2001.01.29 mon 〜 2001.01.31
wed count down
好きな人がいる。
私は、その人を愛している。
それは、アイドル声優でも、ゲームのキャラでも、アニメのキャラでも、マンガのキャラでも、小説のキャラでも、女神でも、宇宙人でも、超能力者でも、ロボットでも、コーヒー屋でも、宅配屋でも、生き霊でも、キツネでも、不治の病でも、その姉でも、魔物を討つ者でも、その親友でも、テントウムシでも、眼鏡でも、毎朝おこしにくる幼なじみでも、おこしに来ない幼なじみでも、その母でも、三つ編みの委員長でも、ニーソックスでも、ぶかぶかのYシャツでも、メイド服でも、巫女さんでも、馬車道でも、血のつながっていな(以下248文字略)でも冗談でもなく、実際の女性だ。
どこで知り合ったかは言えないが、ネットではないし、アニメとかゲームのファンつながりでもない。
その人は、ごく普通の人だった。
パソコンは持っていないし、そもそも機械は苦手。アニメで好きなのは「ハイジ」ゲームでは「サンバ
de アミーゴ」マンガでは「ベルサイユのばら」という、要するにとっくに卒業したホントに普通の人なのだ。
年は近いながら、このあたり私との隔たりがものすごく、言ってみれば淡水の熱帯魚と、マリアナ海溝在住深海魚との恋である。
映画の話などもたまにするのだが、以前に「シュリ」という映画を見てすごく感動した(当時)、という話を手紙でもらった。
「なにか、最近みて感動した映画はありますか?」と書かれていたが、電話口でもついに「ガメラ3」とは言えなかったのが悲しい。
向こうは当然、私がアニメやゲームやマンガや特撮や声優やパソコンやCGや日記やいい年してガンダムのプラモデ(以下4096文字略)などが好きなことは知っている。だが、やはり深海の底の世界なみの認識なのだ。
彼女の職業は、看護婦さん。
とてもハードな仕事である。
こちらは書店とはいえ、どのくらい忙しいかは、分かってくれているようだ。
そんなわけで、お互いに心配し合う言葉で会話がはじまる。
なかなか時間帯が会わないし、向こうは病院勤めなので携帯電話などが使えないから、気楽に話が出来ない。
パソコンを持っていないし、携帯のメールで込み入った話もできないから、実際のところ手紙だけが頼みの綱だ。
その彼女は今、東京に住んでいる。当方は岐阜県なので、遠距離恋愛だ。
それでも、去年、ようやく婚約した。
結婚して、一緒に住むようになったら、いろいろ話して(アニメのこと、マンガのこと、ゲームのこと、パソコンのこと、CGの( ・・・中略・・・ )ウルトラマン・ティガは歴代中もっともプロポーションが美しいこと、なぜガトーはコロニーをジャブローに落とさなかったのか、リックドム・ゲルググを主戦力とするジオンが、なぜあの弱そうなジムとボールしか持たない連邦に負けたのか、バルキリーの変形システムについての現実的な理(以下テキストで1.8ギガバイト略))教育しなくてはと思ってはいるが(冗談ですよ、冗談。 半分は。)、いまは一緒にいることが出来ない分、手紙を書きたい。
だが、仕事、絵、日記などで、いろいろと時間が奪われているのが現状だ。
その中で、この人のための十分な時間が欲しい。
だから、私は日記をやめる。
仕事や絵はともかく、日記と手紙は書くときに脳の同じ部位を使っているようなので、そこだけ疲労してしまうのだ。
完全停止ではなく、不定期と言うことで、日記を書いてはいくが、長く更新されなかったら「ああ、手紙を書いているんだな」と思って欲しい。
以前に寝言日記を少しだけプリントして読ませてみたらウケていたので、日記のような内容の手紙になるだろう。
この二年で鍛え続けた文章表現力を完全投入した、フルパワーの発動型寝言日記を書く。
ただ一人の読者のためだけに。
仕事に疲れて帰ってくる彼女を、すこしでも笑わせられれば、と思うのだ。
だから、みなさん。
寝言日記は、とりあえずのお別れです。
二年間の御愛読、本当にありがとうございました。
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■ 2001.01.27
sat 〜 2001.01.28 holy count
down
わたしには、娘がいた。
もう、10年近い昔の話だ。
これから書くことは、全てが事実ではない。そして、実際にあったことと比べれば、美化であると思う。
あったことをそのまま書くと、いろいろな人に累が及ぶ上に、書く方も辛いので、確定情報になる部分は表現を変えてある。人間関係も現実とは多少、変更した。
だが、この話の根幹は、まぎれもなく真実である。
娘の名は佳子。
この子は、わたしの実の娘ではない。わたしが心から信頼していた人物(仮に「師」と呼ぶ)の、娘だ。
その人は、とても素敵な家庭を築いていた。当時、まだ20才そこそこのわたしですら、こんな家庭を持ちたいと思うほどの。
わたしは全くの他人だったが、師とは家族のようなつきあいがあり、佳子ともよく遊んだ。
しかしその一家はある有名な事故に遭遇し、師も、その奥さんも死んでしまった。ただ一人、ちいさな佳子だけが半死の状態で、やっと命を取り留めていた。
佳子の祖父母が、病院に通い、あるいは無理に泊まり込んで、佳子の面倒を看るようになった。
師の通夜のときのことだった。
佳子の祖父母が、泣き崩れているのを見た。
実際、あかの他人である私には何ができたというわけでもなかった。葬式の準備にしても、すべて師の親戚関係が取り仕切ってくれた。わたしはただ参列しただけだった。
ただ、このとき、わたしは、泣かなかった。
もう、泣かないことしかできなかった。
師が死んだと聞いた瞬間、自分の中で、何かのスイッチが入れ替わっていた。
俺がまいっている場合ではない。
俺がしっかりしなければ。
ただひとり、ほとんど動けない状態で生きながらえた、佳子のために。
私は病院へ通うようになった。
佳子は本当に可愛かった。
この子は、頭が良くて、とても素直で、そしていま、孤独だった。
父母を失っている佳子への、猛烈な保護欲。
この子を残して死ななければならなかった、師と奥さんの無念。
尊敬する夫妻の忘れ形見への、持て余すほどの愛情。
わたしは、何度も何度も、時間を作っては佳子を見舞った。
病院に通うのは、正直、楽ではなかった。
けど、それが何だというのだろう。自分はこうして歩くこともできる。友人とも家族とも、いつでも会える。でも佳子には、誰もいない。そして何もできない。
子供というのはいまでも苦手な方だが、それでもこの子のために尽くすことは、わたしにとって喜びでこそあれ、決して苦痛ではなかった。
佳子と会うのは、至福の時だった。
この子の発する、かすかな言葉の一つ一つが、わたしにとって、まるで宝石のように思えた。
ささいな冗談に佳子が笑ってくれたとき、胸の中に泉が湧き出たかと思うほどの喜びがあった。
寝顔が、奥さんに似て見えたとき、この子は、将来、かならず幸せになれると確信した。
佳子に会いに行けないときにも、わたしは、佳子のことばかり考えていた。
こんど行ったときには、こういう話をしてやろう。魚の絵本を買っていってやろう。そんなことばかり考えていた。
わたしはこの幼い少女を、娘のように愛した。
何を失っても手放せないくらい、この娘を愛した。
不思議な感覚だった。
自分の中に、恋愛感情とは、およそ異質の、しかし膨大なスケールの愛情があった。
