■ 2004.08.01
「絵のお仕事」
引越をした。
大垣の住処は真下の店に出勤するにはよかったが、今度のF店とは実に38キロも離れている。
しばらく通ってみたが、往復でCDニ枚がひと回りしてしまう通勤時間がばかばかしくて引越を決めた。今度も男らしく勤務店のすぐ近くだ。
ここ二年で3回目の引越である。心配になるのが「引越貧乏」だったが、これはいままでうまく回避できた。
まず最初の引越(クロカワへ)はロメオさんに手伝ってもらってのものだし、敷金も礼金もなかった。
二度目の引越はBeeさんに手伝ってもらってのものだし、県の住宅供給公社による家賃設定が安かったため、環境のわりにとても安価な敷金ですんだ。
ただ、今度は不安だった。収めた敷金・礼金というのは、修繕費だのなんだかんだであまり返ってこないと聞いていたのだ。
そしてやはり現場仕事の忙しさもあって、メインの引越は業者に依頼し、小物の整理だけかげろうさんに手伝ってもらった(ずいぶんたすかりました。ありがとうございます)。引越業者の代金は5万円くらいである。
新居の敷金礼金などが合わせて24万ほど。一気に30万ちかい出費となった。「たすけてくださいシャア少佐! 家賃が払えません!」とか小声で叫びながら、ああ、この「前の部屋に払った敷金が戻ってくるまで」が特に「引越貧乏」という奴を強調するのだな、と思い知る。
ところが引越作業も完了した後、住宅供給公社による査定がはいってみると、なんと修繕費の7000円以外は全額返却されるという。おさめた17万円がほとんど返ってくるのだ。こんどは素直に大声で叫んでおく。
岐阜県住宅供給公社すごいぞ!
岐阜県住宅供給公社さいこう!!
岐阜県住宅供給公社すてきーっっ!!!
たしかに釘打ちもせず、煙草も吸わず、台所まわりは壁にアブラが飛ばないようアルミ製のキッチンボードを貼ってはあったし、ひいこら言いながら掃除もしたが、それでも半額くらい取られるかと思っていた敷金がほとんどまるまる返ってきたのである。すごくありがたいことだった。
引越のドタバタが一段落ついてから、ふと考える。
今度の返金は「思わぬ収入」ということだと思う。
それは、なんとなく偶然とかギャンブルで得たものに似た感じで、自分には過分な所得のような気がする。
感触としては、あぶくのような銭だ。
こういうお金は私欲のために使っても何も残らないと相場が決まっている。
なので、その臨時収入で友人に食事でも奢るなど利他的に使うのが一番いい使い道だろう。
だが。
実際のところ引越の影響で金銭に不自由しているのは事実だ。できればこのお金は手元にもっておきたい。
そこで、この金銭に相当する分だけの無料奉仕をすれば、つじつまが合うのではないか、と私は考えた。
「天野さん、実はこんど『Fate』の遠坂凛を主人公に『凛々文庫(現「金属バット文庫」)』(リンク先にはまだ紹介ページがありません)っていうSS企画本が出るんですけど、私(文月さん)がSS書くので、挿絵の方おねがいできませんか」「わかりました。(当時は)Fateをやったことはありませんが、お受けしましょう」
「天野さん、こんど『クラナド』のコピー本だす予定なんですが、表紙の絵をお願いします」「わかりました。(当時は)Fateに続いてやったことないゲームの絵ということになりますが、お受けしましょう。ただ、わたしクラナドはまだ手に入れてないんですが、やらずに描いちゃまずいですかね・・・」
「天野さん、『まこみし文庫・SP』の『妖狐の御礼(もりたさんの書いた獣耳獣尻尾美少女エロSS)』の挿絵、お願いできませんか」「わかりました。最後までおつき合いしますよ。でも、なんとか誤魔化しますから、これ以上エロいのは勘弁してください」(本誌を読むと「ああ、天野さん頑張ったな」というのがよくわかると思います)
「天野さん、『アニメ版シスター・プリンセス考察大全』の表紙、本当にいいんですか?」「ええ、こんなすごい内容が絵もなしでは寂しすぎますからね。お受けします。いや、締切まで二週間ちょいしかないってのは盲点でしたが。あと、わたしアニメのシスプリ(リピュアではない方)まともに見たことないんでいろいろ教えてください」
「天野さん、『まこみし文庫・SP』のもりたさんSS以外に、風見さんSSとせいるさんSS三部作の絵(計四枚)おねがいできませんか」「わかりました。風見さんの『万華鏡くるくる』は久しぶりに震えが来たまこみしSSだったので、よろこんで」
「天野さん、『まこみし文庫・SP』のカバー裏も、一枚おねがいできませんか」「わかりました。せいるさんがかいたSSにつける絵で、美汐さんが着替えしてるシーンですね。美汐さんの脇腹にうっすら浮かんだ肋骨の影とか、おなかの肉をどの程度つけるかとか、いろいろ描きながら楽しませてもらおうとおもいます。でも、もりたさんエロSSといい、どんどん引き返せない領域に驀進してるような気がするのは私だけでしょうか・・・。先頭を後ろ向きで全力疾走しながらわたしの手をひっぱるせいるさん、ずいぶん楽しそうですね・・・。」
これでは、三ヶ月も更新がとまるわけである。
とはいえ、一度は大気圏で燃え尽きたと思われた命なので、惜しみなく絵を描こうと思う。
最初に払った17万円のうち16万円がもどってきた。通常、半分くらいさっぴかれるとして8万円。
8万円分かいたという感触が掴めるまでは、まだ絵を描くつもりだ。
自分のための絵ではなく、だれかの助けになる絵を。
本誌が発売されてない、あるいは在庫がまだある状態では、あまりサイトに載せたくないのですが、この間の実績として、とりあえず、せいるさん依頼の品(トリミングで一部カット)を掲載。一部からはバンザイの声が。
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■ 2004.08.03
「バックグラウンドムービー」
引越の前後にたくさんの絵を依頼された。
とはいえ、この一連の作画作業によって、絵を描くスピードが上がっているせいか、だいたい休みの日に作業するだけで完成させることができている。
昔からそうだが、絵を描くときには一度みたことのあるビデオなどをBGMがわりに流している。たまに筆を休めて見入ったりするのがよい休憩になるし、ビジュアルという刺激を受けるのもいい。
ところで最近、どういう絵を描くときにどういうムービーを流すといいか、その相性みたいなものが分かってきた。
今回ので一番顕著だった組み合わせが、「まこみし文庫・春号」の挿絵と映画「二百三高地」である。
さだまさしの「防人の詩」で有名な日露戦争ものの映画だ。わたしはこの映画が好きで、毎回乃木将軍にもらい泣きする。
一見まこみしとは何の関係もないように思えるが、じつは残酷だったり過酷だったりいたたまれなかったりした「辛い」映像の方が、愛情に満ちたあたたかい空気を描くのには合っていたりするらしいのだ。
美汐さんと真琴と祐一が草原で寝そべり、お互いの手を握り合っている絵。
本編のラスト、鬱屈した雰囲気の物語が見事なハッピーエンドをむかえるその晴れやかで暖かいラストシーン。
微笑み、ちょっとだけうれし涙を目尻に溜める美汐さん。
信頼と愛情をこめて握り合わされた手と手。
草原をそよ風がやさしく撫でていく・・・。
というホンワカしたいい絵を描いてるとき、わきで流れているのは、葵輝彦がロシア兵の目玉をえぐり取っているシーンである。
遮蔽物のない高地で機関銃の斉射を浴び、血煙にまみれて絶命していく数百の兵士。絶望的な状況にたえられず戦場で自殺する者、戦場で発狂する者、夜闇のなか突撃の勢いで堀に落ちてしまい、そこからはい上がるまでに対岸のトーチカからバラまかれる弾丸に惨殺されてしまう小隊。およそ悲惨という言葉がここから生まれたのではないかと思えるほどの惨劇が延々とつづく。間違いなく死んだ方が楽な生きた地獄。飯は凍り、暖はなく、血の河が流れ、高地になお死体の山が築かれる。
で、これがまた、しあわせなまこみし文庫の絵と、実に相性がいいのだ。
どういいのかは、描いてる私にしか実感できないが、もうサクサクと筆が進むのである。
単に「そのとき調子がよかった」という個人のバイオリズムのせいかとも思ったが、先日更新した「志摩子さま8歳」の絵を描いてるときにかけてたビデオは、問題作として有名な「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」であるし、「プライベート・ライアン」で描いたFateの絵(凛が桜をひざまくらしてる絵)もかなりいい調子で暖かく描けたので、やはり相互作用だろう。ただ「プライベート・ライアン」は残酷といっても「二百三高地」の比ではなかった。私の「ホンワカ系お絵描き用バックグラウンドムービー」の一番は、やはり「二百三高地」だ。
すくわれない話が、あったかい絵をかくときに相性がいいのはなぜだろうか。
話すとたいてい不思議がられるが、たぶん、スイカにかける塩、みたいなものだとわたしは思う。
