ど こ を さ が し て も き み は い な い
どこをさがしてもきみはいない
day by day
(2002.12.21 sat)
観鈴を失ってから、晴子はどんな地獄をみてきたのだろう。
風が吹き抜ける音を聞けば、観鈴の声かと思って外に飛び出す。
潮が騒ぐのを聞けば、観鈴が泣いているのかと思って海をさまよう。
一瞬だけきらめく幸せなまぼろしと、闇の奥まで続く残酷な幻影。
晴子が毎日のように繰り返している、それは無限の地獄。
だが、この地獄以外を、それでも晴子は見ようとしない。
その胸に開いてしまった、観鈴の形をした空洞。
そこを引き裂かれているときだけが、たとえ仮初めでも、観鈴の存在を感じられるからだ。
AIRの結末は、解釈でも書いたように、大局的に見れば正しい解決であり、また当事者の観鈴にしてみても(本人のいうように)満足のいった死を迎えられたのだと思う。KEYスタッフの見解にもあったように、AIRはハッピーエンドとして終わった。
これはAIRにとっての公式な解であったかもしれない。だが、それを絶対に認めたくない意志が、どうしても残る。これでよかったのだ、と手放しで喜ぶことが、私にはできなかった。
ことに晴子に感情移入していた私は、彼女が味わっている絶望感を、観鈴を失ったという、まるで断りもなくいきなり身体を削り取られたような喪失感を、どうしても整理することができずにいたのだ。
誰かが犠牲になる解は、決して正解ではない。
たとえ、この解しかないとわかっていても、観鈴が死ななければならなかったことを丸のまま飲み込むことが、私にはどうしてもできなかった。
観鈴の最後を看取ったあと、翼人の記憶が昇華し、我々にしてみれば5分もたたない内に、夏は終わり、晴子は起こった全てのことに、整理をつけている。
だが、夏が終わっていくその時間に、晴子が通過したであろう凄絶な地獄を、わたしも見ておきたかった。
観鈴の死、病院での検死、通夜と葬式、火葬と納骨。どこまで晴子が正気を保って憶えていたかは分からない。あるいはそれすらもできず、苦しみの直中(ただなか)で、泣き叫ぶだけだったやもしれない。
いっそ狂うことができたら、晴子にはどれほど楽だったろうか。そんな日々だったと思う。
だが、そのくだりは後の晴子の述懐として微かに語られるにとどまり、そこで彼女は、いつまでも捕らわれることを戒めている。
だが、それでも私は、晴子とともに、まだ観鈴の死を悲しんでいたかった。
この一連の絵は、その願望のままに描いた。
これはただの感傷なのかもしれないが。
一枚絵ならともかく、こうして情景をコマ割りにして綴るのは、正直にがてで、上手くいっているともいえない。だが私は、AIR本編では、観鈴の死後すっかり落ち着いてしまっている晴子の、別離の苦しみに泣いて叫んでいる様子を、とにかく絵にしておきたかった。
この絵は、別離を連想させるBGMを選び出し、それを聴きながら描いた。だが、AIRやKanonのBGMは、その中に含まれていない。かの曲はどれも「美しすぎ」、苦しく惨めに泣き叫ぶような悲惨な絵には、どうしても合わなかったのだ。
そして絵を描いているとき、晴子の表情を筆から絞り出す作業には、やはりそれに近い精神状態が必要だった。「イリヤの空・UFOの夏」の3巻を読み上手い具合に凹んだので、いっそそのまま描き始めた。続いて「Last Kiss」を読み進め「加奈」まで人から借りた。流していたビデオは「ザンボット3」 そうやって「悲しくて凹む」環境を徹底しているうちにあることに気がついた。明るいバラエティ番組や幸せな物語を、受け付けなくなってしまったのだ。しかも20枚におよぶ画像であったため、かかった時間もながく、その状態が続いた末に体調まで崩した。つくづく病は気からだと思う。
様々に変化する晴子の表情は、描いてみるとどれも別人のようで統一感がなく、情けない話だ。
海の描写や、表情など、さまざまな資料を頼りに描いたが、やはり自分の精神状態がそれに近いときこそ、思った顔の絵が描けたと思う。
いままでいろいろな絵を描いてきたが、その多くは微笑みなどの静かな表情のものばかりで、こうした激情を描くことは、不慣れであり、とても難しかった。
だが「キレイなだけの絵なんてクソ喰らえだ」と自ら顔を歪ませて描いた今回の作業は、とても充実していたと思う。
サンフェイスさんとの往復書簡
「どこをさがしてもきみはいない」は、天野が2002年の夏にサンフェイスさんと会い、そこで絵描きとしての整理がついたからこそ描けた連作である。
だから、この作品が完成したとき、掲示板に公開するより先に、私はサンフェイスさんへメールを送った。
以下はその記録である。
思いは叫ぶことで自分のものになっていく。
そうして、いままで絵にすることで獲得された心情世界が、自分のなかにあるのだということは、正直、まだあまり実感できていません。
「たぶんいま思うとおりに暖かい絵を描けば、いい絵がかけるだろうな」という確信はあるのですが、それはまだ先の話です。いまは、その確信が持てたときに、振り返ってみて湧いた、ある疑問に捕らわれています。
心情の世界を描く、とは言っても、自分が描いてきたものは、はたしてそのものといえるだろうか?
