■ 2002.12.01
holy「9ヶ月ぶりに」
夜想曲の更新を再開する。
本人としてはえらく長いような気がしたが、無期更新停止を告知した日から数えて、実際にはわずかに9ヶ月間の停止。
サイトによっては、それくらい無更新とゆー事態など珍しくもないところがリンク先にもゴロゴロしていることを考えると、それだけ休むのに大騒ぎしたことが、ちょっと恥ずかしい気もする。
おもえば前々回の「寝言日記」は、睡眠時間もそこそこの書店店長時代の激務生活と思索を描き、前回の「寄道余所見」は、まさにタイトルの通り「書店の次の仕事」を見つけるまでの寄道(よりみち)と余所見(よそみ)の記録だったと思う。
今日から再開する日記表題は「夏草戦記」 こう題して「なつくさせんき」と読む。
これは、尊敬する文豪・山本周五郎氏の同名短編からとった。この作品は、氏の作品には珍しく、妙に萌える要素があって好きだった。ちなみに春でも秋でも冬でも「夏草戦記」は「夏草戦記」である。タイトルの意味は、おいおい分かっていくだろう。
ネタがあるときは毎日でも更新されるだろうが、基本的には不定期でいくつもりだ。
ちなみに、9ヶ月間に蓄積されたネタはあっても、まともに文章化されているテキストはほとんど無いので、しばらく期待しないようにお願いしたい。
再開にあたって、サーバーは、旧プロバイダのサーバー容量が限界であったこともあり、引越した。
新しいサーバーは「Next Internet Users」の略で「niu」という。ただ、その前のドメインは独自に設定することができるという。
ここで悩んだ。
たとえばだいぶ先に同じサーバーに引っ越した文月さんのサイトは、ドメイン名「monomino-oka」である。これは文月さんの愛するKanonの
真琴 美汐シナリオのラストを飾った舞台の名前だ。misioにしないあたりが、実に奥ゆかしい。
しかし、夜想曲の場合は、CGだけでも「ハーメルン」「ヨコハマ」「Kanon」「AIR」などなど、コンテンツが乱立しており、だれかのキャラクター名でくくれるようなアイデンティティーが無い。せっかく好きなドメインを使えるというのに、こんなところで惚れっぽい性格が裏目に出たのだろうか。
もう「sizer」も「pandora」も「misago」も「alpha-situchou」も「kawasumi-mai」も「minase-akiko」も「kamio-haruko」も「kirisima-hijiri」も使いたい放題のハーレム状態なのに、どれも決め手にならないと言うこのジレンマ。もっとも、このメンツだとハーレムと言うより取り囲まれて土下座させられそうだが。
いや、何が一番かと問われれば、それはもう「Let's-go-kikkosan」にとどめを刺すのだが、井上喜久子さんの場合はそういえばコンテンツ自体がなかった。
幾晩も悩み、夜想曲を総括して象徴する言葉を探る。
そして、再開予定にかなり迫ってから見いだしたドメイン名が、URLにある「air」だった。
これはコンテンツのひとつであるゲームのタイトルにこだわったのではなく、そのまま「空気」の意味である。
自分のサイト、とりわけそのCGに共通している要素。自分が絵を描くとき、その中にこめてきた大切な心情のポイント。それは
「愛情に満ちたあたたかい空気」
だったからだ。
見えないからこそ描く価値のある空気。そこにある、あたたかなエアー。
それを絵の中に込めて、夜想曲のイラストコンテンツは更新されている。
ちょうど5年前に、夜想曲をはじめたときもそうだった。
そしてもちろん、これからも、そういう絵を描いていくつもりだ。
■ 2002.12.03
tue「更新再開裏話・今回は全編回想」
更新再開の準備は、充分すぎるほどの余裕をもってはじめたはずだった。
黒天野「今日は夜想曲更新再開(12月1日)の二週間前〜! まあ、これだけ余裕があれば大丈夫! 作業は、ギャラ天(いまごろ第一期みてる)(フォルテさんが好き)のビデオでも観ながらのんびりいきましょう!」
白天野「うむ、ところでメールが来てるぞ。・・・『マリア様がみてる(更新停止中にファンになった)』の同人誌即売会用ペーパー(案内のチラシ)のイラストを依頼したい・・・?」
「締め切りは〜?」
「12月1日だな」
「まあ何とかなるでしょう! いま絵が描きたいし! おっと、またメールが・・・。masterpieceさんから、航空自衛隊各務原基地での航空ショーに行こうって」
「航空ショーはたしか」
「12月1日」
「なあおい、冬のうちに大型トラックの免許をとろうって自動車学校に登録したんだが、その入校式ってたしか」
「11月30日」
「・・・・」
「まえから思ってたんだけどさ『最終学歴』って、自動車学校だよなー自分の場合。大学出てからバイク取ったし!」
「いや、そんなスタパ斎藤みたいなこと言ってる場合じゃなくて・・・・。いかん、急に時間がなくなったぞ。まずなにからやるか・・・」
「トップの引越絵!」
「そ、それは最悪なくても不義理にはならないし、もっとこう実のある・・・」
「トップの引越絵っ!!」
「う、うん、そうかわかったよ。それから行こう」
★ ★ ★
「できた・・・・!」
「・・・・そりゃ10日以上もかかればな・・・・」
「なんか更新再開のためのエネルギーのほとんどをスタートダッシュで使い果たしたような気が!」
「この生き方はダメだな」
「ピクニックラグ(羊毛布をベルトで留めたもの)とかアラジン(ブルーフレームと言われる石油ストーブ)描くのが無茶苦茶たのしくて時間の概念を忘れてしまいまった!」
「なんかいきなり持ち時間がなくなったぞ。まず、新しいサーバーにファイルの引越だけでもしておこう」
「前の夜想曲ってファイル数いくつあったっけ?」
「フォルダの『情報(プロパティ)』によると、1055項目(20MB)か・・・」
「いままで階層なかったから、これ全部構築しなおすのかあ!」
「しかしテキストファイルが6MBもあるCG系サイトというのも、考えてみるとヤなところだよな」
「ええと、これはKanon! これはハーメルン! これはヨコハマ。これはねりこちゃん・・・。これは日記・・・。これ、なんだっけ・・・ あれ? ん?」
「がんばれ、500項目分類したら、今日は寝よう」
★
「・・・階層分類完了・・・」
「でもリンクがキレまくってるぞ」
「そのへん後回しにして『マリみて』の絵かくか・・・はあ・・・」
「1日でずいぶんテンションが下がったな」
「黒天野は、右脳(絵・直感)担当だから、左脳(テキスト・理解)担当の白天野とちがって、機械的な作業が続くと、ちょっと・・・」
「その右脳を振り絞って、いまこそ絵を描け。お前の仕事だ」
「・・・じゃあイメージを確かにするために『マリア様がみてる』1巻から読み返さなきゃ」
「読み返すな」
「そうそう、こういうときってさ、マックOSX(10.2)の面倒なインストール作業とかを特に理由もなく猛烈にしたくならない? それとずいぶん前に買って放置してあるビデオカードとかキーボードの掃除とかマウスのゴミ取りとかビデオテープのラベル書きとか、もう、すべての雑用をいっそこの機会に」
「お、メールがきたぞ。『マリみて』の依頼人からか。ええと『表紙用の絵の他に、全身の絵も描いてください』だって」
「・・・・」
「どうする?」
「こ、これくらいのイラスト作業! 地獄を生きたまま通過したこともある私には、どうということはないっ!」
「う、うむ。そうか?」
「どうということはないが、急用を思い出したので、私は夢の国へかえるっ!」
「寝るな!」
「あーそーいやーさー今日自動車学校でさー、普通車・バイク・大型車と通算三度目の運転適性検査やってきたんだけどさー、四角に/(スラッシュ)を100コ打つ奴とか、引き算を100問ほど延々とくりかえすアレってさー、たぶん思考力を奪うのが目的なんだと思うなー。検査が全体20分でしょー。15分で人間の集中力は限界になるから、その間に思考力も摩耗させて、真の目的である最後の性格判断アンケートに作為が混じらないようにするんだよきっとー」
「大リーグボール3号の攻略法みたいだな」
「ちょっとちがうー」
「で、それがどうした」
「今日は、そのあと教習も1時間うけて、トラックで交差点のポール1本へし折ってきましたのでー」
「だから今日はもう疲れている、と」
「そう」
「絵は描けないと」
「そう」
「じゃあ、別のことやるか。まだアクセスカウンター設置してなかったな」
「それって、もしかしてCGI?」
「そう、初心者向きの解説サイトを検索して、設定方法とか調べよう。しかし、CGIなんて触ったことなかったから、いまから一日で勉強するのは大変だなあ」
「い、いやだー! このうえ脳味噌を酷使するのはもういやだー!」
「最初に『あまやどり』さんみたいにCGIいっぱい使うって、決めただろう」
「もういいー、全文検索も三行メールも、もうなくていいー!」
「まあ、今後のこともあるから、憶えておくべきだと思うが」
「いやー、勉強しなくてもいいさー。DOSのコマンドみたいに、一生懸命おぼえてもそのうち一般的には使われなくなる時代がくるさー。マシン語やBASICみたいにさー・・・」
「やなこと思いださせるな」
★
「結局、文月さんにさんざん世話を焼いてもらって、カウンターだけは設置できたな。なんとか間に合ったか。よし、あとは階層ごとにリンクを張り直そう」
「もうやめよう〜。面倒すぎる〜。いっそのことリンク先は全部工事中にしよう〜。これなら旧ページ含めて更新作業はHTML文書二枚で終わる〜。あとはお詫びのメールを関係各位にBCCで送ればいい〜。(メーラー起動)『再開凍結のおしらせ』『みなさまに長い間期待されてきた夜想曲ですが管理人は不慮の事故によって突如記憶喪失となり今後の』・・・」
「開ける前から畳む準備するな!」
★
おもえば、充分な余裕をもって始めたわりに、アレもコレもと欲深い性格のせいで、かなり切迫した更新再開作業だった。
だが、ほとんど描き方も忘れかけていた絵(引越絵)を、ひさしぶりにちゃんと描けたという満足感があったこと。
