2001.09.30 holy「宿命・3」


しつこいようだが、酒の話である。

本家であり、いわゆる直系である私の家で、もっとも色濃く酒豪の血を受け継いだのは姉だった。

姉は教師になる前にはリコーという会社でOLをしていたのだが、姉の配属された課で飲みに行ったとき、姉一人が参入しただけで、トータルの酒代が2倍になったという、あまり笑えない武勇伝がある。その課でよく飲みに行く社員さんは、8人もいたからだ。


その姉もずいぶん前に結婚した。

姉の結婚式にも親戚が呼ばれたが、名古屋の結婚式場まで行くバス内では、座席に尻が着くと同時に缶ビールのプルタブを引き抜く音が連発、結婚式場に到着するころにはすでに三次会なみに酔いが進行しており、正統な天野家の何人かは、停車したバスから満足に降りられないという有様であった。

式本番の方も、始まったとたんに親戚連中からヤジが飛ぶという事態で「宴もたけなわ」という言葉があるが、結婚式序盤で、すでに一部(正統な血筋だけで固められたテーブル)だけが終盤戦の様相を呈していた。

「あそこだけ時間がずれている」

とビデオを回しながら、私は思ったものだった。

これを書いていてしみじみと思ったのだが、私の結婚式のときには、なんらかの親戚対策を講じねばと思う。


昔やった病気のせいもあって身体が受け付けない、などの事情があって、結局わたしは、19才のとき酒もタバコも止めた。

親戚の酔態を観て育ったのも一因だが、辛いことがあったとき、酒に逃げるくせを持っていたら絶対に破滅するという、強烈な予感があったせいでもある。

そして、ただでさえ軟弱な判断力や分別が、酒のせいで鈍ることを嫌っているのだ。

もうひとつ大きな理由があるが、それはいつかまた語ろう。






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2001.09.29 sat「宿命・2」


酒の話である。

我が一族は、何かにつけて集まって酒盛りをすると書いたが、実は何かイベントがあると、待ちきれずに前日から飲み始めるという悪癖のある家系である。


祖父の葬式にも、前日から集まって夜通し飲んでいた親戚が、結局、酔い潰れて式に出られない、というケースが、わりとシャレにならない人数いたほどだ。

ちなみに、その祖父は、グテングテンに酔っぱらうと15段ほどもある階段から誤って転がり落ちても、アルコール漬けの全身が軟体化しているため、全くの無傷だったという、ヤな酔拳の使い手だった。

この家系の人間は、とにかく集まって飲むのが好きなのだ。
祖父の葬式に出られなかったくせに、葬式のあとの宴会には酒を飲みに出てくるという豪の者も結構いたほどである。葬式のあとの宴会は仏さんに恥をかかせないためにある、とホウメイさん(機動戦艦ナデシコ)も言っていたが、とにかくたくさんの酒が振る舞われる宴会だったので、祖父は満足していただろう。


祖父と祖母の間には7人の子供がおり、それぞれのつれあいと子女がいるため、宴会にはたくさんの人数が集まるのだが、それでも最後まで戦えるのは正統な血筋の者だけで、その配偶者はあっという間に轟沈してしまう。私を含め、まだ小学生〜中学生が中心だった子供たちは、みんな大人しくビールを飲んでいたが(おい)、大人たちは日本酒で、一斗や二斗という単位の酒をドンドン消費していた。領収書を切った近所の酒屋は「町内の歴史に残る」と言ったほどだった。


80才をこえた頃、全日本プロレスの放送時間がわからなくなるという祖父のため、私が新聞のテレビ欄でプロレス中継の確認をし、ふたりで観戦していた想い出がある。私は祖父が好きだった。
だから、その葬式にお酒のせいで出られない親戚がいる、ということには腹を立てたような憶えがある。

祖父の葬式から10年の後、父の葬儀にも同様の理由で出られなかった人がいるくらいなので、うちの親戚連中の習性は、ちょっと人間的にどうかと思うのが本音だ。

この一族に生まれてしまった宿命はどうしようもないので、とりあえず「私は突然変異だ」とおもうことで、自分を慰めている。







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2001.09.28 fri「宿命・1」

ウチの一族の話を、ちょっと書いておこう。

父母が高齢になって生まれたせいもあって、私が知っている範囲で一番のルーツは、祖父だ。
祖父の名は外一。こう書いて「よそいち」と読む。

昔の風習なのだが、男子が二人生まれた場合、後継問題が起きないように、二人目以降は家をだされたという話がある。
祖父の時代は、そこまで徹底されてはいなかったが、それでも象徴的に名前には「外(よそ)」という字がついた。他にも「捨」などの字、あるいは幼名を持つケースがある。

現代でも、家庭内で問題が起きないように願う儀式として、この風習は、変化しながら存在を続けているようだ。


ところで、私も本家の次男だったため、まだ生まれて間もない頃に、この洗礼を受けたことがある。

二人目の男子を、一度「捨てた」という条件を満たすため、私は一丁おいたウナギ屋の前に、篭(かご)に入れて捨てられたのだ。いま思うと、実にアナクロである。

もちろんこれは、あくまで儀式だ。本当に捨てるわけではない。だがこのとき、いきなり私は本当に捨てられそうになった。

父がそこに私を置き去りにし、叔父がそれを拾うという段取りだったのだが、その叔父がなぜかベロンベロンに酔っぱらっていたため、泣き叫ぶ私の横を素通りし、その先の飲み屋「ヒロ某」へ行ってしまったのである。



お、おじさんーっっ!?



物覚えがなかったはずだが、たぶん私はおしゃぶりを噛みしめてそう叫んでいたと思う。


実はうちの家系は、その父方全員が、酷い、というか悪質な酒好きだった。

彼らには、正月でも葬式でも、何かにつけて集まっては酒を飲むという習慣があり、今回もこの儀式に集まった席で、親戚連中による酒盛りが突発的に(いやむしろ自然に、というべきか)発生していた。

「だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ」と言って出発した時点ですでに本人の血液と同じくらいの酒量を内蔵していた叔父は、生命の危機にさらされている幼く可愛らしい私を回収するという、大変に重大で名誉な任務を帯びているということを、いったい何秒憶えていたのだろう。

少なくとも、遠くに飲み屋の看板を見つけたときには、すでに忘れていたようだった。


後に大騒ぎになったこの一件が、酒豪の家系に生まれて、私がはじめて受けた被害である。





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2001.09.26 wed「ダチョウ狩り」

私の数多い師匠の一人が、そのむかし、「イリアンジャヤ」(東南アジアだと思う)という、文明からかなり隔絶された原住民族の村に滞在したことがある。

そこは、いまだに弓矢で動物を捕らえて生活している狩猟民族の世界で「6000年ばかしタイムスリップしたみたい」な風情だったそうだ。
何もかもが原始的で、まるで人類の始祖時代の生活だという。

