■ 2003.02.01
sat「原型師」(実際の日付に準拠)
以前の日記でもちょっとだけ紹介したが
ねりこちゃん(↑)の原型師である、にいづま氏の家に遊びに行った。
にいづまさんの部屋は変わっている。
他の部屋に退けてあるのかもしれないが、本がないのだ。長時間、本を摂取していないと死んでしまうとやや本気で思っている天野のような人種には、ビックリな部屋である。
本といえば、フィギュアの資料としてのゲームイラストの設定資料集などが数冊ある程度。
あとは作業机と、スカルピーを焼くためのトースターや、塗装に使うコンプレッサー、ほこりを避けて飾られた過去の作品、あまり使っていないゲーム機と、エアガンが二挺だけである。この部屋には、実は意味があったのだが、それはまた後述しよう。
製作中の作品をいくつかみせてもらう。
彼はいま、サクラ大戦3のシリーズを作っており、
ニュータイプのワンフェス記事にも載った(↑)このものすげえ出来映えのエリカと(画像をクリックして撮影サイズを確認しよう!)、コクリコ(下方の画像参照)に続き、花火さんを製作中だ。
「で、ロベリアは?」
「え?」
「(↑)ロベリアは!?」
サクラ大戦3に関しては、声が井上喜久子さんというだけで、ロベリア萌えがすでに決定しているのだが、ゲームもやってねえくせに「作ってくれ」とつめよるのは自分でもどうかと思った。
それにしても彼の造形力は、
このコクリコを見るだけでも、かなりスゴイと思うがどうだろう。
原型師は照れながら「大したことないよー」という。
私の目には、そうは思えないが、ただの謙遜にも思えないので、本当に彼には「大したことはない」のだろう。僭越だが、わたしも絵を誉められて、同じように応えるときがある。そのときも、たしかに謙遜しているわけではないのだ。
彼の造形力は底知れない。
先述のエリカや、
このように塗装や小物など、未完成ながら素晴らしい完成度の花火さん(とにかくクリックしとけ!)など、驚嘆の一語に尽きた。
3Dはあらゆる角度からの鑑賞に耐えなければならない。デッサンの狂い、細部の解釈の妥協などが許されない世界だ。
絵などは、2Dである性質上、面の構図・レイアウトでバランスをとる。
だが、3D作品は、立体的な構図が要求されるのだ。ある角度からしか鑑賞に耐えられないようでは、完成度が低いと言われても仕方がない。これだけでも絵とは違う、ひとつ高次元の戦いだ。
彼の作品はみていて惚れ惚れする。ここが彼の部屋でなく、あるいは誰もいなかったら、わたしは何時間か彼の作品を見るだけで過ごすことができたろう。
それは、キャラに対する興味や、純粋にフィギュアという立体とその完成度への関心、そして絵描きとして受ける刺激と、そこから至る恍惚による。
絵描きがふだん受ける、他人の絵や写真という同次元の刺激に比べて、これは別次元のそれだ。
モチーフや根元的な精神性が近いながら、まったく別の刺激。これは興奮させられる。
そして、彼の作品をみているうちに、サクラ大戦3をやってみたくなってきた。
純粋に見た目の良さだけでなく、この背後にある作品世界で、どんなかっこいい、美しい世界が展開されるのだろうと、刺激されてしまうのだ。こういうワクワクする造形ができる人というのはすごい。
ところで「オタがオタを続けるために必要なものは、根気でも勇気でも親の理解でも親のあきらめでもなく、ただマネーである。そのためにも、オタには、強固で、高収入を生むペルソナ(表の顔:社会的地位:仕事)が必要なのだ」という話がある。
にいづま氏も、原型師であると同時に普通の会社にも勤めている。
彼の部屋の壁には、2月のおわりにあるワンフェスに向けて、スケジュール表に制作予定が描き込んである。
で、その最後の方に、不自然なコマがいくつもある。
そう、フィギュア制作のために、当然のようにとられた休暇である。
毎回ワンフェスの前(と当日分)には休暇を取っているのだろう。この投入ぶりには驚いた。
私のような、仕事の合間に絵や日記をかいているような人間には、にわかに信じがたいが、そう考えてみるとこの部屋の状態も納得がいく。
この制作が大詰めに入った状況で、部屋には一冊の漫画本もおかれていない。これは「根を詰めると体に悪いから、ちょっと休憩〜」とか言いつつ何度も読んだはずの漫画をさらにもう一周よんで一日潰してしまうような、そういう修羅場の人間が駆け込みやすい逃げ道を、彼みずからが、断ちきっているのだろう。
あらゆる投入すべき精神力を、ただフィギュア制作という、その一点にのみ集中させるために。
にいづま氏は、本物の原型師だった。
こんな人に作ってもらえるねりこは、幸せな娘だと思った。
おまけ
このねりこちゃんの画像を見て誰もが気になったであろう角度で一枚。
うむ、よしよし。安心しろねりこ、見えてないぞ。
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■ 2003.02.02_1
holy「No Life Spirit・1」
現在わたしがのっている車は、日産のパルサーという普通車である。
いまは新型も出なくなった古い車で、同名はともかく、同型の車は、街でもそうみなくなった。
これを購入したのは、1993年である。
もう、10年も乗ってきたわけだ。走行距離はすでに12万キロを突破していた。
これが、いつからか前輪の具合が悪くなってきた。たぶんベアリングだとおもうが、詳しくは私にもよく分からない。高速を出すと異常振動が起こり、音もやかましく、また、下手をすれば走行中に車輪が外れて道路沿いの民家に車体ごと突っ込む可能性もあるため、この状態で乗車する場合は「普通自動車運転免許証」のほか「殺人許可証」も必要なくらいに、危険な車である。
何度か修理したが、根本的になおすとなるとかなりの費用が要ること、車体そのものが古いので、もし前輪をなおしても、エンジンやキャブレターなどが、そのうち新たに壊れるかもしれないこと、春にある次の車検を通すだけでも、かなり修理しなければならないこと、クロカワでの生活では道路事情と維持費の問題(田舎では一人一台車が必要。わたしの場合バイクや軽トラックの維持もある)から税金や燃料費などの安い軽自動車が必要であることなど考慮して、買い換えることにする。
思えば、このパルサーには壊れている箇所がいくつもあった。
トランスミッションの故障か、2〜3速間で、たまにだが突然、発作のようにエンジンがとまる。いや、たまにというか、だいたい2週間に一回くらいの割合でこの発作は起こった。大型道路で通勤時にこれがあると、すごく焦る上に迷惑かつ危険である。
そして、一度ブロック塀にぶつけてしまったせいなのだが、助手席のドアが壊れていて、開閉がすごく重い。最初は20度くらいしか開かなかったが、マンデリンさんになおしてもらい、なんとかまともに開閉するようになった。でも、かなり重いので、ちゃんとドアを閉めるには、20年前の車のように力一杯たたきつける必要がある。母はこれで毎回のりおりするときに難儀していた。
他にも、パワーウインドウで窓を操作しようとすると、フルオープンから閉まるまでに1分ちかくかかるとか、調節バーがめり込んでいてハンドルの位置調節が不可能とか、いつかの日記にも書いたが、CDがうまく再生できず(CDそのものを認識しないことも)、再生できてもわずかな路上のギャップですぐに音が飛ぶとか、エアコンの風孔切替が壊れていて夏でも冬でもお構いなしに外気が入ってくるとか、まあ、いろいろあった。
次にどこか壊れたら、やっぱり買い換えようと思った矢先に、運転席のシート位置調整のバーがへし折れる。
近所のダイハツを冷やかしに行ったのは、その翌週だった。
クロカワで軽自動車を運用する場合には、条件がいくつかある。
まず雪道でもある程度の山道を登坂するために四駆であること、スリップ時の対処ができるようABSがついていること、あまり重心の高い車でないこと。そしていまだに免許を取得してないゆっこさん(はやくとってください)がいずれ乗るので運転しやすい車であること。
そして、これが一番大事なのだが、どことなくロマンを感じる車であること。
とそんなような条件で探したところ、候補に挙がったのが「ホンダのZ」と「ダイハツのネイキッド」だった。ともに男っぽくていい。だが、個人的には、
このドアのモールドと随所のボルトが、いかにもこう、メカっぽくてそそる感じがしたので、最終的にこのネイキッドを選んだ。
「じゃあ、これにしようかな」とダイハツのショールームで話を切り出そうとしたその瞬間である。
不意に、強烈な寂寥感が胸を襲った。
それは、ちいさい頃、せっかく拾ってきたのに「家では飼えない」と言われて、傷ついた小鳩を神社に捨てに行ったときのような、
罪悪感に似た甘い甘い苦しさだった。
駐車場を振り返る。
そこには、ながいあいだ乗ってきた愛車が、静かに停車していた。
このときになってはじめて気がついた。
私は何の気もなく手放そうとしていたパルサーが、とつぜん愛おしくなってしまったのだ。
十年間のってきた思い出が、一瞬間に想起される。
1993年、新品だったパルサーに乗り込んだとき、はじめてのマイカーに浮かれていた私は、車に名前をつけた。
パルサーだから「パル子」か? いや、これだと別の車(ダイハツのミラ・パルコ)の名だから、ちょっといじって「はるこ」だな。うん。よしよし。さあ、日産のパルサーよ、お前に名前を与えよう。
今日からおまえは「はるこ」だ。
ちゃんと命名の儀式までやった。
それからずっと、なにか移動のたびに、わたしはこいつの世話になってきたのだ。実に十年間も。
はるこは、まだ走ろうと思えば走れる。
だから、やっぱり、乗れなくなるまでは、乗ってあげたい。
ガラスの向こうで、寂しそうな背中を向けているはるこをみて、そう思った。
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■ 2003.02.02_2
holy「No Life Spirit・2」
「はるこ」に愛着がわくようになってから、私の運転生活は大きく変わった。
まず、はるこに話しかけるようになった。
それはごく簡単なことで「よし、行くか」とか「今日もたのむ」とかいった、ノリで出る日常的なかけ声のようなものだったと思う。
でも徐々に、私は、彼女へのねぎらいを込めて、その言葉を語りかけるようになっていた。
車を「彼女」と呼んで話しかける。会話をする。
はたから見たら、それはまるでキチガイ沙汰かもしれない。
でも、自分ははるこのことを、長い間、わたしという主人の無茶に付き従ってくれた、有能な、そして傷ついた召使いに喩えられると思った。だから、なんとなく、声をかけてあげたくなったのだ。
不思議なことがあるもので、そのころから、はるこは目に見えて調子が良くなった。
いつしか、CDの音飛びが、ほとんどしなくなった。かなり強烈な段差を越えても、よどみなく彼女は、歌を続けている。
2週間に一回くらいの割合であったエンジンストップも、どういうわけか無くなった。この数ヶ月、まったくその発作は起きていない。
それに、エンジンの調子も、運転のしやすさも、以前よりよくなったように感じる。
彼女との会話は、実際には、アクセルやブレーキ、ハンドル操作などで、はるこのリアクションを見るというコミュニケーションだ。いままで意識していなかった運転手が、車のことを、そういう観点で操縦しているのだから、車の調子がよくなるのも当然のことかもしれない。