それをサイト上にアップして、また見てもらえるんだ、という喜びと期待をおぼろげに感じたこと。
これらが、とても久しぶりに味わった感覚であること。
それがとても嬉しかったことは、よく憶えている。
いろいろな混乱があったが、その喜びを力にして、夜想曲の更新再開は、なんとか0時頃に実行できた。
ただ、その後で、もうひとつの大切な作業は、ずいぶん延長したが。
★
「よし、ギリギリで12月1日に間に合ったぞ。日記のアンカーうちとかできなかったが、リンクもまあこんなもんだ」
「・・・・『マリア様がみてる』のイラストもなんとか送れたにょ」
「あとは、更新再開+引越の告知+メアド変更の通知メールを出したら予定の作業は全て終了だ。航空ショーに備えてたっぷり寝られるぞ」
「・・・・そう上手くいくものかにょ・・・・」
「大丈夫大丈夫。でも、アドレス帳にある人数って、けっこうな数だよなあ」
「・・・・昔にもらったメールとか見てて、ほんの十数行(1KBくらい)しか書いてないのに「長文しつれいしました」とか言われると、10KBちかくレス書いてる自分がものすごい痴れ者みたいに思えてくるにょ・・・・」
「さて、告知の他にもちょっと話したいことがある人は、別にしてと・・・・」
「・・・・そんなことしてて時間は大丈夫かにょ」
「お、この人も分けておこう」
「・・・・」
「この人も・・・」
「・・・・」
「この人も・・・」
「・・・・にょ」
★
「で、い、いま何時・・・・?」
「・・・・午前5時だおー・・・・」
「いまやっと、お知らせのメールが30通目か・・・」
「だんだん、自分が何を書いているのかわからなくなってきたおー」
「いくらなんでも、個別に案内を書くのは失敗だったかな・・・」
「でもここまで書いたら、ぜんぶ書くおー。最後に名古屋の姉ちゃんと、婚約者にメール書くおー。身内は最後だおー」
その最後のメールを送り終わったころ、遠くの空から航空ショーの爆音が、かすかに聞こえていた。
(そんなわけで変なメールが行った方がいましたらごめんなさい)
(あと)
(ほんとならこの辺にメールフォームのボタンが出来るはずだったんですけどね・・・)
■ 2002.12.06
fri「航空自衛隊岐阜基地航空祭」
12月1日、半徹夜状態だったが、masterpieceさんと、各務原基地の航空ショーを見に行ってきた。
基地のある街、岐阜県各務原市のとなりに住んでいながら、いままで一度も行ったことがなかったという、千葉に住んでいながらコミケに行ったことがないのと同じくらい罰当たりな人生もようやく終焉である。
生まれてはじめて見に行った航空ショーは、ちょうどメインイベントであるブルーインパルスが登場するところだった。
むかし、下向き空中開花の失敗で一機が墜落して以来、いろいろ危ぶまれていた航空ショーである。しかも、去年は同時多発テロをうけて開催中止だった。ことしは無事に行われてよかったと安心する。
そんなことを考えていると、かすかなジェット音とともに、機影が視界に入った。
と思う間もなく目の前を、基地外なら航空法スレスレの低さで白翼のブルー・インパルスがブッ飛んでいく。舞台の広さ故に遅れて轟き渡る、腹の底から絶叫している龍の声のごとき爆音の唸りと、空中に取り残されたまま、衝撃波のせいでいつまでも渦を巻きつづけるジェット推進剤の白煙。そして、残像として焼き付く、深くて鮮やかなブルー。
話に聞いたり、ロメオさんのサイトで動画を見せてもらったことはあったが、眼前を驀進した実物の迫力は、全ての前評判を根こそぎ無力化した。
名古屋駅前を巡回するタクシーなみの、ものすごくえげつない車間距離で、デルタを組んだ青い六機が、そのままのフォーメーションで、信じがたいことに錐揉み(きりもみ)までやりながら眼前を駆け抜ける。
迫力と力強さに満ちていながら、それはまるで、バレエのコール・ドを思い出すほどの、見事で美しい群舞だった。
これは、繊細でたおやかな美ではなく、本来戦闘用に開発された圧倒的な馬力をもつエンジン出力を、針の穴をとおすような繊細さで、人間の技術がキッチリとねじ伏せ、愛し、理解し、コントロールしているからこそ出現する美だ。
フライパスしていくダイヤモンド編隊の勇姿。その姿をもっとみたい。もったいなくて目が閉じられない。虚空を見つめて身じろぎもできないくせに、わたしは歯がカタカタなるくらい興奮していた。
ふとみると、会場は家族連れがおおい。なかには疲れ切った顔の女の人(お母さんだろう)もいるが、お父さんも息子さんもお兄さんも持ってるミリタリーグッズぜんぶ身につけてきましたという感じのマニアも、とにかく男連中は誰もが目を輝かせて、雲形定規でもあてたかと思うような、正確な軌跡を残す機影を追っていた。
やはり男は、強くて美しいものに感動するのだ。
F3エンジンの大出力にモノを言わせて、軌道速度じみたスピードで天を突き、薄い空気を駆け上がっていくT−4。
それを見て、ふと思った。
戦闘機には「おまえは殺しが上手いから」という理由で選ばれたパイロットが乗る。
戦闘機にも戦闘機乗りにも「戦争の道具」「人殺しが仕事」という、その悲壮感はついてまわるはずだ。
だが、花曇りの空を100万馬力でぶち抜いていく青い機体とドルフィンライダースは、それを思わせないほど優美に空を飛び、観客の首を自由自在に回している。戦闘機は、その悲壮感があっても美しいのだ。
その理由をわたしは「戦闘機としてしか実現できなかったから」だと思う。
戦闘機は、戦争のために作られたのかも知れない。そのテクノロジーは、戦争によって発達した技術と言われるのかもしれない。
だが、これを製造した者も、そのための航空技術を発明した人も、その能力と才能で戦争がしたかったわけではないはずだ。
なら、なぜ戦闘機は生まれてしまったのか。
あさりよしとおが、サターンロケットを誕生させた天才ロケットエンジニア、ウェルナー・フォン・ブラウン博士の心情を代弁しているのを思い出す。
「ロケット製作の資金はとんでもない金額だ。フォン・ブラウンはその資金のために、軍に協力していたんだ。 いまは兵器として(ロケットやミサイルを)作っていても、いつかは月を目ざす乗り物になるんだと信じて、彼は研究していたんだ」
戦闘機としてしか、実現できなかったこの美しい夢が、いま空を飛んでいる。
人殺しの道具が曲芸をしているようにしか見えない、と言う人もいるだろう。
だが、わたしはこの戦闘機の美しさというものを、やはり尊いと思えるのだ。
文明は、けっして戦争によって進歩したのではない。
そして、戦争によって進歩した文明など、実はひとつもない。
だれかの尊い夢と才能を、戦争が金の力で横取りして、その功績を塗りツブしただけだ。
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■ 2002.12.10
tue「正面顔の描き方」
更新停止期間中は、絵を辞めたと言いつつ、裏ではけっこう描いていた。
主立ったものはコンテンツとして更新しつつあるが、それほどでもない簡単なものは、日記に残しておこう。
たとえばこれ。
以前にチャットをしているとき、文月さんから「『横顔の描き方(寝言日記991214あたり)』を参考に描いてみたら、ビックリするくらいちゃんと描けた」と言われたので、気をよくして説明した「正面顔の描き方」である。
おまけで、首・肩・胸のバランス。
昔は「どうやって絵を描いてるんですか?」と聞かれても、答えられるのは「おねーさんキャラが出てくるアニメのビデオ観ながら」とか「右脳に力みを入れて」とかいう、いわば「お風呂に入ったとき、どこから洗いますか?」と聞かれて「風呂桶(おけ)」と答えるようなまったく参考にならない返答しか出来なかったが、最近、多少は自分の描き方を振り返ることができている。
ある程度かけるようになると、たいてい直感でやってしまうデッサンだが、人体にはわりとキッチリしたバランスというものがある。
描ける人も、上記のバランスをガイドに一枚かいてみると、けっこう面白いと思うがどうだろう。とくにマンガやアニメから絵に入ったヒト(私とか)で、人に習って絵の勉強とかデッサンというものをやったことがないヒト(私とか)には、こういうのがあるとちょっと心強い。
ただ、このやりかたで、多少はリアルに描けるかもしれないが、どんなに写実的でデッサンがただしくても「リアルだ」という点しか評価されないようでは、その絵の価値は写真以下だ。
漫画的にカワイイ顔、メッセージ性のある表情や、狙った雰囲気の容貌にしたければ、ここからうまくディフォルメしなければならない。
ここからが、絵描きの個性である。そして喜びだ。
それは何枚も描いていく中で、だんだん削られ磨かれ、形になっていく。
天野の絵も「個性的」という言葉をもらえたのは、仕上げて夜想曲にアップした絵が100枚をこえてからだった。
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■ 2002.12.13
fri「サンフェイスさん」
この九ヶ月間に新しく知り合った人物でもっとも刺激的だった人物といえば、これはもうサンフェイスさんこそが最強である。
サンフェイスさんは、その「萌え」に関する文章芸能において、ほとんど天才だ。
彼は「自分の感じた『萌え』を直接的に文章化できる」という、この得難い能力の保持者である。
その上、パロディを組み合わせるのが異様に上手い。葉鍵(葉=リーフ、鍵=KEYという二大美少女ゲームブランド)ネタがわからないとサッパリかもしれないが、熟知している人種にとって、サンフェイスさんのパロディは曲芸のような巧みさであり、しかもほとんど反則のような面白さだった。
体裁の皮をズルムケにして本音を書かせてもらうなら、まちがいなく、私をはじめとする多くのテキスト系サイトのライターが、彼の萌えに関する文章を妬みと憧憬の目でみている。
彼の文章を読んでいて、最初にあった印象は「自分の文章に自信のありそうな人」