なぜこんなにも豊かで暖かい気持ちがあふれているのだろう。
そうは思ったが、不思議ではなかった。それは、もう母親の情としか言いようのない気持ちであり、私の中に自然に生まれてきた感情だった。
師の奥さんが、わたしの手を借りて、佳子を愛したかったのかも知れない。あるとき、ふとそう思った。
この手で、佳子の頭をなでてあげたい。
この声で、佳子に本を読んであげたい。
この目で、佳子の喜ぶ顔を見たい・・・。
親ならぬ我が身に、これほどの喜びがあふれてくるのは、奥さんの魂が、ともにいたからかも知れない。
笑われるかも知れないが、わたしはそう納得した。
自分は、佳子の母親の心情を通過していた。
それだけに、この子が苦しむのは、本当に見ていられなかった。
娘の苦痛。
母親にとって、これほど悪質なものはない。
自分の苦しみなら、いくらでも耐えられる。だが、これは代わってあげることができない。
祖父母が看病に来ると、自分には何もできなかった。それが悔しかった。
もしこの娘を目がけて何百本もの矢が飛んでくるなら、自分がその盾になれればいい。
死ぬなら、全部の矢を受けきってから、死ぬ。
そんな気持ちだけが、高ぶっては空回りしていた。
実際、わたしは一本の矢も、盾となって受け止めることはできなかった。
佳子は死んだ。
その場に立ち会うことができなかったから分からないが、本当に露が消えるような儚(はかな)い臨終だったという。
佳子が入院していた期間は、わずかなものだった。
だが、それはわたしにとっては、永遠に匹敵する時間だった。
もう佳子のいなくなってしまった病院に、もういちど行った。
エレベーターを使って屋上へ出る。
凄まじいほどの夕焼けだった。
しばらく立ちつくす。
音を立てて吹き抜けた風が、睫毛をさわった。
涙腺が膨らんでくる。
自分の目から出てくるとは、ほとんど信じられないほどの涙を流して、わたしは泣いた。
その半分以上は、おそらく、師と奥さんの涙だったのだろう。わたしの目を借りて、二人が泣いていた。
日が暮れた頃、もういちど、私は、しみじみと泣いた。
この日、やっと私は、師と奥さんと、そして佳子のために泣いたのだ。
私は娘を喪ったことがある。
もう、10年近い昔の話だ。
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2001.01.25 thu 〜 2001.01.26
fri count down
声優やアニメのキャラに恋をする、というのは、ヲタクに対する偏見(でもないか)として良く挙げられる事例である。
だが、私が井上喜久子さんに対して、そういう感情があるかというと、これは否だ。
この人と出会った頃は、仕事とは関係なく、いろいろと追いつめられていた時期だった。
どうすれば現状を打開できるのか、その糸口さえ見つからず苦しんでいた。いま思うと、その方法は分かっていたのかも知れないが、追いつめられて自分を見失っていたのだ。仕事には熱中したが、こころは寒く、冬のごとく荒涼としていた。
そこで出会ったこの人は、春のような雰囲気を持っていた。
この人の声、この人の歌は、ほんの慰めだったと思う。だが、それが自分にとって、どれくらい救いになったか分からない。
私は自身の課題を突破できるまで、この人に少なからず支えられてきた。
そしてその位置は、私にとって愛称のとおり「お姉ちゃん」だったのだ。
だから、これは恋ではない。
このごろ、実感を込めて思う。
井上喜久子さんが「お姉ちゃん」で、本当に良かったと。
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2001.01.23 tue 〜 2001.01.24
wed count down
ネモ船長と会った。
ベルヌの小説を思いだした人は、わりと普通の人。小松左京と思った人はSFファン。ナディアしか分からない人はアニメファンであろう。当の本人は、喫茶「夕凪」というヨコハマ買い出し紀行系サイトの管理人だ。
はるばる筑波から来てくださったその日は、よりによって前日が大雪である。
追い越し車線でスリップし、バスに突っ込む軽自動車などを尻目に見ながら、三時間かけて通勤した翌日であった。
だが当日は天候が良く、マンデリンさんとも合流してのミニオフ会となる。
まずは、おきまりの月琴披露だ。
マンデリンさんは会うたび、メキメキ腕を上げている。
この人と会っているときだけは、月琴を弾きたい気持ちが燃えるから、私もいいかげんだ。
すっかり弾かなくなって、インテリア化しているのが悲しい。
ネモ船長は、礼儀正しい人だった。
チャットなどで感じていた通りの人柄だった。話していて気分が良い。
彼は、北海道、東北、東京、岐阜、これより以西は知らないが、ヨコハマ関係オフ会には良く参加していて、大型ヨコハマ系サイト管理者とは大概あっているとか言う話だ。あとはmasterpieceさんと、LOAさんくらいらしいが、この日に引き合わせられなかったのが残念。
岐阜県地方ではタカヒロ・Iさんが感染源だったのだが、最近、ヨコハマファンのKanon率が高い。
この場でKanonとAirのオープニングを見せて、ネモ船長にもプレイを約束させた。どうなるやら楽しみである。
去年の夏オフ会のビデオを見た。
参加者のロメオさんが、ビデオカメラマンだったので、彼がオフ会の様子を撮影・編集してくれたものだ。ちなみに同じ様子をテキスト化したのが、この日の寝言日記である。このビデオはとりあえずオフ会参加者に配られたのだが、ちょっと具合が悪くなるくらい笑えるので注意が必要。参加していないネモ船長でさえ、のたうって笑っており、かなり辛そうだった。
ところで、マンデリンさんの前で、Airのオープニングを見てもらったとき、純正のウインドウズとの違いを理解した。
パワーマックG4にインストールされている「バーチャルPC」というエミュレーターで、マック上にウインドウズ98を再現、その上でプレイしているのだが、彼の解説によると、やはり処理のタイミングなどが違うようだ。
そのままKanonもチェックしてみようとしたら、Airのディスクが入ったままだったため、Airのサウンドで、Kanonがはじまり、驚く。
このゲームでは、音楽CDの差し替えが出来るのだ。
ということは、つまりKanonに必要な23曲入りのCDがあれば、思い通りのBGMでKanonを演出することも可能なのである。
ネモ船長の帰りを見送ってから、さっそく色々試してみた。
とりあえず水木一郎のCDを入れてみると、出し抜けに「バビル2世」のオープニングでKanonがはじまる。
おいおいおい、と思ってCDを変えると、名雪の登場シーンが「快傑ズバット」
「ズバッと参上〜」とか言いながら名雪がコーヒー持って現れた。
水木一郎をやめて別のCDにしてみたが、商店街へ向かう場面で「勇者王誕生!」がはじまる。
「くーかーんわーんきょ〜く (ため) ディバイディング・ドライバーー!!」
という遠藤正明の絶叫を聞きながら、夕御飯の買い出しである。
主人公の夢のシーンに流れる、切なく優しいはずの音楽が、なぜか「復活のデビルガンダム」だった。
どう聴いても悪夢である。
激しいCDしかもっとらんのか、自分。
そう思って、エンヤに変えてみる。
すると一転して、荘厳なアイルランド風Kanonがはじまった。
「パンの賞味期限をマジックで塗りつぶす・・・」とかいう会話に、果てしなく広がる平原のごとき幻想的な音楽が重なり、何もかもが美しく見えてしまうから音楽の効果というのは凄い。
