991130tue
月琴の修得状況を書いたのが、10月のドナドナ以来なので、ちょっと記録をしておこうと思う。
ドナドナは何とか弾けるようになった。いまは、ロンドンデリー・エアーを練習している。これも良い曲だ。

最近は、初心者向きの単純なメロディーを中心とした、ギターやピアノの楽譜から、知っている曲を拾い出して弾いているのだが、いま、月琴自体の構造的な問題で、ちょっと行き詰まっている。

いつかの掲示板にも書いたが、月琴は、低音に限界があるのだ。
三弦の一番低い音でも、ソなのである。これより低い音が出ない。

これによって、たとえば弾きたい曲があっても、音が出ない。
好きだったモルダウも弾けない。いきなり最初の音が出ないのだ。トロイメライもダメだった。月琴で弾いたら、さぞかし良い音感だろうと思う。それだけに残念だ。ジムノペディも、月琴向きだと思うが、これもやはりダメ。

楽譜を購入するときも、ソ以高の音符で完成されている曲を探さなくてはならない。これは結構大変だ。
練習用としても簡単な曲というと、いまのところドナドナとロンドンデリー・エアーくらいである。他にもありそうだが、私がメロディを知らないので、練習は難しい。

そんなわけで、月琴の改造を考えている。
弦軸が四本あるのだから、低い弦を足してみよう。
単純に、現在の最低音である三弦を低くチューニングしてみたが、弦が変に振動する。やはり、より低音用の弦が必要なのだろう。

今度また楽器屋に行こうと思う。はたして月琴にあう弦が売っているだろうか。


そうそう、11月の日記猿人でのランキングは、ちょうど100位の見込みです。
瞬間的には99位にもなりました。
すごいですね。11月は、思うように書けなかったので、ダメかと思ってました。
みなさん、いつも投票してくださって、ありがとうございます。





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 991129mon
人間は、自分自身の限界と戦わなくてはならない。
限界を乗り越えてこそ、人間は大きく成長できるのだ。自分のちっぽけな観念で「もう限界だ」と思ってはならない。人間には、もっとすごいことができるはずなのだ。

陸上競技などで新記録がいつまでたっても更新され続けていくのが、良い証拠だ。これが人類の限界だ、という観念をうち破ったものこそが、その向こうの世界新記録に踏み込むことが出来る。
人間は、自分自身の限界と戦わなくてはならない。

そんなわけで、賞味期限の限界に挑む戦いをしている。これは実に挑みがいがある。
対象が好物であったりするとなおさらだ。もう、万難を排し、あらゆるマインドコンディションを整えて挑戦する。

どら焼きだと、先のように「一ヶ月くらいなら味が落ちるだけさ」と思って食べる。一種の催眠暗示である。
缶詰のフルーツだと、一年くらい前でも「缶だから大丈夫」と思って食べる。
冷凍された饅頭などなら「冷凍睡眠した場合、人間は年をとらないとお茶の水博士も言ってるから(未確認。なんでも良い)2年前でも昨日でも同じ」と思って2年前の法事のおり食べ残して冷凍しておいた白饅頭を解凍し、食べる。

これらは缶や氷などの、外的環境に守られているので割と大丈夫である。
賞味期限の限界と戦うのなら、生っぽい菓子で年月を経たものこそ、挑戦する意義があるといえよう。

実はいま目の前に、最近冷蔵庫から発掘されたプリンがある。

賞味期限は9月14日。

かなり人類の限界に近い。

わたしには、こういうときのために、井上喜久子さんから学んだポジティブ思考の魔法がある。これさえあれば、どんな賞味期限とも戦うことができるとゆー、すばらしいキーワードだ。

私は口元にかすかな笑みを浮かべ、プリンを手に取った。賞味期限・製造年月日の記載された蓋を一瞥する。

「印刷ミスさ」

そう呟いて私は、こころなしか不思議な味のするプリンを、綺麗に平らげた。





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 991128holy
賞味期限の話が妙に受けたので、続きを書こう。
実のところ、私はたまに悪いものを食べて腹を下す。
かつてのお金のない時期の食生活の名残(寝言日記6月全般参照)か、食品を食べずに捨てるということが、私にはどうしてもできないのだ。
よっぽど変わり果てた姿になっていない限り、私はそれを食べたいと思う。

危なげな食品でも、ぜんぜん平気だったことが何度もある。そんな記憶のせいで、楽観的に何でも食べてしまうのだろう。

ところで、いま目の前に、わずかとはいえカビの生えた納豆がある。冷蔵庫の奥を漁っていたら、いろいろ出てきたのだ。おいおい紹介しよう。

ところで現在、
 
納豆が腐ったらもうお終いではないか
という保守的な声と、
 
そもそも腐りものの食品なのだから、いまさら何を恐れることがあるか
という攻撃的な声の両方が、現在あたまの中で闘っている。

しばし熟考した。

よく混ぜて見なかったことにしよう。
 
決定に要した時間は、4秒ほどだった。




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 991127sat
ネコが、道端で死んでいた。
車に轢かれたらしい。
踏まないように、スピードを落として、通勤車を迂回させる。
すり抜ける前に、一瞬だけネコの姿が目に入った。
そのまま、車を走らせる。

