2000.08.30 wed 〜 2000.08.31 thu

実は、8月の中頃から、転勤をしてきている。
1999年の9月まで勤めていたF店に戻ってきたのだ。一年ぶりである。

そういえば、日記を書き始めたのも、この店にいるときだった。
この店の思い出は、たくさんある。

二年半の間、はじめて店長として勤めた店だ。
当時はなりたてで大変な思いをしながら勤めたが、今は、なんて楽なのだろうと驚く。他店を回る間に、少しは成長していたようだ。(F店は、他店のように階段の昇降がないので、体重的に楽、という説も)

店に自転車がつっこんできたり、自動車がつっこんできたり、店の前にたむろする中学生を追っ払ったり、コンピュータ書の売場に、異常に執着したり、とりわけCG系書籍の売場にこだわったり、当時は少なかったコミックっぽいCGを描く本を探して置いたり、人体のデッサンの本を置いたり、万引きを捕まえたり、他にも様々な都合で書くことのできない、それはもう色々なことがあった。


そういえば、しろやぎさんと出会ったのも、この店だ。
たしか5月に同人誌作成応援企画として、マンガ関係の画材と関連書籍をコーナー化しようとしたことがあった。構成の参考に、いかにも「マンガ者です」という感じでスクリーントーンなどを物色しているお客様に、何度か声をかけ、どういう画材があると便利か、というのをアンケートしていたのである。
そこで意気投合してしまったのが、しろやぎさんだった。

しみじみ思い出していると、ちょうど店に来ていらした。(その様子は、しろやぎさんの身辺覚え書きにも書いてあるので、見解の違いを楽しもう!)
お変わりないようである。

「高橋葉介先生の学校怪談ってランクいくつですか?」などと質問し、濃ゆいところを見せてくださる所など、相変わらずだ。ランクというのは、出版社がつけた本に対する評価で、注文書に記載されている。多くの書店はこれを仕入れの目安にしているのだ。

「夢幻紳士」のコミック文庫を手に入れて「ああ〜、高橋せんせ〜、ああ〜」と身悶えしている様子も変わりない。

最初に会ったとき、自分にしては珍しくまともな友人ができたと思っていたが、やはりアレだった。

この人だけは、まともだと思っていたのになあ、と懐かしく思い出す。


そういえば、二人ともマックのパフォーマユーザーという点でも意気投合していた。小野塚カホルさん(漫画家)もパフォーマなんだよ(しかもうちと同じ、黒の5440)などと話しながらソフトの話になる。

「そういえば・・・」としろやぎさんが手を合わせた。
彼女の仕事場には、フォトショップやイラストレータがあり、自分もCD-Rに焼いて貰っているので、一枚差し上げましょうか? という。
買えば10万から10万以上するものである。正直ほしいソフトであるが、そのお話は、やんわりと断った。

いま、私がメインで使っているのはペインター4.0である。パフォーマについてきたフォトデラックス1.0も併用している。これにこだわるのには理由があった。


このF店でのことである。
コピックという、発色の良い、それゆえ少々高価なカラーマーカーペンを何本も万引きした少女を捕まえたことがあった。
話を聞くと、イラストを描いているという。私はその少女に言った。

「盗んだ画材で、良い絵が描けるものか」

盗んだ後ろめたさを押し隠しても、それは絵に出る。それに楽しく描けない。もしそういった罪悪感を感じないような、麻痺した感性なら、そんな御粗末なセンスで絵を描いても無駄なだけだ。

画材は、磨き抜かれた画力の、さらなる延長なのだから。

私は、そう告げた。
少女は泣いていた。


自分も、知人や上司から、ソフトを借りてインストールすることはある。
友人に焼いてもらったCD-Rで音楽やゲームを楽しんだりもする。

だが、絵のソフトだけは、自分で買うことにしている。
楽しんで絵を描きたい。
楽しんで描いた絵は、とても愛着があって可愛い。
自分の頭の中にあるイメージを、絵として産むとき、盗品を使うことでその絵を汚したくないのだ。

著作権への意識でも、正義でもない。
ただの、こだわりである。

「でも、自分はそうありたいから、せっかくの申し出だけど、お断りするよ・・・ってええ話やんけー! おいちゃん自分で語って感動したとよ。これ日記に書いても良い?」

真剣に感動していたしろやぎさんが、最後で脱力して座り込む。

「ああ、せっかく感動的だったのに・・・」
「すまん、こういうキャラクターなんだ、日記者というのは」



あまり長くいるとお仕事の邪魔だから、と気を遣って帰るしろやぎさんを見送る。

F店では、実に様々な出会いがあった。
ここにも、あと一ヶ月ほど勤めるだけだ。やがて、また本店に帰ることになる。たぶん、二度と人事で来ることはないだろう。
F店は、他店に比べると規模が小さいが、そのぶん全体の把握がしやすいし、これでも充分な本が置ける。従業員の数も少なくて大丈夫だし、お客様も多い。長く勤めた愛着も含め、この店は、良い店に思える。

ここに勤められるのも、あと三週間しかない。がんばろう。






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2000.08.26 sat 〜 2000.08.29 tue

最近の日記が遅れ気味なのは、けっして、Kanonにハマっているからではありません。

それは、なんというか、その、大人の事情です。




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2000.08.24 thu 〜 2000.08.25 fri

寝言日記は「日記」という体裁をとっている。
だが、その実体は、「天野の日常」が半分と、それ以外は、「文章によるお笑い芸のネタ帳」のようなものだ。

当然、その内容を面白くするためには脚色も欠かせない。

真実をそのまま描くと、間接的に何らかの方面に被害の及ぶことがある。
それを避けるために、登場人物を入れ替えたり、ありもしなかった会話を挿入することで、誤魔化してきたのだ。

そんなわけで、今回の「激突! 牛モツ歌合戦は、ねこーねこー日記」には、多分に脚色が混じっている。

もう、本当に脚色だらけ。むしろフィクションと認識していただけると諸方面が助かる。従って、今日の日記における真実はわずかであり、おおよそは、天野のでっち上げであると信じて読んで欲しい。この中で、どれほど克明に登場人物の言動が描写されていても、それは脚色である。脚色だ。脚色なの。きゃーくーしょーくーなーのーよー・・・・。




2000年8月19日。かねてから計画されていた「ヨコハマ買い出し紀行ファン東海地方人の集い」らしきものが実行された。
「ヨコハマ買い出し紀行」のファンでホームページを持ったりチャットに参加している人が、なぜか岐阜県に多い。岐阜県人以外にも、愛知や静岡からよく駆けつけてくださる方も交え、ネット上でこまかく連絡を取りつつ、開催となった。

まずは、参加者を紹介しよう。

天野 拓美(私):岐阜県・宿泊
日記記録者。文章芸人。仕事を休んでの参加。カラオケが最終的なきっかけで参加を決意。

マンデリンさん:岐阜県・宿泊
今回のホスト役。宿泊組は、彼の家にやっかいになった。天野は去年もやっかいになっている。そして昼過ぎまで寝ていた。申し訳ない。一緒に泊まったCOBRAさんは、普通に起きていたというのに。それはともかく、食事の世話から、ゲームの世話までこなす男だ。話も面白い。

ロメオさん:愛知県・日帰り
映像関係のお仕事ゆえか今回の映像記録者。食事の際でもネタになれば箸よりビデオカメラの方が軽く感じるとゆー(推測)カメラマンである。彼に撮られた映像が、どんな編集を受けるか考えると、自分の出ているところ以外は、早くみてみたいと思う。

masterpieceさん:岐阜県・日帰り
ココネを愛するココネスト。今回クラリスも好きだったことが判明。でも別に当然な気もする。たぶんきっと小山田マキも好きだ。