あるいは、辛いものばかり食べてると、甘いものがとくに美味に感じるのと似たような感じだ。
利休さんに指摘されたのだが、やはり
「救われない話を見ていると、やさしさが出てくるからではないでしょうか」
というのが、ひとつの答えだと思う。
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■ 2004.08.08
「震える山(前編)」(※別コンテンツの「シスタープリンセス考察大全表紙絵制作ドキュメント」の一部と内容が重複します。既読の方には、前半三分の二の読み飛ばし推奨)
突然だが、アニメ版「シスター・プリンセス」全話マラソン鑑賞会というほとんど責任ある社会人にはありえない類の身内イベントがあった。7月3日のことである。
「全話マラソン鑑賞」ということは、シスプリ全26話からオープニングとエンディングなどをどう抜いても全上映には10時間ちかくかかる計算で、さらに後期アニメである「リピュア」も見たなら半日以上まるまる軟禁ということになる。
これは、そも美森さんが名古屋に寄る用事があって催されたオフ会だったが、その裏では、なつかしの脳内オフ会において「道の駅かれん」でシスプリ全話を上映するはずが実行できなかったという、あんよ氏の無念が鑑賞会の発端でもある。もうどこまでが現実なのか分からないが。
このイベント、というか「シスタープリンセス」に関わるようになったのは、このあんよさんがきっかけだった。
先の日記でも書いたが、このとき天野はあんよ氏による考察系同人誌「アニメ版シスター・プリンセス考察大全」の表紙絵を依頼されていたのだ。(実際には申し出たわけなのだが)
2004年8月現在、夜想曲のトップ絵となっているアレである。
この当時、わたしはまだ、この同人誌の主要テキストである考察本文を読んだことがなかった。
ただ氏の日記で、絵描きが求められていたので、それに乗っただけだった。
天野は、考察対象になっているアニメのシスプリについて、第二期といえる「シスタープリンセス・リピュア」だけは見たことがある。
だが(ここでは便宜上、最初にアニメ化された「シスタープリンセス」を「アニプリ」と呼ぶが、その)「アニプリ」の方のテレビ放映は、数話を流して見た程度であり、ほとんど憶えていない。あとは電撃つながりで全妹ゲスト出演の「ドッコイダー」の8話くらいしかシスプリの世界を目にしたことがないのだ。
正直きつい気もした。
なにより、まったく掴めないキャラクターを絵に描いていいものかどうか。
さらに、この時期にサイトの更新をしていなかったのは、仕事・プライベートともに大変な時期だったせいもある。期間も2週間ほどしかなく、決して暇ではない。
まして、アニメ版シスタープリンセスは、(設定の根幹は原作もゲームもそうだが)「十二人の妹と一人の兄との恋愛シミュレーション」という、わたしにとって(某所でも言われているように)「クレイジーな企画」として認識されており、どこまでも安易な「萌え」の記号とか、キャラクター商戦の道具でしかなかったのだ。
告白してしまうと、たいして乗り気ではなかった。あんよ氏との個人的な因縁しか、そこにはなかったのだ。
だが、まず手始めにと思って読んだ考察の本文に、わたしは感動させられた。
そして、いままで、どうということのない「萌えキャラ」としてしか認識できていなかった十二人(+1名)の妹たちが、そこに息づく感情をもった存在として認識されはじめたのだ。
考察で描かれる妹たちの、感動的な、そして一途な心情世界。
ビジュアルではなく、テキストで真摯に綴られたそれに触れてはじめて「この子たちって、こんなに愛すべき存在だったんだ」と気がついた。
私は、むさぼるように考察を読み進めた。
アニプリの方は、ほとんど意味を成さないごく断片的な記憶しか残ってなかったが、物語の進行を追う考察を読むだけで、それぞれのシーンが浮かんでくる。
余談だが、トップページにもかいたとおり、この考察は「アニメ版シスタープリンセスを見たことのないひとにこそお薦め」である。視聴済みの人はあらたな視点に感動するであろうし、そうでない人は、まずこの考察から読むべきかもしれない、と思う。
わたしは、読み終えて、すごい内容だと思った。
また、これは実際には絵が完成してからの感想だが、表紙絵を描く仕事を申し出てよかったと心から思った。あのまま名乗らずに放っておいたら、無味乾燥な字と枠線だけの表紙になったのかもしれないのだ。想像すると、まったくゾッとする。
読了時には、絵に投じることのできる制作期間も半ばを過ぎようとしていた。だが、それもむしろ燃えた。
鑑賞会の当日は絵稿の締切でもあったが、天野は前日の夜ぎりぎりで絵を完成させることができた。それだけの甲斐のあるものはできたと思う。
(なお、表紙絵作成の模様は「『アニメ版シスター・プリンセス考察大全』表紙絵制作ドキュメント」にて、詳しく記されているので、お暇な方はこちらもどうぞ。ただしシスプリに興味ないと何はなしてるのかサッパリかと思います)
「さあ、ひさびさのオフ会だ」
満足感とともに表紙絵の画像ファイルを保存し、出発の用意をする。
最初に落ち合う駅と、それから向かう店の名前を確認してから、私は名鉄線に乗り込んだ。
集合場所は「鶴舞駅」そして「いりなか駅」に移動。
目指すは、名古屋が世界に誇る超絶有名喫茶。
経験者は、その名を聞いただけで、寿命が縮みそうな量のパスタを思い出し胸焼けを起こすという、かの巨大料理品飲食店
「マウンテン」
である。
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■ 2004.08.09
「震える山(後編)」(※別コンテンツの「シスタープリンセス考察大全表紙絵制作ドキュメント」の一部と内容が重複します)
さて、今回のシスプリマラソン鑑賞オフ会の参加者は以下の通り。
早瀬さん・manieraさん・Beeさん・美森さん(仕事)・利休さん・あんよさん・入江さん・うぇいんさん・秋月さん・そして天野
である。
予定としては、集合後にまず喫茶「マウンテン」で食事。しかる後にmanieraさん宅へ移動。自慢のプロジェクターで、シスタープリンセスをマラソンで全話鑑賞するという、完膚無きまで死人にむち打つ段取りになっている。誰が組んだか知らないが、一般人なら自殺コースだ。
お祭り気分でその辺の認識が薄くなってる参加者のおおよその集合を確認し、最初の予定地「マウンテン」へ我々は向かった。
名古屋にある超絶パスタ喫茶「マウンテン」は、わりと広範囲において有名なようだ。
何が有名かというと、四人掛けのテーブルに四皿のらないという、間違いなく間違ったサイズで出される料理の量である。これを完食することのあまりの過酷さに、かの店に行くことは「登山」と喩えられるという、まあそういう店だ。
ひとつ注意をしておくが、良識的な巨大料理品店のように、通常のメニューがあって、それとは別に「特盛り」や「超盛り」があるのではない。
この店には「大盛り」という概念がなく、すなわち、あらゆる料理がデフォルトで大盛りなのだ。もう「あれ、ちょっと目が・・・。遠近感くるったかな」と思うくらいには、盛られている。
くわえてもう一点。ここは邪道であることを開き直った感じの甘口パスタでも有名だ。
詳細は追って書くとして、我々はまずドリンクを注文。メニューからは、とくに分からないので、料理の方は適当に注文した。
あきらかにおかしい「甘口パスタ」系は、うちのテーブルでは今回ちょっと見送った。ちなみにこれは美森さんが注文している。
ところで、ここの先代時代はおいしい珈琲屋だったときく。なるほど雰囲気のある喫茶店であり、いまも建物や内装にはそういった珈琲専門店的な色が残っていた。
ところが、たぶん現亭主の二代目は「マウンテン」という店名に込められた意味を独自的に解釈し発展させたのだと思う。
モーニングセットなのか普通のパンと卵がドリンクに添えて出された後、なんというかもうそのまんま「マウンテン」という感じの盛りで、それは到着した。
メニュー名「甘口抹茶小倉スパ」である。御丁寧に抹茶を練り込んだ麺(甘い)の上に生クリーム(甘い)とゆで小豆(他が甘いのでむしろしょっぱい)(なにか間違っている)とどめに赤いサクランボが乗っているというデザート感覚と油脂に満ち満ちあふれたパスタだ。
この雄大な量も凶悪だが、真に恐るべきは油脂にある。
山のようなパスタの麓では、海のようにオイルが溜まっていた。
「・・・・」
言葉を無くしているうちにも、パスタに盛られた生クリームが熱でどんどん液化していく。
山頂の雪が溶け、流れゆく春のせせらぎが陽光を反射するように、ただでさえアブラにまみれた抹茶スパはことさらにツヤツヤと輝いていた。
それを果敢に掻き込む美森氏。
「ううむ」
「一口たべるには美味いが、この量はちょっと・・・」
「すごいな美森さん」
