出さないことを誓ったという。詳細は、彼女の作詞作曲による賛美歌「チョキの神様」で歌われている通りだ。この曲はベストアルバムにも収録されているので貴様らかならず聴くように。
千鶴さんの声は、井上喜久子さん
千鶴さんの声は、井上喜久子さん
千鶴さんの声は、井上喜久子さん
千鶴さんの声は、井上喜久子さん
千鶴さんの声は、井上喜久子さん
「・・・たっ」
「た?」
「大変だ! すぐ家に帰ってもう一回『痕』やらなきゃ!」
椅子を跳ね飛ばして店を出ようとする私を、TAKAさんがあわててとどめた。
「ええと、『柏木千鶴=井上喜久子』のほかにもですね」
とTAKAさんが話を続ける。いわゆる「俺キャスティング」である。
彼によると
千鶴さん:井上喜久子さん
耕一 :檜山修之さん
「って、08小隊かい」
「檜山さんには、ちょっととぼけた感じでお願いすると思います」
「お願いするって・・・もうそこまで脳内で話が進んでいるんですか」
楓ちゃん:白鳥由里さんか、榎本温子さん
初音ちゃん:岩男潤子さん
「岩男さん、最近きかないけど、どうしたんだろう」
「声優さんとしては、知世ちゃん以来印象があまりないですねえ。歌手として活躍しているようですけど」
「もとセイント・フォーだしなあ」
「ところで、天野の考えだと、楓ちゃんは桑島法子さんで、初音ちゃんは久川綾さんかな。霧香とクロエ(ともに「ノワール」)の声で。特に楓ちゃんは、あの激しい反転を前提にキャスティングしないといけないから、桑島さんならもってこいでしょう」
梓:坂本真綾さん
「ええっ、ちょっと声が細くない?」
「そうですか?」
「梓役なら、平松晶子さんなんか、いいと思うけどなあ」
「ちなみに『マリみて』キャスティングでは、やっぱり祥子さまの声は井上喜久子さんですよね」
「いや、それだと隙と落ち着きがありすぎる。冬馬由美さんか、佐久間レイさんあたりじゃないですか?」
「そのお二人の場合は、むしろ先代の薔薇さまがいいでしょう」
「井上喜久子さんなら、正体不明という意味でも、鳥居江利子(黄薔薇)さまだろうなー」
とにかく意地でも「女神さま」のキャストを流用したいあたりがすでに偏っているが、声優について語らせると、TAKAさんも私もとまらなかった。
「桜井智さんは、いま舞台で頑張ってるみたいですね」
「舞台とか、顔出しする声優さんておおぜいみえますなー」
「そもそも役者という人も多いですからね。戸田恵子さんは、もともと役者だったが、売れないでいたところを富野監督に拾われ、マチルダさんやカララ役で有名になったという話です。『ショムニ』とかでは元来の役者として出てますね」
「役者といえば、ずいぶん前の話ですが、小西寛子さんも声優引退して、舞台一筋になってしまいましたね・・・」
「「はあ・・・」」
ふたりのため息はユニゾンだった。
「ところで、井上喜久子さん目当てで『おねてぃ』みてですね、森野苺にはまってですね。田村ゆかりっていいなあと思っているうちにですね、ギャラクシーエンジェル見てました」
こういうひと手を挙げろ
と天野がこころの中で突っ込んでいると、とつぜん
「ああっ」
と叫んで頭を抱えるTAKA氏。
「ぼくは、あのマンボウモドキが井上喜久子さんだったなんて、エンディングテロップにすら反応せず、完全に見過ごしていたんです!」
うおおおおおぉぉぉ・・・と、唸るようにして、彼は
気の毒なくらい懺悔 していた。
わたしは見てもいなかったのだが。
などど言えたものではない。
実は先日ビデオを借りて、やっとその回を見た。
ギャラクシーエンジェルの第二期「禁断ムニエル魅惑の山かけ」に、マンボウモドキという生物が登場するのだが
「まーんぼーぅ」と鳴くだけのこのチョイ役が、井上喜久子さんなのだ。
「D4プリンセス」の駄犬チロ以来の衝撃だが、その質は全く違う。これは「物語があって井上喜久子さんを呼んだ」のではなく、そもそも「井上喜久子さんにマンボウを演じてもらうため」だけに作られた話なのではないか、そう天野は思った。
「ところで、天野さん。なんでフォルテさんなんですか?」