COBRAさん:静岡県・宿泊
情熱とロマンにすべてを委ねている男に見えるが、実は気配りの人。ぜひ友達に一人欲しいタイプ。というか既に一緒に歌った仲。うらやましいか。LDやビデオなど映像メディアをたくさん持つ。狭い日本、そんなに集めてどこに住む、という部屋になっているのではないか心配。S-VHSで井上喜久子さんの出演した「渋谷でチュッ!」を持ってきてくれたのは前回の天野家でのオフ会のことだ。ありがとう。今回は、平面彼女とともに参加。でもその彼女は、くの字になって、縛られ、まる三日ほど車のトランクに監禁されていた。

タカヒロ・Iさん:岐阜県・日帰り
未成年。上記参加者とは一回りないし一回り以上年齢が違う。高校生。あげく17才。なのに我々と話が合うのは、我々の精神基準が高校生の頃からまったく進歩していないわけではなく、彼とKamasuさんが、礼節を知っているからだと信じたい。ところで「カードキャプターさくら」が好き。丹下桜さんも好き。というかこちらが本命。さらに言えば「好き」というレベルを超越しつつある。もう超越したか。我々の年齢では取り返しがつかないようなハマり方をしているが、若すぎる激しさと思えば、まあ善し。今回のオフ会で、もっとも自爆した男。

Kamasuさん:岐阜県・日帰り
名前の由来はヨコハマ買い出し紀行に出てきたカマスだと思う。彼もタカヒロ・Iさんと同じ高校生。だが日記のネタになるのを恐れてか、自爆を避けるように慎重に振る舞う。その分、タカヒロ・Iさんの自爆が目立った。天野は彼に守護月天のイラストを描く約束をしている。


マンデリンさんやmasterpieceさん、COBRAさんは、以前から日記にも度々出ているので、ご存じの方もいるだろう。

ところで、今回の参考に、幾つかのオフミレポ(オフライン・ミーティング・レポート)を読んだ。するとあるレポートには、
「オフ会の参加者紹介は、注意しなくてはいけない」
とある。

私のように、何もかもさらけ出している人間ならともかく、参加者にまで、その事情や位置の暴露を求めてはいけないのだろう。だから「どんな仕事をしているのか、などは書かない方がいい」のである。

加えて、オフ会というのは、通常の社会人的意識が放り出される愛好者の集いである。
いわば趣味まるだしの日なのだ。
その描写は、「一歩間違うとダメ人間見本市」になる恐れもある。

慎重の上にも慎重を期さねばなるまい。



前説が長くなった。さっそくオフ会のことを書こう。

今回の集合場所は、岐阜県の奥地・モンデウス。モンデウス山のふもとにあるモンデウス休憩所前のモンデウス駐車場で集まった。
「1人はねたら1億円」という交通安全を祈る看板や「人面魚のいる店」という宣伝看板を眺めつつ車にて到着。
天野は仕事の都合で2時頃からの参加となるが、それ以外のメンバーは朝から集まり、昼食も終えたところであった。

ここでのイベントは「ラジコン」である。
マンデリンさん、masterpieceさん、ロメオさん、タカヒロ・Iさんは、マシン持参で参戦だ。私やCOBRAさん、Kamasuさんは観ているだけである。

ラジコンは面白かった。時間とお金が許すなら、わたしもやってみたい。
ロメオさんのラジコンを借りて、8の字とかやりながら、そう思う。

ふと見ると、我々とは別の人がラジコンを走らせに来ている。こちらはバッテリー動力ではなく、エンジン車だ。
モンデウスには有志が作ったレーシングコースがある。コースの縁は木の角材で組まれコースアウトしない設計だ。シケインやS字もあって、かなり本格的である。そこを、けっこうなスピードで走らせていた。
だが、一人ではしらせているように見うけられる。車の馬力は凄いが、なんだか寂しそうだ。

それはともかく、こちらの参加車は皆、そのステッカーが面白かった。
レーシングカーには、スポンサーのステッカーが貼られるものである。「F1は走る広告塔」と言われるアレだ。ところが我々には協賛団体がないので自作となる。

ココネを愛するmasterpieceさんは、ココネのステッカーを一枚だけ。

ロメオさんは、ヨコハマ買い出し紀行の「カフェ・アルファ」のロゴをステッカーにして貼っている。タカヒロ・Iさんにも貼ってあるので、従業員が出稼ぎに出なければならないような経営状態で出資しているカフェアルファは大丈夫だろうかとちょっと心配だ。ほかに劇中で「ターポン」を作ったと仮定される「大鵬重工(Taihoh Heavy Industry)」のステッカーもあった。

マンデリンさんは、渋くステッカーなし。

そしてタカヒロ・Iさんは、逆にステッカーだらけであった。
まずこれも劇中の「Musasino Delivery」彼自身のホームページの名でもある「Kissa α」そして「Daidouji co.,ltd.」だ。最後のはカードキャプターさくらである。
さらに、前後バンパーの四隅には、参加者の各ホームページのバナーを貼り付けてあり、ぶつけられそうな要所要所には、参加者の好きそうなキャラクター(ココネやアルファのバストショット)がプリントされている。「お守り」というより「脅迫」である。

そして、タカヒロ・Iさんの車のボディを、こっそりひっくり返してみると、屋根の裏側(天井)部分に、真のお守りが!

「ぶつけないでね
 ぶつけられないでね
 さくらのお願いきいてくれるよね
 ぜったい大丈夫だよね」
と書かれたステッカーに、祈るさくらの横顔がCG合成されていた。

(再現CG)

携帯電話の電池蓋の裏側に本命のプリクラを貼るようなものか!
納得して声に出し、あらためて読み上げてみると「わあ、やめてください!」とタカヒロ・Iさんが飛んでくる。しかし、その顔はニヤけていた。

まんざらでも無いらしい。その証拠に「実は・・・」といって、テールランプやヘッドライトが光る電飾も見せてくれた。
ラジコンはスピードを重視するなら軽量であるにこしたことはない。でも交換できるボディにこうしたギミックを施せるなら、いろいろできそうな遊びはある。

バンパーの各所にスイッチを設け、コースの縁や他車にぶつかるたび「ほえ〜」と丹下桜の声で悲鳴が上がったり、「ごめんなさい! ごめんなさい!」と中川亜紀子の声を響かせながらライバル車を追い抜いたりできそうだ。ただ、音声が聞きたくてぶつかってくる車もいそうで怖くはある。

この発想は、メールの着信音や警告音に声優さんの音声データを指定するのと同様の発想だが、聞いてみると、それはみんなやっていた。

ラジコンで遊ぶなら、窓に絵を描くのはどうだろう。

こんなのや

こんなのを貼った上に音声まで出させたら、妙な臨場感が楽しめるだろう。でも他人には見せられない。



一応レース用だろうか、タカヒロ・Iさんがレーシングカー然としたボディ(スカイラインGT-R)に変え、コースを走らせていた。
彼自身の操車は上手い。だが、所々でガッツンガッツンぶつけながら走っている。実車であったら死ぬ事故だが、ラジコンでは当たり前の世界だ。マシンは平気な様子で走り続ける。ラジコンはぶつけて走るものなのだろう。
そして彼は、電飾の話を聞いたあとで、せっかくだからと、そのさくらお守り付きのボディで、コースを走ってくれた。

