■ 990630wed自分の家は裕福だった。いまも、かなり裕福な方だろう。
そこで育った自分は、世間知らずの、鈍感なお坊ちゃんだった。
「自分の力」と呼べるものは、とても少なく、財力のある家に守られているという感じが、大学にはいるまで、ずっとつきまとっていた。「何もないところで、自分はどれくらい生きていけるだろう」
そう考えた自分は、大学一年生の冬から、あるていどお金を持たない生活をはじめた。
ホームレスのお爺さんたちと、つき合いもした。公園で寝泊まりすることもあった。しかし自分は、実家に帰れば裕福な暮らしが残されている。本当に何もない暮らしではなかったと思う。自分はまだまだだ、と思った。
だが、この日々は、自分のなかでとても頑強なバックボーンになっている。
いざとなれば、何としてでも生きていける自信と余裕、何もないところでこそ光ってみえる人間の本質、物欲に覆われていない人間の、善悪入り交じってはいたが、正直な姿を見ることが出来たのだ。
そんなわけで、大学生の皆さん、将来の不安を解消するためには、小学生に掛け布団を盗まれるくらいまで、公園で暮らすというのも、悪くはないと思うぞ。
6月の日記は、とにかく過去の思い出を掘り起こす作業だった。7月からは、ちゃんと、いまを生きる日記になると思うが、まだわからない。
何か面白かったことを思い出したら、そしてその日に、特筆すべきことがなかったら、また輝かしい栄光の日々をここに書こうと思う。
■ 990628mon 〜 990629tue (二日分)6月の日記も、そろそろ終わろうとしている。
今月は、学生時代を中心に、私が成し遂げた偉業の数々を、公開しようと思っていた。
昨日までの分を、とりあえず見返してみる。まだまだ、語れることはあるな、と思った。思い出してみると、学生時代には、色々なことがあった。初期の頃、一番印象に残った事件を書いておこう。
それは大学一年生のときだった。
大学へ行くためにアパートの二階廊下を歩いていると、都市ガスの甘酸っぱいような臭いが鼻を突いた。二部屋となりのドアからである。思い切って開けてみると、奥で住人が、真っ白な布団に入って眠っている。そして左手の台所から、コーという噴射音が。よく見ると、チューブの外れたガスの元栓が、思いっきり開いている。
自殺だ。
思った瞬間、緊張が走った。
ゆっくり歩いて、元栓を締める。そろそろと窓を開いてガスを逃がし、布団の横に座った。
気配に気がついたのか、住人は目をさました。
同い年(当時19歳)の女性である。私が引っ越してきた時に、少し話をした程度の面識だ。たしか青山学院短大の学生だったと思う。なんでたすけたの・・・。
恨みごとのような、でも小さな声で彼女が口をきく。体を起こして、しかしうなだれたままで、ぶつぶつと彼女は、私に話しかけてきた。
絶望感と孤独感がひしひしと伝わってくる声音だ。
つきあっていた彼と別れたこと、両親のこと、大学のこと、おそらく自殺の理由と思われることを、彼女は自ら、いろいろと話してくれた。おそらく誰にも相談できず、心の中に溜めていたのだろう。話を聞く一方で、しかし私は彼女の容姿に、驚愕していた。
彼女は、まだ幼さの残る、「かわいい」といって良いくらいの女性だったはずだ。しかし、その疲れ果てた顔は老婆のように見える。布団に入っていたからかもしれないが、髪もボサボサで、水分がひどく抜けているようだ。声もしわがれていて、ぽつりぽつりと元気なく話しをする。本当にお婆さんのようだ。世をはかなんだ老婆の霊でも憑いているのだろうか、と思いつつ、彼女の話を、とにかく、うんうんと聞く。
やがて、少しずつ変化が現れた。
彼女の口調が穏やかになっていく。声も、すこしづつだが、張りが出てきた。
本当に憑き物が落ちていくように、彼女の顔までが、ゆっくりと、もとの若い顔に戻っていく。特撮を見るような思いだ。たぶん霊現象だろう。これは持久戦だなと思い、ひたすら話を聞き続けた。一時間も話をしていると、乾いて広がっていた髪が、しっとりと、まとまっていた。長髪をたくわえた経験がないのでわからないが、そういうものでなければ「彼女に戻っている」のだろう。
二時間が過ぎた頃に、彼女は少しだけ笑顔を見せた。
お婆さんの霊も抜けたらしく、ほとんど素の状態といえるだろう。
それを見極めた瞬間、いままで聞き役に回っていた私は、獰猛な反撃に転じた。
それまでの19年間の人生のなかで、出会い、蓄えてきたギャグのボキャブラリー、および一人漫才のネタを一気に爆発させたのである。
それはさながら、深夜の勝ち抜きコント番組だった。彼女が横っ腹を押さえながら、痙攣したように、うずくまるまでには15分もかからなかった。
笑いすぎで過呼吸に陥っている彼女の肩に、やさしく手をそえる。そして私は、とびっきり優しいキザな声で、彼女にとどめの一言をかけた。「風呂屋に飛行機が墜ちたってねえ」
「せんとうき、だろう?」
肺の空気を1cc残らず絞り出すような声で、彼女はかろうじて「ひょおお」というような音を立てた。
笑っているのである。私は勝利を確信した。しばしおいて、真面目な話へと移る。ゆっくり話をした後、彼女は、助けてくれてありがとう、と言ってくれた。私はほっとして、部屋へ戻った。
いま思い出しても、よくこんなことができたものだと思う。そのときも、自分に驚いていた。
ふと空を見上げる。外は、すでに暗くなっていた。大学では夜間部の講義が始まる時間だった。
彼女はその二日後、また自殺を試みた。
その時も助けに入った。安いアパートなので、ガスが漏れると、とにかくすぐに臭うのだ。「こんな電車にのっていても良いのだろうかと、いつも悩んでしまう電車は?」
「いいのかしら線(井の頭線)」
今回、このギャグは通用しなかった。
群馬県出身の彼女には、東京路線ギャグは相性が悪いのかも知れない。
なんだかんだあって、その日の夜、十二段しかない階段を二人で十二回ちかく踏み外すという、ものすごい足音とともに、彼女の両親が駆けつけた。
その後、彼女は自殺をしなくなった。
短大を卒業するとき、さっぱりした顔で「保母さんになる」と彼女は話してくれた。
群馬県で、たぶん彼女は今も、保母さん(現在では、保育士と呼ばれる)をしているだろう。
■ 990627holyつい今しがた(99年6月27日、0時00分)、29歳になった。
誕生日のプレゼントは、前後6ヶ月間うけつけている。
■ 990626sat学生時代は、とにかくお金がなくて、よく電気などを停められたものだ。
そんなときでも、どうしてもマクドナルドではなく、御飯を食べたいと思うときがある。
ガスがあれば、鍋で御飯を炊くこともできる。だが、電気が停められる頃には、たいがいガスも停まるっているのだ。
さすがに水道までは停められなかったので、やむなく米をとぎ、電気炊飯器を持って外に出る。電気を貸してもらうためだ。
大家さんや、隣近所の方々には、申し訳ないほどお世話になっているので、少々遠出をした。
まずは、見知らぬ家に訪問する。「すみませーん、御飯を炊きたいのですが、電気を貸していただけませんか」
