2008年02月16日

「つきあってくれて、ありがと」 九女・麗(うらら)

 
 
つきあってくれて、ありがと 
 
level crossing alarm
 
   
 
 
 
イベントのから帰り道。
 
今日はすごい勢いで一日中前を歩いていた麗が、くるりと振り向いた。
 
 
 
たぶん、はじめて聞く、感謝の言葉だった。 
 
 
 

 

 

 

九女絵制作完了直後の会話

あまの 「九女の麗絵かけました」
あんよ 「おおお」
とくそん「おおおおお」
あんよ 「いや、これはいい『風景のなかの女の子』ですね。瞳が凛々しくも優しくて素敵」
あまの 「ありがとうございます」
あんよ 「これは、こんなシチュですかね」
あまの 「はい」

 

「つきあってくれて、ありがと」

こっちが返事しようとすると電車通過の警戒音が鳴り始めて、たちまち麗はさっと腰をおろしてデジカメを構えて向こう向き。

「あのさ」

「黙って!」

しょうがないので、車両通過の間は口を閉ざして麗のおしりを眺めている。

 

あまの 「いつもながらすごい瞬発力でございますな」

 

後ろ向きのまま、

「ちょっと!」

と怒鳴られて、こっちの視線に気づいたかと思いきや、

「帽子おさえてて!」

ぽすんと手を置いてやると、ちょうど通過する電車の風に長い髪がたなびく。

こんなやわらかそうな髪を、結わえもせずに冷たい強風にさらしてしまうんだから、姉達からみてもさぞもったいないんだろうな、と思いつつ。

 

あまの 「ああ、なんか視点が優しくていいですね」

 

電車が通過し終えると、デジカメを構えたままの後頭部の向こうから、かすかに白い息がひとすじ立ち上っていた。

ああ、満足げな溜息をもらしてる。

 

あんよ 「そのまま去っていく車両の音を、消えるまで黙って聞いているのかな、という感じでひとつ」
あまの 「今度はその満足そうな、無邪気な表情を描いてあげたいですね」
あんよ 「うまく撮影できた画像を見返してるとこ、とかはいかがでしょう」
あまの 「いいですね。こういう頑(かたく)なな感じの娘は、そういう解放された顔を描いてあげたい」
あまの 「あと、描いた後でナンですが、こんなとこに座ってたら、きっとお尻よごれてるだろうなあ」
とくそん「服に頓着してる姿が想像できない」
あまの 「十歳くらいでしたっけ。いまさらですが、えらく育った身体に描いてしまった」
あんよ 「胸おおきすぎますね」
あまの 「すみません」
とくそん「暫く兄と暮らした後説」
あまの 「実際、兄に笑顔を見せたり、打ち解けるまでにはけっこうな時間がかかるでしょうねえ」
とくそん「中学生になった麗ならこんな感じかなーと」
あんよ 「いい塩梅ですね」
あまの 「ずっとこの服なのかしら。一万年と二千年前から同じ服ー♪ という歌が唐突に想起されました」
とくそん「そいえば、姉妹の服が殆ど違うんですよね」
あんよ 「蛍の手製かも」
あんよ 「撮影用の機材などは兄が背負ってるんだなきっと」
とくそん「麗のって制服なんだろうか」
あんよ 「麗の服装は、なるべくちゃらちゃらしていない、女の子らしからぬのを着ようとした結果、かえって魅力倍増ということかしらん」


BGMは「飯田線のバラード」

麗の絵を描いてみて思った。 この娘は、あれだけの大家族の中にいて、すごく孤独、あるいは孤高な子だと思う。

自分の趣味に理解を示してくれる姉妹は、ほとんどいないに違いない。否定はされないが、あくまで消極的に容認という程度の距離。
姉妹以外にも、話の合いそうな鉄オタはたくさんいると思うが、彼女自身の男嫌いもあって、友人になれる人物など皆無だろう。

だから彼女は、基本的にひとりで廃線イベントに行ったり、写真をとったり、名鉄パノラマカーの発車音を録音しにいったりするのだと思う。(音鉄かどうかは勝手な推測だが)

たとえば、麗がひとりで古いラジカセもって、白線ギリギリにしゃがんで録音とかしてる様子(危険です)とか想像すると、もうその孤独がかわいそうになる。
あれだけ鉄道を愛しているのに、それを分かち合える人がいない。

