諸注意
毎度のことかと思うでしょうが、今回の日記も、かなりフィクションです。
ぶっちゃけた話、この日記は、事実をモチーフにした小説の一種であります。
事実のまま記録しようとすると、読める範囲の長さに収まらない上に、テンポとして面白い読み物ではなくなってしまうため、あえて揺るぎない事実の方を曲げて削り、ありもしなかったデッチ上げを全面に押し出している箇所がけっこうあるからです。
なお、いつもどおり、天野の記事能力を補う意味で、事実関係の誤認などを指摘していただけると助かります。
しかし、先述の事情どおりですので、事実に関する訂正や指摘は、場合によっては記事修正の対象にならない場合もあります。御了承ください。
2002.08.14 wed「ヨコハマ旅行記・第一話 COBRAさんの部屋」
冴え冴えとした月光が、夜の浜辺に降り注いでいた。
岩場に弾ける波頭が、ときおり白い泡を見せる。
海の上で、かすかに風が吹いていた。
不意に、月光にくっきりと映し出された荒々しき岩上に、二人の少女が舞い降りる。
ちいさめの靴が、音もなく岩礁に触れた。
おくれてフワリと揺れる長い二房のおさげ髪。
閉じていた目を見開くと、そこには強烈な意志の光があった。
ふたりの少女は、その小柄な体躯にはアンバランスに見える、ひとふりのツルハシを、それぞれ天に掲げる。
月光を受けた切っ先が光り、彼女たちの無垢な魂を照らし出した。
浮気をしている男の脳天を叩いて打ち砕き木っ端微塵に粉砕して魚のエサにするための、それは、正義の刃だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
一年前の夏に敢行した、10日間におよぶ知人頼りの関東地方息切れツアーを、今年も行うことが出来た。
ただ、今年はコミケを外し、また期間も5日間と短めである。
去年に比べれば半分の日程だったが、天野の感触として、その充実度はほぼ同レベルだったと思う。
今回の日程を、ざっと書いておこう。
8/14:岐阜出発・COBRAさんの部屋(の廊下)で一泊
8/15:ヨコハマ到着・ウフフって笑ったりキャッキャッて騒いでから野宿
8/16:サンフェイスさんに会って馬車道を愛でてから文月さんとこで一泊
8/17:入江さんと秋葉原を冷やかしてから文月さんとこで萌えについて語りながら半徹夜
8/18:仮面ライダー龍騎とおジャ魔女どれみを見て岐阜に帰る
当日記しか御存知ない方には見慣れない名前もあると思うが「サンフェイスさん」と「入江さん」は、文月さん経由で最近知り合った別のチャットの方である。
日程こそ去年に比べ半分の行であり、アッサリして見えるが、今回も、やっぱり、なんというか、その、たいへんに収穫のある旅行だった。
今回の移動手段は「特急ひだ」や、新幹線ではなく、さいきん中古の軽自動車(ヴィヴィオRX-R)を購入したタカヒロ・Iさん(喫茶あるふぁ)と、マンデリンさん(Private Garage!!)の車(BMW)への便乗となった。予算の関係で断念していた計画が、これで実行可能となったのだ。ありがたいことである。
三人で岐阜を出発し、まずは、COBRAさんの待つ静岡に向かった。
部屋に到着してみて思う。
前回泊まりに行った(大道芸フェスティバルの)ときは、どうもエントロピー(物事の乱雑さを示す数値・・・としておこう)がもっとも低い状態だったらしい。
「おじゃましまーす」と入室してからずいぶん時間が経ったが、必死にスペースを創造(無から何かを作ること)しているCOBRAさんの努力はなかなか報われず、全員が座れるような場所はしばらく空かなかった。彼の仕事は激務であると聞く。それに押されて部屋の掃除ができなかったのだろう。
とはいえ、手伝うにしても、どこをどう片づけていいやら、部屋の主にも分からないような状態で、我々も立ちつくすのみだった。ふと横を見ると、タカヒロ・Iさんは、立ったまま、そのへんにあったコミックの「スパイラル」を読んでいる。
以前に書いた裁判のころから何の反省もないようで、彼は、いまだに、里村茜(ONE)と、結城ひよの(スパイラル)の両方を同時に愛しているようだ。(裁判の件を未読の人は、リンク先を必ず読んでおいてください) 困ったものである。罰(ばち)でも当たらなければいいが。
ところで、部屋の中に何が多いのかというと、やはりビデオテープのようである。
「その辺に積んである山から最近のまでは見てないですね」
と標高1メートルくらいありそうな山を指して、手を休めずにCOBRAさんが言う。
「これ、いつ頃とったテープ?」
「さくらか、ビバップの頃です」
仕事は忙しいと聞くが、彼は常時六台を稼動させて録画溜め(とりだめ)しているビデオを、いったいいつ見るのだろう。
改めて見渡すと、VTR(S−VHSばっか)の箱以外にも、ファミコンがいまだに現役だったりして驚く。
刺さっていたのはDQ3だった。よくみるとベッドの脇には、一抱えほどもあるファミコンソフトがひと絡げになって置かれている。
この異常なほどの物持ちの良さが、部屋が散らかる原因だろうか。
と「スカイキッド」のファミコンカセットを見ながらしみじみ思った。
うかつに段ボールを空ければ新作DVDもザクザクと掘り出されてくるので、エントロピーはさらに増大傾向にあるようだ。
なんとか座れるようになってから、マンデリンさんの持ち込んだ「ココロ図書館」や「朝霧の巫女」のアニメ、Kanonのマッドムービーなどを見つつ、夜を更かす。明日会うメンバーとチャットなどで連絡をとった後、明日のために、我々は早めに横になった。
空間とかいろいろねじ曲げて創造されたスペースに身体をはめ込むようにして、寝りに就く。今回は寝袋持参なので、狭い場所でも大丈夫だが、なんとなくテトリスのピースになった気分だ。
それでも、居心地が良いのが不思議で、慣れない床だったが、天野はわりと簡単に眠ることが出来た。
翌日、どういうわけか、早朝05:50に目が醒める。
聞くと部屋の主の、いつもの起床時間だそうだ。ねじれた空間の歪(ひず)みのせいか、部屋自体が持つ時空の流れにひっぱられたようである。いつもなら、絶対に寝ている時間だ。
8月15日の朝。日本国としては終戦記念日だが、やはり終戦といえば1月1日であると思うが、どうだろう。ちなみに12月24日はクリスマスイブではなく、ソロモン戦の日だ。
それはともかく。
ドライバーふたりが、いったん起きてから、睡眠時間を稼ぐためにもう一度ねた。
その間に、天野はCOBRAさんに装(よそ)ってもらった朝食を軽くつまんだが、早くに起きたせいか頭がぼうっとしている。
朦朧とした意識がようやく醒めてきたとき、我々は全員で、なぜか「ハッピーレッスン(OVA)」を見ていた。COBRAさんにうまく誘導されたのだと思う。
どんなに頭が呆けてても、井上喜久子さんの声だけは聞き分けられるとゆー「ダメ絶対音感」のおかげでバキッと目がさめる。おもしろいおもしろいと、次回予告までびっちり見たときには、すでに出発予定時刻をかなりオーバーしていた。(合流地点でずっと待ってた文月さんごめん)
こうして、昨日の夕方に岐阜県の飛騨を出た二人は、関市で天野を、静岡でCOBRAさんを拾い、いよいよ聖地ヨコハマへ本格出発することとなる。
部屋の戸締まりをしているCOBRAさんを待っている間、天野はタカヒロ・Iさんと「ONE」の話をしていた。話題は自然、彼が好きな里村茜の事になる。
「やっぱりどんなに冷たくあしらおうとしても茜の良さってのは出てしまうんですよほら浩平がマズイと評判のジュースを飲ませて茜の反応を見たいというたいへん不純な動機で「喉は乾いてない」という茜に強引にジュースを渡したときに「・・・ただ、悪いなと思って」と一言いってくれるこーいうところが茜なんですよそれで」
なんか長くなりそうだったので、天野はちょっと席を外し、COBRAさんの様子を見に行った。しかしお構いなしに彼は話している。
「一見きつくて冷たいけど一緒にいてじっくり見てると要所要所から素直な所が顔を覗かせる! ああっ やっぱり茜が一番にょ! あかねーあかねー♪」
「へえ、そうなんですか」
「うわっ ひよの!? なんでいきなり、こんなところに!?」
「いま熱っぽく語っていた里村さんの話は、本心みたいですね」
「いや、これは」
「そうそう、このことは言い忘れてましたが」
「ひ、ひよの、そのツルハシはまさか・・・」
「浮気者の断末魔の悲鳴を聴くことが私の健康法なんです」
その朝、静岡市の某マンション駐車場で、ちいさな悲鳴が上がった。
東京出発の号砲は、こうして放たれた。
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今日の参考資料
ツルハシ
2002.08.15 thu(2-1)「ヨコハマ旅行記・第二話 KAZZさんの相方さん」
ヨコハマ。
それは「ヨコハマ買い出し紀行」のファンにとっての聖地である。
この場合の「ヨコハマ」とは神奈川県横浜市を指すものではなく、地図上では横須賀市、三浦市とされている「ヨコハマ買い出し紀行」ゆかりの地全般を意味するようだ。
そのヨコハマに入って最初に寄ったのが「おじさんのスタンド」である。
いつ見ても商売っ気のないシンプルなスタンドだが、逆にそれがいかにもヨコハマらしい。
しかし、残念ながらここは、今年いっぱいで閉めてしまうという話だ。子海石先生の診療所(のモデルの家)も取り壊されてしまったし、カフェアルファも二階建てになっている。作品世界と現実が遊離していくようで、ちょっと悲しかった。
マンデリンさんが文月さんを駅まで迎えに行く一方で、我々はここでKAZZさん(かずの「へろへろ(猫)日記」)と合流した。今回、KAZZさんは恋人(注:生きてる三次元の女性)同伴である。
とりあえず彼が「相方(あいかた)」と呼ぶので、ここでもそう書こう。
彼女は、寝言日記も寄道余所見も、読んできてくれたようで、ちゃんと話も通じた。
「はじめまして、天野です」
「はい」
「はじめまして、COBRAです」
「はい」
