2004.01.01 「謹賀新年」


新年あけましておめでとうございます。
旧年は、農業を志したり鉄工所での旋盤業務に携わったり二度も引っ越したり古巣の書店に戻ってシステム開発と経営業務に関わったりと年末の方は
日記も書けない大変な忙しさで、いまだに振り返る間もなく、そして、本当にいろんなことを覚えた一年だったと思います。
関係各位には本当にいろいろ御心配をおかけしました。

もう一年はがむしゃらに行こうと思います。本年もよろしくお願いいたします。

ところで更新したイラストは、1月からはアニメも始まる「マリア様がみてる」より、ゆみすけ。
知らない人は、おっきくなったちよちゃんだと思っても可。

毎年のことですが、
大晦日の夜にボブサップみながら描くパターンを、今年もやってしまいました。
いろいろ忙しいのは、ちょっとのあいだ続きそうです。




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2004.04.07 「心臓で絵をみる」


いくらなんでもちょっと尋常ではないと思ったので、日記に書いておく。
ちょっとまえに出た新刊
「ヨコハマ買い出し紀行・11巻」だが、
これを読むのにわたしは
通しで2時間くらいかかる。

108話「しずく」など、とりわけ文字のないページは、毎ページあたり1分ちかく捕まる。
ひとこまの絵が
「落ちてくる」まで待っているからだ。
じっとみる。だが細部をみない。ただ絵が見せているものをみる。
ひとこまの鑑賞におよそ数十秒、といいつつこれは適当な数値だ。時間の感覚はなくなっている。

おもえば以前にも、一枚の絵を、じっと、休憩もいれずに2時間ちかくただ見ていたことがある。
あれに近い感覚だった。どこを見るでなく、またどこを見落としている、というわけでもなく、ただそこにある絵を、そのまま落としていた。
だから、時間や条件を超越してしまうのだ。

そうして「この絵はもうみた」と思えるまでに時間がかかる。
この間は、なにも思考していない。自分がいま何を感じているのか分析せず、あるままをみている。
ただ眺めているのでもない。また細分化して読みとれる情報のみを言語に不完全変換して一般的な部分だけ記憶にのこす・・・でもない。
ごくアナログに。そのままおとす。
最初の一瞬以外は、視覚すら不要かもしれない。最後の方など、わたしはすでに目で絵をみていない。
やがて、絵が胸に落ちてくる。「腑に落ちる」という言葉がやや近い。そして、落ちきった感触があるかないかのうちに、じわりと視線を次のコマに移す。正確には、移すことを自分に許す。

「ヨコハマ」はこま割りが大きくて、話が流れていてもページあたり2コマしかなかったりする。当然ひとこましかないページもある。しかし、単行本148ページ目などでは正味2分くらい捕まった。

9時から読み始めて、11時ちょっと前。

ヨコハマ買い出し紀行11巻。総166ページ。2時間でやっと読めた。
だが、いくらなんでもちょっと尋常ではないと思う。
こんな見方ができる漫画は、これ以外わたしはしらない。



魔法の一種かもしれない。








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2004.04.13 「まこみし文庫・冬号うけとりミニオフ会」

かなり前の話だが、天野が挿絵を描かせてもらってるKanon系SS同人季刊誌
「まこみし文庫」の冬号が完成した。
そして、その現物をいただくのを口実にせいるさんラックラックさんに会ったことがある。たしか今年の1月頃のことだ。

ずいぶん時間が経ってしまったが、今日はこのことを書いておこう。


ところで、この日記では過去に数度、
せいるさんの主燃料である「ぱんつ」についての彼自身の言動を、それはもお嘘偽りなくかつ偏執狂的にしつこくしつこく描いてきた。( 2003.05.172003.06.262003.06.282003.09.02 参照)だが、その記録のことごとくにおいて彼のキャラが妙に立っていることから「天野さんはせいるさんのことを大げさに書いているのではないか」という感想を幾通かいただいている。

ほかにも「天野さんは、
いい感じにホントっぽく見えるよう真実をまぜてはいるが、その実は好きなように嘘日記を書いているのではないか」とか「天野さんは、せいるさんと会う前に実はすでにその日の日記をおおよそ書き上げていて、あとは誘導尋問で、彼にそのごとくの台詞を吐かせているだけではないか」とか「『うーん、今日の的中率は60%くらいかな』とかいう言葉を聞いたことがけっこうある」とか、この日記の信憑性を疑われているような発言も多くいただいた。