こすりもしねえ。

こすりもしねえよ、この少年。

「愛だね」
「愛の奇跡だね」

さくらが貼ってあるだけでコンスタントに奇跡を起こす男である。
私とCOBRAさんは、感動して、走り続ける「さくら号」を、しみじみと見つめていた。



その後も、ロメオさんやmasterpieceさん、マンデリンさんのラジコンを借りながら、コースの外を自由に走らせたりしてみる。
コントローラーのハンドル部分を右に回せば、ラジコンのタイヤも右に回って右折できる。逆もそうだ。しかし、車がこちらへ向かって走っているときは、その操作は逆になる。これが難しい。

「うわー、こっちむきって操縦むつかしいな・・・。あっ 左にタカヒロ・Iさんのさくら号が! あぶねえ右によけよう!」

ぶつかりました。

フェンダーあたりに貼ってあったココネさんの顔面にアルファロメオのバンパーが激突していた。
遠くで走っているラジコンというのは、距離感がつかみにくい。masterpieceさんも、これで何度も側溝に落ちていた。


Kamasuさんは、タカヒロ・Iさんと同級生である。
趣味も近く、仲も良い。親友と呼んでいいかもしれない。
「二人は同じクラスなの?」と聞くとKamasuさんが「違いますよ」と答える。

「二人はいつから?」
「中学から・・・」

「おい」作業していたタカヒロ・Iさんが、つっこんだ。

「小・・・」

「ちょっと待て」

「・・・保育園からでした」

二人の友情は意外に不確かだった。



マンデリンさんやロメオさんは、ラジコンを持っていない参加者に快く、マシンを貸してくれる。
しかも、あちこちにバッカンバッカンぶつけているのに、怒りもせずに笑っていた。なんて心が広いんだろう。

そう思っていたら、マンデリンさんは自分の操縦で、レース場のガードに思いっきり激突。車体はクルクルと三度ほど横転し、ボンネットやルーフをガリガリこすりながら、特撮のようにコースへ復帰し、走り出した。かと思うとS字コーナーのすべてのガードにぶつかってコースクリアしている。

やはりラジコンはぶつけて走るものらしい。

マンデリンさんは「パワーがありすぎるから、ぶつかる」と言っていた。そういえばマンデリンさんは、遠方で走らせたマシンをこちらに呼び戻すとき、馬力がブレーキングしきれず、自分のマシンに轢かれていた。
「自分の運転する車に轢かれた人って、はじめてみたなあ」
これもパワーゆえか。
でも、オーナーたちが、真剣に整備している様子を見ると、やはり貸してくれるのは心の広さであろうと思う。



当日はいい天気で、アスファルトが焼けるほどだったが、高地と言うこともあって風が涼しく、過ごしやすかった。それも、徐々に日が落ちてくる。
頃合いだ。
最後のバッテリーを投入した、最終レースの開催である。

参加者のマシンにはそれぞれ特性があって面白かった。

タカヒロ・Iさんのマシンは先ほど紹介した「さくら号」(トヨタ・アルテッツァ)ではなく、レース用のボディ(スカイラインGT-R)に換装していた。
さくら号は、車の前半分が白、後ろ半分が蛍光ピンクとゆー正月にたまに走っている族車のようなカラーリングだったが、レース用の方は渋く白と銀である。

ロメオさんのマシンは、グリーンに塗装されたアルファロメオのアルファ156。細かいところのディティールが光る。モデラーの作品という感じだけに、衝突による破損が惜しい。

masterpieceさんは、黄色のフォード・ムスタング。スピードは一番かもしれない。カラーは氏の愛車、あるいはヨコハマに出た水上艇「鶚」と同じ色である。

そしてマンデリンさんは、未塗装のカバーで参戦。形状はトヨタのマーク2。透明で、中のシャーシが透けてみるので、勝手に「ドゴラ」と命名する。先刻のままのセッティングなのでパワーは凄い。ただ操作性はその分、難ありだ。いわゆる「じゃじゃうま」である。

各車がスタート位置についた。操縦者は、コース全体を見渡せる大きな足場の上に移動している。
「レディ・・・ スタート!」
タオルをフラッグ代わりに、レースが始まった。

全車ダンゴ状態でコーナーを抜け、直線へ。masterpieceさんがスピードで勝るが、タカヒロ・Iさんがコーナリングで追い抜く。ありあまるパワーでガードに激突したマンデリンさんが、そのままガードを超越、いわゆるワープでトップに立った。ロメオさんが食い下がるが、ゴールの三周目を待たずに、電気系統のトラブルでリタイヤとなる。
こう書くと格好いいが、コーナーごとに全車がどこか、あるいは他車に激突しつつの走行である。

ほとんどチキチキマシン猛レースだ。
どちらかというと耐久レースの様相を呈している。

タカヒロ・Iさんのマシンもぶつかりすぎでフロントがバキバキと割れていく、正面からみるとガイキングのフェイス・オープンだな、と思ったが、高校生には分からないネタであろう。

ぶつかる割にダメージが少ないのがマンデリンさんだ。「安いボディなのにすごい耐久性」とCMのようなことを言う。でもボディのメーカーはよく分からない。
そして最後の三周目。
ゴールをくぐったのは、一位:マンデリンさん 二位:タカヒロ・Iさん 三位:masterpieceさん リタイア:ロメオさんであった。

レースは面白かった。
ウイニングランで、もう一周だけ優雅にまわるはずが、やはり激突走行。コントロールを失って逆走してる車まで出た。
勝者を祝うシャンパンも、優勝カップもないが、長いストレートを走っていくマシンは、一瞬本物にみえるほど格好良かった。本物のレースではない。遊びだし、おもちゃだ。でも、面白い。ラジコンは面白い。

ただ、一つ残念だったのは、COBRAさんの彼女に、レースクイーンをやってもらえなかったことくらいだった。



レースのあと、片づけをする。
紙コップ一つ、ビニールの切れ端一つ残さず掃除だ。
ふと見ると、さっき一人で走らせていた人の周りに、家族とおぼしき人が集まっていた。女性はみているだけ。ぶつけるのが怖いのか、見ているだけだ。

ラジコンのおもしろさは、見ているだけでは分からない。
そしてやってみたところで、それは男にしか分からないおもしろさなのかもしれない。


我々は、モンデウスをあとにした。






「とんちゃん」という料理をご存じだろうか。
「こてっちゃん」ではない。そして豚肉料理でもない。
ついでに言えば、なにが「とんちゃん」なのか、名前の由来はハッキリしない。
だが「とんちゃん」である。これが今日の夕食だ。

調理の用意は以下の通り。
まず一斗缶の一面を切り落とし、横にする。開いている方が上。
その上で横に空気穴を明ける。
ブロックで両脇を固定する。
中に炭を入れ、火をつける。炭が熾(おこ)るまでひたすらうちわで扇ぐ。
火力がついてきたら、浅底の大鍋を乗せる。テフロンで厚手のフライパンといったおもむきだ。

買い出し部隊が帰還したので、いよいよ調理開始である。

材料
ホルモン(牛モツ):200g(×人数分)
タマネギ・キャベツ:目分量で、肉の2〜3倍

各自に皿と箸、飲み物用の紙コップが配られる。

調理方法
ぶち込んでかきまわす。
おしまい。


単純で豪快で、炭の用意をのぞけば手間のかからない、そして大変に美味い料理だった。
最初は、ほとんど野菜しか見えないくらいに山盛りなので、ベジタリアンの食事会かと思われそうだが、この野菜から煮出された水分が、牛モツからダシを誘う。
かきまぜているうちに、色が変わってくる。同時に、ふうわりと好い匂いが漂い始めた。
調味料は一味唐辛子のみ。水分が少なければ手持ちのビールやお茶を入れる。
全体に火が通ったら、完成だ。