いままで描いたのは、体裁のいいキレイキレイな絵や、静かな世界ばかりを描いてきただけで、本当に深く激しい心情の世界を描いてきたといえるのだろうか?
なんだかんだ言って、剥き出しの生々しい世界は描けていないのではないか?
そんな疑問が、頭の中にあったようです。
こんなことを考えられるようになったのは、たぶん一皮むけたからだろうと自己分析しています。そして同時に「自分のもの」になったから、次の段階が見えたのだろうと。
私が描いていきたい絵は、やはり基本的にきれいな絵です。あたたかい愛情に満ちた空気です。
でも、自分のもになった世界から、ひとつ吐き出してみたい絵がありました。
それがこれです。
実はむかしハーメルンのバイオリン弾きのときにも似たような絵を描いたことがあるのですが、今度は、おそらく自分のものになっていると思います。
これが描けたことで、いろいろスッキリしそうです。
この後は、自分の好きなように、また、優しくて、あたたかくて、ぽわぽわした絵を描いていくと思います。
これは非常に個人的な絵で、完全に自己満足でしかありません。
まだどこにもリンクを貼ってませんが、とりあえずサンフェイスさんに報告しておこうと思って、メールしました。
晴子の表情は、いろんな資料を参考にしましたが、それでも、かつては絶対に描けなかった表情だと思います。
サンフェイスさんから、感想をもらった。
見た人のほとんどが、口をつぐむことで誠実に対処しているという、この感想を書くのに難しい絵に。
ありがたいことである。
どうしようもない悲しみがあって。
引きずり込まれるようにそこに飲み込まれて
身を切り裂かれるような激情に自ら晒されながらも
目を逸らさずにすべてをあえて引きうけることで、
ついに悲しみを「絵」として飲み込みきってしまった。
あえて言葉にするならば、そんな絵だと思いました。
そして、それは見る者に対しても
同じ想いを味わわせずにはおきません。
晴子さんの目が。顔が。
虚しく空を切るばかりだとわかっていてもなお
何かを掴み、抱きしめようとせずにはいられないような
手や腕の「表情」が。
絶望的なラストの俯瞰から聞こえてくる波の音が。
容赦なく心にぐさぐさと突き刺さって離れません。
実はこの絵を見てからずっと、精神が不安定になってます。
描いているあいだに体調を崩した、という天野さんの気持ちが少しだけわかるような気がしました。
同時に、描いているさなかの天野さんの心中を思うと
畏怖にちかい戦慄すら覚えました。
技術はもちろんのこと、精神的な面でも
天野さんだからこそ、描ききることができた絵だと思います。
あまりにも、あまりにも凄まじい、絵でした。
天野さん自身がおっしゃるように
「あたたかい愛情に満ちた空気」が、これまで天野さんが描かれた絵の大きな魅力だったと思います。
そして
>体裁のいいキレイキレイな絵や、静かな世界ばかりを描いてきた
という言葉も、一面の真実ではあるのでしょう。
現にはじめて「夕暮れと割烹着」を見たとき
何よりもまずその優しさ、あたたかさに惹かれましたから。
けれどその時、心の中で同時に確信したことがあります。
「『深く激しい心情の世界』を、この人が知らないはずはない」
「優れたポップスは雨の心で書かれる」という言葉があります。
聴く人を心から和ませ、明るく元気にさせてくれる本当のポップソングは
それとは正反対の、暗く、重く、悲痛な世界を知っているミュージシャンにしか
決して奏でることができないのです。
剥き出しの生々しさから目を背けていたのではなく
どこかに「雨の心」を持っていたからこそ
見る人を優しく暖かな空気に包んでしまう、愛情に満ちた世界を描けた。
そしてそんな天野さんだからこそ
「どこをさがしてもきみはいない」のような
「雨の心」そのものを絵にすることもできたのだ…
俺は、そんなふうに感じました。
それにしても、何という激しい雨なのでしょう。
止んだら、きっと大きくてきれいな虹がかかると思います。
この絵は、いま思うと、最初から誰かに見せようと思って描いた絵ではなく、ただ自分の内面を試しに晒しただけの絵だったように感じます。
もちろん人に見せることを意識していた部分も多分にあったのですが。多くの人がただ沈黙し、また、たどたどしく感想を返してくれるなか、こうしてサンフェイスさんから解像度の高い、繊細な感想をいただいて初めて、ようやく見る側の視点を知ったような気分です。こんな深度まで理解してくれる人がいるとは、正直おもいませんでした。