そこで今回は、これら疑いを晴らすべく、
あくまで事実のみを飾らずに記載しようと思う。「だ・である」が「だと思う・であろう」など語尾で印象や真実性がゆらぐこともあるので、できるかぎり体言止めで書くつもりだ。いささか実験的だが、ひとつこれで進めてみよう。




2004年1月某日。

某喫茶店にてせいるさんとラックラックさんに会い、出来上がった「まこみし文庫・冬号」を受領。
話題は冬号でラックラックさんの描いたぱんつについて。ほどなくして白熱化。せいるさん叫ぶ。

「ぱんつのしわの影が薄い!」

「これでいいと思」

「誤魔化しちゃダメ!」

「そんなに違わな」

「ぜんぜん違う!」

線一本いれるだけで、様式美というか!」

こだわるせいるさん。そして演説。

「そもそも、なぜぱんつなのか!」

「そこには
布を越えた何かがあるのですよ! それ単体としての宇宙が!」

宇宙的萌えについて語るせいるさん。さらに加速。気がつくとすでに別の世界。

「足から抜くじゃん!」

「足首にくるくると丸まるじゃん!」

「あれが、あれがッ!」

「靴下といっしょに、口で脱がしたい!」






テーブル周辺の一般客が突如沈黙。
ただよういたたまれない静寂。
話題変更。









比較的おちついたトピックを模索し、せいるさんがラックラックさんの誕生日に、プレゼントとしてペインター8を買い与えたという話へ仕切なおし。

「だいぶ描けるようになってきたね」と言いつつ「おみやげ」と称して

「コスチュームポーズ集(7)ねまき編」

「セレクトポーズ集(1)制服着替え編」

という、後者に至ってはあらゆる角度の着替え写真で一冊まるまる埋まっている極めて目的観に徹した機能的書物を、カバンあけてニコニコしながら取りだすせいる氏。

「ちゃんと領収書も切ってきた。『(株)まこみし文庫』で」

言いつつ、せいるさんがラックラックさんに「はい」と、書籍を譲渡。
だが、本で両者が結ばれた瞬間、その間隙に吹き出し充満する
「ラックラックさん、これ使ってぱんつの絵かいて」というせいるさんの強烈なオーラ。

「資料はぼくが買ってあげるからね」

発言とともに吐かれる
高濃度な言霊のせいか、桃色に歪んで見えるせいる氏周辺の景色。
高濃度すぎて目に沁みる痛みを覚えつつ、その言葉をきいて天野がぽんと膝をうつ。

「おお。つまりせいるさんはラックラック氏を、
自分好みのぱんつを描かせる絵師として調教しているわけですね」









ウェイトレスも近寄れない制圧半径が我々のテーブル中心に発生。










※ ディストーションフィールドによる制圧半径の例








「い・・・、いや違います。その、いいぱんつを描かせ、ああいや絵を、
いい絵を描かせるために、そう、これは彼のためを思っての、ええと、あの」

「でもせいるさん、さっき『だいぶ描けるようになってきたね』って言いながら、テーブルの下で対面に座るラックラックさんの
脚の隙間に爪先をねじ込んで焦(じ)らしてた

珈琲を吹くせいるさん。

「図星ですか」

「こっこれはほら、アレですよ? 愛らしい戯れですよ?」

絵描きさんのテンションコントロールの一環と認識。


また、せいるさんの教育ゆえかラックラック氏においては、最近
「利きぱんつ」能力の開花を確認。
コミケの企業ブースで、ある絵を見てひとこと

「この腰のラインは間違いありません。
おーじさんのぱんつです」

との発言。
調教の確実なる成果をあらわす一例として報告。


また、ラックラック氏は、目利きだけでなく、画力も向上。
まこみし文庫は夏号から次回最終巻の春号まで一年かけて四冊刊行されているが、この間におけるラックラック氏の上達は確か。
できあがった本の挿絵を見ながら、せいるさん感慨深くコメント。




「ラックラック氏に自分(せいるさん)の小説の絵を描いてもらうのが夢だった」




天野のねぎらい。

「調教の賜物ですね」

「うん。ああ、いやいや絵が上手くなって欲しいという優しい気持ちです」






以上が実際にあったこと
だけを元にした記録である。
「オーラ」のあたりや「ディストーションフィールドによる制圧半径形成」の確認は
天野の特殊能力なので信じていただくしかない。
なお、せいるさんの詳細な記憶が飛んで
「あー、ひょっとしてこんなこと言ったかもなあ」と思うようになるまで待ってこの時期に更新という作戦だなどというのは、単なる妄想であり断じて気のせいであることを注意しておこう。