「なんか、最近どこにいってもそれ聞かれるんですけど」
「いいからいいから」
「フォルテさんは、悲しいことになれているのが魅力なんですよ」
胡蝶蘭での語りは続く。
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■ 2003.03.21
fri _2「私の知らない、初期の記録」
TAKAさんからは、井上喜久子さんにまつわる、いろんな話が聞けた。
ファーストアルバム「優美なおさかな」が出たとき、井上喜久子さんは、当時はまだマイナーながら、全国をまわったそうだ。
そのツアーの全部についていった二人組のファンがいたという。喜久子さんは、彼らを憶えていて、ステージから何度も話しかけたそうだ。よほど嬉しかったのだろう。ただ、彼らを憶えていたのは、
その二人がカッパの格好をして日本中どこにいってもついてきたかららしいが。
ともあれ、ファンの鏡である。
「不思議なおまじない」のときは、ポニーキャニオンの会議室がファンサービスの会場に使われたらしい。
もうちょっと、なんとかしろポニーキャニオン。
と思ったが、ホントに喫茶店で話をするくらいの距離でお話が出来たそうだ。うらやましいことである。
公開録音のCDを聴いたり、バスツアーのことなどを聴くにつけ、井上喜久子さんという人はスゴイと思う。
いくら「井上喜久子さんのファンはマナーがいい」と言われているとは言え、しょせんオタクである。恐くはないのだろうか。桑島法子さんなどは、ファンとの間にはけっこうな距離を置いているそうだ。
たぶん、井上喜久子さんも、この妙に歳のイッたファン連中に「おねえちゃーん(bass)」と呼ばれることが恐いに違いない。でも、それでも楽しんで、あるいは楽しませながら、ツアーや公録をする。どんな懐(ふところ)を持っていれば、こんなことができるのか。私には想像もできない。
宇宙の大きさを実感するには、宇宙と同じくらい広いこころをもてばいい、という話があった。
わたしが実感できるのは、ほんのちいさな、両手両脚がとどく範囲の宇宙でしかないが、井上喜久子さんは、きっと、おおきな宇宙を内包しているのだと思う。それが多くの人を包むのかもしれない。たぶん、本人に自覚などないだろうけど。
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■ 2003.03.21
fri _3「ドライブシュート」
前にも書いたが、井上喜久子さんは、技術の人である。
ちょっと前まで「キャプテン翼」の翼くんの声を演じていたが、そのときにもおもしろいエピソードがあったそうだ。ソースが確認できてないので、脚色が入るが、おおむねこんな感じである。
通常、女性の声優さんが男の子を演じるとき、表情や身振り手振りなど「声」だけでなく、体を動かすことで「男の子っぽい気持ち」になって喋るのだという。拳を握りしめたり、足を開いて仁王立ちになるなどして、「男の子」を全身で真似るのだ。そうして女性の声優さんは「男声」を出す。
だが、井上喜久子さんは、いつもどおりの、ぽわぽわ〜っとした、よく言えば女性らしい清楚でしゃなりしゃなりとした立ち居ふるまいのまま
「ドライブシュートだあああああーーっ!!!」
と絶叫するそうである。
榎本温子さんが目撃して死ぬほど驚いたようだ。
井上喜久子さんはやはり凄い声優さんだと思った。
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■ 2003.03.21
fri _4「コレクター魂、あるいは、精神疾患の一種」
TAKAさんは、井上喜久子さんのイベントに足繁く通っている。
そして、およそ手に入る限りの、CD等アイテムを相当数確保している。この点は、本当にかなわない。
「天野さん、もしお持ちでなかったら『おさかなペンギン』のCD、さしあげますよ」
「え、いや、そんな悪いですよ」
「大丈夫です『おさペン』なら、わたし6枚もってますから」
ろくまい?