ふと、自分でCD−Rを作ってみてはどうだろうと思った。
全BGMが戦闘シーンのKanon。kanosoになりそうだ。全BGMが般若新経のKanon。キャラクターの何人かは苦しみだすかも知れない。全BGMが、いままでに私が泣いた映画やアニメの、感動的な名音楽のKanon。ああ、こんなのでプレイしたら脱水症状起こして死ぬかも。
あえて後回しにしていたのだが、ここで一枚のCDを私は手に取った。そういえば、すでに自分で作ったCDがあったのだ。
井上喜久子・マイ・ベスト
である。
自作である。
全編を井上喜久子さんの声でプレイするなんてユメのようですたい、と思いつつプレイ。
朝、バタバタと足音を立てて従兄弟の少女が廊下を走る。
「ああ〜、どうしようどうしようどうしようどうしようプリンとケーキとどっちを選ぼうか〜」
忘れていた。この人の歌は、変な歌が多かったのだ。
変なKanonがはじまる。
「風を切って、落ち葉のかげをかけぬける〜」
という歌を背景に食い逃げ少女が疾走する。
「眠らないでね、30分〜」
と歌われている、そのただなかで名雪が居眠りしている。
このままいけるかも、と一瞬、思ったが、調べてみると感動のエンディングに当たる曲が
「わが家はなんだかハワイアン」
という、音楽界の筋弛緩剤と言うべき、強力に脱力する曲だったので、いまどうしようか迷っているところだ。
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2001.01.20 sat 〜 2001.01.22
mon count down
いきなりですが・・・。
というと、ロボットこそスパロボだが、もう出てくるキャラクターは全部、井上喜久子さんが声をアテたキャラで、当然、必殺技も全部、井上喜久子さんが叫ぶというゲームであり、個人的には是非、ベルダンディをゴッドガンダムに乗せて「勝利をつかめと轟き叫ぶぴょん」とか叫ばしてみたいが、かすみさんをボルテスVに搭乗させて「あらあら、この天空剣、うまく斬れないわ〜」などと敵ロボットを串刺しにしたまま、ほのぼのと語らせてみるというのも捨てがたいですなああもう夢のよう。
まあ、それはともかく、井上喜久子さんから年賀状が来ていた。
こ、今年は、
いや、今世紀は、
ああ、いや、よく見るとこうある。
うむ! むこう1000年は大丈夫!
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2001.01.16 tue 〜 2001.01.19
fri
寝言日記の書き方。
寝言日記の書き方を、残しておこうと思う。
ネタの発見、着想は、人それぞれなので、ここで触れるのは、それを読ませる技法についてである。
話が面白くても、文章がまずいと読まれないことがある。
では、何らかの面白そうな話を、いかに読ませる文章にするか。
根本は話のネタにあるので、これはいわゆる小手先のテクニックであろう。
その紹介をしたいと思う。ただこれは、テクニックとはいっても、そのうちのごく基本的なことなので、ある程度のレベルの人は知っていることだろう。
文章技法
寝言日記の文章のポイントは、リズムである。
よっぽど意図した場合をのぞいて、文末が同じにならないようにしてある。
だ・である調で書かれている文章なのだが、「〜〜だ。」の後には「〜〜だ。」とは持ってこない。
何らかの変化をつけるのだ。寝言日記全編がどこを切ってもそのはずなので、例は出さない。この変化が、リズムになる。機械的な後味ではなく、人間が話しているような感触がテンポになるのだ。
他にも、近い文章の中で、同じ単語が頻発しないように気をつけている。
たとえば、
数十分後。
両掌両膝をついて、栞がハアハアと息を切らしていた。
両手まで使った、ポージングも華麗なステップを全曲で披露した香里は、うっすら汗をかいている程度である。
という文章があるが(そのうちアップ予定)、ここの「両掌」という単語はもともと両手だったが、すぐ下に同じ単語が出るので変更した。他に個人名の連呼も避け「彼」とか「氏」などに言い換える。文中の意味は同じなのだが、読者の頭の中に発生するリズムが、単調になるのを避けているのだ。
言い回しを安易なものにしないのも大切である。
たとえば、これは本多勝一氏も出していた例だが
「○○さんんとこのお婆ちゃんは、そんじょそこらのお婆ちゃんとは、わけが違う」
という文章がある。
「そんじょそこらのお婆ちゃんとは、わけが違う」
どこかで聞いたような言い回しである。まあ、言ってみれば古くさくて、手垢の付いたような文章だ。
パロディとしての価値がある場合はともかく、この「どこかで聞いたような言い回し」は、オリジナリティが無くなる上に、読み手が文章に新鮮さを感じないので、タブーだ。
この文章には、もうひとつ忌むべき点がある。
それは「自分が笑っている」ことだ。
落語家は、お客様を笑わせるような話をするとき、けっして笑っていない。面白い情景を、大げさに真剣に語るほど、笑いがとれる。語り手が自分のギャグに自分で笑ってしまうと、聞く方は笑えなくなってしまうのだ。
「そんじょそこらのお婆ちゃんとは、わけが違う」
このあたり文章が「笑っている」。書いた本人は面白いつもりらしいが、聞いてる方は「へ」とも思わない。
面白い場面であるなら、やや大げさに、そして真剣に書こう。こちらが笑っていない分だけ、読み手に笑いが行くのだ。
このあたりは、本多先生の「日本語の作文技術」(朝日文庫)にのっているので、文章技法に興味のある人は一読をすすめる。私の文章の技術的な基礎は、この文庫本から出発した。
形容詞を長く長く面白く書いて、文末近くに主語を持ってくる書き方や文章のリズムなどは、中高生時代に愛読した火浦功や笹本佑一の影響だろう。
文章の短さも大切だ。くだらないネタに長い文章というのも、読み手には酷である。
あるていど完成したら、とにかく文章を削ろう。
「無くても意味が通じる」文章は思い切って削るのだ。それがどんなにリズムの良い、ギャグもステキな文章であっても、ない方がスッキリし、意味も通じるなら思い切って削ろう。もしくは二つの文章を一つにまとめるなどしてできる限り簡潔にまとめるのだ。
最近の寝言日記は、一回のテキスト量が非常に多いが、実はこれでも、相当な削除が施してある。
先のオフ会日記の第一稿などは、執筆中にアプリケーションの許容限界を超えてしまい、保存ができなかったほどだ。これは結局、二回に分け、その後の削除行程でかなりのシェイプアップをした。
意味が通じるギリギリまで削る。これで「だれ」のない凝縮された文章になるのだ。リズム自体も研ぎ澄まされるので、両者がうまく融合すると、とりあえず読むには良い日記になる。
ネタと導入とオチ
日記には、歯切れの良い文章とリズムだけではなく、おおもとであるネタが何より必要である。
「何かの情報を見て、自分が面白いことを考えた」
という状態がネタの出発だ。忘れないように、常時メモを携帯し、記録しておこう。
これを骨子にして文章を肉付けしていく。
導入部分は、さりげなく読者を引き込む役目を持っている。
日記などの場合は、誰でも知っているような時事ネタなどから本題に入ってもいいし、いきなり本題を大きなフォントで、大げさに名言し、引きつけるのも手だ。