そう、先の日曜日はこのミニオフ会から四半期後
「まこみし文庫・春」すなわちシリーズ最終巻の入稿が完了した日だ。あくまで、これを記念しての更新である。


件の「春号」は、
コミックレヴォリューション35にて頒布予定だ。



スペースは
「 く・54・A&B  」


  

過去の三巻も併せ、全巻の揃い踏みである。
乞う、ご期待だ。








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2004.04.15 「『チャオ、ソレッラ!』感想」


注:今回の日記は「マリア様がみてる」の特に「チャオ、ソレッラ!」読んでないと、ことさらに分かりづらいと思います。会話は黒と白で。


「マリアさまが見てるの最新刊『チャオ、ソレッラ!』を読んだ」

「だいぶ前だけどな。感想は?」

「・・・泣いた」

「ショボくて?」

「違う。まあ聞いてくれ。フライングで入手した読者が某画像掲示板に挿絵のスキャン画像をアップしてたんだが、そこで見たのが例の
滂沱志摩子さまだったわけよ。で、新刊入手直後はもう矢も盾もたまらずそのページを探してまずその前後から読んだんだけど、直前に書いてた『孤高の信仰者』で自分的にも盛り上がっていたもんだから、つい志摩子さまにもらい泣きを・・・」

「何にしても、他はともかく
『チャオ、ソレッラ!』読んで泣く奴ってちょっとおかしいよな」

「そして文庫を握りしめながら思った。『ああ、この前後にも
素晴らしい志摩子さまのエピソードがじゃんじゃんあったりするんだろうな!』と! 本場イタリアで触発された志摩子さまの信仰観とか聞けるかな、とか、その流れで幼いころの志摩子さまの物語とか収録されるんじゃないかなとか! 私の予想するエピソード内ではアレですよ、志摩子さま8才ですよ! ちっこい手を握り会わせて、どきどきしながらこっそり神様にお祈りとかするわけですよ!!」

「期待して読んだよなー」

「期待したねー」

「・・・まあ、
そんなモノァ今回もいっさい無かったわけだが」

「・・・というより、志摩子さまの出番自体すげえすくねえしよ」

「ちなみに、そのあと順を追って読んだらじわりとも泣けなかったな」

「『わたしにとって「チャオ、ソレッラ!」は
正味7ページほどしか存在しません』って誰かも言ってた」

「志摩子さま以外に見るとこ無しかい」

「それともうひとつ。由乃さんが
イタリアンマフィアの一人娘を抗争から救い出してそれが縁で姉妹になるっていう展開を、やや本気で期待していただけに残念だった」

「あー、それもあちこちで妄想されてた予想ネタだったなあ」

「『チャオ、ソレッラ!』のラストは呆然とする祐巳と頭をかかえる由乃さんと、彼女を追って転校してきたイタリア娘のウインクで終わると確信してたヨ」

「しかも、けっこう途中までな」「わたしはヴェネツィアくらいまで・・・」「
帰る直前じゃねえか」

「あと本編よんでてなんとなく
『最強妹構想』とか考えついた。
 
志摩子さまの後ろめたさと、由乃さんの病弱さと、ゆみすけの貧乏くささが合体した最強のスール」

「マイナス要素しか合体してねえ」

「だが、
個人的には最強に萌える」

「番組延長をかさねた上でダラダラ展開になった場合の最終回用キャラみたいだなあ」

「まあ、新刊は期待してた解放後の志摩子さまの内面がさして描かれてないのが残念だったが、出発前にいいエピソードがあったんでよしとしたい」

「うむ、乃梨子にはホントに感謝したい気持ちでいっぱいだ」

「ただ今回は、いろんな意味で予想を外されたな」

「むしろ、外れてない予想なんて
『みんなで行った、イッタールルルルルルィアー』くらいしか・・・」

「祐巳の代の卒業式それかい」








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おまけ

「チャオ、ソレッラ!」での涙について。

志摩子が「最後の審判」をみて泣いていた。
横にたつ祐巳がいろいろ想像して言っていたが、あれはどれもちがうと思う。志摩子の涙は、たしかに信仰に起因するものだったかもしれないが、哀れみだなんてとんでもない。
強いて言うなら、あれは再会の涙だと思う。