「おまえが死んだことを、おまえのおかあさんが知ったら、
 おまえのおかあさんは、かなしむだろうな・・・」

ふと、つぶやく。

死体になった子供のかたわらで、母ネコが頭を垂れている様子が、頭に浮かんだ。
だが、先の場所には、物質になってしまったネコの死骸があるだけだ。
他には、誰もいない。

じわ・・・と涙がにじむ。

「私がおかあさんのかわりに、泣いてあげよう・・・」

ネコが、道端で死んでいた。
ひとりきりで。

その子のために、私は泣いた。





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 991126fri
コミック担当とはいえ、まだまだ読んだことのないコミックはたくさんある。
完読したコミックなど、ほんのひと握りだ。

日本は、出版物の三割ちかくを漫画が占める国である。毎日のように出版される漫画のなかに、思いもよらず感動的なストーリーを発見することもあった。
こうして、売場の棚に収まっているコミックの背表紙だけを見ていると、この中で、いったいどんな物語が展開されているのだろうかと、想像を膨らませてしまう。

まだ内容を読む以前「神風怪盗ジャンヌ」というコミックの内容を、タイトルだけを手がかりに、想定したことがあった。

神風といえば、いわゆるカミカゼだ。大戦末期に旧大日本帝国軍がとった玉砕戦法・バンザイアタック、俗に言う「特攻」である。
そしてジャンヌといえば、やはりジャンヌダルク。信仰によって祖国を勝利に導いたが、魔女と見なされ火刑によって、壮絶な最後を遂げる。

この二点から想像するに、この話は、戦勝国によって日本から持ち出された財宝を奪い返すため、旧軍の残党がひそかに作りあげた「桜花」の後継機、人間爆弾「じゃんぬ」を、復元された一式陸攻の胴下にぶら下げ、ヒロイン「日下部まろん」が、財宝奪還のために米国に戦いを挑むという話なのだろう。

「りぼん」も、しばらく見ない間にハードな話をやるものである。

数々の防衛線を突破し、ぼろぼろになった一式から、ついに「じゃんぬ」が切り離される。
「◯◯陛◯、◯◯ザー◯!!」
と絶叫した少女のパイロットが、機体のロケットエンジンを全て点火し、発進後数秒で音速をこえるスピードを出す。「まろん」は帰還不能と判断し、スミソニアン博物館に特攻をかけたのだ。ワシントンに光芒の剣が打ち込まれる。敵国に奪われた財宝「井上喜久子サイン入りタンバリン」(・・・なんで?)もろとも全市が爆発炎上。「じゃんぬ」は炎に包まれ、凄絶な最後を遂げた。

そんな話なのだろう、と思ってコミックを棚から抜き出してみると、表紙ではカワイイ女の子がウインクしている。
私は少し悲しくなった。
 
ああ、この子が悲劇の人間爆弾なのだな。
この子は軍務と理想のために死ぬんだな。
それにしてもどこが怪盗なんだろう?
 
そう思ったのは、まだちゃんと読む前のことだったが、なまじ先入観があったせいか、2巻の途中くらいまでは、
いつ旧軍が出てくるのか、
とハードな展開を期待していた。

実はいまも、ちょっとだけ期待している。





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 991125thu
むかし。
それほど遠くない、むかし。
生命を奪われる恐怖と屈辱、そして死に勝る辛苦の日々があった。

しかしいま、ようやくそれを許し、愛することができる。

11月25日。
私はこの日を、生涯わすれないだろう。


愛しています。

ありがとう。






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 991124wed
「ドラゴンヘッド」を読んだ。
ドラゴンヘッドは、地震、噴火、巨大な黒煙のかたまりなど天変地異に襲われた日本で、少年と少女が生き抜いていく、というサバイバルものの漫画だ。

読むだいぶん以前に「最近のドラゴンヘッドは面白くなくなった」という話も聞いたが、続けて一気に読んだせいか、私には、現行最新巻までとても面白かった。

トンネルの落盤や「傷頭」のあたりも恐かったが、最も恐ろしかったのは、

読んでるときに地震に襲われた

時であった。

フィクションの世界として、いままで読んできた分の内容が、突如現実化して襲ってきたようなものである。
「ひょ、ちょわああああ」
死ぬほど驚いて、正体不明の叫びを上げた私は、がったんがったん揺れる本棚を押さえながら、食料と飲料水の確保の方法を必死に考えていた。

およそ考えられる最高の演出であった。






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 991123tue
柿の良いのが手に入ったので、お仏壇にお供えする。
高杯には、どら焼きがあった。前にお供えしたものだから・・・と計算しながら手に取る。

包みに明記されている賞味期限は、10月24日だった。

しばし考える。
賞味期限というのは、味の保証である。味以外はまだ大丈夫なはずだ。
お菓子の存在意義の根底に触れるような問題を棚あげして、私はパッケージをめくった。
とたんにアルコール臭が鼻を突く。
小豆に酒が含まれているのだろうが、これはすでにガソリンなみの強烈な臭気になっている。

野性の本能が警告を発した。壁にかかっている父の遺影も、心なしか案ずるような目つきに見える。
私はしばし、掌中のどら焼きを見つめながら考えた。

この世界に存在するものには、すべて存在の意味がある。
このどら焼きの原料、小麦や小豆だとて、種を後世に残せなかった以上、もはや食物として、生物に食べられ、その栄養となって生きることこそ本懐ではないだろうか。この世界に生を受け、どら焼きとなった以上、それこそがどら焼き自身の生きる目的なのだ。
食べられず、栄養にもなれずに捨てられていくのは、どら焼きのプライドにとっても耐えられないことだろう。私は、要するに食い意地で どら焼きの心情を思い測って、そっと口をつけた。