あまり説明的にならないようにしたい。解説する必要があるなら、その文章は短くしよう。
ネタひとつでは力不足の場合、同類のネタが集まるまで待つ。
実は今、ネタが二つまで集まっていて、最後にもう一つ来るのを待っている話がある。
そろそろネタが腐りそうなので、ここで公開してしまおう。
京都大学へ行った友人で「早兼誠二」(名字は仮名)という名前の男がいる。
彼は卒業後、むこうで就職・婚約したのだが、彼女のおかあさんに
「せいじはん」
と呼ばれるそうだ。
京風のイントネーションが雅で悪くないのだが、彼にはどうしても
「政治犯」
と呼ばれているような気がしてならないと言っていた。
「娘の婚約者を政治犯よばわりなはいよなあ」
かれはそう言って寂しそうに笑っていた。
もうひとり、大学時代に「伊藤英次」(名字仮名)という名前の友人がいた。
詳しく憶えていないが、彼の出身は北の方で、濁点が混じる方言の地方に住んでいたのだという。
彼は言っていた。年の若い人や、高校時代の友人は大丈夫なのだが、年寄りは自分のことを
「えいずー。えいずー。」
と呼ぶのだと。
「俺はもう田舎には帰れねえ」
かれはそう言って寂しそうに笑っていた。
それまで何でもなかった自分の名前が、所在地を変えたとき、突然に牙をむいて襲いかかる。
そういう悲劇だ。
だが、私が知る範囲で、最大の悲劇は・・・・。
お分かりのことと思うが、ここに入れるオチがまだストックされていない。
できれば「誰も悪くないのに・・・」という感じのオチにして湿っぽく終わらせ、笑いを取りたいと考えていた。
同じ流れの、いくつかのネタを使って、たたみかけるように文章を構成するのだ。
オチがそろうまでは、上記のように文章として完成させず凍結しておこう。
実際にはオチていない日記もたくさん書いてしまったので、偉そうなことは言えないが、オチ、もしくは余韻は、読後感を保証する、最も大切なリズムである。何よりも、大事にしたい。
具体的なオチの付け方は、個性の見せつけどころなので、書いても意味はないだろう。
これは、各自の着想傾向にかかっている。
ネタはくだらなくても良い。
リズムをとって、単語を工夫し、どこかできいたような言い回しは使わず、別の表現を吟味して、大げさに真剣に描くのだ。それだけでも、十分よめるものにはなる。
まず最初は思うまま書いても良い。
そのあとで、上記の項目をチェックして、文章を練っていくのだ。より変わった表現を模索し、より大げさに、より真剣に描いていく。多少の脚色も、効果的ならバンバン使う。
そのうち文章力がついて、書くスタイルが確立してくると、思うさま書いても、けっこう面白い文章が書けるようになるのだ。
おおまかなところで、寝言日記はこのように書かれている。
では練習をしてみよう。
昔の寝言日記に、鼻毛の話があった。
まず皆さんも鼻毛を抜こう。
・・・・。
抜いたね?
ではその鼻毛をしげしげと見つめ、思ったことを、上記の条件で、面白く描くのだ。
さあやってみよう。
ただし、連日16時間以上働いた後、二時間以内で。
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2001.01.13 sat 〜 2001.01.15
mon ・オフ会日記(後編) 注:以下を読む前に、前編を一読ください。
「うちら、もうジェットコースターなんか恐ないで」
ボウリング場のパーキングに降り立つ天野車組は、一様に口を揃えて言った。
体が小刻みに震えているのは、寒さのためだけではなかった。
ともあれ、我々は無事故でたどりついた。
神に感謝しながらすぐに靴券を買い、6人はボウリングに興じた。
実は同好会に所属しているほど上手かったマンデリンさんが、どんどんストライクをとる。
私やKAZZさん、ザナさんはそれなりに倒していたが、タカヒロ・IさんとKamasuさんの調子が悪い。
何かのゲームのネタかと思うくらいガーターばかりである。
途中から、タカヒロ・Iさんは当てるようになったが、Kamasuさんはまだ苦しそうだ。
私は、投球しようとしているKamasuさんを呼び止めて、一言だけ、こういった。
「5本以上たおしたら、キリュウの絵を描いてあげよう」
Kamasuさんのハートに火がついたのがわかった。
投球に入った彼を、親友タカヒロ・Iさんが見つめる。
ボールを構え、Kamasuさんが、ピンを目指して腕を振り抜いた。
倒しやがったよ、この男。
数秒後、ガッツポーズで飛び跳ねながら戻ってくるKamasuさんを皆が拍手で迎えた。
あとで私の所へ来て、彼が言う。
「天野さん、キリュウは、ぜひ「寝起き」の絵でお願いします!」
目が萌えていた。
「お、おう。でも夜想曲の雰囲気的にダメかも・・・」
この後、彼もようやく調子を取り戻し点数を稼ぐが、やはり一位はマンデリンさんで、ボウリングは終わった。
靴を返却して、駐車場に出る。
外は、来たとき以上に雪が降っていた。
ところで、ここの駐車場は、高山市を見下ろす展望が絶景である。
それを見て誰かが言った。
「じゃあ、駅で2時間ベンチに座ってましょう」
大爆笑である。
「この景色は、Kanonのメニュー画面?」
「じゃあ、どこかに木が・・・」
「あ! あったあった、あの木!」
「じゃあ、根本を掘り返すと○○の○○が・・・」
Kanonをやってないとサッパリ分からないネタで、大雪の中、遠慮も無しに大騒ぎである。
再び、車に乗り込み、我々は次に食事へ向かった。今回のオフ会は、スケジュールが濃く、次々と移動する。
ついた先は、マンデリンさんおすすめのラーメン屋だ。
カウンター席一列のみ、スツール八脚ほどの、本当に小さな店であるが、なぜか、本棚には「ハーメルンのバイオリン弾き」ほぼ全巻がそろっていた。
店の名は「大もり」。
ここに入って「おばちゃん、おおもり一丁!」と注文すると店の権利書が出てくるとかそういうギャグをかました他は、全員で容赦なくKanonやAirの話である。
6人もの男が横一列にならび、ラーメンを食べながらする話ではないような気がするが、皆の食は進んだ。
ラーメンが美味かった。
さらに特筆すべきは手作りのギョウザのうまさである。
大きな観光マップに載るような店ではないが、ここでの食事は本当に美味かった。
デスドライブ直後の食事だから、と言うわけでもないと思う。おばちゃんの人柄も、味を引き立てていた。また来よう。
食事の後は温泉である。
本来のスケジュールでは「氷点下の森」という、樹木に水をかけ凍結させた人工樹氷をライトアップしてあるという、険しい雪道のなかにある、たいへん美しい観光名所に行く予定だったが、これは中止となった。
天野車組の顔に死相が出ていたからかも知れない。
たどりついた温泉は、当然、露天だ。
真っ暗な空から、星が流れるように、ひかる雪が舞い降りてくる。
それを見上げながら湯につかるのが、なんとも美しく、心地よかった。
ぐてんぐてんになるまでつかってから、畳敷きの休憩所でくつろぐ。
当然のようにバニラのカップアイスを買ってくるマンデリンさんである。爆笑である。これもサッパリわからないと思うが、要するにKanonネタだ。いまさら理解は求めない。四の五の言わずにKanonやりましょう。世間的には、どう見てもわけのわからない話で、我々は盛り上がった。「牛丼と肉まんが一緒になったビーフボックスは、いわば舞シナリオと真琴シナリオを同時に楽しめる一品」「朝〜朝だよ〜」「そんなこという人きらいです」「嫌いじゃない」「タイヤキ売ってないかなあ」「いまごろ栞は・・・」「冬はアイスクリームに限りますね」「甘くないのもありますよ」