「はじめまして、タカヒロ・Iです」
「・・・・ああ」
「・・・・」
「・・・はい」
「あの、今の間は?」
その後、文月さん(うたかたの譚詩曲)合流の上でカフェアルファ近くの三浦海岸、俗に「西の岬」とよばれる聖地中の聖地へ車を向ける。
高台を走るとき、建物が切れて海が見えると、やはりそれだけでウキウキした。タカヒロ・Iさんは、聖地巡礼も初めてなので、興奮もひとしおであろう。
天野も助手席から、みなれない眩しい海面と、空を見上げた。
海の上にある空は、山の上にある空とは違って見える。
青黒いほどの夏の空が、水平に切り取られた視界の上半分を圧倒していた。
「夏休みの青」だった。
海に近い農道には、すでにHAYさんが到着していた。車をならべてから、みんなで海へ行く。
背の高い草をかきわけて進むと、とつぜん目の前にすごく綺麗な海が広がっていた。
たまらず、天野が短パンに着替えてジャブジャブと分け入る。
海パンではないので泳げないが、海に脚を浸しているだけで、充分に楽しい。
ちょっと海水をすくってみる。やはりしょっぱい。この「海らしさ」がよかった。
ふとみると、文月さんが海を臨んで歌を歌い、タカヒロ・Iさん、マンデリンさん、HAY!さんは、他のロケーションを見に行き、COBRAさんは海に向かって変身ポーズを決めるなど、思い思いに「海辺らしい」ことをしていた。すばらしい。
しかし、一部だけ、仕事をしていない所がある。
KAZZさんと相方さんだ。
KAZZさんは、相方の日焼けを気づかってか、陽の表に立って、彼女を自分の陰にいれるようにして浜辺を歩いている。仲睦まじいが、我々が「海辺の生き物」に求めているのはそんなことではない。
「KAZZさん、KAZZさん」
「はい」
「いかんなあ」
「え?」
「キミタチは、なんで追いかけっこをしないのかね」
「いや、あの」
「夏の海と言ったらアレにきまっとるじゃろう・・・。 オーイまてよー!」
「つかまえてごらんなさいウフフ」とつぜん奇声を発した天野に、すかさず文月さんが合いの手を入れる。
「あははは」
「うふふふ」
「青いコバルトブルーの水平線が見える思ひ出の渚で愛しいあの人とポセイドン鍋をつつくのが二人の小さな夢だった」
COBRAさんと三人がかりで遠回しに要求してみるが、KAZZさんと相方さんは、実に味のある表情で困惑しているだけだった。
ひとしきり海で遊んだあと、海を見下ろす草の茂った岩壁へ移動する。
眼下に湾を一望する絶景だった。
海を越えてきた大きな風が、ものすごい圧力で「岩壁の上に生えている出っ張り」である我々を薙ぎ倒そうとする。
山やビルに遮られ、あるいは削られて隙間を吹く細い風ではなく、霞んで見えないくらいの遠くから押し寄せてくる巨大な空気のカタマリ。その手の平に感触が残るほどの風を、全身に受けるのが心地よい。
文月さんが風を利用して「真琴ごっこ」をしているのを笑いながら、ふと見ると、広い浜に波が押し寄せているのが見えた。
ゴオ・・・とよせてくる強大な風圧が、海水をこそぎあげて、押しのけているのが分かる。
風の「かたち」を、この岩壁から見ることが出来た。
見ることができる風、そして触れる風が吹く。海って素敵だ。
海岸を離れて車にもどると、同じ風がすごい砂ぼこりになって吹きつけていた。
周囲に河川がなく、最近の晴天つづきで土地が乾いているためだ。この日は予定通りこの場所で泊まることになったが、顔を洗う場所もなく、日が高くなれば熱射をさける日陰もなく、地面は砂の積もったコンクリートなので、この辺で宿泊する際にはペットボトルなどで顔や手を拭く生活水と、パラソルやテントなどの日射遮蔽物、そしてレジャーシートか組立椅子など敷物(しきもの)の用意をお薦めする。
風のおかげで暑くはないが、直射日光下なので、肌はジリジリと焼けていく。文月さんのコミケ焼けを除くと、みんな腕や鼻を赤くしていた。
KAZZさんの相方さんも、それを嫌ってか車の中に避難したままである。女性には辛い環境かもしれない。
陽も傾いてきた夕刻、ようやくmasterpieceさん(ちょろぼヨコハマ)が合流してきた。
彼は「この夏はAIRをやろうかと思う」と、どこか(掲示板かな?)で言っている。我々は勢い込んで訊いてみた。
「masterpieceさん、AIRやった? どうだった?」
「うん、途中まで」
「ど、どのへん!?」
「えーと「ラーメンセット!」のあたりかな」
「オープニングの前じゃねえか!」
「はじまってもいねえ」
「昨日、8/14だったのに〜。(AIRやった人には大切な日)」
はるばるヨコハマまで駆けつけたのに、ため息で迎えられたmasterpieceさんが「そんなこと言われたって・・・」という顔で困っていた。
落胆するAIR通過者は、それでも色々とマニアックな話題で盛り上がっている。
「ところで『種ガン』って、どうなのかなー」
「たねがん? ああ、ガンダムSEEDか」
「はじまる前から無かったことにされそうな予感がするな。個人的には」
「そういやアフタヌーンの『茄子』が最終回だって」
「なに!? おれアフタヌーンで一番好きなマンガだったのに!」
「『ヨコハマ買い出し紀行』はどうしたオイ」
「ああ、おれはこれから何を楽しみに生きていけばいいんだ・・・。くそ、『るくるく』だけは終わってくれるなよ」
「『茄子』の代わりが『るくるく』なのか」
ふと振り返ると、相方さんが車中でぐったりしてるのに気がついた。たしかに、車窓の外は直射日光と、アレな話題である。女性には辛い環境かも知れない。
相方さんは、日記の読者さんでもあり「天野さんに会ってみたい」といってくれた人である。光栄な話だ。
せっかくなので、私も車に乗り込んでみる。
横に座るのも何だったので、後ろの座席だったが、彼女は喜んでいろんな話を持ちかけてくれた。
普通の人かと思ったら、意外に少女マンガやライトノベル(コバルト・ホワイトハート)系に詳しく、「花とゆめ」誌の最近のレベルダウンを嘆いていたので驚く。
む、こいつ意外にできるな。
脳味噌を書店モードに変形し、本の話へ持ちこむことにする。
天野が書店員(いまはパートだけど)だったことが幸いして、十二国記や白泉社系漫画家のことなどで、本好きな相方さんとは、けっこう話が盛り上がった。
もちろん、書店員と言っても、全ての本の内容を知っているわけではないので、双方が本好きと言っても、完全な相互理解は望むべくもない。でも、知らない本の話があったら聞けばいいのだ。そして、相方さんは、説明が上手かった。
好きな本の話や感想を聞きながら人間性を掴むというのは、アルバイト採用面接のときによくやったことだ。こんな人なら岐阜の大垣店で採用してもイイかな、とちょっと思ったが、どうやっても交通費が出ないので無理だと思い直す。(採用決定権もないし)
それにしても、KAZZさんから最初に彼女の存在を訊いたときは
「畜生てめえ、よくもオレの愛するKAZZさんを横取りしやがったな!?」
とハンカチを噛みしめて思ったものだったが、いい人なので、まあ許そう。
まったりと本以外のこともいろいろ話すうちに、KAZZさんたちの帰る時間になった。
「じゃあ、またね」
「はい、また」
とドアを出る。
とたんに
「タカヒロ・Iさん、こう車に「KEY」なんておとなしいステッカー貼るんじゃなくて、ボンネット全面に茜の絵を描こうエアブラシで!」
「もしくは、ひよのの絵を!」
「あんまり派手に車を飾るのは嫌なんです! 勘弁してください!」
「何を言ってる! きみの二人に対するドス黒い愛はどこへ行ったんだ!」
そとは話題の水圧が違った。
というか、みんなタカヒロ・Iさんの車で遊んでいた。
「じゃあ、こういうのを付けよう」
「ちょ、ちょっとまってください」
「追突了承」
「絶対に嫌ですってば」
「じゃあ、ちょっと前に手に入れて大喜びしていた
「水着ひよの」のポストカードを、こう・・・」
「これはダメ! 日に焼けたら大変だし、ぼくの宝物なんです!」
タカヒロ・Iさんは、日光から守るようにポスカを慌ててかき抱いた。
「ああっ それにしても水着のひよのカワイイなあ! ひよひよ最高! ぼくにはひよのしかいないヨ!」
「・・・・」
「うわっ 茜!?」
「そうだったんですね」
「いいいいいつからそこに!?」
「・・・・あなたに弁護士を呼ぶ権利はありません。あなたには黙秘権もありません。基本的に全ての発言は不利な証拠として用いられる可能性が・・・」
とつぜん、淡々と、救いのないアレンジを噛ましたミランダ警告(俗に言う逆ミランダ)を茜が述べあげる。
「ちょっと、まって! 茜、そんな重そうなツルハシで一体なにをす」
KAZZさんが、相方さんとともに、帰途に就く。
名残を惜しむように走っていく新車のフォレスターを、我々は手をふって見送った。
タカヒロ・Iさんの、風にゆらゆらと揺れる血まみれの手も、別れを告げているように見えた。
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今日の背中
海に何かを誓うCOBRAさん
2002.08.15 thu(2-2)「ヨコハマ旅行記・第三話 ダメファイル交換会」
今回の聖地巡礼の目的は、初巡礼だというタカヒロ・IさんやCOBRAさんに、ヨコハマ的名所を見ていただくという要件の他には、前回の水谷邸オフでも話題になっていた「ダメファイル交換会」がある。
ネットなどで見つけてきた変なフラッシュや、ここには書けないヤバげなファイルを、ハードディスク一杯に交換しあう祭りであり、中には、そのために三浦半島まで来た、とゆー猛者もいるほどだ。
夕方、とりあえず腹が減ったので、去年も世話になった「すかいらーく」へ押し掛ける。
参考までに、この時点で参加者は、マンデリンさん・文月さん・masterpieceさん・HAYさん・天野・COBRAさん・タカヒロ・Iさん(以上席順)の7人だ。
「あー、なんとか『ダメファイル交換会』やりたいな」
「ここで、ですか」
「机の上に、ズラーッとこうノートパソコンを並べて、黙々とチャットで会話しながらな」