成功率は、さすがに傘よりも低い。だが上手くいくと、家に上げてくれるばかりか、「こうすると美味しいのよ」などと、炊飯器の中にサンマを入れてくださることもあった。生姜と醤油を注いで炊き込み御飯にするのだ。炊きあがるまでは世間話をする。「大変ねえ」と、なんとお菓子を出していただけることもあるのだ。人情というのは馬鹿に出来ない。とても素敵だと思う。
炊きあがってみると、サンマが柔らかく煮えていて、ダシと風味が御飯に染みわたっている。尻尾を持ち上げると、柔らかくなった魚肉から、背骨と頭が綺麗にとれる。感動的だ。
電気代にサンマ御飯を・・・と申し出ても、たいがい遠慮される。丁寧にお礼を言い、感謝してアパートに帰った。
こうした行脚は、とうぜん断られることの方が多い。
そういうときは、派出所で電気を借りるということも出来るらしい。だが、アパートから派出所までは距離があるし、マクドナルドなどの様々な前科を持つ人間としては、炊飯しながら指紋を押捺するというのは、とても避けたい。
そこで、私はコンビニへ行く。
コンビニには、たいがい屋外据え置き式の、電灯の看板がある。これから電気を分けてもらうのだ。コンセントのところに、ふたまたを仕掛け、そこからズルズルと延長コードを引っ張って、物陰に電気炊飯器を隠す。早炊きモードで、一気に炊きあげてしまう。見つかったら、いちおう犯罪なのだ。(いや、それを言ったらマクドナルドもそうなのだが、このケースは、どう考えても「ボランティア」などと言い訳できない)ラスト10分ほどの、白い湯気がもくもくと立ち昇る頃が、最も緊張する。ここで発見される可能性は、設置・撤収時に次いで、最も高いのだ。
とりあえず、一度も発見されないまま、大学四年間を生き抜くことが出来た。
東京都世田谷区某所にあるファミリーマートさん、そして、都民のみなさんの、親切や、ふれあいを喜ぶ気持ちにも、とても感謝している。もし我が家に、電気炊飯器を片手に「電気を貸してください」と言って訪問する、少年がくるようなことがあったら、暖かく迎えてあげようと思っている。だが、最近の子は、あまりそういうことは、しないのだろうか。
■ 990625fri実はむかし、一年ほどの間テレビ関係の仕事をしたことがある。
社会人一年目のことだった。その会社は、テレビ番組やビデオの製作会社で、シンポジウムの記録や、洗剤・立体駐車場・工業製品などの説明ビデオ、そしてテレビ朝日系音楽番組のライブ録画や、オーディション、コンテストなどの記録なども行っていた。断っておくが、アダルト関係の仕事は一切うけない会社だった。
設営からケーブル巻きまで、とにかく何でもやったが、一応メインの担当はカメラマンだった。
カメラの扱いは、細心の注意がいる。当時はまだデジタル化の初期で、まだまだテレビ用のビデオカメラといえばベータカムSPが最高峰であった。肩にかついで15キロ。一台で200万円はする。あるとき雨天での撮影があった。人間が着るレインコートより、カメラにかぶせるレインコートの方が、かなり高価だったのを憶えている。そういうものだ。
あるときロケの合間に、中華料理を食べに行ったことがある。このときカメラマンは、それぞれ各々のカメラを車から降ろし、手にぶら下げて入店した。車よりカメラの方が高いのだ。車が盗まれても100万円ほどの損失だが、カメラ(二台)ごと盗まれると一気に500万円の損失である。車が盗難にあったら、それを追いかけながら、我々カメラスタッフは、全員口を揃え、声をハモらせて、犯人にこう呼びかけるだろう。
「車はやるから、カメラだけは置いていってくれ! あと、テープとバッテリーとラムサのマイクとレフ板とスケジュール帳と、クライアントの電話番号と撮影スケジュールの書いてあるノートも!! 」そういうものである。
この会社は、けっきょく父の逝去をきっかけに、退職した。
■ 990624thu人間の頭の中には、いくつもの「袋」があると考えられる。
仮にその一つを「プリンセスメーカー袋」略して「プリメ袋」と名付けよう。この「プリメ袋」からは「プリメ汁」が分泌されており、その作用で、私はプリメに萌えているのだと考えられる。
先日描き上げた絵も、脳味噌のなかにプリメ汁があふれまくった結果の、じつにプリメ汁がシズルっている絵と言えるだろう。袋が脳内に発生するのは、あくまで後天的な、寄生虫のようなものだ。感染源は、テレビや友人、雑誌、CDなど多々あるが、経路に関しては知覚感染とでも考えるしかない。
私の場合、友人から「プリンセスメーカー・ゆめみる妖精」を借りてプレイし、エンディングを迎えるときには、握り拳大ほどもある「プリメ袋」にすっかり寄生されていたのを実感している。いまも、この袋からザバザバとプリメ汁が横溢していることだろう。
まわりを見渡してみると、けっこう「袋持ち」はいる。
「リュート袋」から「リュート汁」が、「女神袋」から「女神汁」が、「ココネ袋」から「ココネ汁」が、「井上喜久子袋」から「きっこ汁」が、「ねこ袋」から「ねこぢる」が、ひとむかし前だと「ときメモ袋」から「丹下桜汁」が溢れている人も多かったようだ。最近では「To Heart袋」から「マルチ汁」が駄々漏れになっている人を見かけることが多い。
一度でも袋を持ったことのある方には、お馴染みの感覚だと思うが、袋を刺激する外的なアプローチ(ビデオなどで良い場面に出くわすなど)があると、えもいわれぬ幸福感とともに、頭の中で、汁が渦をまいて溢れ出ていることが実感できる。
これは一種の脳内麻薬なので、そのために金銭感覚を失うケースも報告されている。岐阜県にお住まいの天野拓美さん(実名)は、そのせいで80000円(税別)もするベルダンディーのフィギュアを購入したものの、なんの損失も感じていないという重症さである。
ほかに絵描きがもつ「絵描き袋」というものもある。これは汁が枯れると絵が描けなくなるのが特徴だ。「絵描き汁」と「プリメ汁」が程良く混ざると、先のような絵が完成し、また「文筆袋」から分泌される「文筆汁」と配合されると、プリメ日記になるのだ。
同義語として「萌える」という言葉がある。こちらの方がはるかに有名なのは、いくらなんでも「汁が出る」などと、口にするのは社会的に様々な問題があると言えるからだろう。たとえ、素晴らしい表現であると思っても、「もう、俺さ、マルチのシナリオをプレイするとかならず涙と汁がでるよ」などと口走ってはならない。認知されているとはいえ、いまだオタッキー(死語か?)な言動は、いやがられることが多いのだ。
一連の「袋」表現で、大丈夫なものは「配偶者袋」や「家族袋」「子供袋」くらいだろう。
「娘の笑顔を見る度に、アイナ袋からアイナ汁が出る」くらいなら、まだ大丈夫だ。
いささか誤解されやすいが、要するに愛情表現なのである。
■ 990623wed夜想曲タイトルページのアクセス数が、突然跳ね上がったので、何事かと思った方もいらっしゃるかと思う。
インターロジック時代の9500アクセスというカウントを、プロバイダーさんにお願いして、足していただいたのだ。