目にみえない神様を愛するというのは、会えない想い人、もしくは遠い昔に別れてしまった親を恋い慕うのにちょっと似ている。
志摩子は、その人と直接あうことはできない。だが、毎日その人のことを考えている。そんな彼女が、ずっと探し続けている想い人の「かけら」を見つけたときにどうなるか。
探し物をついに発見したときに似た衝撃のあとで、そのかけらに象徴される「そのひとの存在」を、彼女は感じる。

ずっとずっと毎日祈っていた相手。少しでもその人のことを知りたい。感じたい。そう思い続けてきた人のかけら。努力して探さないと日常では見つけることすら困難なそのかけら。志摩子がイタリアでみたのはとても大きな「神様のかけら」だったのだ。

胸あつくするこの慕情。我知らず膨らむ涙腺。絵をみて泣いた彼女は、そこで遠い昔に別れてしまった神と、象徴的に邂逅し、感動していたのだと思う。

遠い昔に父と死に別れた娘が、父のことを描いた一枚の絵に出会い、それを通じて再会したような。
あれは、そういった種類の感動だったと思う。





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2004.04.21 「リクエストの絵」


2004年3月1日。
紺瀬佳夏(こせ・かなつ)さんがこの世を去った。

脳内オフで象徴的に会ったことがある程度で、あとはほんの少しだけチャットをしたくらいの仲だった。同じ可憐アンテナというグループだったことくらいしか、彼女との繋がりはない。

佳夏さんが逝去してから、彼女の日記に弟さんがその報を書き込み、そこに連絡用として自身のメールアドレスを書いているのを見た。このときは、自分と彼女のかかわりがあまりにも薄いことから、ひっそりと悼むだけにしようと思っていた。

だが、
生前に一度だけ佳夏さんからメールをもらったことを思い出した。
あらためて日付を見ると農業を志していたころにいただいている。日記に対する感想だったが、最後に絵のリクエストがあった。
そして、
わたしはこのリクエストに応えてなかったのだ。

この絵を描こうと思い立ったのが、彼女が死んで四十八日目だった。せめて、まだ彼女の魂がこっちがわに近いうちにとそう思った。

内容は、生前に紺瀬佳夏さんが好きだったゲーム「月姫」の番外編的作品「歌月十夜」から、レンという少女の絵。リクエストの内容は、正確には
「レン(もしくは子犬)と秋葉でなごみ系」という要望だったが、後者の秋葉といっしょの絵というのがどうにも想像できなかったので、レンひとりで「なごみ系」の絵を描かせてもらった。(リクエストをもらったときにはなぜか「よし、レンの絵だな」と思い込んでいて、いま原文をよみかえすと主旨としてはむしろ秋葉メインだったのではないかと思えるのが申し訳ない)



レンは黒猫という一面を持っているので、やや不自然だが猫っぽいポーズに。この子のパーソナルカラーはコートの黒と、髪のすみれ色と、瞳の紅だ。だが、これではあまりにも寒すぎるので、ごらんのように問答無用の着色にして暖をとった。

ラフに簡単な着色を加えただけのものを、どうにか「四十九日」その日に送る。後に完成したこの絵を、あらためて送信した。



そして四十九日の法要が過ぎ、彼女の日記は弟さんの宣言通りに、ウェブ上から消滅した。



絵を描くあいまに、ずっと遡(さかのぼ)って読んでいた彼女の日記が消えたとき、感情の起伏が激しく、ときに落ち込み、ときに弾けていた彼女の日記のURLから「Not Found」と告げられたとき、本当に彼女が消失したことを改めて思い知らされた。なんとなく「もうメールを打っても、絶対にレスポンスは帰ってこないんだな」と思った。

この絵を描くときにどんなことに気をつけたのか、リクエストしてくれた人のイメージとどんな風に違うか。それを話したり聞いたりするのがリクエスト絵の楽しみだったが、それは既にできないのだと真っ白な画面をみて思い知った。

惜しいという気持ちもあったが、四十九日ということを考えるとこれでいいと思う。弟さんの判断は懸命だ。


ところで、その弟さんはこの絵を仏壇に飾ってくださるそうだ。
佳夏さんは直接この絵をみることはなかったが、彼女と因縁のあるひとたちの瞳を通じて、佳夏さんもきっとこの絵を見ることができると思う。