その先生はそこへ行き、すっかり溶け込んでしばらく帰ってこなかった。



無事に生還したこの先生から、狩りへ同行することを許された話を聞いたことがある。

獲物を発見した後、先生を含む狩猟グループは、音を立てないように慎重に近づくのだが、先生がいると、必ず動物は逃げてしまうのだそうだ。

音を立てているつもりはない。じっと息を殺してにじり寄るのに、野生動物は気配を察してか、かなりの距離を残して逃げてしまう。

原住民の狩猟道具は弓である。だが、それほど射程が長いわけではない。一撃で仕留める威力が見込めるのは、なんと6メートルほどなのだという。

つまり、野生動物を彼らのやり方で仕留めるには、6メートルまで近寄らなくてはならないのだ。

先生の記録は15メートルくらいだろうか、どうしても射程距離に近づけない先生には、不可能に見える。
だが、原住民は、コンスタントに獲物を収穫しているのだ。


現にその日も、グループの一人が、ダチョウのような鳥を捕らえている。
じりじりと近寄り、本当に6メートルで矢を放ち、仕留めたのだ。

それが不思議でたまらず、先生は原住民に聞いたという。なぜ、あそこまで近寄れるのか。
彼らは笑って答えた。

「ダチョウを捕るときはダチョウになるんだよ」

「そうすれば仲間の匂いだと思って警戒しない」

先生は次の狩りの時に、それを理解した。
彼らは、おそらく心からダチョウになりきるとき、全身から、ダチョウの波動を放出しているのだ。

物質には固有の波動がある。人間には人間の波動があり、ダチョウにはダチョウの波動がある。
気配とか、あるいは殺気などとよばれるものを人間は発する。それを野生動物に悟られるのだから、こちらから野生動物の波動を出せば、同族と勘違いしてくれるのだろう。

書くと簡単だが、とんでもないことである。先生はついにダチョウの波動を出せず、帰国した。



人間は、他の動物の声を真似することができる。これができる動物は、そういない。オウムや九官鳥くらいだ。そしてたぶん人間は、万物の波動をも真似することができるのだろう。原始的にはそういう能力も備わっていたのではないだろうか。

しかし、それ以前に、文明の中で生きる人間は、森や自然のなかで浮いた存在なのかもしれない。
森の中で自然に生きることができなくては、そもそも仲間に入れてもらえないのだろう。狩り以前の問題かもしれない。



先生は、またイリアンジャヤへ行こうと、息巻いている。

今度はダチョウになれるだろうか。









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2001.09.24 mon「正義も勝利も」


「人を恨むことは間違っている」

そんなことが、まだ言えるのが今だ。


物心ついたときには、すでに祖父母が殺され、両親が殺され、その報復に、敵側の兵士を攻撃する。それに一般市民が巻き込まれる。敵側の国でも、子供たちは、物心ついた頃には、すでに肉親を殺された恨みを憶えて育つ。

両者は、戦うのにもっともな理由をもって戦うのだ。
そして両者が、己の正義と勝利を信じている。

これが、戦争というスケールで死者を重ねると、客観的な位置から見てすらも、どちらが正義で、どちらが悪か、どちらの恨みが正当かなど、もう何も言えなくなってしまうのだ。

こんな教訓は、人類史にいくらでも転がっている。
それが何の役にも立たないなんてことに、ならないでほしい。


「人を恨むことは間違っている」

今はまだ、この言葉を言える。






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2001.09.22 sat「私の母」

今回ばかりは、わが生命線である実家に迷惑がかかる恐れがあるので、この日記を読んだ人は、その内容を決して他言してはならないことを「いったい何回目だ、こういうの」と思うかも知れないが、あらかじめ注意しておく。

さらに、同上の事情で、今回の日記にはかなりの伏せ字、検索ヒットを回避するための意図的な誤植やアナグラムが発生すること、及び、そうとうなウソが散りばめられていることを「とか何とか言って、それがカモフラージュで、全部ホントの話なんでしょ? ・・・でもマジ?」と思うかも知れないが、告知しておくものである。



私の実家は、中国が呉の時代に日本にもたらされ、一応の民族衣装として認知されている衣類の販売を専門に行っている小売店である。仮にゴ服屋としよう。誤服でも良いが、なにか腹立たしいのでやめておく。

ゴ服は、実際のところ高価であるため、頻繁に売れるものでもなく、正月や成人式など定期的に催されるイベントをきっかけに販売を行うのが普通だ。

だが、そういった時節に依ったイベントが組めない時期の場合、小売りや問屋、あるいはメーカーが独自にイベントを作ることがある。その最も多いものが、有名人を招待しての催事だ。

そんなきっかけで、実は、某大物タレントさんがうちの店に来てくださることになった。
そのすじの人としては、申し分ない有名人である。
こんな田舎によくもまあ、と私も驚かされた。

そういえば、この「人間を殺傷するための金属の板つくらせたら日本でイチバン市」には、キグナス氷河が納屋六郎とテレビで戦っていた頃に中山美ポが文化会館に来てコンサートを催したが誰もスタンディングにおよばないまま第一部が閉幕したという痛恨のメモリーが忘れ去られて久しい。

他にゆかりの有名人というと「The カンボジア・ワイン」というアニメのオープニングを歌っていた歌手さんが、我が市の出身だったはずだが、あとは、ここまで書いて、逆に変な方向性から検索にヒットしそうなヤな予感が出てきた日記ライター天野拓美の現住所だということくらいしか、特筆すべき点のない地方だ。

そんな所に有名人である。
だが、母はこの話に不満げだった。

申し遅れたが、今回の日記の主役は、私の母(職種:攻撃型接客業)である。



一番の問題点は、そのギャランティーだった。

一日で、ええ万円である。

 ※ 本来数字が入るであろう部分に代入されているひらがなは、おてもとのキーボードのファンクションキーを除く最上段の数字キーを参照してください。

私も聞いた瞬間に時給に換算しようとして母に止められた。

「なにせタレントですから」

企画を通しているマネージャーは、それが口癖だった。

今回は、その某大物タレントのプロダクションではなく、ゴ服のメーカーがこのイベントを取り仕切っているため、そのマネージャーは、ゴ服メーカー側の関係者である。誤解のないように願いたい。

ちなみに、某大物タレント本人は、実際に仕事をする近日まで段取りには関わらないようだった。
すべて、マネージャーが用意し、仕切っているようである。



母は、この話を丁寧に断った。

あわてたのは問屋である。

うちはライト兄弟が飛行機とばしてタイタニック号が沈没した頃には既に創業していた老舗である。某大物タレントの話を飲むと思ってスケジュールを押さえてあった問屋が慌てて、あわ万円は負担するからやってくれと言う話になった。

それでもこちらの支払いは、ふえ万円だ。母は、そんなお金を使うくらいなら、お客様にその分だけでも安く売った方が良いという人間なので、不服である。だが、様々な大人の事情を考慮して、今回の催事を引き受けた。



だが、すぐに問題が出る。
二番目の問題は、着替えのための部屋だった。

実家は通りに面した前半分が店舗であり、催事場もかねているので、そこで催しをする。
したがって、着替えのための部屋は、後ろ半分の住居の部分を使うのだが、マネージャーは全部屋を睨め回した上で、承認を示さなかった。

私の部屋が使えるはずもないのは当然として、空いていた部屋は「エアコンが無いからダメ」、母の部屋は「生活のにおいがある」という理由で却下された。

「なにせタレントですから」

というマネージャーに母がキレて

「じゃあ、いまから誰もつかわへん部屋に10万はらってエアコンいれたろか!」と叫ぶ。

それにマネージャーが生命の危機を感じたような驚き方をし、協議の結果、市内のシティホテルで一部屋確保することになった。



ところがマネージャーが指示を出す。

「ツイン」を「シングル」で使う、というのだ。

「寝るベッドと、着物を広げるベッドとベッドがふたついりますからね。あと、お茶をのんだり休憩するための部屋も別に用意してください。なにせタレントですから」

「やかましわ! 日帰りの人間が何を言いっとんさる(何をぬかしやがる)! 寝えへんのやったらシングルで充分や!」

と怒髪が天井を打ち破りそうな母の勢いに、やはり生命の危機を感じたマネージャーが折れて、シングルになった。




次は、食事の問題である。

某大物タレントは、ラーメン党なのだという。それでかマネージャーは、こう要請してきた。

「市内で一番うまいラーメン屋を、一部屋借り切ってください。なにせタレントですから」

母は念力だけで相手の心臓を握りつぶすような闘気を撒き散らしながら、マネージャーに提案した。

「すぐ近所に有名な鰻(ウナギ)屋があります。このあたりでは一番美味い店で、遠くからもお客様がいらっしゃいます。うちとも懇意の店で、うちに来ていただいた有名人や先生方には、いつもそこで食事をとっていただいています」

