■ 2007.01.15 - A part -「結婚披露宴」D-DAYプラスマイナスゼロ 2006年10月14日 2006年10月14日。 土曜日。 わたしの家と、ゆきこさんの家との、結婚披露宴の日である。 そしてこれは、妊娠9週間目の花嫁をともなっての結婚式でもあった。 花嫁の体調を最優先にし、多くのスタッフがそれを支え、完遂に導く。 妊娠が分かってからは、そのための準備を新たに進めてきた。綿密な作戦が用意されている。 そう、結婚式は作戦なのだ。 その成否を決めるのは、ただ前日までに積み上げた準備によるのである。 挙式時間 11時00分〜(奥村邸内、神殿「禮乃蔵」) 披露宴時間12時00分〜(奥村邸内、レストラン「フレンチ創作料理なり多2階」) 前日、時間的にはわずかだったが、睡眠はしっかりとれた感触があった。いい傾向だ。 ゆきこさんは妊娠初期の悪阻(つわり)対策に、フルーツをカットして持ってきた。タッパーを抱えての出発である。 0600 新郎新婦準備開始 0700 関観光ホテルへ、新婦母親をお迎えに行く。 新婦の介添えとして新婦の母がつきそうので、これをお迎えにホテルへ赴く。 もちろん付き添わないケースもあるので、これは会場の意向に従えばいいだろう。 実際、お義母さんの出番はほとんどなかったように思う。 ただ、娘の晴れ姿を、一番に見られるという喜びをのぞいて。 0800 新郎新婦(および新婦の母)会場入り・新婦着付け開始 (親族二人の着付けは、0900より)留袖の着付け:各4200円 安全運転で余裕を持って「なり多」に到着する。 さて、新婦はすぐに支度にはいるが、この時間において、新郎はとくにやることがない。 式では「ウェルカムスピーチ」と「新郎の挨拶」と、二回もスピーチをやることになっているのだが、いまだに内容を暗唱できていないので、この時間こそ! と、こそこそ原稿をカバンから取りだしていると、本日のビデオカメラマンであるロメオさんが挨拶に来た。 新郎新婦が車で到着するシーンを撮影するためだけに朝六時半から会場入りしていたとゆー熱心すぎるカメラマンとの打ち合わせである。手は抜けない。こそこそと原稿をカバンにもどす。 まずは、複雑な構造の「なり多」を、式の時経列にそって案内してまわった。 とにかく、新郎新婦は企画発起人でありながら主演である。「こうしてほしい」という指示を、本番中にカメラを止めて出すことはできない。ビデオカメラマンとの進行会議は重要だ。 その上、会場が特殊なので彼の応用力が試される。 会場と式の構造を理解し、計画的に動くシミュレーションを何度も行うが、どうしても発生する想定外の事態は起きる。それを吸収して形にできるかどうかは、積み上げてきた撮影の実力によるのであろう。 会場の構成上、カメラマンは常時二人居て、連携が取れているとベストだった。だが、これはスチール(写真)カメラマンでこそ実現したが、ビデオは単独である。 彼の実力に任せるしかない。だが、これについては、できる人を選んだつもりだ。(事実、すばらしい仕事ぶりでした) 0930 新郎着付け開始(離れにて)(着付け担当:新郎兄) そうこうするうちに、着付けの時間である。 まあ、男性の着替えは、それが紋付き袴(はかま)であっても10分くらいでできるというのはだいたい本当だった。 袴をはき慣れていないので、とにかく裾(すそ)を踏まないように。階段を登るときは裾を思い切り持ち上げないといけない。 ところで、ホテルウェディングなどと違い、会場が特殊なので、ここに慣れている専属の美容師さんにゆきこさんの支度をお願いした。 よっぽど個人的に懇意にしている美容師がいなければ、会場慣れしている人の方がよいだろう。 それに、この人はすごく手際が良く、着付けもうまかった。これは一回目のお色直しでその真価を発揮している。それはまた後述しよう。 この結婚式では、結局、和装三点・洋装一点の美容料金を支払った。 131,250円である。結果として美容料金体系の中での最高額になった。洋装一点+ヘアメイクのみだと21000円くらいである。でも、ここをケチってはならない。(ケチるとすれば、新郎の方だ。兄に着付けをしてもらったので0円だが、紋付きの着付けはお願いすると6300円する。) よく「打ち掛けをひょいと被せるだけで一万円」とか言われるが、結婚披露宴の着付けはそれほど簡単なものではない。 あれほどの重量物を着て花嫁が動けるように着付けるのが、すごく大変なのだ。「ひょいと被せる」つもりの下手な素人がやろうものなら、花嫁は途中で倒れるか、HPを大幅に削られるだろう。馬鹿にしてはいけないし、惜しんでもいけない。ここは、お金をかけるべきところだ。 そう判断して投入した、その信念の結論が、いま目の前にいた。 上から下まで、完璧なゆきこさんがそこにいた。 すごく綺麗だった。そして、見つめるだにすさまじい美しさだった。 打ち合わせでかつらを合わせただけのときとは全く違っていた。 メイクだけでここまで統一感がでるとは思わなかった。メイクの技術というものの素晴らしさをあらためて感じる。 本当に綺麗だった。 ふと見ると、いつの間にか入ってきたお義母さんが、ゆきこさんをみつめている。 花が咲いていくような、花弁がゆっくりと緩んでいくような、幸せそうな笑顔だった。 ゆきこさんの小さい頃の写真をみせてもらったことがある。 自分で服を選ぶような年齢でない頃、彼女はとにかくピンク色の服を着ていた。 たぶん「女の子はピンク!!」という、お義母さんの強烈な願望というか頑強な価値観があったのだろう。 女の子が産まれてくれて、女親としてはうれしくてしょうがないという感じの、かなり浮かれた雰囲気の服を、ゆきこさんはずっと着させられていた。 本質的には、たぶんその当時と同じ笑顔だと思う。 だが、自分の人生の半分を注いできた、そうして咲いた花をみるような、そんな長い時間の苦労と喜びを背後に負った、そんな笑顔だった。 親戚の子と、ゆきこさんの友人の娘さんが見に来た。 ふたりとも、ちょうど小学三年生の女子である。「花嫁さんを見にきましたー」と、そんな感じで登場である。 「風さん、風さん」 紋付き袴を着用した新郎が、背筋をぴんと伸ばしたまま、カメラマンを呼びつける。 「なんですか?」 こちらもかなり早い時間に会場入りしていた風早さんである。 このへんの日記にたまにご出演だ。 「風さんのために、ふたつばかりロリを揃えておきましたヨ!!」 なぜかヒソヒソ声で言いながら、カメラマンさんたちのために用意した謝礼の一部を目で示す。 照れながら花嫁さんを見つめている、黒いゴスロリと、白のパーティドレスがいた。身長はだいたい120センチくらいだった。 「とりあえず白キュアと黒キュアってことで!!」 白ドレスは上品な子で、黒ゴスはおしゃまな感じ。身長は同じで、ならんで写メとってるようすをカメラマンの風早氏がいつくしむような目でじっとりと見つめたあと「ストライクゾーンのギリギリ下です」と発言した。 それは時間の問題という意味か、と突っ込む。 「いや、おれストライクゾーン、もうちょっと上やから」 「なにー!? しまった、そうかー・・・」 「もうちょっと、もうちょっとしたら、あぶなかったけどなー」 「かろうじてヒトケタには流されない理性がある・・・か」 親御さんには聞かせてはいけない種類の会話をこそこそしているうちに、甥のシンちゃんが来て挨拶した。 「拓美兄ちゃん、おめでとう!」 「ありがとう、シンちゃん。ブライトさん、残念だったなあ」 「・・・本当に」 結婚式でいきなり鈴置さん死去の話題(当時)など振りながら、会話のままに任せる。 だいたい予想通りだったが、最高級オタのカメラマン諸氏にシンちゃんは簡単に懐(なつ)いた。 会話とかもなんの抵抗もなく入ってきたように思える。臭いで分かるのだろうか。むしろカメラマンの方が「どこまで話していいの?」という感じで様子を見ている。一言だけ補足した。 「あー、シンちゃんはうちの日記ぜんぶ読んでるから話がはやいと思う」 「あー」 「あー」 「あー」 フルオープンでのオタ会話祭り開催である。 「こちらのカメラマンさんは、わたしのネットでの友人」 「よろしくお願いします。甥のシンです」 「ああ、うん」 「天野氏の日記でよく聞いてるよ」 「うわあ、ところで、どなたがどなたですか?」 「あー、ちなみに、この三人の中にせいるさんはいないから!」 「ええー・・・」 「なんて残念そうな顔をするんだよ、お前はよ」 「いえ、あの、残念です・・・」 でも、パッと顔をあげる 「ところで、せいるさんだったらきっと、ご祝儀袋の中にこっとんのアレが入っていそうですよネ!! 絶対!!!」 結婚式を数分後にひかえた、新郎新婦控室での情景だった。 純白の、しかし恐ろしくこまやかな刺繍の花嫁衣装で、鏡の前でじっと座っているゆきこさんが「まあ男の子の話すことだしね」とばかりに、さらさらと聞き流していた。
■ 2007.01.15 - B part -「挙式」D-DAYプラスマイナスゼロ 10時。いよいよ控え室から出発である。 1015 挙式リハーサル(新郎母・新婦父・新郎新婦の4人)(カメラマンもいっしょに) 神前結婚式である。なり多の中には、蔵を改造した神殿があり、そこで式をあげることができる。 通常は近い親族のみだが、40人であれば入れるというので、かなり席をつめて配置してもらい、司会をのぞく全員に立ち会ってもらうことが出来た。 ここで親族の入場前に、進行、立ち位置、玉串の捧げ方など、やることを全て説明付きで行う。 だが、せっかく聞いた説明も、本番ではほとんど忘れていた。 式の次第は、事前にプリントを配られていたのだが、これをちゃんと読んで、練習くらいしておくべきだったと思う。 本番では、合図こそ入るが、どうしろとは言ってくれないのだ。下手をすると固まってしまう。 それにしても、本番ではひどく緊張した。 どれくらい緊張したかというと 「ほら、風さん! 巫女さんだよ巫女さん、アルバイトだけどこの際二次元フィルターかけて我慢して! 人としての道にはザイル一本でつながってさえいてくれたら地獄への面壁どこまで降りてもいいから! ほら! 写真写真!! 風さん、日本中の神社まわって巫女さん撮影するのが夢なんでしょ!?」 と、風さんを呼びつける余裕もなかった。 神前と決めたとき「あー、風さんの報酬は巫女さん生写真取り放題でいいかな」と思ったほどアタると思っていたが、風さんは意外にちゃんと撮影してくれたようだ。聞いたところでは、彼が神社に通うのは、純粋に神社仏閣マニアだからだそうだ。でも、わたしはこころのどこかで信じていない。 さて、緊張しながら「三三九度」という、巫女さんがついでくれる杯を、三口で飲み干す・・・というのを三回行う儀式を行った。これは別に実際に飲んでも飲まなくてもいいですよ、と事前に言われてはいわれていたが、緊張のあまり飲んでしまった。よく見ると高杯のすみにお酒をにがす器はあったのだ。飲み残した分は、巫女さんがそっちへ出してくれる。一杯だけ飲んでしまったのだが、ふだんまったく飲まないので、これはかなり効いた。 ところで、ゆきこさんは妊娠中である。妊娠中の飲酒喫煙は厳禁だが、新郎新婦ともに酒も煙草もやらないので心配ない。ちなみに、胎児はアルコール分解能力がほどんど皆無なので、妊婦の飲酒は厳禁なのである。でも儀式なのでちょっとだけ口をつけたらしい。そのせいかどうか分からないが、式の最中に貧血で倒れそうになったそうだ。 「き、気力だ、根性だ」とヴォルグ戦の幕之内一歩ばりの根性で自分に言い聞かせてのりこえたというはなしは帰宅途中にゆきこさんから聞いた。 とっくに落っこちているブレーカーを手で支え続けてるような戦いだったらしい。いや、なんというかすごい女性である。 この段階でもかなり、体力を消耗している。わたしは何とでもなるが、妊娠中のゆきこさんは、心配だ。 何週か前に、午前中に貧血でぶっ倒れた花嫁がいる、という話を聞いた。最初にきいたときは「前日に友達と遅くまで話していたのでは・・・?」などと邪推したが、そうでなくても花嫁は日常的に貧血になる恐れがあるらしい。特に午前中、すなわち、式の時間は要注意だ。 だが、ゆきこさんはここを何とか乗り切った。 1045 記念撮影(中庭にて) 無事に式がおわったら、記念撮影である。 カメラマンは二階に位置し、中庭に集合してカメラを見上げるゲストを上から撮影する。面白い。 雛壇にのぼっての撮影が一般的だが、あれだと首と肩しか見えないところが、これだと腰のあたりまで写るため、ゲストがどんな服を着ていたか良くわかっていい。 スタジオを持たないレストランウェディングにおいて、環境を逆手に取った面白いやり方だ。 最初はマンデリンさんか風さんにお願いしようと思ったが、これは無理とのこと。 記念撮影は全員の顔にピントがあってなくてはならない。そのためには、大判の専用フィルムが必要なのである。デジカメや普通のフィルムカメラでは、どう絞りを調節しても奥行きをもって配置されている全てのお顔にピントを合わせるのは不可能なのだ。 ところで、記念撮影など、外にいてじっとしているときは、新郎はたまに新婦のすそを持ってあげよう。 花嫁は、打掛のすそを摘んで地面に着かないようにしているのだが、これがけっこう重いのだ。 あと、基本的に新郎は花嫁よりも先を歩くこと。これは少なくとも和装に於いては基本だ。 でも、置いていってしまわないように、ちょっと待っていてあげること。 当たり前のように思えるかも知れないが、実際にやるには、衣裳が違うので歩みのタイミングが難しかった。 1130 親族とのミニ記念撮影 すぐ近くの神社にて、「なり多」ご自慢の人力車に花嫁をのせての記念撮影である。全体ではなく、好きな組み合わせで撮影した。自然光の下での記念撮影がうれしい。 そして、撮影された人から順に、披露宴会場へ移動する。 披露宴会場への階段通路が狭いので、こうやってバラけてもらってからの誘導なのだろう。 撮影のあと、新郎新婦は控え室へ。ここで最初のお色直しである。 登場したのが、例の朱い打ち掛けだ。 なんど見ても「赤」と言い切ってしまえない、そして「朱」とも落としきれない、実にいい、そして強く見事な色だった。 実物を見て、あらためて「すごい・・・」と感嘆するうちに、すばらしい手際で、要所をクリップで留め、着付けを完了させていく美容師さん。 「・・・はい、できました」 息を呑んだ。 そこにあったのは、命の力そのもののような、あか。 しかしその内の花嫁衣装は、輝く魂の白。 日本髪を「人」の形に覆う角隠しは、それまで生きてきた汚れを嫁ぎ先に持ち込まない、「嫁ぎきる」という決意の現れ。 ゴージャスさで見れば、太閤の城で歩かせてもいいくらいの凄まじい色打掛だった。 だが、決してそれを誇らない、ゆきこさんのつつましやかな態度が、逆に本質的な迫力を見せていた。 1200 新郎新婦入場(紋付き・白無垢+色打掛) 離れから、披露宴の会場までは、邸内をすこし歩く。 美容師さんにつきそわれながら歩くゆきこさんの前を、距離をとりすぎないように先行する。 さあ、いよいよだ。 式は、神様のために。 宴は、親族のために。 お互いのルーツを愛しきろう。