それは、傲慢であるとか、そういう匂いがするというのではなく、文章に迷いや繕いがないのである。
「自分の心臓に近い場所で書く」
そんな言葉を彼が教えてくれたことがある。
彼は、その一本の戒律のみで、こころのなかのロゴスに変換されていない萌えという心情を、そのまま書き出せるのだ。この点だけでも、ある種の天才である。
絵の上手さも同じだ。「自分の感じたことを直接ビジュアルにできる」絵師こそが、もっとも優れた絵師であり、天野の目指すところである。
もし彼が絵の道に進んでいたら、神が描いたような萌え絵を。あるいは、書の道に進んでいたら、素晴らしく自信に満ちた「萌」の一文字を残せたことだろう。
知らない人が、今日の日記だけを読むと、彼のことは単なる超一流の萌え野郎にしか思えないかも知れない。
だが、サンフェイスさんは、けっしてそれだけの人ではない。
彼は、何かを真摯に愛するときの、痛みも苦しみもよく知っている。だから、あれほどの萌え文が書けるのだ。
サンフェイスさんとは、今年の夏に直接お会いすることができた。
彼と会うことで、私は自分の絵に対する迷いを断ち切ることができ、絵の動機から生まれ変わることができたのだ。
そのときのことは、ここ(虚像の8月)の2002.08.16で詳しく記している。このときの文章の方が、遙かに彼の本質に迫れているだろう。
更新停止中に、掲示板にチラッとだしただけの幻の日記(幻といえばこちら(幻影の5月)もそう)なので、未読の方も、既読だが忘れている人も、ぜひ一読ねがいたい。
わたしが出会ったサンフェイスさんは、とても素晴らしい人だった。
あの日の拙い日記では、その半分も伝わらないかも知れないが。
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■ 2002.12.15
holy「ねりこちゃんメジャー化計画・1」
黒天野「夜想曲の数あるコンテンツのなかでも、いちばん不遇なのはやっぱり『ねりこちゃん』だと思うなー」
白天野「おお『ねりこちゃん』な。オリジナル企画の」
「場所とかも分かりづらいし、CGサイトに模型ネタだから理解されにくいのもわかるけどさ」
「だが、ねりこちゃんの親的立場から言わせてもらえば、これほど愛着のあるコンテンツは他にないぞ」
「そもそも、マニア向けすぎて普通の人には理解不能なために使用できなかった日記ネタ(約半年分)が、夜想曲更新停止により行き場を失ったせいで、そのまま流れ込んで固まったのがねりこちゃんだったからな!」
「それじゃ理解されにくいのも当然のような気が・・・」
「でもイイ話なんだよぅ!」
「自分で描いたシナリオなのに泣いてたもんな」
「第31話『永遠の雪』なんかもう脳内アフレコどころかすでに脳内マスタリングも完了していて、暇な移動時間なんかに脳内で連続再生してるんだけど、飯塚真弓さん(ねりこ役)の演技が脳内で素晴らしくってさ、ねりこがわんわん泣くシーンがもう、泣けて泣けて」
「おい、誰かとめろ」
「予告編だけという美味しいとこだけまるかじりな手法だけど、第49話『おかあさんが泣いた日』とか天野の頭のなかでは、そらーもう作画レベルも最高でいい話になってて」
「とめろってば」
「でも、予算の関係があるから、たまに『ヤシガニ屠る』みたいな回もバッチリ入ってるヨ!」
「それはやりすぎだろう・・・」
「あとやっぱり萌える美少女が燃えるシチュエーションで戦う第43話『生命という名の盾』! 自爆したルツコの姿に呆然と立ちつくすねりこを一喝するお姉さんのネリカ 『ねりこ! 走りなさい!』 くーっ! 佐久間レイさんのお姉さん声がカッコイイ! 実はルツコさんとネリカお姉さんは学生時代からの親友だったんだ! みんな知らなかっただろう!?」
「知るか」
「いや、それにしても、なんとか『ねりこちゃん』をメジャーで知らしめたいぞー!」
「そうだな、では作戦を立てるために、まずマーケティングリサーチをしよう」
「よし、じゃあ、アクセス解析で調べるか」
「どんな検索キーワードでねりこちゃんを見に来ている人がいるか、だな」
「ひとつめは、ええと・・・『巨乳 小学生 画像 運動会』!」
「・・・・」
「・・・・」
「まあ、ねりこちゃんのテキストの中には、確かにそれぞれ含まれているが」
「次『くのいち 巨乳 画像』!」
「『おっぱい 型どり』」
「『王女 姫 妖精 巨乳』!」
「『テムジン 巨乳』」
「『変身 性格 女 乳 露出』!」
「貴様ら、ねりこちゃんに何を求めているんだ」
「巨乳、人気あるなあ」
「でもコンテンツ内にひとこと『貧乳』って言葉が入ってたら、それはそれで逆転するかも」
「ところで最後のはひょっとして『ワるきゅーレ』か?」
「それ以前に、テムジン(男性型バーチャロイド)に巨乳を求めてどうする」
「まだあるぞ『ドロワーズ 素人』!」
「素人ってなんだ、素人って」
「『カスミ H画像』」
「ひょっとして、NHKのカスミンか?」
「『帽子 ロリショタ』『望月久代 アダルト』『捕らわれ娘猫』『少女の型どり』『お姉ーさんの裸でエプロン』『淫靡 洗脳』!」
「もうこうなってくると、いまさら『リリーナピースクラフト エロ 画像』とかで見に来られてもなんら動じるところがないな」
「ちなみに、一番多いのが『エロフィギュア』か!」
「間違いなくダントツだ」
「しかも、ありとあらゆる検索エンジンで『エロフィギュア』と入力して飛んできてる奴が何人も何人も何人もいるぞ!」
「延べ人数でもう1000人は下らない」
「サイトをお持ちのみなさん、自分のサイトのトップページに『エロフィギュア』と一言入れるだけで確実にアクセス数アップできますよー」
「で、次点が『混浴露天風呂殺人事件』か」
「ほかにも『温泉 秘湯 画像 混浴 おっぱい』!」
「さらには『湯煙 温泉 殺人事件 おっぱい』!」
「ついでに『混浴 露天風呂 のぞき おっぱい』!」
「そして 『温泉 混浴 女 のぞき おっぱい 画像』! すげえ、実にストレートかつ低レベル!!」
「おまえ、すこし落ち着け」
「あ、これは少し気持ちが分かる『後藤隊長 パトレイバー 会議 独り言』 調べられるものなら私も調べたい」
「『真夜中にやってる模型屋』ってのも、ねりやさんそのまんまだな」
「曜日によっては12時頃までやってるとゆー怪情報も」
「あぶないあぶない」
「ああ、最後にすごいのが・・・『ニーソックス の臭い』!」
「何が見たかったんだろうなこの人は」
「・・・いま思ったんだけどさー」
「うん」
「検索でねりこちゃんのページに来たお客さんのほとんどが、ねりこちゃんが目当てでないことはたしかだと思うな・・・」
「ううむ、アクセス結果みるのが楽しくて考えたくなかったけど、この解析でそれが事実だということはイヤというほどわかった」
「くそう、ねりこちゃんは
こんなにかわいいのに!」
「うわー、珍しく媚び媚びな絵・・・」
「この子のためなら媚び絵も辞すまい。い、いや、そんなことより、どうする。これ以上話数増やしても仕方がないし」
「いっそ2ちゃんねるにでも晒してもらうか」
「そ、それはちょっと怖すぎるー」
「まあ、2ちゃん受けはしないかモナ」
「そうだ、テキストでダメなら、まだフィギュアで見せる手があるぞ!」
「おお、それだ! もとが模型ネタだし」
「そういうわけで、がんばってくれ、ねりこちゃん原型師のにいづま氏!」
「あなただけがたよりだ!」
「とりあえず、まて! 立体化!」
(つづく・・・だろうか)
(忘れている人はもう一度『プラモの妖精・ねりこちゃん』を読んでおきましょう)
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■ 2002.12.17
tue「広告のお仕事」
ずいぶん前の物だが、ねりや模型店リニューアルオープンの広告を作らせてもらったことがある。
これは、ホビージャパンの2002年6月号に掲載された半面広告だ。
せっかくのイメージキャラクターなんだし、なんとか「ねりこちゃん」を描きたいと思ったが、この当時は絵を辞めたせいで、画力が落ちに落ちていた時期だったため、自分に優しくアヤコちゃんで逃げた。
そういうわけで、ねりこちゃんのメジャー媒体へのデビューは、機会を失ってしまったわけだ。いま思うと残念なことである。
ホビージャパン誌は、終わりの方のページがほとんど広告なのだが、メーカー以外にも、こうして小売店が広告を出している。
なかには自分の子供の写真をのせる親バカとか、扱っている商品をズラズラ並べるだけの個性に乏しい店もあったが、ねりやさんの場合は今号のみの一発広告でもあるし、やはりインパクトが大事である。絵を入れることで多少それは狙えたが、あおり文句など、せめてもう少しハジケた広告にしたかった。
広告のデータを入稿した後は、ねりやさんのHPのリニューアルを指導し、新聞チラシの製作にも手を出させてもらった。
書店で経験があるので多少わかるが、新装開店というのは非常に大変な作業である。
店舗の方は手伝えなかったが、こうして裏方のほうを手助けしたのは、同情かも知れないし、報酬を得ていた責任感からかもしれない。
だが、リニューアルオープン直前のマスターは、かなり作業が行き詰まっていて、なんというか活きのいい死体みたいな顔色で働いていたので、手をかさざるを得なかったのが、本当のところだろう。
リニューアル前のねりやさんは「オモチャ屋」として、子供向きのゲームや人形なども扱っていた記憶があるが、このときの改装を機に、高濃度の模型専門店として新生している。
模型の趣味がある人で、ねりや模型店の近所に立ち寄る機会があれば、いちど訪ねてみて欲しい。
ところで、天野が満足にあつかえるCGソフトは、いまのところペインター(Painter 7.0)しかない。
そんなわけで、この広告もHPの素材も新聞広告までもぜーんぶペインターで作った。(そう言ったら前職の社長から笑われたが)
いいかげんイラストレーターかフォトショップの使い方くらい憶えたいところである。
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■ 2002.12.19