標準語で話す母に生命の危機を感じたのか、マネージャーが妥協し、下見を望むというので、案内をした。

そこはリンカーンが大統領になったころにはもう鰻を焼いていたという大変な老舗で、とても味のある店構えだったが、見た目の古さばかり目につく人もいる。マネージャーもそういう人種だったが、これはオーケーが出た。

「古くさい店ですねえ」

と漏らしたマネージャーのネクタイをつかみ、腕時計のベルトくらいの直径まで締め上げながら、店内の最奥部の特別室まで母が案内し、畳をタップしてギブアップサインを出すまで 納得するまでこの店の良さを言って聞かせたからだ。

話を聞いていた鰻屋の女将さんが大喜びして「宣伝になるから、お客様の見える場所で食べていただけないかしら」という提案をする。だがそれをマネージャーが断ったのは、さすがに黙認した。食事くらいゆっくり食べたいものだ、という気遣いは同感だったからだ。




そして次の問題は、交通手段のことだった。

某大物タレントは、新幹線派だという。そして、そこからは車で移動したいと言うのだ。

テレビなどでの露出も多いので、市内線を避けたいのは、よくわかる。
これには母も同意し、社用車のセドリックでお迎えに上がります、とマネージャーに提案した。

だが、それをマネージャーが断る。

「事故の恐れがあります。何があるか分かりません。けがでもして他の仕事に出演できなくなり、多額の賠償をするというのも恐いですから、保障のあるタクシーを使ってください。なにせ」

マネージャーが学習能力を見せて、すこし口ごもった

「・・・タレントですから」

最寄りの新幹線の駅から約25キロ離れた我が市のシティホテルまでタクシー料金の負担である。ちなみに帰りもそうだ。加えてホテルから店までの往復も必要となる。だが、これは母も納得し了承した。

母は、すぐさまタクシー会社に電話し、見積もり料金30000円の所を、秒殺単位の時間で20000円に値切り落とした。
母がどういう方法でそれをやったのかは、誰にもわからない。




かくして、波乱の中、準備は整った。

お得意さま100名ほどを招待してのイベントである。

某大物タレント直筆の手紙をスキャニングして、葉書に印刷し京都へ送る。落款を直に押してもらって、京都付けで投函してもらった。これで、招待客の皆様には、某大物タレントから手紙が届く段取りになる。いま店では催事の用意が、着々と進んでいる。


ゴ服メーカーのマネージャーは、失礼がないようにしたい気持ちは分かるが、どうも好かない人物である。だが、某大物タレントとは人間も組織も、まったく別だ。おそらく本人はいい人なのだと思う。

毒舌とも聞いているが、同種のイベントをやったことのある地方のゴ服屋の話では、とても気さくな可愛らしい人とのことだった。



タレントさんである、彼女に会えるのを、私はとても楽しみにしている。


注:ちなみに、母の言動は、一部、フィクションです。







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2001.09.19 wed 「人の恨み」

アメリカ同時多発テロに対する、報復攻撃が始まろうとしている。

そして、アメリカ人の多くが、アフガニスタンの一般市民に被害が及んだとしても報復をすべきだ、という意見を支持している。

血をもって贖(あがな)わせることを、辞さない考え方だ。

たしかにテロ行為は許すべきことではない。
実行グループを恨む気持ちも分かる。

そして自分たちの受けた分くらいは、お返ししてもかまわないのではないか、という無理はないが、決して尊敬できないクソ甘ったれた考えに陥ってしまうのも分かる。


奪われたものが、愛していた者であればあるほど、その憎しみが、まるで愛の証であるかのように思えるときがある。

愛するが故に、奪った者を憎む。

その憎悪は、たまらなく心地良く、まるで毒のように甘い。


だが、アメリカ人よ。いま誇りを持って国歌を歌い、星条旗を掲げるアメリカ人よ。あなた方は200年もキリスト教を国教とし信奉してきた信徒ではないのか。

「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」

と示したあなた方の大親分の言葉を、どうしてこの正念場で忘れてしまうのだ。

なぜ「相手をブチ殺さなければ、恨みは晴れない」と思ってしまうのだ。

なぜ、ここでテロリストと同じように、憎悪という甘美な罠を操る悪魔の下僕になりさがってしまうのだ。

犠牲者のために切った十字は、いったい何を教えてくれているのだ。

「お前に何が分かる!」と言われれば応えて言う。「私も同じ道を歩んだ!」

その私が乗り越えられたのに、どうしてキリスト教の基盤をもつ国家が、乗り越えられないのだ。




一般市民の犠牲なしに報復を成功することは、現実的に、ほぼ不可能に近いだろう。だが、それを実現することが、キリスト教国家の誇りと使命ではないのか。

いまは報復を掲げ、アメリカ人の大多数から支持を得ているブッシュ大統領が、その陥りやすい罠を避け、どんな非難を浴びても最終的に、その支持率と、一度は世論をまとめ上げた才覚をもって、平和的な収拾を遂げることを願ってやまない。

アメリカが正義を掲げ、どれだけの報復を行っても、決して恨みは消えないからだ。


 「人の恨みって、こんな風に・・・誰かが死なないと消えないの?」

 「バカ野郎。誰が死んだって消えねーんだよ・・・。本当はな」

(無限の住人より)





こんな会話が、いまさらのように繰り返されるのではないか。そんな悲しい予感が、する。






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2001.09.16 holy 「ワダさん」

ワダさん、というプログラマーさんであり、イラストレーターである人物と会った。

この方には、仕事を辞めるときに相談にのっていただいたり、いろいろお世話になっている。
和田さんはわたしの先輩で、すでに家庭をもっており、奥様もご懐妊されて、そうすぐ一児の父だ。(おめでとうございます)

仕事をやめた報告と、今後の相談もかねてファミレスへ行く。


食事をして、ひとしきり話した後で、いつの間にか、私は日記メモに、和田さんはミスしたコピー用紙の裏に、人物のスケッチをはじめていた。
お互いの背後に座っているファミレスのお客さんやスタッフを、パッと見てのスケッチである。

ジロジロ見るわけにはいかないので、時計を見るふりや、首をコキコキいわせるフリして、ほんの一瞬間だけ網膜に写った映像を脳裏に焼いて、それをたよりにボールペンで絵にしていく。

楽しかった。
興がのって、ボールペンがはしるはしる。

漫画やゲームの整った顔の若い女性キャラクターではなく、クセがあって、生きてきた味のある、普通の人を絵にするのがとても面白かった。



「結婚する前には、一緒になれたら、こういう風に彼女を愛したい、こうしてほしい、ああしてほしい、と考える。あるいは、こうしてあげたい、ああしてあげたい、と想いが募る。

でも、そういう希望があっても、それを一度捨てる必要がある。捧げる、と言ってもいい。

そうでないと、こうしてくれない、ああしてくれない、と要求する気持ちばかりになって、それがやがて恨みになってしまうから。

でも、自分の夢を捧げていると、逆に、何でもないときに、彼女のほうからその夢が帰ってきたりするんだよ」



仕事ばかりで最近外に出ていない、というワダさんが語る。

結婚生活への理想は、そのほとんどが、相手によってではなく、自分によってのみ実現されると聞いたことが、以前にあった。

私は、いい先輩をもったと思った。




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2001.09.14 fri 「北朝鮮」

アメリカでの同時テロ問題が、予断を許さない。
せっかくなので、このドサクサに紛れて北朝鮮のことを書いておこう。

先輩つながりだが、例の北朝鮮にいっていた先輩から、また話を聞いた。
今回のは短く、内容も薄いので、たぶん書いても安心だろう。

話によると何年か前に行ったときには、特殊な扱いだったため、比較的現地っぽい生活を見られたが、最近は、現代グループなどの観光事業が進んできたためか、外国人用のホテルにしか宿泊できないそうだ。
そこは、テレビにBSも入っているし、トイレットペーパーも、紙は白かったという。