とりわけ、彼女にもっとも近い視点をもっているのが弟さんだろう。
「生前にリクエストをいただいていた絵を描かせて欲しい」と内容も告げずにメールを打ったときに、彼からは返事をいただいている。
絵については一言。



「エロ絵じゃないですよね?」



恐る恐る聞いてきたのが、いかにも彼女の弟君らしく思えて、なんだかホッとした。







ただ、絵を送ってから思った。家族を失った悲しみの前には、ろくすっぽ関わりもなかった私のこんな絵は、ただの自己満足であり、感傷にすぎないだろうと。

でも、今瀬佳夏さんはこの絵を見てくれたと思う。

そして、この絵は彼女のために描いた。

ぐちゃぐちゃと駄文を書いたが、今日のはただ、それだけの日記だ。







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2004.04.27 - 01 「社用車・1」


社用車が来た。
とはいえ、だいぶ前の話で実は秋頃だったりする。

これで釣銭の用意で銀行に行ったり、取引先に本を配達するとき、自家用車を使わなくてもよくなるわけだ。
また、他店で会議が行われるときなどにも、移動にはこの車を使用することになる。
社用車とは、うちの場合そういう目的に使うものだ。

で、とどいたのはなぜか

電気自動車だった。

「電気自動車とは、プリウスなどのハイブリッドカーと違い電動力のみで駆動する自動車です」

「いやわかってんだけどさそんなことは」

「なんかうちの社長と、この『エレクシード』のメーカー『ゼロスポーツ』の社長さんが知り合いらしくて一台
宣伝用に買ったって話だぞ」


「カタログみてる限りカッコイイよな」

「これで
銀行に行ったり、取引先をまわったりするのかー」

「逃げ出したくなってくるな・・・」

そうしてカタログに遅れて数日後、件の電気自動車が納車された。
ゼロスポーツではカラーオーダーも受け付けているそうで、届いた社用車は宣伝用にオリジナルペイントがほどこされていた。

色は、金とブルー。
ボンネットにはでかでかと社名ロゴ。

「じゃあ、とりあえず両替に銀行いってきて」

「いやだあああああああ!!」

店長がサラッというのを
全力で拒絶する。
とにかく、こんな必要以上に目立つマシーン(まあ宣伝用なのだが)に乗って晒しモノになる男気はない。
だが、新しいモノ好きの血が騒ぐのか、好奇心はすごくひかれるのは事実だ。
それに最近は住まいと勤務店が同じビルにあるせいか、生活自体がインドアすぎる。ちょっとこういうのも魅力的だ。

誰が最初に乗るか、というのを
とりあえず棚上げして、みんなで車を囲んでわいわい無責任に話した。


「うわー、ちいさい」

「ラジコンみてえ」

「これアンテナついてるしなー」

「なんで? ラジオ用?」

「いや、カタログによると
被視認用のフラグだな」

「これだけ小さい上に車高も低いから、トラックとかに巻き込まれないようにという配慮だろう」

「あー、
これで巻き込まれたら確実に死ねますね」

「公道はしれるのかな」「普通運転免許がいるって書いてあるぞ」「扱いは『第一種原動機付き自転車』だって」

「しかしこれ
『でっかい足漕ぎオモチャ』って言っても少し信じてもらえそうですよね」

「充電されてるの?」「この家庭用100Vのコンセント・・・っていうか延長コードで充電するみたいですよ」「バッテリーメーター的には満タンですね」

 

「これ、ドアもありませんね。幌(ほろ)も無いし」

「どうやって乗るの?」

「こう跨いでシートを踏んで座るみたいですよ」「F1みたいだ」

「シート狭いなあ、お尻が入らないぞ」

「一番体格のいい天野さんが乗れれば、みんな乗れるってことだよね」

「ちょっと試してみて」

「はあ、じゃちょっと。・・・お、なんとか座れますよ」

「よし、じゃあ、そのまま銀行いってきて」「まかせた」「じゃあね」「これ通帳と印鑑おいとくから」

「あ、ああ、あ、
ちょっ、ちょっと待って! たしかにインドアばっかだったけど、これちょっとアウトドアすぎるっていうか、アウトドア以前にドアどころか窓もないじゃんかこのくるま!! あ、そ、それにこれお尻が抜けないんですけどー!? え、『がんばれ被験者』って、人体実験かいー!?