「・・・は?」
「いや、ほらよく中古のCDショップとかで見かけると、つい保護しちゃうんですよね」
「ですよねって」
「あ『ふんわりのびのび』(井上喜久子さんのアルバム未収録曲集CD二枚+LDのセット:7800円)も三箱もってますよ。二カ所のアニメショップで予約したんですけど、ひとつの店が間違えたみたいで『TAKA(仮名)さま、ご注文のこちら、二つでしたね』と店員に言われて、1ミリ秒くらい考えましたけど、つい『はい』って言って購入してしまいました。で、三箱」
「最初の『二カ所のアニメショップ』という段階ですでに複数購入するつもりだったんですか・・・」
「もちろん『ふんわりのびのび』に収録されている曲は、シングルやアルバムでほとんど持ってたんですけどね」
「ええと」
「まあ、ほら、LDって劣化するって話じゃないですか。だから三枚くらいもっててもいいかなって」
「あの」
「えっ 倉敷ダムのビデオ(ダム解説のナレーションが井上喜久子さん)ですか? 当然もってますよー」
「いや」
「それと天野さん、ヤフオクってあるじゃないですか」
「・・・」
この漢の口から「ヤフオク」という言葉がでた瞬間に、背中に戦慄が走ったのを、いまでも憶えている。
「TV版エルハザードのビデオLD全巻購入特典のおまけシングルCD『CDおまけ劇場・新婚の世界へ!』これがどうしても欲しくて落としまくりましたよ!」
「するともう」
「ええ、四枚あります」
「よ・・・」
「未開封が二枚ですが」
「に・・・・」
「それと、DVDの安売りってありますよね。あれで、アニメとかでも井上喜久子さんの出ている巻だけ買ってます。アルジェントソーマも持ってますよ。 7巻と12巻と13巻以外全部。これで自分的にはコンプリートです」
な・・・
なにを食べて育てば、こんな業の深い人間ができあがるのだろう。
もはや、何のために買っているのかとかいうナマヌルい突っ込みは通用しそうにない次元に、わたしは引きずり込まれているようだ。
生クリームとアイスだけで2リットルくらいあるパフェを食べてもなんともなかったのに、彼の話を聞いている内に、なんとなく胸焼けがしてきた。
ところで、TAKAさんは、SFファンだ。そのつながりで、ちょっと面白いことが聞けた。
「宇宙船ビーグル号」で有名なA・E・ヴォクト著の「非Aの世界」という物語がある。
この場合の「非」とは「non」の意味で「ナル」と読む。すなわち「ナル・エーの世界」だ。
「成恵の世界」のモトネタである。
春からアニメ化するこの作品は、原作の所々に、妙に太い骨があるような気がしていたが、古典を含むSFの下敷きがあったのだ。ファンには常識かもしれないが、わたしは知らなかった。素直に感心したので、ここに書いておこう。
井上喜久子さんの話を5時間ばかりして、別れを惜しみつつ、胡蝶蘭を出る。
また会いましょう、と約束して我々は別れた。
彼は去り際にこういった。
「ところで、天野さん。わたし、物欲はないほうなんですよ」
「ぼくたちは普通です」と言った彼らと、共通の症状だと思った。
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■ 2003.03.22
sat「カタンオフ」
毎年お世話になっている水谷さんの家で、今年もオフ会があった。
突発的なオフ会で、恒例のゴールデンウイークには早いが、そのころに、またあるかもしれない。
それにしても、一年ぶりに会う水谷さんである。家をもつようになって、落ち着かれただろうか。
「これがわたしの自慢のLDですこの奥の方にもまだたくさんあるんですがこれはもう何年も観てないものばかりですね何で観てないのかというと全部内容を憶えているからなんですが」
相変わらずのようである。
このオフ会に参加するのは、先日から名古屋入りしていたメンバーの、KAZZさん、えるらさん、COBRAさん。そして、いまは関西から引っ越してきて同市内に住んでいるザナさん。そして、合流したマンデリンさんとわたしである。KAZZさんからマックスコーヒーが振る舞われて、オフ会らしい雰囲気になってきた。