■ 2007.01.15 -C part -「入場・スピーチ」D-DAYプラスマイナスゼロ 新郎新婦入場 「なり多」に、ひとつ問題があるとすれば、階段である。 披露宴会場が二階にあって、そこに至るのは狭い階段しかない。 文化財である以上、これを好きなように改築できない。ここのマダムは、その件で役所とよくケンカしているそうだ。とはいえ、実際に運用する上ではなんの問題もない。 車椅子の親族がいる挙式の場合も、相談していただければなんとでもする、という話だった。 その階段の下で、階上から流れてくる司会のアナウンスを聞く。 出席への感謝、会場の紹介、そして合図。 「新郎新婦、入場です」 タイミングをあわせてかかる新郎新婦入場曲「エンジェル」 収録元のアルバムは「エスカフローネ・loversonly」だ。 この曲を始め、後に、司会のひとからBGMを絶讃される。 結婚式に使える幸せで荘厳な音楽は、クラシックやディズニーや洋画のサントラばかりではない。 アニメやゲームには、そのジャンル自体のマイナー根性から、隠れてしまっている名曲がたくさんあるのだ。 暗雲が割れて光線が射し、全天全地が天使に祝福されていくような、そんな音楽を受けながら階段を登る。 新郎新婦ともに裾を気にしながらだった。特に袴は踏みつけて転倒したり着付けがズレないように、前を持ち上げすぎなくらいに引き上げて歩く。 登りきったところで、急に大きくなり新たに沸き起こる拍手。緊張もあったが、それ以上に歓びをもって迎えられている実感。自然と笑顔がこぼれる。 二人揃って親族友人の席に礼、向きを変えてすこし移動し、両親の席に礼。 階段のところに戻り、新郎新婦席に移動する。二人揃ったら、全体に対し、こころをこめて礼。そして、拍手の中で着席する。 おどろくほど、ぴたりとはまったBGMだった。大成功の入場だった。 ウェルカムスピーチ そして、司会による開宴の辞の後、ウェルカムスピーチがある。新郎の挨拶だ。 用意されたテーブルマイクを受け取る。立ち上がると、新婦もともに立ってくれた。 本日はみなさまご多忙の中、私たちの結婚式にお集まりいただき、まことにありがとうございました。 また、過分なる御礼を賜りまして、重ね重ね、厚く御礼もうしあげます。 良縁に恵まれまして、岐阜で生まれ育った私、(本名)は、山形で生まれ育った(本名)さんという素晴らしい女性と出会うことが出来ました。 そして、長い婚約期間を経て、ついにこの日を迎えることができました。 実は7月に婚姻届を出し、8月からすでに夫婦の生活をしております。式はその前後にできればよかったのですが、夏の盛りに挙式・披露宴というのも皆様の御負担になると思い、過ごしやすく、また料理ももっとも美味しくなる時期として、秋のこの日を選ばさせせていただきました。 多くの方の応援のおかげで、ここまで順調にまいりました。ただ計算外だったのは、婚姻届を出してから今日までの間に、ゆきこさんに赤ちゃんが授かったことでした。いま9週目です。こんなに早く子宝に恵まれたことは、本当に神様のお恵みだと思います。 また、会場にも恵まれました。これから私たちが生きていく、この日本という国の、その文化の色濃く残ったこの「なり多」です。築160年の文化財を改装して運営されているそうです。みなさまも、この建物のあちこちを懐かしく思うのではないでしょうか。 文化の滅んだ国は滅ぶといいます。日本語、和装建築、そして民族衣装である着物。これらを守り、日本を守っていく。そういう役割を果たせる家庭を作っていきたいと思っています。その意味を込めて、ここを選ばせていただきました。 遠路ご出席いただいたにも関わらず、粗酒粗肴で恐縮に存じますが、どうかゆっくりとお召し上がりください。お箸で食べるフレンチというものを用意しております。 御礼かたがた、披露宴開演の挨拶とさせていただきます。 ありがとうございました。 大きな拍手と、感心したような表情をいただく。「うん、ちょっと理屈っぽかったけど、いいスピーチ」との評価だった。 ウェルカムスピーチは、普通はもっとあっさりしたものらしい。しかし、司会の岩田さんが「文化の滅んだ国は滅ぶ」のあたりをすごく気に入ってくれていた。これでいいと思う。 プロフィール紹介・祝辞・乾杯 この後、プロフィールの紹介である。仲人がいないので、司会さんにしてもらった。 先日語ったことをうまくまとめてくれていた。あんな話し方だったのに、ありがたい話である。 続いて、祝辞第一弾。新郎側の伯父の挨拶である。 いきなり岐阜県の裏金問題と、福島県知事の問題から「これくらいなら、と思っていてもバレる」という話。いいなあという浮気したい相手がいてもバレる・・・という話だったと思う。 いいなあと思う相手がいても・・・というような部分がひっかかるが、でも、これはいいスピーチだ。そう、これが世間一般のカップルの姿だと思う。 それに対して我々がどんなものか、この結婚式でみせつけてやろう。 それもまた、この式の目的なのだ。 続いて、祝辞第二弾。新婦側の従兄弟による挨拶。 こちらは、新婦の紹介ということもあって、出身地・山形のことを語ってくださった。 一部の知人を覗けば、親族は岐阜と山形に偏って住んでいる。 なにが名物で、どういう県民気質で気候の国なのか、分からない者同士なので有り難い。 長くなるかも知れないが、遠隔地同士の披露宴の場合、こういう内容も必要だろう。 祝辞の後は、乾杯である。 以前にも書いたが、この披露宴では、とにかく料理を楽しんでいただきたい。 となれば、スピーチの順番待ちで緊張してもらうのは申し訳ない。なので、スピーチも乾杯も、全て料理の一品目よりも先に済ませておこうと思った。 そんなわけで、さっそく乾杯である。お願いしたのは金子の伯父貴。89才の親戚だ。 司会による紹介で、その年齢を聞いて皆が驚く。その矍鑠(かくしゃく)とした態度に。 ここでは語られなかったが、以前の日記に書いたとおり、この人こそ、元三菱のエンジニアで、いまでもパソコンを使いこなし、あまつさえ自分の葬式用の写真をフォトショップでレタッチしているような人物である。最近、水彩画をはじめたそうだが、これももちろんパソコンでだ。 89才まで、奥様とよりそっていつも仲がいいこの人に、乾杯の音頭をとってもらえることの喜び。 まだ三ヶ月にもならない我々が、このひとに祝福してもらえることでどれほど勇気づけられるかしれない。 事前にメールでいろんなやりとりをした。後で語る新郎によるスピーチの内容も、もう伝えてある。 それに感動してくださった上での、乾杯だった。とても祝福されているのがわかる。 きっちりとまとまった短い辞の後、グラスが掲げられた。 「乾杯!」 会場中が、グラスをあおる。 同時に流れるBGMは、「ジャイアントロボ the Animation 世界が静止する日」より「国際警察機構」のテーマ。 遠くでカメラマンの風さんがひっくりかえっていた。 乾杯のBGMは意外に難しい。 乾杯は、どんなタイミングで行われるかわからない。二言三言で乾杯かも知れないし、杯を持ってからすごく話すケースもある。 なので、乾杯BGMは、普通の曲を選ぶと曲調の緩やかな部分がある曲では盛り下がったところで乾杯になりうるのだ。 したがって「常に盛り上がりっぱなしで3分間もつ」という曲を探さないといけない。このテーマは、まさにそれだった。なお、この曲は、前奏が長いのでそのへんもちゃんと編集してある。
■ 2007.01.15 - D part -「料理」D-DAYプラスマイナスゼロ 乾杯のあとは、いっせいに料理が運び込まれる。 同時に、料理長によるメニューの紹介だ。 本日の料理 ・九つの喜びのオードゥブル ・松茸のベニエ アボガドのサラダと共に ・蟹とフカヒレのロワイヤルスープとフォアグラのパイ包み ・天然の真鯛と伊勢エビのハーモニーなり多風 ・お口直しのシャーベット ・飛騨牛のステーキ和風ソース ・洋梨のコンポート アプリコットソース ・コーヒー、焼きたてパン 後述するが、文字などでは決して伝わらない「驚愕」と言っていいレベルの美味だった。 人間の舌というインタフェースでは、いくつかの情報がキャッチしきれずにこぼれていくような、そんなグレードだった。 うますぎる。ここまでうますぎると、計測不能な取りこぼし分がある分だけ、ある意味で悲劇だと思うくらいの美味さだった。 もし、ある程度以上の重要人物を食事に誘わなくてはならなくなったら、わたしは家から一時間ほどかかるが、そして名古屋に行こうなどとは考えず、ここを選ぶ。 間違いなく、予想の遙か上を行く味のはずだ。 だが、新郎新婦がそれを食べられたか、というと話は別だ。実際は、最初のオードブルをほんの少しつまんだだけで、それ以後は烏龍茶とグレープフルーツジュースしか口に出来なかった。 とにかくスケジュールが忙しいのだ。お色直しがこの披露宴で二度(式も含めれば三度)もあるし、あちこちに挨拶をしに行かなければならない。 もちろん式のスタイルによっては、新郎新婦はほとんど席を立たないというのもある。だがその場合でも、親族からスピーチや歌などを披露されたら食事をせずにじっくりとみてあげないといけないし、花嫁なんかは、ドレスや打掛で食事をするというのがすごく大変であり、また恥ずかしく、食事などあまりできないそうだ。 そう考えると、(けらえいこも著作でそう言っているが)新郎新婦の食事は、この際もう食品サンプルとかでいいのではないかとすら思う。 ロウとかでできているアレだ。こう、スパゲッティを巻いたフォークが宙に浮いてるアレなんかシュールでいいかもしれない。 さて、披露宴の全予定を通じて、数分でも食事ができるタイミングは、オードブルの出ているいましかない。貴重な時間だ。 そう考えて、なによりもまず、ゆきこさんに「はい、あーん」する。 「あーん」「はい、拓美さんもあーん」「あーん」 ノヴァ博士張りに「おいちい!」とか叫びそうな顔でもぐもぐやってるとカメラマンが半分以上あきれた顔で寄ってきた。「天野さん天野さん」 「ん、なあに?」 「あのー、無粋なことを言うようですが、そういうのは、普通は、もっとこう、宴が盛り上がってきて、酒も入って、ちょっとハメをはずしちゃおっかナーという感じになってきたあたり、つまり宴の終盤か、二次会・三次会くらいでするイベント行為ですよ、一般的には」 「ははは、やだなあ、ははは。わかってますよそれくらい。ロメオさんもわかってるでしょ?」 「なにがですか?」 「そのへんは最近の日記で加速がすんでいるので、このテンションはうちではすでに巡航速度なんですよー」 「あー、そういや貴方たちは常にトップギアでしたねえ・・・」 「はい、ゆきこさん。鮭のマリネあーん」 「あーん」 ロメオさんの式服の黒い背中に、ぼんやりと「何を言っても無駄」とか「こいつら100%伝説」という字が浮かんで見えた。 無視して箸を運ぶ。「このマッシュルームすげえ美味いよ、あーん」 ところで、一般の結婚式では、カメラマンの席であっても、新郎新婦の席であっても、お構いなしにコースはだされるらしい。なので、新郎新婦がイベント(昔で言うキャンドルサービスなど)をしていたり、恥ずかしくて食べられないでいるうちに、どんどん皿が溜まったり、口も付けていない料理(○万○千円)がどんどん下げられてしまう。カメラマン諸氏が席を不要としたのは、そのへんもある。Su氏も昔、披露宴のカメラマンをしていて、流されていく料理に涙したそうだ。 なり多は、そのへんも考慮してくれていて、テーブルにはオードブルだけしか出なかった。そして、式が終わった後に、お疲れさま会の場所を作ってくれて、そこでコースを出し直してくれる。 40人余の料理とわけて2人分だけ同じものをつくる。もう一度おなじコースを準備し直す手間がどれだけかかるだろう。一緒に出してしまえれば効率的なことを考えると、本当に有り難い。すばらしいサービスだ。 披露宴の席で食事ができないスタッフ(カメラマン諸氏と、司会の岩田さん)にも、同様にお疲れさま会で食事を振る舞うことになっている。最初は「弁当でいい」という話だったので「じゃあ6000円の弁当もたせるから!」という話になっていた。6000円の弁当ってどんなクオリティだろうとワクワクしていたが、せっかくなので、その予算でおまかせのコースにしてもらった。3900円のコースでも、かなり凄いものがでる「なり多」である。実際、値段に見合って期待を裏切らぬ素晴らしいものだった。これも後述しよう。
