「ハーメルンのバイオリン弾き」最終楽章の感想。
言いたいことは山ほどある。
最終回でやっと、かつてのハーメルンらしさを取り戻したとか、この基準で全編を進められなかったのが残念だとか、「その物語にふさわしい長さで話を描く能力」がストーリーテラーには問われるが、そこにおいて、やはり認められないとか、特にヴォーカル編は、やはり大きく短縮できたはずだとか、「信じる力で戦うのよ!!」がちょっとベタな台詞すぎるとか、ああ、みんな生きかえっちまったとか、クラーリー手足はえてるよオイとか、北の都の空が晴れたときのイイ顔は絶対死に顔だとおもってたのになあクラーリーとか、前半だけでも、言いたいことはたくさんある。
それでもこの最終回は嬉しかった。
ハーメルンのバイオリン弾きらしく終わったからだ。
ただ、物語を終わらせるために、ケストラーの性格があのように描かれていたような気がしてならない。
ケストラーへの同情が集まらないようにするため、彼のことは、徹底して理解不能な悪キャラとして描かれている。これがなければ、こうまでスッキリとは終われなかっただろう。ケストラーへの同情や、彼の事情の理解があっては、どうしても悲劇的な、それこそレクイエムの必要なエンドとなっただろうからだ。
ケストラーを、死ぬ間際善人化キャラとして描いてもよかったかもしれないが、そこまでのスケールを内包できたとも思えない。
ケストラーのこの最後も、ハーメルンのバイオリン弾きとしての終わり方として認めよう。
この最終回の見所は、やはり後半である。久々に感想の書き甲斐のある話だ。
王女の後継問題など、現実的に考えれば決して全てではないが、誰も彼もが、幸せに終わっている最終回だった。
すっかり落ち着いた感のあるクラーリー。
ちょっと老けているのと不器用な一途さが寂しいが、大戦の後でも変わらぬ使命感を持っているのが、彼らしく、素晴らしいと思う。
それにしても、たしかパーカスはカツラだと思っていたが、いまの半端な髪型は自毛なのだろうか。この最終回に残る最大の謎である。
アニメのようにくっついてしまったトロンとコルネット。
渡辺世界では当たり前のように使われているが、どう見ても日常生活には支障をきたすであろう幅広の「肩あて」がどうにも気になるが、トロンは良い感じに成長して見える。
コルネットは、個人の性格としては申し分ないので、良い奥様になるだろう。
ただ、例の、年に一度の発作は、今回でこそ問題なく終わっているが、おそらく各国来賓を招いての厳粛な式典の最中などに、なぜか必ず起きるような気がする。とにかくいつものシーザースラッシュで、トロンが場を収めるが、それがまた評判になって、ダルセーニョの風物詩として観光的な価値を持つようになるかも知れない。この二人に子供が産まれたら、母娘同時発作とか起きて、これを期に観光協会が発足、さらに外貨を稼ぐことができるだろう。まあ、とりあえずダルセーニョは安泰だ。
とりあえず、ギータを倒しただけでも、よくやったコルネット!