あつまったのが、昼頃だったので、水谷さんに食事を作ってもらっている間、
みんなで「ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて」を見る。
なぜか全員、無言で見入る。
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
そして物語のクライマックス
「ちょっとまて」
「いいのか」
「ある意味、いましか作れないアニメかも」
「これ、10年後にはじめて観た人がいたら、何がおもしろいか分かるだろうか」
「タツノコだからできることを惜しげもなくやった、という感じのアニメだなあ」
「そして、タツノコはもっと自分を大切にするべきだと思うナー」
水谷さんからスパゲッティをいただいて、いろんな話をする。
名古屋に来る途中、KAZZさんがヨコハマにある「おじさんのガソリンスタンド」を見てきたのだが、すでに中古車屋になっていたと報告してくれた。
一同から、ええーっと残念がる声があがる。いまは灯油だけ扱っているそうだが、それもこの春で終わりだということだ。前々から話は聞いていたが、やはり寂しい。
食後に「カタン」というボードゲームをやった。
これが、実におもしろかった。
寝言日記の記録によると、COBRAさんは三年も前から我々にこれをすすめ続けていたことが分かる。日記では記録されてないことがほとんどだが、COBRAさんがらみのオフ会では、必ずと言っていいほど、彼はカタンを持ち出してすすめていたのだ。ゲーム後に言ったものである。
「なんでこんなに面白いゲームを隠してたんですか」
「だから、三年前からすすめていましたって!」
カタンとは「カタン島」に開拓地や都市、街道を築き、島を開拓していくボードゲームである。3〜4人でプレイし、一番さきに10点評価の開拓を成し遂げた者が、ゲームの勝者となる。
それにしても、非電源ゲームというのも、久しぶりだ。
「ブースターかわなくていいから、お金がかからなくていいなあ」と、ガンガンヴァーサスで苦労してきたザナさんが味のある表情で言いながら、ゲームの準備を進める。
カタンは、ゲームとしても充分面白いが、交渉というターンがあるので、場合によっては人間性を酷薄にかっぱぐ。これも見てる方にはとても楽しい。だが、今回がはじめてということもあって、天野はひたすらゲームに集中した。
これ、萌え関連に応用したら、もっと親しみやすいかもしれないなあ。そうだ、この「都市」というのを、いっそ「電気街」にして「いまは開拓地だけど、おれはこの土地にアニメイトを作るぜ!」とかそういう感じにすれば燃えるし萌えるんじゃないかな。じゃあ、ボクはゲーマーズとかワタシはペーパームーンとか、そんな感じで。島のあちこちで採取できる「資材」は「ねこみみ」や「メイド服」や「ガレージキット」ってことにしよう。いや、カタン島そのものをビッグサイトに喩えて、同人誌のサークルとして誰が一番早く壁サークルになれるか、でもいいかも。ボードゲーム版こみパみたいなことになりそうだなあ。やってないけど。外部との貿易ができる「港」は「とらのあな」と「k-books」で、貿易の条件が1:3と破格なのはヤフオクってことで。おお、これはいいかも、なにより分かりやすい。
そんなことを、ザナさんと話したり、考えている間に、COBRAさんに上がられてしまった。
初心者がルールブック片手にやる場合、初期配置と戦略が勝敗を分けると思った。
とはいえ、これは熟練者同士がやっても、サイコロの目による偶然がかなりゲーム進行を支配する世界なので、いくらやっても面白さは尽きないだろう。
みんな性格がいいので、とてもフェアなプレイだった。ただ一人、天野だけが色んな策謀を渦巻かせながらプレイしていたので、ちょっと世界が違ったようだが。
ともあれ、また機会があったらやりたい。難しくないし、それでも面白いゲームだった。
水谷さんの予定があるため、夕方ごろ、水谷邸はおひらきとなる。
「今度は天野さんの家に行って、収穫オフ会しましょう」