わからねえ。
笑いながらも、日記記録者としての客観的な意識が、一般読者に対しての普遍性のなさに愕然としていた。
ややあって出発。このころには雪道運転にも慣れてきている。
次の予定地は、おまちかねのカラオケだ。
前回利用した店が閉まっていたので、別の店に行った。受付に人数を告げ、案内されたボックスに入る。
入室して機械に目をやった全員がつぶやいた。
「レーザー・・・」
「レーザーか・・・」
「レーザーカラオケ・・・」
「・・・旅館なみの曲数」
「これは・・・」
「・・・まずいな」
温泉旅館の宴会場にある程度の、レーザーディスクによるカラオケセットである。いつもの通信カラオケに比べ、大幅な曲の制限が予想された。
ためしに歌帳をめくってみる。
アニメソングが、悲しいほど少ない。
この段階で、すでに「井上喜久子さんの歌が無い」とか「丹下桜の丹の字すらない」とか「何のために今までKanonとAirのオープニングを練習してきたのか」などと、誰も何も言えなくなってしまった。
アカペラで歌う準備もなかったので、とりあえず「ゲッターロボ」で天野が切り込む。
アニソンで始まったが、やはり今回は歌謡曲中心である。
天野は「ランナー」や「チャンピオン」など、かなり直球な歌ばかり。
ザナさんは「ルパン三世」や「少年時代」、終始ウラ声で通した「部屋とYシャツと私」など。最後はいっしょに高笑いした「リゲイン・24時間はたらけますか」も面白くて良かった。
マンデリンさんは「万里の河」や、ジョージアのCMで聴く「明日があるさ」メロディラインが美しい「もう一度キスしたかった」など。そして、タイトルだけで選んだ「栞(しおり)のテーマ」を嬉しそうに、Kanonの栞ファンの氏が歌う。
KAZZさんは高音が出るので「空も飛べるはず」や「It's Only
Love」「ONE」など、参加者の中では、もっとも歌謡曲らしい歌を歌っていた。
このメンツは、まあ年齢相応の歌を選んでいると言えよう。
だが、高校生ペアは、おかしかった。
タカヒロ・Iさんの一曲目。
「君の瞳は一万ボルト」
「だから、なんでこんな曲を知ってるんだ!」
最初、気を使っているのかと思ったが、要するに彼は堀内孝雄のファンらしい。二曲目「ガキの頃のように」も堀内孝雄だ。しかし高校生がなんでまた・・・と思っていると、つづくKamasuさんが南こうせつの「夢一夜」を歌う。前にも聴いたが、高校生が歌うには内容がシンドイ。
しかもKamasuさんの二曲目は、マンデリンさんとバッティングした。
曲は「順子」
「天野さんとなら、わかる。でもなんでKamasuさんとカチ合うかな・・・」10才ちかく年の差があるマンデリンさんが、Kamasuさんを見ながら、心から不思議そうに言った。ところでマンデリンさんは、ちゃっかり「おぉお順子〜♪」の部分を「おぉお栞〜♪」と変換して歌っている。
ところでレーザーカラオケは、操作をリモコンで行うため、たまに入力間違いが発生する。
だが、それで出た曲でも歌ってしまうのがKAZZさんだった。
間違って入力された曲は「岬めぐり」
「あ、でも歌えますよコレ」
とか言ってKAZZさんが歌い始める。
するとややあって、「あっ」と言う声が上がった。
「こ、これって」「ヨコハマ!?」
そう「岬めぐり」の映像には、去年にマンデリンさんとKAZZさん、ザナさんが巡礼した、ヨコハマ買い出し紀行ファンにとっての聖地、横浜・三浦海岸の景色が使われていたのだ。
見覚えのある景色に、興奮するマンデリンさんである。
「そ、そういえば・・・」
私はぼんやりとつぶやいた
「これって、ヨコハマオフ会だったんだよなあ」
高校生ペアは、たまに「地上に舞い降りた天使」や「ぼくならばここにいる」「Get
Wild」「ラブストーリーは突然に」「そのままの君でいて」など、これはこれで十分ふるいが比較的新しい曲を歌ったりしていた。
「ギリギリchop!」などは、ああ、高校生だな、と思う。
だが次にモニターに出た曲名に、みんながどよめいた。
「能登はいらんかいね」(坂本冬美)
「え?」「誰、これ」「また入力ミス?」
「あ、すみません、ぼくです」
マイクを構えたのはKamasuさんだった。
演歌である。イントロあたりがもう、歌は流れるあなたの胸に、である。
年輩の方を相手の宴会などで歌うと、それなりに受けそうな歌だ。そう言う意味では、彼は人生を先取りしているのかも知れない。だが
「風はア〜〜潮風ェ、シベリア返しイィ〜〜。」
聞いてる方はもう笑うしかない。これには妙な破壊力があった。
気がつくと、みんな演歌調のすりあわせるような手拍子をはじめている。サビの部分「能登はア、いらんかいねェェエ〜〜」のあたりなど大合唱。
「バスで旅行してるみたいな気分だな」
そう言いながらも、この曲で、なぜか全員が一体になっていた。
ついでマンデリンさんが選んだ「翼の折れたエンジェル」に、タカヒロ・Iさんが「あーあー知ってます」と事も無げに相づちをうつ。
「だから、なんで知ってるんだ!」マンデリンさんが叫ぶ。
「なんかおかしいぞ、君たち」私もつっこんだ。
20代後半以上組は、まるで10年前にもどったような曲ばかりを歌った。
ところが、10代組は20年さかのぼっている。まだ生まれてねえ。
あらためて、最新の曲がなくても、まったく困らないメンツであることを実感した。
一年以内の曲など、マンデリンさんの「桜坂」くらいしかない。
そうこうするうちに、あと数曲で刻限である。
歌うだけ歌った感もあったので、天野は最後にこの曲を選んだ。
ちゃちゃちゃちゃ、ちゃらちゃちゃちゃちゃらちゃちゃ〜♪
イントロと間奏が痛快な、名曲「キューティーハニー」である。
15年ぶりくらいに見る映像が懐かしい。
「このごろ流行の女の子♪ おしりのちいさな女の子♪」
という歌詞を、地獄の底から這い出すような低音で歌う。
「こっちを向いてよ、はぁにイ〜」
できればあまり振り向きたくないアニキな声で、胸のキンニクをぴくぴくさせながら歌い上げる。
「イヤよ、イヤよ、イヤよ見つめちゃ、いやア〜ん。 ハニーフラッシュ!」
ギャラリーの、どよめきに近い笑いが痛くて気持ちよかった。
「かわるわよぉん♪」
歌い終わった後、青空に向かって「やりましたよ、喜久子さん」と語りかけたい気分だった。我が心の空に浮かぶ、井上喜久子さんの迷惑そうな笑顔が眩しい。
またしても午前様まで高校生を引っ張り回してしまった。
彼らを家に送って、宿泊組(天野・KAZZさん・ザナさん)はマンデリンさんの家に戻る。
すでに深夜であったが、我々はドリームキャスト版のKanonをはじめた。
こんな時間から・・・とは思ったが、はじめたら止められない。
私はCDドラマ版を聴いているとはいえ、みんな、声のあるKanonは初めてだった。
やってみると、声が入るだけで、まったく別種の感動である。
あゆの登場シーンに「おお、これが生うぐぅか・・・」などとつぶやく。正確には生ではないが。
あゆの口癖である「うぐぅ」というセリフはドリキャスKanon版において300回以上あるが、全て状況が微妙に違うので、流用なしに、全て別録りで、言い分けているらしい。
昔、ドラゴンボールのゲームが作られたとき、悟空役の野沢さんが「ハアーッ」という気合いの声だけで100種類以上録音したという話を聞いたことがあるが、つくづく声優さんというのは凄いと思った。