だがもう一方で、わたしは、はるこを愛し理解し労(いたわ)るように運転することで、彼女が以前よりも、素直に従ってくれるようになったのだと思えた。
ただ、彼女の足だけは、ずっと悪いままだった。
先に異常振動と書いたが、人間で言えば膝か足首にあたるところに故障があり、走行のたびにそこが痛む感じだ。
ゴロゴロと低い音を発して走る彼女をみるとき、痛みをこらえて、それでも私の指示どおりに速度を出そうとする姿を、そこに見るようだった。
高速道路でも快調に追い越し車線を飛ばしていた、かつての彼女のパワフルさを知っているだけに、ガクガクと震えてしまい、70キロも満足に出せないでいるはるこを見るのは、忍びなかった。
いま思うと、彼女には、本当に世話になったと思う。
まだ車に乗り始めたばかりのころ、大きな事故をやってフロントがぐしゃぐしゃに潰れてしまったことがあった。この事故で、はるこの損傷はすさまじく、あわや全損かというところだった。
だが、それほどの大事故であるにもかかわらず、私の体には傷ひとつなかった。
その後も、追突されたり、接触したり、ブロック塀にぶつかったりと、10年のうちに幾度か事故に見舞われた。だが、いつも彼女だけが大怪我をし、その都度わたしは、はるこに護られていた。
当時は事故を起こすごとに、保険料が上がることなどもあって、ひどく落ち込んだものだった。だが、そんなことを心配していられたのは、間違いなく彼女のおかげである。はるこは、自分がどんなに酷い衝撃を受けたときも、わたしには髪の毛ほどの傷も残さなかったからだ。すべて、彼女が受けとめ、つたない運転技術しかない私を護り続けてくれたのだ。
それだけに、いまの彼女の足の不調は、わたしのおこした事故が原因に違いない。
わたしがもう少しうまく運転できていれば、たかだか12万キロ程度で、彼女を手放さなくてもよかったかもしれない。そう思うと、ほんとうに申し訳なかった。引越を機会に軽自動車に乗り換えると決めたわけではあるが、それでも、痛そうにしながらも応えて走ろうとするはるこを手放すことは、とてもためらわれた。
彼女と走ることの出来る時間は、たぶん残りすくない。
そう思うようになってから、車好きの人がたまに言う「車とデートする」というのが、なんとなくわかるようになった。
むかし「プルヴァール」という漫画で、主人公が「パトリックさん」と名付けたMR2と、運転で会話する話があった。
いま読み直してみると、あれはちょっとファンタジー入りすぎなところがあるが、本質は同じなのだと思う。運転によって、車との会話を楽しむ。それはたしかに、車とのデートだ。
わたしは、あの主人公と同じように、車の声が聞こえるようになるまで、10年+12万キロかかった。
一度、バルカン(バイク)で試してみたが、はることのような会話はできなかった。
この声は、もっとずっと乗ってなくては、聞こえてこないものなのだろう。
モノとオハナシするとかいうのは、一般的にはキモチワルイことのように思われるかもしれない。
「『もの』なんて、適当に使って、ダメになったら捨てて、新しいのを買えばいい」「名前をつけて可愛がるなんて馬鹿みたいだぞ」という人もいる。また「人間を愛することが出来ないから、そっちに走るんじゃないの?」など、もっともらしいことを言う人もいる。さも「自分は人間を愛しています」とでも言いたげだ。
だが、私はそういう人に問いたい「では、あなたは『もの』を愛せているのか」と。そして言いたい。
「もの」も愛せない人に、人間を愛することなどできるわけがない、と。
人を愛するのは尊いことだと思う。
そして、車などの、人ではない「もの」を愛することも、同じく大切で尊いことだと私は思うのだ。
次元こそ違うかもしれないが「ものを愛すること」と「人を愛すること」の本質は、けっして別のものではない。
そして、ものを愛せる人は、それと同じ深さで、人を愛することもできると思うのだ。
だから、はるこを愛していることを、わたしは誇りに思う。
事情は動かし難いので、軽自動車は買うことになるだろう。
だが、せめて、それまで乗ってやりたい。はるこにはギリギリまで乗ってやりたい。
そう思った。
車好きの知人にこのことを話したとき、彼はこう言った。
「車の会社には、すぐ乗り換えてくれる客のほうがありがたいだろうから、天野さんは、嫌な客だとおもう」
「けど、ぼくは尊敬します」
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■ 2003.02.02_3
holy「No Life Spirit・3」
正月だったと思う。姉を乗せたときに「もうこの車、換えなさい」と言われた。
すでに、はるこの足はそれくらいに酷く、人を乗せられない状態だった。
このころから、はるこには、私ひとりだけが乗るようになった。万が一の事故に遭遇したとき、犠牲を少なくするためだ。
だから、誰かを乗せて運転しなければならないときは、実家の社用車を拝借した。母を病院へ送迎するときにも、それをつかった。
ただ、私がひとりで乗っているときに、恐怖はなかった。
異常振動が出たり、突然エンジンが止まったりした頃は恐くて仕方がなく、毎日祈るように乗っていたが、いまそういう恐怖はない。
はるこの足の調子は酷くなる一方だが、それでも「こいつは、最後まで俺を護ってくれる」という確信があったからだ。
自分は、車をいじらないし、エンジンや足周りの構造も、基本的なことしかしらない。
車の腹をみたのも、はるこの足を見てもらいに日産の整備工場へ行った日が初めてのことだ。
でもわたしはあれから、車のメカニズムを、多少なりとも理解して走るようになった。
どんな運転をすれば、はるこが嫌がるのか、どんなふうに走れば、はるこがいまの実力を発揮できるのか、そう考えて走るようになった。そのうえで、彼女の性能限界というものを、はじめて明確に把握した走りができるようになった。はるこもそれに対して、いいレスポンスを返してくれていた。
「護ってくれる」というのも「性能限界の把握」も、わたしの身勝手な信頼だったのだろう。
だが、信頼してもらうことで、車でもなんでも、実力以上の力を出せるのだと思う。
足周り以外が、ほぼ完調子に戻っている、いまのはるこがまさにそれだった。
このころは、心の中で、彼女とふつうに会話ができている気がした。
もし、本当に危なくなったら、わかるように教えてくれ、と、つぶやくと
はい、と、はるこが言ったような気がした。
でも、もう、はるこは限界だったかもしれない。
ほとんど悪くも良くもならなくなったある日。
フロントの辺りから、バキッという異音が聞こえた。
走行に問題はないが、それでもそれを境に、はるこの前輪は、前にも増して走りにくそうになった。
「いたいか?」
と問うてみる。彼女は答えない。
でも、その静寂の中に嫌でも響く異音は、はるこがもう前のようには走れない体になっていることを語っていた。
それでも、はるこは走ってくれている。最後まで懸命に「走るもの」であろうとするように。
はるこが嫌がらないように、丁寧に運転してみる。いたわるように、彼女を走らせ続ける。
もし、最初からこういう運転ができていたら、そして事故さえ起こさなかったら、こいつはきっとまだ何万キロも走れたんだろうな。
私が事故さえ起こさなければ。
私を護って、こいつが足さえわるくしなければ。
その後、なんとか家まで帰る。
だが、あの異音は、事実上の、はるこの引退勧告だったのだろう。
はるこはもう、時速40キロでも、まともに走れなくなっていた。
何十万円かの修理費を払い、さらに十数万円の出費をし車検を通して、これからもずっと乗っていこうかと思った。
だが、わたしは結局、軽自動車のネイキッドを購入し、はるこを手放す決意をした。
現実的な計算をしている私と、それでも、はるこに少しでも乗っていたいと思う私が同時に存在していた。
ネイキッドの代金を振り込むのに、無駄に時間をかけた。納車が遅れる連絡が来ると、我知らず声が喜んだ。
まだ、はるこに乗っていられるからだ。
でも、もう、そういう大義名分がなければ運転できないくらい、はるこの足はわるくなっていた。
車が届くまでの二週間ほどを、はることともにすごす。
はるこはもう、時速40キロを越えると、振動と音がひどくなり、カーステレオも満足にきくことができなかった。
一般道で、むかしのようにスピードを出すこともなくなった。坂道ではつねに登坂車線に入る。迷惑がられながら、終始、ゆったりと運転した。
もうどんなに無茶をして飛ばしても、70キロも出せない。
そして、私以外の人を乗せることもできない。
エンジンもキャブレターも電装も、いまは正常だった。走り心地は、異常振動以外問題ない。
この半年の間、取り立てて修理も何もしなかったのに、はるこの性能は目に見えて回復していた。
これが半年前まで恐くて乗れないほどのポンコツだったとは、にわかに信じ難かった。
はるこは最後の最後まで、乗用車であろうとしていた。安全水準を満たした乗用車として生産され、以来、わたしを護ってきた自負が、彼女の最後のちからだった。
たぶん私以外の人間は、彼女に、まともに乗っていられないと思う。
そんなひどい乗り心地だったが、わたしだけは、彼女とはしることで安心を感じていた。
硬いはずの車のボディ。でも、はるこに限っては、柔らかい何かに包まれているような、そんなリラックスした乗り心地だった。
「もの」にこころがないというのはウソだ。
あらためてそう思う。
自分のこころが投影されているだけ、というのも、ウソだ。
「もの」が持つのは、たしかに人が持つようなこころとは違う。
でも、ある種の法則性と、応えてくれる意志が、彼女にはあった。
「もの」は、こころをもっている。
ただ、短いつきあいでは、そして愛していなければ、なかなかそれを見せてくれないだけで。
「そんなことを信じてるの?」と、疑う人もいるだろう。
もしそういう人がいたら私は「いや」と否定してから
「知っているんだ」と応える。
論理性も、実証性もない、まったく非科学的な話だが、私は、はるこにこころがあることを知っているから。
ネイキッド納車の四日前、全国的な大雪が降った。
あっというまに積もってきたので、訪ねていた知人の家を早々に退出する。車での帰り道は危ないから気をつけてと、彼は心配して声をかけてくれた。
「大丈夫」そう一言だけ応えた。
一年前の冬の雪道なら、恐れてすくんだかもしれない。だが、いま私は、長く連れ添ってきた相棒のことをよく知っている。
こいつが、どんなハンドルさばきであれば、凍結路面にタイヤをしっかりとグリップさせて走れるか、下り坂でエンジンブレーキをどういうタイミングで使えばスリップさせずにコーナーを曲がれるか、その状況で、時速何キロまで出せるのか、いまならよく分かる。
それになにより、こいつは、最後まで絶対に私を護ってくれるという確信が、変わらずにあった。
粉雪の中、雪道を走って帰る。
路面状態と渋滞のせいで速度がだせないのと、雪が音を吸収してしまうせいで、実に静かに、そしてゆっくりと走ることができた。
結局、40キロも出さずに、帰宅できた。
このときのはるこは、まるで十年前の新車にもどったようだった。
ダイハツに、注文したネイキッドの届く日が来た。
はるこは一応下取りの手続きをした上で、無価値と判断されたら廃車にされる。