「さすが婚姻届はおろか控除対象配偶者欄に里村茜とか、扶養家族欄に亞里亞の名前とか書いてる人はちがうなあ・・・」
「マウンテン」では、オイルを絞って食べるのだといい残した登山家がいる。
わたしも食べてみてそれを理解した。実際チャーハンかピラフか識別不能な料理の終盤では、皿に溜まったアブラのなかで飯粒が溺れていた。
スプーンですくい、別のスプーンで押さえてみると隙間からちょっと信じられないくらいのオイルが湧き出してくる。もはや何を食べているのかハッキリしない。これはおじやの一種なのかもしれないとボンヤリ考えた。
なお、一人一皿注文したある団体客は果敢に挑戦したものの、食事中すでに満腹と胸焼けによる極限状態に陥って身体が動かなくなり、終盤の彼らは一様に哲学者のような表情で「人はなぜ争うのか」という命題を繰り返し考えていたという。
絞らずに食べたら、そんな感じにもなろうというものだった。
今回はいい年した参加者が多かったせいか(そのわりにイベントの本質は小学生みたいだが)、注文のほうは実際に日和った。8人がかりでドリンクやサンドイッチを除けば3皿しか注文していない。
だが、それでどうにか完食できたのだ。一品に一人だけで対応するのは絶対に無理だった。
仮にも農業経験者としては、食べ物を残さず食べられてホッとしたものである。
今回もデジカメを持っていかなかったので、いつものように文章による描写しかなかったが、そのために「実際どれくらいのシロモノなのか」が未経験者にはやはり分かりにくいと思う。せっかくなのでmanieraさんに撮ってもらった画像を載せておこう。
別のテーブルで、Beeさんが注文していたかき氷である。
そういえば、夏らしく店の外にも、中にも「氷」という旗が吊してあった。
もっとも、これは一年中つるしてあるという話だ。
それはともかく届いたのがこれである。
(かき氷:グレープフルーツ味 700円)
「下のほう、オーバーハングになってるぞ」
「はやく食べないと、器の中の氷が自重でおし固められて万年雪化する」と経験者がいうので、慌てて全員で切り崩しにかかった。
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■ 2004.08.10
「アニメ版シスタープリンセス全話マラソン鑑賞会」
(※別コンテンツの「シスタープリンセス考察大全表紙絵制作ドキュメント」の一部と内容が重複します。既読の方には、読み飛ばしを推奨)
マウンテンのあと、一日地下鉄券をもってないメンツは車で移動した。
今回は関西や中国地方から来ている人もいるので、お疲れではないかとちょっと心配だ。だが
「このあいだ地下鉄にのってたら、おなか出す服の小学生くらいの女の子がいたんですが、日焼け跡がスク水でしたよ。こう肩も出てて、ああ実在するんだなーと感動しました」
「むむむ。すると、お腹は真っ白でしたかどうでしたか」
無限の体力をもつ利休さんと、幼女愛で生きてるあんよ氏は快調なようである。
だが、これから待っているのは「マラソン」なのだ。利休さんはともかく、あんよさんは体力的にどうだろう。
「今日はどういうスケジュールなんですか?」
「シスプリDVD鑑賞会」
あんよさんが宣言する。そして時刻は11:50。
「いまからだったら二回みられますね」
あんよ氏にもまったく問題はないようである。
「い、いえ、その前に、せっかく名古屋まで来たんですから、どこかに行きますか?」
「小学校でいいですよ?」
しれっとハードルの高いことを言うあんよ氏。
「話は変わりますが、プログラマーにとって必要な技能や知識はいろいろあるとおもいますけど、資格ってのはどうなんでしょうね」
「あんまり意味はないと思うよ」
「CG検定とか」「あれは絵の上手さとはまったく関係ないらしいし」
「資格によって強さとかが決まるとわかりやすいんですけどね、柔道みたいに」
「剣道3段とか」
「空手5段とか」
「萌え絵8段とか」
「ニーソ10段」
「俺は眼鏡100段だ!」
「うわー、みんなつよそうー」
「高段位取得者は紅白のだんだらニーソを履けるんですよ」
「ひょっとして、黒ニーソは初段検定合格の証しですか」
だいたいいつも通りの会話である。IRC(チャット)上の人格と、リアルの人格は大して差のあるものではなかった。
そして、自動車組と電車組が合流。manieraさんの部屋にいやがらせのように10人集合である。
「これ、あんよさんにおみやげです」
「幼女服・・・」
「幼女靴下・・・」
「ここにせいるさんがいたら、幼女ぱんつも差し入れられたであろうことはさておき」
「この服、身長130センチくらいですか?」
「シスプリだと雛子くらいのサイズですね」
「じゃあちょっと高さを調節して、こうハンガーで吊してみると」
「おお」
「おおお」
「わたしヒロシマで開発した能力つかうと雛子の姿が幻視できますよ」
「ぼくも今回の鑑賞会にそなえ、車窓から雛子くらいのちいさな女の子に手をふって感覚を取り戻してきました」
「・・・・」
「そしたら、手を振りかえしてくれたんですよ!」
「なんて嬉しそうな顔するんだろうねこのひとは」
「いや、あれほんとに嬉しかったので。その子の母親怪訝顔でしたけど」
「しかしちっこい服だね」
「うぇいんさん、着れそう。いや、きついか?」
「もうちょっと、ちいさくなってください」
「服にあわせてかい」
「旧軍の兵士か君らは」
「なにか音楽かけますか」
「メイドさんロックンロール」
「おい」
「じゃ、ブルースの方」
「どっちにしますか?」
「二択なのか」
入室5分ですごい環境になっているmanieraさん宅。
さらに壁面いっぱいを塞ぐ巨大なスクリーンを引っぱり出して、数人がビートマニアを始める。あるものは幼女服を愛で、あるものはコントローラーをたたき、あるものは某ゲームの某裏データに歓声をあげ、あるものは部屋主の回線を間借りしてここぞとばかりにサイトを巡回する。そうして2時頃。過回転で逆に発熱していそうなクーラーの頑張りもむなしく部屋の気温はあがりつづけ、たまらず我々は気温が下がるまで外で過ごすことにした。
ここでチーム分けが行われた。土曜の昼に10人で行動するのは難しい。同時に入れるような店はそうないのだ。
まずカラオケチーム。
そしてアニプリ鑑賞チーム。
最後は制服鑑賞隊。
ここで記録者が全話鑑賞につきあえる時間を持たないので、アニプリ鑑賞に入る。そんなわけで他の隊のことは不明だ。おそらく制服鑑賞隊はメイド喫茶をはじめ各所を見学して回ったのだと思われる。
後にひとり捕まえて聞いてみたが
「秋月さん、どうだった?」
「いや、楽しかったですよ?」
「ネタをさがしてこんかい!」
「ええっ?」
「なければ作れ! 仕込んで誘導しろ!」
「そんな」
「火のないところにでも黒煙は起こせる!」
結局のところ詳細は不明だった。
アニプリ鑑賞チームは、あんよさん・天野・Beeさんである。
manieraさん御自慢のプロジェクターにDVDプレイヤーをどうにかつなぎ、スクリーンをおろし、ハンガーに身長130センチ程度の小学生女子(低学年)が着る幼女服をつるし、準備完了だ。
その前に、データで持ってきておいた表紙の画像をあんよさんにみせる。
「ちゃんとした本になった」と氏はものすごく喜んでくださった。
繰り返し繰り返し、何度も何度も感謝された。絵描き冥利に尽きると思った。
そうこうあって、鑑賞が開始された。居住まいを正しながらも、最初から歓声をあげっぱなしのあんよ氏である。
「いい。可憐はいい」「くはーっ」「はじめてみたしゅんかんによくじょうしました」「可憐の髪がにおってきそうです」「画面にルパンダイブしたいですね、こう」「くっ黒いっ 可憐くろいっ」大画面の迫力に悶絶しつづけるあんよさん。「・・・達しました」
「た・・・って・・・あの、あんよさん、これ日記に書いていいですか?」
「いいですよ?」了承には0.1秒もかかってなかった。
「そういう天野さんも花穂の声に悶絶してますね」
「えへへ」
「あ、花穂ころびましたよ」
「あのタイミングで転んで、なんでぱんつがみえないんですか」
「はいてないからに決まってます」
「なるほど」
「いや、第1話はじめてみましたけど、いいですねー」
「・・・」すでについていけない様子のBeeさん。
「でも、次からは絵がちょっとね・・・」
「作画陣、もう息切れなんですか!?」
アニプリの作画は決して安定して高品質なものではなかった。これはDVD版だが、テレビ放映時にはさらに寿命が縮みそうなくらい非道かったという。
「悪いときはこんなもんじゃないですよ・・・」やや自嘲ぎみなあんよさん。
「あの、みなさん何か飲み物かってきましょうか」いたたまれなくなってきたBeeさん。
「さっきからヨダレでてますからいいです」
「お、咲耶と可憐が並んで台所ですよ」居場所が無くて同じように台所に立つBeeさん。
「ミニスカにエプロンっていいですなあ」
「いやー、可憐はなに着ても似合いますよ」一心不乱に食事を作るBeeさん。