マンデリンさんが、各シナリオのツボを押さえた場所でセーブファイルを取っているので、今回は、名場面のオンパレードである。
秋子さんの「・・・いってらっしゃい」では誰もが声をひそめ、ある者は泣いた。いや、私なんですが。CDドラマの方とは演出が違うので、知らない人は、ぜひ両方を聴いてみよう。
とにかく良いシーンに、男たちが見入る。
しかし、最もショックだったのは、やはり舞シナリオだった。
私とKAZZさんが舞派なので無理もないだろう。
どのシナリオでも言われていることだが、声による破壊力倍増の話は、本当だった。
ゲームの中にあって、みずみずしいほどの存在感。
しばらくぶりの舞シナリオだが、これは思い出が蘇るのではなく、まったく新しい感動だった。
舞シナリオの佳境、KAZZさんが鼻をぐすぐす言わしているので、風邪でも引いたかなと思ったら
ほろほろと泣いていた。
岐阜県飛騨地方の深夜は、この時期とても寒い。何かの罰ゲームかと思うくらい寒い。
だが、涙だけが熱かった。
舞シナリオの最終部分がはじまったのが午前3:00頃。このとき、前日が早かったザナさんは、すでに冷蔵庫の裏に頭を突っ込んで轟沈していた。とりあえず寝室に連れていってから、残り三人で舞シナリオを最後までクリアする。
私とKAZZさんがボロボロと男泣きに泣く。正直な話、自分でも人前で泣けるとは思わなかった。
KAZZさんの後方で画面を見ていた自分は、ふと、彼とは泣くポイントが違うことに気がついた。
KAZZさんは、おそらくは多くのユーザーと同じように、主人公・祐一の立場に立ってゲームを見つめている。あまりに可哀想なキャラクターたちに対する感情は、愛情であり、保護欲であろう。
主人公に感情移入してのプレイは、悲しすぎるヒロインを救いたいという気持ちから、大量の涙を絞る。
だが自分は違った。
ヒロインがいるとしたら、その親の立場になってしまうのだ。最も家族愛的要素が濃かった舞シナリオの、あるシーンにおいて、天野の涙スイッチが、バキッと異音を発して入る。このとき、舞は自分にとっては恋人ではなく、愛しい娘という位置だった。
とにかく家族愛もの、わけても母娘ものに私は弱い。Kanonも五人のヒロインがいるが、全員プリンセスメーカーのような育てゲーでもオッケーていうかむしろそうしてほしいなあ、と、涙を流し、声を抑えながら私は思った。
午前5:00 舞シナリオクリア。
KAZZさんが涙声で「舞は純粋すぎるんですよぉ」と熱く語る。うんうんと、しばらく話してから、我々は休んだ。
あたたかい電気毛布の中に体を埋めて、今日一日のことを思いめぐらす。
本当に、半年に一回でも、こういうふうに集まれるのが嬉しい。
こういう時があるから、仕事がきつくても、歩んでいけるのだ。
オフ会自体は、それほど重要なことをするわけではない。
いわば遊びであり、それ以外の何ものでもない。くだらない集まりであるとさえ言える。
だが、こういう時間、あるいはそれに代わるものがなければ、私はストレスで殺られてしまうだろう。
まくらも布団も、天井も違ったが、私はこの夜、ぐっすりと眠ることができた。
エピローグ
明けて1月8日。
この日は夏のオフでも行った珈琲屋によって朝食を取り、天野の車を修理してもらい、午後三時頃にKAZZさん、ザナさんを乗せて岐阜駅に向かって帰路に就く。これで全ての予定が終了する。
朝、すっかり晴れた空から、光が射していた。
今回はちゃんと朝起きられた。三つ並んだ布団のとなりをふと見ると、ザナさんが眠っている。
よく見ると、布団が 妙にふくらんでいる。
何かを抱きかかえているよーな、そんなボリュームだ。
起きてきたマンデリンさんが、布団の口からのぞいている白いまくらを、イタズラっぽく、ゆっくりと引っぱり出す。シャオリンの抱き枕だ。しかしそれが「誰にもわたさへんで」とばかりにがっしりと捕まれていて、なかなか出てこない。そうこうするうちに、ザナさん本人がまくらに釣り上げられて出てきた。
(本人さまの掲載許可所得済み(やや、ヤケクソ気味でしたが))
すかさずKAZZさんがデジカメで、この芸術写真のような瞬間を記録する。
「ええと、「まくら」と言いますのは元々「魂の蔵(たまのくら)」が語源で、すなわち魂を預けておく場所、という意味なんですよね・・・・」
などとウンチクを垂れると、起きてきたザナさんが言った。
「いや、俺の場合は胸に抱いているから・・・」
彼は、魂も情熱も、シャオリンに預けてるようだ。
みんな笑った。
お日様も笑っていた。
このオフ会の帰り道。
天野は、ストレス性胃炎のせいで荒れていた唇が、治っていることに気がついた。
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2001.01.10
wed 〜 2001.01.12 fri ・オフ会日記(前編)
著者注・1
今回の日記は、その高マニア度な参加者特性から、あるていど理解の難しい内容となっています。
ですが、理解できない貴方は、自分が正常であることに胸をなで下ろしましょう。
より深淵なる理解を希望する場合には、本文で取り上げられているゲーム、アニメ、漫画などの熟読が必要ですが、そこまでやったあとに現れる事象(通常の友好関係の崩壊、特殊な交友関係への埋没など)の責任は負いかねますので、覚悟完了の上、後ろ向きに前進してください。
著者注・2
「この日記には、一部に真実が含まれている場合があります。」
Q:この文章の意味を変えないまま、違う言い回しで、30字以内で書きなさい。
A:「この日記には、基本的に本当のことは書かれていない」
別例回答
「この日記は、ほとんどがウソ、もしくは寝言である」
(あさりよしとお「HAL」より一部改竄の上抜粋)
2001年1月7日〜8日にかけて、前回の8月同様、岐阜県の下呂・高山地方で
「どろり濃厚ジュースも凍てつく冬の豪雪地帯で凍結路面にハンドルとられてわっしょいわっしょい祭りだ御輿だかつげかつげ状態走行の末に食べたラーメンは死ぬほど美味なキューティーハニーと朝までKanonオフ会」
が開催された。
普通の人は、これだけで引いてしまいそうだが、かまわず予備知識として必要な、参加者紹介をしておこう。
天野拓美
日記執筆者。ここしばらく休日に会社から呼び出しがかかることが多かったので、今回もビクビクしながら参加。でも電話はなかった。ありがとう、みんな。でも無事に帰ってみればお叱りの電話が二件。職業は書店店長で、担当はコミックなため、参加メンバーへのお土産は全てコミックだった。ところで、うちの店では、Airのトレーディングカードを売っているのだが、ボックスに一枚、キャラクターカードがついてくる。箱が開くたびであろうか、その余ったカードが、なぜか支店中から私のもとへ届けられる。わかってるネ! 支店のコミック担当さん! ずいぶん貯まったので、今回のオフ会で配ることができた。前回の夏オフ会で、Kanonにはまったのが懐かしい。そのKanonでは舞を愛する。
マンデリンさん
今回もオフ会の基地提供者であり案内役。前回より宿泊人数が増えたが余裕でカバーしてくださった。愛車のAA63カリーナでドリフトしながらシャーベット状の道路を走る男。天野はついていくのがやっと、どころか何度も見失った。ちょっと前に天野の愛車は、助手席ドアが事故で開かなくなってしまったのだが、それをなおしてくださった。ううむ、さすが。病気の母を送り迎えするのが楽になります。ありがとう。母もそう言っていました。それはともかく、Kanonでは栞を愛する。