最後に、はるこを洗車してやる。
こんなに綺麗な車だったのかと、驚いた。
買ったばかりの新刊を家で読むのが待ちきれないとき、その書店の駐車場に停めたまま、はるこの中で漫画を読んだ。
気に入ったCDがあると、はるこに再生してもらい、彼女の声に合わせて歌の練習をした。
悩み事があるとき、迷いを整理したいとき、誰かと会う前に話す内容の練習をするとき、はるこは一番いい考え場所だった。
停車中の、密閉された、静寂に満ちた車内で、彼女はわたしの独り言の聞き役だった。
はるこは、わたしが一人きりで泣くときの、秘密の場所だった。
もうひとりの私が、業者にキーをわたしている。
はるこを処分するための手続きをしている。
すこし前だったら、わたしはこの土壇場で、ネイキッドを解約したかもしれない。
でも、もうはるこは、充分に走った。それはわたしの自己正当化のための錯覚かもしれない。でも、どこか確信できる部分で、彼女が満ち足りているような、そんな気がした。わたしのせいで、彼女の命は短かったかもしれないが、それでも彼女は充分に使命を果たせた。そんなふうに思えた。
十年間、ともに過ごしてきて、彼女の本当を知ることが出来たのは、ほんの数ヶ月だった。でも、彼女にこころがあったことに気がつくことができてよかった。
最後にボンネットをなでてやる。彼女はもうずっと、目を閉じているようだった。
さよなら、はるこ。
おまえは、世界で一番の車だ。
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ダイハツ・ネイキッド(2003 〜 ) + 日産・パルサー「はるこ」(1993 〜 2003 )
我が愛車たち
■ 2003.02.08
sat「ネイキッド」
黒天野「ネイキッドに名前をつけよう」
白天野「もう、あるところでは『ネイキッドたん(仮称)』とか言われてるがなあ」
「ネイキッド・・・ネイキッド・・・うーん」
「ダイハツのネイキッドだろ? うーん」
ダイハツネイキッド
ダイハツネイキッド
「初音ちゃん!」
「そこをとったか」
「葉鍵者として、こんな美味しい名前は放っておけないでしょう。ちなみに『痕R』じゃないほうね。やってないし」
そんなことを考えながら、ネイキッドに乗っている。
はるこが普通車で1600ccだったこともあり、車格も小型で、660ccしかないネイキッドは、馬力においても、車体においても、とてもちいさく感じる。
天野初音・・・とか書くとなんかギャルゲーのキャラでどっかにいそうな感じが・・・。
そのせいで、擬人化の際、(↑)このようにロリキャラになってしまったのはやむを得まい。最初はおてんばな感じかと思っていたが、乗ってみると意外に大人しいので、擬人化イメージもちょい変更。車体デザインを無理に服へ反映させるのは、あきらめた。
ネイキッドは随所のモールドが男っぽいと思っていたが、実際に見てみるととてもかわいい。女性に人気があるのもわかる。ただ、お尻のラインがぺたんこなので、いまいちセクシーさがないのが、デザイン上の欠点と言えば欠点だ。まあ、これはこれで萌えるのだが。
普通、新しい車を買ったときというのは、もうちょっと浮かれていてしかるべきだと思うが、上述のように考えられるようになるには、ちょっと時間がかかった。
はるこを手放してから数日間、整理ができずに苦しんでいたからだ。
ネイキッドに乗り換えたが、ハンドルを持ちながら、つい「はるこ」と呼んでしまうことがある。
コンビニに入って出てきたときに、駐車場で自分の車を、目の前にネイキッドがあるのに、つい、はるこの姿を探してしまうことがあった。
そして、印鑑証明をダイハツに届けたとき、未練だとは思いながらも、かける言葉もないと分かっていながらも、廃車待ちのはるこを、情けないくらい探してしまった。
はじめてネイキッドに乗ったときは、非力ながら運転しやすいと思った。
それはもちろん、最後の頃のはるこに比べればの話である。むしろいまは、この慣れない乗り易さを、持てあましながら走っている。普通に走れるという違和感だ。あの乗り難(にく)さが、すでになつかしい。
はるこを失ったことは、まだ、後を引いている。
だが、そんな状態でも、用事の度に、ネイキッドで走り回っている。
中古で買ったネイキッドだが、走行距離は、わずかに1400キロだった。状態もよかったので試乗車だったのかもしれない。
だが、試乗車にしては、1400というのは、ずいぶん走っている。ならば、あるいは普通に中古なのかもしれない。
だとすると、この子は、何が気にいられなくて、まえの主人に捨てられたのだろう。
家に帰ったとき、おとなしい子犬のように、ちいさな身体で駐車場にうずくまっているネイキッドを振り返ってみて、そんなことを思った。
それから、ネイキッドに関心を向けるようになった。
ネイキッドは、「ならし」がまだ十分ではないと思うので、急発進や急ブレーキ、急加速など、エンジンに負荷の及ぶ運転は避けている。いまはまだ、3000回転以上には上げず、ゆっくり走っている状態だ。
ところで、ネイキッドは、四駆のわりに非力である。排気量がはるこの半分以下なのだから、無理もないだろう。だが、坂道とかで力が足りないときは、659ccのちっこいエンジンをぶんぶん唸らせて、一生懸命はしってくれる。
その様子が、なにか「よいしょー よいしょー 」とでも言っているように見えて、不意にかわいく思えた。
はること通じた回路があったからだろうか。すぐに頭のなかで擬人化されるネイキッド。キャスティングするなら、CV(キャラクターボイス)は田村ゆかりだろうか。
エンジンを「うおー」とばかりに唸らせているが、その威勢のわりにあんまりスピードは上がらないところとか、狭い路地では、ちいさな身体を活かして、すいすいと得意気にすり抜けをしていくところとか、しかしトラックとすれ違うと風圧で、車体がゆさぶられてしまい「あわわわわっ」と慌てるところとか含めて、ネイキッドはかわいいと思った。いや、このときは自分もいっしょになって慌てているのだが。
クロカワへ行く途中にある山越えのルートで、ひいこら言いながら坂道を懸命に登るネイキッドが、突然アクセルに反応して「うおおー! やるっス! 自分はやるっスよ! 先輩の遺志をついでご主人をまもるっス!」と白目キャラになって気勢を上げているように見えたことがあった。(CV変更:綱掛裕美) なぜ一人称が「自分」なのか。岐阜に来る前には、兵庫で売られていたからかもしれない。でも、このとき、この子にも反応してくれるこころがあるように思えた。
正直な話、ネイキッドの低速でのトルクの無さや、NA4速であるための走りにくさは不満な点である。
それに、とにかくこの子は坂道が苦手で、登坂時の印象などは、鬼瓦まお(陸上防衛隊まおちゃん)並みの、ものすごいドタ足にみえる。
でも、ものを愛するというのは、そういうことではない。
馬力がないなら、ないままを愛そう。
改造やチューンナップをする方法もあるかもしれないが、それは私の愛し方ではない。
愛するとは、関心を持つことだと言う。
だからわたしは、この子がいちばん走りやすい運転の仕方を、模索していこうと思う。はるこのときのように。
はるこの日記を書いていて思った。
レーシングカーではなく、乗用車として生まれたもののもつ矜持は、最後まで持ち主を護り抜くことだろう。
はるこは、ついにそれを成し遂げた、立派な車だった。
そして、これからは、初音に護ってもらうことになるだろう。
まだろくに会話はできないが、こいつの世話になる気に、やっとなれてきた。
はるこにしたように、ボンネットを撫でてやる。
この子からは、まだ炭化水素くさい、新品の匂いがした。
こんどこそ大切にしよう。
はるこのためにも。
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■ 2003.02.09
holy「古巣の書店」
書店を辞めてから、クロカワでの生活を見いだすまでの期間、前職の書店が新店舗を出すというので、そこでアルバイトを勤めたことがあった。
退役軍人とはいえ、キャリア6年で店長業務もこなせるとゆー超即戦力アルバイトである。時給がいきなり850円もついた。バイトの分際で、どういうわけか店長時代(瞬間最低額701円/時)をはるかに凌ぐ時給金額に、社会の不思議が垣間見えて泣けてきた。
オープンして2日目。おだやかに、かつてないほど楽な気分で働くことができていたのを憶えている。
前は「仕事、楽しい?」と聞かれると「楽しい(泣)」だったのが「楽しい(喜)」と応えられるのはステキだと思った。
店長の頃を思うと楽で楽でしょうがないが、それでもやるからには全実力をもって、全力で店長を支えようと決意する。
まだ店が新しいため、各店の店長さんや出版社の方が挨拶かねがね、新店を見学に来る。備品は新品ばかりで、とにかくピカピカの店内を、慢性的に物資に飢えた店長たちが物欲しそうに眺めて歩き回っているのが印象的だった。かつての自分をみるようではあったが、体制が変わってきたのか、いまは店長さんにもいくばくかの余裕があるらしく、少しホッとした。
店長さんだけでなく、社長も、社長夫人も、会長も、会長夫人も、かつて世話になった本店(最寄りの店)のパートさんたちも店に来てくれた。たくさんの関係者が、新店をほめ、帰っていく。
しかし、そのだれもが、ついに気がつかなかった。
店内にかかっているBGMが「井上喜久子クラシック」であることに。
会社を辞めるとき、ずっと心残りだった「井上喜久子さんの曲を一日中かけっぱなしにして働いたら、どれくらいストレスが消滅するか実験」が 堂々と秘密裏に敢行でき、効果も充分すぎるほど実証できたのが、とてもしあわせだった。
ものすげえまったりとした環境で仕事ができているのは、やはりこの曲のおかげだったと思う。
バレてないようなので、井上喜久子さんの曲の他にも、KEY系のBGM(ボーカル曲のぞく)を店内に流してみた。
なぜボーカル曲はダメなのかというと、日本語の本を置く書店では、日本語の歌は禁止だからである。その店は、特に専門書が多い店舗なので、書籍をよく読んで、間違いの無いように選んでいただかなくてはならない。そのためにも、耳から別のロゴスが入って邪魔にならないよう、BGMは、あくまでインストゥルメンタルであるべきなのだ。
KEYの、いわゆるI'veサウンドは、店内BGMとしても出来がよく、評判もいい。いつだったか、初老のお客様が「夏影」にあわせて口笛ふいていたのもちょっと感動した。
この書店はグループの特徴としてコミックとコンピュータ書がよく売れるから、わかる人もそのうち来るだろう。「でも、これって、いわゆる職権濫用かもなあ」と考えながら、それでも地道にKEY関係のBGMを流していたら
来たよ、オイ。
「いやI'veサウンド好きなんですよー。KanonもAIRも!」
「あ、じゃあ『おねてぃ』って知ってます?」
「DVDで持ってますが何か?」
「あのアトラク=ナクアって知ってます?」
「先月クリアしましたが何か?」
「えっと、月姫って」
「レンのぬいぐるみ(ネコ)がうちのサーバーの上に置いてありますが何か?」(微妙に話題が古いなあ)
「ええと」
「上の階にある会社の事務所には、アニメ・ゲームのDVDが山積みですが何か?」
こ、
このビル(職場)って、いったい何の建物なんですか社長!