「(タカヒロ・Iさんのおかげで日記のネタが確保できたことに)かんぱーい!」
と音頭をとって食事がはじまる。

ひとくち食べてみると、これが甘い。タマネギからでた甘さと肉の味、そしてそれぞれの食感が、このボリュームで食べられるというのは、とても魅力的だ。
この料理の良いところは、やはり豪快だという点だと思う。炭火の遠火で焼くせいか料理がベトついてないし美味い。家庭でガスの火で作っては、こうはいかないだろう。

実家の祖母が目の前で鶏をシメてる様子を幼少期に目の当たりにして以来、肉が食べられない(ハンバーグやソーセージなどの加工食品は大丈夫)とゆーmasterpieceさんが、野菜だけをショリショリ食べている。なんだか可哀想だ。

だが、実際にはそんなことを思う間もなく、みんな遠慮なしに料理に飛びついていた。私もこのときのことは今ひとつ憶えていない。中盤で投入されたうどんがまた美味で、すぐに片づく。炭を補充して二杯目がはじまった。

このときは色んな話をした。マンガのこと、ゲームのこと、ふと見ると日が暮れていて、真っ暗な中、とおくに街頭の灯りがちらほら見えること。空気が美味いこと。不思議と蚊がよってこないこと。とんちゃんが美味しいこと。こうして集まれることが楽しいこと・・・。

「あのとき抱き枕を買っときゃ良かったかな・・・」

不意にタカヒロ・Iさんが呟いた。全員が注目する。タカヒロ・Iさんが、しまったという顔をしたときには、すでに全員が食事を中断して追求していた。

「なんだなんだ」
「誰の抱き枕だ」
「さくら? さくらの抱き枕?」
「日記に書いても良い?」
「いや、さくら以外かも」
「でも、あとはノーブルスカーレットとか、茜とか、あゆくらいだろう」
「わ、ちょっと止めてください」

サラサラサラサラサラとメモをとる私をタカヒロ・Iさんが止める。

結局、口を割らなかったので真相は分からずじまいだった。
聞くところによると、某守護月天の抱き枕持参で友人宅に宿泊する人物もいるそうなので、抱き枕というのは、やはり魅力的なのだろう。


二杯目をやや残し、食事が終わる。
本当に美味しかった。年に一度でも、こういう楽しい食事ができるというのは良いことだな、などと考えながら後かたづけをする。
時刻はすでに9時。行く予定だった温泉は、残念ながら営業時間を終えていた。

下呂温泉には、実は無料で入浴できる温泉がある。
しかも、いつでも入れる温泉だ。通称「橋の下の温泉」
だが、ここには唯一の欠点があった。

あらゆる場所から丸見えなのである。
車道から丸見え。
建物の窓から丸見え。
通行人からも丸見えだ。

「できれば行きたく無いなあ」

温泉には入りたかったが、日帰り組にも事情はある。
しかも、うち二人は高校生だ。
やむなく、その日の温泉は中止となった。今度は、もう少し早く、ラジコンを切り上げよう。


「じゃあ、カラオケですね」
ホストのマンデリンさんが次の予定を宣言したときには、すでに天野の頭の中で歌う曲のリストが組みあがっていた。
二台に分乗し、7人でカラオケボックスに向かう。
皆、カラオケに来るには久しぶりだったようだ。かく言う私も、何カ月ぶりかわからない。

広めの部屋に案内される。レーザーも通信も揃った部屋でなかなか良いが、歌帳をめくりながら、井上喜久子さんの歌が一つもないのを、ひそかに悲しむ。
隣では、丹下桜さんの歌が一つもないことを、タカヒロ・Iさんが、こっそり悲しんでいた。

「じゃあ、TVアニメ・ヒーローのページで、「あ」から順番に・・・」
と思ったが、アイアンキングを誰も歌えなかったので、各自すきな歌を歌う。

「とばっせ〜! てーっけんんん! ロケットパンチ〜♪」
いきなりマジンガーZを熱唱している自分がいた。

普段の物静かで思慮深く「お仕事はお医者さまかなにかですか?」と聞かれることもある知的な私が、一曲目から喉を轟かせ、握り固めた拳をブルブル震わせながら吠えている。
マンデリンさんとmasterpieceさんが、なかば呆れて「こんな人とは思わなかった・・・」と呟いているのを何となく尻目に「マ・ジ・ン・ガ〜〜ゼ(ツ)エーーーーッット!」と絶叫した。

メンツがメンツなので普通の歌はなし(と、くくる段階ですでに異常な歌)で行こう、というのは既に暗黙の了解である。今日は(今日も)アニメの日だ。

すぐにCOBRAさんたちが続く「ガッチャマン」「宇宙戦艦ヤマト」「サイボーグ009・誰がために戦う」「カゲスター」特撮ものが出たので私も「ロボット刑事K」このまま「忍者キャプター」とか「ぼくらのバロム1」とか「大鉄人17」に行くかと思ったら、Kamasuさんがいきなり「夢一夜」を刺す。

声が南こうせつに似ていて上手いが、なぜ、高校生がこの歌か。

だが、ここから流れが変わった。
「勇者王ガオガイガー・勇者王誕生!」「夢冒険(NHKアニメ三銃士のテーマ)」「銀河旋風ブライガー」「ルパン3世」「炎のたからもの(カリオストロの城のテーマ)」「銀河鉄道999」「草原のマルコ」あたりを歌うのが、30代前後の現代社会人グループ。

しかし、10代現役高校生グループは、なぜか玉置浩二やアリス、荒井由美、堀内孝雄で「遠くで汽笛をききながら」とかを歌う。

「何もいいことの、なかったこの街で・・・」と高校生が歌っている後で、メンバー中もっとも知的な風貌をもつmasterpieceさんが

「I am セーラームーン」

を歌ってやがる。

なんなんだ、これはと思いつつも、私が歌うのは「怪傑ズバット」だ。そして延長が許されたので「アニメタル」をこめかみあたりの血管が破裂しそうな勢いで歌う。
たまに申し訳のように高校生が「銀河鉄道999」の新しい方の劇場版(アルフィー)や「魔法騎士レイアース・ゆずれない願い」を歌い、年齢的に中間に位置するマンデリンさんが「蒼いうさぎ」をなぜか演歌調で歌う。演歌調と言うより、酒井法子のまねをしている嘉門達夫だったが、おおむね「30代は、子供の歌」「高校生は、70〜80年代歌謡曲」という構図になっていた。

次々と曲を入れていくとき、ふと「天野さんは選曲に迷いがない」と言われたことがある。
それはそうだ。すでに歌いたい曲は頭の中において検索済みで、ソートの後、順次実行しているだけなのである。

後半は、だんだん順番を無視して天野がやや歌いすぎるきらいがあったと思う。申し訳ない。
そういえば、カラオケの前に、ロメオさんから「呪いのマイク」の話を聞いた。
一度手にすれば、喉がかれるまで歌い続けるという、呪われたマイクだ。志半ばで病に倒れた演歌歌手の怨念でもこもっているのだろう。
だが、すでに自分は「ナチュラル呪いのマイク」の状態だったかもしれない。

でも歌いたかったのだ。正直なところ。
日々、車の中で歌ってはいるが、やはりカラオケというのは良い。燃えるし。なにより、仲の良い友人と行くカラオケは楽しい。


ところでレーザー併設のカラオケシステムなのだが、たまに元作品の映像が出るときがある。
上記の「ロボット刑事K」や「サイボーグ009」「仮面ライダーV3」「レッツゴー・ライダーキック」など、もう懐かしい映像があって、素晴らしい。
高校生はついてこれないが、大人どもが大喜びである。

レイアースとセラムンの映像が出たときは、皆でどよめいた。でもガンダムでは映像が出ない。「めぐりあい宇宙」や難しい「哀戦士」など歌ったが、ダメだった。あらためてサンライズの版権の厳しさを思い知る。