むかし泊まったホテルは、当然のように国営放送しかテレビには映らず、トイレットペーパーも漂白されていない茶色の藁半紙で、使えば尻が切れそうな品質だったという。終焉直前のソ連なみだったそうだ。

もう、そういうところには、外国人は泊めてもらえないらしい。

首都平壌(ピョンヤン)では、「21世紀の太陽、金正日万歳」というスローガンが、それはもうあちこち、というか国中にかけられている。
話を聞く限り北朝鮮は、メインの対象物こそ違うが、国中ザナさんちみたいな状態らしい。

学生は学校教育が半分で、あと半分は「教育堂」というところで国家の指導者、金正日総書記と、偉大なる英雄、金日成主席の歴史や思想を勉強するのだが、すでに国土総教育堂化が完了している。

ちなみに、すでに死去している金日成は「金日成主席」と呼ばれている。これは偉大なる尊称で、金日成のものであり、未来永劫だれにも与えられない永久称号だ。
そして、金正日は対外的には「金正日総書記」と呼ばれているが、内側では「金正日将軍」と呼ばれている。

その街を数メートル歩いているだけで「この二人は、すごい人物だ」と、どんなに偏見を持っていても思ってしまうそうだ。そういう雰囲気が首都全土を覆っているため、国外に出れば「金日成」「金正日」と呼べても、北朝鮮内で呼び捨てなど、絶対にできないらしい。

先輩「呼び捨てはアウトだ」

天野「はあ」

先輩「あと、滅多なところでは写真を撮ってもアウト」

天野「それは、あの、どういうアウトですか」

先輩「写真は、フィルムが抜かれるだけですむが・・・」

天野「・・・」

先輩「・・・」

天野「先輩、何か言ってください」

そんな会話をしながら先輩は語る。

板門店だけは観光地として撮せるので、北朝鮮の兵士がフレームに入っても許される。だが、兵士単独ではアウトとのことだ。

他も、政治的に重要な拠点でなくても、生活を撮影するのはやはりダメらしい。
バスの中から風景を撮影するのは許可されているらしいが、揺れや砂ぼこりが凄い上に、ただの田舎の風景しか撮影できないので、あまり意味はない。

ただ、人の目でみた限り、首都である平壌以外全部農村に見えるという。

首都があり、いくつかの主要都市があり、その周辺都市があり、だんだん人口が拡散していく、というのではなく、東京23区があり、その周りは日本中全部農村とゆーメガゾーン23みたいな(あれは宇宙だけど)状態らしい。

そして、農村とはいっても、作物はいうなれば「育てっぱなし」の状態で、一部は枯れていたり、また一部は収穫の時期を逸して腐っていたりと、生産を積極的にする様子も、農作業をしている人間も見えず、道路のほこりや枯れた草などからも「国中が渇いている」という印象が強く残ったとのことだ。

食料自給率は低いらしく、ホテルですらおかゆが朝食に出るという。

「中国でも、朝食はおかゆです」

という理由らしいが、中国でもホテルの朝食が「お粥だけ」というのはないと思うが、どうだろう。
でも、昼食と夕食は普通に出たそうなので、そういうものかもしれない。

最近は渡朝しやすくはなったが、その分、民衆の生活が見えなくなってきたようだ。
その影で、外国を知らないでいるこの国の人々の生活や心情は、いま、どう変化しているのだろう。

平壌だけがきらびやかな様子を見るにつけ、それが心配だと先輩は語っていた。





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2001.09.12 wed「誰も気がつかないのか」

4機のハイジャック。
アメリカへの同時テロ。
その組織力や、あまりに派手な攻撃の背後にあるであろう何かの暗躍。

それがアメリカを憎む政治的なテロであるとするなら、言及したいことはいくつもある。

だが、いまはテロに対して一言。

「どうして、敵を憎むという易きに流れる・・・」

私は、憎むことで、自分の愛がかりそめに満たされることを知っている。

自国に敵対するものを憎むことで、愛国心が満たされるという錯覚。

ああ、自分はなんて素晴らしい愛国者なのだろうという快感。

なぜ、その巨大な落とし穴を前に踏みとどまらない。


いまはテロリストに向けて。

そして、テロへの報復に燃える可能性のある全ての人に向けて。






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2001.09.11 tue「交通ルール」

白天野「この前の日記で、カーブが曲がれないとか、恐ろしいこと書いてるけど、天野拓美本人は、交通ルールとかは、ちゃんとわかってるだろうな」

黒天野「そりゃ自動車の方の運転歴は長いんだから、大丈夫だろう」

白天野「じゃあ試しに聞くけど、信号の青・黄・赤の意味は、分かるのか?」

黒天野「ええと、まず青が『進め!』で」

白天野「いや、正確には『進んでもよい』なんだがな。まあいい。あと『!』はいらん」

黒天野「で、黄色が『急げ!』で」

白天野「ちょっと待て」

黒天野「赤が『もっと急げ!』と」

白天野「おい、ソレどこで教わった」

黒天野「いや、大学の頃の信頼できる先輩から」

白天野「黄色は『原則としてそこで止まれ』で、赤は『止まれ』だろう!」

黒天野「ああ、そんなことを教習所と講習所で聞いたような」

白天野「これが正式な意味だ! なんだそのもっと急げっていうのは!」

黒天野「『 青・すすめ、黄色・つっこめ、赤・勝負 』っていうのも聞いたことがあるな」

白天野「それも信頼できる先輩か!?」

黒天野「いや、これを教えてくれた人は、半年通った上で教官とケンカして自動車学校を退学した別人だ。でも、ちゃんと5・7・5になってるし、これはこれで」

白天野「関係ねえ!」

黒天野「ダメか。こころのどこかで信じていたんだけどなあ」


たまに、そういう運転をしている人がいますが、マネしないようにしましょう。








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2001.09.10 mon「風とバイク」

先日、風さん(北摂商会有○会社)が岐阜に来たおりに、少しだけ会う時間がとれた。

風さんは、ヤマハのXTZ750 SuperTENERE(スーパーテネレ)を駆るライダーだ。今回も神戸からバイクで、下道を旅をしてきた猛者である。

彼との因縁は「ヨコハマ買い出し紀行のファン」というつながりのはずだが、お約束通り、彼とヨコハマの話をしたことはほとんどない。なにせ彼は

「神奈さまーっ!!」(AIR)

「名雪いいいいーっっ!!」(Kanon)

という人だからである。
彼は、私の中でいうところの「ストロング仮面」なのだが、実際の所、愛したキャラが、たまたま、みんなストロング(ストレートなロングヘア)だったというだけかもしれない。



国道22号線を来た風さんとは、各務原で待ち合わせをした。
私もバイク(カワサキのバルカン)で迎えに行き、家までの道を先導する。

ところで、わたしは、バイクの教習所を出てから、とくに何の講習も受けないままバイクに乗っている。
そのせいか、実はバイクに乗るのが下手だ。
他のバイカーや、風さんを見ていると、さすがにそれが分かる。