「あ、咲耶が右から左にペンを走らせてメモしてますよ」
「アラビア語ですか」
「ダヴィンチの鏡文字じゃないかなあ」
「雛子のこの絵、いいですね」
「幼稚園児の匂いがただよって来るかのようです」
あんよ氏のコメントも楽しかったが、それ以上に、ごく素直にシスプリの内容に感動した。
シスプリには彼が著作である「考察大全」の中で示唆するように物語の裏を流れるひとつの筋があるのだとおもう。
だが、それをアニメでは、決してうまく描き出せているとは言えなかった。
実際、漫然とアニメを見ただけでは、アニプリを「ちょっと変な物語」としか捉えられないのも当然の事だろうと思う。演出・作画などのクオリティにおいて、決して満足いく仕上がりとはいえない。
だからこそスクリーンにうつる妹たちの姿を透かして、彼の考察が生きてくる。
この絵、この演出の背後にどういう物語内での事情があったのかが、おそるべき整合性をもって彼の考察では論じられているのだ。アニメで描き切れてなかった部分を補完する文書として、この考察をもってアニメ版のシスプリは物語としての完成を得ると、個人的には主張したい。
あんよ氏の本を読んでからアニメをみた私としては、「原作を読んで、そのアニメ化をみた」ような感覚だった。もはやそうとしか思えないくらい、彼の考察は「アニプリ」を整えてくれているのだ。
それにしても、実際の成立は逆なのだ。
あのアニプリをもとにここまで奥深い洞察ができるのが、まったく驚異である。
アニプリを未鑑賞のひとでもかまわない。
まず、考察本を読んでみて欲しい。
「シスター・プリンセス」の印象は一変するはずだ。
その後で、機会があったらアニメを見ればよいと、わたしは思う。
上映はつづいた。
鞠絵のせつない、そしてささやかな望みを描いたアニプリ第8話を、わたし自身が泣きながら見終えるなど、完璧にはまっている状態だったが、ある程度上映したところで、カラオケ組・制服鑑賞隊と合流する時間になった。
食事の後、またmanieraさん宅に押し掛け、ここからが本物のシスプリマラソン上映会である。
だが、残念ながらわたしは翌日が仕事ということもあり、早々に退散した。
正直なはなし、この時期は仕事とプライベートにおいて、かなりキツイ状況だった。
この場において、気分転換以上のことをするわけにはいかない。
だが逆に、毎日コツコツと短時間ながら絵を描き続けたこと、そして今回のオフ会があったからこそ、この時期をどうにか過ごせたのだとわたしは思う。
聞いたところでは、本隊は翌朝まで鑑賞を続けたが、完遂できたものは3名のみであったそうだ。
あんよさんは最後の上映を見おわったあと、満足げな笑みとともに、静かに倒れて落ちたという。疲れて眠るように。
アニプリは後に、知人からDVDを借りて全話鑑賞した。
考察の理解という土台があるためだろう、とても面白かった。
そして同時に、あらためて「クオリティを見るアニメではない」と思い知る。
アニプリで描かれているのは、本来兄ではない我々が、十二人の妹たちに対して兄の心情を獲得するためのプロセスなのだ。
ゲームやリピュアでは、すでに「妹に対する兄」という立場に主人公は立っている。だが、我々は自分を慕う十二人の妹を得る、という状況にやすやすと感情移入できない。これができるのは、日々それを夢想してきた上級者とか本物野郎に限られる。
だからこそ、テレビアニメとしてシスプリの世界を広めるには、まず「兄になる過程の物語」が必要だったのだ。
アニプリに対して、とくにその序盤では、とつぜん十二人(+1名)の妹ができることに誰もが違和感を覚えるだろう。
それは兄である主人公・海神航(みなかみわたる)が「そんな馬鹿な!」と叫びつつ感じている違和感にほかならない。
だが、物語のなかで妹たちのことを理解するにつれ、航にも兄らしい心情が芽生えてくる。
アニメをみる我々は、航が兄になっていく話につき合いながら「妹を愛する」というシスタープリンセスの本質を段階的に理解していくのだ。(このへん、考察に書いてあったことの受け売りですが)
まさしく「妹たちの兄になるための過程」である。
この後で、兄として成長した航と十二人の妹たちとの、本当の、終わらないシスタープリンセスの世界が始まるのだろう。
つながっているとすれば、ここから先はゲームとリピュアの時間世界だ。だが、物語のセオリーとして、ここから先は読者の想像にお任せするべき部分ではないだろうか。アニプリのラストまでこそが「シスタープリンセス」において描くべき世界なのかもしれないと、わたしは思う。
だが、それも考察という土台がなければ出会うことのなかった世界だった。
この物語に出会わせてくれた、そしてその表現上の欠落を補完してくれたくるぶしあんよ氏に、あらためて深く感謝したい。
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■ 2004.08.18
「近況報告・御仕事編・2004年の夏」
あちこちのチャットで報告した近況、および店内での会話(脳内ふくむ)のまとめ。(いくつかのチャットログが混ざってます)
「天野さん、お仕事のほうはどうですか」
「いや、ちょっと大変かな」
「いま店長さんでしょ? 担当は?」
「ええと、コミック・攻略本と、婦人・児童・芸術・雑誌・文具」
「へえ」
「以外全部」
「なに」
「ビジネス・建築専門書・コンピュータ書・スポーツ・アウトドア・ギャンブル・娯楽・ミリタリー・新書・文庫・文芸・人文・自然科学・資格試験・学習参考書・ガンプラ・・・」
「ちょ、ちょっと待った」
「いや、もともと4人で回す店なんだけど、ずっと3人で回してたらしくて、実際いま(当時)担当が明確になってない部門って、二人分なんだよね」
「天野さん、補充で人事異動したんじゃないの?」
「いや、交換人事だったから、わたしを入れてまだ3人」
数日後
「この状況で、社員のひとりが『わたし、会社辞めます』って言ってきました」
「うお・・・・」
「ずっと辞めようと思ってたんだけど、店長不在だったから話せなかったんだって。人事異動して2日目のことだった」
「いきなりですな・・・」
「結局、8月22日で退職ってことになっちゃったんだけど、いまから新しい部門もってもらうのもなんだし、担当はしばらくこのままかなあ」
「・・・がんばれー」
そして数日後
「わーい、補充で社員がひとり入ったヨ!」
「やっとですか」
「これで四人。四人になれば問題なし! 本来の自然な形にもどった!」
「よかったですね」
さらに数日後
「いろいろ事情があって、補充の社員さんは出勤できなくなりました」
「・・・・」
「一緒に働いたのは何日くらい?」
「さあ、2日くらいかな」
むしろ数日後
「わーい、新入社員を回してもらえることになったヨ!」
「それって、教育する手間が増えた分つらいのでは・・・」
「いや、ある程度の研修は終わっているはず!(だから異動までに時間がかかった) 社会経験が浅いとはいえ、これで四人に! 四人に! 四人にぃぃっっ!!」
あえて数日後
「店長、新人さんが交通事故にあったそうです」
「え」
「高速道路おりたところで、豪雨の中、トラックの後輪に接触、両車ともに横転するという大事故で、レスキューがくるまで脱出できなかったそうです」
「新人くん、大丈夫なの!?」
「事故当時の記憶がないとか言ってます」
「さらに、首を強く打っていて、しばらく動けないとか」
「店長」
「今度はなんですか」
「コミック担当補助のパートさんが、腰をヤってしまい、一ヶ月ほど休むそうです」
「それとアルバイトの子がひとり、魔法の勉強するためにイギリスへ留学するそうです」
「コミケのために、13日から16日まで有給で休みたいって、従業員がいっせいに言ってます」
だがしかし数日後。
「店長、事故にあった新人が復帰してきます!」
「よ、よし! これで四人だっ!」
「店長、突然ですが、コミック担当社員が椎間板ヘルニアで退職するそうです。先の退職予定社員とほぼ同じ日です」
「・・・え?」
「・・・・」
「・・・・」
「ええと、すると残る戦力は私と新人ひとり? え? 四人の店で? え? 二人? 早番と遅番どうするの? なつかしの『オール』っていうシフト復活? というか、いつ休むの? え? え?」
やむをえず数日後。いつものチャットにて。
「だいたい話はわかりましたが、・・・天野さんとこって、なんでそんな死屍累々なんですか」
「死屍累々なのはいいのですが」
「いいのか」
「いちばん怖いのがモチベーションの低下です」
「シフトの関係で、新人くんが『もうやめる』という人とたいてい一緒にいるわけだし」
「しかし、これだけいろいろあって、それでなぜ私だけがピンピンしてるのか」
「ピンピンしてないじゃん」
「この間の大遅刻」
「早番が天野さんひとりだけっていう鬼シフトの日に、目が醒めたら朝の10時15分だったという」
「ちなみに、店舗のオープンは朝の10時」