そうこころの中で叫んでいると、彼は静かな笑顔のままでこう言った。
「8月には仕事休んでコミケに行ってましたが何か?」
こうして知り合った「カゲロウ」さんは、そのまま店の常連になってくれて、客足の途絶える時間帯などには、よくコンピュータ業界での書籍ニーズについての情報提供者になってもらい、話を聞かせてもらったものだった。
私が店を辞めるとき「いつか、温泉に行きましょう」と話していた彼の休日が、2月になって、やっと取れたので、先日はちょっと足を伸ばして露天風呂に御案内してきた。日帰りとはいえ、けっこう距離があったため長時間の移動である。だが、終始ゲームの話で語りが尽きなかった。
カゲロウさんを自宅まで送る。そのついでに、古巣の書店にも寄った。
この店で、アルバイトをしていた記憶がよみがえってくる。そこで思った。
ここで、働けてよかった。
本が好きなだけの人間として、最後に思いっきり、直接に本に関われたから。
ただの本好きに戻ることが出来たから。
事務や人事や社内問題や責任問題や実績問題を抱えなければならなかった店長とは違い、アルバイトは、純粋にお客様と、本とだけ関わる仕事である。その美味しい日々のおかげで、書店業に対する欲求不満が、ほぼ完全に、最後の一杯まで満たされてしまったのだと思う。2002年の11月に、アルバイト(正式にはパート社員)として勤めていたその書店を、わたしはやめた。
この仕事は、前職の経験が100%生きるため、非常に楽だったが、それだけに自己の成長がなかったから、というのがもうひとつの理由だった。
これからは、クロカワで、適当な仕事でお金を稼ぎながら、絵描いて日記かいて本読んでゲームやって畑たがやしてヤギの乳でもしぼって暮らすつもりである。
久しぶりに訪れる店を眺めながら、これまでのドタバタした転職劇を振り返ってみる。そこから、何かの教訓をひねり出そうとしたが「若いうちはやりたいことをやった方がいい」という非常にありきたりで手垢にまみれた使い古しの、しかも無責任な言葉しか出てこなかった。
ただこれは「やれる時期が今しかないから」ではなく「本当にやりたいことを見つけるためのプロセス」なのだと思う。
将来のことを悩んでいる人も、環境が許すなら、30過ぎくらいまでは、やりたいことをやりきるように考えたらいいと思う。そうして空っぽになるまで全力で走りきれれば、こころの底にあった「本当にやりたいこと」や「ナチュラルな自分の人生のスタイル」みたいなものが見えると思う。
その後、カゲロウさんの部屋で、月刊ニュータイプについてきたエヴァンゲリオン第1話のDVD他(最近の雑誌付録はホントにすごいなあ)を見ながら、エヴァって1995年だったっけとか、8年ちかくも前かとか、すでに懐かしい領域になってるとか、久しぶりにみると面白いなあとか、新海さんの新作アニメのオープニングはイースを思い出すとか、この塔って「新現実」の漫画にも出てましたねとか、じゃあついでに英雄伝説のオープニングも見ておきましょうとか、そんなような話をして夜を更かす。
最後に会ったとき、お互いのメールアドレスを交換していなかったら、わたしは彼と再開することもなく、この時間を失っていただろう。
書店店員として、やり残したことや未練は、もうない。ただ、その時代に構築できた人間関係や、ネットで知り合ったつきあいだけは、手放せるものではないだろうと思う。
ネットがあるから、私は、この広範にわたる人間関係のなかでも、世界を狭く、遠くの知人を身近に感じながら生きていけるのだ。
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■ 2003.02.10
mon「獅子と狼」
どういう縁なのか、二週間に一度の割合で会っているBeeさんと、またミニオフ(二人)会をやった。
今回は天野の家にお招きしたのだが、その目的のひとつは、最近かったショップ制作PCのトラブルを見てもらうためである。
前にマンデリンさんにセットアップしてもらい、おおよそ使えるようになったのだが、後日になって、BIOSの関係でUSB2.0を認識しないことや、先日購入した内蔵HDの増設など、天野には荷が勝つ作業をBeeさんに協力・・・というかほとんどやってもらった。おかげで、USB2.0は、BIOSのアップデートで使えるようになり、HDも無事につなげることが出来た。自分で勉強してからやっていたら、どれだけかかっただろう。ありがたい話だ。
購入時、ショップマシンのうち、39800円で出回っている商品のほとんどが1GHzな中で、これだけが1.7GHzだった。高性能の分、どこかで安価な部品が使われているだろうから不具合が出るかも、と思っていたが、とりあえず今のところは問題ないようである。
それにしても、マックユーザーで、はじめて安いPCをセットアップするとき、自作とかウインドウズとか分かるひとと友達になっておくことは、非常に重要であると痛感した。「医者と弁護士は知人で揃えよ」という処世訓に、ちょっと似てるかもしれない。
二人オフ会のとき、でてくる話題は、いろいろある。
日記に記録されるのは、あたりさわりがないことや、読者からみて面白い(であろう)ことばかりだ。しかし、政治のことや、仕事のこと、お互いがふだんの生活で感じていることなど、実際に語られるのは、普通の話題の方が圧倒的に多い。
そして、こういう話をしていて、不意に自分が感じていることを、口からこぼれる言葉として気づかされるときがある。このときも、いくつかあった。
Beeさんは、夜想曲の日記コンテンツや最近の農業の話を熱心に読んでくれていて、天野の苦労話とかをスゴイスゴイと言ってくれる。
だがわたしは、自分のしてきた苦労や経験が「100」あるとして、そのうち「80」くらいを、日記に書いている。しかも、その「80」は真実を隠蔽する名目で誇張され「120」くらいで読者の目には写っていると思う。
しかし世の中には「200」くらいの苦労をして、「20」も書いていない人、そして「10」も語っていない人もいるのではないかと思う。そういう人を、私はこれでもたくさん見てきている。彼らの前では、自分はぜんぜんすごくない。
日記を書くことは楽しい。だが、それがときに恥ずかしく思えることもあるのだ。
私は「自分は今日、こんな善いことをしましたよー。楽しかったですよー」と書くことで善行を安売りしているのではないか。黙して語らず、分かってもらうことを求めず、ただ自分の精神の中にのみ善行という宝を積む人のほうが、ベラベラ語っている私よりも、はるかに尊い存在なのではないか。
獅子は、獅子であることを吼えたりはしない。そういう人を、わたしは尊敬している。
私の日記は、以前にも書いたように、いま自分がなにを感じているのか、どんないいことがあったのか、忘れてしまわないよう、思い出すためにつけている記録だ。
だが、最近になって、これにもう一つの価値を見いだすようになってきた。
それは、友人ができること。日記を読んで、共感してくれた人と友達になれることだ。
絵だけでは、これはなかったと思う。ネットで得た友のほとんどは、特に最近は、日記のコンテンツでつながりを得た私の宝だ。
自分の日記を、狼の遠吠えに喩えたことがある。
狼は吠える。「I'm here ! 」と。そして「Are you there ? 」と。
そして、答えて、会いに来てくれた友人が、私にはいる。
友達は得難いものだから、大切にしよう、とある人が言った。
人数が少ないならなおさら、と。
でも、わたしは、友達に人数は関係ないと思う。
友達が100人いたら、1人くらい失っていいか、なんてことは比べられない。
「失ったのは100分の1だ」と誤魔化すことは出来るが、それは錯覚だ。
100人の友がいても、1人しか友がいなくても、1人を得ること、1人を失うことの、事実と価値は、かわらない。
「Beeさんは、わたしの友達だ」
冗談ばかりの会話の中に混ぜ込んで、でも面と向かって言った。
「別にウインドウズのことがわかるから、今日よんだわけじゃないよ」
家族から離れて田舎に越すから、わたしは寂しいと思っているのかもしれない。
友達がいることがありがたい。
だから、日記はまだ書こうと思う。恥ずかしいと、認識したままで。
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■ 2003.02.18
tue「カレー部」
「カレー部」という活動に入部した。
カレー部と言っても「美少女遊撃隊バトルスキッパー」のアレではない。この、いまみるともう、タイトル含めて寒疣(さぶいぼ)ものの恥ずかしアニメにそーゆーよーな名前の部が出てくる。たしか井上喜久子さんが主役で、宮村優子がすごい演技だった。いや、こんな古くてマイナーなアニメで断る必要もないと思うが、そこの「華麗部」ではなく、いきなり脱線したが、今日は、食べると美味しいカレーを愛する部活動の話である。
カレー部部長のせっつさんによると、活動内容は以下のとおりである。
カレー部の活動内容は、とにかく、カレーを食べて、カレーを楽しむこと。カレーであれば、自作・レトルト・店屋物その他なんでもありだ。
さらに、カレー若(も)しくはカレー好きのキャラが出てくる漫画・アニメ・ゲームを楽しむこと。
そして、日記や掲示板でカレー関連・カレー系のキャラ関連のことを書く、或いはそういったキャラに萌えること。
わたしは昔から御飯ものがすきなのだが、なかでもカレーに対する愛情は完全に別格である。
カレーだけで何日くらせるか、日々挑戦したいくらいに好きだ。今度の引越で、台所を自由にできるため、その野望が実現しそうなので、いまからちょっと落ち着かないくらいうれしい。大鍋を手に入れたら、すぐにでも実行したいところだ。
ところで、連続カレー食記録に関しては、結城心一氏(漫画家:代表作「ももえサイズ」)のように、一年半つづいたという猛者もいるので日本も広いと思う。ところでこの場合、結城氏の肉体は、その構成原料において、ほとんどカレーとライスで出来ていると言えるだろう。あと水と福神漬けだ。この、肉体の維持限界までカレー率を上げるという高度な荒行は、わたしも若いうちにもっとやっておくんだったと、嫉妬混じりに後悔しきりである。
