「夕暮れと割烹着」
土曜日、学校が終わると、美汐は、そのまままっすぐ家に帰る。
部屋で制服をハンガーに掛け、適当に着替えた後、台所にひっかけてある割烹着をつかんで、庭の洗濯機へ向かう。歩きながら、割烹着の一番上の、すでに結んである輪を頭から通す。糊の効いた割烹着の袖口が、硬く手首をこするのが気持ちいい。後ろ手に、背中と腰のひもを結び、歩きながら解錠して窓を次々に開け、家内の空気を入れ換える。 前掛け部分のポケットに入れてある手ぬぐいを取り出し、手早く頭に巻き付けた。ヘアピンでサイドをとめて、歩を早める。
洗濯籠にたまっていた衣類を、ポケットの中身だけ抜き出し確認してから、一気に洗濯槽に放り込む。擦り切り一杯の洗剤を投じて、ぐいっとダイヤルをねじる、と同時に注水がはじまったが、そのとき既に美汐は台所へ向かっていた。 自分は簡単に遅い昼食をすませ、すぐに掃除にとりかかる。押入から武骨な掃除機を引っぱり出す。美汐の小柄な体格に比べると大きすぎる感があるが、彼女は難なくそれをとり回しながら、二人で住むには広すぎる家に掃除機をかけていく。 すすぎが終わった頃合いを見て、いまどき二層式の洗濯機を開き、脱水槽へ、重くからまる洗濯物を、手早くほどきながら移していく。ふたを閉じると同時に脱水のダイヤルをひねる。背後でゴトゴトいう回転音を確認しながら、水場でバケツに水を張り、パリパリに形が付いた雑巾を浸す。しょわー‥‥と乾いた雑巾が水を吸って変色しながら沈んでいくのをうっとりと見つめた後、両手でバケツを持ち上げ、よろよろとおぼつかない足取りで、何日か前に雨が降り込んで汚れた縁側に向かう。 ザリガニのように、後退しながら縁側の床を拭き、そのまま窓の桟(さん)も掃除した。腰を伸ばして、ほう、と息を吐く。 雑巾をしぼりながら、すこし思案する。すると、遠くに聞こえる脱水のブーンという唸りが、ちょうどトーンダウンするところだった。
天気はいい。だが午後を回っている。洗濯物は乾くだろうか。
少し休憩してから、夕食の買い物に出る準備をする。
スーパーで買い物をしたときには、生鮮の類をつつむビニールを、何袋も切り取ってもちかえる。
若い身空で、苦労している彼女に、裏通りの旧商店街は優しい。
その都度、もうすこし愛想よくしても良いかも知れない、とは美汐も思うのだが、まだきちんとお辞儀して感謝するのが精一杯だ。
手のひらに食い込むくらいになった、頑丈さだけが売りのバッグを両手で引きずるようにして、家に帰る。
今日の夕食は、揚げ出し豆腐である。
その間に、なんとか乾いた洗濯物をとりこむ。昼過ぎにはじめたにしては、西日が射す頃に取り込めたので上出来だ。
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とりあえず畳の部屋に、とりこんだままの衣類を置いて、アイロンを用意した。 タオルや下着類をくるくると畳む。それが終わった頃にちょうど蒸気を吹きだしたので、父のワイシャツにゆっくりとアイロンをかけた。 タンスの中を少し整理して、同じシャツばかりがローテーションされないように、順番を変える。襟首がすこしくたびれてきたシャツを、じっと見つめる美汐の頭の中では、今月の家計がシビアに計算されていた。
日が落ちた頃、いよいよ夕食の準備である。 揚げ出し豆腐の場合は、あまり水を切りすぎると硬くなってしまうため、加減が大切だ。
豆腐を包んでいた布巾をとってみる。
メインの他に数点のおかずを準備し、父が帰宅する頃合いに炊飯器を予約セットする。 あとは父の帰りを待つだけだ。 揚げ物をしたあとの手で本に触りたくないので、揚げるだけの状態まで準備をしてから、居間で、図書館から借りてきた文庫本を読む。テレビはつけない。隣家から風にのってうっすらと聞こえてくる子供向け番組の音楽以外、部屋の中はまったくの無音だ。たまに、蛍光灯がジジジ・・・となる音がする。
いつも残業で遅くなる父を待つ。
ちゃぶだいにうつ伏せるような格好で本を読む。脚も崩して、リラックスした様子の美汐だが、こんなときでも、いまだに割烹着である。
午後10時。炊飯ポットが飯炊きの完了を知らせる電子音を発する。
両手をあわせて母の写真を拝む。
風呂に湯を張り終えた頃、ややあって、父が帰宅した。 「ただいま」 「おかえりなさい。今日は揚げ出し豆腐です」 「そうか、御馳走だな」 父親にも、いまだに敬語を使ってしまう美汐。
ごく控えめな音量でニュース番組を流しながら、父がくつろぐ背後で、美汐が衣をつけた豆腐を揚げはじめた。
食事が終わり、食器の片づけをするうちに、父が入浴する。
ほんの短い親子の会話。その後で、美汐が入浴した。
全身の力を抜いて、唇の上まで湯に浸かる。自然と眉毛がさがった。鼻からおおきく息を吸って、首を後ろに倒す。 「・・・・はぁ」 おそらく一日で唯一、美汐が肺のそこから出す声である。
寝間着で湯上がりの髪をなでつけ、洗濯物をまとめる。 そして、最後に割烹着をたたんだ。 白い割烹着は、母の遺品だった。美汐にとってはすでに肌の一部のようになじんでいる。
割烹着を、丁寧に片づけ、読みかけだった文庫本を手に取り、美汐は部屋に戻る。 彼女の一日が、終わった。
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(2001.10.14 holy)
自分で描いていてなんですが、実に偏執狂的なSSです。 大丈夫か、私。 美汐さんと言えば「ま〜っかーにー流れる〜、ぼくのみ〜し〜お〜♪」と歌でも何でも美汐に結びつけてしまう癖を持ち、ヨコハマ買い出し紀行のファンサイトのはずが、コンテンツには美汐さん関係以外なにも無いという文月氏なわけですが、彼の影響で、私も彼女の境遇を勝手に夢想させていただいてます。 ゲーム中の「おばさんくさい」というキーワードから全てが出発しているこのSSですが、こうやって仕上げてみると、美汐さんというキャラは、実にツボですな。 貧乏、というか、真面目で不幸な少女がツボなのです。こまったものですね、自分。
絵の方が、実はこのSSより先に浮かんだのですが、やはり、父子家庭で家事をする美汐さんは「割烹着」着用ではないかと思うのです。
今回の絵は、割烹着の糊が効いた感じと、夕暮れの西日がみせる懐かしさみたいなものを狙って描きました。
眼鏡美汐、笑顔美汐、割烹着美汐と美汐さん三連発できたのですが、正直なところ、この美汐さん絵三点って、かなり上級者むけではないかと思います。
「美汐」で検索して夜想曲に辿り着いてしまった因果の深い人は、ぜひこちらもどうぞ。 |