映像と言えば、ロメオさんが選曲した「太陽戦隊サンバルカン」も映像が懐かしくて涙が出た。サンバルカン自体は知らなくても「バル・パンサーの変身ポーズは、こうだ!」というセリフは知っている人がいるくらい有名な戦隊ものだが、さらに深いところで「愛国戦隊大日本」の元歌(サンバルカンの替え歌が大日本)という位置ももつ。

ロメオさんの歌った、この替え歌が傑作だった。
以下に歌詞を記録しておこう。





愛国戦隊大日本

一、
もしも 日本が 弱ければ
ロシアが たちまち 攻めてくる
家は焼け 畑はコルホーズ
君は シベリア送りだろう
日本は オォ 僕らの国だ
赤い敵から 守りぬくんだ
カミカゼ スキヤキ ゲイシャ
ハラキリ テンプラ フジヤマ
俺達の 日の丸が 燃えている
GROW THE SUN
RISING SUN
愛国戦隊 大日本


二、
この世に ロシアが ある限り
いつかは 日本に 攻めてくる
北の果て シベリアの 彼方から
赤の魔の手が 迫り来る
御国の四方を 守るため
兵役は オォ 国民の義務だ
カミカゼ スキヤキ ゲイシャ
ハラキリ テンプラ フジヤマ
君達も 今すぐに 銃をとれ
GROW THE SUN
RISING SUN
愛国戦隊 大日本


三、
凍らぬ 港が ある限り
ロシアは いつでも 狙ってる
尊い 犠牲を 払っても
北の土地から 追い返せ
カラフトも オォ 僕らのものだ
祖先の土地を とり戻すんだ
カミカゼ スキヤキ ゲイシャ
ハラキリ テンプラ フジヤマ
今すぐに 赤どもを ぶち殺せ
GROW THE SUN
RISING SUN
愛国戦隊 大日本


四、
北に ロシアが いる限り
北洋漁業は できやせぬ
網はさけ 漁船は 拿捕されて
又もカズノコ 高値呼ぶ
サケ マス タラも 僕らのものだ
トロール船を 追い返すんだ
カミカゼ スキヤキ ゲイシャ
ハラキリ テンプラ フジヤマ
君達も 今すぐに 出漁だ
GROW THE SUN
RISING SUN
愛国戦隊 大日本

1970〜80年代くらいの国際情勢(特に露助の脅威)と、特撮戦隊モノに興味がなければ面白くも何ともないが、両方わかる人間は大笑いだった。
ついでに、「共産戦隊ダイロシアン」の歌詞もネット上で発見したが、これはネタが被るので、掲載は止めておこう。
ちなみに、カラオケで歌われたのは、実際は一番だけだった。二〜四は、ネットで拾った歌詞である。

つづいて「バビル二世」これも替え歌だった。

一、
コンピューターに守られた
ホワイトハウスにすんでいる
アメリカ大統領
ロナルド・レーガン
自国の権威を守るため
三つのしもべに命令だ(ヤァ!)
B-1爆撃機は空を飛べ
ロサンジェルスは海をゆけ
M-1戦車は地をかけろ

二、
真空管に守られた
クレムリンにすんでいる
ソビエト書記長
ミハエル・ゴルバチョフ
おのれの地位をまもるため
三つのしもべに命令だ(ヤァ!)
バックファイヤー空を飛べ
タイフーンは海をゆけ
T-62戦車は地をかけろ

日記記録者としての客観的な視点を失うほどウケた。
レーガンとゴルバチョフなので、歌の旬は1985年あたりだろうか。
これも高校生には過去の歴史かもしれない。
しかし、こんな歌が歌えるカラオケ会というのも、滅多にないだろうな、と思う。

そして、マンデリンさんが適当に入れた「北斗の拳・YouはShock!」をみんなで熱唱。
クリスタルキングと同じコードで歌い始めたため、だれも最後まで裏返らずに歌えない。クリキンはすごい。


もう時間がない。惜しむように、「きょうもどこかでデビルマン」を、天野・COBRA二人で歌う。

モニターを見て歌うのが普通だが、これだけは、ふたり向かい合い、お互いのたぎる情熱を眼光で確認しながら歌うことができた。


午前1時。カラオケは終了した。
天野は、頭の芯の方が、なんとなくクラクラしているが、満足だった。



高校生を家に送る道すがら、イタチの話が出る。
ここはそういう地方だ。
イタチではないが、むかし私の友人の友人が、車で雉(キジ)を轢いてしまい、あわてて車から降りて、その雉をそっと拾い上げ、家に連れて帰って、鍋にして食ったという話があったが、masterpieceさんは、走行中、イタチか何かをよけて事故し、愛車を失ったことがあるそうだ。
どちらが正しいとも言えないが、地方では動物に気をつけよう。


そうこうするうちに、高校生は家につき、日帰り組は帰途についた。そのまえに、お土産をわたす。
タカヒロ・Iさんには、「人体のデッサン技法」と「バイリンガル版・カードキャプターさくら」を。
ロメオさんには、「愛 AI-REN 人」を。良い話だと思うのでおすすめだ。
masterpieceさんには「イグナクロス零号駅」。ロメオさんのもそうだが、ロボットや人外の心を描いたところがポイントであると思う。でも私としては、絵と話が好きで贈った。
そして、COBRAさんには「ぴっぴら帳(ぴっぴらノート)」。数ある動物コミックの中でも、たぶん異端であろうけれど、私は一番好きなコミックで、最近のヒットだ。これを贈る。

本屋なら、やはりお土産は本だ。自分が好きな本で、相手の知らない本であり、読んで不愉快ではなく、できれば楽しめるものを、と思って選んだ。

マンデリンさんには、すでに紹介し尽くした感があるので、お土産はお菓子を。でも、そのうち絵を一枚描いて、宿泊賃としたい。
Kamasuさんは、いまいち好みの世界が分からないので、某守護月天の絵を贈ることにした。

日帰り組が帰ると、残るのは、マンデリンさんと、COBRAさんと、私である。
忘れてましたとばかりに、ここでCOBRAさんの彼女のお披露目があった。

いつだったかに贈った「等身大・成瀬川なる」のカットアウトである。今日はわざわざ静岡からおこし願った。
私も梱包されたまま贈ったので、実物を見るのは初めてだ。COBRAさんは、毎日この「なる」に見下されているのかと思うと、危険な魅力がある。
水着に薄いパレオで、レースクイーン風に見えなくもないが、ラジコンの会場でこれを出していたら、空しさ倍増だったろう。

その後ネットの話に興じるが、前日4時に出発したCOBRAさんがダウンし、5時頃就寝した。




NHKのど自慢のキンコンカンで目を覚ます。
まだハッキリしない意識の中、アニメソングで出られるだろうかと考えていると、目が覚めてきた。

同じ頃おきたマンデリンさんと、とっくに起きていたCOBRAさんで今日の予定を話す。
マンデリンさんが「お風呂にしますか? それともご飯?」と新妻のようなことを聞いてきた。

まずはお前からだーっ
というオヤジなギャグが定番だが、ここでそれをやったら日記に書かれまいかと、COBRAさんが切り返せず、迷っているようなので

「うむ! では先に風呂を食べて、あとで飯に入ろう!」と助け船を出した。

やっぱり檜(ひのき)は歯ごたえがあるなあ。
うーむいい炊き具合の飯だ。今夜の米は何だ。こしひかりでございます。
とか身も蓋もないことを考えながら、とりあえず昼食に出る。