24時間後。
 
大方の予想に違わず、いつぞやのカレーと同じ状態になった。
どら焼きは、消化はされたものの、ほとんど吸収されずに体外に排泄されてしまった。
どら焼きには、悪いことをしたかなあ、と思った。かえって大変な屈辱だったかもしれない。
すまん、と謝って私は水洗のコックをひねった。

いまお仏壇に置かれている柿は、適切な時期に、ちゃんと食べて上げようと思う。






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 991121holy 〜 991122mon

CD16枚の、長かったシリーズが終わった。
井上喜久子さんにとっては、それ以外にも三枚ものアルバムや、女児出産など、内容の濃い2年間だったと思う。
もちろんこれからも、井上喜久子さんの活動は続くだろう。
ラジオの番組改編も乗り切ったし、ゲーム、アニメの声優、NHKラジオのゲスト出演など、仕事はたくさんあるようだ。10月に独立した後も、順調らしい。

しかし、自分の中では、ここで一つの区切りがついたような気がしている。

「やり残したことは?」
「秋の号」収録後のインタビューに、井上喜久子さんが、こう答えていた。
「今はないと言える。なんかね、今はないと言えるってことがうれしいの。」

その様子を読んで、自分でも、なんだか落ち着いてしまったようだ。
ああ、終わったんだな、と。

小さいものはともかく、これからは井上喜久子さんを、今回のような大きなネタに使うことはないだろう。
すこし寂しい気もするが、自分で、そう気がついていた。

あしたから、寝言日記を再開しようと思う。






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 991120sat

カップラーメンを作って食べた。日清の「麺の達人」である。
カップ内側の線まで熱湯を注ぎ、三分まつ。

他にする事もないとき、この三分間というのは、意外に持て余すものだ。
普通の人は、このとき時計をみつめて、三分という時間を過ごすと思う。
そういえば、ある指揮者が、同様の事態になったとき「フィガロの結婚」を、おはしを指揮棒にして想像演奏すると、ちょうど三分で食べ頃だという話をしていた。

私としては、当然、井上喜久子さんの歌を使うべきだろう。
「ウェンデにゃん・月夜のおさんぽ」という歌は、前後間奏ぬきでフルコーラス歌うと、ちょうど三分ほどなのだ。(しらべました)

「走れウェンデにゃん、風を切って、落ち葉のかげを駆け抜ける〜♪」

素晴らしいアイデアだ。これなら三分間も楽しく待てる。
だが、カップ麺を前に、きちんと正座した30近い男が、ブツブツと妙な歌を歌っている姿は、あまり人に見せられたものではなかった。

「走れウェンデにゃん、月明かりに、輝くゴールめざしてえ〜♪」

正味三分、ひとしきり歌って満足した私は、息を切らしながらペリペリとカップ麺の蓋を剥がす。その手が、ふと止まった。

「熱湯4分」
という文字が、蓋には印刷されていた。
カップの中では、まだ固そうな「かやく」が、プカプカ浮いていた。






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 991119fri

井上喜久子さんに、はじめて注目したのは、OVA「ああっ女神さまっ」のベルダンディ役だった。
イメージがぴったりすぎて、陶然としたのを憶えている。
ベルダンディといえば、「性格だけでも、こんな女性、現実にいるわけがない」と言われることがあるが、私はCDのトークを聴いて、思ったものだ。

・・・・いた。

だいぶちがうけど。

最初にCDを買ったのは、今年の一月。12ヶ月分の「月刊・お姉ちゃんといっしょ」が出そろった後だった。その後すぐ、手にはいるだけのCDを購入、井上喜久子さんの愛称である「お姉ちゃん」という呼び方に抵抗があったのも最初の30分だけで、以降通勤車の車中で、この一年ほどの間、三日と空けずに、それこそCDプレイヤーが壊れるほど、ずーっと聴いていた。(今日、こわれました)

一年間、月刊12枚と季刊4枚のCDを何度となく聴き、そして「秋の号」がシリーズ最終回になる。この号も、すでに何回か聴いた。
 
「『お姉ちゃんといっしょ!』 ありがとう!! 」
ファンの歓声、そして感極まった井上喜久子さんの一瞬の落涙。そして幕が下りた。

仕事で疲れ果てたとき、帰りの車中で聴いたこれらCDに、どれほど救われたかわからない。
いますこし、寝言日記を止めて、この状態を続けよう。
ありったけの感謝をこめて。






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 991118thu

首相官邸のホームページをみつけた。
ついでに、ニセ首相官邸のホームページもみつけた。
政治ネタが笑えるらしいのだが、政経に弱いので、何が面白いのかサッパリ分からないのが残念だ。

でもまあ、せっかくなので、法律のことでメールでも出しておこう。
 
「語尾に「ぴょん」をつけて喋ることは、
 井上喜久子さん以外禁止にしてください。法律で。」
 
さて、どちらのホームページに送ろうかぴょん。

おっと。






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このウェブページは、この前まで「寝言日記」だった何かです。

 991117wed
勘のいい方には、お察しの通りである。心から案じてくださったメールも戴いたが、すべて放り出して、しばらくこのまま行こうと思う。なにせ萌えているのだ。落ち着いたら元に戻ると思うので、勘弁して欲しい。