トロンは「なんでオレ、こんなのといっしょになったんだろ・・・」とぼやいてはいるが、発作が治まった後に涙ぐんで謝るコルネットが相当かわいいのだろうと、推測される。
アンセムの村で「だんな様」と呼ばれるライエル。
ここから察するに、村の再建などを果たしただけでなく、おそらくはピアニストとして、経済的にも成功しているのだろう。頼もしい限りだ。
生まれたばかりの娘を幸せそうに抱くサイザー。このあたりのメロメロな展開は私でも予想していたが、これは素直に嬉しい。
そしてその全ての雰囲気を台無しにするオリン爺さん(右足つま先のポージングがポイントだ)を切り刻むサイザーが、また勇ましくてよかった。
パンドラさまとサイザーの髪型がコロコロ変わるのは、微笑ましいとしか言えないが、パンドラさまの調子が絶好調なので何より安心した。パンドラさまも、おばあさんか。感慨深い。でも水晶凍結期間が長いので、生理年齢的に言ったら、この小オカリナの母としても十分なくらいだろう。サイザーも、この若い母が頼もしいだろうが、小オカリナを放り出して、旦那の首を絞めてブンブン振り回すポジティブシンキンとネガティブシンキンの極と極を合わせ持つパンドラと、おそらくは10年経ってOLのようになっているであろうワルキューレ(こいつら絶対に新婚家庭をのぞいてただろうな。うん)の悪影響から娘を守る戦いが、これからの課題だろう。だが結果的に、小オカリナが不良になってしまいそうな気がする。
とりあえず後日談的物語「ママは元・妖鳳王」が秋田書店あたりから出ないものだろうか。
ライエルの唯一の味方はサイザーしかいないようなので、大変そうだ。誰か良い相談役が欲しいところである。
あらゆる遺伝子が顕在したようなハーメルとフルートの子供たち。左上から、口癖から言っても間違いなくケストラー似の少年。この子が生まれたときは、ビックリしたろうな。サイザー似の正義感が強そうな少年。たぶんこの子はすごくモテるだろう。前髪を揃えた眼鏡の子はあまり考えたくないが頭良さそうなのでオリン爺さんの血筋かも。その隣の子はよくわからんので思い当たる人は教えて欲しい。バイオリンを構えているのはリュートに似ている。フルート帽を被っているのは少年版フルートか。元気そう。でももしかすると角が生えているのかもしれない。ハンドベルを持った一番幼そうな黒髪は、ホルンさまだろう。木琴をもった、白けた目をしているのはハーメルに違いない。ティンパニに手をついている少女は、やはり不明なのだが、ここに至っても完全にフルートの父親の面影がないのが涙を誘う。
まあ、9人もよく産んだと感心する。フルートは頑丈な女性かも知れないが、夫を愛していなければ、ここまでできるものではあるまい。
ところで、この子らにも回復魔法や、魔曲使いの素質があるのだろうと思う。リュート並の素質があって、食料品を水晶漬けにして保存するとか、ケストラーの能力で、爪を伸ばしてテレビのスイッチを入れるとか、家族音楽会のあとは全員なぜか筋肉痛だとか、できればほのぼのと力を使って欲しいが、ケンカになったら凄かろう。でも最大の攻撃力は、ブラッディデスイーターでも死のバイオリンでもなく、フルートの謎の丸太に違いない。
いま、この最終回を受けて一枚の絵を描いている。
この絵には、やはりサイザーを描きたい。
サイザーがパンドラと暮らせるようになったことに、何より安心したからだ。
サイザーは、いままで戦闘力だけで生きてきたような女性だった。
その彼女がライエルと結ばれ、子供が産まれるとき、その不安はどれほどのものだろう。
出産のことも、子供の接し方も、何も分からない。
母としての見習うべき存在が、世話役のオカリナを除いて、サイザーの身近にはいなかったのだ。
それだけに、サイザーとパンドラの、10年ほどの同居は、母娘の時間を取り戻した上で、子供を産むことができるという、最適なプロセスだったと思う。
それが満たされただけでも、良かった。
サイザーは、これから、母の喜び、母の心情を通過していくだろう。
この母娘の絆は、もっと深まるに違いない。
ハーメルンのバイオリン弾きにおいては、もうサイザーさえ幸せなら何でも可! なので、この最終回には満足している。
全編を通せば、不満はたくさんあるが、それは「ドラマ」に書いた。
誰かが、最終回がちゃんとしていない作品は、どんなに人気があっても認めない、と言っていたのを思い出す。
とんでもなく紆余曲折はあったが、ハーメルンのバイオリン弾きは、ちゃんと終わった。
最終的に読み手を満足させてくれた作品である。
言い方は引っかかると思うが、それでも、渡辺道明氏には、感謝したい。
この物語は、面白かった。
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