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2004.04.27 - 02 「社用車・2」


何事も経験だと思うので、開き直ってとにかくこれで走ってみることにした。
恥ずかしい気持ちもあったが、内心わくわくしてもいる。

店の入っているビルから発進。店舗前から駐車場を抜けて公道にでる。
走行の感想は、まず
異様に低い視点に驚く。それだけに体感速度が強烈だ。
「ああっ女神さまっ」でも長谷川空ちゃんがカートに乗って硬直していたが、あれにちょっと近い。
時速50キロほどしか出てないが、80キロ以上に怖く感じる。でもそのスピード感はワクワクする種類の迫力だ。

あとおどろくのは風の抵抗だ。

「オープンカーって、こんなに風がすごかったんだなー」

「って、これオープンすぎるわ。窓もないぞ」

白黒で突っ込んだが、実際
おどろくべきことにフロントガラスが無い。



申し訳程度にシールドっぽいものはあるが、これは単にメーターとかのスペースを確保するためのカーブだ。なので、虫とか道路を跳ねる小石などが顔とかにぱんぱん当たる。

だが、電気自動車の規制なのか
時速57キロでリミッターがかかり、それ以上の速度は出ない。低速でのトルクは意外にあるが、スピードは出ないのだ。なので大きな道路では必然的に迷惑運転になってしまうが、このせいでフロントガラスというシールドがなくてもたいした実害はなく、運転に問題はないのだろう。

最初だれよりもこの車種の納入を喜んでいたのは、自身もS2000オーナーで
オープンカーマニアの店長だった。
だが、乗っていてオープンカーのよさがだんだん分かってくる。
解放感がとにかく凄い。バイクとは違って、ヘルメットを被らなくていいのがステキだ。
それと、この車がコミカルな印象をもっているからだろうか、
信号待ちしていると、とにかくよく話しかけてもらえる。
せっかくなのでゼロスポーツと自社の宣伝がてらいろいろ説明した。こういうふれあいもたのしい。

思えば、だいたい走行距離にして5キロくらいのところで
羞恥心が臨界点を突破して反転している。
往復12キロほどのお使いを帰ってきたときには、
すでに快感しか残ってない。

オープンカーには魔力がある
と思った。

目立つ快感というのが、たしかにある。
車は、たとえば30万円でなんとか時速100キロでる中古の軽自動車があるとして、それに対して300万円の高級車は、値段が10倍といっても別に音速を超えたりするわけではない。となると
「法定速度程度で走行する」という観点ではデザインやカラーリング、居住性など他の機能はすべて遊びとなる。
その「車は走ればそれでいい」という点でいくと、この車はそのへん走っている高級車とは比べものにならないくらいの
壮絶な無駄である。
なにせ先述のように、この車は時速57キロまでしかでない。そして本体がおよそ200万円。タイヤと塗装などのオプションがプラス50万円で、250万円だ。250万円もかけてこれだけしか走れねえ。
無駄と粋の極致である。

あまり車にお金をかけない私としては、ちょっと凄まじい。それだけに、
そこにこそ価値を見いだす人間には非常に注目される。そこらへんを走っている、いかにも「いじってます」という感じのマシンをブッちぎる目立ち方だ。これがまた快感なのである。


銀行から帰って、オープンカーの素晴らしさに目覚めた旨を報告していると、取引先のヤナセ(外車ディーラー)さんに雑誌配達する仕事が来た。
これにもエレクシードで行ってみたわけだが、さすがに自動車会社だけあって、
整備・営業総出で見物に来た。
「すごい」とか「おもしろい」とか「乗せれ」とか言われるが
おおむね笑われる。

なんか
ギャグが受けているような快感があった。これはオープンカーの魅力というかこのマシーン特有のものだろう。
雑誌の配達を終え、店舗を発進。電気自動車はガソリン車とはまったくちがう駆動をするため運転感覚もまるで違い、トルクがアクセルに完全対応しているせいか
加速が特殊だ。それが見ていてわかるのだろう。発進後に背後がどよめいているのを聞きつつ、店を後にした。
あとから聞いたところによると
「意外に素早いね」というゴキブリみたいな評価を受けていたそうだ。


そしてその後日、はじめて長距離の走行を経験する。
いままでは近場の取引先ばかりで小道ばかりだったが、今度は会議に参加するため大通りを走った。

ここでもとにかく信号待ちのたびに、トラックの運転手や車好きそうな人から
ひたすら話しかけられる。楽しい。だが、行きはともかく陽も落ちた帰りの走行で、だんだんこのエレクシードの辛さ(というか運用上の向き不向き)が分かってきた。