■ 2007.01.15 - E part -「祝電披露」D-DAYプラスマイナスゼロ 二人で食べさせ合うのができたのは、やはりほんの数回だった。 すぐに祝電の披露である。 取引先の社長から、あるいは出席できなかった親戚から、新婦の友人から、新郎の知人から、そして、一度だけ講義の準備を手伝ったことがある教育学部の大学講師さんから、さまざまな祝電が届く。あとで見たが、天使のキティちゃんのぬいぐるみがついていたり、色紙や七宝焼きの絵皿がついていたり、レーザー彫刻されたクリスタルの文鎮つきと、どの祝電もすごく豪華だった。 祝電は、最初にメッセージが読まれて、最後に「○○さま」と差出人が呼ばれる。 「(本名)さん、御結婚おめでとうございます。お二人の新たな門出を祝福し、前途ますますのご多幸とご家族皆様方のご隆盛を、私達兄妹も心より祈念いたします。 海神航さま」 ウーロン茶ふいた。 え? あれ? あの、海神航って、 この御方か? というか、わたしの関係者でこんな贈り方をしてくれるのは、このひとしかいない。 瞬間あきれたが、しかし、たしか祝電とは1文字いくらの世界のはず。 こんなにしてくださって、ほんとうに、こう、あの、なんと感謝したらいいか。
■ 2007.01.15 - F part -「中座」D-DAYマイナス00 アニメキャラから祝電が届いたとゆーのに、スタッフ含めて私以外会場の誰もその事実がわからないという、妙な居心地の席から、ようやく立つときが来た。 新郎新婦中座(オードブルを食べ終わる〜松茸が出るくらいのタイミングで)である。 全体を裏で仕切っているプランナーの安企子さんから、司会の岩田さんへサインが伝えられて、アナウンスがはじまる。 お色直しのための中座なのだが、ただ出ていっては意味がない。 実際に他の結婚式のビデオ(わたしがかつて撮影したもの)など見ていると、花嫁が退場するとき、すぐ横を通っているのにぜんぜん気にしないでふんぞり返って煙草をぷかぷか吸ってる人もいるくらいで、花嫁の退場は、実はあまり注目されないのだ。特に「つきあいで来てやってる」スタンスの人だとなおさらである。でも、それだと会場の一体感がない。 なので、奥の席から順に挨拶をしてまわった。 というか、この見事すぎる色打掛と、それを着こなす超絶美女を見せびらかしたいというのが主目的だ。思いつきではなく、ちゃんと進行に入れてある。 それにしても、花嫁さんを間近で見られる、というのはサービスであると思う。 姉が結婚したころは、まだキャンドルサービスというのが全盛で、それが招待客と新郎新婦との「ふれあい」の機会だった。とにかく「おもてなしする」というのが趣旨なので、2人はこのあともテーブルを巡りまくることになる。 退場のBGMは、無難にエンヤ。「メモリー・オブ・トゥリー」から。 それにしても、どこにいっても祝福された。話の好きな叔父さんたちに止められて、誉められたり、説教を受けたりした。これでかなり時間がとられる。基本は、縁遠い親戚ほど大切にするというスタイルなので、そっちメインに回り、家族のテーブルは簡単にしただけだった。 最後に到着したテーブルで、姉がしみじみという。 「よかったねえ」 「ありがとう、お姉ちゃん」 「ほんとうによかったねえ。こんな○○(頭髪に不自由している様子)でも結婚できて」 「そのぬるま湯のはいった湯たんぽでゆっくり殴るような攻撃やめて」 ふと気がつくと、遠くから強烈なアイコンタクトがあった。 顔面こそニコニコと笑っているが美容師さんの目の奥が怒り泣きみたいな色になっている。 やや切り上げる感じではあったが、出席者の全員とお話しもできたので、新婦のお義父さんに花嫁を預けることにした。 退出は、ゆきこさんとお義父さんが一緒だ。 (この趣旨がいまだによく理解できていないのだが) 会場の南で一例・北に一例して退出する。新郎はそれを見送る。 白無垢+色打掛から、加賀友禅へのお色直しである。 新郎は、その場であちこちに挨拶する。新郎は着替える必要がないので、新婦の支度が「あと10分で完了します」という頃にこっそり抜けるのだ。 それまで新郎はヒマである。両家の家族とお話する時間が少なかったので、そっちの席をメインに歩き回り、特にお義兄さんと話をした。 実は私はこのお義兄さんが、すごく好きなのだ。 結納をして以降、両家の誰かの誕生日には、かならずお互いから贈り物をしている。 わたしはゆきこさんの家族に、ゆきこさんはわたしの家族に、だ。 式までの間に、お義母さんにはお花を、お義兄さんには、飛騨高山の銘酒「氷室」をおくった。 実はその前、一度ご挨拶に行ったときに、お義兄さんとふと盛り上がった話題があった。そして、前回お会いできた結納の時に、贈り物としてもっていったものが・・・ こちらでございます。 ちなみに甥(ゆきこさんの弟のお子さん)にはポケモンのカードを買っていった。ジャスコのカウンターで、ショーケースを指さして「これ全部くれ」と言って、まわりの子供をどよめかせたりなんかした。 「いやー、ホントにもってくるとはおもってなくってさー」 「あはは。でもお兄さん、Zガンダムの劇場版に反応してたじゃないですかー。あと、ゆきこさんにガンダムみせてくれた功績はむちゃくちゃ大きいデスヨー」 「それにしても、昔のガンプラと大違いで、マスターグレードってすごいのな。足首の関節とか」 「そうなんですよ! あと、あの大きさっていじって遊ぶのにちょうどいいですよね」 「うちでも、バズーカもたせたり、マシンガンかまえさせたりしてるよー」 「わたしんとこでは、机の反対にガンダムと差し向かいで置いてますよ。で、まんなかあたりに座って『お、おれはいま、戦場にいるッ!』とか一人で盛り上がったり」 「えへへ。あんまり出来がよかったから、今度は自分でグフかっちゃったよ」 「ザクの次はグフですよねー! わたしもグフ(カスタム)買ったんですけど、つくり時間がなくって・・・」 紋付き袴を着た新郎と、礼服を着た新婦の兄が、結婚披露宴でした思い出の会話だった。
■ 2007.01.15 - F part -「中座」D-DAYマイナス00 アニメキャラから祝電が届いたとゆーのに、スタッフ含めて私以外会場の誰もその事実がわからないという、妙な居心地の席から、ようやく立つときが来た。 新郎新婦中座(オードブルを食べ終わる〜松茸が出るくらいのタイミングで)である。 全体を裏で仕切っているプランナーの安企子さんから、司会の岩田さんへサインが伝えられて、アナウンスがはじまる。 お色直しのための中座なのだが、ただ出ていっては意味がない。 実際に他の結婚式のビデオ(わたしがかつて撮影したもの)など見ていると、花嫁が退場するとき、すぐ横を通っているのにぜんぜん気にしないでふんぞり返って煙草をぷかぷか吸ってる人もいるくらいで、花嫁の退場は、実はあまり注目されないのだ。特に「つきあいで来てやってる」スタンスの人だとなおさらである。でも、それだと会場の一体感がない。 なので、奥の席から順に挨拶をしてまわった。 というか、この見事すぎる色打掛と、それを着こなす超絶美女を見せびらかしたいというのが主目的だ。思いつきではなく、ちゃんと進行に入れてある。 それにしても、花嫁さんを間近で見られる、というのはサービスであると思う。 姉が結婚したころは、まだキャンドルサービスというのが全盛で、それが招待客と新郎新婦との「ふれあい」の機会だった。とにかく「おもてなしする」というのが趣旨なので、2人はこのあともテーブルを巡りまくることになる。 退場のBGMは、無難にエンヤ。「メモリー・オブ・トゥリー」から。 それにしても、どこにいっても祝福された。話の好きな叔父さんたちに止められて、誉められたり、説教を受けたりした。これでかなり時間がとられる。基本は、縁遠い親戚ほど大切にするというスタイルなので、そっちメインに回り、家族のテーブルは簡単にしただけだった。 最後に到着したテーブルで、姉がしみじみという。 「よかったねえ」 「ありがとう、お姉ちゃん」 「ほんとうによかったねえ。こんな○○(頭髪に不自由している様子)でも結婚できて」 「そのぬるま湯のはいった湯たんぽでゆっくり殴るような攻撃やめて」 ふと気がつくと、遠くから強烈なアイコンタクトがあった。 顔面こそニコニコと笑っているが美容師さんの目の奥が怒り泣きみたいな色になっている。 やや切り上げる感じではあったが、出席者の全員とお話しもできたので、新婦のお義父さんに花嫁を預けることにした。 退出は、ゆきこさんとお義父さんが一緒だ。 (この趣旨がいまだによく理解できていないのだが) 会場の南で一例・北に一例して退出する。新郎はそれを見送る。 白無垢+色打掛から、加賀友禅へのお色直しである。 新郎は、その場であちこちに挨拶する。新郎は着替える必要がないので、新婦の支度が「あと10分で完了します」という頃にこっそり抜けるのだ。 それまで新郎はヒマである。両家の家族とお話する時間が少なかったので、そっちの席をメインに歩き回り、特にお義兄さんと話をした。 実は私はこのお義兄さんが、すごく好きなのだ。 結納をして以降、両家の誰かの誕生日には、かならずお互いから贈り物をしている。 わたしはゆきこさんの家族に、ゆきこさんはわたしの家族に、だ。 式までの間に、お義母さんにはお花を、お義兄さんには、飛騨高山の銘酒「氷室」をおくった。 実はその前、一度ご挨拶に行ったときに、お義兄さんとふと盛り上がった話題があった。そして、前回お会いできた結納の時に、贈り物としてもっていったものが・・・
こちらでございます。 ちなみに甥(ゆきこさんの弟のお子さん)にはポケモンのカードを買っていった。ジャスコのカウンターで、ショーケースを指さして「これ全部くれ」と言って、まわりの子供をどよめかせたりなんかした。 「いやー、ホントにもってくるとはおもってなくってさー」 「あはは。でもお兄さん、Zガンダムの劇場版に反応してたじゃないですかー。あと、ゆきこさんにガンダムみせてくれた功績はむちゃくちゃ大きいデスヨー」 「それにしても、昔のガンプラと大違いで、マスターグレードってすごいのな。足首の関節とか」 「そうなんですよ! あと、あの大きさっていじって遊ぶのにちょうどいいですよね」 「うちでも、バズーカもたせたり、マシンガンかまえさせたりしてるよー」 「わたしんとこでは、机の反対にガンダムと差し向かいで置いてますよ。で、まんなかあたりに座って『お、おれはいま、戦場にいるッ!』とか一人で盛り上がったり」 「えへへ。あんまり出来がよかったから、今度は自分でグフかっちゃったよ」 「ザクの次はグフですよねー! わたしもグフ(カスタム)買ったんですけど、つくり時間がなくって・・・」 紋付き袴を着た新郎と、礼服を着た新婦の兄が、結婚披露宴でした思い出の会話だった。
■ 2007.01.15 - G part -「ケーキカット」D-DAYプラスマイナスゼロ さて、式が終わって、披露宴が始まると、午後の会場は貸切ではなくなるので、一階には一般のお客様がお食事をしていることになる。 半貸切状態だが、問題点は特にない。新郎新婦が会場入りする前、階段の下で待機している様子を一般客に見せることが出来るというくらいで、これは むしろうれしい。 花嫁の着付けが終わりそうになると、スタッフが新郎を呼びに来てくれる。 ところで、さきほどの挨拶まわりで、かなり長い時間を拘束されたため、結婚式の進行に遅延がでていた。 このままでは、15:30に終了という予定が危うくなってきている。 だが、控え室に行ってみると、驚異的なスピードでお色直しがおわっていた。 「よし、取り戻した!」 髪に花を飾り終えて、美容師さんが宣言した。 日本髪をアップに変え、着け毛をし、まるい花をあしらう。うなじが綺麗に見えているゆきこさんの着ている振袖は、200万の加賀友禅だ。(値段が出るところが商売人ですみません) 姉が成人式で着ていたものである。何十年と経っても色あせることなく、また時代遅れになることもなく、いい着物が一着あれば、どこに出ていっても恥ずかしくないという、礼装としての着物のすばらしさを実感する。 そして、着物自体もすごかった。 黒地に花や鳥が浮かび、水が流れる。そしてそれを引き立てる物凄い黒。あらゆる光りを吸い込む漆黒の闇に、目が醒めるほどに鮮やかに浮かぶ花鳥の数々。30年を経て変わらぬ、そのすばらしき美しさ。 もとは父が姉のために選んだ柄だった。 そして、この衣裳が、この衣裳をきたゆきこさんが、席を縫って歩く。 それは、本当に華が歩いているかのような情景だった。 新郎新婦入場 階段下で入場準備と、カメラマンの配置完了。 マンデリンさんは下から撮影する担当なので、ここにいる。風さんは上からだ。 支配人の合図で階段を登る。同時にBGMが流れる。 着いてこようとしたマンデリンさんが、階段を踏み外した。 BGMは「Kanon」より「朝影」だった。 結婚式で使えるBGMは、準備のときに書いたとおりだったが、そのすべてにできるだけ心情的な曲を用意しようと思っていた。 しかし、もってるサントラなどを聴きなおしてみたが、自分が「好きな曲」「心情的な曲」と思っているいわば候補曲は、どれもどこか哀しい旋律を秘めている。要するに、結婚式では使えないのだ。「ああっ女神さまっ」のサントラや「井上喜久子クラシック」など使いたかったが、好きな曲とシチュエーションに合う曲は違う。その中で、KEY系の曲は、よく採用された。 ケーキカット 紋付き袴と、振袖での入場。これも拍手が巻き起こる。 両方の部屋に挨拶をし、司会のアナウンスにしたがって、部屋の間にあるスペースに移動。 ここでケーキカットとなる。 用意されていたケーキも、すごいスケールだった。 60インチのプラズマテレビくらいある巨大なケーキである。 感無量という感じで見下ろしていると、会場スタッフからナイフが渡された。そして司会の声。 「新郎新婦、ケーキ入刀です」 「ファイナル・ゴッドマーズッ!!」 どれくらいこれをやってやろうかと思ったが、こんなギャグのわかる人間は、関東中部圏では、池袋にお住まいのますべさんくらいしか思いつかない。あとは、あんよさんとか。 思い直して、司会に従っておとなしく、さくさくとケーキに入刀する。 岩田さんが「どうぞ中央のお部屋にご注目ください」とアナウンスしてくれたので、みなさんにはかぶりつきで写真撮影をしてもらった。 撮影のあと、ケーキは出席者43名+司会+カメラマン3人分+新郎新婦の・・・49個に分割し、あとで配膳されたが、これがまたとんどもなく美味かった。 動物性の生クリームが、舌にのせたとたん、すうっと溶けて震えるような甘みを残して消滅する。 「あえてスポンジだけ食べた」という人が、それはそれで美味さに悶絶していた。 「おいしそうなケーキだなって軽い気持ちで食べた」という人が、目を皿のようにしてしばらく口が聞けなかった。 「料理が美味しくて、お腹一杯。もう食べられないから、パックをちょうだい」とスタッフに頼んだ親戚のおばさんがいたが、スタッフがパックケースをもってきたときには「ごめん、お腹にはいっちゃった」と謝っていた。 「ああもう、お腹はいっぱいのはずなのにするすると・・・」とか言う感じの声が会場のあちこちから聞こえていた。