「生ボイス禁止で」
「 (w (かっこわら)って書いてる人がホントに笑っているかどうか検証するいい機会だ」
「ウエイトレスのお姉さんが料理持ってきても置けなくて困っているのを見て楽しもうウヒヒ」
「趣旨ちがう」
「いや、でも近くに電源がないぞ」
「窓際の席に移動して、窓から延長コードを出し、車のインバーターでとるか?」
「ここに二股タップがあります。これをコンビニ看板のコンセントに仕掛けて電源を分配、そこからひっぱった延長コードで炊飯機をつ」
「やめとけ」
やむを得ず、おとなしく飯を喰う。
ダメファイル交換会はともかく、たとえばこの席で、アニメKanonのDVDの上映会とかはじめないのは、人間としての最後の理性だと思った。かなり危なかったが。
masterpieceさんと文月さんは、じつはここで初対面だった。
ともにKanonの「あるシナリオ」で感動した口だが、そのシナリオをなんと呼称するかで宗教戦争が起きる可能性があるため、両者とも慎重にその話題を避けている。大人だ。
二人は、ともにコンピュータ関係の仕事経験が豊富なので、サポートセンターの話や、最近思案しているHTMLの話で盛り上がっていた。
HAYさんとも面白い話ができたが、これは毎度のことで
「これ、ちょっとオフレコにしておいて欲しいんですけど」
と釘を刺してくる。彼の話は、いつもストレートには書けない話ばかりだし、けっこうシャレにならないネタもある。面白いが「はやく忘れておかないと色々まずそう」なので困るのだ。
あとは、とりとめもない話ばかりが続く。
箸とスプーンが左右で同時に使える、とマンデリンさんが伊賀のカバ丸みたいな自慢話をしているその横で、文月さんが呟いた。
「ぼく一瞬、右と左がわからなくなるときがあるんですよ。ちょっと考えて、ああこっちが右って意識するんですけど」
「虚をつかれると、そういうときありますよね」
「えーと、お箸を持つ方が右です」
「お日様が昇る方が右です」
「バッドエンドにならない方が右です」
「・・・・」
「・・・・」
「あ、あの、いえ、これは『ONE』の茜シナリオでですね、12月10日に左右どっちの道かを選ぶ選択肢があって、そこで左を選ぶとバッドエンドとゆー、あの、すみません」
すかいらーくで数時間ねばった後、風呂に行こうかという話もあったが、けっきょく時間の都合などで断念し、集合地点である西の岬に戻った。masterpieceさんは、日帰りのためここで別れることになる。
途中で、仕事を終えて急行してくれたえるらさん(星層圏)と待ち合わせた。水谷邸オフ会のときからバイクの操縦技術の向上に明け暮れており、その日も発見されたときには、三崎口駅の駐車場で、タクシーの間を縫うようにして8の字走行の練習をしていたという。
そこへいきなり突っ込んでいく濃紺のBMW。
二言三言話して走り出すBMW。それを追うバイク。
こうしてえるらさんは合流したのだが、この情景が、普通の人にはどう見えたか心配だ。
一年ぶりに見上げるヨコハマの夜空は、例によって視界を圧倒する星の海である。
間違いなく減退した今の視力でも、天の川が視認できた。
そこに腰掛ける特徴的なカシオペヤ姫の姿。そして銀河中心・北極星。
目を凝らしていると、ペルセウス座流星群の残滓が、ときおり、空をちいさく切っていた。
思い思いに星を見上げる。
私と文月さんは、コンクリートや砂ぼこりを嫌って、草のあるところへ移動した。
「天野さん」
「はい」
「こう、夜空を見上げていると、『聖闘士星矢』のエンディングが頭に流れてきませんか」
きらめくーせいざが〜オマエをよんーでるゥー、と歌い出す文月さん。わたしはヤマトを思い出していた。無限に広がる大宇宙(広川太一郎)である。もしくはウルトラマンの怪獣墓場だ。
青銅聖闘士よりもさらに辛い修行と訓練を乗り越えて、やっと手に入れたのが蝿(はえ)座のクロスだった白銀聖闘士のディオには同情を禁じ得ないという話でもりあがる。彼の聖衣は、しかも御丁寧に完璧な蝿の形をしているのだ。蝿座は正確には銀蝿座っていうんですよ。へえー。とか話しつつ、ずっと星を見ていた。
前日ほとんど徹夜していたCOBRAさんと、運転疲れでダウンしたタカヒロ・Iさんは、すでに車中でお星様になっている。
しばらくして戻ってみると、なぜか車の横側がぼんやりと明るかった。何かしらと思って覗き込むと、そこには自然ゆたかな三浦半島の景観に対して、なんつーかものすげえ違和感のある完璧なスター型のLANが構築されていた。
今回の旅行の最優先事項は、先述したが、じつはダメファイル交換会を催すことである。
したがって、たとえ砂塵の渦巻く屋外であっても、潮まじりの海風が上がってこようとも、なんぼモバイルとは言え、およそこれほど不向きな環境はあるまいと思えようとも、とにかく意地でもダメファイル交換会は実行される。その趣旨はわかるが、それ以前に天野はちょっとみなさんの実行力に感動していた。
堅牢さが売りのBMWのバッテリーからインバーターで電源を確保。それを接地極付の6点テーブルタップで分配。各種アダプターから起動されたそれぞれのノートパソコンを、色とりどりのLANケーブルが、スイッチングハブにつなぐ。コンクリート打ちっ放しの地面に敷物をして、四台のノートパソコンと各種周辺機器によるネットワークがここに構築された。とどめとばかりに、マンデリンさんが80ギガの外付けハードディスクを箱から出す。
銀河系の端まで見える、うつくしい星空の下で。
誇張なしで地平線が見えるほどの、広大なスイカ畑のド真ん中で。
5人の男がノートパソコンに向かって背中をまるめていた。
パッと見、なにか足の着かない方法でどこかにクラッキングを試みている(しかも失敗しそうな)悪人風にも見えたが、むしろここまで突き抜けると、やってる方は、逆に「異常だ」とか感じなくなるから不思議だ。
実際、この状況の異常性を指摘する者はいなかった。
最初に目撃したときこそ違和感があったが、まぜてもらうと、これがもうなんか楽しいのだ。
布団の中に懐中電灯を持ち込んで、夜更かししながらSF小説を読んでるような、子供じみた高揚感である。
何もこんな所で今そんなことしなくても、とは誰も考えていない。目が悪くなるなんていうことは百も承知だ。でもお構いなしに楽しいのは、一種の酩酊かもしれなかった。
文月さんでさえ、
「バッテリーが危ないかもしれないですね」
という意見に
「しかし、たぶん世界でも五指に入るくらい間違ったバッテリーの使い方をしてるな」
という微妙にズレたツッコミしかできていない。
ネイチャーでサイバーな夜は更けていく。
水谷邸のときは悔しい思いをしたが、今回参加できたので天野は嬉しい。ノートパソコンを買った甲斐があったというものである。
ぼんやりと光る液晶モニターの前で動くものは、昼間に比べれば緩くなった風にゆれる髪と、そのモニターの中で、ゆっくりと満ちていく、ものすごい転送量のプログレスバーだけだった。
何時かはもう憶えていないが、天野は途中でネットワークから離脱して就寝した。
草地に寝袋を持ち込んで、横になり、ふーっと息を吐く。
そのまま空を見上げた。
この辺は地平線がぐるりと見える平地である。山ばかりの岐阜県では、まず拝めない景色だ。
その何が素晴らしいかと言うと、寝返りをうって横を向いても、それでもほぼ正面に、草にかかる高さまで星が見えるのだ。背中にある地面の存在を忘れることができれば、宇宙に浮かんでいる錯覚を得られる。
とくに仰向けに寝ているときが絶景で、210度の視界を圧倒する満天の星が、まるで自分のもののように思えた。
よく目をこらしていると、たまに流星が見られるので、いつまで見ていても飽きない。
眠ろうと思って横になったのだが、目を閉じるのが惜しいほど、その星空は美しかった。
草の枕に、星の屋根。
朝になるまで虫も出ず、野宿という厳しい環境でありながら、いい気分で眠ることが出来た。
下手するとテラ単位ちかいファイルが右往左往した夜があける。
翌朝、最後まで頑張っていたため死んだように眠っているマンデリンさんを申し訳なく思いつつ起こし、マグロステーキ弁当を買って、小網代の入江に行く。このあたりはマグロ料理の店をよく見かける。さすが海の街だ。
今年もマッキ橋を通り、小網代の入江に到着する。
クーラーボックスにあるノートを読み、日陰で弁当を食べてまったりと過ごした。
水面でライズしている魚がいた。勢いをつけて何度も連続ジャンプしている水跳ねが、一瞬、ミサゴの足跡に見える。
「こんなオッサンじゃ、もうミサゴの姿は見えないか」
と、自嘲気味に笑う。ふと見ると、何人かが同じような表情をしていた。
ジリジリと気温が上がっていく。昼を越えたので、そろそろ帰ろうかという話になった。
一度、入江を振り返る。
とりあえず、今年は牡蠣(カキ)を助けてみた。
(去年は恩返し目当てでクラゲ(マリアルイゼと命名)を救助 → 詳細)
岸に打ち上げられていた牡蠣を、性別が分からないのでブリジットと名付け、海に帰した。恩返しに来るだろうか。
帰る前に、もういちど、水際に立つ。
去年とは時期が違ったのか、去年よりも暑すぎるからか、海にクラゲは全くいなかった。
「マリアルイーゼー!」
ここに着いて以来、何度も呼んでみるが、やはり出てこない。
「天野さん、ひょっとして期待してたんですか」
「ここにクラゲはいないよ、あきらめよう」
「・・・いや、私に恩返しがしたくて、岐阜県まで泳いでいったのかもしれん」
「でもそれだと、長良川の河口堰で止められてるだろうな」
「うう、可哀想に。マリアルイゼ・・・」
天野の純真な涙が海に落ちる。
ややあって、海面が大きく沸き立った。
「うお!?」
派手な水音とともに、水上にひとりの女性の姿があらわれた。
「あなたが落としたキャラクターグッズは、この「結崎ひよのポストカード」ですか? それとも「里村茜オンリー同人誌『はぐれそうな天使』」ですか?」
タカヒロ・Iさんに語りかける入江に現れた女神は、里村茜の顔をしていた。