ところで、カレーと言えば、ゲームの世界では、
カツカレーのみさき先輩(ONE)と、
カレーパンのシエル先輩(月姫)が有名だ。
とくにシエル先輩の方は
「先輩、カレーと俺、どっちが好きなんですか?」などと聞こうものなら
「言っちゃっていいんですか?」
と返されそうな(どこかの同人誌で見たネタですね)くらいにはカレーを愛している。実に素敵だ。
彼女は、キレンジャー・山本正之・そしてみさき先輩に続き、近年を代表するカレーキャラと言えよう。(しかし偏った人選だな)
特に先日からプレイしている歌月十夜(月姫のお祭りディスク)での、発動型シエル先輩はちょっとすごかったので、とりあえず惚れ直した。
そんなシエル先輩に敬意を表して、カレー部部員同士の挨拶は、朝も昼も夜も
「インド!」というのはどうか。(一応、参考資料:メッセサンオー)
さらに、メンバーがあつまって叫ぶときのかけ声は、某アニメに出てたインド出身の宇宙人が設定資料集でしていた独白の変形で
「インドのカレーはァァァ、日本一ィィィィィ!」
が良いのではないかと思うがどうだろう。
おまけ
ところで、ガルシニアという減量効果もあるのがうれしいカレースパイスを探しているのですが、どこか通販で扱っているところを御存知の方は見えませんでしょうか。Googleではとりあえず見つからず、ひきつづき調査中。情報求めます。
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■ 2003.02.19
wed「蔵書の処分」
むかし、知人にたいへん衣装持ちのお嬢様がいた。彼女の、管理に困る衣類の取捨選択方法は「忘れていた服は捨てる」そうである。整理をしていて「ああ、こんな服かったっけ」と思う程度の、印象の薄いものは捨てるのだそうだ。
ところで、クロカワへの引越が迫っているわたしにとって、管理に困る量の所蔵品は、本である。
彼女にならってみよう。まず、今まで購入した本のタイトルを、あやふやな記憶だけを頼りに全部書き出す。
そして、そのときリストにもれた本、つまり思い出せなかった本、存在を忘れていた本を、すべて処分する。憶えてなかったような本は、それまでの人生において大した意味はないし、とっておいても、ほとんどの場合、二度と読み返さないからだ。
「よ、よし、じゃあこれで行くぞ」
とリストを握りしめて分別にあたったが、実際には「こ、これは絵の資料になるし」とか「誰かが貸して欲しいと思うかもしれないし」とか「こ、この煙草の箱くらいの広さのインタビュー記事のために、井上喜久子さんのことが載っているキャラコママ(お母さん向け情報雑誌)(買ってたのか)は捨てられん!」とかいう理由をつけて、けっきょく本の数は、あまり減らなかった。
そうして、数日かけて少しずつ本をまとめ、不要と判断したコミックや文庫本を、先日、古書店に売りに行った。
ちょっと前に、知人が「段ボールに二箱もの文庫本をもっていったが、680円にしかならなかった」と嘆いていたので、相応の覚悟をして臨む。古書店では、本の定価はあてにならない。いま価値のある本かどうかが全てなのだろう。
ところで「本は逃げる」という名言がある。
購入を迷って機会を逸すると、いざ欲しくなったとき、その本はどこにも置かれてないことが多い。
その人が読むべき本は、かならず一度は姿を見せる。だが、その後はこつぜんと消えてしまうのだ。そう、本は逃げるのである。
これを度々経験してきた私は、書店員になってから「迷ったら買う」という豪快な基本方針を持っていた。買わないで後悔するより、買って悔やむ方がマシだと思うからだ。
その方針を検証したところ、買って悔やんだ本は段ボール三杯となった。購入総量を考えれば、外れてない方だと自分を慰める。これを「1000円くらいだろうか」と思って持ち込んでみたら、意外にも3790円の値段がついたので驚いた。
思えば内訳は、一巻だけ買ったが、あとが続かなかったコミックなどが多く、なかには例えば「最終兵器彼女」(後に全巻かりて読破した)などもあり、そのへんが評価されたのだろう。しまった、こんなに価値のある本ばかりだったら友人に欲しがっている人がいたかもしれん、とちょっと後悔した。
引越の作業をすすめつつ、その後、大判の本も売りに行った。画集や、写真集などである。
書店時代、「絵的にいいなと思うものがワンカット」あったら、当時の私は「1000円だす」という、いま思うと、かなり贅沢な基準を持っていた。
一冊の画集のなかに3枚いい絵があったら、購入予算は3000円。画集の価格がそれ以下なら、得したと思ってゲットしていたのだ。
そんなわけで、けっこう高価な本もポンポン買っていた。でも、いま見ても購入当時と同じ価値を見いだせる絵は少なく、100冊あまりをまた売る。2730円だった。
こうして私の手元に残った本は、段ボールにつめて35箱。
冊数は不明だが、愛書狂のはしくれを語るには、すくない方だと思う。
すくなくとも、読子ビル(買った本を溜め込んでいる内に持ちビルが一棟まるまる本部屋になってしまった有名な愛書狂の住処・「R.O.D」参照)の威容を思えば、お話にならない。
愛書狂は、本の重みで自室の床を抜いて一人前だという。いや、誰が言ったか知らないが。
万冊単位でもっている人によっては、単純に換算してトラックなどの大型車両一台分くらいの重量物を部屋に持ち込む格好になるわけだから、床が崩落するのも、無理はあるまい。
それにしても、蔵書にして何冊以上から愛書狂と呼べるものだろう。35箱を前に、しみじみと考えた。
本というのは、マンガも含めて、もっている人は本当にもっている。
だが、世間一般にその数が知られているわけではないので、「自分はたくさんもってるなあ」と勘違いしている人も多いようだ。
いつだったか見たサイトで「ボクはマンガに関してはかなりのマニアで、500冊くらい持ってます」と臆面もなく書いてあったところがあったが、マニアを名乗るのは、せめて「10000冊から先は数えていない」くらいであるべきだろう。
書店でアルバイト採用の面接をしているときも、マンガを良く読んでいると自負する応募者は多くいた。
「オレ、マンガって好きで、ほとんど読んでますよ」
なかには、こんな風にいう奴もいる。「ほとんど読んでいる」という言葉に出会うそのたびに
「へー、ほとんど読んでるの。スゴイね。じゃあ、少女マンガもレディスコミックも耽美系コミックもホラーコミックも戦記物も少年マンガも青年マンガもエロマンガも双葉芳文社系の四コママンガも劇画系コミックも青林工藝社ガロ系マンガも角川電撃系コミックもゲームアンソロジーもコロコロボンボンも学習マンガも読んでるんだねすごいねーすごいねーすーごーいーねー」
と、なんど切り返してやろうと思ったことか。
書店でコミックを担当した者は、流通する百数十万冊の本の海原と、その中でもっとも勢いのあるコミックの海流を、すこしだけ見渡すことができる。
実際「ほとんど読んでいる」という彼らに聞いてみると、ジャンプ・サンデー・マガジンを立ち読みしている程度だったりするから、海原を見た書店員や、家が傾くくらい蔵書している人から見れば、「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」という印象である。
そんな意識からかつては、書店員として、あらゆる本を、広く浅く理解していなくてはいけないという考えを、ずっと持っていた。本のことは、たくさん知っているほど、素晴らしいことだと単純に思っていた。だからこそ、愛書狂であろうと思っていた。そして、その視点からは、個人の読書歴など、とても狭く見えて馬鹿にしていたのだ。
しかし書店を辞め、個人になってみれば、わたしには、買って読んだ本は、せいぜい乗用車くらいの重量しかない。本をまとめていて、わたしも、愛書狂などと言えるほどのものではないな、とはじめて思った。たくさんの本を知っているように思えたのは、何万冊もの本を扱っていたという、書店員ゆえの錯覚と驕(おご)りだったのだろう。本当のところは「井の中の蛙」と、アルバイト応募者をわらえるほどのものでもなかったのだ。
いまは、自分の好きな本だけを、引越先に持っていければいいと気負わずに思っている。
もう、愛書狂であろうとする必要もないし、書を愛するのに、数を誇ることはないのだ。
井の中の蛙、大海を知らず。
されど、井戸の深さを知る。
持っていくのは、どれも私の深く愛した本ばかりだ。それでいい。
ともあれ、書籍類の梱包は完了した。
35箱というと、けっこうな量ではあるが、借りる家は一軒家なのでさしたる問題はない。当面の借家に専用の部屋はないが、次に大きな家を借りられたら、本専用の部屋をひとつ作ろうと思う。こういう自由が利く点だけでも、大きな家が借り放題の田舎暮らしというのは、実に素敵だ。
これを、三階の自室から運んで、いよいよ、クロカワへの引越がはじまる。
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■ 2003.02.20
thu「親離れ」
新生活が、もうじきはじまる。
正直いって、すごくこわい。
波のように繰り返し押し寄せる恐怖に似た不安を、ここ数日、毎日あじわっている。
恐怖に混じって、いちばん感じ取れるのは、寂寞感だ。
一人暮らしの不安と寂しさが、ここにきて、予感としてわかる。ネットの知人には、一人暮らしをしている人が多いが、みんなよく耐えているなあ、とこころから感心する。
ホームレスが田舎にいないわけも、よく分かった。都会には、隣人に無関心ながら、それでもナマヌルい温もりがある。しかし、人のいない田舎の寂しさは温度の質が違う。心を開かないものは、田舎では侘(わ)びしさに凍えそうになるのだ。
いまでこそこんなことを書いていられるが、引越直前に、新生活への不安は最高潮になった。
クロカワへ行くこと自体が、嫌になってしまったほどだ。
だが、冷静に分析してみる。
わたしは、クロカワが田舎だからいやなのか? なら、もし東京へ行くとしたら?