「邪魔しに行きますから」
「たのむからやめて」
「どんな風に邪魔してやろうかなあ」
「これからまく種とか苗を無茶苦茶にシャッフルして困らせよう」
「冬になって『この黒い大根、りんごの味がしますよ』とかいうことになるんじゃないだろうな」
「そういうシャッフルかい」
とりあえず、いま天野の家は、あまり人をお迎えできる状態ではないので、しばらくお待ちください。
昨晩にザナさんの家に宿泊したKAZZさんが「ザナさんの部屋には何か気配を感じる」という証言をしたのをゲラゲラ笑いつつ同意しながら、このあと、近くのガストへ雪崩れ込む。
いろんな話をし、午前様になるころ、オフ会は終了した。
このときの話は日付を改めて書くことにしよう。
天野は、まだ「田舎暮らし」の中での自分の位置というものをつかみ切れていない。
いま、自信を持って話せる内容は、まだ書店のことについての方が、話題として安定感があるほどだ。
とりあえずの一ヶ月目は、まだ実家にいたころと、かわらない雰囲気でオフ会ができた。
まだ、こんな時間が持てるんだな、とすこし驚いたほどだ。
これから、だんだんわたし自身が変化していくだろう。
いろんなことがあるに違いない。とりわけ家庭を持ってどうなるか。これは特に分からない。
だから、このオフのことは忘れないでいようと、思った。
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■ 2003.03.23
holy「アメリカと日本」
このときは、まだ始まったばかりだった戦争について、オフ会のファミレスでいろいろ話した。
日記上の日付はともかく、現実にはいろんな事態が進行している。
日本が、アメリカを支持したのは、当時も、いまも、いいと思う。
すくなくとも、第一次湾岸戦争のときのように「決められない日本」ではないし、アメリカがいざとなったら安保など守ってはくれないことがいくら明白でも、緊張の続く、北朝鮮への牽制にもなっただろうから。それに、日本は戦争には参加しない、そして戦後の復興に責任をもつ、というスタンスも、いいと思う。
だが、ここでいまひとつ、保持していなければならない覚悟がある。
それは、支持した以上、アメリカが「やりすぎた」とき、それを止める決意だ。
アメリカは、欲しいものを全て要求する国である。
わかりきった話だが、石油も、そして、正義も、だ。
いまさら、どこでも言われていることだが、アメリカの行動は「正義ゆえ」ではない。ただ、石油の利権も欲しいし、正義も欲しいのだ。だから、どんなに見え透いても、彼らは「正義」と書かれた旗をふりかざす。
アメリカは、国家としてはわずか200才程度の若輩であり、どこかで言われていたように、未成年みたいなものだと思う。
たとえると、腕力だけはある子供である。
そのガキは、他人の持ち物がどうしても欲しかったし、喧嘩を売られたこともあった。だから、適当な言いがかりをつけて、そいつを叩こうとしている。目障りな奴から宝物を横取りしたいのだが、それだけだと恥ずかしいので、なんだかんだ言い訳をつけて、そして腕力にモノを言わせて、確実に勝てるケンカをしようとしているのだ。
この子供とつき合っている日本は、何に喩えられるだろう。戦後のリセットからは50才くらいなので、アメリカよりもずいぶん幼いかもしれないが、それでも日本は歴史のある国家である。日本は年を経て成熟した国家だと自覚するなら、彼の母親という立場かもしれない。
となると、信念をもって「やる」と言う息子を、母親は止めることは出来ないのも道理だ。
だが、もし一歩でもその子供が道を踏み外したら、そのときは命がけで止める役割をもつのが母親だ。
それがいまの日本のスタンスではないかと思う。友好という言葉をとるなら、友としても同様だ。
アメリカ支持を表明した日本。
そのアメリカは、世界中(戦争に反対する世論)を向こうに回してなお、戦争に突入した。そして終局をむかえた現在、これからは、始めるよりもはるかに難しいと言われる「戦争の終わらせ方」と「戦後の処理」が、問われていく。