「ひええ」
「前の日、12時には床についたんだけど・・・。なんで10時間も無覚醒で寝てたのか」
「いま、メニエル氏病なんでしょ?」
「そう、すげえ回転性のめまいがあって、なんか視界が映像編集ソフトで回してるみたいだった」
「ごはんにハバネロと醤油かけて喰うような食生活が続いてたのが原因じゃないかな」
「天野さんも無事じゃないじゃん」
「あれはたしかにストレスが原因かもしれないけど、事故とか腰とか、破壊的な状態じゃないし」
「天野さん個人はともかく、お店の方はアレだけ非道いと、あるいは、なにかの呪いかもね」
「そういや、天野さんの先任の店長さんって・・・」
「バイクの事故で肋骨骨折して、それで店長おりたんだっけ」
「たしかに、なにかしら憑いてそうな不運具合だ」
「これはあれじゃないですか、メモ座の聖闘士の特殊スキルですよ。『身辺ネタ多発』という」
「ああっ」
「なるほど」
「この現象は、たまったネタがテキストにされないのに怒って暴れてるわけか」
「はやく日記化して供養しないといけないわけですよ!」
「三ヶ月も更新停止(4月末〜7月末)してないで、いつも書き続けないと、更にネタな事象が起きるでしょう!」
「このままだと(更新しないと)面白いことや、すげえことに遭遇し続けますよ」
「あるいは、ひょっとして、何年か前に海で助けたクラゲの呪いなのか」
「もしくは、いままでネタにされた人々の怨念かもしれません」
「なるほど」
「急いでもっと被害者をあつめて過去の怨念を鎮めないと」
「その怨念は甘んじて受け・・・って、ええ!? 被害者ふやすの!?」
「もう、前に進み続けるしかないんですよ」
「それだと最後には臨界点突破して自沈しそうな気が」
「いいですか天野さん」
「はい」
「こんな絵とか」(まこみし文庫SP「妖狐のお礼」扉絵)
「こんな絵とか」(まこみし文庫SPカバー裏SS用)
「あまつさえ、こんな絵とか 描いてる場合じゃないかもですよ。書くべきは日記ですよ日記」
最後のはともかく、この当時は厳しい状況だった「らしい」
ただ、このことを書いて同情を買おうとか、言い訳にしようというつもりはない。そう映ってしまっても無理はないと思うが、これを書いたのは単なる記録という意味と、なんというか、これだけいろいろあると、もう「書く価値がある」としか思えなかったからだ。
また「らしい」と書いたとおり、この当時、わたしは自分が大変という状態を感覚的に理解していなかった。
先日、新人社員に「天野さん、疲れてましたからね」と言われてはじめて「え? そうなの!?」と思ったのだ。
自分が疲れていることを自覚できてなかった。
この状態で前年比103%という目標をブチ上げてしまったのも、そのへんの自覚がなかったためだろう。
追い風もなく、むしろ逆風なのに、自分の手のひらをバタつかせるだけで風を押し返そうと考えていたのだ。
がんばればどうにかなる、と身体に染みついた惨めな癖で考えていた。
「もっと非道い地獄はいくらでもみてきた」という変な意識もあった。
仮に疲れていることをいいわけにしても、事態は何も好転しないと思っていた。
なんとか凌げる、と思ってはいたが、実際の7月末前年比は、87.7%だった。
売上が下がった原因はどこにあるのか。
店長がわかっていればいい。だが、それは店長個人が店を見渡しただけで充分にわかるものではない。店長は各専門部門のエキスパートではないのだから。ましてやいまは、店長が自分を見失っている状態である。店を見る目が駄目になっているのだ。
何処が悪いか、それは現場で直接歩んでいる人に聞いていくしかない。
だが私は、正式に面談することを怠っていた。雑談程度で「コミュニケーション」だと思っていたのだ。
おおよそ疲れもピークだったのだろう。自分が疲れているなどという自覚はまったくなかったが、それを理由に、実績低下の責任をとって店長の位置を降りた。人事のひとがいろいろと親身になってくれたのが、ありがたかった。
大変な状況だから、売上が落ちてもよいかというとそういうわけにはいかない。
その状況でどうにかするのが店長だ。
大変なら大変なりに戦い方はあるはずなのだ。
現場復帰、同時に店長、そして店は3人体制。以前にも3人体制のときはあったが、当時の店長は、朝の三時に出勤、夜は十時に帰るというシフトでどうにかやっていたそうだ。わたしはそれをやらなかったし、それ以前に従業員に助けをもとめることもなかった。大変な状況でやるべきことは、全体がひとつにまとまることだ。でも、いちばん大切なそこすらも、私はやらなかった。
プライベートな理由はいくつもある。個人的にもいくつかのトラブルを抱えていた。
社長からは、そういうときは常に全方向にアンテナを張って先読みと準備をしていないと、どこかで手を打ち忘れて致命的なミスにつながることがある、と忠告をいただいた。その通りだと思った。
休みの日に、実家に帰る。
母の手術の準備のためだった。
現住所の愛知県から、岐阜県に入る。実家ちかくで山を越えるとき、そこだけ寒いほどに気温が低かった。
久々に触れた木々のクーラー。
間違いなく空気中の酸素量が違う、ふるさとの空気。身体になじむ故郷の水。そして、母の手料理。
絵を描く以外の、ひさしぶりの気分転換だった。
時間がつまっていて、常に動き回っていたが、それでも、とてもリラックスした時間を過ごすことができた。
途中で、ざあっと雨が降った。
車で走っているとき、鉄橋の上から彼方にかかる大きな虹を見た。
空に屹立するものではない。高さは低い山ほどしかないが、さしわたし数キロに及ぶであろう、横断幕のような巨大な七色のカーテンが、遠くの街を斜めに撫でていた。
「・・・・」
我知らず見入った。ひさしぶりに、胸の奥が沸き立つような根源的な感動があった。それで逆にわかった。
「そうか、私は・・・落ち込んでいたのか」
やっと自覚できた。
奇跡のような虹だった。
実家からの帰りがけに、鰻(うなぎ)をたべた。
子供の頃から、御馳走というとこれだった鰻である。
実にうまかった。エネルギーが満ちるようだった。
これでまた一年たたかえると思った。
けっして本調子ではないが、一日の休みで、とりあえずの復活をする事ができた。
以前とは違って、店長として、店でも前向きに働くことができている。
全員と面談し、前年比のことを相談、問題点をいろいろ教えてもらった。
店長として、助けてもらうことができた。
だが、それもあと二日ほどだ。
せっかく元気になって「らしい」自覚が持てはじめたのだが、降ろされてしまったものは仕方がない。
二人抜けた穴は、ちゃんと二人補充される。ひとりは私の代わりとなる店長だ。
彼が来るそれまでに、店をせめて元に戻そうと思う。
とりあえず、8月第二週の段階で、前年比を101.1%まで押し戻した。
一時的にだが、103%にも達した。
一度、レイドを組んであるサーバーが、同時に2個のハードディスクを縮退させるという離れ業をやらかして、ほぼ一日レジを電卓でこなした日があったが、それ以外は、いまのところ順調である。
風は良い方向にもどってきたみたいだった。
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■ 2004.08.21
「仮面ライダークウガ」
本当にいまごろなのだが「仮面ライダークウガ」を全話みた。
テレビで見たことがあるのはアギトのごく一部と、龍騎のやはり一部と、555のごくごく一部と、ブレイドのオンドゥル語フラッシュくらいで、平成ライダーとはあまり縁がなかったのだが、あちこちでやたらと薦められた上にテレビ録画のビデオを貸してもらえたので見てみたのだ。
全話を、余裕のある時間のほとんどを費やして、一気に見た。
ところで、仮面ライダーというと、どうしても子供向けという先入観があるし、このシリーズに関して言えば「イケメンライダー」と言われるように美形俳優の起用という宣伝臭もあるように思えた。
だが、それは本当に先入観でしかなかった。
「クウガ」はドラマとしても特撮ものとしても、ものすごく面白かった。
テキストで書き直してもいいが、鑑賞直後のいろいろほとばしったチャットログがあるので、またかと思われるだろうがこれを載せておこう。できるだけ( )で解説を挿んでみるが、特に後半のあたりどう説明しても見てなきゃ理解不能なレベルまで容赦がなくなってくるので、わからない部分は「そういうものなんだろう」と薄目で読み飛ばして欲しい。
天野(以下「天」)
「クウガおもしろいよクウガ!」
「よりによって、Vガンダム出てくるし!」
(何話かで出てきた家出少年が昔つくったプラモがVガンダムだった)(いきなりわからない話ですみません)
「もうね、小一時間ほめちぎりたい!」
(一般にほめるのはけなすより大変というが、それでも小一時間はいけそう)
得尊さん(以下「得」)
「もえー。(挨拶)」