そう、想像してみる。東京には、日頃から会いたいと思っている多くの知人がいる。総じて好ましい環境だ。
それでも、いやだと思った。そこで気がつく。
私は、家をでること自体を嫌がっているのだ。
父が死んでから、わたしは母を守り、支えてきた。
父が死ぬまでの不孝を埋めようと、わたしは母の願いに応えてきた。大きいことが出来たとも思えないが、小さなことは、買い物につき合うことまで、いろいろ尽くした。
自分の息子と買い物にいく、というのは、他の母親からはうらやましがられたらしい。いい歳をした男にとって、母親ほどうっとおしい存在はないから、素直に言うことを聞く息子というのは得難い存在だったようだ。
孝行という以外にも、わたしには思惑があった。
ある年齢層の男性にとって、母親に対する態度というのは、そのまま妻に対する態度であるという。
事情があって、ゆっこさんとの結婚生活が、なかなかスタートできない状況だったから、息子として母を愛し労(いたわ)ることは、妻を愛し労る練習だと思った。
そう考えてみると、自分は酷い夫になるところだったな、と思う。いままでずいぶん、母のことをバカにしたり、邪険にしてきたからだ。
こころがけて母に尽くしてきた、十年ほどの期間。
母も、歳をとってから産んだ末っ子である私を愛してくれたし、私も同世代の男性の平均からみれば親孝行をした方だと思う。
でも、これからわたしは家を出る。
わたしは母に恨みがあった。親子の間には、溝があったのだ。だが、その溝はこの十年で、いくらかでも埋められたと思う。
気がついてみると、そこには、絆が生まれていたからだ。
すでに断ち難くなってしまったほどの、絆が。
かつてあれほど手放したいと思っていた縁を、いま、自ら放すことを嫌がっている。
クロカワが恐いのではない。
家族との別れがつらいのだ。
もう、充分に親孝行をしたから、ここを離れてもいい、などとは言えない。
子供風情が、母を愛することにおいて充分などという基準は、ありはしないからだ。
孝行は不十分だろう。それでも、ようやく、わたしは母とのちゃんとした絆を獲得できたのだと思う。
だから、いまこそ、親離れをするときなのだ。
親を捨てるのではなく、絆を結んだからこそ、ようやく次の段階にすすめる。これは、そういう出発なのだと思う。
新生活への単純な不安は無いではない。でも、信じて飛び込んでみるしかない。こういう状況では、要らぬ不安が大きくみえるものだから。
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■ 2003.02.21
fri 「引越」
ついにやってきた転居当日。
天候に恵まれたのは、掲示板に告知した今日のことを、祈ってくれた人たちのおかげである。
引越の手伝いは、ロメオさんにお願いした。
レンタカーのトヨタ・ハイエース(ロング)一台に、本棚をはじめ、大きいものを積めるだけ積む。
二人とも、このところ体力仕事をしてなかったので、すぐ息があがった。一休みしてから、出発である。
ドライバーは、天野がつとめた。
クロカワへ行く道の後半は、実質一車線分しかない道幅を、地域の都合で無理矢理上下線にしている状態である。
要するにかなり狭いのだ。山から谷川へなだれ落ちる斜面を、ちょっとだけ削って道路にしたのだから無理もない。
川沿いゆえに曲がりくねっているので、とつぜん目の前に一方通行道路を逆走してきたかと思うような車両が遠慮ない速度で出現することが、けっこうある。
そういうときは、最寄りにある比較的道幅のひろいところを利用してなんとかすれ違うか、はんぶん川に落ちるようなライン取りですり抜けるしかない。
ちなみに、恐るべきことだが、ここはバス路線でもある。信じられない道幅の場所に、バス停が堂々と設置されているのだ。ここを仕事場にしている路線バスの運転手を、私はこころから尊敬している。
あらためて、山奥の田舎に引っ越すんだなあ、という感慨を持ちつつ、クロカワで借りた家に到着した。
家に前に車を停めて、準備にかかる。二人と言うこともあるので、作業を分担した。
ロメオさんに掃除機をかけてもらっている間に、大家さんに挨拶に行く。
ロメオさんに食器棚を組み立ててもらっている間に、大家さんとガス契約の話をする。
ロメオさんに壁や棚のほこりを払ってもらっている間に、大家さんとボイラーの話をする。
ロメオさんにハイエースから洗濯機を運んでもらっている間に、大家さんと季節の話題で談笑する。
作業は非常に効率的に進んだ。
契約をするときに見た家の中は殺風景だったが、調度品が揃ってくると落ち着いてみえる。情緒的な不安はまだあったが、これでちょっと安心した。
大家さんにあらためて挨拶し、空になったハイエースに、八面六臂の大活躍で疲れ果てたロメオさんを積載し、家に帰る。実は、今日は荷物のみの引越で、ここにすむのは、ネイキッドを運んできたときからだ。
道中、ロメオさんと話ながら、一人暮らしをすることへの恐れ、田舎暮らしへの不安が、口からこぼれた。
過去の日記にも書いたとおり、わたしにとってクロカワでの田舎暮らしは、正しい決断だと思う。でも、不安を話せる相手が欲しかった。
だまって聞いてくれたロメオさん、本当にありがとう。
引越の十日ほど前、今日のこのために、夜想曲掲示板でお手伝いさんを募集した。
そのとき出した条件は
天野の自宅までひょいっと来られる人であること。
大きな荷物を運搬するため、腰などに故障のないこと。
天野より忙しい人に、こんな暇人の手伝いをさせるわけにいかないので、暇で暇でしょうがない人であること
というものだった。
忙しいくせに手伝ってくれそうな人を、徹底的に削り落とすための条件である。
社会では、暇な人が忙しい人を使役することがたびたびある。それが、わたしには、どうにも不条理に思えてしかたがない。(といいつつ、自分も、あるいは誰しもやっていたりするのだが)
だから、自分よりも忙しい人を、暇なわたしのために働かせたくなかったのだ。
よっぽどの偶然があれば、あるいは、と思っていたが、この条件を呑んだ上で、名乗りを挙げてくれた人は、驚いたことに何人もいた。
掲示板で応えてくれたのはTAKAさんだ。彼とは後に会えることになったが、このときまだ初対面の人と、慣れない引越作業をするのは私にも余裕が無く、失礼になると思ったので、断りの連絡を入れる。こういう作業は、あるていどつきあいの長い人でないと、大変だ。そんなわけで、メールで連絡をくれた中で、一番つきあいの長かったロメオさんにお願いした。
でも、意図的に誰も来られない条件を出したのに、その網目を潜るようにして、あるいは破ってでも、申し出てくれた人がいた。
本当に、ありがたいことだった。
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■ 2003.02.22
sat「萬展」
先日は、荷物の引越で、わたしが実際に移り住むのは、2/23の予定だ。土曜は、身辺整理のためと、仏滅だったのでなんとなく避けた。
その土曜に、マンデリンさんのお誘いで、「萬展」という展示会に行った。
松本零士・石ノ森章太郎・安彦良和・大河原邦男・モンキーパンチ・塩山紀生・里中満智子・矢口高雄・垣野内成美・桜瀬琥姫・草薙(漢字が出ない)琢仁・小島文美という豪勢な顔ぶれの、絵の展示会だ。
実際に飾られているのは、原画ではなく、リソグラフのようである。会場の展示品には、ナンバーがふってあった。
この展示会は、絵画の販売を目的としたイベントである。
売場に入るなり、小綺麗な新卒社員やお姉ちゃんたちが取り囲んで、売りにかかるアレだ。
だが、リソグラフで、20万円は下らないので、おいそれと買えるものではない。
わたしはこれとほとんど同じ商売を、掛け軸でやってきた経験があるので、適当にウソをついてかわした。
人に話しかけられながら絵を見るというのが、私にはうまくできない。
絵に神経を集中して、こころを細く、こよりのように収束させていく作業が好きだ。
でも、売り子に話しかけられると、それがとたんに霧消してしまう。
人といっしょに絵が描けないのも、同様のことかもしれない。
だが、入場料がただなのだから、これも当たり前のことだろう。