11月16日に井上喜久子さんのCD
 

 
「新・お姉ちゃんといっしょ! 秋の号 公開録音」

が発売された。
いつものようにトークや歌が中心のCDだが、今回は公開録音である。しかも屋外だ。

HPでは公録の様子を「波瀾万丈」と書いてあったが、実際にCDを聞いてみると、果たしてそれは凄まじかった。
もう、ビル風は吹きすさぶわ、録音中にポンプは唸るわ、ブレーカーは落ちるわ、照明は切れるわ、歌のテープは止まるわ、栗は無くなるわ、ご飯に芯は残るわ、誰か呪われていないかと思うようなアクシデントの連続である。

しかし会場は終始、笑いが絶えない。みなさん酒でも入ってるのかと思うような盛り上がりである。
それは、アクシデントの数々を、いちいち笑いと喜びに変えてしまう井上喜久子さんの個性ゆえだと思った。
みんなその魅力に酔っているのだ。
マナーが良いと定評のある井上喜久子さんのファンの方々だが、この日は盛り上がっている。それを包み込んで、さらにどんどん盛り上げてしまう姿に、あらためて彼女の度量の大きさを感じた。

声の美しさも魅力だが、井上喜久子さんは、その心根の柔らかさ、自由さも魅力である。
「ににんが・・・あれ? え? ににんが、し、だっけ・・・?」
たとえその代償に、かけ算ができなかったとしても。
「すごい、どうしたんだろあたし。緊張してるんだ。普段はぜんぜん大丈夫なのに」
そうはおっしゃるが、いくらなんでも、2の段の掛け算は、ふつう忘れない。

私は今日も、あらためてこの人をすごいと思った。
今回でシリーズ最終回というのは、本当に残念だ。





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 991116tue

まったくもって突然ですが、
みなさまに御愛読いただいておりました「寝言日記」は、

しばらくの間、休止させていただくことになりました。

理由はすぐに判明するでしょう。
10ヶ月ほどの間でしたが、
みなさま、ありがとうございました。




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 991115mon
なんと、中日新聞から取材が来た。
カメラマン兼任の新聞記者が、インタビューしたいと言って、我が書店を尋ねてきたのだ。
「情報市場」というコーナーに載せるテーマとして「古い商品なのだが、いまこの時代に受けているもの」を教えて欲しいとのことである。

これは難しい。売れている本なら、良く分かるが、上記のようなテーマは、パッと浮かばないものだ。
とっさに思いついたのが、先日の「柿の種」である。
販売履歴を調べてみたら、そこそこ売れている。商売っ気の薄い岩波書店の本なのに、大したものだ。

「柿の種」は私が買ってしまったので、棚から「寺田寅彦随筆集」を持ち出し、昨日の日記に書いたようなことを、記者さんに説明する。
「ノスタルジーというよりは、ゆったりした別世界への憧れのようなもので、この本が売れているのかもしれません。」
インタビューは、そう締めた。

「いやあ、さすがに大きな書店の店長さんは、違いますね」
記者さんが寺田寅彦随筆集の一巻を、さっそく購入して話しかけてくる。
話を聞いているうちに欲しくなったようだ。記事にも反映させるのだろう。
「他の本屋だと「動物占い」とか「買ってはいけない」とか、一過性の流行りものくらいしか思い浮かばないみたいでね。文化的で重みのある本を読んでいる人って、本屋の店長さんくらいでも、けっこういないんですよ」

私は、店長とはいえ担当がコミックになってから、本当にコミックばかり読んでいる。活字だけの本など、真剣に「柿の種」と「エリアル」くらいしか読んでいなかったのだ。あぶないあぶない。
 
それにしても、素晴らしいタイミングである。
紹介してくれたあ〜るさんに感謝だ。

※そのときの記事(スキャニング協力:しろやぎさん)



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 991114holy
「柿の種」という寺田寅彦氏の随筆を読む。
あ〜るさんに紹介されたものだ。とても良い。
随筆とはこういうものか、としみじみ思う。

書かれた時代は、主に大正十年から昭和九年くらい。戦前である。
汽車が走り、ラジオから琴の音楽が流れている時代だ。

この時代の時間感覚は、不思議なゆっくりさを持っている。それを、物理学者であり俳人でもあろう寺田氏が、さすがにやや浮き世離れした見地から描く。

物理学者だけあって、つい、いろんなものに法則性を見いだそうとしてしまうのが微笑ましい。
そして俳人らしく、それを追求して科学的に分析してしまうことよりも、ありのままの人間の心の動きとして愛でようという姿勢が、堅苦しくなくていいのだ。
語り口も、暖かく人間味があって心地よい。

昭和九年。欧米に追いつけ、という気概は感じるが、戦後の悲壮感や、高度成長めざして働く忙しい時間感覚ではなく、寺田氏が見る世界だからか、その時代の日本は、ゆったりと時間が流れていて、とても豊かに見える。

紹介者のあ〜るさんも話してくださったが、この時代の雰囲気は、もしかするとヨコハマ買い出し紀行に似ているのかもしれないな、と思った。戦前というのは、近未来と同じように、我々には、なじみの薄い時代だからかもしれない。

ヨコハマの、あの時間感覚が好きな方には、おすすめである。
素直であっさりとしていて、それでいて不思議と深いのだ。






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 991113sat
個性の話を三回に分けて書いたが、正直、あまりいい気分はしなかった。
寝言日記らしくない、というのが、私なりの理由である。