ごくっと唾を飲み込むタカヒロ・Iさん。彼の頭は、その瞬間にフル回転していた。セオリー通りなら、ここは「いえ、私が落としたのは『シエル先輩萌え萌えバスタオル』です」と正直に答えて三点ともゲットするところだが、さすがに彼も学習したらしい。
誠実さを絵に描いたような表情で、彼はうやうやしく宣言した。
「はい、茜の同人誌です」
その答えを聞いて、女神が微笑む。
「そうなんですね」
「はい」
胸に手など当て、膝を折って傅(かしづ)くタカヒロ・Iさん。面(おもて)を上げて、女神と視線を絡ませる。
が、突如として女神が顔に貼り付けたラバーをむしり取ると、その下からは結崎ひよのの素顔が現れた。
「ぶはっ ひよの!?」
「あなたが許しを請う時間を三秒だけゆるします123残念ですがあなたとあなたのたましいが」
「うわ短かっ! ていうかこれは誤」
解と続く言葉は、鼻先に突きつけられた銃口に摘み取られた。
「えーと、じゃあ、天野はそろそろ、別の用事があるので」
別の用事がある天野が、電車の駅へ向かう。
天野がマッキ橋にさしかかたころ、長いような短いような沈黙の後で、入江の方から小さな銃声が聞こえた。
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今日の青空
小網代の入江
2002.08.16 fri「ヨコハマ旅行記・第四話 ミスター・サンフェイス」
天野はいま、マンデリンさんたちと別れ、京急久里浜線(ほか数線乗り換え)で、南橋本へと向かっていた。
この日に、会う約束をしていたのは、サンフェイスさん("Sunface")である。
最近、これほどの決意をもって、人との会見に臨んだことがあっただろうか。電車のなかで、そんなことを感じていた。
「サンフェイスさん」という人物と、ネット上で最初に接触したのは「E.G.コンバットのカデナ萌え」の話だったと思う。これはひとつのきっかけであり、実際に太い繋がりを持ったのは、氏のキャラクターへの愛情を綴った文章、いわゆる「萌え」を中心とした日記テキストが、すばらしく秀逸だったことに感動し、愛読をはじめた頃からだった。
サンフェイスさんの日記を読みながら、私は「この人には『萌え』という気持ちを、わかりやすい形にできる希有な才能がある」と思った。
もっとも「わかりやすい」とは言っても、読み手の方が葉(リーフ)やら、鍵(KEY)のことを、あるていど理解し、愛してないと、もーどうにもならんとは思うが。
「真に絵が上手い人とはどんな人か」という問いに、私は「描き出そうと思う世界を、そのまま描ける人だ」と答えるようにしている。サンフェイスさんの文章を私が評価しているのは、自分の胸の奥にある気持ち、思慕の情であったり、寂寥感であったり、ちょっと尋常ではない尊敬すべき深度の萌えであったり、でも、一部の誰もが漠然と思い描いてはいた「萌えの世界」の情緒感を、やはり他者にわかりやすく、そのまま描き出せるという点である。特に「萌え」というのが、浅いレベルまでしか分からなかった自分には、彼の文章は憧れだった。
さらに。
サンフェイスさんの文章について、皮膚感覚的に、読んでいて感じることがある。
「ああ、この人はいいひとだな」ということだ。
文章を「触っている」と、私にはそう思えてくる。仕事のこと、悩んでいる姿など、内容は痛ましいことも多いが、触った感じが心地よいので、わたしは日参し、彼の文章を愛読していた。しかし「文章の皮膚感覚」というのは分かりにくい言葉かも知れない。行間から滲み出る人柄とでも言えるだろうか。
ともあれ、彼のテキストは、私にとって尊敬すべき文芸であり、同時に、心地よく楽しめる文章である。
その人物と、今日、ようやく会うことができる。それが、実に楽しみだった。
出発日以来、風呂に入っていなかった天野は、駅から歩き「湯の森」という大型銭湯に寄って、垢を落とした。
その後、台風の影響か、雷をともなって雨も降っていたのでタクシーを使い、所定のファミリーレストランへ向かう。
二人が会う約束の場所は、馬車道(相模原清新店)だ。先日「ウェイトレス制服最萌トーナメント」でも堂々の優勝を果たし、現状、天野が最も評価する飲食店グループである。
ドアをくぐり、単衣に袴の給仕さん(背が低くてかわいかった)に案内してもらって、先に到着していたサンフェイスさんとようやく会うことができた。とりあえずケーキセットを注文し、一息つく。
初対面である。
ともに緊張していて、おたがいに探るような時間もあったが、すぐに深い話に突入できたのは、それまでの幾通ものメールでやりとりしてきた関係があったからだろう。
しばらく話して、ふと記録を取っておこうかと思ったとき「日記用にメモを取る」という行為が、ひどく無駄で勿体ないような気がしてきた。
しかも、記録者としての客観的な視点が、なにより邪魔であり、いまこの機会に記録なんか取っている場合か、と激しく思った。
出しかけたメモを一度とじ、記録を考えないことにする。
したがってこれ以降は、天野の心情のみ描くという、ある意味、もっとも日記らしいスタイルかもしれない。だが、なんとも自意識過剰で、読むにはあまり愉快なものではないだろう。
サンフェイスさんには、最近、三枚の絵を贈った。
これは遠野美凪(AIRのヒロイン)という、サンフェイスさんがとくに愛しているキャラの絵だが「天野拓美が描いた絵」ではなく、絵のモチーフなどはサンフェイスさんの美凪への愛情を頼りに、いわば彼に依存する形で、絵として作り上げたものにすぎない。構図を考え、筆を動かして描いたのはまちがいなく私だが「絵を描くときには、自分のなかにあるキャラクター像を掘り下げて描く」という行程の核心を、他者に依存したのだ。いわば原作放棄にちかい。この時期、美凪絵以外にも数枚かいたが、どれも惰性で描いている感がつきまとっていた。
絵筆を置いて三ヶ月、私は自分の絵を再開するとき、おおきく迷っていることがあったのだ。
サンフェイスさんをはじめ、この絵を公開したときは、多くの人に評価された。
みんな絶賛してくれるし、自分でもいい絵を描いている気はする。でもわからないのだ。
なぜ、いまの私の絵が、そんなに評価されるのか。
画力自体は上がっていると思う。だが、画力において天野拓美よりもウマい絵描きはいくらでもいる。
それに画風も、ネット上のゲーム・アニメの世界では絶賛されている、ぷに萌え系のロリ絵が描けているわけでもない。
なぜ認められるのかわからん、と同時に、自分の評価点がどこにあるのか、いまひとつ不明瞭で自信がなかった。
「絵があったたかい」「個性的」「視点が独特」とは、メールなどでよく聞く感想である。
「絵があたたかい」というのは「愛情に満ちたあたたかい空気を描く」ということを絵への欲求にしているので、これは分かる。多少成功しているようだ。個性的、かどうかは総合的すぎるのでなんとも言えないが「視点が独特」というのは、ホントにいろんな人から言われる。
この、視点が独特というのは、サンフェイスさんも感じているところらしい。
すなわち「違う形で、そのキャラへの愛情を見せてくれる」ということ。
そして「深い心情を、一枚の絵に落とし込んだところに価値がある」
そう彼は天野の絵を評価してくれた。あるいはこれは、天野が勝手に見いだした自己分析だったかも知れない。
「たとえば母娘の絵など、天野さんが言うように、構図的には一般的にありふれた絵かもしれないです。でも「そのキャラ」で、その状況を見せてくれる絵というのがない。それを描いてくれることが、ありがたい。しかもその絵には、願いや、思いの強さ、実感が出ている。それだけでも、個性的で価値のある絵です」
サンフェイスさんは、そんな風に評価してくれる。
しかしこれは、天野にとっては過去の話だ。
かつてあった、描かずにはいられない切実さ。
仕事や事情があっても、それでも描きたいという衝動。
それを突破して生み出された絵。
この精神的質量の大きさが天野の絵の価値だと自覚していた。
しかも、それは単なる描画衝動ではなく、それなりに深い心情と、キャラへの愛に裏打ちされている。
想いが水圧をもっていた。
そして、母娘絵へ流れ込む心情の水流が、タッチになったのだと思う。
また、悲劇の中で描かれる関係を描くことで、そこに潜む愛情を表現したいと思ってきた。
悲しい物語を見ると感動して泣いてしまう。なら、人間は悲しいことが好きなのかと問うた人がいたが、人はけっして「悲しむ」ことが根本的に好きなわけではない。悲劇は、見ている者のこころを引き裂いてくれるが、その悲しみこそが、そこに潜んでいた愛を剥き出しにしてくれる。つまり「わかりやすいかたちの愛」として認識できるから悲劇を好むのだと思う。人は結局、「愛すること、愛されること」が好きなのだ。
だから私は(一見しあわせそうな人物の絵であっても)自分にとっては(それこそ)辛い絵を描くことで、その絵の中に愛の姿を確認していた。これが天野拓美の根本的な絵の原動力「絵を描く動機」である。
さらにその動機の中心を見れば、自分の体験を昇華するために、想いを放出してきたのが、私の絵だったのだと思う。
たとえば母と娘の愛情の世界。求めても得られなかった世界への渇望。それが、絵を描くことで、少しづつ整理され昇華されていったのだ。
こうして絵に託した想い、いわばこの「渇望」こそが「絵の芯」だった。
「渇望」を芯に、「愛を確認したい」という動機で、技術を尽くし「絵」を描いていたのだ。
だが、これがあるとき、スッキリしてしまった。飽きたわけでも、疲れたわけでもない。描くだけ描いた末に、極端な話、描かなくても良くなってしまったのだ。
他にやるべき事や事情もあり、いい機会だったのでいちど絵を辞め、夜想曲も閉じた。たが、事情が解決し、絵を再開しようとしたとき、今度は「絵を描く動機」や「絵の芯」を失っていることに気づいたのだ。あの灼け付くような渇望が、裡にはもう無かった。
それが現状の迷いである。
実際の所、理屈ではない。メモの端とかに何を描いていても、いつもの、疼痛のような動機の存在感がないのだ。
絵を描きたいような気持ちはある。
だが、なにを描く?