まず、カーブが曲がれない。

・・・・。

なんか今、自分でも致命的な欠点な気がしてきた。
改めてテキストにすると、よく分かる。

正確にはカーブが苦手なのだ。

だが今日、風さんに、そのコツを教えてもらった。
カーブを曲がるとき、バイクの場合は内側に身体を傾けるのだが、そのとき、頭だけは首をひねって、道路に対して垂直になるように、角度を維持するのである。
すると、頭だけは路面に対しまっすぐなので、いま自分の身体とバイクが、どれくらい寝ているのかよく分かるのだ。まだ倒せる、これ以上いくと転倒する、など自分のとっているバランスが確認できる。

長く乗っている人には、基本的なことだと思う。
だが、私は知らなかった。

上手い人の前を走るのは緊張するが、こうやって教えてもらえるので、ありがたい。

最近は、台風や長雨の合間を縫ってバイクで出かけているが、ちょっとコツがつかめてきたような気がする。


家にお迎えしてから鰻(ウナギ)を食べ、JASRACに怒られるくらいではすまないようなマッドテープを聴かせてもらうなどして、三時間ほどの、ほんの短い時間だったがゲラゲラ笑って遊んだ。

マッドテープとは、京大放送研がオープンリールで音声を切り張りして作った、宇宙戦艦ヤマトなどのミニドラマで、既存の音声を流用し、話のスジを微妙に変えてあるのが楽しい。他にも特撮ヒーローものに出てくる悪の組織の歌で、組織名を連呼する箇所が全部「ヤマトだ!」(声:沖田十三)に直してあって、そのまま聞くと悪の戦艦に思えてしまうとゆー奸智に長けた洗脳戦略みたいな歌などだ。でもこの面白さは、聞いてみないと分からないだろう。


風さんは、これからさらに高山まで行くという。
彼の愛車はスーパーテネレ。パリ・ダカールラリーで、BMWやホンダをブチ抜くためにヤマハが作り出した名車だが、それだけに馬力、サイズ、重量など、日本人には持て余すくらいの車格である。

だが、その大型バイクを、風さんがするりと取り回し、難なく走り去っていく。

もうすこし上手くなったら、私も、この休みのうちに、バイクで旅行してみようか、と思った。



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2001.09.08 sat「北へ」

「北へ」

というゲームをやった。

NOCCHI というイラストレーターの絵がいろいろと話題を呼んだゲームで、ぜひ一度プレイしてみたかったものだ。東京に行ったとき、文月さんから借りたディスクをセットし、ゲームをスタートする。

シナリオが何分か進んだところで、一人目の女性キャラクターが現れた。

「椎名薫」 声は榊原良子さんである。

「『北へ』は、榊原さんが攻略可能なキャラクターを演っている、貴重な唯一のギャルゲーなんですよ」

といいつつ、榊原さん直筆のアンケート解答用紙や、履歴書などを、shalさんがネットで見せてくれた。

「きみ、いったいどこからそんなものを・・・」

そう言いながら、私も、榊原さんのことは昔から大ファンだったので、迷わずこの人を攻略対象にする。
そしてゲームは「北へ」の舞台、北海道に移った。


春野琴梨(はるのことり)です」

空港で出迎えてくれたのは、北海道で世話になる親戚の娘さんだ。彼女の家に世話になるプレイヤーを「お兄ちゃん」と呼ぶ幼なじみである。

君は自分の名前に疑問を持ったことはないのかね。

と、とりあえず、冷たくあしらった。


「ONE」というゲームをやっていて思い知ったのだが、つき合おうとする相手を決めたのなら、他の女性には、決して思わせぶりな態度をとってはならない。

これは現実でもそうなのだろう。
だが細かい配慮のできないゲームの世界では、選択肢という限定条件しかないため、自分に好意を持ってくれている少女にも「好意的に」「冷たく」かで接することになる。


そして、このゲームには「会話割り込みシステム」というのがあり、相手の話を中断して想いを打ち明けたり、話題を変えて自分のペースにもっていくこともできる。そして、キャラクターが返答を求めているときには、同じ操作で反応しなければならない。そしてここで、無視をすることもできるのだ。

したがって、幼なじみが話しかけてきても。

「このネコ、エルちゃんっていうんだ、カワイイでしょ?」

無視。

微妙な沈黙。

「あ・・・お兄ちゃん、トマトジュース好き?」

無視。

「お兄ちゃんの部屋に案内するね」

無視。

「夕飯の買い物なんだ、つき合ってくれるかな?」

無視。

「あ、やっぱり来たばかりで疲れてるのかな・・・?」

どこまでも無視。
そして一人で買い物に行く幼なじみを、目線だけで見送る。

なんか嫌な申し訳なさでいっぱいだ。優しく話を聞いてあげたいが、そうするとこの子のルートに行ってしまいそうなのである。

しばらくして、北海道の特産品で作られた食事が並んだ。一人で作ったという事実が涙を誘う。
食事には、いちいち全部食べて感想を言う、という選択肢が用意されている。

『うまい、うますぎる!』

とプレイヤーがテキストで思っているが、選択肢は「黙っている」「あえて黙っている」を通す。

とても気まずい食事だ。

「あ、すっごい美味しそうに食べてるよ」

必死にフォローする幼なじみが、いっそ哀れに見える。

「それにしても、いい食べっぷりだねえ」

世話になる家人が話しかけてきても、ひたすら無視だ。

現実だったら、叩き出されているなあ、と思っていたら、ボタンを間違えた。
操作ミスでうっかり「ほめる」を選択したせいで、もう泣きそうな勢いで家族全員が大喜びである。

とても辛い、いたたまれないゲームだ。

何を言われてもロボライクに沈黙を通して、一日目が終わった。




shalさんの助言によると、椎名薫・・・いやあえて榊原さんと呼ぼう、彼女は北海大学のキャンパスにいるという。

自由行動が確認できたと同時に、あらゆる観光名所をすっ飛ばして北海大学へ直行する。

ベンチに腰掛けて文庫本を読む榊原さんに、おずおずと話しかける。
だが、世間話もやんわりと拒絶されて、プレイヤーは隣のベンチに座っているしかない。でも

「時間ね、そろそろ戻らなきゃ・・・さよなら」

この榊原さんの疲れた演技が、もういろいろたまらん、という感じで最高である。


次の日から、午前中時間を潰して、昼から北海大学で張り込みを続ける。
ほんの数行の会話を楽しむためだ。そして、他の女性との接触を避けるため、行動不能になる深夜まで誰もいないベンチ前で粘ってから、マンションに帰る日々である。

どう見ても、ストーカーだった。

ある人物が、こんなことを言っていた。
攻略本にたよらず、ゲームでは、自分なら、どう行動するか、それで選択肢を決めよう、と。
その方針で出発したはずだが、だんだん辛くなってくる。

「こんな奴がいたらいやだろうなあ」

と思っていた矢先に、それでも努力が実ったのか

「私、嫌いじゃないわよ・・・」

と榊原さんのステキな疲れたお言葉が飛び出した。

コントローラーを放り出してガッツポーズをとる。この一言から物語が動きはじめ、まともな会話が続く。これが、うれしくて仕方がない。

そして、こちらに興味を持ってくれたかな、という微妙なところに、突然

「おまえが庇(かば)って、恩を売れ」

とばかりに、ステキな偶然で暴走スクーターが突っ込んでくる。

「わかってるじゃねえか! 神様!」

と、 どちらかというとスクーターを跳ね飛ばしそうな勢いで飛び出し、大喜びで体当たりする自分である。

ここから、二人のロマンスがはじまった。



彼女を庇って手首を骨折し、入院したプレーヤーに、研修医である榊原さんが、仕事の合間に見舞いに来てくれる。

となれば、想いを告げなくてはならない。

おでましのたびに、猿のごとくガチガチガチガチと会話割り込みボタンを連打する人間ジョイボール化した自分がいた。

恋人の話題になったとき

「こればっかりは、相手がいないとね・・・」

という会話に割り込もうと、空気との摩擦で炎が上がるくらいのボタン連打である。



入院中は、退屈で死にそうだという旨を、やっと会話できたが

「大丈夫、退屈で死んだ人はいないわ」

という榊原さんへの、

萌えで死にそうな人間は何人か知ってますけどね。社会的にとか」

という会話選択肢がなかったのが残念だったが、そのまま順調に物語は進み、ちょっと物足りなかったが、ロマンスはハッピーエンドで終わった。
榊原さんを攻略できる、という点で貴重であり、また後にクリアしたターニャ・リピンスキーのエピソードもロマンチックでなかなかいいゲームだったと思う。