(「もえ」とは、可憐アンテナの方々が集まるチャットでの正式な挨拶であり「あなたに素晴らしい萌えがありますように」とかそんな意味合いと考えられるが発生起源自体はただの勢いと思われる。おはよう・こんにちは・こんばんは・ごきげんよう、の代用)
天「とくそんさん! クウガ全話みたヨ!」(全49話である)
得「おおお、おちかれ」(とくそんさんもクウガを薦めてくれていた人だ)
天「あ『乙彼』だけ、まだだった」(最終回のあとにオマケビデオみたいなのがあったらしい)
得「乙彼は、わしも見てないです」(レアらしい)
天「いや、おもしろかったです。他の平成ライダーでちゃんとみたのは結局なかったんですが、どれとくらべても各段におもしろかった。<クウガ」(ひどい言いようだが、本音である)
得「でそでそ。そですよ、っか、あのクウガが基準なんで、他の平成ライダーは平凡レベル」
天「戦闘動機が利己的でないのが、ヒーローらしくて好き。あと次回予告ナレーションが一言だけってのが、これがまたやたら燃える」
「『子供だまし』と『子供向け』の違いというか。真の子供向けは大人が楽しめる」
得「そんな感じですね。 <大人が楽しめる」
「ラス前の雪原殴り合いがすごすぎ」
天「 話数が足りなかったのか、最後の方でかなりカットされてるシーンがあったみたいですね」
「ゼロ号との初戦とか」
得「あれは、初戦をカットしたのが、更に効いてると思う」
天「なるほど」
得「なんとゆーか、あの流れで、初戦をカットしたヒトが凄いと思うのですよ」
「あと、回想シーンが一切ないのと」
天「そういえば無いですよね。気合いの違い、というより尺がなかったのかな」
得「ラスト1話前で、戦闘が終わったこととか、奇跡だと思ってますです」
天「クウガの造形もかなり秀逸ですよ。あしもとが地下足袋に見えるのがちょっとなんですが。あれ以外は、ツノの形状とか好き」
得「メのラストが好き」
天「メ?」
得「そそ、えーと、名前が出ない」
天「ああ、未確認の」(敵の怪人は人間側によって「未確認生命体」と呼ばれている)
天「どんなのでしたっけ?」
得「ガリマ・バ」
天「わからねえー!」
得「カマキリ女さん」
天「ああ」(カマキリ女(怪人)の名前が「ガリマ・バ」なのである)
得「あのヒト、クウガと対戦するとき『ゴ・ガリマ・バ』って名乗ってるんですよ」
「ステキ」
天「・・・・」
「(まずい、ぜんぜんわからねえ。というかこのひと一体・・・)」
「へえー。いや、あの、わたしもクウガの図鑑とかみて、未確認にそういう名前があること知ったくらいで・・・」(遠回しに手加減してもらおうとしている)
さすがに辛くなってきたので、ここで補足説明。
仮面ライダークウガの敵は、超古代文明の人類で「グロンギ」とよばれる種族。独自の言語をもち、そのまんま原語で会話するが、番組中でも対訳字幕などなかった。でもなんとなく言ってることはわかるような気がするあたり、演技力と脚本の力だろうか。
そのグロンギは封印されていたのだが、遺跡調査をきっかけに数百人がよみがえっていて、「ゲゲル(たぶんゲームのこと)」を進め、そのなかの条件をクリアすることで、最終的なボスである「究極の闇をもたらす者」にレベルアップしようとしている。(らしい。わたしも詳しく分からないので御存知の方からの情報求む)
仮面ライダークウガは、超古代においてもグロンギを倒そうとしていた戦士クウガの意志を受け継いだ五代雄介(主人公)が変身した姿。グロンギによるゲームの多くは、人間を殺害する過程の質や数量を得点とする。その進行で犠牲になる人々をまもるために、五代はクウガとなって戦うのだ。
得「(カマキリ女さんは)ケゲルの方法も、単に殺すだけでイイ『メ』じゃなくて、色々条件をつけた『ゴ』のゲゲルをしてるのですよ」(ゲームにもランクがあるようだ)
天「ほほう」
「たしかに彼女のときから変わりましたが」
得「彼女自身は、メなのです」
「でも、『ここで、必ずクウガを倒してゴに昇格する』というのがすばらしい」
天「『ズ』の上位が『ゴ』なのね」
得「ものすごい考えてますよ、アレ」
「ズ→メ→ゴ」
天「ああ『ゴ』は最後の方ですか。ふくろう男爵とか」
(最後の方でふくろうみたいなのが出てきた)
「そういや、超古代語対訳版ビデオみたことないんですが」(あるらしい)
「テレビ放映時でもDVDでも、どこにも字幕とかでてないんでしょうか。あれ」
得「でてません。苦労しました。みゅんさん(とくそん氏の奥様)と」
天「でも演技で、しかも仮面つけてても、なんとなく言ってることがわかるときありますよね」
得「キュクギンジャンママ、ズ・バズー・バ、ジとか」
天「ああ、なんか聞き覚えある。<きゅくぎんじゃんままずばずーばじ」
得「最初のバッタ男のせりふ」
(本編では、怪人がずっとこんな調子でグロンギ語を喋っている)
「訳『脅威のジャンパー、ズ・バズー・バだ』」
天「自分で言うか『驚異のジャンパー』」
「あるいは『すごい上着』という意味かもしれない」
得「ゴ・バター・バのバイクの名前が、「ガギブソン」(=サイクロン)とか」
「最後まで、助詞の変換方法が判らなかったですね」
「だいたい、日本語→グロンギ語で50音変換をしてるんですが、助詞と長音がちゅっと違うデス」
天「ああ、ひょっとして母音はそのままに子音を変換させれば(助詞など除いて)文法は日本語?」
得「そです」
天「へえー。神谷明の『パピプペポ語』みたいだ」
「もう一回とおしでみてみるか。その価値ありそうだし」
得「えーと、ズ・ゴウマ・グ(こうもり男)のグロンギ語が、とにかく上手」
「2か3話目の、バラ姉さん(ゲーム進行役みたいな怪人さん。美女)との会話がとにかくスバらしい」
天「すげえ奥が深い・・・」
得「とにかく、深いです」
「うちで、最初に気が付いたのはみゅんさんですが ^^; (子音とっかえ」
天「文法的に近いから感情のせやすいのかも。役者さん大変だなあと思ってみてたけど」
得「あー、そですねぇ<感情のせやすい」
天「ええと(ROMの方に)説明しておきますと、『クウガ』では敵がグロンギ語という言語で会話しているのですが、対訳いっさいなしで、かなり長い会話でも容赦なく(原語で)放映してました」
「でもちゃんと文法とかあったんですねえ、と天野は感心しているわけです」
得「あー、そだ、OPの前に、古代語が8字(4字x2行)でますよね?」
天「8文字ありますねえ」
(番組の最初に古代文字が表示されてから、物語がはじまるのだ。これは本編の終わりにも3文字でる)
得「あとラストの3文字」
「アレも意味があるんですがわかりました?」
天「テレビに近づかないように、という意味かと・・・」
得「そそ、それそれ」
天「ひえー!」
「グロンギ驚異のお気遣い」(正確にはリント(争いを好まない、グロンギの反対側に位置するクウガ側の種族)の文字。現代でいうところの人間の祖先かもしれない。グロンギは現人類を同一視して『リント』と呼んでいた)
「じゃあラストは『おわり』とか『つづく』とか?」
得「あれは、『つづく』のはず」
「さすがだ、あれ、私わかんなかったんですよ<TVに近づかない」
天「だって、テロップでてるじゃん!!」(古代文字の下には「テレビを見るときには画面から離れて部屋を明るくして・・・という字幕があったが、話を振られるまで、よもや対訳とは思わなかったのだ」)
「・・・でもホントにそうだったとは」
「グロンギ(リント)の視聴者さまへの配慮か」
得「えーと、『この』『番組』『みる』『時』『離れて』とかそーゆー感じに分解でするのです」
天「桜子さんかあなたは」(古代文字を解明しているのが、桜子さんというヒロインのひとりである)
得「あと、あれは、リントの古代文字と思う」
天「そっかリントとグロンギは、同じ超古代文字でも発祥とか違うんですね」
「ひょっとして副音声でぜんぶ超古代語吹き替えとかないだろうなあ」
得「ぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「それがあると、ステキだ」(DVDもってるひと、どうでしょうか)
「グロンギ文字(で劇中にでていたの)は、『鉄の馬から』『引き摺り下ろして』『ひき殺す』ですね」(ゲームの条件を書いた文書である。そんなわけで、このゲームのときにはバイクにのっている人が狙われた)
「ゴ・バター・バの時がそうでした」
「『ひき殺す』がひとつの文字になってるのが良いです」
天「『轢死』とかかなあ」
「日常グロンギ語会話」
「『轢き殺す』リピートアフターミー『轢き殺す』」
得「それ以外は碑文のリント文字が一番露出してた」
「桜子さんが解明してたやつですね」
「だとすると、ヤドカリの時も同じ字を使っていたのかとか、気になってるのです」
天「ヤドカリ?」
得「メで…」
「トラックをバックさせて、ひき殺すヒト」(そういうゲームらしい)
天「ああ、あのひと」
得「今、手元に資料がないんですよー(TT」
天「ときに、とくそんさん」
得「ほい」
天「未確認の人間体というのは、もとは人間だったのでしょうか?」