■ 2007.01.15 - G part -「ケーキカット」D-DAYプラスマイナスゼロ さて、式が終わって、披露宴が始まると、午後の会場は貸切ではなくなるので、一階には一般のお客様がお食事をしていることになる。 半貸切状態だが、問題点は特にない。新郎新婦が会場入りする前、階段の下で待機している様子を一般客に見せることが出来るというくらいで、これは むしろうれしい。 花嫁の着付けが終わりそうになると、スタッフが新郎を呼びに来てくれる。 ところで、さきほどの挨拶まわりで、かなり長い時間を拘束されたため、結婚式の進行に遅延がでていた。 このままでは、15:30に終了という予定が危うくなってきている。 だが、控え室に行ってみると、驚異的なスピードでお色直しがおわっていた。 「よし、取り戻した!」 髪に花を飾り終えて、美容師さんが宣言した。 日本髪をアップに変え、着け毛をし、まるい花をあしらう。うなじが綺麗に見えているゆきこさんの着ている振袖は、200万の加賀友禅だ。(値段が出るところが商売人ですみません) 姉が成人式で着ていたものである。何十年と経っても色あせることなく、また時代遅れになることもなく、いい着物が一着あれば、どこに出ていっても恥ずかしくないという、礼装としての着物のすばらしさを実感する。 そして、着物自体もすごかった。 黒地に花や鳥が浮かび、水が流れる。そしてそれを引き立てる物凄い黒。あらゆる光りを吸い込む漆黒の闇に、目が醒めるほどに鮮やかに浮かぶ花鳥の数々。30年を経て変わらぬ、そのすばらしき美しさ。 もとは父が姉のために選んだ柄だった。 そして、この衣裳が、この衣裳をきたゆきこさんが、席を縫って歩く。 それは、本当に華が歩いているかのような情景だった。 新郎新婦入場 階段下で入場準備と、カメラマンの配置完了。 マンデリンさんは下から撮影する担当なので、ここにいる。風さんは上からだ。 支配人の合図で階段を登る。同時にBGMが流れる。 着いてこようとしたマンデリンさんが、階段を踏み外した。 BGMは「Kanon」より「朝影」だった。 結婚式で使えるBGMは、準備のときに書いたとおりだったが、そのすべてにできるだけ心情的な曲を用意しようと思っていた。 しかし、もってるサントラなどを聴きなおしてみたが、自分が「好きな曲」「心情的な曲」と思っているいわば候補曲は、どれもどこか哀しい旋律を秘めている。要するに、結婚式では使えないのだ。「ああっ女神さまっ」のサントラや「井上喜久子クラシック」など使いたかったが、好きな曲とシチュエーションに合う曲は違う。その中で、KEY系の曲は、よく採用された。 ケーキカット 紋付き袴と、振袖での入場。これも拍手が巻き起こる。 両方の部屋に挨拶をし、司会のアナウンスにしたがって、部屋の間にあるスペースに移動。 ここでケーキカットとなる。 用意されていたケーキも、すごいスケールだった。 60インチのプラズマテレビくらいある巨大なケーキである。 感無量という感じで見下ろしていると、会場スタッフからナイフが渡された。そして司会の声。 「新郎新婦、ケーキ入刀です」
「ファイナル・ゴッドマーズッ!!」 どれくらいこれをやってやろうかと思ったが、こんなギャグのわかる人間は、関東中部圏では、池袋にお住まいのますべさんくらいしか思いつかない。あとは、あんよさんとか。 思い直して、司会に従っておとなしく、さくさくとケーキに入刀する。 岩田さんが「どうぞ中央のお部屋にご注目ください」とアナウンスしてくれたので、みなさんにはかぶりつきで写真撮影をしてもらった。 撮影のあと、ケーキは出席者43名+司会+カメラマン3人分+新郎新婦の・・・49個に分割し、あとで配膳されたが、これがまたとんどもなく美味かった。 動物性の生クリームが、舌にのせたとたん、すうっと溶けて震えるような甘みを残して消滅する。 「あえてスポンジだけ食べた」という人が、それはそれで美味さに悶絶していた。 「おいしそうなケーキだなって軽い気持ちで食べた」という人が、目を皿のようにしてしばらく口が聞けなかった。 「料理が美味しくて、お腹一杯。もう食べられないから、パックをちょうだい」とスタッフに頼んだ親戚のおばさんがいたが、スタッフがパックケースをもってきたときには「ごめん、お腹にはいっちゃった」と謝っていた。 「ああもう、お腹はいっぱいのはずなのにするすると・・・」とか言う感じの声が会場のあちこちから聞こえていた。
■ 2007.01.15 - H part -「テーブルサービス」D-DAYプラスマイナスゼロ ケーキカットを終えて、席に戻ってくると、司会による友人へのインタビューがはじまった。 岩田さんがテーブルを飛び回ってのインタビューである。 ゆきこさんの知人のコメントによると、彼女が岐阜に来たときの、まだ心細かったころの話が聞けた。 そのころに彼女を助けてくれた話が、有り難かった。 そして、いまはもうゆきこさんは頼れるお姉さんであるとのこと。 これも、うれしかった。 テーブルサービス そしてこのあとが、この結婚式で、実は唯一こだわったイベントである。 ワインでのテーブルサービスだ。 会場の構造上、新郎新婦とゲストの距離が遠いので、先述の挨拶回り同様、とにかく客席を回りたい。 その上で行うこのテーブルサービスとは、簡単に言えばワインによるお酌である。挨拶と御礼としてのお酌だ。でも日本酒ではなく紅い酒を用意したこの意味は、血縁になる儀式の象徴としてである。 ゆきこさんの家系にとってわたしは他人でしたが、これで親戚です。よろしくお願いします。 わたしの家系にとってゆきこさんは他人でしたが、これで親戚です。よろしくお願いします。 そう言って、心を込めて、二人でお酌して回った。二本用意したが、一本で何とか足りた。 ワインは、なり多で用意してもらった。 オーストラリアで「作らせている」ワインである。 先述の通り、色は赤。このとき出ていた飛騨牛のステーキともよく合った。 ケーキカットと、ワインサービスが同じフェーズ内にはいってしまい、ちょっとガチャガチャしたと思う。感想としては「新郎新婦が間近で見られるイベントが多くて、楽しかった」という風に感じていただけたようので、悪くはない。 ただ「動いて何かする」というイベントは、花嫁の衣装の都合上、もっとも動きやすい友禅のこのときしかできないのだ。 つねに裾をもって歩かねばならない打掛と、スカートのふくらみのために歩きにくいドレスで、ワインサービスをするのは難しい。花嫁の衣裳でできるかどうかを軸に考えた結果だ。 お酌サービスのとき、テーブルの親戚方との記念撮影を行った。 1テーブルごとの記念撮影である。 提案してくれたのはカメラマンのマンデリンさん。 結婚式に出席こそしたものの、写真を送ってもらったら集合写真のコピーと後頭部しか写っていなかった・・・という話は、わたしも聞いたことがある。その対策としてもいい。 できるだけ年輩の方には動いてもらわなくてもよい位置に、新郎新婦が移動する。たとえば四人掛けのテーブルなら、年長者はそのままに、最年少の方には、ちょっとだけ椅子をズラしてもらって、記念撮影だ。 確実に、ちゃんとした顔で、新郎新婦といっしょに撮影する。 写真に写ってくださる目立ちたがりばかりではないので、こういうのは有り難い。 お送りすれば、後々この式を思い出してもらえると思う。 ただ、これをやる場合、かなり時間がかかる。今回は、挨拶を色打掛のときにすませておいたので「じゃあ、記念撮影を・・・」というだけで楽に進めたが、会場には、事前に許可が必要だ。 それでこのイベントを進行に入れたとき、15:00終了予定を、15:30に修正してもらったのだ。 写真は、みなさん喜んで入ってくださった。 若い人の方が、変に照れているようだった。 「お姉ちゃん、いっしょに写ろう」 「えー、はずかしいー」 「いいじゃんか、ほら、ゆきこさんは、妹になるんだから」 「妹になる!?」 変なキーワードに横から反応する甥。 「妹? スール? え? ロザリオ!?」 「15才の比較的健全な中学生男子で百合に興味があるというのはちょっとどうかと叔父さん思うなあ」 そのシンちゃんだが、ガンダマー同士なのが分かったのか、ちょっと目を離した隙に、お義兄さんと意気投合していた。 お酌をしてテーブルを回っている途中で、かすかに「グフカスタムのガトリングガンが!」という、結婚披露宴ではあまりきけない単語がきこえてくる。08小隊の話を遠慮なくしてる空気読めてない甥に、こころの中で「お義兄さんは、ファーストとZしかまともにみてない世代だから、OVAレベルの話は勘弁してやれ」と念を飛ばしてみたが、甥は絶好調でグフの火力不足をB3カスタムがいかに補っているかを力説していた。 そんな会話を耳にはさみつつ、ちゃんと全卓をまわり、全員に(ちょっと舐めるだけだが子供たちにまで)ワインを飲んでもらえた。 最後には、わたしの父の写真にも、母にハンカチを当ててもらい、くちもとにワインを含んでもらった。 ゆきこさんの「嫁ぎきる」という意思の表れでもあった。 最初に一杯飲んでもらって「このワインおいしいねえ」と呑気に言っていた母が、 このとき泣き出した。
■ 2007.01.15 - I part -「アルコールの脅威」D-DAYプラスマイナスゼロ お酌の終わった後には、洋梨のコンポートが出て、切り分けられたケーキと、コーヒーが給仕される。 このタイミングで、会場のスタッフが引き出物を各テーブルに配った。 帰りがけに渡す方法もあるらしいが、渡し損なうのが恐ろしいので、堅実な判断だと思う。 中座 ワインのサービスが終わり、席に戻ってほとんどそのまま腰を上げる。 和装から洋装へのチェンジであるため、新郎新婦二人一緒での中座だ。 時間的にはタイムテーブルにほぼピタリ。5分以内の誤差しかでていなかったはずだ。 ここでも、最初のお色なおしと同じように、両方の部屋にお辞儀をしに行って退出するのだが、このとき、すでに天野の家の方では、かなり酒が進んでいた。 以前にも書いたが、まあ、そういう家系なのだ。 姉の結婚式のときの、酔った親戚の有様はほんとに非道かった。 結婚するなら、なによりまずこの親戚対策をしなくては、と思ったほどだ。最初に「結婚式は、ごく身内での食事会だけでいいのではないか」と考えていたのも、この要因が少なからずある。 なにしろ、ヤジが飛ぶ のだ。 ヤジというのは結婚式では割とよくあるらしいが、非常識の一種だと私は思う。 新郎のスピーチの途中ですら、怒鳴る親戚とかいた。 酒で判断力が無くなるのって恐ろしい。 もちろんヤジは無視してスピーチは語った。 ちなみに、姉の時のヤジは、ざっとこの10倍だった。 すくなくとも、ヤジ要員が10倍人数はいたのだ。 たしかに、ヤジ力に優れた親戚の皆様方の肝臓がコワレるのを辛抱強く何年もまってから結婚式を挙行したので、12年前の姉ときに比べればずいぶん大人しかったといえるが、それでも某氏から「新郎の一族の酒癖の悪さが炸裂しておりましたなあ」と言われるくらいには、やかましかったと思う。 ところで、こんな式ではあったが、一方で「みなさま、とても穏やかに飲んでいらっしゃいました」と支配人がコメントしていた。 上には上の酷さがあるということである。 酒に関して、さらに非道い披露宴になると、出席者が救急車で運ばれることがあるらしい。 無茶な飲み方をして、救急車で運ばれる人はいい。 その親戚は、会場中の笑顔を封じて去っていくだけだ。 でも、新郎新婦は披露宴を台無しにされている。 この日のためにと、休みを返上し、最高の一日にしようと準備してきたその披露宴を。 一生消えない傷になるだろう。 酔っぱらいというのは、本当に恐ろしい。酒は、人間をかろうじて犯罪者にしないでいるかすかな判断力を易々と奪う。 ゆきこさんは妊婦だと、わざわざ会場で宣言しているのに、その目の前で、グラス掴んだ手でそのまま平気で煙草を吸う人とか。(この人にも子供はいるので、そういうことは学んだはずだが)(ちなみにこの人には、妊娠発覚初期からかなり念を押して置いたのだが・・・) 新郎新婦が、アナウンスとともに真横にきて深々とお辞儀しているのに、まったく無視して酒飲んで別の話題でゲラゲラ笑ってる人とか。 酒が入った人間の、判断力の低下ってすごいものだなあ・・・と、あらためて思う。 でも、この怒りの動機は、どうして私たちを全力で祝福しないのか・・・という、自分が愛されたい動機なのだと思う。今日は、お互いにお互いの親類をもてなすのが、我々の使命だ。説教をすることではない。 来ていただけたことだけでも感謝だ。そう考え直そう。 そして、愛し得ない人を許し、許し得ない人を愛そう。 そう思えるのは、ここにいる人たちが、最愛の人の親戚だからだ。