thu「ねりこちゃんメジャー化計画・2」
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■ 2002.12.20
fri「百合彦さんとこーわさん」(※
2002.12.14 sat)
機会があって、以前から憧れていた
の百合彦さんと、
のこーわさんに会うことができた。
「マリア様がみてる(以下『マリみて』)」の同人誌原稿が忙しかったこーわさんは遅れてみえたが、それまでの間、ファミリーレストランの「ガスト」で百合彦さんと話しながら時間をすごす。両者共通の話題は、やはり「マリみて」だ。そもそもこの人のサイトがきっかけで、はまったのである。
「どうも、はじめまして」「こちらこそ、はじめまして」「いきなりですが、私、いまもう『マリみて』の志摩子さまが好きで好きで。でも描いた絵は祥子さまと祐巳ちゃんだけなんですが」「天野さんが描いた『マリみて絵』って、エロ愛らしいですよね」「エロ・・・、ええと、あの『マリみて』同人誌の原稿は進み具合いかがですか」「こーわが寝言で言ってるんですよ『マリみての原稿が間に合わない〜』って」
席に着くなり二言目から連発される「マリみて」話の電波毒素がきつかったのだろうか。百合彦さんがスケッチブックに描いてこられた「祥子さまの背中に両拳と額を当てて涙を流す祐巳」をテーブル上で仕上げ始めたあたりで、PLUSe(普段は映画情報などを流しているテーブル備え付けの液晶モニター)が「もう限界です」とばかりに異音を発し、「例外OEが0167:BFF9EZDBで発生しました」という、winユーザーには見慣れた青い画面を吐いて、とつぜん沈黙してしまった。
二つの超音波の干渉点で物体が破砕されるのと同じ原理だろうか。
シチュエーション的には「ドラゴンボール」のスカウターが記録限界をこえて爆発するのに、ちょっと似ていた。
それにしても、まさか自分たちの毒電波会話が原因とは思わないこっちはビックリである。
「わあ」
「ガストのがこんな風になったの初めて見た」
出費をケチるために人と会うときはできるだけガストと決めているため、PLUSeのモニターを見慣れている天野も驚く。
でもこのときは自分のせいだと思ってないので、悪びれることもなく、ウエイトレスさんを呼んで再起動してもらった。
百合彦さんも「復旧ルートから本部の構造を推測する」のが楽しそうである。
「セレロンですねえ」
「おお、900MHzかあ」
結局どうにもならずBIOSの画面で止まってしまったが、これはこれで非常に趣があっておもしろかった。
「こんなことが原因で起こるわけがない」と思う人もいるかもしれないが、あとで聞いたところ、ちゃんとこういう記録(12/16)もあるくらいである。やはり、ガストのアレは毒電波に反応するのだ。もし壊れたとするなら、ガストさんには、申し訳ないことをした。そして「マリみて」の話は、それだけ破壊力があるということである。ちょっと慎もう。
安全のために話題を変えて、ギャラクシーエンジェルではフォルテさんが好きだとか、現実にフォルテさんファンの人には初めてあったととか、でも人気投票では万年最下位だとか、それがいいとか、むしろ人気のあるフォルテさんなんか俺のフォルテさんではないという趣旨の話で、しばし盛り上がる。PLUSeは完全に沈黙していた。
ところで、百合彦さんも私も、それぞれに絵を描く趣味を持っているわけだが、絵描き同士が、ほとんど共通に日頃いだいている疑問がある。
それは「他の絵描きさんは、絵をどうやってかいているんだろう」ということだ。
個性的な絵描きの絵には、ふつうの描き方では、どうしても出せない「味」というものがある。
それは魅力的な空気感のポイントであるにも関わらず、スープの隠し味に近いもので、パッと見てわかるものではない。
このことは先方も私の絵に同じような疑問をもっていたようで、この機会に、お互いの絵についての疑問を語り合うことができた。
持参した紙や、メモ帳などに図解しながら、たがいに説明をしあう。
基本的な描き方からして、わたしと百合彦さんでは、ずいぶん違っていた。
百合彦さんは、人物の絵を写実的に描いてから線を減らしていき、最低限の線で絵を完成させるが、わたしはむしろその逆で、ガシガシ描き込まないと安心できない小心者なせいと、説得力ほしさに細かく描き込む傾向がある。これだけでぜんぜん違ってくる。
それにしても、目の前で、サラサラと描いてもらうのを見ながら、絵の描き方なんて、ほんとうに人それぞれあるんだなと、しみじみ思った。
いわゆる「CGの描き方の本」など教科書的な書籍はあるが、他の絵描きさんのやりかたを直に知らない人は、本にある手法が一般的であるかのように思えるだろう。わたしも少しそう思っていた。
だが、絵の描き方は、それこそ「個性的な絵描き」の数だけ、言い方を変えれば「味」の数だけあるのだ。
「味」などと偉そうに描いたが、たとえば私の「味」などは、フローターの概念が理解できなかったせいで生まれた描き方や、間違ってレイヤーを結合させてしまったがゆえの後始末でできた技法や、「エアブラシだけで描く」というのが妙にカッコヨク思えてマネしただけの描画方法など、それら失敗と、勘違いと、性能を理解できなかったがゆえの回り道などでできてしまった手法を味に変えながら、絵の描き方が熟成されていったにすぎない。
でもその「失敗」こそが、得難い味を醸し出していくのかもしれない。
3DCGや効率的な教科書どおりの描き方では、けっして生まれ得ない味に。
自分だけが妙な回り道をしているような気がしたが、見渡せば、みんなそうして絵を描いているんだなと思った。
しばらくしてから、こーわさんが合流する。
彼は「マリア様がみてる」の同人原稿の締め切りを抱えていたが、お忙しいなか、ガストに来てくださった。
こーわさんも、天野の日記や絵などを読んでくださっており、いろいろ話がしたかったと喜んで来てくれた。ありがたいことである。
テーブルを囲んだこの三人に共通するのは、やはり絵描きであること。
こーわさんが天野の絵の動機などに関して、本質をついた質問をしてくる。これに答えるのが妙に楽しく、いろいろ喋らせてもらった。
そしてこの三人に共通するもう一つの要素は「マリア様がみてる」のファンであることだ。
「マリみて」の舞台として、よくでてくる「薔薇の館」の見取り図について、クオータービューによる図説と検討がはじまったのを皮切りに、祐巳ちゃんの髪型は耳のあたりに房がさわって絶対に耐えられるモノではないとか、祥子さんまの髪質はサラサラすぎてセットに苦労するだろうとか、リリアン女学園のセーラー服のタイは、何結びなのかとか、祐巳ちゃんがよく言う「ビスケットの扉」ってビジュアル的にどんな物なんだろうなど、異様に細やかで、かつどうでもよさげな考察が三人がかりで加えられていく。BIOSの状態で静止している設置モニターから煙がでそうなくらい白熱した論議がかわされた。
ところで、天野が感動したのは、話の内容以上に、リリアン女学園の制服の説明をしながらこーわさんが描く「女子高生の足」である。
なんというか、ものすげえ上手い。
サラサラっと描くだけなのに、線があんまりにも生き生きしているせいで、そのラフ画には際立った現実感すらあった。
こーわさんの絵に対して「もっと丁寧に描いて欲しい」と文句を抜かす奴がいるそうだが、これでなんの不満があるかと思うくらいの、じつにこう、すばらしい「あんよ」が目の前で、しかもほんの数本の線で奇跡のように描き出されていく。
さすがは「いっそ『全ページ制服少女の足だけ』とかいう本を作ってみたい」とコメントするだけの人物である。
一方で、百合彦さんは「銀杏を拾われる志摩子さまの図」をサラサラと描き、リリアンのセーラー服は胸元に三角の布がないから、胸の大きい生徒さんや、普通の娘でも、しゃがんだりお辞儀したときには、大変なことになるのではないかという説をやはり図解つきで熱心に語っていた。
ところで、百合彦さんとこーわさんは、今年の5月に結婚した新婚さんである。名前で混乱するかもしれないが、こーわさんが旦那様で、百合彦さんが奥様だ。
それにしても女子高生の日常について4時間以上かたれる夫婦というのもそうはいないと思うがどうだろう。
百合彦さんはシャーペンで、こーわさんは、インクペン(ボールペンのインク溜まりができないやつ)で、空いた紙にどんどん絵を描いていく。
お二人の絵には、こうしてみると同じくらい個性があるなあと思った。
お二人が初めてあったとき、片方は「オタク臭い絵だな」と思い、もう一方は「この人やばいよ同人活動してるよどうしよう」と思ったそうである。
こうした出会いの果てに何があって結婚したのかは、本人たちにも「なにもなくてよくわからない」そうだが、この絵の個性を見ていれば、僭越ながら、それが察せるような気がする。
お二人は、どちらも絵を愛していて、どちらもその絵が個性的だ。
お互いを強烈に見つめ合う恋愛は、破綻することも多いという。だが、何か共通のものを一緒に見つめていく恋は、近づきながら、自然にお互いを高めていくことができる。
絵を共通のものとしており、同じくらい個性的な絵を描くお互いを認めているから、お二人はいっしょになったのではないだろうか。邪推かも知れないが、そう思う。
このお二人は、一見すると、ちょっと絵や漫画が好きな仲のいい普通の夫婦に見える。
その見た目につい油断して、何気なく質問してみた。
「こーわさんの好きなものはなんですか?」
「女子高生のふとももと幼女たま」
「・・・・いえ、あの、ええと、じゃあ百合彦さんは?」
「小中学生の男の子」
「・・・・」
一見すると普通だが、やっぱり、この新婚さんは、すごいカップリングかもしれない。
すでに何枚も描き潰されたお絵かき用紙に「ワンピースであるリリアン女学園のセーラー服はどういう縫製をすればウエストを絞れるのか」というテーマの構造図をいつまでも熱心に描き込むお二人を見つめながら、ぼんやりとそう思った。
おまけ