「緑の館」という、世界中のコーヒーというコーヒーの全バリエーションが載っているのではないかと思うくらい豊富なメニューを誇る店に行く。コーヒーの譜だけで何ページもあった。美味。

今日の予定は、温泉と、COBRAさんの車にマンデリンさんがオーディオをつけること、そしてタカヒロ・Iさんが「ぜひ天野さんに「Kanon」をやって欲しい。そして感想を日記に書いて欲しい! 是非是非!」というので、私はKanonをやることになっている。

Kanonというのは、パソコン版の美少女ゲームで、いわゆる恋愛シミュレーションだ。
18禁ゲームでもあったが、今日やるのは全年齢対応版のHなシーンが無いバージョンである。秋にはドリームキャスト版の発売も決まっているそうだ。

オーディオの設置は手伝えないので、その間にKanonを始める。しばらくやったが、終われないので、二人には温泉に行ってもらった。



そして開始から六時間後。

温泉から帰った二人に、真っ白に燃え尽きた天野は発見された。

「うわ、天野さん大丈夫?」
モニターの前に座り込んでいる私に、COBRAさんが話しかける。

「おぉ、COBRAサン、ファイトファイト。たのしいネ」
私は、のろのろとファイティングポーズをとる。

「あの稲妻みてえなマウスクリックが、こんなになっちまって・・・」
マンデリンさんが、涙声で呟いた。


Kanonは感動的だった。
恋愛シミュレーションというと、ちょっと馬鹿にしていた。実際、馬鹿にすべき作品も多くあったと思う。
だが、Kanonはシナリオが秀逸だった。物語として、とても良くできている。小説として評価しても、高度な作品だった。
ゲームに感動を求める自分としては、これの評価は高い。

ソウルエッジという格闘ゲームがあったが、ゲームシステムは良くできているのに、文芸がショボすぎて、私は「クソゲー」呼ばわりしている。文芸のうまさ、シナリオの出来は、ゲームにとって、やはり大切だ。

だが、ここでKanon自体に対するコメントは控えておこう。
物語には謎が多く、一回のシナリオクリアでは、その全体像や解釈がつかみきれないのだ。
これは、またプレイしたときに、イラストとともに、コンテンツにしたい。



気がつくと10時ちかい。
翌朝は仕事なので、別れを惜しみ、帰途についた。

楽しいオフ会だった。とても良いリフレッシュになったと思う。
ラジコン、とんちゃん、カラオケ、ゲーム。思い返すと最後が異常だったが、今度は、ちゃんと温泉も皆で入りたい。COBRAさんの持ってきて、ついに出来ずじまいだった「カタン」というゲームもやってみたかったし、私が持ってきていた「音効さん」のダイジェストテープも皆で鑑賞したかった。
心残りはあるが、我々は、会おうと思えば、なんとか会える場所に住んでいる。
今度も、すぐに会うことが出来るだろう。


家まで道を半ばを進んだところで、ふと気がついた。
今回のオフ会で、やってなかったことがあったのだ。

気がついている人もいたかもしれない。
「ヨコハマ買い出し紀行」ファンの集いだったのだが、
ついにヨコハマ買い出し紀行の話が、ほとんど出なかったのだ。
今度は、かならずヨコハマの話もしよう。

ひとりで「おいおい」とつっこみながら、そう思った。










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2000.08.19 sat 〜 2000.08.23 wed

8月19日、20日と「ヨコハマ買い出し紀行」ファンによるオフ会がありました。

その内容を、例によって諸方面(一部除く)の承諾・理解のもと、カラオケで必要以上にアツかった上に、ちょっとだけ頭がイタかった男・天野が、現在鋭意執筆中!

アップに先駆けて、その内容を、一言だけ公開しよう!

「人面魚のいる店」

参加者各位(一部除く)は特に、乞う!ご期待である!













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2000.08.17 thu 〜 2000.08.18fri

「もののけ姫」の続きである。

都合三回みた「もののけ姫」だが、はじめて観たとき、ラストにやや疑問があった。
終わり方が、妙にスッキリしないのだ。

事情があるのは分かるが、なぜアシタカとサンは一緒になれないのか。
この二人が一緒になれば、ハッピーエンドとして感動的になるのに・・・と思ったのだ。

最後にぐわーっと盛り上がらない。二人がはじめて協力でき、破滅へ向かう事態を解決できたというのに、その後、ふたりは分かれてしまう。陳腐かもしれないが、一緒になる未来を描いても良いのではないか、そう思った。
監督は、なぜスッキリと感動的に終わらせなかったのだろう。
わたしは、ここに「ナウシカ」の清算があったと思う。

「風の谷のナウシカ」は1984年のスタジオジブリ作品である。
見ていない人がいたら、これこそ勧めるが、感動的な映画であった。
腐海と呼ばれる、人間に有害な瘴気を放つカビの森が人界を侵しつつある世界。その森は、もとは人間が戦争によって汚した大地を浄化するために発生したものだった。生物兵器か細菌兵器か、あるいは放射性物質かもしれないが、腐海の木々は、それを吸い、きれいにしてから砂と化していく。しかし、人間は生活と版図のために、その森を焼こうとした。真理を知るナウシカは、共存の道を行こうとする。

この映画でもっとも感動的だったのは、ラストでのナウシカ復活のシーンである。
ここは、いま観ても感動する。「ああ、いい映画だな」と思う。

好きな映画なので悪く言いたくないが、実は、ここが映画「風の谷のナウシカ」の最大の問題点だといわれているのだ。

ナウシカで「自然と人間の共存」という問題提起がされた。本来、それを視聴者にも考えて欲しい、という意味で映画が作られたのだと思う。
ところがあまりに感動的に終わってしまったので、そのカタルシスに誰もが「スッキリ」してしまい、「自然と人間の共存」というテーマを忘れてしまったのだ。

問題意識のある作品に出会うと、我々はつい「ああ、なにか大切な話を聞いたな」と思ってしまい、しかもそこで終わってしまうことが多い。
その「大切な話」をした人の志を考えると、本来、我々の一人一人がその問題に解決を見いだす努力をするべきなのに。

ここを、結果として感動とカタルシスで誤魔化してしまったのが、ナウシカであった。
むかし何かで読んだ高畑勲プロデューサーの、ナウシカへの批判は、そんな内容だったと思う。なにせ、いつ何で読んだのかすら覚えていないので確かではないが。

ナウシカには原作がある。こちらは映画と異なり、その後のナウシカの歩みが、長く描かれることになる。
ラピュタ、トトロ、そして魔女の宅急便と、映画仕事の度に休載していたが、ついに完結した。この原作完結の上での、もののけ姫製作だった。

「もののけ姫」は「風の谷のナウシカ」と違い、感動によってスッキリとは終わらなかった。
エンターテインメントに徹して、感動的に終わらせるのは簡単だったろう。アシタカとサンのロマンスをもっと甘〜く入れればいいし、アシタカというキャラクターも、もっと同情をうけるように描くことも出来るはずだ。ラブロマンスとしても完成しうるし、「みんなでわーい」な終わり方でも良かったと思う。

しかし、もののけ姫では、問題に対する解決は提示されていないが、少なくとも、感動で誤魔化しはしなかった。

これは、ナウシカの時に放り出した命題の、清算だったのだと思う。
命題は、感動で誤魔化されず、監督から、我々に向けて投げられた。
感動を「与える」ことではなく、テーマに向き合って「考える道」を、監督は残そうとしたのではないだろうか。





ところで、レンタルしても期間内に見ることが出来ず返却したこともある、この「もののけ姫」だが、観る以前に、会社のパートさんに言われたことがある。
「店長って、しし神さまに似てますね」
観る前は、どういう意味だろう。と思っていた。