まず、とにかく
目が乾くのだ。
排気ガスにまみれた国道ということもあるだろうが、被眼しているわたしですら目を開けていられないときがある。やはり本来はゴーグルなどを着用すべきものなのだろう。(やはり観光地などでのんびり乗るのに向いているようだ)

できるだけ頭を低くして風の当たる面積を小さくしながら走行する。だが、
もうじき冬になりなんとする夜9時の国道21号線は、実は死ぬほど寒かった。「う、うう失敗だったかなあ」と呟きながらじわりと滲む涙が目尻で冷たくなってる。すでに鼻とか耳の感覚がない。ヘルメットがない分、外気温に晒されるのは容赦がなかった。

「う、うう、うう」とすでに歯の根が合わなくなってきているところに、追い討ちをかけるようにエレクシードが
警告音を発した。正確には「警告音声(ボイスアナウンス)」だ。海外仕様も兼ねているせいか、車載スピーカーから日本語と英語でアラートメッセージが出力される。

「バッテリーがすくなくなりました! バッテリーがすくなくなりました! バッテリーがすくなくなりました! バッテリーがすくなくなりました! 」

オープンカーで走行中にも聞こえるようにという配慮か、
実際すげえ大音量である。やかましいことこの上ない。しかも安全基準のためかボリューム調整はないのだ。最初にこの音声に気がついたのは信号待ちのときだったが、当然そとにも聞こえていて、その有様はほとんど宣伝カーである。ただでさえ目立つ外観がよりいっそう効果的だ。目の前で横断歩道をわたる子供がものすごく興味を引かれていたが、親がそれを抱きかかえて足早に渡っていくのを顔を背けてやりすごす。死ぬほど恥ずかしい。

インジケーターを見てみると、バッテリーは実に
最後の1目盛りだった。(だいたい1目盛りで5キロ走るらしい)
出発前に調べておいたところカタログによると「バッテリーの充電は8時間で、70キロ」とのことだったが

「うそつけーっっ!!」

と青信号とともに
絶叫しながら発進する。今回の走行はフル充電でスタートして往復40キロも無い距離のはずなのだ。
わたしの体重が94キロだからか? それとも常に最高時速の57キロで走ったからか!? と誰彼と無く訴える。
いま思えば両方ともが主要原因なのだが、先の8時間70キロというのは、
時速30キロで平坦地を走行した場合の数値のようだった。

ちなみに充電は家庭用100Vでできる。「電源ケーブル」というより、
そこらで売ってる延長コードでしかない線で充電されている様子はちょっと笑えるがそんなことはこの場合どうでもよく、わたしは世界中のありとあらゆる神様に祈りながら「せめて穂積大橋(帰社予定の勤務店までで最大の登坂)は越えますように」と繰り返し念じていた。

出発前の店長の談によると、こういう場合の対処法は
「大丈夫、バッテリー切れたら
押していけばいいから」
とのことだった。

「冗談じゃねえ・・・」噛みしめた歯の隙間から呪いの言葉をもらす。

ちなみにエレクシードは
総重量で400キロほどである。バッテリー動力なので乾燥重量という概念はほとんどない。盗難が恐いので、いまは店舗が入ってるビルのロビーに、保管を兼ねて展示させてもらっている。なんとか人間が押して動かせる重さだが、金とブルーのツートンカラーというオモチャみたいな外観で、さっきからひたすら「バッテリーが少なくなりました!」と人の気もしらないで激しく連呼しているこのマシンを、このうえ人力で引き回せとゆーのか。

そういえば出発前にはいろんなことを相談した。

「雨ふったらどうするんですか」

「だいじょうぶエレクシードは
完全防水だから」

そう、
幌なしのオープンカーという思い切りすぎたこの乗り物は、実は内装ごと防水なのだ。足下などには水が抜ける穴があり、ハンドルはもちろんシートもレッグスペースも小物入れも防水だ。

「へー、じゃあ雨が降っても大丈夫ですね」

「うん、
乗ってる人以外はね」

「あははは」

笑えねえ。

出発前の微笑ましいジョークを突然おもいだしたのは、眼鏡にあたるモノに気がついた時だった。

雪だった。

涙も凍っていた。











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絵描きと管理天野拓美air@asuka.niu.ne.jp