タカヒロ・Iさん
最近はmuse(ミューズ)と改名したらしいが、呼び名はいまでもタカヒロ・Iさん。前回の反省からか、非常に無難にオフ会を乗り切ったようだが、その分、竹馬の友であるKamasuさんが大爆発した。Kanonでは、あゆを愛する。まだ高校2年生なので、Kanonの舞台と時期的に完全に符合している羨ましい人物。
Kamasuさん
今回、大爆発した男。Kanonでは舞を愛するが、それ以上に「まもって守護月天!」の紀柳(キリュウ)を愛する。どうも桑島法子も好きらしい。でも「本命は椎名へきる」と彼は言う。彼も高校二年生。17才。でもAirはやった。私が大学に通いつつマクドナルドのゴミを喰っている時期には小学一年生だったと思うと、めまいがする。
KAZZさん
上記四名は岐阜県在住だが、彼は茨城からの参加。茨城−岐阜間の旅の途中、静岡でCOBRAさんと合流し、そのままアニメイトへ連れ込まれる。休日の関係で岐阜へは合流できなかったのが残念だが、グッズを買い漁るCOBRAさんは、鬼のように輝いていただろう。目に浮かぶ。KAZZさんも竜巻にまき込まれるようにして、かなり散財。でもおみやげをたくさん買ってきてくださったところはさすが。カラオケで、間違えて入れた曲でも歌えてしまう男。Kanonでは舞を愛する。舞ファン多いなあ。
ザナドゥさん(以下ザナさんと略す)
日常会話をゲーム用語やアニメ、漫画のセリフの引用でこなす男。ゲームに関しては相当にマニアックなものを使ってくるので、言ってることが分かる自分がちょっと恐い。Kanonは全編のクリアがまだなので、特に誰と言うことは無いようだ。だが彼は流通しているグッズのほとんどを確保しているほどの「守護月天マニア」で、やりなおしが効かないくらいシャオリンにはまっている。過去に別のオフ会にてシャオリンの抱き枕を持参し熟睡したことは、その筋ではあまりにも有名。
以上、今回の参加者である。
ちなみに、全員の共通点は「ヨコハマ買い出し紀行」と「Kanon」である。
集合地はマンデリンさんのお宅。地元民は各自集合。KAZZさんは電車にて、到着。天野はザナさんを岐阜駅で拾っての合流となった。
実は、私はザナさんとの面識が無く、またチャットでも、それほど会話を重ねたわけでもない。オフ会がせまるなか、
彼はいったいどんな人物なのだろう。
という漠然とした疑問が残されていった。
そこへ折良く、オフ会前にザナさんのお部屋の写真を拝見することができた。
部屋というのは、基本的にその人が気に入っている調度品によって飾られているので、人物の様々な好みを理解・把握するには絶好だ。
日記に載せることも許可を受けた上で、ネット上にアップされた画像を開いてみる。
(ザナさんのお部屋)
「うわっ わかりやすっ」
シャオリン以外に何か好きな物はあるだろうか。
そう期待して見た画像には、シャオリンしか写っていなかった。
明けて当日。1月7日。
携帯電話で連絡を取り合い、私とザナさんは、合流した。
持ってる守護月天グッズ全部を身につけて、シャオリンのスタンドバルーンにまたがって電車を降りてくる姿を想像しながらザナさんを探したため、岐阜駅構内に立つ普通の姿をした人物を、ザナさん本人と認識するまでに、私は、実に数分を要した。
話してみると実にゲーマーな人で、スペランカーなどの、ややマニアックなゲームの話題で盛り上がりつつ、マンデリンさんの家に到着する。先に到着していたKAZZさんたちも合わせて、午後2時頃、参加者全員がそろった。
まずはここで、お土産の交換会である。
まず、COBRAさんがKAZZさんに託した土産物が、参加者に振る舞われる。
同時に、私は用意していたアイテムを胸ポケットからSEつきで取り出した。
「ぱかぱかあん! にっきめも〜〜」
大山のぶ代の声で、小さなメモ帳を掲げる。
オフ会参加者の一部からは笑いが、また一部には緊張が走った。
日記の記録が始まる。
お土産は多岐にわたっていた。
喉が焼けるほど甘く、口に含むだけで虫歯に侵されそうなほど甘露なことで有名なマックスコーヒー。これは実はヨコハマゆかりアイテムである。下敷きや、携帯ストラップなど、はずかしくて買えないKanonキャラグッズの数々。そしてAirで人気の「どろり濃厚ジュース」紙パック展開図などなど。
私は例によってマンガをお土産とした。
タカヒロ・Iさんには、最近出版されたカードキャプターさくらのイラスト集第三弾を。
マンデリンさんには、私が気に入っている「成恵の世界」。
恐る恐る出してみたら、やっぱり持っていた「伝心! まもって守護月天設定資料集」はザナさんに。とりあえず「保存用」もしくは「抱いて寝る用」にしてもらった。
途中、生活費に困窮する時期にすら、お金を借りてまで買い集めたというザナさんの守護月天グッズ自慢が始まる。それを食い入るような目で見つめるKamasuさんである。
キリュウの美しいイラストが載っているカレンダーに心を奪われているKamasuさんには、まさにそのカレンダーを用意できた。すばらしい偶然である。
そのKamasuさんからは、Kanonのトレーディングカードゲームをもらった。私も自分で買ったことはないので、嬉しい。
KAZZさんには「外道校長 東堂源三郎」を。彼は眼鏡が好きらしいので、これを選んだ。本当にコレで良かったのか、いまだに自信がない。
ともあれ、全員の集合をよろこびあってから、我々は最初のスケジュールであるボウリングにむけて出発した。
しかし、これが、後々のスケジュールを狂わすデスドライブのはじまりだった。
6人のメンバーが、マンデリン車(マンデリンさん、タカヒロ・Iさん、KAZZさん)と天野車(天野、Kamasuさん、ザナさん)に分乗して出発することになった。
目的地の高山市までは結構な距離があった。しかも運転直後から始まった視界を濁らせるほどの降雪である。
「無事に着けるだろうか・・・。うをっ!?」
瞬間、凍結路面で後輪が滑る。
心拍数の上がるのが、イヤと言うほどわかった。
雪道運転には多少慣れているつもりだったが、降り方が段違いである。
そもそも冬に豪雪地帯でオフ会というのはどうか、と疑問が湧いてきた頃には、ワイパーが凍り付き、役に立たなくなる。すぐに、ウインドウ越しの風景がぼんやりとしか見えない状態になった。肉眼よりは、むしろ心眼で走っているような錯覚に陥る。
「あ、宮峠・・・」
標識を見たKamasuさんが、ぼそりと言った。
「うちの父が、この峠で、このあいだ車を回転させました」
全員の背筋に気温以外の悪寒が走る。
次いで飛び込んできた標識に、やはり全員が絶句した。
二の句が継げないでいると、ヘアピンの看板が、かすむ吹雪のむこうに次々と連なって現れた。
誰かが胸で十字を切った。
とりあえず後編につづく。
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2001.01.07 holy 〜 2001.01.09
tue (なにげに三日間隔更新です。すみません)
2001年1月7日、8日と「ヨコハマ買い出し紀行」ファンによるオフ会がありました。
その内容を、今回はヤケクソとも言える諸方面の全面的な理解のもと、会社からの呼び出しにおびえる男、天野が、現在鋭意執筆中!