■ 2007.01.15 - J part -「お色直し」D-DAYプラスマイナスゼロ 最後のお色直しである。ここでも美容師の手指が閃くように動いた。 紋付き袴と加賀友禅の振袖が、ものの数分でタキシードとカラードレスに変わる。 和装用のメイクを落として、洋装用のメイクに替える。 あっという間に着物を脱いで、ドレスを着付ける。 ヘアを替え、髪飾りを替え、アクセを替える。 新郎が自分でタキシードに着替えるより早く、花嫁の着付けはおわっていた。さすがである。 ちなみに、新郎はここでようやくトイレタイムだ。 オードブルが出たころに、グラスに半分ほどのの烏龍茶を飲んで以来なので、それほど尿量もない。 でも、こうしたインターバルが無いとキツイのもたしかだ。 洋装への着替えをひとつ入れておいて助かった。 これは花嫁にも同じことがいえる。 衣装代を節約しようと、ドレスならドレス、和装なら和装だけで終わらせて、お色直しは無し、というスタイルもあるにはある。 洋装一点のみだと、美容料金は21000円。もちろん貸衣装も一着で済む。あわせて衣装代10万くらいだろうか。今回のように総経費で40万円強(新郎もあわせれば50万)ほどかかっているのを考えれば、節約のしどころかも知れない。 だが、こういう機会は一回しかないし、今後もありえない。 それに、最大4パターンに超変身できるというクウガ張りのフォームチェンジができるのだ。この贅沢はうれしいし、式の進行もダレない。 それに、本題に戻るが、お色直しは、花嫁のインターバルになるのだ。 1ラウンドを戦ってきたボクサーが、コーナーに戻って体力を回復させるのと同義である。 さらに言えば尿の処理もできる。 ある花嫁は、洋装一点の衣裳で式に臨み、全行程が終了した瞬間にトイレに駆け込み、介添えの人に思い切りたくしあげてもらって、体中の血液がいっしょに抜け出したかと思うくらいに排水行為を実施したという。九死に一生だったそうだ。 洋装一点を考えるなら、こういう覚悟と、前日から無水断食するくらいの準備が必要だろう。 ゆきこさんともそんな話をした。 「もしくは尿カテ」という実も蓋もない話も冗談ででたが、さすがに尿道カテーテルで披露宴にのぞむという事態は、できれば避けたい。 最後のお色直しが完了した。 料理の配膳もほぼ終わっている。先述したように、コーヒーが出て、くつろいだ雰囲気になっている頃合いだ。残るは、詩吟と、そして、クライマックスである。 結局、最後のスピーチの内容を暗記する時間など、まったくなかったままの、入場であった。 BGMは「夏影」だった。 ロメオさんが、プロ根性(正確にはハイアマチュア根性)で、ビデオカメラの画面がぶれるのを押さえ込んでいた。
■ 2007.01.15 - K part -「詩吟とインタビュー」D-DAYプラスマイナスゼロ 新婦の伯父による詩吟の詠唱 「詩吟のできるひとがいる」というので、お願いしてみたが、いざ、という段になって「10年ぶりにやる」という話だった。正直おどろいた。 なぜか私たちは、この人がプロ級か、師範クラスの喉の持ち主だと思っていたのだ。 結婚式の余興は、軽い気持ちで名乗る方、軽い気持ちで推薦する方が多い。 だが、なぜか「結婚式で披露するくらいだからプロ級に違いない」とか、招待する方は思ってしまうのだ。 あまり過剰な期待はしないようにしたい。 聞かせていただいた詩吟は、その善し悪しは正直わからないが、それでも心を込めた、朗々とした見事なものだったと思う。 インタビュー さて、これから雪崩れ込むクライマックスの直前に、司会によるインタビューがある。 こうやって、お色直しのあとの空気を和らげてくれる岩田さんの手腕というか人柄がすばらしい。 ただ新郎新婦がもとめているイベントを消化していくのではなく、全体をまとめるために、要所にこうした参加型のイベントを挿んでくれる。 さきほどの友人へのインタビューもそうだったが、岩田さんが会場を走り回る。 最初は新郎新婦の席だった。わたしにマイクが向けられる。 「どうですか、花嫁さんは!」 「いままで、美人だ美人だと思ってましたが、これほどとは! と感動しています」 のけぞる岩田さん。 「きょ、今日はこういったお姿ですが、昨日までの、普段の姿のゆきこさんはどうでした?」 「昨日のゆきこさんも世界一でしたあ !!!」 会場中で受けてる気配はある。だが、天野にはマジでゆきこさんしか見えていなかった。 特にコメントしたわけではなかったが、洋装のゆきこさんは、ほんとうに綺麗だった。 胸が大きくて、顔が小さいので、ドレスが似合うのだ。 そして、メイクの力というのを認めないわけにはいかない。 素材のすばらしさを、よくここまで整えてくれたと感謝したい。 美容料金131,250円。これは安い。 その後は、家族へのインタビュー。 ホントによくとびまわってくれる岩田さんである。 父母・兄姉弟・そして甥っ子たちにもインタビューがあった。 「シンちゃん、今日の花嫁さんはどうですかー?」 「はい、すごく綺麗だと思います」 「新郎さんのことは、どうおもいますか?」 「尊敬してます。先生です!」 「ほほー、何の先生ですか?」 「・・・・・」 黙るな。 「え、ええと、人生・・・の?」 かろうじて応えるシンちゃん。 「そうですかー。結婚あこがれますかー? シンちゃんには、恋人はいますかー?」 二次元在住の、なら・・・。 と明確に応えなかったのは、彼なりの場への気遣いであり、かろうじてキープしている世間体というものだろうか。まだまだ捨てる物が多そうだ。 シンちゃんの弟の、リョウちゃんへもインタビューがあった。 「新郎はどんな方ですか?」 「ハゲ」 よーし、リョウちゃん、おまえ帰ったら・・・ 「鉛筆と空き缶の刑」な。 それにしても、岩田さんがほんとによく飛び回ってくれた。 いい質問してくれるし、会場は、すごく楽しそうだった。 その笑いの余波が収まらない内に、宴はクライマックスに入る。
■ 2007.01.15 - L part -「クライマックス」D-DAYプラスマイナスゼロ 席に戻った司会のナレーションがあり、新郎新婦が起立する。 両家の父母が、同じように起立し、窓を背に立った。 主観だろうか、あるいは実際にその場がそうだったのかもう記憶にないが、 会場がすっと静かになった。 花嫁からの手紙 司会が、前日に花嫁から受け取った両親への手紙を代読する。 これは、花嫁本人が読んでもいい。だが、ゆきこさんには苦手なことだし、それに、自分で読むと思うと、思ったままのことを書けないこともある。 代読者が新婦のこころを理解している人であるなら、任せてしまってよいだろう。 「お父さんへ・・・」 「お母さんへ・・・」 胸の深いところからゆっくりと息を吐くような、そんな声で、手紙が読まれていく。 BGMは「青空」のインストゥルメンタルバージョン「銀色」 「AIR」において、晴子さんが波打ち際で自分を求める観鈴にむかって駆け出すときのBGMだ。 出だしだけ音が強いので、ここはフェードインにいじってある。 一部人間には反則気味の選曲だろう。だが、このBGMの力は一般人にもかなりな打撃があったらしく、花嫁の手紙を代読する司会も岩田さんも、たまにつまっていた。そして、 ぱた。 ぱたぱた。 ぱたた。 テーブルクロスに、ドレスの前で揃えられた両手袋の上に、ゆきこさんの涙が落ちた。 ああ、そうだ。 BGMはかざりでしかない。この内容は、ゆきこさんの人生そのものだった。 わたしの家に入ることへの、ここちよい緊張をともなった喜びと、 そして、気負わず、希望に満ちた強い決意が書かれていた。 いままで父母とは、ずっと別れて暮らしていた。 これからも別れて暮らすことは変わらない。 でも、これで本当に、あなたの家の子ではなくなってしまう。 おわかれのときだった。 縁が切れるわけではない。親子の因縁がなくなるわけではない。二度と会えないわけでもない。 それでも、この家に嫁ぐ以上、決して実家に甘えることはすまい。だから 娘として、感謝できるのは、今日が最後。 今が最後。だから、いまある限りの、娘でしかなかった自分の最後の感謝をこめて・・・ 「ありがとう」 会場の反対側で、御両親が泣いていた。 とくにゆきこさんのお義母さんが、ひどく泣いていた。 花束贈呈 新郎新婦の席で、会場に用意してもらった花束を受け取る。 そのまま歩み寄り、新郎は新婦の両親へ、新婦は新郎の母へ、それぞれ花束を贈った。 一束ずつもっているので、 ゆきこさんはわたしの母に。 わたしは、ゆきこさんのお母さんに。 お義父さんには、お義母さんの花束から一輪ぬいて、胸に点させてもらった。 お父さんも、お母さんも泣いていた。母も泣いていた。さっき友禅で挨拶にいったとき、気づきもしなかった兄が、目をうるませていた。 礼をし、席に戻り、ふたたび礼をする。 続いて、両家代表の謝辞。 本来なら新郎の父がするところだが、家長の兄がこれを務めた。兄も泣いていた。 新郎のスピーチ そして、最終最後のイベントである、新郎のスピーチがはじまる。 カンニングペーパーなど用意してみたが、見ていられるような状況ではなかった。 頭の中が、ほんとうに真っ白になっている。 なまじ、花嫁の手紙で感動してしまったので、切替ができない。 スピーチの経験や、こういうところでの場慣れがあまり無いというのが、情けなかった。 だが、これはこれでやるしかない。 まずは、御礼を。 そう切り出したら、口が勝手に動いてくれた。 みなさま、本日は私たちの結婚式に最後までおつき合いくださいまして、まことにありがとうございます。 最後に、わたくしから少し長くなりますが、この披露宴を設けさせていただいた動機をお話したいとおもいます。 私とゆきこさんは、今年の8月、家庭を出発しました。その前に、将来のことを話し合ったことがありました。 まず、お互いに絶対に浮気をしない、離婚をしないということを、あらためて誓いました。 これは、誓わなくとも、当たり前のことのように思われるかもしれません。でも、わたしたちはお互いだけを、唯一愛すると、改めて誓いました。いまお互いに持っている「この人しかいない。そしてこの人もそう思ってくれている」という安心感が、私たちの家庭の土台です。 そして、将来に子供を授かったら、どんな子に育てていくか。いろいろ夢のある話をしました。 しかし、いまの日本の環境で子供を育てることには、様々な危険があります。経済は豊かですが、内面的には青少年の倫理堕落の問題や、家庭の崩壊、環境問題などで滅びつつあるこの国です。毎日ニュースで知る限りでも、家庭を中心にして、信じられない事件が起こっています。 ですが、わたしは、日本というこの国が好きです。細やかな文化や、調和のこころ、そして義に生きる国民性があるこの国を愛しています。この国で、ゆきこさんと家庭を持ち、子供を育て、お互いの親に感謝をお返してずっと生きていきたいと思っています。 ならば、まず子供が成人するまでの環境を護りたい。そして、その子こそがこの国を救う役に立つよう育てたい。そう考えました。救うというと大それた話ですが、この国の将来を建て直す人物たちの、せめてその一員を私たちで育てたいのです。 やっと家庭をもって、まだ子供も生まれていないのに、早すぎると思うかもしれません。でも、私たちがともに暮らし始めるときが家族の出発点なら、そのときの動機と覚悟が、いつかそのごとくに実を結ぶと思うのです。 ですが、私たちはまだ若輩者です。二人で子供を育てて生きていくことだけでも大変なことでしょう。 いまの日本で、私たち二人だけで子供を護りきることは、実際に難しいのです。 ですから、お願いします。 親戚氏族の皆様。特に子育てを全うされた皆様。どうか私たちに力を貸してください。 若輩のわたしたちは、さまざまな苦労をするでしょう。二人だけでは乗り越えられない試練もあると思います。ですが、皆様からの応援さえあれば、 私たちは、幸せな家族を築き、 この国を建て直す役に立つ、立派な子供を育て、 そしてその栄光を、両家の皆様にお返しできます。 特にわたしは、山形の実家が育てたこの素晴らしい女性となら、それが実現できると確信しています。 そして、その覚悟ができたとき、ゆきこさんのお胎のなかにいる子供が授かりました。 この結婚式は、皆様が守ってきた日本の、しかし残念ながらいま病んでいっている日本の、新生の一端を担う家庭の出発式です。 その決意の表明と、そしてこれから御世話になるでありましょう皆様へのお願いの意味をこめて、披露宴を用意させていただきました。 お母さん。お兄さん。甥のシンくん、リョウくん。そして親戚のみなさま。 ゆきこさんのお父様、お母様。お兄さん、弟君、アオイくん。そして親戚のみなさま。 そして、今日は御写真のみの出席ですが、他界した私のお父さん。 そして私と、ゆきこさんのルーツである、先祖のみなさま。 私たちは、立派な家庭を作ってまいります。 そして、これから御世話になります。 どうぞ、よろしくお願いいたします。 本日は、ありがとうございました! スピーチの間にも、中断させようとするかのように飛んでいたヤジが、途中から「がんばれよー!」に変わっていた。 ヤジ担当以外は、老人ばかりの静かな会場が、静かに、それでも湧いていた。 司会がそのテンションをもりあげてくれる、希望がここにあることを示してくれる。 拍手と応援と祝福の中、本当に花が降っているような、そんな華やかな喜びの中での、新郎新婦の門出であった。 花嫁の手を引いて、わたしは会場を歩いた。 和装だと、共に歩くとき、どうしても「嫁が三歩さがってついてくる」というのが様(さま)になる。なので、手をつなげるのがしっくりこない。 そこへくると洋装は、ダンスがそうであるように、手をつなぐことに違和感がないのだ。狭い通路をひっぱり、親戚の前に並び、花嫁の腰を抱き、そして深々と礼をする。洋装を入れておいて、本当によかったと思った。 BGMは、エスカフローネのエンドタイトル。いま思うとエスカも実に使い易かった。もちろん、最後の「あたし、元気だよ」という台詞は編集してカットしてある。 幾重にも重なった弦楽器の音色が駆けめぐり、広がった旋律が集約されてはまた拡がっていく中、両方の部屋に礼をして歩いた。 このBGMは、緩やかに展開してきたメロディが、突然に渦を巻くように一つに集められ、一気に盛り上がっていく部分がある。ここが見事に門出のタイミングに合わさってくれた。 BGM選びは、ほんとうに大成功だった。強いて言えば、乾杯のBGM(ジャイアントロボ)が、料理長によるメニュー紹介にいたるまで流されっぱなしだったのは予想外だったが、それ以外は、きれいに役目を果たしてくれた。 全体に、深く、こころをこめて礼。 拍手のなかでの、大成功と言っていい、ふたりの門出だった。