それだけに、つきあってくれる兄の存在は、とまどいながらも、時間はかかりながらも、彼女を解放してくれるような、そんな気がするのだ。


これは、あんよさんが言ってくれたように「風景の中の女の子」の絵だが、その兄との関係性のある視線を描いてみた。
私は、電車のことは正直よくわからないが、鉄道関係で好きなのが「踏み切り」なので、これを「麗が愛しているもの」の象徴として背中に配してみた。描かれているのは、それごと見つめてくれる兄の視線を受けた彼女の姿である。

麗のカラーイメージは、服からもわかりやすい青。絵全体も青系フィルターでそろえてみた。
たぶん、すんごい朝はやくか、あかるい曇天のような天気の下。
いかにも情熱的な夕景や、青く抜けるような爽やかな青空は、まだこの子には似合わない。兄との間にはさむには、うすぼんやりと夜が明けていくような、青い闇が晴れていくようなそんな空気が似合うのだと思う。

資料にした踏切にはコンクリートの割れ目から雑草が大量に生い茂っていた。これを最後に描き加えようかと思っていたが、思いとどまる。草を描くのが大変だからでもあるが、冷たいコンクリートの地面は、まだ固い麗そのものの象徴のようでもあると思えた。これで、完成としたい。









2008年02月03日

ブログへの再引越と九女下絵 MovableType編

 

えーとですね。
FC2ブログに一度は引っ越したのですが、どうにも使い勝手が悪かったので、再開後の更新三回目にしてこちらに移りました。
落ち着かなくてすみません。
とくに、わざわざリンクを貼り替えてくださったサイトの管理人さまには、ホントすみません。

レンタルのブログではなく、夜想曲本体と同じサーバースペースで、Movable Typeにて展開することにしました。
ちなみにMovable Type というのは、機能拡張に定評のあるブログ用のソフトウェアで、知人の多くがつかっており、わたしもこれを導入しました。個人使用に関しては無料で提供されているのもありがたいところです。
MovableTypeの設定やプライベートの用事で時間がかかりましたが、(これからも忙しくはあるのですが)とりあえず、更新ができる環境にはなり、とりあえずやれやれです。
スタイルシート等、最低限度しかいじっていないので、これから仕様変更を重ねつつ、長女の晶ちゃんが生まれてからのことや、いろいろ書いていきたいと思います。
あと溜まってる絵の更新も。
ずいぶん前の未公開絵も多々ありますが、とりあえずは、引っ越しお騒がせのお詫びと近況の報告を兼ねて公開します。

いま描いてる九女絵(べびプリ)を!

それがおまえの近況なのかと言われれば、もう、そのとおりとしか言えないくらいに食いついてます。

 

 


 

 

線画の段階ですが、こんな感じ。 金曜と土曜の夜、妻子が寝静まった真夜中に、ちょこちょこと進めているので、いつ完成するか不明ですが、テキスト・絵などのストックを公開しつつ、その裏で描いていこうと思います。

 








2008年01月22日

べびプリ・とりあえず19女

ブログで日記を再開してみたわけだが、いまネットで一番気になるものは何かといえば、これはもう「べびプリ」にトドメをさす一度シスプリにはまった者としては当然だろう。

「全19人家族、み~んな女の子ばっかりでした!

おめでとう!! キミの本当の家族はココにいたんです!!」

シスプリのときは「またクレイジーな企画がはじまったな」と思ったが、こちらは、こう、ファンの腐れ地盤ができてる上での開戦なので、一般から「狂ってるよ!?」と言われれば「狂ってるよ!!」と小気味よく返せそうなこの恐るべき横幅の広さに、なんというか、こう、キモチヨーク踊らせてくれそうな、そんな予感がある。

だが、この傾斜を順に見ていっても「愛されそうだな」と思うキャラはいても、私個人が何かをえぐられるようなキャラがいない。

「二次と三次は別!」
「結婚しててもお兄ちゃんと呼ばれたい!!」

というツワモノ既婚者の話も聞くが、やはり結婚して満たされると、そういう情がわきにくくなるのを感じる(嫁ラブなのでこれは別にいいのだが)。
そう考えながらぼんやり眺めていると、不意に、まったく別の方向性からハッとさせられるキャラに気がついた。

十九女・あさひ
0歳児である。

たぶん、この「行くところまで行け」という宿命で出発した企画の終着ポジションが、この十九女が幼くして背負った十字架だと思うが、なんど往復してみても、この子に一番きもちが流れて行く。