ところで、絵描きによくある癖だが、お二人はともに、自分の画力のことを最後まで謙遜していたのが面白かった。
私はふたりの絵を認めている。たぶん、この夫婦もお互いの絵を認めている。
そして、本人だけが、自分の絵の価値をわかっていないのだ。
それがちょっと微笑ましかった。
席をならべて、同じ紙に睦まじくお二人が描いていくそれは、とても尊い絵だと思った。
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■ 2002.12.24
tue「ナガヌマさんとその奥さん」
以前にツーリングに誘ってもらったナガヌマさんと、その奥さんに会った。ひとしきり喋ったあと、近所のファミレスで夕食を御馳走になる。今日はデニーズだった。
ナガヌマさんは、わたしの勤めていた書店の元同僚(つまり現役)である。現在は「店長+コミック担当」という私も歩んだデスマーチを往く身だ。
「天野さん、仕事のことで質問があります」
「お、おお。私に分かることなら、なんでもどうぞ」
天野とナガヌマさんの問答を、横で奥さんは大人しく聞いていた。
天野の説明は、逆説的な言葉使いや、ひねくれた例えを持ち出すことが日常会話にも多い。ナガヌマさんはたまに話を中断して、奥さんに対して平易な日本語か、ポルトガル語で翻訳して説明をしていた。
ナガヌマさんの奥さんは、日系三世のブラジル(ポルトガル語圏)人だ。
そして、美人罪で逮捕できるくらいには美人である。(いやマジで)
「天野さん、なぜ、多くの人は『メイド』『ねこみみ』『巫女さん』に萌えるのでしょう」
ところで、コミック担当のナガヌマさんは、いまそーゆー壁にぶつかっているらしい。
ナガヌマさんはロボットアニメ系には造詣が深いが、アッチの方は、まだ距離感が掴めていないようである。
とはいえ、このテーマは、最近の仲間内ではもう話題にもならないくらい基本的なことなので、これに改めて答えるのには、少し戸惑った。
ふと見ると、奥さんが聞き慣れない単語を理解できずに首を傾げている。天野が答えあぐねている間に、ナガヌマさんが、質問の意味を説明していた。
「メイドさんというのは、部屋の掃除をしてくれる人で、ねこみみはあたまに猫の耳が生えている人、巫女さんは日本の宗教の人」
「そ、その説明だとぜんぜん萌えねえ・・・」
「カセイフのコト? カセイフがすきなノ?」
「いや、本物じゃなくてですね、うーん説明がむつかしい」
「こすぷれ?」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・?」
「あの、ナガヌマさん、あなた奥様にいったいどういう日本語教育を・・・」
「いえ、あの、いまは『王ドロボウJIN』と『ボトムズ』と『ヘルシング』と『キカイダー』で」
「こすぷれとゆーコトバはテレビでおぼえたヨ」
「ええと、では気を取り直して。とりあえずファミレスで食事中にあんまりナマグサい話するのもアレだから簡単に言うと「メイドさんは従順な年下のお母さん」で「ねこみみは簡単に餌付けできる女の子」で「巫女さんは、汚れた自分を浄化してくれる女神」なんです。いずれも、多くの人がそれぞれに心の奥で求めている要素なので、このいずれかに萌えるケースが多いようです。ほかには『妹』とかありますね」
「ええと、XXXXXX XX XXXX、XXXX XX X XXXX XX XXXX、XXX」
出すところに出せば掲示板上で何回転もしそうな話題を一行で済ましてしまった、いまの非常に乱暴な見解(こだわってる人、すみません)を、ナガヌマさんがポルトガル語でなんとか翻訳している。はたしてどれくらい正確に伝わっているのか、すこし不安だ。それ以前に、こんな説明でナガヌマさん自身は納得がいっているのだろうか。
「あと、天野さん。知人の高校生が、実際に妹がいるのに『シスタープリンセス』にはまっているんです。妹がいなくて、憧れるというなら分かるのですが、あれはどうしてでしょう。本人は実の妹にはピクリとも萌えないそうですが。それと、そもそも『萌え』とはなんなのでしょうか」
「萌え」とは。
正直、説明に窮した。
「萌え」を理解している人には、実感として分かっていることだと思うが、それを言葉で、しかも、全くわからない人に説明するのは、非常に難しいことである。
なんとか分かりやすいカタチにしようと、わたしは説明の切り口を少し変えることにした。
「ナガヌマさん、いいですか。一般に生物というのは
(脊椎動物・無脊椎動物・無花植物・有花植物という分類は省略)
こういう概念でとらえられています」
「は? はあ」
「ですが、
実際にはこうなんです。「妹」とか「メイドさん」とか「ねこみみ」とか「巫女」というのは実は人間ではなく、生物の分類上、全く違う存在なのです」(これ、むかしどっかの日記で拝見した図を参照してるんですけど、どこで見たのだったか)
「あ、あの、『妹』もなんですか?」
「そうです『妹』も正確には人間ではありません。そういうわけで実の妹に萌えなくても『妹萌え』はまったく別次元の愛情として存在するのです」
「・・・はあ」
「そして『萌え』についてですが、これは簡単に説明の出来るエネルギーではありません」
「エネルギーなんですか?」
「そうです。その性質についてはまだ解明されていない部分が多く、明確に観測・テキスト化さたものは、きわめて少ないのです。なにせ、萌えとは」
「この段階ですでに発生していたエネルギーだからです」
「こ、こんな早くから相転移が・・・」
「そうなんです。ビッグバン宇宙論がどこまでホントかはともかく、『萌え』とは宇宙の根本にかかわるエネルギーであることは確かであり、そして実は世界に満ちあふれている不可視のエネルギーなのです。残念ながら簡単に説明の出来るものではありませんが、現在さまざまな宇宙論者や科学者が・・・」
気がつくと、奥さんがナガヌマさんの袖をくいくいと引いている。「ああ」といってナガヌマさんが説明をした。
「XXXX XXX X XXXXXX?」
「XXX XXXXXXXX」
いまの、まわりくどい上に、日本人でも理解不能かもしれない話が、ちゃんと翻訳されて伝わっているだろうか。
せめて分かりやすくと思ったが、ちょっと切り口が特殊すぎただろうかと、心配である。
ややあって、奥さんが頷いた。
「なるほド」
「あの、奥さんホントに分かってます?」
自分で喋ったことだが、突っ込まざるを得ない。
「あ、それと妻は、天野さんがさきほどからメモをとっていることに感心しています」
「ああ、これは日記に書くから」
「ニッキ?」
「XXXXXXXX XX XXXX XX」ナガヌマさんが説明する。「ええと天野さんの日記のこと、なんて説明すればいいのかな」
「それは、書いてる私にも一言で表すのは難題だなあ」
「XXXXXX XX 書店 XX XX イラスト XX XXフィギュアXX XX XXXXX XX XX アニメXXXXXX
コミケ XX XXゲームXXXXXX エロXXXXXX XX ギャルゲー XXXX XX パソコンパラダイス」
「ちょっとまて。いま聞き取れた日本語はちょっとまて」
「スバラシイでス」
「奥さん、それ違う。きっと違う」
「前向キに生きていきまショウ」
「ナガヌマさん! いま一体どんな訳をしたんですか!? ていうか奥さんなにか誤解してません?」
「ソンナことナイヨー、エヘヘ」
その後、なんとか平易な日本語で正確な情報の伝達を試みた。
たぶん、奥さんには天野の本質とか日記のテーマなどを理解してもらえただろうと思う。
ただ、途中から彼女が私と目線を合わせようとしなくなったのが、最後までどうにも気になったけれど。
ところで、このあまり意味のないボタンを押すと、メールフォームのページへ飛びますので、お気軽に感想などお送りください。
■ 2002.12.26
thu「マリア様がみてる」
先日も日記に書いたが、「マリア様がみてる」(今野緒雪/集英社)というコバルト文庫の小説にはまっている。
概要を転載しておこう。
「ごきげんよう」純粋培養の乙女たちが集う、私立リリアン女学院。制服を翻らせないようにゆっくりと歩くことがここのたしなみ。汚れをしらず、温室育ちのお嬢様が箱入りで出荷される今どき珍しい学園。ここには清く正しい学園生活を受け継いでいくため先輩が後輩にロザリオを渡すことで「姉妹(スール)」となるシステムが存在していた。
そんなお嬢様学校に通うごく一般の目立たない生徒である福沢祐巳。秋になるのに姉を持たない彼女が偶然か必然か、ある朝遭遇した出来事から一気に運命は変わっていった。
紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)/白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)/黄薔薇さま(ロサ・フェエィダ)そしてその妹であるつぼみ(プゥトン)。生徒会である山百合会を巻き込む大騒動。祐巳は憧れのお姉さまと結ばれることができるのか(笑)
MANGAOH
CLUBより
大雑把に言って「女学園もの」である。
「結ばれる」とか書かれると百合(女性同士の恋愛)かと思われるかもしれないが、この物語の本質は、どこかの日記でも書かれていたように「友情もの」だと思う。
上述にあるように、リリアン女学園での生活は、基本的に姉妹の関係を結ぶことではじまる。
最初は憧れや可愛さや直感からはじまった関係かもしれない。だが、年月を経てそれが分かちがたく結びついていくのは、彼女たちの間に、包み教え導く姉と、委(ゆだ)ね支え援(たす)ける妹との信頼関係が育まれていくからだ。その形は個性によって様々だが、ときに護り、ときに甘えながら、彼女たちはささやかな波乱のなか、学園生活をすごしていく。
その過程を、清(すが)しく、あたたかく描かれていくのが「マリア様がみてる」という小説だ。
ところで、男同士の友情物語が、ときとしてホモ漫画と混同されるように「マリみて」もそういう誤解を受け、未読の人に「百合小説」だととらえられることがある。