だが、終わってみると、「北へ」というゲームは、北海道を舞台にしているが、同時に北海道を紹介する
観光協会の回し者のようなゲームでもあった。


主題歌からして

 北へ〜ゆこうランララン♪

 北へ〜ゆこうランララン♪

 出会いの街、恋が生まれる、新しい北へスキップ〜♪

 北へ〜ゆこうランララン♪

 北へ〜ゆこうランララン♪

 春も夏も秋も冬もね〜、胸おどる北へスキップ〜♪ 北へ〜♪

 北へ〜ゆこうランララン♪

 北へ〜ゆこうランララン♪

 出会いの街、恋が生まれる、新しい北へスキップ〜♪

 北へ〜ゆこうランララン♪

 北へ〜ゆこうランララン♪

 春も夏も秋も冬もね〜、胸おどる北へスキップ〜♪

 北へ〜♪

である。北海道観光協会が作ったかと疑うような歌だ。

少なくともサビ以外の場所とはいえ「カニがいっぱい! ホタテいっぱい!」とまで歌わせているゲームというのは、そうないと思う。

さらに、作中に登場する観光名所や有名喫茶店などは、すべて実在のものだ。
エンディングロールに延々と流れる取材協力店名や組織名がそれを語る。

これは、観光協会への貢献を基盤に、著作権を逆手に取ったおそるべきゲームなのだ。

なにせ幼なじみが言うと腹が立ってくる、北海道の観光情報そのまま朗読のような台詞も、榊原さんが読むと聞いてしまうからである。

おそるべし、広井王子(プロデューサー)。
彼はプレイヤーを技北先生にする気なのだろうか。(なんか難しい冗談をかいてるな、私は)



ゲームとしての評価は、やはりキャラクターデザインの絵が抜群に飛び抜けて素晴らしい。
私は、ゲームをやるだいぶん以前から、攻略本と、ファンブックを買っていたくらいだ。

そして、榊原さんの歌が聴けるも、ファンには嬉しい。
「ブラックマジックマリオ66」のエンディングは、だいぶ辛そうだった。巧くなられたと感慨もひとしおである。
そして、今回の疲れた演技も、実に良かった。

シナリオのボリュームに不満はあるが、榊原良子ファンは、ぜひやるべきゲームである。



余談だが「ハマーン・カーン」「南雲隊長」「クシャナ殿下」など、落ち着いていて、かっこいい女性の役は、榊原さんにまかせれば間違いないと思う。

そして個人的には、いまだにどすこい姉妹(超力ロボ・ガラット)の演技が忘れられない。
っていうか、コレを知っている人はいるだろうか。





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2001.09.06 the「shalさん・2」

子供の頃に、同じアニメや特撮を見て育ったのに、ある子供は普通の青年に、ある子供はマニアに変貌を遂げる。
「マニア」と呼ばれる人間が、普通の人間から
分岐するのは、どういう時だろう。

結論を言ってしまうと、それは「しゃぶりつくす喜び」に目覚めたときからだ。

そこにいたるまでの過程を簡単に書いておこう。


アニメや特撮を見たとき、普通の人は、話を理解して「おもしろかった」とか「つまらない」とか「わけがわからない」とかいった、非常に大雑把な感想をもらす。

だがマニアの素質をもつものは、まずこのあたりから反応が違う。
彼らは、気に入ったアニメや特撮などを「もっとよく知りたい」と思うようになるのだ。

この美しい絵は、誰が描いているのか、と作画監督と原画スタッフをチェックし、この美妙な声は、誰が出しているのか、とキャスト(声優)を記録し、大局的にはストーリー構成、監督、演出の担当者名にも興味を持っていく。その末、今度は彼らスタッフを追って、他のアニメをチェックしていくのだ。

これらの行動で育まれてしまうマニアの心情はただ一つ。

「自分の好きな物を、とことんまでしゃぶりつくす心意気」なのである。

普通の人間は、たとえばガンダムを見ても「おもしろいね」くらいの感想だったりするが、しゃぶりつくそうとする人間は「『めぐりあい宇宙』の入浴シーンでは、ほんとはセイラさんがパンツをはくコンテまで切られていたんだよ」とか、どこで聞いてきたのか疑うような内輪話まで集めてくる。ちなみに、この情報は近所の模型店店長からのものだ。彼は仕事をしながら、ガンダムをしゃぶりつくしている。


先日紹介して、自分でもちょっと彼のことを非道く書きすぎたかな、と反省して若干の加筆修正をしておいたshalさんも、この手のマニアだと思う。

彼は声優を追いかけて、出演しているゲームを金銭的に苦しくても、ちゃんと買っている。

あまつさえ、彼にとっての「気の強いお姉さんが好き」属性の代表、榊原良子さん(「Zガンダム」のハマーン・カーン、「パトレイバー」の南雲しのぶ、他持ち役とても多数)が、「北へ」というゲームに出演した際の直筆アンケート用紙(スキャン映像)を基本ですとばかりに持っている。いまさら何だが、彼はまちがいなく、しゃぶりつくすマニアである。

先の大阪オフ会のときに、妙に古くてマニアックなCDを日本橋で探して欲しいと依頼してきたのもshalさんなのだが「爆走兄弟、レツ&ゴー」や「大運動会」のCDを、大ファンの矢島晶子さん(「クレヨンしんちゃん」のしんのすけや「ガンダムW」のリリーナ・ピースクラフト、「アイドル伝説えり子」の田村えり子など)の声のためだけに買い求めている。

でも、よく考えると、これは私も「井上喜久子さんの声のためだけにサクラ大戦3を買おうかなあ。ロベリアのコスプレはすごく格好良かったなあ。眼鏡には、実はちゃんとヒビが入ってるそうだなあ。どっちにしても私の鼻血は止まらんがなあ」と思っているのだから同類である。

ただ違うのは、私が31才で、あまり変わらないラインにいる彼が、まだ17才だということだった。


彼はマニアだ。
だが、彼は、節度のあるマニアだと思う。

「節度のないマニア」というものを想像して比べてみると良い。

よくよく話してみると分かるのだが、彼は、若く未完成ながら、ちゃんとしたアイデンティティーを持っている。
意識も高く、たぶん本質的な意味で、ものを見る目はあるのだろう。

ただ、私がジェネレーションギャップの無さに比べての彼の年齢に驚き、動揺しているだけなのだ。

実際に会えば彼がちゃんとした人間であり、その上で、ゲームとアニメの分野に、突出して造詣が深すぎるだけだということが分かる。


会ったときに彼は、「嵐のような萌えからの卒業」としきりに言っていた。

だが正確には「進級」して、より高度な萌えに突入し、落ち着きを持ち始めているだけなのではないか、と思うがどうだろう。

それならば、それでかまわない。人間的な内容のあるマニアであれば、むしろ魅力的なくらいだ。





おまけ:先の日記の後日談。

私は、日記をアップしてから、チャットでshalさんに聞いた。

「日記、どう? 大丈夫? 非道くない?」

「あ、じゃあ訂正個所を・・・(同級生2の)加藤みのりや、安田愛美は、OVAより後でハマリました。まずは、OVAでの舞島可憐役の矢島晶子さんの演技に惹かれてOVAをダビングしてもらったという感じです〜」(現在は修正済)

「shalさん・・・」

「はい?」

「そ、それだけでいいのか・・・?」






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2001.09.04 tue「shalさん・1」

よい子のみんなにお知らせ!
今日の日記に出てくる人物の半生は、危険だから絶対マネしちゃだめだよ! 約束だぜ!