きっかけは、そこだった。

うちの娘と同い年のヒロインがいる。

自然と情も流れようというものだ。しかもアニメやゲームをざっとみわたしても、O歳児という時点で、対抗馬が存在しない。

これを追っかけてみようと思った。
シスプリではずいぶん後発で絵やら文章やら書いたが、ここならリアルタイムで、しかもスタートラインからいける。
さらに、すごく有利なのは、眼蓋を閉じればリアル0歳女児が現れるので、それが資料としてすごく便利なこと。 娘をモデルにしてイラストが描ける。このアドバンテージは、そうはない。 しかも2007年は史上二番目くらいに出生率が少なかった年。 いま、十九女を愛するライバルは、そうはいまい。

一瞬、荒野にぽつんとたたずむラーメン屋の屋台が、商売敵(がたき)がいないことに歓喜してる絵が浮かんだが、まあ、それはさておき。

「べびプリ」である。
いちおう一般人な妻にも断ってみた。

「ゆきこさん」
「はい、なんですかたくみさん」
「シスプリって知ってる?」
「? いいえ? なんですかそれ」
「もとはゲーム雑誌の企画ではじまったんだけど、妹が12人いるという設定で、ゲームやアニメになったお話。わたし同人誌のお手伝いもしたことがある」
「はあ」
「で、こんど出たのが『べびプリ』っていって姉妹含めて19人。一番下の子は0歳児」
「はあ、19人ですかふむふむ」

まあ、世の中には常識では理解の難しいそーゆーよーなこともある、と、
とりあえず出生の秘密とかぜんぶ棚あげして理解する懐の広い妻

「で、これちょっと追っかけてみたいんだ」
「んー、どういうものか見せてもらえますか?」

プロローグ、メイン、日記のコーナー、マジレスの数々を拝読する妻。



なんだろう。

すごくつらい。


懸賞目当てで登録した携帯サイトから個人情報が漏れて、アダルトサイトから料金請求が来たことを笑いながら話したときの100倍くらいつらい。

しばらくして、おおざっぱに内容を理解した妻がひとこと。


「たくみさんが、つらくないのなら」


おお、妻よ。 お前はまた、なんて味のある言葉で発動承認を・・・。

仕事と子育てで忙しいのを気遣って、体力と時間についての言及だったと思うが、わたしには、

べびプリ道は修羅の道っぽいから

みたいに聞こえた。


それが真実かどうかは後の判断に任すとして、心強くも家族公認でスタートである。
まず、ここはやはり絵を描いて自分の気持ちを形にしてみよう。


19女 あさひ

モデルは晶ちゃん(うちの娘)。
はいはいしている時分なので、ちょうどピタリの年頃だ。



ところで、絵を描いていて思った。


キャラクター紹介の画面で、19女は宙に浮いている。


64㎝という身長のせいで、ほかの姉妹と並べると埋もれてしまうから、というのがレイアウト事情からの正論だと思うが、ここは「作品外部の論理ではなく作品内論理によって解釈する」というシスプリ考察の師、あんよ氏の姿勢にならい、考えてみよう。

そう、きっとこの子は、みずからの超能力で宙に浮いているのだ。

古くは「サイボーグ009」の001に例えられるように、もっとも小さきものが最高の特殊能力を持つ、という設定があるではないか。
19女は超能力者。十分にありうる。 というわけで、絵でもガラガラ(おもちゃ)を念動力で浮かしてみた。

この推測の是非は、きたるべき19女の日記を待って裁かれるだろう。 そもそもどんな日記が書けるのか、のあたりも期待される。


あと、絵を描いていてこれは無いと思った点を追記しておく。

まず、こんな時期に腕や足を出した服を着せるのはダメ。
ちゃんと長袖・長ズボン・靴下をはかせること。
それと、赤ちゃんの服に大きくて堅い部品のあるものはダメ。
あと、赤ちゃんは実際には「ばぶー」なんてイクラ語を話さない。

そのあたりから絵もアレンジしてみた。

ずっと19女ばかり描くのもナンなので「19女とほかの姉妹」という形でいろいろ描いて行けたらいいなと思う。

一番最後に生まれた者が、一番愛される。

その原則にしたがって描く「べびプリ」絵は、きっと19女を中心にあたたかな空気につつまれるはずだ。