いや、誤解でもなんでもなかったりする箇所が随所にあるし、「ソフトだけど完全に百合」とか言われているのを、作家が笑って「最高の誉め言葉です」と公式に言ったりしてはいるのだが、それはそれとして。
「マリみて」では、それぞれが互いを大切に思っているなかでの、ちいさな衝突がいくつもおこる。大切であるが故の衝突が。
それを乗り越えていく要素は、ただ、彼女たちの誠実さだ。
これが「マリみて」の魅力なのだと思う。「友情もの」という評価はやはり至言だと思うがどうだろう。
「マリみて」を最初に読んだとき、わたしが感情移入したのは、主人公の祐巳ちゃんだった。彼女の一人称で語られるのが大部分だし、いちばん感情移入がしやすいと思う。
読み手である自分は男性なのだが、主人公である少女に感情移入するというのは、自分の内面にある「女性」が、女性を愛したいと思っているからだろうか。祐巳に感情移入することは、とても自然に感じられた。祐巳が祥子さまを思う健気な気持ちが切なくて、祐巳に同情して泣けてくるのだ。不思議なものである。
女学園ソフト百合ものを泣いて読んでる32才男というのも、たいがいどうかと思うが「ボンバーマンジェッターズ・第11話『ママをたずねて三千光年』」見てボロボロ泣いてるくらいだから別にいまさらだろう。
全巻読み終わったあとの、総括的な印象がある。例によって皮膚感覚的な感想だが、「マリみて」を読んでいると「ああ、自分はいま、いい世界にいるな」と思えることだ。
「マリみて」の中の、この魅力的な空気感。その雰囲気をつくる基盤になっているのは、敬語を常用する学園内の美しい礼節と、姉妹という関係を通じて作品世界に自然に満たされている、双方への敬虔な尊敬と愛情である。これがとても心地よい。
その世界に、いっとき精神を遊ばせるのは、なにか貴重な体験をしているような感動と、不思議な安心感があった。
そして、作品に浸りながら思う。二度とない学園生活を、これほどの愛着をもって過ごせた彼女たちは、とても幸せだと。
ところで、第一巻が出たのが1998年5月10日。これ以降現在にいたるまで、というかネット上ではここ半年ほどで急激に「マリみて」の人気は高騰している。わたしもそれにつられたクチだ。刊行ペースが異様に速いこともあるが、その土台は「文章が平易である」こと、「キャラが立っている」こと、そして「構成がしっかりしている」ことだろうか。
特に「マリみて」の構成は王道である。こーわさんからちょっと聞いたことだが、「ふたつの意思のぶつかり合いを、キャラクターたちの信頼関係が支え、お互いを認めあっていく」のがこのシリーズの基本だ。(これに、キャラクターの魅力を掘り下げるサービス的なエピソードがちりばめられる)
そういえば、第一巻を読了した段階で、以前に、
モトネタ
→
解説
「マリみて」は「マリア様がみてる」という集英社の文庫小説です。
広域指定暴力団「山百合会」に入ったばかりの三下・福沢は、ある日、ふとしたきっかけで組の若頭である小笠原と出会う。小笠原に憧れていた福沢は、自らのあずかり知らないところで組の陰謀に巻き込まれ、とつぜん小笠原に「自分の舎弟になれ」と強要される。本来は願ってもないことのはずだったが、その背後には小笠原を陥れようとする恐るべき罠が隠されていた! それを知った福沢自身も窮地に立たされ、義兄弟の杯をかわすことを頑なに拒むことになってしまう! こうして「杯やぶり」の汚名を着せられた福沢の波乱に満ちた極道生活がスタートする! 悪鬼羅刹が蠢く仁義無き地獄絵図の中、福沢はホンマモンの漢たちと出会い、魂と魂のタイマンを経ていつか揺るぎない真実の愛を見つけていくとゆー新機軸極道恋愛健全ソフト百合シミュレーションです。
こんな罰当たりなパロディを書いたが、それでも異様にスッキリはまるのは、制度の類似点もさることながら、この王道な構成が大きく共通しているからだと思うがどうだろう。
おまけ
マリみてを読んでる人におすすめな漫画「ひみつの階段(1・2)」(紺野キタ/ポプラ社)
これは女子寮ものです。よんでて感動に打ち震えたツボ具合で、個人的にはかなりのコアヒット。感動的な内容、というのではなく、その作品世界の肌触りが心地よかった。そういう意味ではマリみて以上でした。
「わかってねえ本屋」にはあまり置かれていない本なので、注文して取り寄せる必要があるかもしれません。
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■ 2002.12.27
fri「男性と女性」
「マリア様がみてる」の新刊が出たので、いま読んでいる。
枕元には、先日も紹介した「ひみつの階段」も置いてあるので、なんとなく漫画が読みたくなたときには、これにも手を伸ばすことがある。ともに、最近のお気に入りだ。
両方とも、女学園・女子寮ものであり、物語にはほとんど女性しか出てこない。
しかも「マリみて」の方は、それが強烈に支持されていて、オトコが出ると読者からクレームが来るらしい。初めて聞いたときには、これは凄いと思った。いまでは、わたしもそっち側なのだが。
ほんらい女性読者を対象に女性が執筆している作品なのだから当然のことかもしれないが、わたしはこれを「女性の視点」で読んでいる。
そして、このとき気がつくことがある。
それは、読書中の自分に男性としての視点はなく、あくまでも「女性読者としてその世界に憧れている」自分がいる・・・ということだ。
これは、単に感情移入能力がすげえとかいうのではなく、
男性のなかにも、少しだけ「女性」があるからだと思う。
よく男性と女性は、陽と陰に喩(たと)えられることが多く
しばしば、こういう図で象徴される。
この図を土台にすると、
これが男性で、
これが女性だろうか。
だが、わたしの実感だと、こう「完全に別の生き物」としてバキッと分けられるものではなく、
こういうのが男性で、
こういうのが女性ではないだろうか、と思う。
大学であった易経の講義をほとんどサボっていたので見当違いなことを書いてるかもしれない上に、この太極図も無茶苦茶なアレンジだが、こういう陰陽がわたしの「男性と女性」の印象である。そしてこの図のポイントは、
男性の中には「女性」があり、そして女性の中にも「男性」があるということだ。
(先の勾玉にも○と●があるんですけど、ここでは、もうちょっとそのまま取り込んでる感じ)
女性の立場や心情に感情移入でき、それを心地よく自然に読めるのは、自分の中に、けっこうおおきな要素として異性の性質があるからだと思う。
ただ、これには個人差があるだろう。
「男女の恋愛ものですら女性の視点でみてる」わたしのような人は、それがちょっと大きめだと思う。
(ちなみに、それがちょっと子供っぽい保護欲をそそるキャラだと、すぐに母親の視点に立ってしまうけど)
布袋寅泰が「プライド」という曲の作詞作曲編曲をやったとき、誰かが「布袋さんの中には小さな女の人がいるんだ。だからあんなにも女性の気持ちが詞にできるんだ」と言っていた。
それにちょっと近いかもしれない。彼の中にある「女性」も相当に大きいはずだ。
男性のなかには「女性」があり、女性の中には「男性」がある。そう思う。
異性の特徴的な文化に憧れるとき、こういう風に感じている人は、結構いるのではないかと思うが、どうだろう。
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■ 2002.12.28
sat「shalさん」
日記注:今日の日記に書いてあることは、すべて嘘です。
間違いなく、正確に嘘です。
shalさんと会った。
この混世魔人は、東京の大学でその猛威を振るっているかと思われたが、その実、寮での生活は制限が多いため、いまは有志を募って「ビッグオー」のドロシーを愛する深夜集会を開くのが精々の大人しさだという。ちなみにその前は「フィギュア17」だったそうだ。
shalさんとは、夏にも一度あったことがある。
そのときは、夏休みに帰省するという彼と都合を合わせて、わたしが車で駅まで迎えに行った。
駅に着いてみると、見知らぬ学生がいっしょにいた。shalさんが、東京で得た学友とのことである。この夏は、彼を実家に招待することも兼ねた帰省だった。
彼の寮では、デスクトップパソコンを個人所有することが禁じられているらしい。
そのためだろうか。寮生活でのしめつけの反動もあったのであろう、shalさんは家に到着するなり矢も楯もたまらずパソコンにしがみついてこれを起動、デスクトップピクチャーのきさらぎママ(ハッピーレッスン)を熱視線で見つめながら、砂時計が消えると同時に迷うことなく「ザ・クイーン・オブ・ハート99」(リーフのヒロインが戦う、同人による対戦格闘ゲーム)を起動し、彼が心から愛する柏木千鶴(痕)をセレクト。しかも敵キャラふくめて全員鬼千鶴。そして、何も言わずに四人同時使用プレイを開始した。
ちなみに、こういう状態である。
まるで地獄のようだが、彼が死んだときに行く天国は、どうせこんな感じだろう。
これを数回くりかえしてやっと落ち着いたのか、背後で立ちつくしている学友と私に振り向き、彼はこういった。
「QOHで、千鶴さん使うのは、もう2600回以上です」(思い出のアルバム調べ)
「あー、shalさん、もうちょっと手加減してやれ。いや、ゲームじゃなくて・・・」
スッキリしたイイ笑顔でいう彼に、わたしは突っ込んだ。
いきなりこの魔境に引きずり込まれた学友は、ゲームとかアニメとかにあまり興味のない普通の真面目な人間だったのだ。彼はわたしの横で、途方に暮れていた。
その後、あのときの学友とはどうなったのかという話を微妙にかわされながら、大学での生活の話を聞く。
「今、なにか悩んでることはない?」
「うーん、お金がないことでしょうか」
「学生さんらしい悩みだねえ」
「食費とか、昼だけ削ってます。おかげで痩せました」
「そりゃ大変だなあ」
「でも、その甲斐あって、先日やっと手に入ったんですよ!」
「ほう?」
「『アイドル伝説えり子』のビデオ(1989年)が!」
「ちょっ・・・・・・と待て」
「アイドル伝説えり子」って
これ?