得「わかんないです」
「1話目で、ダグバと一緒に蘇ってたみたい」
天「『人間にとりついた』ではないですね」
「雄介みたいに、アマダムの力(グロンギを封印していた古代戦士クウガが残した、いわゆる「変身ベルト」これを五代雄介は受け継いだ)で変身するってのはリント側の仕組みなのかー」
「てわりには皆さん、溶け込んでますよね。<未確認」
(グロンギの怪人は人間体に変身でき、わりと日常に溶け込んでいた。電車にのったり、プールに入ったりしている)
得「ただ、途中で、『遺伝子的にはほぼ人間と一緒』ってのが確認されてるですよ」
(死体解剖の結果である。クウガは警察や検屍との連携(あるいは軋轢のなか)でグロンギと戦っていくのが面白かった)
天「そういやそうだ」
「使徒?」
天「そ、そうだ!」
「これ言わなきゃ!!」
「一条さぁん! 好きだあぁぁぁぁ!!!」
(断っておくが、一条さんは男性である)
「後半のほうとかもう、身もだえして『あぁん! 一条さんったら!!』って叫びながら観てました」(クウガのよき理解者である刑事の一条さん、素敵である)
「いや、マジで」
得「いあ、良く判る」
「椿さん(検屍のひと)のが好きではあるが(ぉ」
天「わたしが女なら抱かれていたところですがそれはともかく一条さん好きー」
(個人的には松山鷹志さん(杉田さん役)が出てるのが嬉しくもあったり)
「薔薇のタトゥーの人には嫉妬ですよ」
(一条さんと、なんかいい雰囲気だった)
「いちいち演出がきれいでしたが」
得「バルバ姉さんはステキ」
(薔薇のタトゥーの人はバルバさんとゆーらしい。いま知った)
「ラストのちょっと前、普通に刑事してた一条さんとからぶーですね」
天「あと、雪山のシーン」
得「あれは、もう、なんとゆーか」
「(あの戦闘シーンを)「良くやった」としか」
天「(あの告白シーンで)腐女子フィルター実装してしまいました」
得「あう、そっちか」
天「もう『ごちそうさまでした』としか」
(男同士の友情みて「ごちそうさま」ってのもたいがい腐女子ですが)
「わたしの中の主婦は腐女子に目覚めたようです。(他人事みたく)」
得「ゴ・ザザル・バ 萌え」
天「いやだからわからねえー!!」
得「ああ、サソリの」
天「サソリってどんなエピソードでしたか」
「ドレミ? プールで超低温?」
得「それは、海蛇」
天「なるほど。サソリは?」
得「箱を色順にまわるやつ」
天「ああ、ネイルアートのひとね」
得「それそれ」
天「溶解液のひとがサソリかー」
(指定された色の箱(タクシーとかエレベータとか)で溶解液をつかって殺人していくゲームに出たのがサソリの怪人、という意味。ネイルアートの色が指定色を暗示していた)
「超古代語が氾濫するなかで比較的わかりやすい言語で話してたから、ちょっとホッとした憶えがある」(サソリのひとは、ほとんど日本語で喋っていた。ある程度上位のひとは日本語が使えるようである)
得「彼女が、ガメゴ・レ(カメ)のヒトの時に喋ったのが、もう萌えで萌えで」
「らぶー」
「ゴのひとは、殆ど日本語でした。(ちと残念なのです)」
天「上位のひとは頭もいいのね」
得「ただ、ゴウマっち(こうもり)が0号にやられるのと一緒になったせいで、目立たない(TT<ざざる・ば」
(このゼロ号というのが、結局ラスボスになった。段違いに強かったらしい)
天「ところでいま思ったんですが・・・」
「これらクウガ話は1対1チャットでやったほうが、公共に迷惑かかりませんですね」
「なんかみなさん押し黙ってしまわれて・・・」
得「鴨新米。うぐぅ」(鴨新米:かもしんない、の変形)
「観てる人が多くないのが本当に残念な作品なんですね<クウガ」
天「ですねえ」
得「そいや、オダジョーって、今新撰組で斉藤してるなぁ。とか」
(クウガの中の人である五代雄介を演じたのは「オダギリジョー」である。やはりクウガで一躍有名になった)
(本人がいまクウガをあまり肯定的に語らないのが残念である)
天「そういえば、エンディングラストの雄介の笑顔がよかった」
(みてていい気分になる笑顔である)
「へえー。<斉藤」(天野は新撰組みてません)
得「なんだかんだでクウガ話ですが」
「一人マトモな演g(以下いろいろ抵触しそうな話なので強制終了)
見たことのないひとは私以上にわからないと思うが、とにかくクウガは面白かった。
後のライダーで、どうしてこれがデキナイのだろうか、と不思議なくらい、シリーズ復活の初作なのによくできている。
シリーズを追うごとに「ライダー」という位置がぞんざいになっていったが、クウガはバイクをドラマ的にも技術的にも実にうまく使っていた。未確認生命体第41号との戦闘も、バイク使い同士のバイクによる格闘だったが、その戦闘シーンは「バイクとライダーでひとつの生き物」という感じの、おそろしく生命感のある、まるで野生動物同士の戦いのようだった。
ほか、チャット中でも書いたが、クウガと警察組織との連携や軋轢、そのなかでの友情、決して無敵ではなく、また痛みと苦しみの中で戦うクウガの姿、そしてそれを分からせてくれる協力者の姿など、ドラマ的にもとても燃える。
クウガの後の平成ライダーしか知らないひとがいたら、ぜひこれを見ておくことをお薦めする。放映からずいぶん経つが、よくこれほどのものができたものだなあと感心することしきりなのだ。
しつこいようだが、とにかくお薦めである。
いや、もうとりあえず
一条さんの告白シーンだけでもみて悶えとけ、ってくらいには。
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■ 2004.08.23
「自分が不愉快に感じるものは悪」
※今回の日記は、あまり気分のよい内容ではありませんが、トラブルのなかから得られたひとつの教訓として書いておきます。
やたらと怒って常識を問うてくる人がいる。
自分のことは棚上げで、大々的にこちらの非を責めてくる人がいる。
話しながら主張を二転三転させる人がいる。
ひねくれた子供が、そのまま成長してしまったような人がいる。
ある出会いがあって、こういう人種のケースをいくつか知る機会を得た。
うまく説明できないが、後述する特徴を読んでいただければ、そして人間関係のなかで生きてきたひと(接客業とか)には、程度の差こそあれ思い当たるケースがあるだろう。ある程度どこにいっても分布しているので「人種」として認識する。
過去にもいくつかのケースに実際遭遇したが私はどうしても「彼はなぜそこまで遠慮なく怒っているのか」ということが理解できなかった。直接的な原因はわかる。彼に対して私もしくは私側のひとが失礼と考えられる言動をとってしまったことだ。これはこちらの非である。だが、それに対してあまりにも遠慮なく謝罪を要求してくる彼または彼女らの姿が、そのときの私はほとんど理解できなかった。
だが、最近ちょっとした解が得られた。
実は彼のなかの行動原理は、しごく単純だったのである。
自分が不愉快に感じるものは悪。
そして、自分は絶対に正しい。
これである。
そして彼は、自分が不愉快に感じること=悪であり、自分が愉快に感じること=善なので、=自分の欲求・要求は当然みたされるべき世界の真理と確信している。
なので「常識で考えろ」とか「誰だってそう思う」とか「それが人間ってものだ」いうあたりが常套句だ。
従って「彼が不愉快に感じた」ということが覆(くつがえ)らない限り、どんな正論をぶつけても彼はまったくこちらの話を聞かない。
さらにこれは一貫したものではなく、その場その場で彼が不愉快に感じたことは、そのまますなわち悪なので、言ってることは刻々と変わる。「彼の言い分を理解して円満な解決にもっていきたい」と彼のことを考慮しようとする人間は、これでたいてい振り回される。
彼にあるのは「自分の不愉快=悪」なので、自分を不愉快にさせた人、不愉快に感じる者を処罰するのは、正義の執行としか感じていない。ここで彼にとって悦楽をもたらす手法は、彼にとって正義であるから、どんな陰惨で卑怯で残酷な手段を使っても、それは彼の良心になんらとがめることはない。彼の私刑は天誅であり天罰なのである。彼らの常套句は「ぶっ殺すぞ」「殺すしかないんじゃねえの?」「処刑する」「罰」などである。
さらに言えば、たいてい大した人間ではなく、むしろ矮小きわまりないので、過去の武勇談などを持ち出して「俺は昔○○を殺したことがある」とか「○○を相手に大暴れしたことなんざ日常茶飯事だった」あるいは「俺は○○○に顔がきく。○○○に襲わせるぞ」ほかには「車に乗ってるときには気をつけろよ。どこから俺の知り合いの○○○○が○○○○で突っ込んでくるかわからないからな」などと脅しにかかる。基本的に人間がちいさいので、相手を脅して優位に立とうとするのだ。このへんわかりやすい。最初の「殺したことがある」などはそれだけでとりあえず立件すべきかと思うが、問いつめると「冗談だよ」とか「ジョークのわからん奴だな。これだから○○○は」とかすぐ逃げるので、最初から本気にしないほうがいい。最後の方の「顔がきく」などは体格に自信のない場合、あるいは高齢者の場合のこれまた常套句なのだが、その歳になってまだそれなのか、と涙を誘う。どっちにしても、人前でこんなことを絶叫されたりすると、逃げ出したくなるので、受けるダメージ自体はあまり変わらない。