それを考えると、お金を払って、思う存分に絵を眺められる美術館の方が、わたしは好きだ。
ただ、得られるものはいくつもあった。
たとえば、コミックの単行本表紙でしかみてなかった絵の、その原寸大である。
新書サイズでみてきた絵が、実はB2くらいの大きさだったときなど「このサイズで描いていたのか」と驚かされた。
この展示会には、わたしとマンデリンさんと、彼の友人である三等兵さん(仮名)もいっしょに来ていた。
三等兵さんは大河原邦男、マンデリンさんは垣野内成美、そしてわたしは草薙琢仁がお目当て、と三人三様である。
大河原邦男めあての三等兵さんは、重度のガンダマーだ。
しかし展示販売されているのはボトムズばかりなので、彼はずっと悔しがっていた。ガンダムは版権が厳しいのだ。
販売員も、彼が一番その気があるように思えたらしく、会場のある百貨店が閉まってなお、販売トークが続く。
彼は結局
「ガンダムならともかく、ボトムズに金はだせんなあ」
と、味のあるひとことを言い置いて、出てきた。まあ、そりゃそうだろう。
マンデリンさんは、垣之内成美さん目当てだ。
垣之内さんといえば有名なところは「吸血姫・美夕」だが、彼が欲しているのはアフタヌーンで連載していた「午後三時の魔法」である。
驚いたことに、その絵もあった。マンデリンさんはかなり引かれていたが、会場で購入を決意するまでは至らない。しかし「大学時代にはマンガくらいしか読んでなかったので、この仕事に就きました」という感じの、銅線みたいな髪色の販売員も食い下がる。
「他のひとの絵だったら、欲しいんだけどなあ」
「どんな作家の絵ですか?」
「芦奈野ひとし」
「はあ、タイトルはなんていうんですか?」
「ヨコハマ買い出し紀行」
「ジャンプ系ですよね」
「天野さん、帰りましょうか」
友情と努力と勝利のヨコハマって、どんなんだろう(あるいはラブコメか?)と思いつつ、販売員に捕まっている三等兵さんを待った。
それにしても、アフタヌーンの知名度の低さ(特殊層には有名だが)を実感する。やはり普通の人にはちょっと敷居が高いようだ。
天野は草薙琢仁さんの絵が目当てだったが、もちろん購入する気など更々ない。
だが販売員も、あからさまに買ってほしい様子を見せず、まずは話を合わせてフレンドリーな関係を作ろう(そして断られにくくしよう)と、いろいろ話しかけてくる。
「お客様、大河原邦男先生の絵はお好みですか? この『ボトムズ』とか」
いかにもわかってねえ感じのトークである。
ためしに、絵に描かれていた黒いATの名を振ってみた。
「お、これはブラッドサッカーだね」
「は?」
ああ、この程度の理解深度の販売員じゃあ、ウド編はブレードランナーで、クメン編は地獄の黙示録で、クエント編は2001年だよねーとか、ポリマーリンゲル液って、常温で発火するんだよとか、ちょっとでも本気でボトムズのことを語ったら、吹っ飛とんじゃうだろうなあ。
仕掛けてみるのも、ちょっと魅惑のプランだったが、可哀想な気もしたので、まったくの素人のふりをして相手にされないようにした。
展示販売されている絵は、どれも20〜50万円くらいの価格である。
モノがモノだけに、ねらいはマニアだろう。
だが、石ノ森先生などは付加価値があるからともかく、若手の桜瀬虎姫とかでは、この値段は厳しいかもしれない。
絵を購入する、というのは魅力的な買い物のスタイルだが、20万円あったら、同人誌がどれくらい買えるだろうと、わたしなどは思ってしまう。
マニア向けの市場としては、同程度の値段設定(20〜50万円)に、等身大フィギュアなどがある。マニア向けリソグラフ販売企画(漫画アートとかいうらしい)のゴーサインがでたとき、たぶんそのあたりが価格帯の参考にされたのだろう。アレよりは始末に困らないだろうし。モノはいいから、決して売れないわけではない。絵を買うということ自体も、それほど特殊なことではない。わたしもむかし、堂本美術館で絵を見ていて、100万円の牡丹の絵に惚れてしまい、買う算段をしたことがある。
だが、少なくとも今回に限って、このときこの会場で一点も絵が売れなかった理由は、ネタでも値段でもなく、別のところにある。
そう、我々を含め、マニアな購買層のほとんどは
自分より明らかに格下だとわかる浅いマニアに薦められて買うのが、しゃくにさわるからだ。
販売員の薄さ、というか、彼らがマニアではなく、しょせんいままで普通の生活しかしてこなかった人間風情であるとゆーこの一点は、この企画における最大の弱点である。
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■ 2003.02.23
holy「クロカワの空気と音」
出来事のメモ:引越・町内への挨拶・電話がつながる
ネイキッドに、家に残した荷物を、積めるだけ積んで、クロカワへ寝床を移した。
今日からが、新生活の出発である。
まずは、大家さんに挨拶をし、そのまま、町内をまわって、紹介をしていただく。名刺がわりに、名前を書いた熨斗(のし)紙につつんだカラータオルを配っていく。ホントに若い人がいない町だった。そのせいか、どの家に行っても歓迎された。
その後、引越荷物の整理をはじめる。しばらくして一段落ついたので、とりあえず裏山を散策した。
クロカワは、やはり空気がうまい。
すぐ近く、というか家の脇に清流が流れていた。近所の何件かは、ここから山水をとっているようだ。取水のための貯まりから水をすくってみる。濃いミネラルの味がした。すごく美味かった。
田舎というのは、基本的に静かなところである。
以前に一度、クロカワの住人宅に泊めてもらったことがあったが、そこは、道路からも遠いため自動車の走行音もとどかず、近所に街灯もなくて月も出ていないうえに、そのとき冬だったため、夜ともなると、寝室は真の闇に完全なる無音だった。幻覚と幻聴が聞こえてきそうなくらいには静かだったので、とりあえず視聴覚室と名付ける。
これに耐えられずに逃げ出す人がいるのも、ちょっとわかる気がした。
でも、わたしが借りた家は、清流のおかげで、サラサラといつも水音がしている。目の前には道路が通っているので、たまにだが車もバスも通る。ぜんぜん秘境という感じはしない。
本屋などはないが、コンビニくらいの広さの食料品スーパーはあるし、生活には不自由しないだろう。
ここで、今日から新しい生活が、はじまる。
家族の同意ではなく、自分でなにもかも決めていく、そして、自分を解放した生活が。
この間まで不安にビクビクしていたくせに、いまはもうワクワクしている自分が、ちょっとだけ、おかしかった。
「よし、新しい生活のスケジュールを立てよう。まず、田舎は娯楽が無くて退屈だろうからって借りまくってきた、ギャラクシーエンジェルのビデオみて、藍より青しみて、彼氏彼女の事情みて、シュガーみて、ノワールみて、ガンダムSEEDみて、ビッグオーみて、ラーゼフォンみて、ココロ図書館みて、ちょびっツみて、最終兵器彼女みて、朝霧の巫女みて、まほろまてぃっくみて、花右京メイド隊のビデオをみるぞー! うひゃひゃひゃひゃ、自分を解放するって、楽しいなあ!」
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■ 2003.02.24
mon「水の流れ・教育環境」
新居は、後方が山、前方は道路、そしてそれ以外は畑という環境に建っている。
せまい畑の向こうには、家もあって人も住んでいるし、大自然の中の一軒家というわけではぜんぜんないが、わたしにはちょうどいいくらいに田舎の立地だ。
ただ、借りた家は、改装を重ねてあるとはいえ、屋根裏などから構造を見る限り、かなりの年代物だ。いや、いい意味ではなく。
その様子は、おいおい語っていこう。
とりあえず環境的に歌いたい放題なので、わりと思い切った音量でゲームやアニメの音楽をかけながら、家の掃除をした。
運び込んだ荷物があらかた片づいたので、とりあえず、台所などの掃除をする。
流し台の周りや、ガス台付近を、かんたんマイペット(洗剤)でピカピカに磨き上げた。
そして真っ黒になったバケツの水を、流す。
ここではたと思考が止まった。この水は、どこに流れる?