「秋葉原のk-booksで見つけました! 一巻のぞいて全て! もう感動しましたよ!」
「感動って・・・、自分の痛ましいほどの行動力にですか」
「内容です! 矢島晶子さんが主人公だったんでもうずっと前から欲しかったんです!」
「あー、そういや君は熱心なファンだったな・・・。shalさん『It's say you!!』ってビデオにも出てたけど知ってる?」
「もちろん! ちゃんと持ってます!」
彼はあいかわらず、底が知れなかった。
shalさんは、矢島晶子さんのファンという側面と、もうひとつ、お姉さんキャラが好きという属性も持っている。
そんな彼が「ビッグオー」を見ているときにCMで流れる「おねてぃ」を見て気に入ったという。
「みずほ先生?」と聞くと、以外にも返事は「森野苺」だった。
ちょっと驚く。彼女はロリキャラっぽい15才くらいの容姿なのだ。
「へえ、shalさんらしくないな」と返事しようとして、ふと思いとどまる。
一瞬、冷や汗が出た。
ちょっとこわくなって確認してみたが、彼は「おねてぃ」本編を見ていない。
そう、知ってる人もいるとは思うが、実は「森野苺」の戸籍年齢は21才なのだ。この設定を、それと知らずに看破したshalさんのおねーさんキャラ嗅覚に、わたしはあらためて戦慄した。
思えば彼は「スジガネ入り」だった。
彼の実家は、住宅地の、ちょっと小高い位置に建っている。そして彼の家のすぐ隣には小学校があり、しかも家の位置からはそこのプールが丸見えなのだ。shalさんの実家まで車で送ったとき、年端もいかない無防備なスクール水着が目の前をとんだりはねたりしているのを見て目眩がしたものである。自分と彼にロリ属性がなくてよかったと、こころから思った。
この、生きたペド法処罰対象写真集みたいなのが目の前に毎日2ダースはぶら下がるという、人によっては破滅の淵のような環境に住んでいてなお、彼はお姉さん萌えを貫ける男である。というか、どうも、そんなものには何の興味もないという感じだ。たとえコイツを簀巻きにして高熱溶鉱炉に投げ込んでも、熔解どころか曲がりもしない「お姉さん萌え」と書かれた頑強なH型鋼鉄が転がり出てくるだけだろう。
彼は他にも、セングラ(センチメンタルグラフティー)の綾崎若菜に、いまだに萌えていて
「まだまだいけますよ!」
といいつつ、財布からトレカを出してうれしそうに見せてくれた。
「これ、ザナさんとこへ遊びに行ったときにもらったんですよ♪」
そうだ。わすれていたが、この天然危険物は西日本の人間兵器と、春に一度接近遭遇している。
二大怪獣・夢の共演かと知人のチャットで騒がれたが、わたしも同行できなかったため、詳細は不明だ。ただ大阪の街は無事だったらしいので、大事には至らずにすんだようである。
「あ、それと、最近やっと手に入ったアイテムがあるんですよ」
shalさんが話題を変えて言う。
じんわりと頭痛がした。さっきの「アイドル伝説えりこ」もそうだったが、今日はちょっと彼に振り回されっぱなしである。これではいけない。
彼が息継ぎをする一瞬の隙に「もう何を出されても、絶対に驚かないぞ」とわたしは気合いを入れ
「ミッドナイトアニメ・レモンエンジェルのビデオです!」
しばらくお待ちください。
「小川メダカの声が矢島晶子さんなんですよ!」
為す術もなく怪獣に踏みつぶされるとき、人間というのはこんな気分を味わうのだろうか。
そう言えば彼は、以前チャットで「くりぃむレモン(エロアニメのパイオニア)」の話題が出たときに
F氏「ああ、くりいむレモンのことか(笑) 」
shal「あれ、よく出来てますよね(笑)」
A氏「おいコラ、受験生18才(当時)。なんで私が20年前、中学の頃こっそりみてたエロアニメの話題についてこれるんじゃい」
shal「ちょっと前、レモンエンジェルを探しているときに色々あって(笑)<くりぃむレモン
確か、つい最近、って言っても、ちょっと前ですけど、DVDで再販されていましたよね?」
F氏「れ、れもんえんじぇる…。君、そんなもんまで探してたのか」
こんな会話ログを残していたのを、すっかり忘れていた。
ところで「レモンエンジェル」とは「くりぃむレモン」を母体とした深夜放送のお色気アニメ(1988年)である。これとタイアップして同名の声優アイドルグループ(実写)も存在した。
ちなみに、こんなの。
「ずっと探していてやっと手に入ったんですよ! 苦労しました! レア・アイテムですしね!」
「いや、わたしには君のような珍獣のほうがよっぽど・・・」
「天野さん、お貸ししましょうか?」
「いや、いい。ありがとう。ごめんなさい。すみません。わたしも櫻井智はちょっと好きでした」
「え? 櫻井智さんって・・・?」
「そうかshalさんは、実写の方は知らなかったか。まあ君がまだ四歳のころだからな・・・
って、アニメの方でも君まだ五つじゃねえか!」
「いや、ですから、矢島晶子さんを追っかけて、昔のことを知るようになったんですよ」
「それにしても昔すぎるわ。『レモンエンジェル』じゃなくて、君らの年齢なら『ハミングバード』だろう」
「なんですかそれ。 あ、そういえば名前くらいは聞いたような」
「『ハミバ』は、君らの世代が直撃層だろうが(たぶん)! なんで30代が泣いて聴いてた「今夜はそっと くりぃむれもん(ラジオ)」とかの話題にサラサラついてこられる19才がハミバをしらんのじゃあー!! ああーっ! あああーっ!」
shalさんは、そんなわけで、オタク文化を縫うようにして通過してきた非常にバラツキのある経歴を持っている。
ギャルゲーの話になれば「あゆみちゃん物語」あたりから分かっている恐るべき1983年生まれだが「雫」も「カノン」もやってない。「ONE」も「茜シナリオだけはやった」と言っていたが、それもどうやら、矢島晶子さんが柚木詩子役だからだ。先のレモンエンジェル(1988年)も矢島晶子さん目当てであり、同じ動機で「灰羽連盟(2002年)」は見てるそうだ。そして「ビッグオー」も「フィギュア17」も。
つまり彼は、矢島晶子さんの関連作をすべてむさぼりつくそうとしているうちに、時間の壁を食い破る能力を身につけてしまったのだろう。そのせいで、話だけ聞いてると、大昔からオタクをやっている大人物にも見える。19才なのに。人魚の肉でも喰ったのか君は。そう言いたくなってしまうのだ。
でも「矢島晶子さん関連のみ」と分かっていても、去年まで高校生だった彼に「バーチャコール2」の事とかサラッと言われると、やはり、こっちも戦慄せざるを得ない。
少し休ませてもらってから、また話をはじめた。
矢島晶子さん以外で、彼が現在はまっているのは、以前にも書いたが「ハピレス(ハッピーレッスン)」である。彼は「電撃G'sマガジン」だけはずっと買っているそうだ。
「天野さん、またハピレスがはじまるそうですよ! もうぼく嬉しくって!」
「ああ、シスプリ・リピュアが終わったからなあ。『5人のママ』に『12人の妹』と、電撃の二枚看板が、二回づつ、テレビシリーズ化するわけか」
「いま企画でやってるのは『双子五組・計10人』のシリーズだそうです」
「あー、わたしもう聞いただけで胸焼けしそうです」
「今度も、ささきむつみさんがイラストで、がんばってますね」
「これ、まさか『セラフィムコール』の時みたいに双子なら同じ原画が二回使えるとかそういうことを考えてるんじゃないだろうなー。電撃だし」
「あはは。オールバンクと言われた第5・6話」
「でも、シスプリの次は、こう、嵐馬破天荒の男塾みたいにどんどん数が増えて、そのうち
『 シスター・一個中隊 〜108人の妹ども〜 』
とか、できるんじゃないかと思ってたけどなあ」
「いや、ぼく108人のお姉さんならがんばれそうですよ?」
「がんばるとかって言うな」
「でも108人もキャラがいたら描き分けが大変でしょう」
「そうだなー。キャラって、髪型で見分けるところが大きいだろうし。そのネタがもつかどうか」
「108人目とか、最後の方は、髪型がものすごいことになりそうですよね」
「初期の頃のアイシャ・コーダンテ(FSS)や、木刀の竜(シャーマンキング)みたいな妹がいるかもな」
「設定も大事ですよ。これに萌え要素入れれば、バリエーションが増やせますね」
「眼鏡っ娘の妹、巫女の妹、委員長の妹、幼なじみの妹、メイドの妹、ランドセル背負った妹、ぶかぶかワイシャツを着て目をごしごし擦りながら歩いてる妹、朝起きると布団のなかに(後略)」
「あと体型とかもこだわる人いますから、ちっちゃい子から大柄な子までいろいろ用意しましょう」
「上下の幅が108あるから、ミニマム級からヘビー級の上まで揃うな」
「でも108人も女性の声優さん使ったら、制作費がとんでもないことに・・・」
「いざとなったら、愛河里花子さんに100人くらい演ってもらおう」
「現実に考えたら画像だけでも、何千枚にもなりますから絶対にペイできませんね」
「じゃあ、眼鏡とかコスチュームとか髪型とか設定とか、パーツだけ個別に用意して、それをコンピュータがランダムに組み合わせる自動生成妹にすればおおきく経費削減できるんじゃないか!?」
「なんかカスタムメイトみたいになってきましたね」
「君はまた古いゲームをしってるなあ」 ※ ところで、似たようなお話が、こことここにもありました。
「あとはこの際、全妹の50人くらいが実はクローンで同じ顔とか、5つ児が二十組以上いるとかすればなんとかなる」
「うーん、個人的な好みを言わせてもらえば、妹じゃなくて、お姉さんならまだ現実味があるんですけどね」
「でも、全員年上だとすると、主人公が1才でも、いちばん上のお姉ちゃんが109才だぞ」
「それいったら、全員いもうとの場合、一番下の妹が1才でも、主人公が109才じゃないですか」
「ちょっとまて、そもそもお母さんがひとりで全員年子(としご)ということはないだろう。109人だぞ、109人。魚や虫じゃねえんだから」
「というか『シスプリ』では、どういう理由で12人も妹ができたんですか」
「あー、そうだ、こうしよう。アラブの大富豪が108人の妻を養っていて、それぞれにひとりずつ娘がいるんだよ。で、実は富豪の初婚相手である日本人妻との間には、男の子がいたんだけど不慮の事故で行方不明になってしまい、長い間見つからなかったんだ。で、その一人息子の主人公の身元がようやくわかって、長いあいだ兄に憧れ思慕の情を募らせていた108人の妹を、彼はとつぜん得る・・・ということなら、なんとかなるな。うん」
「で、いまの話を総合すると、ボブサップ並みのスーパーヘビー級の体格で、マスターガンダムみたいなものすごい髪型(V型リーゼント)をした108才の妹がメイド服の上にランドセル背負って「akhee(わたしのお兄ちゃん)」とアラビア語で言いながら布団にもぐりこんできそうなんですが、これは萌えるのでしょうか」
「あれ? ちょっと待て、いつからこんな話に・・・」
彼が帰る時間になるまで、私たちは際限なく喋り続けた。
shalさんとこうして話すのも何回目だろう。
いつも楽しいのだが、今日も、やっぱり、なんというか、変なダメージ感が残るのは、一瞬かれがまだ19才だと言うことを忘れてしまうからだと思う。
もう毎度の事だが。
ところで
「このゲームができたら、主題歌は南ピル子ね」と冗談で言ったら、shalさんは「アルバム出してましたねえ」とサラッと答えてました。
みなさん、どう思いますか?