そんなわけで、これからは人並みに、記念アクセス数で大騒ぎできると思う。だからといって「12000アクセスを踏んだので、記念に、セーラー服を着たベルダンディが「井上喜久子、17歳です♪」と言ってる絵を描いて、さらに、実際の年齢は二倍してもまだ足りませんね、というコメント付けてHPにアップしてください」などというリクエストは勘弁していただきたい。
だが、ものは試しだ。リクエストがあったら、夜想曲の掲示板にでも書いて欲しい。できる範囲であれば、お応えしよう。
■ 990622tue最近、我が家に、友人の名で届け物をしてくれる人が来る。
友人が、直に訪ねてくるわけではない。あくまで使者が手紙を持ってくるのだ。だが彼らは、なぜかことごとく、我が家の玄関先で、恐ろしい怪物に捕まり、その体を粉々に食いちぎられてしまう。
変わり果てた姿になったまま、彼らの死体は郵便受けの近くに、転がっている。手紙だけは、無事だった。怪物は手紙には興味がないらしい。すでに三人の犠牲者がでている。
使者とはいえ、彼らには家族もいるだろう。
遺族の方々には、なんといって謝ればいいか、見当もつかない。
せめて遺体の様子を公開しよう。モラルの問題などでむつかしいと思われるが、この際、しかたがない。PostPet>>>>>以下の添付ファイルは、解読出来ない形式です。
Received: from mgate08.so-net.ne.jp (mgate08.so-net.ne.jp [210.132.247.49])
ハby ns1.usiwakamaru.or.jp (8.9.3/3.7W-1999061710) with ESMTP id VAA06610
ハfor <amano@usiwakamaru.or.jp>; Wed, 23 Jun 1999 21:17:26 +0900 (JST)
Received: from mail.xxxxxxxxxxxxxxx (mail.xxxxxxxxxxxxxxxxxx [xxxxxxxxxxxx])
ハby mgate08.so-net.ne.jp (8.8.8+3.0Wbeta9/3.6W99061418) with ESMTP id VAA18842
ハfor <amano@usiwakamaru.or.jp>; Wed, 23 Jun 1999 21:19:22 +0900 (JST)
Received: from xxxxxxxxxxxxxxx (p84da78.gifu.ap.so-net.ne.jp [xxxxxxxxxxxxxxx])
ハby mail.xxxxxxxxxxxxx (xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx) with SMTP id VAA11025
ハfor <xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx>; Wed, 23 Jun 1999 21:19:20 +0900 (JST)
Message-Id: <xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx>
X-Mailer: PostPet for Macintosh ver. 2.01 jp (PPC)
X-Priority: 1
Mime-Version: 1.0
Content-Type: multipart/mixed; boundary="***kiritorisen***"
Date: Wed, 23 Jun 1999 21:18:17 +0900
To: amano@usiwakamaru.or.jp
From: xxxxxxxxxxxxxxxxx (=?ISO-2022-JP?B?GyRCOWI2NjdDTX07UhsoSg==?=)
Subject:
ハハハハ =?ISO-2022-JP?B?GyRCN2xFfENNJCw5YiQ9JCYkQCQ8ISohKiEqGyhK?=
X-Mozilla-Status2: 00000000
(プライバシー保護のため、一部伏せ字にしてあります。)「こんな姿になっちまって・・・」とモニターの前で泣き崩れる友人たちの顔が目に浮かぶ。
これ以上の犠牲者を出さないためにも、一刻も早く対策を練らなくてはなるまい。
なんだか収集がつかなくなったので、解説しよう。
要は、ポストペットの、POPアカウントの入力ミスであった。メールが来ているというサインがあって、まずはポスペで開くのだが、POPアカウントがまちがっているのでアクセスできず、こちらはメッセージが来ていないと、思ってしまうのだ。そこで普通のメーラーで取り込むと、可愛いカメや、愛くるしいネコが、上記のような姿になってしまうのである。
三人に謝罪のメールを出した後、ためしに転送してみたが、後の祭りであった。
マニュアルによると、半日ほどで、送信する前の状態で、送り主の所に復活するそうである。本当に良かったと、胸を撫で下ろしている。
アカウントは訂正できたので、多分もう、二度とこんな悲劇は起こらないだろう・・・・と思う。
これに懲りず、ペットを送ってくださる方に、私は勇者の称号を与えようと思っている。
虫のいい話だとは、思うが。
※ですから、現在では使用してませんてば。
■ 990621monきたがわ翔の「ホットマン」を読んで、不覚にも死ぬほど感動する。
どうしようもなく、泣いてしまった。
ホットマンを読んでいて、プリメ日記を読んでくださっている方には、何となくわかっていただけると思う。重度のアトピーとはいえ、かわいい娘を、その手で愛することの出来る主人公に、昔の私なら、無責任に嫉妬を感じていたかも知れない。 多分うらやましく思っただろう。
だが今は、素直に感動できる。時の流れが、いろんなものを癒してしまったんだと、少しだけ寂しく感じた。
ところで、髪を切ったところ、小林稔侍似の桑田判事(家裁の人)だった面持ちが、にわかにジャン・レノ化した。(強引だとは、私も思う。)
もう少し髪を刈り込んで、ヒゲを生やし、鼻とあごの形を整形して、体重を20キロほど落とせば、似てくるだろう。だが、それでは別人だ。
便所の鏡の前で、ジャン・レノの顔ポーズをとってみる。
今のところは彼のモノマネをしている、降矢円造以下だった。むかし、べろんべろんに酔っぱらった裸眼視力0.01の女友達に「天野さんて、眼鏡はずしてみると少しだけ、ジャン・ポール・ベルモントに似てますね〜」と言われたこともある。とはいえのっぺりした顔の自分が、フランス人顔とも思えない。
ジャン・レノ化するつもりはないが、もう少し痩せて、ヒゲを伸ばしたいなあ、と思う。やせる方はどうにでもなろうが、接客業なのでヒゲは難しい。ヒゲに嫌悪感や不潔なイメージを抱くお客様がいる(可能性がある)以上、やはり伸ばしたくはない。プロの根性だ。
だが、前線を退くことがあったら、ぜひ伸ばしてみたいと思う。
「クリエイターぶりっこヒゲ」というのがある。テレビ局や、芸能・芸術関係、はてはプロ志望の仕事の取れないアーティストなどが、よくやるスタイルだ。自分が特別な人間であること、業界人であることを、見せびらかしたいための、シンボル的なヒゲらしい。実力のない人が、箔を付けるために生やすという話もある。