見た。

どういう意味だ。

性格が、だろうか。でも、しし神さまの性格は、ただでさえよく分からない。

真意は不明である。今度そのパートさんに会ったら、聞いてみよう。









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2000.08.14 mon 〜 2000.08.16 wed

「もののけ姫」を三回見た。

今頃である。なんか最近は、今頃ネタが多くて恐縮だ。
物語の詳細は省く。そして細かいがネタバレもあるので観ていない人は注意してほしい。ところで観ていない人には、まったく分からない日記でもある。最近こればかりですまない。

率直に、観た感想は面白かった。
友人から、アシタカという青年が女性に人気であると聞いていたが、観てみてなるほどだ。男が見ても惚れ惚れする。
私は、彼が気になって、三回みたと言っても良いだろう。驚くべきことだが、サンは私にとって、彼のおまけであった。

アシタカは、呪われた力の故かもしれないが、すさまじい膂力(りょりょく)をもつ。
そして、その決断力と、躊躇無き物言いが見事である。
「おまえにサンが救えるか!?」
「ともに生きることはできる!」
映画を見れば分かるが、生半可な決意では言えないことである。あの状況で迷いもせずこんな言葉が出るのが凄い。
彼の言動は見事である。

だが、一瞬冷静になって考えると、この見事さは、ふつう異常であることに気がついた。
もっと、内面のドロドロした葛藤や、挫折を乗り越えて決意する、とかいった場面があっても良いと思ったのだ。

ところが作中、アシタカの心理描写は、ほとんどない。
そもそも「もののけ姫」自体が、ほとんど行動描写だけで進められる映画だ。
タタリを受けて村を出るときや、呪いの苦痛に苦しむときなど、彼の悩みや苦しみが「わかりやすく」「同情されやすく」描かれることは、とても少ない。タタリに対する気持ちも、エボシを斬ろうとした右腕の衝動において、はじめて激しい恨みがあったことを知るほどだ。

観客は、「ただ観ているだけ」ではアシタカの中に入っていけない。感情移入しにくいのである。

だが、私は彼が凄く気にいっている。なぜだろう。

アシタカの行動、あるいはわずかな目の表情などに秘められた、描かれていない彼の内面、影の生活を想像しながら三回目を観た。我ながらよく観る時間がある。映画自体が面白いから観られたというのもあるかもしれない。
エボシとの問答に、見事なほど敢然と言い切る姿勢や、制止を聞かず歩む姿など、立派と言える彼の行動の影には、その以前に凄まじいほどの悩む姿があったのではないかと、私は思った。
村を出る前には、涙すらあったかもしれない。

そう思ってみていくと分かる。彼の行動は、相当な迷いと、それでも突き進む勇気の結果なのだ。

ただ、その影の生活は描かれていない。描かれれば、その挫折と苦しみを乗り越える姿に、観客は感情移入できたと思う。
その影の生活を想起させる部分以外は、「わざと」描かれなかったのだ。


それに気づいたとき、初めて、彼にひかれた理由が分かった。

苦悩もある、絶望もある。

しかしそれを表に出さず、つねに最善を目指して行動する姿に引きつけられたのだ。

それは演出かもしれない。
だが、それ自体が、彼を、その内面の葛藤、激しい憂悶をひけらかして同情や憐憫を得るような男ではないということの、意図的な演出なのだ。

これを素晴らしいと思い、同調したのだ。
だからアシタカを尊敬し、理解したかったのだろう。
三回みてわかった。アシタカにひかれた理由は、これだった。

彼の道は、理解も同情も憐憫も求めず、最善を目指すだけの道である。

この道に同調できない人には、アシタカはただの超人にしか見えないに違いない。



ところで、ラスト前に、私の好きなシーンがある。
「憎しみと恨みの姿」に誰よりも悩んだは、アシタカであろう。その身にジワリジワリと侵略するタタリを受け、いつ死ぬやもしれない恐怖との戦いである。
そんなアシタカが、泣いて彼を拒絶し「もうだめだ。森は死んでしまった」と絶望し、みたこともないほど打ちのめされたサンを、包むように力強く抱きしめる場面がある。
このときアシタカの内面に想いを馳せながら観ていると、画面のふたりに吸い寄せられるような感動があった。







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2000.08.12 sat 〜 2000.08.13 holy

今頃なのだが、「鉄拳2」の話である。

ゲームは昔からけっこうする方で、最近だと、ちょっと前に書いたとおり「プリンセスメーカー」「さらば宇宙戦艦ヤマト」例によって1980円になったので購入した「パラサイト・イブ」などをやった。
意外といわれるが、ギャルゲーの類はあまりやらない。上述のプリメ以外は「卒業2」をプレステ購入当時にやったくらいだ。

いまあるディスクをパラパラと見ていくと、自分の持っているゲームにある種の分類があることを発見した。

1:殴って殺すゲーム
2:撃って殺すゲーム
3:戦術的に殺すゲーム

殺すゲームばかりである。

RPGと格闘とアクションシューティングとシミュレーションが大多数なのだから無理もない。
何か不毛な気もするが、まあ、ゲームなので良しとしよう。

ところで、ふと、無性にゲームがやりたくなるときがある。
なぜかそういうときは、たいがい時間がない。
もう寝る時間であるとか、日記がうまく書けないのに日付が四日も回ってしまったときなどである。

何かへの逃避行動として、ゲームを求めるのかもしれない。
逃避とわかっていても、それでもやる場合、短い時間で楽しめるゲームといえば、格闘ゲームであろう。(私だけか?)

格ゲーの命は、操作の爽快感だと思うがどうだろう。
懐かしいストリートファイター2からはじまった(と思う)、あのグルッと方向キーをまわしてパンチの波動拳などの操作は、慣れてしまえばとても気分がいい。
感情移入がしやすいのだ。

いま持っているディスクの中で、操作の爽快感が一番良いのは「鉄拳2」である。
「3」も「タッグトーナメント」も出ているのに、いまだにこれがお気に入りで、平八さんとミシェールとジャック2を好んで使っている。

鉄拳は各キャラのエンディングが良くできていて、とくにアーマーキングのそれが秀逸だ。
歓声とともに光の中へ消えていく彼を見るたび、うーん、かっこいい、とつぶやく。
そして、聞き慣れたエンディングテーマがはじまるのだ。

この歌詞がなんと言っているのか、不明である。

「朝〜。ウィ〜イ〜ウィ〜リ〜」とはじまるのでディオ様のお目覚めかと思うと

「朝〜、夜に〜、神頼み〜と〜、左に蹴り〜」と続く。

左に蹴り、というあたりが、かろうじて鉄拳ぽいが、意味は厳然として不明である。

この後はさらに言葉としてすら判別不能なのだが、誰か歌詞の意味を知っている人がいたら教えていただいたいものだ。

鉄拳2は全キャラクリアしたし、隠しモードもやったので、自分の中では完結しているのだが、この歌の意味だけがいまだもって不明である。
意味があるなら知りたいが、知ってしまったら、もう鉄拳2をやらなくなってしまうかもしれない。
そんな気がする。それがちょっと寂しい。






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2000.08.10 thu 〜 2000.08.11 fri

暑い。
という割には、もう秋の蝶や花がちらほらしている。暦(こよみ)は自然に対して正確だ。

冷たいものでも飲もうと、仕事の合間に利用した自動販売機で、珍しく当たりが出た。
この間、墓参りに行ったのが、先祖にウケたらしい。
そして今日は、中学生の女の子が職場見学に来た。
中学生の女子、とあっては何か日記のネタになるだろうかと観察・思案したが、ならず。普通の、小説とハムスターが好きな子だった。
ただ、綾波レイが14才というのはウソだな、と思った。