マンデリンさんに会うついでに、岐阜県飛騨地方の高校生3人と会って話をした。
日記にも度々出ている、タカヒロ・Iさん、Kamasuさん、そして今回紹介するのは、私が認定する呼称でいうと天然危険物」shalさんである。

shalさんは、17才だ。
彼は、とても素直で、真面目な少年だった。高校では生徒会長を務めたこともあるという、実績の持ち主でもある。
だが、ウラガワ(こっち側ともいう)の経歴は、ちょっとまともではなかった。

彼は、小学生の時に、「レイアース」の鳳凰寺風(ふう)を追いかけていたという、剛の者であった。
この頃、彼は「お嬢様が好き」という自分の属性に目覚め、その後、龍咲海に乗り換える。
「実は気の強いお姉さんが好き」という細かな分析が、彼の中で進んだ。これは現在の矢島晶子さんや榊原良子さんの追求につながる。

中学に上がる頃、本人の述懐によると、かなり重要なポジションだったという「地獄先生ぬ〜べ〜」のゆきめにはまるという道を経て、彼は「ときめきメモリアル」に出会い、ギャルゲーへの偏見を失った中学二年生の頃に「嵐のように萌えた」というあるゲームとの運命的な出会いを果たす。

それは1998年、昔から「オタクと心中するつもりか」と言われるくらい当時のマニア系アニメ放送を一手に担っていたテレビ東京系列(岐阜県ではTV愛知)で放送された、「同級生2」のOVA(TV編集版)を観たときに起こった。

舞島可憐役の矢島晶子さんの演技が、どうも彼の心の中のなにかをえぐったらしい。これが運命の出会いであった。14才の夜のことである。

真面目な彼は、R指定をクリアする年齢になるまで耐えた後に、純正OVA版を探す。

おそらく近所のレンタルビデオショップになかったのだろう。
いまは倒産した新声社のゲーム雑誌「ゲーメスト」の読者交流コーナーを介して、彼は、大阪にある「センチメンタルグラフティ」のゲームグッズ個人売買のサークルを通じビデオをダビング、入手を果たした。どういう行動力だろう。

それまでの間にも、彼は「同級生2」の
原画集を購入し、PSやサターンのゲーム版をクリアし、KSSより出版されていたOVAのビジュアルファンブックなど、関連商品のすべてをしゃぶりつくしている。

そしてついに高校進学の後(2000年・16才)に、セングラの同スジから、やはり個人売買で98(クッパチ)を入手することに成功した。98で元祖「同級生2」(98版・1995年)をプレイするためである。

98というのは、日本の標準パソコンだったNECの98シリーズのことだ。
別名「究極の美少女ゲームマシン」(当時)である。
もちろん、98の中でもXaシリーズは立派なビジネス機だし、Mate-Aも、CAD・NC旋盤のデータ作成など、1本200万ちかい高級ビジネスソフトをたくさん持っていた。機種依存性の高いPC98専用ビジネスソフトがごろごろあったのだが、そのMate-Aが、1992年当時にしてFM音源、PCM音源、GA搭載だったため、別名「最強のエロゲーマシン」の汚名を被っていたのだ。(時代考証:風早彦氏)

「あの日は学校を休んで、大阪から98が届くのを家でまってましたよ」

「おい、生徒会長」

と突っ込んでおいたが彼には聞こえていない。無事に荷物は届き、その日から彼の火がついたような98エロゲーライフがはじまった。

「同級生2」が目当てで入手した98だったが、その中にインストールされていた、20〜30本のゲームソフトが、彼の16才の一年間を爆発させたようだ。いまだにその残滓がほの見える。

彼は突然

「たとえばYU-NOとかですね」

と口火を切って「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO(98版・1996年)」について語りはじめるのである。

知らない人にはサッパリだと思うが、若干17才(しかも当時16才)でこのゲームを語れる人間というのは、まず倫理的に存在しないはずだし、それを度外視しても、ほとんど「知っているはずがない」古いゲームを語れるのは尋常ではない。ひとしきり語って、かれはこう締めた。

「あれこそ、ゲームの見せ方です。最高ですね」

「君、私の半分くらいしか生きとらんのに、なんでそんなに古いゲームを語れるんだ・・・」

古いもの好き、というのは確かにいつの時代でもある。
だが、若いうちからああいう世界に入るのは、たいがい年上の友人や兄弟の環境から影響される場合が多い。

彼の痛いところは、全部自分で発掘しているところだった。


shalさんは、その喫茶店でテーブルを囲んでいた他の高校生2名とマンデリンさんを完全に引き離して、ほぼ独走態勢で声優さんやゲームや漫画のことについて語った。

彼は漫画の趣味も妙に古く「気の強いお姉さんキャラ」としては和田慎二の、特に「スケバン刑事」のファンだそうだ。

いまでは、コミック文庫すら一般流通してないような過去の名作である。

「「スケバン刑事」というと、私にはいまだにミミズの養殖が忘れられないのだが・・・」

「ちなみに一番心に残ってるのは、「超少女明日香 救世主の血」です!」

彼の出す、ほとんどのネタがわかる自分も恐いが、30男のアニメやゲームの話題についてこれる高校生というのも、たいがい驚異的である。



こんな男が生徒会長を務めている学校はどんなとこだ。

そう思い、あらためて比較対象人物を見る。


右隣にすわるタカヒロ・Iさんは、ONEの「里村茜」萌えで、よく

「茜は俺のものだー!!」

と叫んでいるが、客観的に見る限り、彼の捧げっぷりに関しては

「俺は茜のものだー!!」

というくらいには恋の奴隷である。最近は「スパイラル」のひよひよに魂をえぐられて、やや分裂気味だ。


もう一端のKamasuさんは、私の知る限り、かなりまともな部類にはいるのだが、ためしに

「マック用のCDで、桑島法子さんの音声データがあるけど、ウィンドウズ用になおして、あげようか?」

と持ちかけてみると、とろけるような笑顔をする。

最後の砦だ、と思っていたが君もダメか。

昨今の高校生というのは、みんなこうなのだろうか、とやや不安になる。



ちょっと話を真面目な方向に戻して、彼らが興味と不安をもっているであろう、将来のことについて、少し語りあった。

私は、こんな話をした。

君の行こうとする道が、特殊な才能を求められる不安定な世界だとしよう。
それは、たとえば漫画家や小説家、歌手、役者などなどだ。
この道を往くと打ち明けたとき、親はたいていの場合反対する。
迫害に近い反対もあるだろう。

だが、これは実は必要なことなのだ。

本人に、その才能があればよし。だが、もし無かった場合、向いていない仕事に、頭の柔らかい貴重な時間を浪費してしまうことになる。

では、才能の有無はどうすればわかるのか。

それは、徹底的に否定されて、拒絶されて、内外ともにその道を歩く力を剥ぎ取られて、はじめて姿を現す。
「それでもやりたい」と思ったこと。それが魂の叫びだ。それは間違いない。魂が知っている「歩くべき道」だ。往くがいい。

魂が求めているものを知るには、否定をくぐる必要がある。
その否定を与えるのは、親の義務だ。
最も親身になってくれる存在からの、強烈な否定こそ「俺ってけっこう才能あるしー」とかいう傲慢な精神を剥ぎ取って、魂を自覚させてくれる。