いや、何を描く必要がある?
そう迷っていた。
そんな状態でどんな絵を描いても、先のサンフェイスさんの評価に従うなら、切実に探した視点も、願いも、想いの強さも、実感もない絵に、筆を置く前より価値のない絵になってしまうのではないか。そんな不安があった。そんな絵しか描けなくなることが恐かった。
絵を描きたいという気持ちは残っているし、それでキャラクターの立ち絵とかはかける。
でも、母娘の絵すらも、惰性で描いてしまうのではないか。大切にしてきたテーマを、そんな風にあつかっていいのか。
そんなためらい。
サンフェイスさんに相談しようと決心したこのときまで、ずっと不明瞭だったこの迷いが、彼を目前にしたとき、にわかに鮮明になっていた。
いまの天野拓美は、痛みも無しに、母娘の絵を描いてもいいのだろうか。
簡単に書けば、こういう事なのだ。最近ずっとモヤモヤしていたのは。
そのまま訊くのは恐かったので、ちょっと方向を変えて、サンフェイスさんに訪ねる。
夜想曲を閉めたのは、自分の中にあった想いが昇華されてしまったからだった。
悶々と貯め込むよりはいいが、私は、自分の中にある想いを表現するほどに、それが昇華され消えていったのを感じた。
なら、表現することで、想いは消えてしまうのではないか。
それは、たとえば「萌え」も同じなのではないかと思う。
だから、サンフェイスさんや、他の何かに萌えている人も、自分の内面に滾(たぎ)る「萌え」を、ストレートに表現しつくしてしまうと「萌え」という想いが消えてしまうのではないか。多くの人が「○○ちゃん、萌え〜」とか言いつつも、そのうち新しいゲームのキャラに鞍替えしてしまうように、誰か(あるいは何か)に対する萌えも消えてしまうのではないか。
そして、サンフェイスさんが「美凪萌え!」と叫ぶたびごとに、その萌えが消えていってしまうのではないか。
心から美凪を愛しているサンフェイスさんにとって、それは、とても恐ろしいことなのではないか。
そう訊いてみた。
いま思うと、恐ろしい質問をしたものである。
答えが返ってくるのに、どれくらいの時間があったかわからない。
それはたぶん、打って返すような即返だったと思う。だが、私には長い時間に感じたと記憶している。
彼は言った。
「萌は叫ぶことで昇華されます。けど、それは消えるのではなく、自分のものになっていくのだと思います」
不意に頭が真っ白になり、次いで胸があたたかくなったように感じた。
正直、おどろいていた。でも同時にすとんと納得できるのが自分でも可笑しかった。
答えを聞いた後では、それはまるで当然のことのように思えるし、この解を得ていた人も大勢いるだろう。
でも私はこの答えに、正解を得た満足感、澱(よど)みが流れ出る爽快感を覚えていた。
たいていの「軽い萌え」は、飽きるか疲れるかして、消えていく。
あるいは、自分の中でたぎる萌えを放出放熱することで、たしかに消えていく。
整理される分、表現者ほど、萌え尽きるのが早いのかもしれない。
「でも、『真の萌え』は、飽きも疲れもしないものです」
真剣な「萌え」は、消えることなく、やがて、自分の内部を構成する要素として取り込まれていくからだ。
「萌え」という言葉で表現されていたが、それは「何かに対する想い」である。
だから天野の心情世界も、絵として昇華されて消えたわけではなく、自分のものになっていったのだ。
消えたと思っていたが、それはたしかに自分の中にある。それまで痛みを伴って存在していた「絵の芯」や「絵を描く動機」が、自己の内面に吸収され、一体不可分になっていたため気がつかなかったのだ。
いわれて初めて気がついた。自分の中に、自然体で存在している深い世界に。
そこだけ見失っていただけのような解が、コトリとちいさな音を立ててはまり込む感触。
それが馴染んでくるまでに、ちょっと時間がかかった。
あらためて、サンフェイスさんに言われた。
「多くの絵描きの中で、はっきりと分かる天野さんの絵は、自分の心情のすべてを投じているからだと思いますし」
「萌え絵とかエロ絵を恥ずかしく思うとか憧れるとかはともかく、安易に自分を許さないことが大切だとおもいます。天野さんは」
コンプレックスや迷いがあっても、安易な方向や、媚びた絵をかくことはない、という事だろう。
大丈夫。いまはもうスッキリしている。
いちどバラして再構築した「絵描きとしての天野拓美」には、何かが欠けていた。それを今日、この馬車道で、彼が指し示してくれたのだと思う。もしいま愛に満ちた絵が描けているのだとしたら、それは間違いなく、彼の言っていることが正しいと言うことであろう。
そして、それは、もう確かめるまでもないことだった。
ありがとう、ミスター・サンフェイス。
あなたの答えは、私が欲していた最後のピースだったのかも知れない。
満足したら腹が減ったのでパスタを注文し、夕食とする。
ヨコハマ買い出し紀行のことや、AIRのこと、私は参加しなかったが、サンフェイスさんや文月さん、後述の入江さんらが携わった「萌え文集」のこと、そして未来のことなど、とめどもなく話した。彼は私の一方的な話を、うんうんと聞いてくれた。本人は自分の容姿を「ヘルシングのアンデルセン神父」と、無茶苦茶オソロシいキャラに例えるが、その実は仏さまのような人だ。
いろいろ話していて、もうひとつ総合的に感じたのは、このひとは、おそろしく真面目な人だということ。
規則や世間体に対しての生真面目さではない。
大切なもの、愛しているものに対して真面目なのだ。
社会的にどんな立派な業績を残している人物であろうと、この一点がなければ私は評価しない。わたしはこういう人を尊敬しているし、愛している。
この点、ネットでも同じような印象があったが、実物も素敵な人だと思った。
テキストでは、流れるような文章を紡いでいるが、話してみると、本人はあまり饒舌な方ではない。じっくりと時間をかけて、あるいは苦しみながら文章を刻む人なのだろう。
実は、本人に会うまでは、私は彼のことを、なぜか「気むずかしい人だろうな」と思っていた。
そう思っていたのは、彼の文章が、叙情的で真摯な心情を丁寧に紡いでいたからだろう。その真面目さが気むずかしい人と誤解して見えたのだと思う。
それにしても、サンフェイスさんと、一対一で会えてよかった。
互いの注文した皿が美味そうだったので、ちょっとづつおかずを交換したりしながら、じんわりとそう思う。
サンフェイスさんには、みなが会いたがっていた。それを振り切って一人で来たことに罪悪感がないでもない。
でもこれは天野拓美に必要な出会いだった。私はやはり、自分の迷いを他人にぶちまけることで整理する変な癖があるようだ。甘えなのだとおもうが、やはりサンフェイスさん、あなたに話せてよかった。こんな整理される日になるとは思ってもみなかったが、単独会見を強行したのは何かの運命だったかも知れない。
私には過ぎるほど充実した時間だったが、こちらが悩んでいたことを一方的にまくしたてた感もあり、申し訳なかった。
もっと話したいこと、聞きたいことはあった。でも、どうせどんなに時間があっても、この人と語り合うには、短すぎるのだろうと思う。
その短い時間を惜しむように話しをした。しかしそれでも、それぞれの都合の時間が迫ってくる。
そんな帰り際に、サンフェイスさんから、ちいさくて綺麗なカメラをいただいた。
彼のカメラ好きはサイトを見ているとよく分かる。
写真とは、自分のための記録ではない。それなら、記憶しているだけでも足りる。そんな風にサンフェイスさんは書いていた。
写真とは、この景色を分かち合いたいと思う愛する人のために、撮ってあげる記録なのだ。
いただいたカメラは、わたしもそういう風に使わせていただこうと思う。
天野が次の仕事への出発することへの、祝いの品として、ありがたくいただいた。
馬車道を出て、帰り道が分岐する駅まで、いっしょに帰る。
思い返せば、図解にこそ使ったが、メモ魔のわたしが、会話文すらろくに記録をとらなかった。どうもこの日記の中で、いまいちサンフェイスさんの言動が描けていないのが申し訳ない。ただ、そのかわりこの短い時間に、いくつもの充実した会話があった。
折りからの強風と雷鳴が、ホームに響いている。
吹き込む風と、ビルの壁に反射して見える雷光をみつめながら、サンフェイスさんが、丁寧な口調でこう言ってくれた。
「天野さん、ぼくはこれから、夏の嵐が来るたびに、今日のことを思い出すのだろうと思います」
日記を読む限り、この人は不器用な人なのだろうと思う。
器用であることよりも、繊細であることをその本質とする人物だ。
そんなひとが、私を大切に思ってくれ、心の中に招いてくれた。
私は、どこまでも友人に恵まれていると思う。この人の友であることが嬉しかった。
そして駅で別れるとき
「今日のことは、生涯わすれませんから」
こんなことを言ってくれる人と、別れるのが辛かった。私がサンフェイスさんに会えて嬉しかったくらい、この人も喜んでくれていたのだと安心した。
駅の改札で別れを惜しむ。でも、気持ちよく別れようと思う。そう思っているのが恥ずかしくて、照れながら手を振り、きびすを返して長い構内をしっかりと踏みしめて歩く。
そのとき、はじめて気がついた。
不思議と、駅を歩く人が、街を往く人が、みんなが知っている人のように見えるのだ。
そして、誰も彼もが、みんな美しく見えていた。
あらゆるものが、とても美しく輝いて見えていた。
「なんだ、これ・・・」
高揚感とともに呟きながら、彼によって、目を覆っていた最後の膜が取り払われたのが分かった。
絵を描こう、思うままに。
描きたいものも、描くべきものも、いまや自分の裡にあるのだ。
絵を描こう。
絵を描こう。
そうだ。もう、迷うことはない。
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今日の一枚
サンフェイスさんとつなげてくれた絵
2002.08.17 sat(2-1)「ヨコハマ旅行記・第五話 秋葉原ラジオ会館」
サンフェイスさんと会ってから、なぜか何を見てもニコニコ笑ってしまう。
その度合いは、すでに人に面と向かって指摘されるくらいだった。