人に厳しい正論というのは、実際、言われた方はたまらない。
寝言日記には、正論はたまに登場する程度に、あとはのんびりした随筆でいくべきだと思う。
 
正義より愛、である。
 
社会問題や、渦中の誰かを責め立てたり、正論ばかりの日記というのは、読んでいて嫌なものだ。
私は、正しいだけの日記より、愛や温もりのある日記の方が好きである。
もちろん、社会において、正しいことを言わなければならない辛さや苦悩は、良く分かっているつもりだが。

四日もそんなネタで埋めてしまったので、しばらくは、ことさらにのんびりした日記を続けよう。
この四日間で、のんびりした事件はいっぱいあったのだ。




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 991112fri
やれやれ、言ってることに矛盾点も出て冷や冷やしたが、これで個性の話しも終わる。

第三回「個性の裾野(すその)」
夢を見つけたときの注意がある。
やれ充実するとか書いておいて何だが、まずは「これだ、これが自分の夢だ」と思っても、いきなりそれに生涯を賭けたりしないことである。それ以外にも色々とやってみることだ。

自分に小説家としての個性を見いだし「小説家になる!」と中学を出てからすぐ小説を書く道に入るというのは、実際バカな話だ。
彼の通過してきた経験を砂粒に例え、それで山を盛ってみるとすれば、それはほんの小山である。

高い山は裾野も広い。そして裾野が広くないと、高い山にはならない。

中学を出た程度の経験、すなわち貧相な裾野では、どうやっても高い山にはならないだろう。
若い時期は、とにかく色々なことをやって、裾野を広げる時期である。その時は無駄に見えても、後々、絶対に役に立つ。

小説の例を出したが、身近な例もある。
小さい頃から勉強ばかりで、裾野が恐ろしく狭く、ひょろひょろと高い山は、途中ですぐに伸びなくなる。これで挫折すると大変だ。たいがい挫折するものなのだが、勉強だけでプライドを保ってきた人間は、他に寄るべきところがなく、また何か始めるにしても、他の経験値を伸ばしてこなかったから、出発点が恐ろしく低い。今までの勉強による高い評価を考えると、手が出なくなってしまう。
俗にバーンアウト、燃え尽き症候群と呼ばれる状態だ。仕事一本の人生を歩んできた人にも、こういうことは起こる。

このとき裾野のある人は、いままでやって来たこととは、別のところが伸びていく。
個性はひとつではないのだ。
一本の道に集中するのは、もっと年齢を重ねてからでも良いのではないか、と思う。
極端な話、私も好きな絵を追求するのは、50才くらいからでも良いかもしれない。

夢をみつけても、それを果たす方法は、実は何通りもある。
裾野が広く、経験が多いほど、夢自体が深みと面白さをもって、実現していくのだ。
絵などは、その最たる例だろう。
自分の中にいくつもの個性を発見し、それを育てていくというのも楽しいものだ。
あせることはない。30を目前にして、そう思えるようになった。
今しばらくは、私も、まだ出会っていない個性を探しつつ、今まで見つけた幾つもの個性を、豊かに育てていこうと思っている。
いろんなことに挑戦し、燃えるものを探しながら。


おまけ「挑戦の恐怖と感動」

個性を見いだし、裾野を広げるために、色んなことに挑戦してみようとは言っても、挑戦するのが恐い、という気持ちは誰しもあると思う。
色々なことに挑戦すると、たしかに失敗がある。これを、人は嫌がる。
だが、成功したときのの喜びと感動、その衝動的な力とさえいえる心情こそが、人の成長を促し、成功させる力を生み出す。
この力は、まず挑戦しなければ得られない。

山に登る人に、なぜ山に登るのですか、と尋ねる。
登山は、準備が万全であっても、遭難したり場合によっては命を失うかもしれない。もっと安全な山でも良いのではないか、と我々は思う。
だが彼らは登る。「そこに山があるから」といって。

説明できないのだ。
山に登る、その感動を彼らは知っている。だが我々は知らない。カレーを食べたことのない人に、カレーパンの美味さを説明するようなものだ。そんな我々に、彼ら登山者は、その喜びと感動、そして登りたいという衝動を説明することができない。
これは、挑戦し、成功しなければ、わからない喜びなのである。





いろんなことに挑戦しよう。燃えるもの、感動できるものは、世界にたくさんある。
今からでも、なんだってできるさ。







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 991111thu
さて、つづきである。
耳の痛い話かもしれないが、ここまでアップしたのだ。最後まで公開しよう。

第二回「個性を追求する道」
やがて自分の個性に出会い、その道を行こうとする。俗に言う「夢を追う」という生き方だ。

極端なはなしだが、たとえば小説家になりたい、漫画家になりたい、と思ったとしよう。
そうすると、たいてい試練が来る。
その道がその人にとって、本物であればあるほど、試練は激しく苛烈だ。

親や兄弟に反対されて、あきらめてしまえる夢なら、持ち続けていくことは難しいだろう。

真に個性が与えられていると、どんなに否定されても、決してあきらめることができない。たとえ拉致されて、北朝鮮に送られて、何年にも及ぶ監禁生活を強いられても、あきらめることはできないだろう。果たせるかどうかは、個人の責任だが、生き死にに触れるような試練の後も、あきらめることができない夢なら、本物と見て間違いない。