たとえ、そう見られてもいい。
それくらいヒゲは伸ばしたい。30過ぎたくらいから(まだ28だが)たぶんよく似合う顔になっていくと思うのだ。数年後に、乞う御期待である。
■ 990620holy床屋へ行った。「床」屋とはいえ、布団屋ではない。理容室だ。なぜだろう。
いつもは、近所にある3800円くらいの店に行くのだが、今日は、はるばる越県して1600円の理容室へ行く。なぜか、この格安の理容室は、岐阜県にはないらしい。
3800円の方は、待ち時間が5分から60分ほど、カット、シャンプー、毛髪チェックもしてくれる上に、肩ももんでくれるし、耳も掃除してもらえる。計ったことはないが、90分くらいだろうか。
今日行った1600円の方は、待ち時間が0.4秒、カットと整髪のみ(シャンプーは別途300円)。あとは何もしてくれないが、所要時間は15分ほどである。とても早い。
私は、天然パーマなので、毛先がそろっていなくても一向にかまわない。工場を回される部品のような扱いで、散髪台から洗髪台、乾燥機、整髪台と歩かされるが、そのためにかえって時間がかからないのも良い。
仕上がりも、それほど雑ではないし、なにより、私には懐かしかった。
そう、学生時代、お金がなかった私は「家が理容室なので、見よう見まねで散髪が出来る」という学友に、飯をおごる(材料の97%はマクドナルドだ)という交換条件で髪を切ってもらい、どうしても都合がつかない時にだけ、1600円の理容室(東京にも結構あった)に行っていたのだ。「1600円あれば、一週間は遊んで暮らせるなあ」と当時は思い、しぶしぶ通っていたが、いまでは「一回で2200円も浮くなら、年に六回として13200円も得になるのかあ。20年でG3パワーマックが買えるなあ」などと考えている。
今日行った店も、昔の東京店と同様に、剪定のごとき荒っぽい散髪や、顔面の皮膚ごとそぎ取るようなヒゲ剃りなどが健在で、なんだか嬉しかった。
■ 990619satポスペをはじめた。
ポストペットという、メールソフトのことである。
「iMac 買って何するの?」と聞くと「とりあえずポスペ」と言われるくらいなので、有名なのだろう。知人のHPにも、たまにポスペのことが書いてあるので、気にはなっていた。
月並みだがピンクの熊ではじめる。名前は「月影」と命名した。
ポスペがどういうものなのか、今ひとつよくわからないが、いい男がメールを送ってくれるとゆー「ホストペット2001」とは違うらしいということが、安永航一郎氏によって最近わかった。月影は現在、諸国を漫遊しているが、いつか貴方のところへ行くかも知れない。
落ち着きがなく、いつもぴょこぴょこ動いてる奴だが、お邪魔したさいには、頭の皮がむしり取られるくらい撫でてやって欲しいと思う。
※現在は使用しておりません
■ 990618fri「おじさん」ではなく「おにいちゃん」と呼ばせることに成功した数少ない実験結果であるところの甥っ子が、
なぜか今頃、宇宙戦艦ヤマトにはまっている。
甥は今度、小学二年生になったばかりだ。そしてヤマトの本放送は、彼が生まれる25年も前である。たしか1967年だ。(劇場公開が、かも)
現在、深夜の再放送が東海地方で行われているが、それを見たわけでもないらしい。出会ったきっかけかは、謎である。クラスの友達では話にならないし、とにかく情報が欲しいらしく、ヤマトのことを執拗に聞いてくる。
「ヤマトの波動砲って、どれくらい強いの?」
「ヤマトって何メートルくらいあるの?」
「ヤマトって、下(艦底)には武器がないの? したから敵がきたらどうするの?」
「ワープってなあに?」
「ヤマトより強い宇宙戦艦ってあるの?」
「ヤマトって、本物があるの?」
「お兄ちゃん、ヤマトって、本物みたことある?」速射砲なみにいろいろ聞いてくる。
父親であるところの私の兄も、昼夜を問わず質問責めらしい。
兄は少年時代に、戦艦大和のプラモデルを作っていたことがある程度なので、細かい質問には回答に窮することが多い。
高校時代がリアルタイム放送だったために、ヤマトにはまっていた姉は、現在は名古屋に住んでいる。射程外であるため、甥の攻撃は受けていない。現在もっとも多く被弾しているのは、この私だ。
なまじ知識があり、たびたび応戦してしまっただけに、標的にされている感は否めない。
出勤前に捕捉されると、大変である。
この間、ヤマトの次世代主力地球艦隊の旗艦アンドロメダについてポロッと話したら、そのことをネタに完全に捕まってしまい、あやうく遅刻しそうになった。追撃も激しいため、滅多なことを答えられない。
今度レンタルで「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば宇宙戦艦ヤマト」を借りてこよう。
夏休みになったら、いっしょに見てやろうと思っている。
■ 990617thuコミッカーズを買う
今月はおりしも、CG作家さんの特集号だった。
あまりの巧さに、ひどいダメージを受ける。
掲載されている同じ絵を、以前にも別誌で見たことはあるが、そのときは、これほどのダメージはなかった。
手前味噌だが、自分の画力が上がったためだと思われる。
画力のない状態、ないし絵を見る目がない状態では、その絵の持つエネルギーを感じることが出来ないのだ。
恐ろしい話である。むかし(なんか最近こればっかだな)日本画や掛け軸の販売業に従事していたことがあった。百貨店などの催事場で販売会をするのだが、ごくまれに、200万円級の絵も飾ることがある。これがもう、すごい絵なのだが、見に来るお客さんは、けっこう素通りしてしまうのだ。
たしかにパッと見は、おおきな富士山の絵にすぎない。しかし、もうなんというか、ものすごくすごいのだ。なんで、こんな凄い絵が分からないのだろう、と不思議に思う。
こちらは半年以上、10〜100万級の絵を50も100も、一日中飾って眺めているのだから、見る目も育つというものだ。
たまに、その200万円の絵を見て「こんなの俺でも描けるぜ」とかいってる人がいて、端からみていると、私の中の黒い心が、とても愉快に感じていたりもする。
まあそれはともかく。
コミッカーズで紹介されていた各氏の絵は「(なまじ絵の解る)下手な絵描きが見たら、再起不能のダメージを与えることがある」と言われていることもある。「この人の絵を見たせいで、わたしは絵描きになる道を断念したんです」という人もいるくらいだ。(寺田克也氏画集の解説より)たしかに、あまりの地力の違いに、絵を描くのを辞めたくなってくる。
まったく恐ろしい話である。
レベルの低い話だが、とりあえず「うまい絵を見て、絵を辞めたくなった」ら少なくとも、絵を見る目はついていると言うことだ。いや、まったくレベルの低い話だが。
■ 990616wed
アニメのハーメルンで音楽を担当した田中公平氏が好きなので、勇者王ガオガイガーを見ている。
今日、ついに全巻を拝観した。後半4本はマラソンで観たので、自分の中では、かなり盛り上がっている。熱い。熱いぜ、ガオガイガー!