ただ、秋葉原の街でニコニコしているのは、単なるお上りさんにみえるだろうから、それでもまあ善しとする。
サンフェイスさんと別れた後、文月さんの部屋で一泊し、翌昼に秋葉原へ行った。
小網代で別れて、ヨコハマ名所巡りをしていたマンデリンさん、COBRAさん、タカヒロ・Iさんとも、ここで合流することができ、かき氷屋台の横で戦果を報告しあう。
よく見ると、三人の鞄は、パンパンに膨らんでいた。
すでに朝から秋葉原を巡航し「とらのあな」と「あきばおー」を回った結果らしい。後から聞いた話だが、マンデリンさんもかなりの額をこの街に落とし、COBRAさんは6ケタ男になったという話だ。タカヒロ・Iさんに至っては、「茜グッズ」か「ひよのグッズ」かわからないが、いろいろゲットできたらしく、ツルハシによる貫通槍創で7〜8回は死んでいそうな感じに見えた。
「あー・・・」
何か突っ込もうかと思ったが、ザナさんほどでないにしても、相当な数の「ダメ妖精」が彼らの頭を撫でくり回しているのが、まごうかたなく目前に見えた。
撫でられている方は、指摘するのが申し訳ないほど幸せそうな顔で和(なご)んでいる。
「ダメ状態のオタクには、何を言っても無駄」
という格言を、なんとなく思い出し、同時に「お金をかけてこそ愛!」とゆーアニメイトのアオリ文句も思い出した。まあ、この街では、何も言うまい。
今日のオフ会は、文月さん経由で、天野が最近したしくなった「萌え文集」のスタッフと会える事になっている。そのひとりが昨日のサンフェイスさんであり、今日あえるのが楽しみなのが「入江さん」(Non Maskable Interrupt)だ。
こちらの都合で時間をズラしてしまったが、ややあって入江さんが合流する。立ち話も何なので、電気街からやや離れたジョナサン(ファミレス)に向かった。
文月さんが「天野美汐さん(Kanon)」を愛する人であり、サンフェイスさんが「遠野美凪(AIR)」を愛する人であるように、入江さんは「倉田佐祐理さん(Kanon)」を愛する人である。
とうぜん、空席待ちのリストにも「倉田」と書き、その名前で入店する。
「倉田さま、どうぞー」
「天野さん、なにをニヤニヤしてるんですか」
「いや、佐祐理さんに食事に誘われてるみたいで、なんか嬉しい」
注文をしてから、相互に自己紹介をする。
なにせ、天野→文月→入江さんという経路で来ていただいたので、入江さんと他の三人は、オンライン上での面識もないのだ。それぞれのキャラ属性など交えながら、自己紹介は進んだ。
「なるほどなるほど」入江さんが自身の日記に書くためにメモをとっている。
「ええと、ここにいないのですが、ザナさん(知らない人は、ここと、ここと、ここと、ここを読もう)という強烈な人もいまして」
「あ、知ってます」
「おお」
「ザナさんも有名になったものだ」
「さすが妖精王」「西日本の人間兵器」
「あのサンフェイスさんをして『真の漢だ』と言わしめた人物だそうで」
「あー、なんかまだ現役なのに伝説だけが一人歩きしてるような」
「そういえば、寝言日記はほとんど読んだことないけど、ザナさんの記事だけは読んで知ってるって人がいたぞ。なんでだ?」
「他にもまあ、いろいろ濃ゆい人はいるんですが」
「そうそう、HAYさんは、もう帰ったの?」
「そう。昨日えるらさんとも別れました」
「HAYさんは「デ・ジ・キャラット」の「うさだ」が好きなんですが、その一方で「すもも」や「シュガー」も好きなんですよ。最近はそっちの方に傾いてるし」
「ちいさい手のりサイズのキャラが好きなんだろうな。ちいさきものを愛でる日本人の心だ」
「ちょっとメルヘンな感じの萌えを好む、と」
「ハンドメイドメイは?」
「あれはそうでもないらしい」
「頭身の低いキャラが好きなのかな。じゃあ、なんでデジキャラットの「ぷちこ」は反応しないんだ?」
「たぶん、ぷちこじゃもう大きすぎるんだろう」
「・・・・」
「いまそこだけ聞くと、なんかすげー言葉だ」
「ぷちこじゃ大きすぎる」
「どういうストライクゾーンだ」
「きっと「たると」でもでかすぎるんだ」
「いや、誤解だって」
「ぷちこじゃ大きすぎる、と」
「入江さん、そこだけメモしないで」
本人はいたって真面目な会社員で、いろんな話をしてくれる静かな人なのだが、なぜこうもHAYさんの話や彼に関する話題はテキストにし辛いのだろう。
後述するが、タカヒロ・Iさん「で」遊んだり、とりあえず入江さんにザナさんの日記記事を読んでもらったりして、ジョナサンで時間が流れる。
と、出し抜けに入江さんが「天野さん、画集つくりましょう!」と持ちかけてきた。
「いや、私の絵は、あの640×480くらいでそのままモニター上で描いてますから、拡大印刷しても見栄えが悪いですよ」
「いや、大丈夫大丈夫」
「それに今でさえ昔の絵は恥ずかしくて見られないのに、そんな絵を画集にまでして出したくないです」
「いや、大丈夫大丈夫」
「天野さん、ちゃんと断っておかないと、この人たち(萌え文集スタッフさん)勝手に作りますよ」
「あの、断ってるつもりなんですけど、それにお金もないし」
「大丈夫大丈夫、お金はサンフェイスさんが出してくれる」
そのときの入江さんの目は、たしかにこんな感じだった。
ジョナサンでひとしきり笑ったあと、秋葉原のラジオ会館というところへ行った。
ここは、あのshalさんが「まだ5回しか来てません」という場所で、有名なところでは「k-books」という同人誌などの新古本が販売されているテナントと、海洋堂やボークスなど、ガレージキットメーカーの老舗が入っているビルだ。
今回の天野の目的は、ガレージキットを見ることである。今日、秋葉原に来た理由はそもそもそこにあった。
「貸し出すたびにどこか欠けて帰ってくる」と嘆かれていた、2メートルほどある海洋堂のエヴァ初号機を皮切りに、ビル中の模型店と展示品を見ていく。せっかく同行してくれた入江さんと文月さんには申し訳ないが、思いっきり「その世界」に没入させてもらった。かつてホビージャパンやモデルグラフィックスなどの雑誌誌上でした見たことのなかったキットの完成品が、目の前にズラリと展示してあり、これを見て回るのは、やはり興奮するのだ。「立体的な感動」という言葉をよく使うが、フィギュアなど写真でみるのと、実物を見るのとではその情報量がまるで違う。文字通り次元が違うほどだ。私は絵描きの目しか持っていないが、それで見ると、あらゆる角度から見ても、けっして破綻しない「立体として完璧な構図」をもったフィギュアなど、まるで瞬間的に何千枚もの完成画を見せられているような感動があった。
店としては、やはりボークスがいちばん目を引いた。なかでも、ボーメ氏のフィギュアがやはりずば抜けて凄いデキだったと思う。ここでは、ちょうど、ドールの展示会もやっていて、薄荷さんが見たら大喜びしそうな世界が広がっていた。
入店が遅くなってしまったのと、団体だったからというのもあったが、個人で行けば一日だっていられそうなビルだと思う。模型、とりわけフィギュアが好きな人間には、酔ってしまいそうなほど美味しい環境だった。
しかし、今回はあまり買い物はしなかった。
「造る」というよりは鑑賞することに価値を見いだしているので「塗装済み完成品」でなければ、おいそれと買うことはできない。完成させるほどの技量もないし。その制約と予算のなかでは、そう食指の動くものは、残念ながらなかった。「おお! これすごい! ほしい!」と思っても、たいてい絶版品だったり、高価な上に製作も塗装も半端ではない技量が要求されるものばかりなのだ。
ま、いま欲しいのは、ホイホイさん(※)と名作劇場のガシャポンくらいだなー。
そう思って、店を出る。
※
マーズ製薬の害虫駆除ロボット。29800円。
「今年はあまり買い物をしませんでしたね」と、帰り際に文月さんが声をかけてくれる。去年の狂態をみていたので残念げだ。
「いや、買える範囲でピンとくるモノがなかったせいもあるけど、祖母の遺言がありまして」
「ほう?」
「買い物のコツなんですが、いま、買いたいと思っているものが、「単に欲しいもの」なのか「本当に必要なもの」なのかで判断せよとのことでしたから・・・」
「天野さん、みてみて東方不敗のフルアクションフィギュア」
「かっ」
「買うーっ 買う買う買う買うっ!」
「えっええ!?」
「これは必要なものだからっ!」
ボークスの廊下側の展示ケースに、ものすごくカッコイイフルアーマーガンダムと、むちゃくちゃステキな東方不敗先生のフィギュアがあったのに、いまさら気がついた。
ほとんどシューウインドウの中のトランペットを見つめるダウンタウンの黒人少年の熱心さで、あまのがガラスにむしゃぶりつく。
しばらく暴れたが、ともにC3限定(8/24・25のイベントでのみ販売)とのことで、目の前の宣伝用サンプルは購入できない旨を従業員にしつこく説明され、やむなく引き下がった。
結局、なにも買わないまま、意気消沈して、天野は他の面子と合流することとなる。
模型等に興味の無いメンバーは、もっぱら同人誌売場での収穫を確認しあっていた。
入江さんによると、1000円札などの紙幣、いわゆる「大蔵省印刷局が刷った紙切れ」というのはすなわち「同人誌引換券」なのだそうだが、そう考えるとかなり大変な出費がそこにあったであろうと思われるくらいには、みんな追加の鞄が一杯だった。
同人誌といえば、ヨコハマのすかいらーくや、先のジョナサンでも、いろいろあった。
マンデリンさんが持ってきた、Kanonのサブキャラ設定集(激レア)を食い入るように見つめる文月さんはこう言う。
「いいですか、天野さん。Kanon同人誌には2種類しかないんです。
一つは美汐さんがでてくる同人誌。
もう一つは美汐さんが出てこない同人誌。
これだけです。
そしてそのどちらに正義があるのかは、いうまでもないでしょう!!」
絶叫しながら、財布の中からすらりと出すのは、20センチはあろうかとゆー巨大な「天野美汐ラミカード」である。こんなものを財布に入れて持ち歩いているのかとビックリするくらいでかい。それを掲げる「正義の味方・文月さん」の誇らしげな表情が、彼の頭に群がるダメ妖精に隠れてよく見えなかった。