ところで、この場合、反対してくれる人というのは貴重な存在である。
その道を、自分がただ好きなだけなのか、あるいは個性として追求すべきなのか、これは実際、自分では分かりにくい。
反対されることで、はじめて自分の個性を試すことができるのだ。
反対されること、世間の風当たりなどは、個性の試金石である。
反対されても、意地ではなく、逆に魂が燃えるのなら、本物だろう。その道を行くがいい。

反対を乗り越えて、その道を行くと決めたら、その次から恐ろしい現実的な試練が襲ってくる。
金銭の問題や、時間の問題、人間関係など様々にあるが、実は、試練はそうした苛烈なものだけではない。
もっとも恐ろしいのは、怠惰に流れ、安楽な生活のなかで夢を見失わせることだ。
多くの人間が、これにやられている。私もやられた。

さらに一点、注意がある。
夢や個性と才能が結びついているかは、実はまったく別なのだ。
当然、そうとうな努力が必要な場合もある。

「わたし分かったんです。
 好きなだけじゃダメなんだってこと、もっと勉強しなきゃダメだって!」
 
映画「耳をすませば」の名セリフである。

その道を信じて進むことを決めたら、今度は自分の実力との闘いである。
夢を追うのは、本当に大変だ。
自分の夢に人生を賭けるだけの覚悟がないなら、やめた方が良い。

つづく





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 991110wed
つづきである。
三回の予定で今回は「第二回目」だったが、本日はちょっと保留して、昨日の補足を入れておこう。

「いろんなことにぶつかり、何に燃えるかで、人は自分の個性を自覚できる。」
 
そうは書いたが、実は、
ただポンポンぶつかっているだけでは、人間はそう簡単に燃えないのだ。

ではどんな風にぶつかれば、燃えるのだろうか。
こたえは簡単。

「自分はこれをするために生まれてきたんだ!」

というくらい全力で投入してはじめて、人間の心魂は発火点に達する。

たとえば「自分は漫画家になろう!」と決意したとしよう。
だが、その前に、全実力を投入して、ほとんど命がけで、まず一本の漫画を書き上げてみよう。
「最初はアシスタントになって勉強しようかと・・・」などと考えずに。この際だ、できるだけ長編が良い。一本描こう。

ネーム、下書き・ペン入れ、得意な女性だけでなく、男性も老人も描く、苦手な左向きの顔もかく、顔だけでなく全身もすべてかく、表情にもこだわる、ネームのセリフ回しもこだわる、デッサンの狂い修正、背景、細部の小物、トーンなど、充分な完成度の作品を一本でも描き上げたら、たぶん自然に、「漫画家にむいているか、むいていないか」という自分の個性の方向性には、出会えてしまうと思う。

ほとんどの人は、挫折するだろう。だが、ごく稀に、挫折してなお、燃えてしまう人がいるのだ。それが漫画家としての個性である。天職といえるかもしれない。

漫画家のような極端な例を出すまでもない。
なにかの仕事に就いたとしよう。いま就いている仕事でもいい。
その仕事が自分に、向いている、いないは別にして、全力を投入してぶつかってみることだ。それが懸命であるほどに早く、実際、数年で個性と出会えてしまうこともある。
その仕事が個性とどう関わりがあるのか、あるいは無いのかが、逃避ではなく実感として分かるのだ。
だらだらと、当たり障りなくぶつかっていては、十年、二十年かかっても、結局、個性は見えてこないだろう。

だらだらでも良い、という考えもあると思う。個性も使命も面倒なだけだと。
だが、身勝手な人間は、かならず後で悔やむ。
彼らは、かならず、悔やむ。

個性、天職、使命を悟った人間の人生は、じつに豊かだからだ。

つづく 

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 991109tue

「自分には、どんな個性があるのだろう」
 
「自分は、何をやって生きていったらいいのだろう」

ある人物から、そんな相談を受けた。
誰もが悩むことである。
本人の許可も得たので、そのとき答えたことを、日記がわりに記してみようと思う。とりあえず三回連続で。

第一回「個性の発見」
天から与えられているであろう自分の個性。いまは泥の中に埋まる真珠のように、これだと見ることはできないが、それは確かに存在しているはずなのだ。
誰しもが、漠然とであれ、これを探している。

天賦のものとはいえ、自分の個性は、自分で見つけるしかない。
そのためには、もう、とにかく色んなことをやることだ。
働くのも、勉強するのも、何かを作るのも、政治活動でもいい。

その中で、たまに、ごくたまに、燃えるものにぶつかる。それが、自分でも尋常ならざるほどの燃えようだったら、それが何らかの形で個性に関係するのだろう。個性が反応しているのだ。

何もしないでプラプラしていては、これは分からない。
厚く堆積した雑念や、怠惰な日々でまとわりついた心を被う泥の層を、掘り返す努力もなしに、その奥に輝く、自身の真珠のような個性になど、気がつくわけがない。
どんなに見つめてみても、泥の中だ。わかりはしない。
色んなものにぶつけて、反応を見るしかないのだ。

燃えるものとの出会い。
それは同時に、自分自身の個性の発見でもある。

だが下手をすると、燃えるものと出会いながら、それにぶつかることもなく、個性と自覚しないまま一生を終えることも考えられる。
個性は天賦のものだが、それを発見し、生かすのも腐らすのも、人間の責任なのだ。

つづく。






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どんなにネタが無くても、簡単に日記が書ける素晴らしい手法を思いついた。

前回までのあらすじ

時に2199年。
突如飛来した異星人の侵略をうけ、人類は終末のときを迎えようとしていた。
地球防衛軍の必死の応戦を嘲笑うかのように、異星人の戦力は強力であり、地球人の絶滅か奴隷かを要求し、容赦のない攻撃を繰り返していた。
もはや頼みの綱は、天野の甥が建造に成功した宇宙戦艦のみである。
ついに人類の存亡をかけた決戦が、はじまろうとしていた!!