ときどき描いていて、泣けてくるときがありました。泣きながら描いて、描きながら泣きました。でも、そのときに何が悲しかったのか、もう憶えていません。
ときおり、この絵を、わたしがこの心情を通過しているただなかにおいて、現在の画力で描いていたらどうなったろうか、と考えたりします。
こんなきれいな絵には、絶対にならなかったでしょう。
別の人からは「こんなに美しい絵はみたことがない」という感想をいただきました。
でも、この絵の本質は、血の色をした地獄です。
ですから決して美しくはならないはずなのです。「愛するものの死」という、自分の身体よりも大きな割れガラスの破片を無理矢理に口から腹の奥まで押し込まれるような苦痛。腹腔にたまった熱い血。のたうちまわって、それでも、どうしてもそれを吐き出すことができない凄惨な、そう、このことばどおり凄まじく惨めな状況です。きっと、そのとき描かれていれば、この絵は、黒と赤だけで構成されていたでしょうね。たとえ朝の光のなかというコマでも。そして間違っても「美しい」などという評価は誰の口からもなかったでしょう。
「雨の心」ということば、初めて聞きました。
なんていい例えを出すのだろうと、感嘆しています。
暖かな日差しのありがたさは、雨の冷たさを知っている人にこそ分かってもらえるのだな、と思いました。
> それにしても、何という激しい雨なのでしょう。
> 止んだら、きっと大きくてきれいな虹がかかると思います。
いままで描いてきた絵は、雨なのでしょうか、それとも虹なのでしょうか。
明確な線はひけませんが、いちど絵筆を置いたあのとき。日記にも書いた2002年の3月のあたりで、私は雨が上がったことに気がついていたようです。
そのころに描いていた「雨の絵」である観鈴の後ろ姿の絵と、夕闇の時代は、雨が降っていた頃の記憶なのかも知れません。
「どこをさがしてもきみはいない」も、すでに美化された過去の記憶なのでしょう。
あの絵は、完成してからずいぶん経ったように思えます。そうして、今日この絵を見返して、ひとつ描き忘れたものがあることに気がつきました。
「凄まじい絵」と言ってくださるサンフェイスさんには申し訳ないのですが、その描き忘れのせいで、この絵はやはり「キレイな絵」にすぎないのだと思います。
描き忘れたもの。それは「血」です。
この絵に描かれている晴子は、本当は全部のコマにおいて、最初から最後まで全身が血まみれなのです。涙腺から口腔から観鈴を失ったという胸の傷から、そして爪の裏から全身の傷口から、脈打ち流れ出る大量の血に、そして血混じる汗に濡れそぼっているのが、本来の晴子です。
もういちど。
もういちど、その観点でこの絵を見ていただければ、たぶん血を吐き出しながらさまよい歩き、苦痛に眉根をゆがめながら絶叫している晴子がみえると思います。
なぜこれを描かなかったのか、といわれれば、やはり絵の体裁が大事だったからでしょう。
でも、この絵を描いてからは、またスッキリしていてぽわぽわした絵を描いたりしてます。
THE YELLOW MONKEYの「人生の終わり」という曲の中で
祖母を失った悲しみが、こんな言葉で歌われています。
「血が泣いてるんだよ」
ただ涙を流しているだけではない。
晴子さんの、血が泣いてる。
その血が、今にも画面から溢れて飛び出しそうに脈打っている。
俺には、そう見えました。
悲痛な作品も暖かな作品も、それが「生きている」作品なら
そこには必ず血が流れています。
ましてこれほど「激しく生きている」作品です。
ほんのひと刺しで鮮血が吹き出すでしょう。
俺はみずからの視線でこの絵を刺し
紅に染まった晴子さんを網膜に幻視しました。
作者が自ら自分の作品にナイフをつき立てることは
確かに直接的で、効果的ではあると思います。
ただ、あえてそれを行わなくても
この絵は見る者の胸の内で、それぞれを凶行に駆りたててしまう、
そういう力を、このままで充分に内包しています。
この絵を「美しい」と言うことは、あながち的外れではないかもしれない。
「美しさ」はいつでも、「恐ろしさ」と背中合わせだから。
――これ以上深く見たいなら、あなたも返り血を浴びなさい。
「キレイな絵」に踏みとどまったゆえに、逆に見る者が覚悟を問われてしまう。
そんな恐ろしさを孕んでいるという意味では
これは確かに美しい絵であり、
そしてやっぱり、凄まじい絵だと思うのです。
ありがとう、サンフェイスさん。
わたしの絵を理解してくれて。
1000人のプロ作家に絶賛されるより、嬉しいです。
ありがとう。
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