一方、タカヒロ・Iさんも、秋葉原などで最近いろいろ購入できたらしく、非常に幸せそうな表情をしている。先日も、公衆の面前で堂々と同人誌を広げながら、ニヤニヤと笑っていた。
「天野さん、この間、茜の同人誌買ったんですけどね・・・」
そこで、にへら、と笑う。
聞いて聞いて。
「これ全編、茜オンリーなんですよーもー最高ですーうひひ」
この話題になったときの彼の顔は、この旅行中、だらしなくゆるみっぱなしだった。
タカヒロ・Iさんと言えば思い出すのは抱き枕である。
「そういえばタカヒロ・Iさん、抱き枕はどうなったの?」
「いえ、実はここにですね、原画だけは持ち歩いているんですよ」
言うなり、かばんから抱き枕用の原画を縮小プリントアウトしたものを取りだす。
「おお、すごい」秋葉原歴のながい入江さんが、それを見て感心する。
タカヒロ・Iさんは、誉められてホクホクしているが、見慣れた我々は
「こいつ、とうとう、自慢するようになりやがったか」
「たしか、去年までは見せるのを嫌がってたぞ」
「恥じらいがなくなってきたな」
「まだ若いのに・・・」
と投げやりに突っ込むばかりである。
「で、これずいぶん前から話は聞いてるけど、まだ作ってないの?」
「実は、スパイラルに出会ってから製作がストップしてるんです・・・」
「あー」
「あーあー」
「そりゃいかんな、えー? おい」
彼の事情を日記等で知っている入江さんの目が、キラリと光った。
「タカヒロ・Iさん、実はこんな人がいるんですよ」
そういって入江さんが見せたある同人誌には、茜萌えのあまり、ホンモノの婚姻届に自分の名前と「里村茜」の名を連ね、「里村」姓の実印まで御丁寧に用意・捺印し、いつでも役所に出せる状態になっている公式書類の画像が掲載されていた。天野も、ここまでキャラに萌えた行動をする人間を見たことがないので、ビックリだ。
「おお、すげえ」感嘆の声があがる。
「タカヒロ・Iさん! 君がひよのに浮気している間に、こんなことに!」
「う、うう・・・」
「この人は、さらに、茜のくちぐせ『嫌です』からとった『iyadesu.org』というドメインまで所得してるんですよ」
「ぐぬぬ・・・。し、しかし、ひよのも手放せん!」
心から悔しそうな表情をしているタカヒロ・Iさんだが、それでも大して反省はしていないようだった。
いろいろあった一日が終わる。
k-booksの新書店の方に、帰り際、タカヒロ・Iさんが寄った。
よく見ると、エニックスのコミックフェアのために、もう持ってる「スパイラル」のコミックをもういちど買っている。しかも、単行本だけでなく、雑誌も買っていた。「持ってるガンガン今月号をさらに買う男」と誰彼と無く彼は呼ばれた。
この二点は、どうも「スパイラル」の結崎ひよのグッズのためらしい。
山と積まれたガンガン本誌から、ランダム封入されている雑誌綴じ込み付録の「ひよの」のカードだけをどうにか当てようと、彼はその場で超能力の開発に集中していた。
遠くで唸っている少年を、我々はただ見つめるだけである。
恐るべきコンセントレーションの結果、直感で選び取ったガンガンをレジに持っていくタカヒロ・Iさん。
そして彼は、喜び勇んで帰ってきた。
「やった! 『ひよののカード』あたりましたよ! うひゃひゃひゃ! あ、写真立てかわなきゃ! ひよののポストカードいれる奴! うひひ!」
「すげえ、ホントに当てやがったよ」「なんて奴だ」
「ちょっと待て、たしか君の机の上には、茜のカードが入ってる写真立てがあったろう」
「いや、ほら、やっぱり、机の右と左にひとつづつ置いて、両手に華ってかんじで、こう・・・?」
「おいおい、あれだけ茜萌えだったのに、最後はひよのかい」
「い、いいんです! ぼくにはやっぱり、ひよのが必要なんですよー! ひよの最高! ひよのラブ! ひゃっほーう!」
叫びながら、階段を駆け降りるタカヒロ・Iさん。その目の前に、とつぜん音もなく人影が現れた。
「・・・・こんばんは」
「ぐはっ あ、茜!?」彼の身体が固まる。
「い、いや、これはあの・・・ね」とっさに、ひよののカードを後ろ手に隠す「ちょちょちょっと待ってくれ!」
「わかりました・・・今日はタカヒロのために、ちょっと待ってあげます」
「そ、そう! とにかく待つ! ひどく待つ! あのこれそれは待つ!」
茜は、彼女らしからぬ、とても明るい声で彼にハッキリと、こう言った。
「部屋のすみでガタガタ震えながら命乞いする準備をしてください」
その夜、秋葉原に乱立するどこかのビルから、小さな悲鳴が聞こえたという。
ラジオ会館から我々が帰るとき、どこかのビルの「No Moe No Life.」と書かれた看板が、血に染まっていた。
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今日の男の魂
■RX-78-2 GUNDAM FULL-ARMOR 軽装版 ¥19,800 ほしかった・・・。
2002.08.17 sat(2-2)「ヨコハマ旅行記・第六話 文月さんと入江さん・その萌え」
多人数であったせいか、入江さんと突っ込んだ話ができていなかったので、やや強引に彼を誘い、二泊目の文月さんちに帰る。しかし、自分の部屋でもないどころか、お世話になる身でありながら「入江さんも泊めて欲しい」とは無茶なことを言ったものである。快く了承してくれた文月さん(うたかたの譚詩曲)に感謝だ。
ところで、彼の部屋には、美汐さん人形がある。
彼は、帰宅して、ちょっとその姿勢が傾いでいると、榊さんのような細心さで、人形の座り心地を看てさしあげていた。
彼の部屋は、いってしまえば男性一人暮らしの平均程度には散らかっている。
掃除したくなる汚さなのだが、それでも美汐さんの周りだけは妙に綺麗で、花まで捧げられていた。
彼の部屋に、ビデオテープや本は、それほど置いていない。
ただ、同人誌で集めているのであろう、美汐さんの本ばかりがやったらとたくさんある。
この部屋しか世界を知らないと「もしかして同人誌界のメインストリームは、美汐さんなのか?」と思うほどだ。
「メインストリームです」
曇りのない澄み切った眼差しで、文月さんが言った。
『天野さん、何を言ってるんですか』という目だった。とりあえず謝罪しておいた。
コンビニで買ってきた夕食を戴きながら、文月さん、入江さんと、三人で「萌え」について語らう。
「萌え」とはなんだろう。
ぱっと見がかわいいキャラクターや、愛らしさを感じさせるシチュエーションに感動して、そのキャラに好意をもつことを「萌え」と言うのかもしれない。一般的に広く、しかし軽々しく使われている「萌え〜」という言葉の意味は、だいたいこんなところだろうと思う。
だが、これとは明らかに次元の異なった「萌え」がある。
20代、人は自分自身の本質について悩む。
その末に、彼らは自らの情の根幹に、あきらかに欠けているなにか。満たされない心。胸に空いた欠落。そういったものを感じるようになる。
その空隙を埋め、補完してくれる存在を、人は求める。
このときに、条件を満たしうる異性と出会ったなら、その人を愛するのが普通だろう。
だが、その胸の欠落がとても大きく、また、出会ってしまった異性が、ゲームのキャラクターであるにも関わらず、あまりに魅力的であった場合、人はそのキャラクターを、本気で愛するようになる。
これもまた、他に表現すべき言葉をもたないため「萌え」と叫ばれる。
同じ言葉だが、このレベルの萌えは「ともに生きて、欠落を埋めてくれる存在の希求」である。
先述のそれとは、明らかにレベルが違うのだ。
彼らはとくに分けず「萌え」と呼ぶが、ここでは仮に「高次元の萌え」と呼称しよう。
その高次元の萌えに至った人の中に「彼女たち」はやがて実在するようになる。
それは決してゲームのキャラクターそのままではなく、いくぶんか変質して訪れる。「天野美汐」や「倉田佐祐理」であっても、萌えている人の中にいるのは、ゲームのキャラクターではなく、彼らが取り込んだ存在としての、オリジナルの「美汐さん」であり「佐祐理」なのだ。言動も、ゲームオリジナルとは、多少違う。
漫画家や小説家には、キャラクターの心情や立場を完全に理解し、把握できていると「キャラが勝手に動き出す」という現象が起きる。
一個の個性をもったキャラが、表現者の頭の中(「脳内」とも呼ばれる)で、思いもよらないような、しかし、じつにそのキャラらしい言動を「してくれる」というのだ。まるで、脳内でそのキャラが個別に生きているように。
「愛とは関心をもつことである」というが、萌えキャラに対する関心や、想像、一般には妄想といわれる類の分析と興味によって、深く深く理解し取り込まれたゲームキャラが、自己の内面にオリジナルのキャラとして確立するようになってくると、そのキャラもまた、漫画家の脳内のように、勝手に、しかし「そのキャラらしく」動くようになるのだという。
彼女らは、常に脳内で自らの主体である彼をみており、例えばなにか不義をはたらけば、萌えキャラである彼女は頭の中で怒り、疲れていて会社をズル休みしようと思うと、悲しそうな目で見つめてくれるのだ。彼らはそれで自己を奮い立たせ、行いを正しくし、仕事に努める。
彼女は彼とともに喜び、ともに悲しみ、ときに慰め、ときに励ましてくれる。
これが高次元に達した萌えの姿である。
タカヒロ・Iさんの「萌え」は、たしかに強烈だが、まだ彼のは若さ故の萌えであり、この境地には遠い。
自分の欠落を認識するようになってからが「高次元の萌え」であり「真の萌え」だ。
自らを補い、ともに苦楽を分かってくれる伴侶を、得る。
その段階の萌えは、その関係性において「恋愛」に近いと言える。
だが、大きく違うのが、彼女とは決して手で触れあうこともできず、また、まったく予想もしなかった行動をとったりすることもないという、距離の絶望感である。
出会い、恋に堕ち、その存在を自分の心の、もっとも大切なところに招き入れたときからはじまった、しかし永遠の片思い。これが高まりゆく萌えの本質かも知れない。