 991108mon
朝起きて、夜寝た。

次回予告!!
さあ、風雲急を告げる大展開!
渦巻く疑問のなか、このまま北朝鮮が作戦を完了させるのか。
発射基地に向かった天野の新必殺技「骨法チャイコフスキー固め」は、核弾頭の打ち上げを阻止できるのか。
すべての謎が明らかにされる今、ただひとり不適な笑いを浮かべる男がここにいた。
「これで世界は、私の思うままだ。ウワーハハハハハ!」

次回寝言日記
 「うーん、むにゃむにゃ、もう食べれません」

ご期待ください!!





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 991107holy
友人の友人の知人(俗に他人という)だが、パイプオルガニストがいる。
学生時代は留学してヨーロッパに住んでいたという彼は、一見するとごくふつうの青年だが、ウィーンの音楽大学を卒業する時に、記念演奏を任された日本人初のパイプオルガニストという経歴を持つ。どうも凄い才能と実力をもっているらしい。

ある日、私の友人(ここではY氏としよう)が、彼を、知人に紹介するためにホテルへ呼んだ。
ホテルのロビーで彼を待っていたY氏が呼ぶと、彼はエントランスからまっすぐ歩いてくる。そして、必ず自分から手を差し出して握手するのだそうだ。
そして、誰であっても、相手の眼をじっと見つめて話をし、話を聞く。

彼とY氏とその知人の三人で料理を食べる。
給仕が運んできた料理の説明を、彼は熱心に聞く。
ヨーロッパに居ただけあって、フレンチの食べ方も上手い。ほとんど音も立てずに食べる。
料理とともに、話もすすむ。会話の中で、かれは一度、こう語った。
「わたし、眼が見えないんですよ」
Y氏の知人は、それが冗談であると思って笑った。


ほとんどの人が、彼と話をし、席を同じくして食事を楽しんでも、盲目であることに気付くことがないそうだ。まったく気がつかぬまま、別れる人もいれば、言われても信じない人もいる。

彼はこう語る。
まず、自分は一度聞いた声なら、それが誰のものか思い出せる。
そして近づくことができれば、その声や、革靴がキュウと鳴る音、床の軋み、アクセサリーや金具の出す金属音などが、どの方角の、どの距離から、どれくらいの障害物を経て、耳に入ってくるのかが、わかるのだという。

自分を呼ぶ声の位置に向かって、まずは歩く。
そして、近距離になったら、あらためて声の聞こえてくる位置、ないし呼吸音の聞こえる位置を探す。
その特定された位置より、わずかに上の位置に眼があることを推測し、そこを「見ながら」手を差し出す。向こうから差し出した手を、さがして握ることは、自分にはできない。だが、相手が眼の見える人なら、私が差し出した手を捕まえることはできる、と彼は言う。だから、こちらから先に握手を求めるのだ、と。

彼は、自分の眼球がどのような方向を向いているか、すなわち、両目の焦点が合った表情になるように、眼球を動かす訓練を積んだらしい。だから彼は、推測した相手の眼の位置に、視線を送るふりができるのだ。相手にしてみれば、単に眼を見つめられているようにしかみえないという、正確さである。一種の演技なのだ。

料理を食べる時も同様である。彼は、自分以外の人が話に興じている時に、こっそりと食器の位置を手で確認しているそうだ。そもそもフランス料理は、並べられたナイフ、フォーク類を、外側から使っていくのが基本である。あとは給仕された皿の上に、どういった料理が、どのような配置で並んでいるかという情報さえ分かれば、それこそ眼をつぶってでも食べられるのだ。
耳からの情報と、あとは手に伝わる感触、および味覚だけで食事を楽しむ。なまじ眼で見てナイフとフォークを使うより、感触を中心とするために食事の際の音は少ない。


なぜそこまでするのか、と問うと、「気を使われるのが嫌だから」と彼は答える。
人間は、ただでさえ本音を語ることが少ない。気心の知れていない人間ならなおさらである。そのうえ、こちらが盲目だと知れば、相手は気を使うことばかり考えて、本音を語るばかりか、対等に見ようとしてくれない。かわいそう、と、上から見下ろしたり、下から親切にしようとしてくれるばかりで、決して対等に語ってはくれない。

この人となら、楽しく語り合える、この人となら友になって、日々思っていることを語り合ったりもできる。そう感じても、盲目と知るや、誰もかもが、手のひらを返したように気を使い出す。
それはまるで突然に仮面をつけて、別の人格に変身したように、かれの見えない眼には映る。あるいは大きな壁が落ちてきて、それまで喋っていた人をどこかに連れ去り、以後はその壁に喋っているような気になるそうだ。