Gガンダムも、たいがい熱かったが、小学生でも何とか話についていける(理解できるかどうかはともかくの)レベルの科学をうまく扱っていて、本当に面白かった。
いや、面白い。音楽がまた感動的なのは言うまでもないが、人物たちが、変なところでドロドロ悩んでいない姿に、とても勇気づけられる。くじけず人間を愛し、戦う勇者たちの姿は、単純といえば単純だが、結局われわれは、単純でありたいと願っているのだ。それでいい。
オンエアーからかなり経つので、いまごろガオガイガー? という方も多かろうが、いいものは、いつみてもいいのだ。
そんなわけで、岐阜・愛知間の車道を「勇者王誕生!」(オープニング主題歌)を轟かせながら走行している日産のパルサー(銀色)がいたら、たぶんそれは私であろう。ところで、ゴルディオンハンマー使用シーンでピコという音響を入れてみたい人は、けっこういたと思うがどうだろうか。
■990615tueしつこいようだが、むかしお金を使えない時代があった。
主に大学時代であり、社会人1年目でもそうだった。そのころ頼りになったのが、東京都世田谷区の某所にある商店街のみなさんだった。
とにかく、貧乏な学生で、素直で、可愛く、「こんなに出来の良い息子が、家にもいたらねえ」と呟かれるほどに好青年だった私は(自分のことかい)、商店街のみなさんから、とても可愛がられた。
アルバイトも紹介してもらったし、食べ物も安くいただいたものである。
青果店さんからは、日曜の休みを越えたら月曜日には売り物にならない、花が咲いたブロッコリーや、やや傷んだ野菜やフルーツを、土曜の夜に無料同然の価格で譲ってもらえたし、焼鳥屋さんからは、業務用に仕入れているお肉を、ほとんど仕入値で分けてもらっていた。アルバイトに入っていたピザ屋では、従業員にピザを振る舞っていたし、同じくアルバイトのパン屋では、前日パン(焼いて、その日に売れ残ったパンを、翌日安く販売する)の更なる売れ残りをタダでもらっていた。
そこでは「犬をたくさん飼っているもので、助かりますー」などと言って黒いゴミ袋にいっぱい、パンをもらってくることができたものだ。
「犬は何匹いるんだー?」と聞きながら、ゴミ袋にどんどんパンを放り込んでいく店長に
「じゅ、じゅうごひきです・・・」と嘘を答える。
「たくさんいるなあー」と店長は笑いながら、ゴムの長靴でパンを踏みつけるようにして、袋に詰めている。
あ、あのそれ僕が食べるんですけど、とは言い出せないまま、パンを持ち帰り、比較的足跡の付いていないパンを、より分けて食べた。食べきれない分は、パン粥にするか、冷凍する。
青果店のおばちゃんには、特によくしてもらっていた。毎回のように、おまけでキュウリの漬け物をいただいたりしていたものである。友人に食事を振る舞うため、いっしょに、この店に行った際、あまりの仲の良さに、彼もあきれていた。彼につけられたあだ名は、ここでもマダムキラーだった。
頼まれてもいないのに、マクドナルドのゴミ減量に協力(990613holyの日記参照)していたため、その他の食料もけっこう手に入る。(ちなみに当時、この行動は「攻撃型ボランティア」と呼んでいた)
組み合わせれば、かなりのバリエーションになった。マクドナルドからの戦利品には、必ずと言っていいほどポテトが入っているので、芋料理には事欠かない。
あとは米と味噌と調味料が手に入れば、月に6000円ほどの食費で生活できたものである。
だが、もう、こんなこともできないなと、商店街でなく、スーパーで野菜など買っているときに、しみじみ思った。
これ以上は、なんだかヤバそうなので、一応おしまい。
■990614mon
むかしお金を使えない時代があった。
主に大学時代であり、社会人1年目でもそうだった。そのころお金は無かったが、わたしは自由だったことを憶えている。
たとえば雨に降られたとき、傘を買う必要は、わたしには無かった。
「すみませーん」見知らぬ民家の戸をたたく。でてきた人の様子を見て、できるようなら、こう切り出す。
「あのー、骨が折れちゃったりして、捨てても良いような傘って、ありませんか?」
雨に降られちゃって・・・と続ける。暇で、情に厚い人で、ほんとに不要な傘があったら、意外に馬鹿にできない確率で、傘がもらえるときがある。わたしは、主婦、というかおばちゃんを相手にしたとき、けっこう良い確率でゲットできたため、この話をした当時の学友から
「マダムキラー」
と呼ばれたこともあった。
丁寧にお礼を言い、感謝して傘をさし、歩く。
何日か、その傘を使う。だが、出先で雨が止んだら、その傘は、感謝して捨てていた。お金は無かった。なにも持っていなかった。でも、とても自由だった。
もう、こんなこともできないな。
先日、お金を出して傘を買ったときに、しみじみ思った。しつこいようだが、つづく。
■990613holyいつぞや(990611fri)のつづきである。
むかしお金を使えない時代があった。
主に大学時代であり、社会人1年目でもそうだった。ある事情で、とにかく食費が捻出できなかったのである。しかし東京という街には、視点を変えさえすれば、無料の食材が山のように転がっていた。
まずは何と言ってもマクドナルドである。
聞いた話だが、マクドナルドは作り置きをするので、作って15分だか30分だか経つと、ハンバーガーでもチキンナゲットでも捨ててしまうそうだ。もちろん需要のある時間帯などを見越して、計算の上で準備するのだと思うが、それでも一日が終わると、大量の、そして未食の残飯が出る。物陰から、これを狙うのだ。
閉店後、アルバイトが、ネコよけに金網のついたゴミ倉庫を空けて、いくつかのゴミ袋を放り込んだ後が勝負である。意を決してゴミ倉庫に走る。
長くやっていると、倉庫の中で、ゴミ袋を持ち上げただけで、中身が、ハンバーグか、パンか、ナゲットか、ポテトか、あるいは真性のゴミか、そして、その内容比率までが、感覚的に計測できる。集中している人間の神経というのは素晴らしく高性能だ。
もっとも豪華と思われるゴミ袋を判断し、文字どおり鷲づかみにして、疾走する。逃走経路も確認済みだ。
無事に逃げおおせることに成功し、袋の中身を確認すると、近所の公園へおもむく。ここで多くのホームレスの方々と、今日の戦果を分け合うのだ。彼らは昼間は寝ているので、マクドナルドが閉店したくらいの時間は、わりと起きている。このハンバーガーが、もし有料なら、先方も気をつかってしまうところだが、無料なので気兼ねなく食べてもらうことができる。奢るこちらも気が楽だ。