■ 2007.01.15 - L part -「クライマックス」D-DAYプラスマイナスゼロ 席に戻った司会のナレーションがあり、新郎新婦が起立する。 両家の父母が、同じように起立し、窓を背に立った。 主観だろうか、あるいは実際にその場がそうだったのかもう記憶にないが、 会場がすっと静かになった。 花嫁からの手紙 司会が、前日に花嫁から受け取った両親への手紙を代読する。 これは、花嫁本人が読んでもいい。だが、ゆきこさんには苦手なことだし、それに、自分で読むと思うと、思ったままのことを書けないこともある。 代読者が新婦のこころを理解している人であるなら、任せてしまってよいだろう。 「お父さんへ・・・」 「お母さんへ・・・」 胸の深いところからゆっくりと息を吐くような、そんな声で、手紙が読まれていく。 BGMは「青空」のインストゥルメンタルバージョン「銀色」 「AIR」において、晴子さんが波打ち際で自分を求める観鈴にむかって駆け出すときのBGMだ。 出だしだけ音が強いので、ここはフェードインにいじってある。 一部人間には反則気味の選曲だろう。だが、このBGMの力は一般人にもかなりな打撃があったらしく、花嫁の手紙を代読する司会も岩田さんも、たまにつまっていた。そして、 ぱた。 ぱたぱた。 ぱたた。 テーブルクロスに、ドレスの前で揃えられた両手袋の上に、ゆきこさんの涙が落ちた。 ああ、そうだ。 BGMはかざりでしかない。この内容は、ゆきこさんの人生そのものだった。 わたしの家に入ることへの、ここちよい緊張をともなった喜びと、 そして、気負わず、希望に満ちた強い決意が書かれていた。 いままで父母とは、ずっと別れて暮らしていた。 これからも別れて暮らすことは変わらない。 でも、これで本当に、あなたの家の子ではなくなってしまう。 おわかれのときだった。 縁が切れるわけではない。親子の因縁がなくなるわけではない。二度と会えないわけでもない。 それでも、この家に嫁ぐ以上、決して実家に甘えることはすまい。だから 娘として、感謝できるのは、今日が最後。 今が最後。だから、いまある限りの、娘でしかなかった自分の最後の感謝をこめて・・・ 「ありがとう」 会場の反対側で、御両親が泣いていた。 とくにゆきこさんのお義母さんが、ひどく泣いていた。 花束贈呈 新郎新婦の席で、会場に用意してもらった花束を受け取る。 そのまま歩み寄り、新郎は新婦の両親へ、新婦は新郎の母へ、それぞれ花束を贈った。 一束ずつもっているので、 ゆきこさんはわたしの母に。 わたしは、ゆきこさんのお母さんに。 お義父さんには、お義母さんの花束から一輪ぬいて、胸に点させてもらった。 お父さんも、お母さんも泣いていた。母も泣いていた。さっき友禅で挨拶にいったとき、気づきもしなかった兄が、目をうるませていた。 礼をし、席に戻り、ふたたび礼をする。 続いて、両家代表の謝辞。 本来なら新郎の父がするところだが、家長の兄がこれを務めた。兄も泣いていた。 新郎のスピーチ そして、最終最後のイベントである、新郎のスピーチがはじまる。 カンニングペーパーなど用意してみたが、見ていられるような状況ではなかった。 頭の中が、ほんとうに真っ白になっている。 なまじ、花嫁の手紙で感動してしまったので、切替ができない。 スピーチの経験や、こういうところでの場慣れがあまり無いというのが、情けなかった。 だが、これはこれでやるしかない。 まずは、御礼を。 そう切り出したら、口が勝手に動いてくれた。
みなさま、本日は私たちの結婚式に最後までおつき合いくださいまして、まことにありがとうございます。 最後に、わたくしから少し長くなりますが、この披露宴を設けさせていただいた動機をお話したいとおもいます。 私とゆきこさんは、今年の8月、家庭を出発しました。その前に、将来のことを話し合ったことがありました。 まず、お互いに絶対に浮気をしない、離婚をしないということを、あらためて誓いました。 これは、誓わなくとも、当たり前のことのように思われるかもしれません。でも、わたしたちはお互いだけを、唯一愛すると、改めて誓いました。いまお互いに持っている「この人しかいない。そしてこの人もそう思ってくれている」という安心感が、私たちの家庭の土台です。 そして、将来に子供を授かったら、どんな子に育てていくか。いろいろ夢のある話をしました。 しかし、いまの日本の環境で子供を育てることには、様々な危険があります。経済は豊かですが、内面的には青少年の倫理堕落の問題や、家庭の崩壊、環境問題などで滅びつつあるこの国です。毎日ニュースで知る限りでも、家庭を中心にして、信じられない事件が起こっています。 ですが、わたしは、日本というこの国が好きです。細やかな文化や、調和のこころ、そして義に生きる国民性があるこの国を愛しています。この国で、ゆきこさんと家庭を持ち、子供を育て、お互いの親に感謝をお返してずっと生きていきたいと思っています。 ならば、まず子供が成人するまでの環境を護りたい。そして、その子こそがこの国を救う役に立つよう育てたい。そう考えました。救うというと大それた話ですが、この国の将来を建て直す人物たちの、せめてその一員を私たちで育てたいのです。 やっと家庭をもって、まだ子供も生まれていないのに、早すぎると思うかもしれません。でも、私たちがともに暮らし始めるときが家族の出発点なら、そのときの動機と覚悟が、いつかそのごとくに実を結ぶと思うのです。 ですが、私たちはまだ若輩者です。二人で子供を育てて生きていくことだけでも大変なことでしょう。 いまの日本で、私たち二人だけで子供を護りきることは、実際に難しいのです。 ですから、お願いします。 親戚氏族の皆様。特に子育てを全うされた皆様。どうか私たちに力を貸してください。 若輩のわたしたちは、さまざまな苦労をするでしょう。二人だけでは乗り越えられない試練もあると思います。ですが、皆様からの応援さえあれば、 私たちは、幸せな家族を築き、 この国を建て直す役に立つ、立派な子供を育て、 そしてその栄光を、両家の皆様にお返しできます。 特にわたしは、山形の実家が育てたこの素晴らしい女性となら、それが実現できると確信しています。 そして、その覚悟ができたとき、ゆきこさんのお胎のなかにいる子供が授かりました。 この結婚式は、皆様が守ってきた日本の、しかし残念ながらいま病んでいっている日本の、新生の一端を担う家庭の出発式です。 その決意の表明と、そしてこれから御世話になるでありましょう皆様へのお願いの意味をこめて、披露宴を用意させていただきました。 お母さん。お兄さん。甥のシンくん、リョウくん。そして親戚のみなさま。 ゆきこさんのお父様、お母様。お兄さん、弟君、アオイくん。そして親戚のみなさま。 そして、今日は御写真のみの出席ですが、他界した私のお父さん。 そして私と、ゆきこさんのルーツである、先祖のみなさま。 私たちは、立派な家庭を作ってまいります。 そして、これから御世話になります。 どうぞ、よろしくお願いいたします。 本日は、ありがとうございました! スピーチの間にも、中断させようとするかのように飛んでいたヤジが、途中から「がんばれよー!」に変わっていた。 ヤジ担当以外は、老人ばかりの静かな会場が、静かに、それでも湧いていた。 司会がそのテンションをもりあげてくれる、希望がここにあることを示してくれる。 拍手と応援と祝福の中、本当に花が降っているような、そんな華やかな喜びの中での、新郎新婦の門出であった。 花嫁の手を引いて、わたしは会場を歩いた。 和装だと、共に歩くとき、どうしても「嫁が三歩さがってついてくる」というのが様(さま)になる。なので、手をつなげるのがしっくりこない。 そこへくると洋装は、ダンスがそうであるように、手をつなぐことに違和感がないのだ。狭い通路をひっぱり、親戚の前に並び、花嫁の腰を抱き、そして深々と礼をする。洋装を入れておいて、本当によかったと思った。 BGMは、エスカフローネのエンドタイトル。いま思うとエスカも実に使い易かった。もちろん、最後の「あたし、元気だよ」という台詞は編集してカットしてある。 幾重にも重なった弦楽器の音色が駆けめぐり、広がった旋律が集約されてはまた拡がっていく中、両方の部屋に礼をして歩いた。 このBGMは、緩やかに展開してきたメロディが、突然に渦を巻くように一つに集められ、一気に盛り上がっていく部分がある。ここが見事に門出のタイミングに合わさってくれた。 BGM選びは、ほんとうに大成功だった。強いて言えば、乾杯のBGM(ジャイアントロボ)が、料理長によるメニュー紹介にいたるまで流されっぱなしだったのは予想外だったが、それ以外は、きれいに役目を果たしてくれた。 全体に、深く、こころをこめて礼。 拍手のなかでの、大成功と言っていい、ふたりの門出だった。
■ 2007.01.15 - M part -「送賓と装花」D-DAYプラスマイナスゼロ 司会の岩田さんが、なにかコメントをしているのを遠くにききつつ、続いて会場を退出してきた両家の親と合流する。 送賓である。 会場の受付前に並び、新郎新婦とその両親との計5名で並んで、お客様をお見送りするのだ。 このとき、よく「幸せのお裾分け」と称してキャンディなどを配るプランもあるが、これは無し。 子供でもない限り、もらっても困ると思ったからだ。 丁寧に頭を下げて、来てくださった方々をお見送りする。 みなさん、握手を求めてくださったり、あらためて激励してくれたり、とお互いの親戚に認めていただけたという確信のもてる結婚披露宴だった。 ところで、まったくそんな余裕はなかったが、会場の「なり多」さんは「お花をどうぞもっていってください」という。 「なり多」はそう言うが、披露宴会場に用意された花の扱いは、会場によって異なるらしい。 考えてみれば、花代で128,500円である。すでに払う約束にはなっているのだ。もちろんアレンジメント料としてのお代もあるが、花は買うと高い。もらっていけるものなら、ぜひ・・・。 ・・・と、思うほどの余裕は、残念ながら結婚式が終わって二〜三日たってからしか生まれなかった。 当時は、本当に疲労というか、やりとげた達成感でフラフラだったのだ。 準備段階で、花オバサンの召還が必要だったと思った。。 花オバサンとは、名古屋を中心とした東海地方に存在する「新店舗開店などのとき、取引先企業や団体から店舗に送られる花輪からは、自由に花を抜き取って良い」とする無茶な習わしに従い、それはもう遠慮無しにがっさがっさと祝い花を略奪していくオバサンたちを指す。 そんなわけでこのあたりのお店は、だいたい開店する頃にはもう松しか残っていない。 オバサンたちは「こういうもんだ」と言って花を奪い、追求すると「開店までに花がなくならないような店は、流行らないよ! 縁起担ぎだよ、縁起 !!」と言って、やはり強奪する。対処法は「そうですか」と呟いて途方に暮れるしかない。 先日も近所でスーパーがオープンしたが、開店30分前にはすでに死肉を狙うハイエナのごとく、飾られた花輪から間合いを取って互いを牽制している花オバサンたち(個人の集団)がおり、開店15分前には空気の読めない1人が「すっ」と百合一本を引き抜いたのを皮切りに一斉に略奪が始まっていた。花びら舞い散る、地獄のような光景だったという。 このような方々にしてみれば、128,500円する花仕事を「どうぞ御自由に」などと言われたら、大喜びであろう。 うちの親戚にも、花盗人のトップエリートが何人もいるはずだが、そんなことは想定していなかったようで、新聞紙や、花を担いでも大丈夫な服装などを用意していなかったため、ほとんどがスルーされてしまった。 実にもったいない話だった。 事前に確認しておくべきだったと思う。 ただ、贈呈した花束だけは、ずっとうちの食卓に飾られていた。 母がたまに、つけっぱなしのテレビを見ないで、その花をみつめている。