だから彼は、眼が見えるようにふるまう。そして、なにも見えない暗闇の世界で、唯一、光と感じる「友の心」を探している。

彼は何も視覚することができない。だが相手が心を「見せてくれた」とき彼は、そこにその人がいることを「見ること」ができるのだろう。
彼の眼に自分を映したいと願うなら、彼の前で心を開けばいい。それで彼は、私達を見てくれる。

パイプオルガンの奏者は、指先の皮膚がつぶれて、固くなっている。
後天的に失明したとはいえ、そのために彼は点字が読めない。とうぜん点字楽譜も読めない。
そんな彼には、引退が惜しまれたほどの音楽家が妻として、ついている。
彼女は彼の才能のためではなく、そして憐憫からではなく、彼に尽くしている。

この人物は、実在する。
実在し、普通に生活をしている。
この社会で。





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 991106sat
私はカレーライスが好きだ。食べることも、作ることも好きである。

カレーを作るのにはコツがある。
火浦功の受け売りだが、まずタマネギ、ジャガイモ、ニンジンなどの野菜類を、これでもかっというくらい炒めることだ。ここで結構、味が変わってくる。
タマネギやジャガイモなどは、ルーに煮溶かすことを考えて、具用以外に、微塵切りも用意しておくと良い。
これにニンジンや肉を加えて炒め、水を入れ、充分煮立たせたらカレー粉を入れてゆっくりと煮込む。
一日、二日、たまに火を通しながら置いたくらいが、一番の食べ頃だ。
基本的な具以外にもナスと挽肉をメインにしたり、バナナを煮溶かしたり、トッピングに納豆を添えるなどの工夫も楽しい。

ところで、カレーを作る楽しみといえば、何と言っても、ぐつぐつ煮えている鍋を見つめながら、
 
イ〜ヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒ
 
と、感極まったような裏声で笑い、

「いい色にダシがとれてきたわねえ〜、まるで死霊のはらわたみたいだよ。
 やっぱ、この馬の首が良かったのかしら〜、馬の首があ〜。
 隠し味に猿の脳味噌でもいれときましょ。
 のーみそがうめーんだよ、のーみそがあ。ククク」
 
と特別いやらしい声で呟きながら、鍋をかき混ぜることだろう。

これがカレーを作るときの、一番の楽しみだ。このためにカレーを作ると言ってもいいくらいである。



寝言日記の読者諸君も、大きな鍋をかき混ぜているときには、このように
つい、魔女のマネをしたくなってしまう
ことがあるだろう。





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 991105fri
えーと。
その。
つまり、昨日と一昨日の日記は何が面白いかというと、週刊連載の漫画などで、どうしても原稿が間に合わなかった時や、そのまま漫画家が描けなくなってしまったときに、目次などで「作者急病のため・・・」というお断りが出るアレと、先日の寝言日記の状況が、たいへん良く似ていたという・・・。いや、それだけなんですけどね。すみません、三日もサボって。お詫びのしるしに、次回の内容を少しだけ書いておきます。


次回予告!
 
拉致された北朝鮮の地で、天野は新必殺技を編み出した!
試合開始のゴングが鳴る! 無責任な一千万人の寝言日記読者が見守るなか、うなるか「三時間睡眠パンチ」!
一方、絶体絶命の窮地に立たされた、アルファの運命や如何に! 
迫り来る悪の軍団、そして総統ココネの正体とは!?
 
次回寝言日記
 「カレーライスのつくりかた」
 
ご期待ください!!

☆北朝鮮ネタは、あぶないから絶対にマネしないでね。





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 991104thu
著者失踪のため、今日の日記は休載させていただきます。




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 991103wed
著者急病のため、今日の日記は休載させていただきます。




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 991102tue
そのお客様は、おそらく目が不自由なのだろう。
サングラスはしていなかったが、その40代ほどの女性が、私にはそう思えた。

小説の朗読を収録したCDをレジカウンターにおいた後、ほとんど気づかれないような自然さで、カウンターを探り、金銭授受のためのトレイの位置を、指で確認されていた。
そして、こちらが申し上げた、正確な金額を、そこに乗せている。

商品を包装する。普段はお客様の手前に、商品を差し出すが、このときは手の上にそっと乗せた。

小さな驚きと、安堵の表情が、お客様の頬に浮かぶ。

笑顔と、それ以上に声に気持ちを込めて「ありがとうございました」と見送った。


そのお客様は、おそらく目が不自由なのだろう。
サングラスも、白い杖も使っていない。ただ、旦那さんと思われる方が、着かず離れず寄り添っている。
はた目には、とても目が見えていないようには思えなかった。

視覚の障害を、あえて現さず、またそれ故に大変な苦労をしている人を、私はもう一人知っている。






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 991101mon
親戚の女の子に、街で久々に会う。
大きくなっていて、見違えた。

「・・ちゃん、大きくなったねえ」

「うん♪」

「それに綺麗になった」

「うん♪」

「髪も綺麗だし」

「うん♪」

「いい靴だ」

「うん♪」

「眼鏡も似合っているよ」

「うん♪」

「笑顔が素敵だ。本当に綺麗になったね」

「うん♪ ありがとう」

「さて、冗談はこれくらいにしておいて、親父さんは元気かい?」




膝下から足首までの前側は、俗に「弁慶の泣き所」と呼ばれる、
人間の急所のひとつである。

ここをパンプスなどの堅くて尖った靴底で蹴られると、ものすごく痛い。

明日も、私が会社で、脚を引きずるように歩いていたら、理由は上記の通りである。






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