or
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■ 2002.12.29
holy「大型自動車運転免許取得」
大型免許を取得した。バイクではなく、トラックなどの免許である。
まず、普通免許を持っていて、運転歴があるために学科は免除された。この点は、以前にとったバイクも同じである。
全行程で22+2時間。うち8時間で仮免許検定、それに通ったら路上に出て、14時間こなせば卒業検定となる。検定は時間にはいらないので+2と書いた。
費用は学校によって多少の差はあると思うが、基本が16万円ちょっと。ほかに、検定時に8000円ないし5000円の検定料がいる。自動車学校では本試験が免除されたに過ぎないので、実際の免許の交付にはさらに5000円ほど(受験料含む)が必要だ。しかし試験を受けないのに受験料がいるというのは、変な話だと思う。
大型自動車と普通車の最大の違いは、その車格からくる車体感覚の違いである。
顕著なのは、前輪の位置だ。これが運転手のシートのさらに後ろにあるので、わかりやすく言えば、普通車のフロントバンパー上に乗ってハンドルを切っている感覚に近い。
そして、その分、後方がものすごく長く幅もあるので、取り回しの際などに、自分がとつぜん巨大生物になったような錯覚があって面白い。背後におおきな質量がついてくる感覚が、なんだか可笑しかった。
最初は、こんな大きな車、ちゃんと運転できるものかしらんと思っていたが、大きい分だけ、普通車に比べ座席位置が高いので視野は広く、やってみるとそれほど恐くはなかった。
技術修得のコツは、とにかく車体感覚を、体で覚えることだ。
そのための裏技としては、教習コース上で、実際にポールにあたったり、縁石に乗り上げることである。もちろんこんなことを学校では教えないが、最初はなんとか許してくれる。どの辺で曲がると後輪が乗り上げるのかなど、実際に乗って、できれば一発で憶える。これで、自車のタイヤの位置が感覚的に掴めるはずだ。「え!? こんなとこにタイヤがあったの!?」と最初は思うだろう。このショックが大事だ。やがて、走行中にどのタイヤが道路のどの辺に跡を付けているか。それが、自分の足の裏のように理解でき、自分の身体が6トン車とひとつになった感覚を得られれば、あとは教官の言うこと聞いてりゃ、だいたい何とかなる。
もう一つのコツは、できるだけ連続して教習を受けることだ。運転感覚を体(脳か?)が憶えているうちに、それを確固としたものにするためである。
これはバイクや、普通自動車免許にも言えることだ。
それにしても、全教習が終わってみると、バイクや普免にくらべ、大型トラックの免許は簡単に取れてしまったような気がする。
なぜだろう。
ひょっとすると、容姿のせいだろうか。
そういえば、この時期は、いつぞやの日記で書いた
「予想される最終形態」を ほぼ実現して臨んでいる。
考えてみれば、舐められっぱなしだったバイク教習の時に比べて、教官さん方が、異様に親切だった。
バイクの時は、教官もヤクザみたいな口調で、たしか一時限めに、いきなり目の前でバイクをごろんと横たえて一言「おこせ」と言うだけだった。起こすと、今度は無言のまま反対に転がしてやっぱり「おこせ」である。コース内でも「てめえ、それでよく普通免許とれたなァッ!」とずいぶん怒鳴られた。
だが、今度はこっちのほうが暗殺者みたいな御面相だったせいか「で、ではよろしくおねがいします」と教官さんのほうから挨拶がある。
学校の体質が改善されたからかもしれないが、しかしそれでも、不自然なほどスムーズに教習は進み、ふりかえれば、わずか14日間という超短縮日程で全てを終えることが出来ていた。
ただ、後半の方では、しばらく隣席に乗ってもらううちに「そんなに恐い奴ではない」と分かってもらえたのだろうか、毎回談笑しながら和やかに教習は進んでいたのを思い出す。
「一見こわそうに見えるけれど、実際には礼儀正しくて話もおもしろい奴じゃないか」という、いわば「ブラック滝沢効果」があったのか、それともマジで恐かったのか、高校生の免許取得組が大量に入ってくることもあってか、あっという間に卒業検定にいたった。
免許を取得したが、私の場合、それがすぐ役に立つ状況にいるわけではない。
だから「就職に有利」とか「つぶしが利く」とか言われるとはいえ、もしかすると無駄になってしまうかも知れない。
それでも取ったのは、いちばん正直なところ「取ってみたかったから」であり「大型車を運転できるようになりたかったから」というところである。
そう、単に、欲張りなのだ。私は。
というわけで、次は、猟銃の免許をとろうかと思っている。
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■ 2002.12.30
mon「冬コミ報告」
今年の冬も、コミケには行かなかった。
でも、今日になって、あちこちから日記の更新や報告があがってくる。それを聞いているのが楽しい。
えるらさんがこんな報告をしてくれた。
「結局なにも買わずに、コスプレをながめていたんですけど、
身長が190近くあるものすごい筋肉したブリジットがいて
・・・発狂しそうになりました」
えるらさん、『アニメ店長』の中に、いい台詞があります。
「俺は女装コスを否定しない!
だが、俺の前には現れないでくれ
いいたいことはそれだけだ」
去年に筋骨隆々たるまほろさんを目撃したわたしは、名言だと思った。
えるらさんも激しく同意していた。
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■ 2002.12.31
tue「年越し」
「R.O.D」(リード・オア・ダイ)の七巻を読んだ。
これは文系スパイアクションという変な分野のライトノベルで、その主人公は大英図書館特殊工作部のエージェントでありながら、無類の読書好きというお話である。
最近はアクション路線が強かったが、七巻はその外伝となり、主人公の本好きぶりが描かれていて楽しかった。
主人公「読子・リードマン」(これもたいがい凄い名前だ)は、読書好き、というかすでに「愛書狂(ビブリオマニア)」とか「書痴」と呼ばれるレベルであり、彼女のそれはほとんど精神疾患の一種である。
七巻では、その読子の視点を通した、書店と古書店に関する日常と、書に対する、購読側と販売側の事情や思惑などが描かれていた。
書店に身を置いていたものとしては、よくここまで描けたものだなあ、と感心する。
それは、盛りだくさんと言うより、核心をついているのだ。
この作家・倉田英之が書店経験者とは思えない。そして、彼に直接資料を用意する出版社や編集者が、これほど書店のことを分かっているとも思えない。
意外と思われるかも知れないが、出版社は書店のことを、それほど理解してはいないものだ。特に販売理念に関しては衝突すらある。もっとも、書店の方も、出版のことはさして知らないのだが。
だから、思う。
倉田氏は、きっと、いい書店員から取材を得ることができたのだろう。
その書店員は本を愛していて、そして、書店という仕事のことを分かっている。
それが文脈から伝わってくるのだ。
そして、この文庫を通じて、わたしはその書店員と出会うことが出来たような気さえする。
読子も言っていた。本屋は「本が好き」なだけではなれない。「本が好きであることに甘えない人間」だけがなれるのだ。その同輩を、書の向こうに、わたしは見ることが出来た。
たとえば、野球をするものは、野球人の書いた本を読むことで同輩の親近感を書に得るだろう。だが、書店員の日常を描いた本は、本屋そのものという分野でありながら、意外に少ないのだ。(「ダイホンヤ」もそれほどではなかったし)こういう出会いは貴重である。
そして、この小説で面白いのは、書店の事情が上手く説明されている点だけではなく、読書家、書店員、古書店員、客、作家、そして倉田氏の視点という、本を巡る人間の、それぞれの本に対する距離感が抜群にウマく描けていることだ。
その濃密な関係性が愛情をこめて描かれているのも、このシリーズの魅力である。
いまは書店を退き、本が好きであることに甘えてもいいという至福を得ている。
先日も、年末の刊行ラッシュに合わせて、山ほど本を買った。
いま順に読み進め、最後の一冊を残して、ラスト前の「R.O.D」も読み終わったところだ。
最後の一冊は「微光のなかの宇宙」
ある人が推薦していた本である。
店頭になかったので取り寄せてもらった。
実はわたしは、その作家の本をまったく読んだことがない。
そして、推薦者当人にも会ったことがないし、ウェブ上での交流もない。
でも、なんとなく、その薦めが気に入った。
これを今年の最後に読んでみようと思う。
わたしは、風呂場で本を読むという習慣を持っている。
そして、いちど、お風呂で年越しというのをやってみたかったのだ。
今年は、この両方で年を越す。
そしてそこで読む本は、慣れた作家の安心できる作風ではなく、見知らぬ人のすすめに従ってみる。
これは冒険だ。
2003年は、おそらく冒険の年になるだろうから。
だから、なんの保証もないこの本を読んで、年を越してみようと思う。
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