■ 2007.01.15 - N part -「御苦労様会」D-DAYプラスマイナスゼロ 控え室にもどり、衣裳を脱ぐ。 普段着に着替える間に美容師さんが服をケースに片づけてくれるので、控え室は急に広々とした。 「はあー・・・。おわったねえ」 「おわった・・・。うん・・・。」 おわってみれば、ゆきこさんは、妊娠による吐き気などはなかったという。 緊張していたから、かえって大丈夫だったらしい。終わってからようやく食欲が出てきて、ちょっとだけおにぎりを食べていた。 わたしは最近購入したW−ZERO3(PHSのデータ端末)で、簡単に結婚式の終了を各方面に報告し、ゆきこさんはぼーっとし、カメラマンズは機材の撤収をしていた。 シンちゃんが最後まで、カメラマンと話がしたい・・・正確には、もっと模型とか写真とか鉄道とか美少女とかエロとかゲームとか秋葉原とかメイドの魂とかセイバー萌えますよねとかいまだに綾波熱がさめませんがどうでしょうとかそーゆーよーな話がしたいとせがんでいたが(撮影スタッフのロメオさんは、この甥っ子をあたたかい笑顔で「手遅れですね」とほめていた)、かえりの車の都合もあるので、おとなしくご老人方の荷物の搬出を手伝いにいった。うむ、いい子だ。 その後は、新郎新婦と司会・カメラマンズで御苦労様食事会である。このとき、おおよそ16時。 なお、先ほど来賓の送り出しが完了したのは、15:35とほぼピタリの進行だった。 これは、要所を押さえ、こちらの事情による遅延を技術力で巻き返し、裏方の仕事は完璧に遂げた「なり多」のスタッフの、安定した底力によるものだと思う。 さて、この食事会は、妊婦さんであるゆきこさんには残念だった。 なにせ、肉類や甘いものが食べられないのだ。 ただ、妊婦さん用に、肉を省き、その分、魚やフルーツを多用した料理をだしてもらった。この辺の配慮もさすがである。 「では、みなさまお疲れさまでした! 無事の成功を祝して、かんぱーい」 新郎新婦とスタッフの6人で食事会がはじまる。 いろんな話が出たが、それでも特筆すべきことは、なり多の料理のおそるべき底力だった。 ことばが出なかった。 「こんなものを我々が食べていいのか」とか迷うような、そんな味だったと思う。 とくにメインのステーキが異常だった。 飛騨牛なのは、まちがいない。 でもあまりにも美味すぎて未知の生物の肉かとおもうような味の深さと柔らかさだった。 そして、スポンジをちょっと食べただけであまりの美味さに絶句させられるケーキ。 漫画的に表現するなら、ドラえもんの秘密道具「自動販売タイムマシン」で出てきた「未来のお菓子」だ。 のび太が食べてあまりのおいしさに涙を流していた、あの宝石箱みたいなのにはいったアレだ。たしか未来の時価で230,000円する。あののび太の顔が忘れられない。そんなものがあるなら、食べてみたいと思わせるグレードのその味が、目の前に音もなく出されていた。 こんなもんを喰ってたのか・・・と親戚を思い出した。 思えば、一部の方と子供を除いては、かなり高齢な方々までフルコースを完食していた。 おそるべしフレンチ。さすがは、味覚の殿堂である。 「料理がまずいと、一代いわれる」そんな話があったが、完全に杞憂だった。 感動しながら食べる。例のウェディングケーキが、いまここで出ているケーキなのだが、甘いものはたいてい残していたゆきこさんが、それでも食べられてしまう美味さだった。 「甘いものはダメ。ダメなんだけど、これは食べられる」 委細かまわず美味い。なにもかもを屈服させてしまうような、そんな美食がここにあった。 六人のスタッフも、目を回してケーキを食べていた。 あまりにも美味かった。1時間でガガッと食べて、すぐ鵜飼いに出発・・・と考えていたが、どうやっても、そんな簡単には食べられなかった。美味すぎるのだ。 「なり多」を、ただのフレンチレストランだと、どこかで思っていたのが間違いだった。 最後に出たコーヒーカップの側面に点字のポッチ(「おいしさがあなたをえがおにする」と印字)が処理されていて「これなら、みさき先輩でも大丈夫」という新郎のコメントにカメラマン諸氏だけが冷ややかに笑ってくれたころには、いまさら出発しても鵜飼いには間に合わないんじゃねえのかな・・・というくらいの時刻にはなっていた。 そんなわけで、 1730 小瀬にて鵜飼(鵜飼い船13人なので、新郎新婦と撮影カメラマンは乗り込む) という予定は、達成できなかった。 ほんとうに残念だった。 そして、スタッフとはここでお別れである。 出発してみたものの、道が混んでいるので「船を待たせておく限界」をかなり楽にまたぎそうだったので、断念したというのが、本当のところである。 それぞれ、写真やビデオができたら送ってもらうことを、あらためて約束し、お開きとなった。 残念ではあったが、たぶん鵜飼い船に乗っていたら、わたしかゆきこさんのどちらかは確実に家に帰る前にダウンしただろう。 司会の岩田さんを家にお送りして、わたしの実家の方に顔を出して、そのあとで、山形のみなさまが泊まっている観光ホテルへ挨拶に行く。 昨日とは打って変わって大歓迎だった。 披露宴で挨拶して回ったときに、いろんな話をしたが、そのつづきをここでもできた。疲れているはずだったが、それでも、ここにきてまだ元気が出てきていた。 鵜飼いは好評だった。 目の前で鵜が魚をパクッと食べるところが見えたそうだ。喜んでいただけてよかった。 この地には鳥を使役して食べ物を取らせる文化が他にもある。 岐阜には他に鷹匠もいて、先週の刃物祭りではそのお披露目があり、生きた鳩を捕らせていた。 「でも、寒くありませんでした?」と、懸念していたことを聞いてみる。 「いや、ぜんぜん。あったかいくらいだったよ」 平均気温からして10度ちかく寒冷な山形県の方を甘く見ていたようだ。まったく心配なかった。 最後の宴会までつきあって、それから帰宅する。 ふたりで、今日の反省をちょっとだけ振り返った。特に悔いのない結婚式だった。 こころから深く深く感謝し、そしてすぐに寝た。 さすがに力が抜けてしまった。 翌日、山形に出発するバスを見送って、それで、この結婚式の全行程が終了した。 最後の食事で、フルコース食べたのに、体重が1キロへっていた。
■ 2007.01.15 - N part -「御苦労様会」D-DAYプラスマイナスゼロ 控え室にもどり、衣裳を脱ぐ。 普段着に着替える間に美容師さんが服をケースに片づけてくれるので、控え室は急に広々とした。 「はあー・・・。おわったねえ」 「おわった・・・。うん・・・。」 おわってみれば、ゆきこさんは、妊娠による吐き気などはなかったという。 緊張していたから、かえって大丈夫だったらしい。終わってからようやく食欲が出てきて、ちょっとだけおにぎりを食べていた。 わたしは最近購入したW−ZERO3(PHSのデータ端末)で、簡単に結婚式の終了を各方面に報告し、ゆきこさんはぼーっとし、カメラマンズは機材の撤収をしていた。 シンちゃんが最後まで、カメラマンと話がしたい・・・正確には、もっと模型とか写真とか鉄道とか美少女とかエロとかゲームとか秋葉原とかメイドの魂とかセイバー萌えますよねとかいまだに綾波熱がさめませんがどうでしょうとかそーゆーよーな話がしたいとせがんでいたが(撮影スタッフのロメオさんは、この甥っ子をあたたかい笑顔で「手遅れですね」とほめていた)、かえりの車の都合もあるので、おとなしくご老人方の荷物の搬出を手伝いにいった。うむ、いい子だ。 その後は、新郎新婦と司会・カメラマンズで御苦労様食事会である。このとき、おおよそ16時。 なお、先ほど来賓の送り出しが完了したのは、15:35とほぼピタリの進行だった。 これは、要所を押さえ、こちらの事情による遅延を技術力で巻き返し、裏方の仕事は完璧に遂げた「なり多」のスタッフの、安定した底力によるものだと思う。
さて、この食事会は、妊婦さんであるゆきこさんには残念だった。 なにせ、肉類や甘いものが食べられないのだ。 ただ、妊婦さん用に、肉を省き、その分、魚やフルーツを多用した料理をだしてもらった。この辺の配慮もさすがである。 「では、みなさまお疲れさまでした! 無事の成功を祝して、かんぱーい」 新郎新婦とスタッフの6人で食事会がはじまる。 いろんな話が出たが、それでも特筆すべきことは、なり多の料理のおそるべき底力だった。 ことばが出なかった。 「こんなものを我々が食べていいのか」とか迷うような、そんな味だったと思う。 とくにメインのステーキが異常だった。 飛騨牛なのは、まちがいない。 でもあまりにも美味すぎて未知の生物の肉かとおもうような味の深さと柔らかさだった。 そして、スポンジをちょっと食べただけであまりの美味さに絶句させられるケーキ。 漫画的に表現するなら、ドラえもんの秘密道具「自動販売タイムマシン」で出てきた「未来のお菓子」だ。 のび太が食べてあまりのおいしさに涙を流していた、あの宝石箱みたいなのにはいったアレだ。たしか未来の時価で230,000円する。あののび太の顔が忘れられない。そんなものがあるなら、食べてみたいと思わせるグレードのその味が、目の前に音もなく出されていた。 こんなもんを喰ってたのか・・・と親戚を思い出した。 思えば、一部の方と子供を除いては、かなり高齢な方々までフルコースを完食していた。 おそるべしフレンチ。さすがは、味覚の殿堂である。 「料理がまずいと、一代いわれる」そんな話があったが、完全に杞憂だった。 感動しながら食べる。例のウェディングケーキが、いまここで出ているケーキなのだが、甘いものはたいてい残していたゆきこさんが、それでも食べられてしまう美味さだった。 「甘いものはダメ。ダメなんだけど、これは食べられる」 委細かまわず美味い。なにもかもを屈服させてしまうような、そんな美食がここにあった。 六人のスタッフも、目を回してケーキを食べていた。 あまりにも美味かった。1時間でガガッと食べて、すぐ鵜飼いに出発・・・と考えていたが、どうやっても、そんな簡単には食べられなかった。美味すぎるのだ。 「なり多」を、ただのフレンチレストランだと、どこかで思っていたのが間違いだった。 最後に出たコーヒーカップの側面に点字のポッチ(「おいしさがあなたをえがおにする」と印字)が処理されていて「これなら、みさき先輩でも大丈夫」という新郎のコメントにカメラマン諸氏だけが冷ややかに笑ってくれたころには、いまさら出発しても鵜飼いには間に合わないんじゃねえのかな・・・というくらいの時刻にはなっていた。 そんなわけで、 1730 小瀬にて鵜飼(鵜飼い船13人なので、新郎新婦と撮影カメラマンは乗り込む) という予定は、達成できなかった。 ほんとうに残念だった。 そして、スタッフとはここでお別れである。 出発してみたものの、道が混んでいるので「船を待たせておく限界」をかなり楽にまたぎそうだったので、断念したというのが、本当のところである。 それぞれ、写真やビデオができたら送ってもらうことを、あらためて約束し、お開きとなった。 残念ではあったが、たぶん鵜飼い船に乗っていたら、わたしかゆきこさんのどちらかは確実に家に帰る前にダウンしただろう。 司会の岩田さんを家にお送りして、わたしの実家の方に顔を出して、そのあとで、山形のみなさまが泊まっている観光ホテルへ挨拶に行く。 昨日とは打って変わって大歓迎だった。 披露宴で挨拶して回ったときに、いろんな話をしたが、そのつづきをここでもできた。疲れているはずだったが、それでも、ここにきてまだ元気が出てきていた。 鵜飼いは好評だった。 目の前で鵜が魚をパクッと食べるところが見えたそうだ。喜んでいただけてよかった。 この地には鳥を使役して食べ物を取らせる文化が他にもある。 岐阜には他に鷹匠もいて、先週の刃物祭りではそのお披露目があり、生きた鳩を捕らせていた。 「でも、寒くありませんでした?」と、懸念していたことを聞いてみる。 「いや、ぜんぜん。あったかいくらいだったよ」 平均気温からして10度ちかく寒冷な山形県の方を甘く見ていたようだ。まったく心配なかった。 最後の宴会までつきあって、それから帰宅する。 ふたりで、今日の反省をちょっとだけ振り返った。特に悔いのない結婚式だった。 こころから深く深く感謝し、そしてすぐに寝た。 さすがに力が抜けてしまった。 翌日、山形に出発するバスを見送って、それで、この結婚式の全行程が終了した。 最後の食事で、フルコース食べたのに、体重が1キロへっていた。