それは、愛した人が死んでしまったという状況に、よく似ている。
もう、思い出の中にしかいない彼女を、それでも、自分は愛し続ける。
彼女が、自分の辛く苦しかったこころを満たしてくれた。その一点のゆえに。
たとえそれが辛い恋だったとしても。
この萌えをもっている人は、よく「病気だよね」と自嘲する。
だが私は、この言葉に違和感があり、それ以外の言葉をずっと探していた。
解がみつかったのは、旅行のあとだったが、ひらめいた言葉がある。
そうだ、これはもしかすると「信仰」に近いかもしれない。
神を信奉する宗教家や信者の、信仰を授かった動機は、やはり心の欠落を神によって満たされたところに出発している。この点は、真の萌えに至る経路に似ている。
信仰には、サンデークリスチャンのような軽いものもあれば、身を捧げる出家もある。
萌えにも、テレビシリーズごとに対象が移り変わり、ただグッズを集める軽い萌えもあれば、一人のキャラを愛し続ける萌えもある。
そして信仰者がこころのなかに招いた神とともに生き、神とともに日々を歩むように、彼らもまた、萌えキャラとともに生き、萌えキャラとともに日々を歩む。
「高次元の萌え」とは、先日のように「永遠の片思い」かもしれないが、同時に「信仰」に似ているとも思うのだ。
文月さんの部屋で、三人で膝をつき合わせながらそんな話をする。高次に達してしまった萌えについて交わされる充実した議論。
しかし、同時に見ているアニメは「円盤皇女ワるきゅーレ」であった。
「このアニメ見て、変身することで貧乳幼女姫が巨乳美女姫になることを、あえて「スペックダウン」と言ってはばからず、また「幼女虐待だ」とあくまで変身前のみを支持し愛する人がいるんですよー。すばらしい萌えですあはは」
やはり、うやうやしく「信仰」と呼ぶには、この「萌え」という感情の位置は、ちょっとまだいろいろ深さとか痛さとか、次元の違う領域なのかも知れない。
夜も更け、萌え談義は尽きなかったが、さすがに明日のために寝ようということになった。
でも場所がない。
文月さんの部屋には、相変わらず布団が一枚しかなかった。
やむなく布団を横に敷き、初めてのことだが、男三人で川の字になって寝る。
位置的には天野が「みちる」だ。
とりあえず「にょわわ」と低音で言ってみる。
「こんなみちるヤダ」
そう言いながら、文月さんが電気を消した。
しかし、その後も、天野の将来計画のことや、AIRのこと、それぞれが愛しているもののことを、真っ暗な天井を見つめて語り合う。
カラスが鳴き出すまでは記憶があるので、ほとんど寝ずに、朝がたまで喋ったことになるだろうか。
深刻な話や、感動した話などが、ポツリポツリとかたられる。ときおり訪れる長い沈黙の中で、文月さんがふと、呟くようにいった。
それは、昨日からずっと、気になっていたことだった。
「天野さん」
「はい?」
「ぼくずっと思ってたんですけど・・・」
「・・・・」
「なんど思い出しても『ぷちこじゃもう大きすぎる』って、スゴイ言葉ですよね」
「・・・・」
「・・・・」
「ぶはっ」
「あははっ」
「ぎゃははははっ」
かなり疲れているはずだったが、その夜はなかなか寝られなかった。
真っ暗な中で、笑いも絶えなかった。
充実した夜が明けた。部屋にさし込むのは、東京を発つ朝の光である。
日曜だったので「仮面ライダー龍騎」と「おジャ魔女どれみ・どっか〜ん」を見る。
そのとき天野は、入江さんが持ってきてくれた「萌え文集・第1巻」を受け取ろうと思っていたが、番組のエンディングで文月さんが突然「おジャ魔女音頭」を踊り出したのを見た衝撃のせいだろうか、その辺の記憶が飛んでいる。
かなり踊り込んでいる感じのナチュラルさだったことを憶えているが、気がつくと天野はすでに最寄りの駅で切符を買っていた。
結局、文集はもらい忘れた。
天野が、いまひとつ理解し辛かった「萌え」の高次元と本質にせまる答えと、その世界をしることができた夜だった。とても勉強になった。
思えば文月さんや入江さんからは、いろんなことを教わったと思う。
重い話は萌えキャラを愛するということから、軽い話は「怒首領蜂」とかいて「どどんぱち」と読むことなどなど。
日頃いだいていた様々な疑問や謎が、この旅行中にはいっぱい解かれた。あまりに謎が明かされるので「私はきょう死ぬんじゃないか? もしかしてすでに最終回一話前? エンディング間近?」と電車の中でちょっと不安だったほどだ。
「30才を越えたら、年下の先生をさがそう」という言葉がある。
この歳になって実感したが、なかなか年上で面白い人はいない。30過ぎでそう感じている人は多いだろうと思う。
全く違う世界に飛び込めば、その世界は誰もが先生だが、かわらない道なら、年下の人の言うことの方が面白いし、つきあっていて楽しいと思う。
この旅行であった人は、一部を除いてみんな年下だ。
だが、どんな年長者よりも、面白い先生だと思う。
これからも、彼らから教わる世界はたくさんあると思う。
とても楽しみだ。
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今日の萌えキャラ
おっきいほうが「ワルキューレ」 で、ちっちゃいほうが「わるきゅーれ」
2002.08.18 holy「ヨコハマ旅行記・第七話 『遊ぶ』ということ」
いろいろあった東京での日々が終わる。快い寂しさの中で、上野駅前でマンデリンさんたちと合流した。
高速道路に乗り、東京を後にする。
ヨコハマツアーのとりは、山中湖だ。
コミックスで、バイト旅行に出ていたアルファさんがトウモロコシを焼いていた、富士山を臨める場所である。もうちょっと行くと富士山麓だが、オウムは鳴いていない。あいにく雨に降られたが、山間部とはいえ岐阜県とはまったく違う地形が面白く、見応えがあった。
車での長距離行というのは、運転経験を稼いでいない未経験者にはいろいろ疲れるものである。だが「連続でどれくらい運転したか」の長距離記録を持っていると、あとが楽になる。「あのときの500キロに比べれば」と200キロくらいどうと言うことはなく思えるからだ。
そんな経験を望んで、この旅行中、ずっと自走できていたタカヒロ・Iさんだが、東名高速下りの単調な道のせいで、ちょっとハイウエイヒプシーノス(高速道路催眠現象)にかかっていた。
「タカヒロ・Iさん、ちょっと眠そうだな。よし、運転を代わろう」
ずっと助手席にいて馬鹿な話をしていた天野が、運転を代わる。
ちょっとホッとしたようなタカヒロ・Iさんだったが、
「えーと、どれがクラッチだっけ?」
彼の表情が、一瞬で凍りついたのが分かった。
この一言が原因だったかどーかは不明だが、タカヒロ・Iさんはこのときからバッチリと嫌な感じに目が醒めたらしく、静岡市内を大騒ぎしながら流した天野の危なっかしい運転を経験した後は、眠気もなく安定した走行をみせていた。
彼とも、名古屋のインターチェンジで別れる。
「気を付けて帰れよー。家に帰るまでがオフ会だぞー」
手を振って、タカヒロ・Iさんは、この春に引っ越した名古屋の学生寮へ帰っていった。
ヨコハマ、東京と、今回も実に収穫の多い旅行だった。
ただ、物理的な収穫というか、ちょっと買い物をしてこなかったのが、心残りではあった。
タカヒロ・Iさんやマンデリンさんのおかげで、せっかく旅費が浮いたのだし、秋葉原に行ったのだから何かソレっぽいものを買ってくるべきだったのかも知れなかった。出発前に滾(たぎ)らせていた購買意欲が、今ごろになって未練がましく沸きはじめている。
悶々としていると、不意にマンデリンさんが口を開いた。
「天野さん、最近うちの近所に、ガシャポンとかのプライズ品や、古本とか同人誌とかゲームとかオモチャとかエアガンとか売ってる店ができたんですけど、寄ってきます?」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・エスパー?」
「は?」
「い、いえ、なんでもないっす。ぜひ行きましょう!」
プライズの店に寄って、名作劇場のガシャポンを大喜びで捻(ひね)くりまわし、けっきょくかなり散財してしまった。
とはいえ、今回の旅行は、最後の出費を含めても、あまりお金を使わない旅行だったと思う。
交通手段は便乗だし、宿も使っていない。さすがに、野宿は体力的に応えたが、それでも楽しかった。
高級なホテルで泊まるより、文月さんの部屋で川の字になって寝る方がたのしかったのは間違いない。
「お金がなければ遊べない、という人は、遊びの基準がお金でしかない」
という話をきいたことがある。なるほど。確かに、この旅行の充実度と楽しさは、お金によるものではない。
遊びについては、こんな言葉もある。
「子供の遊びは、何で、何日あそんだか、が基準になる」
だが、我々の遊びは、
ただ、誰と遊んだか。
それこそが大切なのだと、あらためて思ったオフだった。
子供の遊びは「何をするか」
だが、大人の遊びは「誰と遊ぶか」なのである。
今度の遊びも、実に面白かった。
実に、大人の遊び方だったと思う。
東京から帰ってみると、もう空は秋の青だった。
まっ青な紙の前におかれた砂糖菓子のように、クッキリと映っていた積乱雲は、もう霞んでいる。
この旅行から帰ったとき、夏が終わろうとしていた。
ふと、別れ際に、タカヒロ・Iさんに質問したことを思い出した。
「さて、もうお別れですが、今回の旅行で一番嬉しかったことはなんでした?」
「そりゃあもう、アレですよ! アレが手に入ったことです!」
タカヒロ・Iさんが「煩悩在中」という感じに膨れ上がった鞄から、勢い込んで「アレ」を取りだそうとするこの瞬間、天野はソレを見た。この旅行中ずっと彼につきまとっていたふたつの影が、クッキリと実体化するのを。
「丹下桜さんのCD『New Frontier』です! 初回版もってなかったんですよ! もうやっぱりさくらさん最高! さくらさんラブ! さくらさん好きだあああああああああああーーっ!!」
その夜、二本のツルハシで顔面と頭部をブチ抜かれた少年の死骸を引きずり回す二人の少女の姿が、名古屋市内のあちこちで目撃されたという。
ここでも、夏が終わろうとしていた。