話を終えると、ああ、それはわかります、とタカヒロ・Iさんが応え、Kamasuさんも頷いてくれている。そしてshalさんが口を開いた。

「僕は、かつては、良さそうなゲームは、見たら即購入という中学生だったんですけど、すぐ財政が逼迫したせいもあって、いまは、お金が無くても「それでも欲しい」と魂が叫んだゲームのうち、矢島晶子さんが声やってるゲームだけ選んで買ってます!」

「いまの話は、そういう意味じゃねえ」

「ええ、お話の趣旨は理解してます。でも矢島さんはすごいんですよ、動物と老女以外の、女性声優に求められる声は何でも出来るとい(以下削除)」



かまわず話すshalさんの言葉をぼんやり聞きながら、私はザナさんのことを連想した。

以前に紹介して、旅行中どこへ行っても話題になったザナさんが「最強の妖精王」「特攻隊長」の称号をもっているのは、あとのフォローを考えていないからだ。

彼の萌えは、片道分の燃料しか持っていかないカミカゼである。

「守護月天バンザーイ!」と叫んであっちの国へバンザイ・アタックである。

そして恐いのは、普通は涙で見送るか死ぬ気で止める母が、整備班班長だということだろう。

彼のことは、もう温かく見守る(もしくは放っておく)しかないが、高校生のshalさんは、まだなんとかなる年齢だと思うがどうだろう。



日が暮れるまで遊び、歩くには遠いshalさんの家まで、マンデリンさんが車で送っていった。私も同乗する。

途中まで「今日のことはネタにしない」と誓ってメモを取らなかったことが悔やまれるくらい、彼の吐いたネタは膨大だった。
しかもすべて天然だった。彼はしきりに「ぼく、なにかおかしいですか?」を繰り返していた。

彼の性格は素直でまじめだ。
これは保証する。

社会心理学などに興味をもっている、将来有望な少年だ。


彼は、

「同級生2のときのような、嵐のような萌は、自分にはもうありません」

と車中で静かに語っていた。

「たしかに、榊原さんや矢島さんのファンですが、ぼくは、もう真人間として生まれ変わったんです。これからは真面目に生きていきます」

彼はそう言っていた。

そうだ。私は彼の悲しい意味でものすごい過去に気を取られているだけなのかもしれない。
もしかすると、彼はすでにそれらの過去を手放しているのかもしれないのだ。

これからやり直そうと決意しているのかな。
私の心の中に、彼を祝福する気持ちが生まれてくる。

「もう、ぼくは、この分野は卒業です」

「・・・そうか、ちょっと寂しい気もするけど、それなら仕方ないな。リバウンドに気をつけろよ」

そう彼の門出を祝おうとした私の心は、次の一言で木っ端微塵に粉砕された。

「あ、そうそう卒業と言えば「卒業3」というゲームはですね。実はプレイヤーの教師がすでに既婚者で、その上で生徒と仲良くなると言うマイダーリンなゲームで(以下彼が家に帰るまでの道中分の語りすべて削除)」




彼を家に送ってから、私とマンデリンさんは、とても深いため息をついた。

彼は、その晩のチャットでも、しきりに

「僕は真人間になりました」

と繰り返していた。

彼は同じキーボードで

「でも、いま萌えてるのは、声は矢島晶子さんで、キャラは「きさらぎママ(ハッピーレッスン)」かな〜♪」

というよーな発言もブチかましていた。



私とマンデリンさんは、モニターの前で、もういちど深いため息をついた。


















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2001.09.01 sat「間隙」

無事、と言い難い点もいくつかあるのが現実だが(財布の中の残弾数とか)10日間の旅行を終えて、なんとか家に帰り着くことができた。
だが、ハードスケジュールの旅行から帰ってきてからも、忙しさは続いた。

まず日記である。
なにせ長らく書いていなかった上に、ネタの濃さは通常の数倍だ。
オフ会日記になると長くなるのは周知の事実だが、それが連続10日間である。
旅行中にも「はやく書きたい!」という気持ちが高まっていたせいか、まる一日、日記執筆にあてていた日もあった。

そして腰の痛みである。
在職中にも痛んでいた腰は、旅行中まったく症状を示さなかったが、帰宅して休み、起床した瞬間に爆発した。

声が出てしまう痛みである。
起きあがることはできるが、歩行速度は時速1キロだ。

いまにも切れそうな一弦をいたわるように爪弾くギタリストの繊細さで、寝室・階段・玄関・自動車・入口・受付と、ものすごく長い時間をかけて整形外科へ自分の身体を移送する。

医師に「関節周囲炎」と診断された上で、看護婦に「ジャン・レノみたいなヒゲですねえ」と言われる。「ジャン・レノ」とは言われない。それはともかく、レントゲンに被曝した結果、骨や軟骨には異常はないようなのでホッとする。
湿布と服薬で、いまはほぼ治療を終えることが出来た。

その治療の終わった日に、右の奥歯で、銀紙でも噛んだような痛みが突き刺さる。

旅行中、すかいらーくなどで「ええと、まずチョコレートパフェ! あとは、うーん、じゃあオムライスでも。ああ、パフェは「食前」に持ってきて。で、食後にケーキセット!」とゆーよーな注文による食生活で蓄積されたのは腹部の脂肪分だけではなかったのだ。とりあえず歯医者に飛ぶ。

「しばらく見ないうちにジャン・レノみたいなヒゲがはえたね〜」とここでも「ジャン・レノみたい」とは言われないまま、個人的に「我王ねじる(D4プリンセス)」と心で呼称している女医さん(ちなみに男先生は「神隼人(ゲッターロボね)」)に、奥歯を削り取ってもらった。

病院通いが続く。人間ドックにも入っておきたかったが、8/20で正式に書店を退社し社会保険から外れたため、見送ることにした。

そして、退職手続き、職業安定所(ハローワーク)への失業給付手続き、DC版AIRの予約、国民健康保険の手続きなどを経て、すっきりと無職になった。

この間にも、いろいろな人に会った。
こちらが「店長」から「家事手伝い」に化けたため、社会的な地位が一気に逆転した、元店のアルバイトとカラオケに行ったり、最近Kanonの真琴シナリオで涙を流して感動したばかりかメールの個人情報を「相沢祐一」として堂々と感想を送りつけてきたmasterpiece先生と「千と千尋の神隠し」を観に行ったり、そこで「メトロポリスやA.I.に比べると、久しぶりに頭を使わないで楽しめる映画でしたね!」と笑いあったりして過ごした。

「千と千尋の神隠し」は、面白かった。

ネタバレになるので詳しくは控えるが、無気力と評されている子供も、鍛えられる環境さえあればいくらでも応用力や行動力を発揮できる、そういう内容を持っている、というような監督のメッセージ性を作品の間に感じる。見終わってからしみじみ考えてのことだが。

旅行日記終了後は、買い漁った同人ゲームで遊び、以前にテムジンでありながら書店社長のあやつるライデンに負けたことのある「バーチャロン・オラトリオタングラム」で遊び、ゲットはしたが読んでいない書籍を読みあさる夢のような日々を過ごしている。

実家の店や家事、兄夫婦の引越を手伝うなどの一方、手紙を書いたり、就職先を探しているが、家にいて自由な時間は、ひたすらにタブレットをこすった。最近は、時間があれば絵を描く日々である。


旅日記を書き終えたときには、中毒症状が出て「しばらく日記はやめよう」と思ったが、最近もりかえしてきたので、こうして書いている次第だ。
書いておかないと、本当に無為に過ごしてしまいそうなほど、時間には余裕がある。
だが、日記にばかり気を取られるのも馬鹿らしいので、あるていど余裕の更新ペースで行こうと思う。



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