下水へ、というのが都市生活者の思いつく言葉だと思うが、ここクロカワにそんなものはない。
このステンレスの流しの下は、どうなっているのだろう。
パイプをたどって、外に出てみた。
外はいい天気である。すぐちかくに綺麗な川があったから、夏には泳げるかもしれないなと想像しながら家を一回りするうちに、パイプの出口を発見した。
こ
こりゃ泳げんわ。
あまりにダイナミックな汚水処理の現場を目の当たりにして、ちょっとショックを受ける。
さらにたどってみると、この用水路の10メートルむこうの、その綺麗な川に、生活排水がダイレクトに注がれていた。
その川が、なまじ鮎やアマゴとかが釣れる綺麗な渓流(ってほどでもないが)だけに、衝撃は大きかった。
だが、下水道完備の地域でも、本質的には同じだということを思い出す。
あさりよしとおの「HAL」というマンガにあったが、浄化層や浄水施設は、しょせん気休めというのが、実状である。わずかな汚水を、豊かな自然で分解していた昔と違い、わずかな自然(それも土や草が浄化してくれていた小川を、上記写真のようにコンクリートで固めてしまっている)と下水処理施設で膨大な生活排水を処理しているのが現状なのだ。それもせいぜい微生物を付着させて濾過する程度で、水質そのものが清浄になったわけではない。その処理しきれない分は、安全基準値をみたすために、大雨が降り河川が増水しているドサクサに紛れて、薄めて流してしまうという。大量の水で薄めれば、どんな汚水でも基準値になるからだ。これは工場廃水でも同じように行われていると聞く。
自分がかつて住んでいた街では、それに気づくことは少ない。生活排水は、下水管を通って、どこかでなんとか処理されていると、なんとなく思っていた。だが、ここでは、それを目の前で見せつけられるのだ。これと同じようなことが、日本中で行われている、と。
ロメオさんが、クロカワをみて「妖精が出てきそうなくらいの自然」だといった。
でもそれは、名古屋や岐阜市など県庁所在地を見て生活している人間の視界なのだと思う。
わたしもここを、ずっと自然が豊かなところだと思ってきた。正直、いまでも単純にそう思える。
だが、その実、目に清く映る水も、その成分は、人間の生活排水が溶けているのだ。知らない人には、そうは見えないだけで。
だから、地元の人は、もうこの気持ちよさそうな川で泳がない。
そして、地元の人は、もうこの川でとれた美しい魚を口にしない。
整備された環境は、生活するためには必要だとわかる。なにより人間にとって、快適である。
だが、この「比較的」自然の豊かな環境を「まだ破壊しても大丈夫なくらい余裕のある自然」とだけは、とらえまい。
自然にちかいところで暮らしている人ほど、逆に環境問題には無頓着であるという。
そうならないように、気をつけよう。
まだ新参者で、田舎の常識もないから、なにができるかわからない。
でも、とりあえず、洗剤を変えようと思った。
家に戻って、掃除を続ける。
ところで、田舎のいいところは、自然だけではない。
ここに来て気がつくのは、子供たちが素直だということだ。もっとも、これも「比較的」という条件がつくが。
ただ、競争心はないが、ここの子供には生活力がある。これはまちがいない。
あと、挨拶をちゃんとするのが、立派だ。
引越作業中に、小学生の下校とかちあったが、見ず知らずのわたしにも、ちゃんと挨拶していた。
うちに、トイレを借りに来た小学生女子も、きちんと挨拶していた。
ここに越してきたのは、やっぱり良かったなと思う。
上述のように、手放しでは受け入れられないが自然も豊かであるし、人間が急いでいない。それは子供も同じだ。
わたしも、近いうちに家庭を持つ。そして子供を育てるようになるだろう。
子供を育てるときに、塾や学校のレベルなど、教育環境というのは大切だ。田舎にはそれが充実していないから、嫌って出ていく、という話もたまに聞く。
ただ、勉強というのは「遊び」なのだという話を聞いたことがある。
都市で生きてきた我々は、まず生きていくために必要なこと、たとえば、火のおこし方や、毒草と食菜の見分け方、飯の炊き方など、生きていく力として必要な技術、本来まなぶべき内容を、文明の利便性に依存することで放り出し、で、ほかに勉強すべき事もないので、しかたがなく、机の上でしか成立し得ない、貴族の遊びみたいな実利のすくない学問を履修しているにすぎないのではないか、という内容だ。わたしもすこしそう思う。
だから、まったくの無意味とはいわないが、勉学だけの子供時代というのも味気ない。
都心のあるところには、校区外にある有名進学小学校に通うために、朝は6時から地下鉄をのりついで登校し、一日が終業すれば塾に行き、夕食はハンバーガーを食べて、深夜に、寝に帰るだけの帰宅をする小学校一年生がいる。その子の両親は、学費などのために共働きしているそうだ。
だから、自分が子供を育てるときが来たら、こうはすまい。
生きる力と技術を教え、その上で、勉強ができるというのが理想だと考えている。
自然が豊かで、少ないながら人の町があるここは、たぶん、その両方を身につけることが出来る土地なのだと思う。
もちろんそれは、育てる親しだいだが。
とりあえず、いまは、掃除を続けよう。
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■ 2003.02.25
tue「軍艦越後の生涯」
引越の前後にかけて「軍艦越後の生涯」を読んだ。
これは、学研から出版されている歴史群像新書で、いわゆる仮想戦記小説という分野の本である。
ところで、この小説には、書籍本体に明記されていない、ネット上での通り名があった。
「軍艦越後の生涯」その別名を「萌え仮想戦記」と言う。
書店で、かの本を手にとって、本巻カバー裏の物語のベースとなる文章を読んでみた。
海軍に限らず、船乗りには世界共通の、信仰にも似た伝説がある。
船は、それぞれ意志をもつ。魂をもち、人格をもつ。
そして、それは、商船、軍艦を問わず、女性であるとされてきた。
その人格を、船魂(ふなだま)という。
それは、帝国海軍最強戦艦「越後」にも・・・。
戦いを望まぬ彼女が、いま最後の戦場に向かう・・・。
なるほど。
モノに宿る魂、ここでは、少女の姿をした軍艦にやどる船魂の物語なのだろうなと推測する。
そもそもこの物語は「ものにはこころがある」という愛車についての日記を書いたとき、さる人から紹介されたのがきっかけだった。
物語は全三巻だが、表紙はことごとく軍艦の勇姿である。いかにも戦記ものっぽい。
ただ、カバー折り返しには、軍艦「越後」ちゃんのイラストがちょっとだけ載っていた。前髪を切りそろえた、端正な顔立ちをした美少女が、そこに描かれている。
引越が近いこともあって、書店にくる機会も少なくなるだろうと思い、一気に三冊全巻を購入した。期待を込めて読み始める。
仮想戦記とは、現実世界に酷似した仮想世界における『戦記』という体裁をとったものであるらしい。
そのせいか、当時の時代背景や、海軍軍人の生活、軍艦の建造計画などが、こと細かく描写されてる。
だが、肝心の越後ちゃんは、いっこうに出てこない。
不審に思いながら読み進めていくと、第一章の真ん中あたりで、やっと越後ちゃんがチラリと出てきた。百合を染め抜いた着物をきて、艦長の前に現れたところだ。イラストはあるが、越後ちゃんに関する文章は2ページに満たず終了する。
「こ、これだけ?」
思わず声が出た。
越後ちゃんは消え、そして何事もなかったかのように、軍艦内での食生活の描写や、軍艦のスペックの解説などが、ズラズラとページを埋めていく。
いや
なんというか
すげえ苦痛。
別段、軍属の風俗などに興味もないため、いいかげん、読むのが辛い。
「ええい、海軍の礼節や、戦時の夕食の御献立の説明はいい。
越後ちゃんを出せ! 越後ちゃんの萌えっぷりを!」
そう叫びながら、だんだん、内容をおおざっぱに把握しながら読み飛ばすのが上手くなってきた第一巻の終盤。
合衆国艦隊と軍艦越後の戦闘シーンで、ふたたび彼女は紙面に現れた。
しかも、敵の砲弾による艦体の損傷を表現するためか、越後ちゃんは、すっぽんぽんで、しかも全身傷だらけで、そのうえ傷からおびただしく出血している。
すばらしい再登場だが、
なんで、ここでイラストがはいらねえんだ!
と魂が叫んだのはさておき、注目すべき、ヒロイン久々の登場である。武骨で男臭い戦闘シーンが続いただけに、劇中でも幻とされる少女の存在が艦長の前にあらわれた場面は、彼のうけたであろう印象の如く、奇跡のように思えた。
第一巻クライマックスの戦闘は、船魂として現れた越後ちゃんの機転によって、日本側の勝利に終わる。とりあえずそこで本をおいて考えた。
これは、萌え小説と呼ぶには、あまりにストイックな美少女キャラの存在感である。200頁強あって、登場シーンは合計でも10頁に達しない。しかし、この越後ちゃんの登場する、ほんの数頁しかない萌えのためだけに、この三冊の本を読むのも良いのではないか。
そう思い直し、決意も新たに二巻に手を伸ばす。このころすでに、ページ中で越後ちゃんに関係のある単語のみを脳が検索し、あとは自動的に読み飛ばすとゆー特殊能力を取得、二百ページ強ある新書を数分で読み飛ばすことに成功する。
私はたぶん、間違った仮想戦記小説の読み方をしているな。
帝国海軍の趨勢を丁寧に描写した部分を、数瞬で読み飛ばしながら、そんなことをチラリと考えた。
一巻での船魂・越後ちゃんの出番は、先述のとおり数ページである。
ところが二巻で、ほかの船魂が出現するようになった。それぞれの事情や関係性が描かれていて興味深い。
そして最終の第三巻では、巻頭の解説頁で、その船魂さん勢揃いのイラストが、ばばんとばかりに見開きで載っていた。
なるほど、船の個性を表すためか、彼女たちは非常にバラエティに富んだ姿をしている。
しかし
越後ちゃんが和服なのはわかる。真っ白な海軍軍服を着ている凛々しい少女が戦艦大和だというのも、まあ分かる。戦艦武蔵の船魂が剣道着を着ているのも、了承しよう。女忍者の装束がいるのも、まあいい。
だが、いったいどういう了見で、割烹着と、メイド服と、ウェイトレスさんの制服と、セーラー服と、巫女さん、とどめにチャイナ服とカットジーンズのカウガールの姿をした船魂がいるのか。君らはホントに大日本帝国海軍の魂的な象徴なのか。本文中では「飲食店の給仕風の服装」とか「水兵服」とか言い方こそ変えてあるが、それは要するに、ウェイトレスとセーラー服で、「侍女服」である高速戦艦榛名(はるな)など、肩袖(そで)の膨らんだ黒のメイド服に、ひらひらのエプロン、手には箒(ほうき)を持っていて髪型は三つ編みな上に、ここが大切なのだが、御丁寧に眼鏡をかけているというのはどういうわけなのか。個人的には超グッドだが、そもそも戦闘を本分とする艦船の姿がそれでいーのか。ニコニコしながら一応突っ込んでおいて、最終巻にかかる。
「軍艦越後の生涯」には、何カ所か感動的なところがあった。
ネタバレにならない範囲では、劇中で描かれる戦艦武蔵の最後だろう。あれは美しく、凄絶だった。物足りないという意見もあるかもしれないが、わたしは好きなエピソードである。
ほかにも、文中での具体的な描写はほとんどないが、ただ軍艦が沈んでいくのではなく、そのたびに先述の愛らしい船魂たちが散っていくのだと思うと、さすがに切なかった。ただ、そのへんの描写がもっとこまやかにしてあれば、いっそう萌えたであろうに。ちょっと残念である。
だが、越後ちゃんに関しては、キッチリ物語としても終わっていたので、この小説は、わたしにはけっこう面白かった。
ただ、仮想戦記ファンか、美少女小説ファンか、どっちに紹介すればいいのかよく分からないのが少々悩ましい。
もし両方に興味があって、機会があれば、一読をお薦めする。
ところで、これを読んだ後で、わたしは思ったものである。
やはり、ものにもこころはあるのだ、と。
そして、はることかにも、もっと取り返しのつかないようなハジケたコスチュームを着せておくんだった! と。
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■ 2003.02.26
wed「採用基準」
先日の「萬展」のときの話だが、三等兵氏は、新入社員の面接担当をしているそうだ。
「就職希望者に会社の説明とかをするときに『当社は従来の三倍のナントカ』というのを
『当社は通常の三倍のナントカ』と言うと、たまに反応する奴がいるんですよね」
「おお、ガンダマー!? そいつとりあえず採用しましょう!」
「いや、でもどれくらい分かってるかとか確認しないと」
「じゃあ就職希望者全員ぶんなぐって『親父にもぶたれたことないのに!』と返した奴だけ採用!」
わたしが採用担当をしていたころもそうだったが、ガンダマーというのは社会のごく一部では優遇されるなあと思った。
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■ 2003.02.27
thu「林業の事情」
今日の出来事:ねりやさんから引越祝いを御馳走になりました。ありがとうございます。