戦後の復興を含め、アメリカがなんらかの形で暴走したとき、あるいはみっともない行動をしたとき、それを止め、窘(たしな)められるのは、ここまでつき合ってきた、日本だけである。
日本は立場を明確にし、しかも反対ではなく支持を表明した。そうしてこの戦争は出発した。
このことにより、日本はアメリカに対して発言力を得たのだ。
この腕力だけはある頭の悪いクソ生意気で欲深く、そして小狡いガキに対する責任も。
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■ 2003.03.24
mon「殺したいくらい憎い相手に勝利する方法」
オオツカさんという友人がいる。
彼には、まだちいさな二人の娘がいて、たまにケンカをするそうだ。
理由を聞いてみると、どっちももっともな言い分があって「あっちが悪い」と信じて疑わない。
ところで、彼の家では、寝る前に自分の布団をしくのは、姉妹それぞれの仕事になっている。
ケンカした夜、オオツカ夫人は、妹に、お姉ちゃんの分の布団も一緒に用意させた。
お風呂から上がったお姉ちゃんが、自分の布団をしこうと思って部屋にはいると、もうしいてある。
「・・・・・」
次の朝、二人は仲直りした。照れくさかったが、許さないわけには、いかなくなったのだ。
大昔からある中東問題が、いまだに、揉(も)めに揉めている。イラクに侵攻したアメリカを交え、あのあたりでは、どこの国も、相手のことを死ぬほど憎んでいる。
そして、聞いてみれば、どちらにも、自国の正義があり、自分の言い分があるのだ。
よく、やむをえない争いごとを語るとき「双方に正義がある」という言葉を持ち出して、思考停止してしまうことがある。
だが、こういうケンカは、先に愛した方が勝ちなのだ。
もし、相手を先に許した国があったら、彼らは間違いなく、この戦争の勝者だといえる。
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■ 2003.03.25
tue「宗教の対立・1」
毎度のことだが、アメリカとイラクの戦争では、両大統領の口から、よく聖戦であるとか神の名によってとか、宗教的なハッタリが聞こえる。そのせいか、両国家が戦う理由は、戦争の原因となった事情の他に、宗教的な対立もあると考えられている。
だが、それは単純に「宗教の対立」なのだろうか。
よく、宗教のせいで戦争が起きると、宗教そのものを否定する声がある。
宗教が悪であり、宗教がなくなれば、戦争もある程度は無くなるのではないかと。
だが、宗教が目指すのは、ほんらい平和のはずである。
では、なぜ宗教が国家を戦争に駆り立てるように思われるのだろう。
わたしは、戦争となって対立するのは、実は「宗教」ではなく「家庭の伝統」なのだと思う。
国家間の戦争が起こると、国民は地元意識で団結してしまう。9.11テロ時のアメリカなど、非常にわかりやすかった。その地元意識をくくる共通点として、精神の修練などを目的とする宗教的本質とはほとんど関係ないところで「○○教徒である」という名目によって民族は団結するのだ。
教義がどうのこうの、神に対する考え方がどうのこうの、戒律がどうのこうのという宗教的本質においての対立ではなく、その実際は、○○教を信仰してきたというだけの家庭の伝統、地域の伝統による結束感が、宗教という枠を外郭としてぶつかりあってしまう。言い方を変えれば「イスラム教とキリスト教の戦い」ではなく「イスラム教民族と、キリスト教民族の戦い」とか、そういった感じであろう。
聖戦であるとか、神の名によってとか、戦争では宗教色がよくでる。
だが、実際に戦っている兵士たちに、どこまで宗教的意識があるだろう。
宗教家でもない民間人。程度の差はあろうが、ほとんどの彼らにとっての宗教は、死後の世界の保険みたいなものだろう。
よく映画などで、死ぬ間際に、急に「牧師を呼べ!」とかいうのは、いままでさんざん殺して犯して盗んできたことを、あの世にいくまえに、懺悔することでぜんぶチャラにしてくれるよう懇願するためで、地獄をのがれるための御利益を目当てとした行動であり、そのときの宗教は「保険」である。