なお、矮小であるためか、名誉を異様に重んじる。常套句は「侮辱された」「名誉毀損」「なめるな」「慰謝料」である。
それにしても「自分の不愉快=悪」というひとはなぜ誕生してしまうのか。
ちょっと考えてみよう。
これは私見だが、人間は根本的なところで性善説でいう善き存在であると思う。
性善・性悪説論争をはじめると主題がずれるので、仮定でもいい。ただ、もし人間の本性が悪(性悪)だとするなら、人はより悪になることを求めはしても、自分がもっと立派なよい人物になりたいとは思わないだろう。ついでに言うと、「誰かに『立派な人物』として認められたい」という欲求がある段階で、人間の本性は善にあると思う。
人間の根本が善であり、本来であればその善き欲求にしたがって生きることが、すなわち善の施行であり正義であると思うのだが、実際の人間は、その完成された聖人レベルからは、遠く離れたところにある。
感じたことがそのまま正しいという「善」の完成体である聖人になるためには、人間は修行を積まなければならない。孤独な修行、人間関係の中での修行、さまざまだ。そうやって人格を磨いていくしかないのだが、それで完成体になれるというものでもない。いわば完成した人間というのは、理想だ。イデアとしての存在である。普通の人間では到達すら困難な、そんな精神的に高度な「人格者」の境地を、ひとは目差していく。
ところが、その精神修養の部分をすっとばして「俺は完成体だ」と自覚してしまっている、幼稚な魂がある。原因は、自分の我が儘がそのまま社会の縮図である家庭内あるいは団体生活の中で、暴力などを通じて「通ってしまった」ため、自分の意志=正義として通用することを学習してしまったからではないだろうか。昔の物語でよくある我が儘な王子が、自分の不愉快なことをそのまま悪とし、それを処断することを臣下が助けてしまうのに似ている。
こうして成人してしまった人物を説得するのは至難のわざである。
一般常識など通じるわけがない。彼にとっての一般常識とは、彼自身の快・不快にしか基準がないからだ。
こちらが常識的な話をしても、彼が不愉快に感じればそれは非常識となる。「あんたは非常識な人間だ」「失礼なやつだ」なども常套句である。
まともに話す場合は、確実に振り回される。彼の方はごく単純な原理原則にしたがっているので、落ち着いたものだ。こうなると、もう彼を「理解」しようとすること自体が虚しくなる。
たいてい、話し合いもこのレベルまでいくと「キ○ガイ」という言葉があたまをかすめるようになる。人の話をまったくきかないので、話が通じないからでもあるが、実はかれは「キチ○イ」ではなく、先述のようにただ快・不快だけで話をしているためなのだ。こう考えるとちょっと安心できるが、脅威としてはまったく変わらない。
わたしも正直、こういう人につき合う手法を明確に知らない。
お手軽なところでは、とにかく関わらないことだ。無視ですら侮辱と捉えて攻撃してくるので「つまらない人間」と思わせてむこうに関係を断たせるなど、いろいろ苦労している人を何人か知っている。
彼の魂が打ち砕かれ、罪悪感や、謙虚なこころを取り戻すには、どうしたらよいのだろうか。
厳しく愛すること、それしかない。幼少の頃にそれがなくてそうなってしまったのだから。
彼のためを思って、そして決して途中で逃げず、厳しく愛を持ってつき合い、悪いことを悪いと言い続けること。それしかないだろう。だがそれは、やはり原因者である親にしかできない芸当なはずだ。
運命や神が彼を打ち砕いたとき、せめてこちらは奢らずに受けとめることくらいしか、できることはない。
ここまで書いて思ったが、この日記は処世術として役に立つものではなく、ただ、そういう人物に苦しめられてる知人をみたこと、自分も過去に経験したことがあること、そして今回えられた解と感想を、この場で吐いてみただけである。だから残念ながら、せいぜいあきらめの助けくらいにしかならないだろう。それだけのものだ。
せめて教訓を得よう。
我々は、たとえ不愉快な目にあったとしても、まずその原因を自らに探るべきだ。
彼らは、いいことは自分のゆえに、悪いことは他人のせいと考える傾向がある。
そこを反面に学ぶ我々は、自分が感じた不愉快に責任をとろうとする、そういう人間でありたいものである。
「常識を考えろ」などは、私もつい口走るときがある。
実際、程度の差はあれども、今回の「自分が不愉快に感じるものは悪」は誰にでもあるのだ。
それが人間の(まだ到達してはいないが)本来の姿だからである。
ただそのとき、その基準が利他心ではなく、自分の快・不快に動機があるのではないか、チェックしよう。
そのズレが、本来の姿との距離だ。
なお、
このテキストは特定の誰かを糾弾するものではないし、このテキストがきっかけで誰かに責められることは決してないと私は考えている。
このテキストに書いてあるような人間は、これを読んでも絶対に「あ、俺のことかな」などと殊勝なことは考えないからだ。(知っている限り、こんなサイトを見るような人でもないし)
「よくも俺のことをひどく書いたな」と怒鳴り込んでくる人間もいまい。
ここに書いてあることを、「俺のことだ!」と自ら声高らかに証明するようなひとがいたら、むしろビックリである。
さらになお、
「あ、俺のことかな」と考える人は、わたしの知っている人の中にもかなりいそうな気がする。このサイトを見ている人のなかにも、自戒として受けとめようとする人がいるだろう。だが、そういったひとは、ほぼ間違いなくこの件の人物には該当しないことを、いまさらだが保証しておく。
冷静に、客観的に書いてみたつもりだが感情的になってる部分もあった。自分の感じた彼らに対する不愉快感が、イコール悪と考えられている気もする。わたし自身、もういちど自戒しておこう。
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■ 2004.08.27
「ファミレスにて」
shalさんがF店に遊びに来た。
店からほど近い甲南駅(仮称)の近所に親戚が住んでいて、夏休みの数日間だけ、ここに泊まっているのだそうだ。
「天野さんが甲南駅に住んでるって日記で読んだんで来てみました!」
甲南駅に住んでたら浮浪者だ・・・とツッコミつつも、(甲南駅のちかくに、と言いたかったらしいが)(正確には最寄りの駅も微妙に違うし)、仕事が終わってから食事につきあってもらったファミレスで、
「ひ、ひとがつくった飯はうまい・・・っ!」
浮浪者が商売飯くって感動してるような声で泣きそうになっているあたり、私もあまり強くは否定できなかった。
いろいろな事情があって、御飯もいいかげんに済ましていたり、忙しかったりゴチャゴチャしてたり大詰めだったりした時期だった。それだけに、ちゃんとした食事とか思いも寄らない来訪は、逆にありがたかった。事情を話してしまえないまでも、誰かになにかを語りたかったのかもしれない。遅くまでつき合わせてしまったが、彼にいろいろ聞いてもらえて、ちょっとスッキリしたと思う。
このとき話したことは、別にここで書いても問題のないことばかりだが、彼自身とはあまり関係ないので、また別の機会に書こう。それ以外は、とくに他愛のない話だった。
たとえば、彼の家の隣には小学校があるのだが、住居に隣接する位置にプールがあるため、この時期は連日2〜3ダースの生きたスクール水着が塩素水したたらせながら目の前にぶら下がっているとか(これは前にも書いたね)、また彼の家からそう遠くない橋の下(清流である)は、プール設備がない中学の水泳場に指定されていて、やはりこの時期は若鮎のよおなスクール水着が飛んだり跳ねたりしているという、そういう話だ。
わたしは幸いスクール水着に対して、巫女さんほどの執着はないし、shalさんもロリ属性は特にないので、何の反応もないそうだ。だが、後にこの話を伝えたスク水萌えの某知人は、なにか強烈な理不尽に忍耐したような沈黙のあと、血を吐くような声で
「う、うらやましくない!」
「ものすげえ、うらやましくないっ!!」
と繰り返していたが、まあそれはさておき、なにをするわけでもなく、たまに食事や長話につき合ってくれる友達がいるというのは、つくづくありがたいことだと思った。
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絵描きと管理:天野拓美(
air@asuka.niu.ne.jp
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