去年の夏、いっそ清々しい(すがすがしい)とさえ言える自爆を果たしたタカヒロ・Iさんに続く今回の爆死者は!?
会話内容の70%がオタキッシュ(日常会話もオタク用語でこなす)という、さらに濃くなった(当社前年比)参加メンバーの会話を普通に記録した場合、はたして、ついてこられる読者はいるのか!? ていうか読み物になるのか!?
そして
今回の「ヨコハマ・オフ」には、ヨコハマの話題が出るのか!?
様々な不安と危惧を抱いて待たれる新世紀のオフ会日記。その内容を、ここで一言だけ公開しよう!
「甘くないのもありますよ」
ああっ やっぱりわからねえ! でもとりあえず刮目して見よ!
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2001.01.04 thu 〜 2001.01.06
sat
年始の数日間、BSで「ロッキー」が放送されていた。
シルベスタ・スタローンの、あのロッキーである。
ふと、父はこの映画が好きだったことを思い出した。
私は、父が年をとってから産まれた子だったからか、とてもかわいがられた。
父と、幼い私に共通する趣味は、釣りと絵だ。
店が休みの日に、近所の川や池に連れていってもらうのが、とても楽しみだったことを憶えている。
それは、いつもちょっと遅い、夕刻くらいの出発だった。
ポイントには、大勢の釣り人が糸を垂れている。適当に空いている場所に陣を取り、同じように竿を傾けた。
だが、なかなか釣れない。
いま思えば、大勢で池の中を引っ掻きまわしているのだから、魚にしても食事どころではないのだろう。
だが、父は気にする様子もなく、ただ寡黙に、糸を垂らしている。
日が落ちてきた。
徐々に釣り人が竿をたたんで、帰っていく。
父だけが、来たときと同じ場所に座り続けていた。
ほとんど日が暮れて、あたりが薄暗くなった頃、不意に父の竿に魚信があった。
驚いて興奮している私を尻目に、父は悠々と獲物を釣り上げた。
そのあとは、もう入れ食いである。
エサを放れば魚が釣れる、というほど、おもしろいくらいに良く釣れる。
何匹目かの鮒(ふな)を魚籠にいれながら、父が言った。
「みんながあきらめてしまっても、じっと待つんだ。ここは釣れる場所なんだから、そこまで待てば」
重くなった魚籠を勢い良く水から引っ張りあげ、父は私に釣果を示した。
「絶対に成果は出る」
私は父を、本当に凄いと思った。
父は熱心な中日ファンだったので、私をなんとか野球観戦に引っ張り込もうと、野球のマンガなどを買ってきては読ませてくれた。そのおかげで私はマンガにはまってしまったのだが、どちらにせよ、ドカベンの1〜4巻だけ(※)では、柔道にこそ引かれても、野球には転びようもなかったと思う。
※ ドカベンは有名な野球マンガだが、その初期は山田太郎も岩城も影丸も柔道をやっていたのだ。
表紙は柔道着姿なのだが、父は野球マンガだと聞いて買ってきたのだろう。
本を手渡してくれるとき「何か違う・・・」と父の顔に書いてあったことが、いまでも忘れられない。
私はそのまま多くのマンガを集めだしたのだが、そのなかで父が気に入ってくれていたのが、釣りキチ三平だった。まあ、当然と言えば当然だろう。
私は大きくなり、父は年をとった。
釣りに行かなくなった二人の話題は、釣りキチ三平と、あとは絵の描き方だった。
ほんの手ほどきだけ、父に絵を教わったことがある。
だが「じゃあ、今度は影のつけかたを教えるからな」と約束したきり、絵画教室は無くなってしまった。
母が心臓病で倒れたからだ。
母は軽度の障害をもったが、回復した。
私と父は、母を助け、愛し、支えることで一つになった。
そんな父も、63才のとき病に倒れた。
一年弱の闘病生活において、父は絵を描きまくった。
仕事を引退したら、好きなだけ絵を描きたい、と語っていたのを思い出す。
父は目に映るすべてのものを絵にしていた。果物、魚、窓から見える風景、つぼみのままの植物たち、建設中のビル、看護婦さん、花瓶に生けられる花々、何もかもが美しく見えたのかも知れない。
私も、同じベッドに腰掛けて、父と一緒に絵を描いた。
私は、父が好きだった魚の絵を。
そして父は、そのころ仏画ばかりを描いていた。
死ぬ直前の、それが父との最後の思い出だった。
私は、冷めた子だった。
小さな頃、いっしょにテレビでロッキーを観たことがあるが、父が燃えているのに、横で冷めている自分がいた。
でも今は、ロッキーを見て燃える。
苦労して、誰もがあきらめるような状況を耐え抜いて、勝利をつかむ、その姿が父を燃やしたのだろう。
正月に墓参りに行った後だったからかもしれない、父が死んだのが、冬だったからかもしれない。
この冬は、妙に父を近くに感じる。
そして、父が得たものと、おそらくは同じ種類の感動を、ロッキーを観ながら、私は感じていた。
父も、この映画が好きだった。
いまは実感をもって、そう思える。
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2001.01.01 mon 〜 2001.01.03
wed
今年もやめておこうかと思いましたが、土壇場になって描きました。
ディフォルメ+アニメ塗りは、凄まじく楽だというのが、2000年最後の発見でした。
と思った方が上のボタンを押すと、初めての方は、当日記がエントリーされている日記才人の、投票者登録画面に移ります。
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