戦争という特殊な環境に呑み込まれてしまうせいもあるが、宗教的な意識をもって戦争する人間というのは、おそらくそうはいまい。
実際に戦争をするのは、宗教間の対立という図式を持ちながらも、その実は単なる民族意識であったりする。
その民族意識を、宗教的伝統とともに伝えてきたのが、家庭の伝統だ。
家庭の伝統というのは、恐ろしいモノである。
ユダヤ教など、一度は国家が消えてなくなったのに、宗教的伝統は残った。民族はバラバラになったが、家庭内において、それは連綿と受け継がれてきたからだ。
家庭の伝統の恐ろしさは、その正義不正義に関わらず、実に素直に、そのまま伝えられるところにある。
そこに宗教的矛盾があっても、それ以上に、家庭の伝統の方が守られて受け継がれていくのだ。
たとえば、お釈迦様は、葬式に戒名が必要とか、そんなことは一言もいっていない。
この風習は、あとで弟子共がつけたことにすぎない。したがって、お釈迦様と同じ極楽浄土へ行くのに、戒名は必要ないはずなのだ。
だがそれを説明しても「うちは、家庭の伝統に従って戒名をつけます」という家がほとんどだろう。
これが宗教的本質すら凌駕する、家庭の伝統というものだ。
家庭の中の宗教は、なかば風習と化しており、すでに宗教的本質とは別のものである。
家庭の伝統によって受け継がれてきた、宗教を名目とした地元意識の対立。
「民族の対立」と言ってしまっても良いだろう。これが、おおざっぱに宗教間戦争と思われる対立の現実だ。
ブッシュもフセインも、神様の名前を出すのは単なるシビリアンコントロールに過ぎない。
たいして、宗教的な意識などないだろう。
宗教をふりかざして行われる戦争は、実際には宗教の本質とは関係ないことがあり、地元意識を結束させるための名目であるところが本当なのだと思う。
宗教は、ほんらい人間に真理をしめし、幸福へと導き、人々を融和させるもののはずだが、現実にはその力を発揮できず、対立の名目にされている。
長い戦争を通過した当国同士の人間は、すでに親を殺されているもの同士だ。
本来これを乗り越えるのは、宗教的な、高度な精神力によるものである。キリスト教で言えば「汝の敵を愛せ」だ。
しかし、彼らは「宗教」ではなく「家庭の伝統」で戦っているので、これを乗り越えることは出来ない。
宗教は、その精神性の高度さを持ちながら、それを活かせないでいるのが現状だ。
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■ 2003.03.26
wed「宗教の対立・2」
世界政府は誕生するか。
マンデリンさんが、こんなことをファミレスで議題に出した。
外圧による誕生はあるかもしれない。これは一番よく聞くパターンだ。
「マクロス」であった異星人の存在を前提にした統合軍の誕生や、「EGコンバット」での、プラネリアム襲来による救世軍など。だが、それは戦いの末にできた強制的な収束に過ぎず、真の一体化ではない。
先日からの流れだが、世界政府の誕生において起こるであろういくつかの問題に、まちがいなく「宗教の対立」は挙げられるだろうと思う。
もし、宇宙にスペースコロニーができて、そこにひとつの国ではなく、国土を捨てた人ばかりが住むようになり、それでも存在として国とつながっている彼らによって「世界を越える概念」が産まれるとしよう。
アメリカ人のコロニー、日本人のコロニー、などと分けることなくゴチャゴチャに住むことが出来、そこで国家の枠をこえた国際的な家庭ができ、その家庭がコロニーという国家を形成していけたとして。
これは、あるいは「ガンダム」でさんざん語られてきたように、新たな対立を生むかも知れないが、世界を統合しうる概念は、こういう環境でなくては生まれないと思う。だが
そこでも、宗教的な対立はあるだろう。
この問題は、たとえ環境が変わっても、残っていくにちがいない。
だが、こうなったとき、そのもっとも国家・民族間が融和しやすい環境で、宗教間の取りなしをしていくのは