その後、いろいろあったが、諸般の事情で公開できず。
事情がわかる人は「ああ」とうなずくであろう。







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2000.08.08 tue 〜 2000.08.09 wed

絵を描いているときなどに、ビデオを流しっぱなしにしておく癖がある。
最近のヘビーローエーションは、ガオガイガーガメラだ。たまに思い出したようにブルース・ブラザーズを流したりもする。
一本のテープに、3・2・1と逆から録画されているガメラを、何度も繰り返し見ることがあるのだが、やはり「ガメラ3」が一番のお気に入りだ。

映画のラストでは、ガメラ1で、一匹倒すにもあれほど苦戦したギャオスが、空を覆うほどの群をなして日本に飛来するシーンがある。
ギャオスと戦うことを使命とし、宿命とするガメラが、それを迎え撃つ決意の咆吼をあげる。呼応するように燃え上がる炎。
だがすでに、直前にあったイリスとの戦闘で、腹をブチ抜かれ、血を吸われ、脱出のために自ら右腕を焼き切ったガメラである。その前には自衛隊のミサイルを二発喰らい、墜落していた。
人間なら絶対安静くらいの状態である。巨大生物とはいえ、もはや満足な戦闘能力は皆無に等しい。

そこへ押し寄せる、圧倒的な、理不尽とさえ言える敵の大群である。
およそ絶望的な、そして凄絶な戦いがはじまる・・・というところで、映画はエンディングのクレジットロールになった。

ガメラ3は、このように「最後を見せない」終わり方をする映画だった。
結末は謎である。
そして終わってしまう映画なのだ。

この後のガメラの運命は、鑑賞者の内面に委(ゆだ)ねられ、無限の可能性を持つ。
ガメラが為す術もなく、ギャオスに切り刻まれ、肉塊と化してしまうのか、あるいは、この戦いにおいて、ほとんど不可能と思える勝利を、ボロボロになりながらも、それでもつかむのか。
実は、そこで自身の頭に浮かんだ結末こそ、観賞者の内面を写すものなのである、と最近気がついた。

圧倒的多数で押し寄せるギャオスという運命。
それは日常のなかにある理不尽な出来事なのかもしれない。
抗(あらが)いようもない、社会のきまりなのかもしれない。
あるいは、いま自分をとりまいている過酷な環境なのかもしれない。

「ギャオスとの戦いは、どうなるのだろう」と考える観賞者の脳裏に、フッと浮かんだガメラの姿。
それは、過酷な環境に対峙したときの自分自身の姿なのだ。


ズタボロになりながらも、ついに一匹残らずギャオスを殲滅し、おびただしい死体の中心に雄々しく屹立するガメラの姿が、頭に浮かぶ。
私は、こんなラストを想起させられた。

ただ、これは決して自分の内面がたくましいのではない。
この映画自体のメッセージが、運命に立ち向かう誇り高い姿であれ、ということなのだと思う。
それを、しっかりと受け止めることが出来たのだろう。



そう思って見返してみると、長峰の最後の台詞は妙にうれしい。

「ガメラは、独りじゃないわ」







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2000.08.06 holy 〜 2000.08.07 mon

墓参りに行った。
草を抜き、墓石を洗い、水を換え、花を手向け、線香をあげて帰る。
借りたバケツと柄杓(ひしゃく)を片づけているとき、ふと目に付いた墓碑があった。

お菓子のラムネや、おまけのついたチョコ、スーパーで売っていそうな駄菓子やアメなどが、丁寧に並べられている。
水子供養の墓だ。

バケツを持ったまま、なぜか目が離せなくなる。
供えた、おそらくは母親であろう人が、このために、このお菓子を買うところが想像できた。
いまはもういない、その子のために、どんな気持ちで、お菓子を買うのだろう。

子供を失った親にとって、その子は、いつまで経っても子供だ。
5年、10年たっても、0才の子は0才のままである。
いつまでも、子供が好きそうなお菓子が、この墓には供えられるだろう。

時とともに、死んだ人のことは忘れられる。
だが、死んだ人への想いが強く残っているとき、墓前に立つ者の心の中は、あまり時間が流れていないように思える。
父の墓前に立ったときも、父の死がついこの間のように錯覚された。


寺の門をくぐり、駐車場へ向かう。

あの水子の墓碑の時間は、完全に止まって見えた。









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2000.08.04 fri 〜 2000.08.05 sat

夏休みに入り、読書感想文の課題図書を買いに来るお客様も増えてきた。
読書感想文といえば、いまでこそ本を読むのは好きだが、むかしはそれほど好きでもなかったことを思い出す。

小学校低学年の時だったか、本を読んで、その感想と絵を描く、という宿題があった。
今思うと現在ホームページでやっていることによく似た宿題だ。
ただ、当時の私は、絵を描くのは好きでも、本を読むのは嫌いだった。
しかし、課題自体はきちんと、しかも楽しくこなしていたのである。

これには実はわけがある。
本を読んで感想文を書くのが面倒だった私は、

自分で考えた適当な話に、自分で感想を書き、あげく絵まで設定して「読んだフリ」をしていたのである。

逆に時間がかかることをやっているようだが、興味のない本を読むより、ずっと面白かったのだ。

資料がないので完全な再現ではないが、自分でも良くできたと思ったお話が「海の仲間たち」とゆー物語だった。絵は画用紙いっぱいに無数の魚の群が泳いでいる様子を描いた。

感想文の方は
「うみのなかまたちをよんで
うみのなかまたちは、とてもおもしろいはなしだった。
たろう(主人公の魚。たぶんイナダかなにかだと思う)がサメとたたかうときめたときには、ドキドキした。
でもサメも、おなかをすかせたこどもたちのためにさかなをとらなきゃいけないというじじょうがあって、たいへんだなとおもった。
さいごにたろうのこどもたちがたのしそうにおよいでいるばめんをみて、すこしサメがかわいそうだった」

いったい、どんな話を読んだフリなのだ、自分。

先生が「これ読ませて」と追求してきたら、どうするつもりだったのだ、自分。

しかし、世の中には数え切れないほどの本があることは、子供ながらにも分かっていたので、なんとか誤魔化そうと覚悟していたような気もする。

たろうはサメに勝ったのか? どういうクライマックスがあったのか、妙に気になる。
自分で考えた話だと思うのだが、感想文の方は憶えているのに、内容の方は憶えていない。やはりその場で適当に考えた話だったようだ。


学校指定の課題図書コーナーの前で、どれも読みたくないのか、一番うすい本を買っていく学生が、結構いた。
今は、読むべき本が、夏休みの前に、決められているらしい。
全員が全員、ある限られた本を読む。それに対する感想文なら、先生も評価しやすいのだろう。

もしかしたら、全国的に必要以上にクリエイティヴな輩が多く現れてしまい、読書感想文の世界が混乱した故の処置、かもしれない。








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2000.08.01 tue 〜 2000.08.03 thu

象形文字というのだろうか、漢字の起源は、実際の存在をかたどったものが多い。

漢字を生み出した古代の中国人は、山を見て山という字を作り、魚を見て魚という字を作った。

ところで、「濃」という字がある。
この字の起源をさかのぼってみよう。









古代の中国には、ゴジラがいたらしい。

古代の中国人は、ゴジラを見て、濃という字を作ったのだろう。
ゴジラの何が濃かったのかが、唯一の疑問である。


ところで、ここに「亀」という字がある。
この字の起源もさかのぼってみればわかるが、







古代の中国にはガメラがいたらしい、ということが分かる。

だが、ともに何かの理由で絶滅し、いまはただ文字としてその姿を残すのみなのだろう。
中国の歴史というのは、つくづく奥深い。











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