彼らは浮浪者である。住居も、家族も、お金も持っていない。だからこそ、プライドだけは頑なに持っているのだ。
なぜなら、それすら無くしてしまったら、本当に、もう、何も残らなくなってしまうから。
袋を開けるときは、みんなでワクワクする。チキンナゲットや、ハンバーグが出ると、歓声が上がるくらいだ。野菜類も、実は人気がある。
食べながら、若いうちからこんなことをしていちゃイカンとか、小学生に空気銃で撃たれた話などを聞く。
自分の部屋で、独りで500円の弁当を食べるより、公園で浮浪者たちとゴミを喰ってる方が美味かったのを、いまでも憶えている。
でももう、こんなこともできないな。
今日、お金を出してマクドナルドのハンバーガーを買ったときに、しみじみ思った。つづく。
■990612sat以前日記に書いたCGの描き方の解説が、あまりにも好評だったので、今回は、現在製作中のCGをもとに、さらに詳しい説明をしようと思う。
CGのテーマは、こんな日記をわざわざ読んでいる方には、いわずと知れたプリンセスメーカーである。
盛り込む要素は「ぬくもり」「残酷な時間の流れ」「敬虔な親愛の情」「やすらぎ」「このまま時間が止まってしまえばいいと思う」など。できるだけ、ぼんやりしたイメージを語句化し、明確にする。
これは日記にも散々かきまくったので、今回は比較的容易だ。
カタチが浮かんできたら、アタリをとる。
現在の制作環境は、15インチモニターのマック、ペンタブレット(タブレットと呼ばれるボードの上を、専用ペンでなぞると、その通りにカーソルが動くので、モニター上にペン感覚で絵が描けるとゆーアイテム。ワコム社製品が有名)、そしてソフトはペインター(筆圧機能などにより、現存する様々な画材表現を再現できる。)を使用している。モニターが小さいので、新規画像(白紙)として開くのは、512ピクセル四方ていど。これにペインターの「カバーブラシ」を使い、ラフな絵をかく。ちなみに今回の絵は、拡大縮小いっさいなしの、作画原寸大である。
制作過程の絵を、それぞれの見出しにリンクさせてあるので、参考にしてほしい。
線の色は、暖かみのあるブラウン。遠慮せずに、イメージを固めながら、ガシガシ描く。画材がカバーブラシなので、本来なら紙にインクで描くようなものだから、慎重にもなろうが、CGはペンキだろうが水彩絵の具だろうが、「消しゴム」で消してしまえるという、問答無用な世界なので、気にせず描く。しかる後に「消しゴム」で修正、おおざっぱな線を探していく。
輪郭線をはっきりさせていく。このときは「スクラッチボード」というペンで、細い線を描いていく。いわゆるクリーンナップだ。手つきや、顔の表情など、すべてがこのときに決まる。後の仕上げがどんなに丁寧であっても、ここが駄目だと、それ自体に何の意味もなくなるという、大切なところだ。できるだけ細かい所まで描ききるようにする。
「水彩薄筆」を使い、全体の配色を決める。間違えたらやり直せるのも、CGの利点だ。重厚な感じを出したいときは、「水彩薄筆」で違う色を何度も塗り重ねていくと良い。
時間の流れを表現するために、細かい糸が斜めに流れているようなテクスチャー(紙にデコボコ感を与えること。紙の下に百円玉を敷いて、鉛筆で紙をなぞると百円玉の模様が浮き出すというのと同様の効果)を使う。その上で「水彩」や「チョーク」を使うと「着色:水彩」のような、斜めに走る効果線のような表現ができるのだ。
このあと、
で色をなじませていく。柔らかで、はかなげな色表現には、チョークがいい。このとき、線画の透明率を上げて、主線を弱くする。
「エアブラシ・細」の設定をいじってさらに細くし、チョークで毛羽立った線を整える。一応の仕上げだ。
この状態で、しばらく寝かせる。
二、三日おいて見ると、いろいろと修正個所が目に付くようになる。描きたてというのは、興奮しているので、とにかく素晴らしい絵に見えてしまう。その状態では直せないのだ。
下手をすると、このとき致命的なミスなどを発見するときもある。直せるようなら良いが、駄目ならあきらめるか、誤魔化すしかない。
現時点では、これまでである。
もうしばらく寝かせてみてから、最後の修正に入ろう。
寝かせている間には、なにをするのか。
決まっている。解説を考えるのだ。
今回は少々手こずりそうだ。思いの丈は日記に書いてしまったし、それ以前に、絵のタイトルがどうしても決まらない。
絵は完成しているのに、解説を考えるのが楽しくて、なかなか「完成!」と言えない時は、実際よくある。CG制作の解説、とりあえずはここまで。
(のちの完成品は、こちら「思慕と感謝」)
■990611fri先日のプリメ日記に、たびたび書いた、私自身の貧乏性のことを書こうと思う。
むかしお金を使えない時代があった。
主に大学時代であり、社会人1年目でもそうだった。とにかくアルバイトやボランティアに明け暮れる日々で、体力的には限界ちかいことも度々あったが、知恵と気力で乗り切っていたことを憶えている。だが、その状態が続くと、人間は不思議な行動をするようになる。
アルバイトから帰り、あるいはボランティアから帰り、冷蔵庫のまえにしゃがみ込む。
中に入っているお菓子を一口たべた瞬間、安心して気を失ってしまい、開けっ放しの冷蔵庫の中に頭を突っ込んで眠ってしまったこともある。朝起きて、不思議に思った。外でも似たようなことがあった。やはりアルバイトの帰りに帰宅を急いで走っていたら、ふっと気持ちが良くなって、そのまま金網に突っ込んでしまったこともある。このとき駄目にした眼鏡代は痛かった。
アルバイトから帰り、部屋に戻る。先述の冷蔵庫の教訓を生かして、気合いを張り続けたまま、インスタントコーヒーをいれた。だが、いすに座ってコーヒーを口にした瞬間に気を失い、椅子とズボンをコーヒーで汚してしまった。
ほかにも、銭湯で溺れそうになったり、信号まちで立ったまま眠ってしまったり、大学の講義中に寝言を言うなど、さまざまな奇跡を披露した大学時代だった。
つづく。
■ 990609wed〜990610thu(二日分)バイクで外へ行けと言わんばかりの、いい天気である。
太陽が眩しい。
そんな日に、プリンセスメーカー(プリメ)をやっている自分がいた。ひさしぶりである。