■ 2007.01.16 - A part -「総費用」D-DAYプラス1 残処理がいくつかあった。 費用の請求である。 新郎家で負担すべき費用と、新婦家で負担すべき費用の明細を作成した。 装花代や司会料など、双方で出し合うべき費用は折半で計算する。双方からの御祝儀でまかなえる分を差し引きし、不足分があれば新郎新婦か、その家族が出す。 とりあえず、山形勢はバスで13時間かけて帰宅中である。支払いは後日でもよいとなり多は言うが、早いほうがよいので、とりあえず新郎家で全額を支払った。 明細を請求書に書き直して、これを伝えると、新婦家からすぐに送金があった。 式の御当地に近い方がいったん全部はらって、観光したあと山形に帰った親族はむこうで計算して振込という形を取っている。 多くのホテルや式場では、事前入金が必要らしい。 でも「なり多」は、ご祝儀である程度まかなえるよう、後日清算も可能なのがうれしかった。 披露宴利用明細書 内容 新郎家 新婦家 御料理 16500×19=313500 16500×20=330000 御子様料理 0 3000 相伴料理(御苦労様会) 6000×4=24000 新婦さん料理 10500 ウェディングケーキ 700×23=16100 700×23=16100 乾杯ワイン 12500 12500 フリードリンク 3000×18=54000 3000×20=60000 御子様フリードリンク 1500×2=3000 1500×2=3000 合計 423100 423100 サービス料(10%) 42310 42310 合計 465410 465410 挙式料(80000) 40000 40000 控え室使用量(20000) 10000 10000 音響使用量(10000) 5000 5000 新婦美容着付け 0 131250 集合写真 15750 15750 親族着付け 4200 4200 合計 540360 687010 引き出物(カタログ) 5280×14=83020 5280×12=71160 引き出物(名披露目) 1050×14=14700 1050×12=12600 引き出物(引菓子) 3000×15=45000 3000×13=39000 ペーパーバッグ サービス サービス 招待状 473×10=4730 473×12=5756 文書作成基本料 788 788 追加封筒 105×2=210 105×2=210 席次表 735×14=10290 735×12=8820 出席者変更のため刷り直し 5460 装花一式(128500) 64250 64250 プロデュース料(20000) 10000 10000 合計 238448 212504 調整 -2 -10 238446 212494 総合計 778806 内金 50000 支払額 728806 899504 ※ 司会への謝礼、心付けはここに含めておりません 結果として、新郎側での支払額は、778,806円。貸衣装代を含めると862,806円。 新婦側での支払額は、899,504円。貸衣装代を含めると1,214,504円。 あわせて、2,077,310円。 実際には司会の岩田さんへの謝礼や心付けなどかかっている。そのほか披露宴までの打ち合わせにかかったガソリン代など、経費として数えるとキリがないわけだが、やはり楽に200万はかかっている。 これに、新婦側はバスのチャーター分や、宿泊費用など、こちら側には暗数になっている出費がある。 新郎の方は御祝儀でまかない切れたが、新婦の方は難しいだろう。結納でお納めした分で足りればよいが、実際、借金をして結婚式をするケースは多いはずだ。 会場だけで考えると、1,678,310円。 40人規模で、グランドホテルを使用すると、16,500円クラスの料理の場合、150,9674円の見積もりだった。実際には、これにさまざまなオプションが必要になる。 実際には人数は43人いたし、食事をしたスタッフを入れれば47人だ。そう考えると、ほぼ同じと考えていい。 この上は私見にすぎないが、会場の付加価値と、料理の異常なうまさを足せば、絶対にこちらの方が内容は上だったと思う。 「なり多」への支払いが確認されてすぐに、支配人が実家まで挨拶にきてくれた。 相変わらず、フットワークが軽い。 そのとき渡されたのが、10,000円の食事券のプレゼントだった。 食事券を見つめながらしみじみという。 「あー、もう一回たべたいね」 「うん、食べたい。わたし、ちゃんと食べられなかったから」 「でも16,000円のコースなんて、そうそう食べられないよなあ」 「そうですね・・・」 「うん、じゃあアレだ。こんど近場の友達で結婚するってやつがいたら『なり多』を強烈に推薦しよう。で、招待してもらうの。夫婦で5万円は包むだろうし、それがいいさ」 思えば、本当にいい会場だった。 料理や邸内の雰囲気だけではなく、会場のスタッフもよかった。 彼らは、じつに人あしらいがうまかったのだ。 ゲストが何処の卓にいても、ちょっと視線を巡らせればスタッフがいるし、目を合わせれば駆けつけてくる。迷路になりそうな邸内でも、うまく誘導してくれた。 あの、どこになにがあるかよくわからない建物のなかで、出席者の誰かが居なくなる、ということもなかった。
■ 2007.01.16 - A part -「総費用」D-DAYプラス1 残処理がいくつかあった。 費用の請求である。 新郎家で負担すべき費用と、新婦家で負担すべき費用の明細を作成した。 装花代や司会料など、双方で出し合うべき費用は折半で計算する。双方からの御祝儀でまかなえる分を差し引きし、不足分があれば新郎新婦か、その家族が出す。 とりあえず、山形勢はバスで13時間かけて帰宅中である。支払いは後日でもよいとなり多は言うが、早いほうがよいので、とりあえず新郎家で全額を支払った。 明細を請求書に書き直して、これを伝えると、新婦家からすぐに送金があった。 式の御当地に近い方がいったん全部はらって、観光したあと山形に帰った親族はむこうで計算して振込という形を取っている。 多くのホテルや式場では、事前入金が必要らしい。 でも「なり多」は、ご祝儀である程度まかなえるよう、後日清算も可能なのがうれしかった。 披露宴利用明細書
16500×19=313500
16500×20=330000
0
3000
6000×4=24000
新婦さん料理 10500
700×23=16100
12500
3000×18=54000
3000×20=60000
1500×2=3000
423100
42310
465410
40000
10000
5000
131250
15750
4200
540360
687010
5280×14=83020
5280×12=71160
1050×14=14700
1050×12=12600
3000×15=45000
3000×13=39000
サービス
473×10=4730
473×12=5756
788
105×2=210
735×14=10290
735×12=8820
5460
64250
238448
212504
-2
-10
238446
212494
778806
50000
728806
899504
■ 2007.01.16 - B part -「写真と、振り返っての感慨」D-DAYプラス1 写真が届いた。 写真は、結局36枚撮り×17本。ひとり500枚の計算で1000枚を越えた。 マンデリンさんも言っていたが、このなかで真によい写真は2〜3枚だという。 結婚式の写真とは、そういう次元である。会場が自然光と暖色照明のちゃんぽんなのも辛かったろう。 郵便で届けてくれた親戚もいる。届いたら、すぐに御礼のお返事をしよう。 返事が二日ほど遅れたので怒られた。 この写真をチェックしながら、ゆきこさんの実家に送る分と、ある程度の以上の大きさで顔が写っている人の分を人数分を焼き増しし、これを感謝のお手紙とともに送る。 さすがに忘れられてしまう恐れがあるし、あまり遅いと機嫌を損ねる人もいるので、可能な限り迅速に発送しよう。 振り返ると、二ヶ月ですべてが終わっていた。 この短期間でできてよかったと心から思う。実際、休みの度になにかしらの準備をしなくてはいけなかったので、けっこう大変だったのだ。 これが半年とか一年つづいたら、精神的にまいってしまったかもしれない。若い体力があればともかくだが。 二ヶ月でできた要因は、なんといっても二人いっしょに暮らしていることである。 毎日顔を合わせて打ち合わせが出来る。これは大きい。 二人の休日が違ったり、やや遠くにいたりすると、大変だったろう。 一年以上前から、たとえばテーブルクロスの色に至るまで細かいこだわりで準備をすすめるという基準もある。 このこだわりと長い期間というのがクセモノなのだ。 期間があれば、かならず途中で「考え直したい」という事態が発生する。 せっかく決めたテーブルクロスや料理が、途中で変更したくなるのだ。もうこうやって迷いが入るとキリがない。 下手にこだわらない方がうまくいく。 また、お金の問題や、両家の問題などが、いまさらのように浮上してくる。 結婚式の準備に忙しいこんな時期にそんなこと話さなくても! と思うような問題が出てくるのだ。 でも式が終わるまで一年とか半年とか放置できることではないので、これも同時進行でやらねばならない。これはかなり参る。 結婚式の準備は、長ければ長いほど綿密に進められるかというと、そうでもないのだ。 その長い期間でイヤになってしまうことの方が多いと、わたしは思う。 回り道に入り込みやすくなるので、かけた時間のわりに、たいした成果があがらないはずだ。 二ヶ月で完了させるしか道が無く、そしてそれが完遂できたのは、周囲の協力と、会場に恵まれた幸運と、そして「こだわらない」結婚式だったためだろう。 そして、結婚式をする動機がよかったのだと思う。 自分のために、と思ってやる式は失敗する。すくなくとも後悔を残すことになるだろう。 個人を動機とした「こだわり」は、結局ういてしまうし、実際のところ、新郎新婦がそれを心から楽しめるようなリラックスした状態にはなれないのだ。 あれだけ大変な思いをして準備したのに、憶えていないことが多い。 ただ残っているのは「いい式だったよ」「感動しました」「料理がおいしかったわ」という招待客の有り難い反応だったと思う。 そう、繰り返してきたとおり、結婚式とは、ふたりのためにやる儀式ではない。 ふたりの背後にあるルーツ(先祖に連なる親類縁者)を愛する儀式なのだ。 結婚式とは、個人的なイベントではなく、公的な儀式。 それを個人的にやろうとすれば、上手くいかないのも道理だろう。 あなたを愛しているから、あなたのルーツや、その親類までもが愛しい。 お互いの親戚をもてなすことで、その心情を確認するのが結婚式だ。 相手を愛しく思えば、そのルーツまでもが愛しくなる。 親戚には、いやなひともいる。非常識なひともいる。飲んだくれもいる。 でも、愛する人の血縁である彼らを、その内容をひっくるめて愛すること。 それが出来た。 終わってみて感じるのは、やりきった実感。 これは、ただのイベント運営とその成功に対するよろこびとは質が違う。 魂に満ちているのは、お互いのルーツを愛しきったという充実感だ。 これが、結婚式で得られる、最大の恩恵であり、 それが、結婚式という作戦の勝利条件なのだ。
■ 2007.01.16 - B part -「写真と、振り返っての感慨」D-DAYプラス1 写真が届いた。
写真は、結局36枚撮り×17本。ひとり500枚の計算で1000枚を越えた。 マンデリンさんも言っていたが、このなかで真によい写真は2〜3枚だという。 結婚式の写真とは、そういう次元である。会場が自然光と暖色照明のちゃんぽんなのも辛かったろう。 郵便で届けてくれた親戚もいる。届いたら、すぐに御礼のお返事をしよう。 返事が二日ほど遅れたので怒られた。 この写真をチェックしながら、ゆきこさんの実家に送る分と、ある程度の以上の大きさで顔が写っている人の分を人数分を焼き増しし、これを感謝のお手紙とともに送る。 さすがに忘れられてしまう恐れがあるし、あまり遅いと機嫌を損ねる人もいるので、可能な限り迅速に発送しよう。 振り返ると、二ヶ月ですべてが終わっていた。 この短期間でできてよかったと心から思う。実際、休みの度になにかしらの準備をしなくてはいけなかったので、けっこう大変だったのだ。 これが半年とか一年つづいたら、精神的にまいってしまったかもしれない。若い体力があればともかくだが。 二ヶ月でできた要因は、なんといっても二人いっしょに暮らしていることである。 毎日顔を合わせて打ち合わせが出来る。これは大きい。 二人の休日が違ったり、やや遠くにいたりすると、大変だったろう。 一年以上前から、たとえばテーブルクロスの色に至るまで細かいこだわりで準備をすすめるという基準もある。 このこだわりと長い期間というのがクセモノなのだ。 期間があれば、かならず途中で「考え直したい」という事態が発生する。 せっかく決めたテーブルクロスや料理が、途中で変更したくなるのだ。もうこうやって迷いが入るとキリがない。 下手にこだわらない方がうまくいく。 また、お金の問題や、両家の問題などが、いまさらのように浮上してくる。 結婚式の準備に忙しいこんな時期にそんなこと話さなくても! と思うような問題が出てくるのだ。 でも式が終わるまで一年とか半年とか放置できることではないので、これも同時進行でやらねばならない。これはかなり参る。 結婚式の準備は、長ければ長いほど綿密に進められるかというと、そうでもないのだ。 その長い期間でイヤになってしまうことの方が多いと、わたしは思う。 回り道に入り込みやすくなるので、かけた時間のわりに、たいした成果があがらないはずだ。 二ヶ月で完了させるしか道が無く、そしてそれが完遂できたのは、周囲の協力と、会場に恵まれた幸運と、そして「こだわらない」結婚式だったためだろう。 そして、結婚式をする動機がよかったのだと思う。 自分のために、と思ってやる式は失敗する。すくなくとも後悔を残すことになるだろう。 個人を動機とした「こだわり」は、結局ういてしまうし、実際のところ、新郎新婦がそれを心から楽しめるようなリラックスした状態にはなれないのだ。 あれだけ大変な思いをして準備したのに、憶えていないことが多い。 ただ残っているのは「いい式だったよ」「感動しました」「料理がおいしかったわ」という招待客の有り難い反応だったと思う。 そう、繰り返してきたとおり、結婚式とは、ふたりのためにやる儀式ではない。 ふたりの背後にあるルーツ(先祖に連なる親類縁者)を愛する儀式なのだ。 結婚式とは、個人的なイベントではなく、公的な儀式。 それを個人的にやろうとすれば、上手くいかないのも道理だろう。 あなたを愛しているから、あなたのルーツや、その親類までもが愛しい。 お互いの親戚をもてなすことで、その心情を確認するのが結婚式だ。 相手を愛しく思えば、そのルーツまでもが愛しくなる。 親戚には、いやなひともいる。非常識なひともいる。飲んだくれもいる。 でも、愛する人の血縁である彼らを、その内容をひっくるめて愛すること。 それが出来た。 終わってみて感じるのは、やりきった実感。 これは、ただのイベント運営とその成功に対するよろこびとは質が違う。 魂に満ちているのは、お互いのルーツを愛しきったという充実感だ。 これが、結婚式で得られる、最大の恩恵であり、 それが、結婚式という作戦の勝利条件なのだ。
絵描きと管理:天野拓美( air@niu.ne.jp )