太平洋戦争の後、完全なる政治宗教の分離を成し遂げた、日本人の使命にちがいない。
ここで起こる宗教の対立は、家庭の伝統によるものではなく、比較的宗教的本質にちかい対立となりうる。
対立するお互いが、キリスト教・仏教・イスラムなど、ゆずれない信仰観をもっているから、誰がどんな意見をいっても、それはその宗教の立場にたってのことにすぎない。
各々の宗教的本質には、共通点があるかもしれないのに、たとえば逐語霊感説など、聖書の一字一句を絶対視するような頑(かたく)なな考え方では、理解しあうことは難しいだろう。
その対立の場で、完全なる中立を保てるのは、宗教をもたない日本人だけだ。
(日本にも宗教はあるが、その意識は諸外国にくらべて格段に薄いので、こう記す)
宗教の対立に対して、公正にものを言える存在がいるとしたら、それは日本人しかいないだろう。
世界政府の樹立を目指すとき、日本の使命は、大きい。
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■ 2003.03.29
sat「ジャガイモの種芋を植える」
ジャガイモの芽に限らないが、植物は霜に弱い。
だから、霜が降りなくなる時期を逆算し、地上への発芽まで二週間と考えて、そろそろジャガイモの種芋を植えることにする。
発芽しないように、家の中でもいちばん寒いところに保存しておいた種芋には、もうちょこちょこと芽が出はじめていた。
大きい芋は、いくつかに切り分けて土に植えるのだが、家庭農園のプロによると、植える部分に、芽がひとつでもあればどんなに小さく分割してもいいらしい。でもそんな自信もないので、二分割か四分割くらいで準備した。この種芋から芽が出て、根が出て、初夏には新ジャガができるのだ。
畑の方は、耕耘機に専用のアタッチメントをつけ、前日に畝(うね)もつくってある。植える際には、ちいさめの鍬(くわ)を使い、歩幅くらいの間隔をあけて種芋を埋めていくわけだ。
その前に、草マルチ用の干し草の、乾燥している部分を燃して灰を作っておいた。
それを、切った芋の断面にまぶす。切ってすぐに土につけると、ジャガイモが腐ってしまうからだ。先人の知恵である。同じ作業のところを入門書で読むと、切った後、一時間くらい乾燥させてから植えること、と書いてあった。だが、やはり、灰を使った方が手早い。
農業や釣りというのは、のんびり構えてやるものだと思われている(と思う)。
だが、その実、それに向いているのは、せっかちな人なのだそうだ。
釣りは、糸を垂れている瞬間に状況について常に関心をもち、釣れなければ、なぜ釣れないのか忙しく考えるからこそ上手くなるのだし、農業は一年に一回しか作れないからこそ、同時にいろんなことを試して、少しでもいい結果をだそうとすることで上達していく。
最初は、灰をまぶすことを思いついた昔の人も、乾燥させるための一時間が惜しいくらい、忙しかったのだろうかとおもったが、たぶん違う。
その時代にも、単にせっかちな人がいただけなのだろう。
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■ 2003.03.31
mon「ジャガイモ」
チェルノブイリの近郊に暮らしていた老婆が、ジャガイモを作っている。
遠くに住む、かわいい孫におくるのだと、ジャガイモを作っている。
事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所の、その後の放射能汚染を調査するテレビ番組だった。
測定器でジャガイモを調べたスタッフが、送らない方がいいですよ、と老婆に告げる。
わたしは、思わず、思わず、目を背ける。
だから、そのとき彼女が、どんな表情をしたのか、わたしは知らない。
老婆は、その土地でジャガイモを作ることしかできない。
どうしようもなく、そこで生きることしかできない。
ジャガイモを作っていると、わたしはどうしても、あの番組を思い出す。
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