以前から描こうと思っていたプリメの絵が、おぼろげながら浮かんできたので、イメージを固めるために(すでに言い訳である)ゲームをやらざるを得なかったのだ、などと考えつつスタートする。「お父さんの言うことを守って、いい子になるもん」
第一声である。10歳の娘に、すでにメロメロである。
娘の名は、井上喜久子が声をあてていた役名にした。苦肉の策である。そんなわけで名前は「アイナ」だ。名前だけでも既に可愛い。父親の職業は僧侶とする。
「おはよう、お父さん」
「やあ、昨日はよく眠れたかい?」プリメの楽しみとして「会話」ははずせない。
娘との会話に、例によって口で答える。上記のようなコマンドがないからだ。挨拶をするだけで、娘のストレス値がゼロになる。これは感動的だ。(会話)-(やさしく)を実行すると「やさしいお父さんって、大好き」と野上ゆかなの声でにっこり笑って答えてくれる。
(会話)-(やさしく)実行「やさしいお父さんって、大好き♪」
(会話)-(やさしく)実行「やさしいお父さんって、大好き♪」
(会話)-(やさしく)実行「やさしいお父さんって、大好き♪」
(会話)-(やさしく)実行「やさしいお父さんって、大好き♪」
(会話)-(やさしく)実行「やさしいお父さんって、大好き♪」
(会話)-(やさしく)実行「やさしいお父さんって、大好き♪」永遠にやっていられそうだった。
というか実行ボタンを押す、自分を止めるのに、ひどく苦労した。前回もそうだったが、10歳の頃から、大工仕事で、200キロはありそうな石材を運ばせたり、セメントを混ぜる仕事などやらせる。
なにせ10歳である。どこにいってもボロクソにいわれる。「使えねえ」とか「かー! どうにも役に立たんお嬢ちゃんだぜ」などと現場主任に罵られるのを、陰で見つめる父である。
腹が立ったので、一人前の大工になるまで、通わせようと思った刹那、昔そだてた娘・カチュアのことを思い出す。
しばし思案の後、お金に困っているわけでもないので、考え直した。前回の教訓を活かし、娘には比較的やさしい仕事をやってもらうことにする。
子守、メイド、家事手伝いあたりだ。
だがこれらの職種によって、プライド値がガンガン下がり、犬並みになる。同時にモラルが爆発したような勢いで、どんどん上がっていく。毎日のように教会へ通わせたせいだ。13歳でモラルが500以上ある。そこらへんの牧師やシスターが、裸足で逃げ出すほどの人徳の高さと言えよう。
15歳の時点では、気立ての良さとモラルの高さは、すでに人類の限界を越えている。
このとき、娘の将来を、ちらりと考えた。
鉱山や大工の仕事をやらなかったせいか、アイナはスタミナ値が低く、仕事が続くと辛そうだった。
体力がなくなったら、気力で乗り切れ!
プロボクサーに言うようなアドバイスを、12歳の娘に言う。
ゆうにスタミナの倍はあるストレスをためながら、ぶったおれもしないで賢明に働くアイナである。発情期のバッファロー並みのスタミナと、ゴリラ並みの胸囲を持っていたカチュアよりも、もしかしたら根性があるのかも知れない。闇のスーツ(豪奢で妖艶)とウサギのスーツ(バニーガールのコスチューム)を買うためだ、などと呟きながら、12歳の娘を、馬車馬以上に働かせる。なにせこちらは僧侶なので、養育費など知れたものだ。服は娘の収入で買うしかないのである。昆虫のような羽根で、ちょろちょろ飛び回っている、お目付役の妖精「ウズ」(変な名前だ)も、ひもで縛って働かせたいくらいだ。
体力が限界を超えていて、気力は充実しているとき、人間はいろいろなことをやる。
とにかく寝てしまうのだ。まあ、このことは、いつか別の日に日記で書こう。
そうして貯めたお金で、ついに闇のスーツを買う。黒っぽい紫を基調にした、プリメの世界ではかなり高価なスーツで、バニー服の三倍は値が張る。娘が「うわあ、前から欲しかったんだ」と、およそ12歳とも思えないことを言う。
ぐえっへっへっへっへと呟きながら、さっそく着替えをさせる。娘はまだ12歳だ。アンバランスな魅力を堪能しようとしたとき、ウズが「お嬢様にはまだ、その服は早すぎます」などと進言し、コマンドが実行できない。うるせえ佃煮にするぞこの虫野郎とウズを脅して実行させるコマンドがないか真剣に探す。
服代の負担が生活を圧迫してきたので、不眠不休で働かせていたら、アイナは病気になってしまった。当然といえば当然である。
とつぜん弱々しくなってしまったビジュアルに慌てる。家のベッドで苦しそうにむせている娘を見ながら、なぜ、「タオルをかえる」「汗をふく」「徹夜で看病する」「着替えをさせる」等の看病コマンドがないのかと、自分の仕打ちを棚上げして、ゲーム制作元のガイナックスに怒る。
全財産が227Gしかないときに、したこともない「買い物」をして、七面鳥の丸焼き(120G)を丸二匹(240G)も食べさせ、回復させる。そのまま-13Gの赤字に突入し、僧侶の職業特権「人徳」で200Gまでは借金ができると聞いて、追い打ちをかけるように、200Gの花束を買おうとし、止められた。
危なく破産するところだったが、病気は完全に治った。
いつものことだが、また急降下で貧乏になってしまった。
「たとえ貧乏でも、優しいお父さんが好き」
といってくれる娘に、眉毛が下がりっぱなしの父である。
だがそうこうするうちに、娘は「貧乏性」になってしまった。とにかくお金のことばかり考え、お金に執着するようになっている。挨拶もそっけなく「おはよー・・・」である。心が痛む。買い物をするときに、酷い値切り方をしたりしたのだろう。およそ僧侶の娘らしからぬと、貧乏性が街でも評判になった。
この事実をして「ああ、私の娘なんだなあ」と実感する。どういうことかは、いつか別の日に日記に書こう。
娘は、傘張りの内職をはじめていた。どこから探してくるのだろう。傘の骨にぺたぺたと糊を塗って、紙を貼っている。
たまに大工などやらせると「大工さんはいいねえ。なんたってお給料がイイ!」と大喜びで出かけていくので、ちょっとビクビクする。
結局こんどのプリメでは、通算で四回も貧乏性になった。
前回でもそうだったが、このゲームへの不満は、コマンドの不自由さだ。
たとえば家庭教師のアルバイトを始めるときなど「ほんとに勉強わかるの? 」ときいてくるド糞生意気な良家の御子息・御息女に世間の厳しさを教えるべく金属のものさしでひっぱたき、解雇されるという小気味良いコマンドはないのか、とゲーム画面を探してしまう。
学校では、またしてもラブレターをよこしてくる不埒な学生がでた。
「父親みずから学校に乗り込み「うちの娘にちょっかいを出したら、首の骨をへし折るぞ」と脅す。ないし実行する」などのコマンドが何故無いのかと、真剣に思う。アイナは学校が好きだった。「わたし、もっと勉強したいな。」というのを、父親として手放しで大喜びする。
そのわりに、この娘は学校のテストで「7点」という点数を取ってきたこともある。「大丈夫だ。お父さんなんて物理で0点取ったことが二回もあるぞ」
というコマンドがないのを残念に思った。
娘を、どんな職業に育てるか、ということは、考えなかった。
ただ、いい子に育てば、どんな道を見つけてもやっていけると思った。そんな矢先、アイナが、街でナンパされる。
だが、うちの娘は、歯牙にもかけない。
「デートのお誘いでしょ? 」とそっけなく断る。
さすがである。しかしこれは、王宮からのお誘いだった。メイドとして働かないか、とのことである。
このとき、はじめて父は「プリンセスになりたい」という娘の夢を思い出した。
せっかくなので、一番イイ服を着せて、王宮へ送り出そう。アルバイトの初日、そんなわけでバニーガールのコスプレで王宮に向かわせる。
父親としての不安と嫉妬が、そうさせたのだろう。娘の願いと、父のわがままが、そのとき激しく葛藤していた。
なんせ娘は王子様と会うようになるのだ。プリンセスになることを夢見ている娘が。あらためて娘を見つめる。まだちいさいと思っていた娘は、いつのまにか美しく成長していた。
16歳の、冬の出来事だった。
毎年春に養育費を入金すると、宇宙人みたいな、あからさまに怪しい中国人行商が訪ねてくる。彼から怪しげな薬を買えるだけ購入し、体が腐るまでドーピングすることで、知力値や、気品値、一時はミトコンドリア並みにまで墜ちたプライド値の回復に当てる。
王宮へ嫁ぐことになるのは、父としては寂しいが、それでも娘の夢なのだ。支えてあげたい。王宮でがんばっている娘に豪華なドレスを買う。真っ赤な、とても高いドレスだ。
「似合うかしら? ちょっとてれくさいわ」
まるで花が咲いたようだった。
言葉がなかった。連日王宮で働く娘が、ある日「自由時間がほしい」とおねだりしてきた。
終わりの日まで、もう、あまり時間はない。もしプリンセスになったら、これからは王宮での窮屈な暮らしばかりになるかも。
そう考えて自由時間をゆるす。
娘は王子との結婚を夢に見、出身がどうこうと心配することもあった。大丈夫だと娘をなぐさめ、元気づける。
複雑な心情だった。最後の誕生日、最初の誕生日に買ったものと同じぬいぐるみをプレゼントする。
「ありがとうお父さん」
「大切にするからね」
言葉が胸に刺さる。「アイナとあなたの夢のような8年間が過ぎていった・・・」
ゲーム時間は終わった。あとは最後のコマンドが残されているだけだ。
「アイナの旅立ちを見守る」
「まだ、このままで」
身を斬られるような選択肢である。
まっぷたつに引き裂く苦痛に、心が凄まじくきしんだ。たとえ、プリンセスになっても、王子様と結婚しても、この家を出ていくことになっても、しかたがないよ。
これは、仕方ないんだ。
女の子を育てると決めたときから、こうなることは分かっていた。
でも、行くなとは言えない。
父親なのに。行くなとは言えないんだよ。
女の子を育てたんだから。
女の子を育てたんだから、仕方ないんだよ。私は実行ボタンを押した。
娘は教師になった。
意外に平凡だったので、拍子抜けする。
勝手な話だが、そうなると、プリンセスにさせてあげられなかったことを、悔やむ気持ちもないではない。
王宮で働いているときに、何度も王子に声をかけられていたので、てっきりプリンセスになるものだと思っていた。
教師というのも悪くない。幸せになってほしいと、遠くから願う。
人の心をたのしくさせる才能が、この娘にはあるのだ。それは間違いない。
きっと、いい先生になるだろう。そして私は、
いい絵が、描けそうな気がしていた。
■990608tue井上喜久子さんのCDを聞く。
ラジオのように、トークを中心にしたCDだ。そのなかで、ゲストに久川綾さんが来ていた。久川さんは、井上喜久子さんがベルダンディの声をあてていたときに、スクルドの声を演っていた人である。セーラームーン(懐かしいなあ)ではセーラーマーキュリー、というか水野亜美役をやっていた。ファンもかなり多い。この人もラジオでトークとかやっている。
この人は、井上喜久子さんが
「「井上喜久子、16才です♪」とか言うのって、恥ずかしいんだけど、言ったら笑ってもらえるかなって、思ってやってるの。」と話したとき、いきなり、「わたしもさあ、自分のウンコ踏んだことがあるんだ。」
と話しだした。
「28にもなってー。そのときも凄い落ち込んだんだけど、でもそれを一生はずかしい暗い過去にしちゃうよりは、わたしふんじゃったーってネタにして笑ってもらったほうが、わたしは幸せって思うの。」
久川綾。
いろんな意味で、もの凄い人である。
「いやー、綾ちゃん、いいひとねー」と、井上喜久子さんも感動している。
プロデューサーが頭を抱えているのが、目に浮かんだ。
■990607mon
6/6・06:00 >モデム、パソコンの設定等完了。ネットへの接続も可能になり、安心して休む。
6/6・22:00 >日記、「夏への扉」の解説部分、記録などの、更新用コンテンツ完成。
6/6・23:30 >ネットへ接続、FTPでアップする。
6/6・23:33 >アップしたコンテンツの文字化けを発見。
6/6・23:34 >文字化けの原因追及を開始
6/7・02:30 >断念
6/7・02:42 >申し訳なく思いつつも就寝
6/7・08:12 >起床に失敗
6/7・09:20 >遅刻にて出勤以上、文字化けと遅刻の顛末である。
6月6日午後11時30分から、翌日同時刻までに、夜想曲を見に来た方は、戸惑ったと思う。
夜想曲のエントランス他、その日に更新したページが、文字化けにより、変わり果てた姿になってしまっていたのだ。まるで犬神助清である。表示を日本語自動判別にしても、ビクともしないので、やきもきした方もいただろう。「モデムが応答しない」というエラーへの対処として、モデムの初期化という方法があるが、勢い余ってパソコンの方も初期化してしまい、その修正の際、FTPソフトの再設定を忘れていたのが、文字化けの原因だった。
現在は、設定も、ほぼもとどおりになった。これで安心して日記が更新できそうだ。これが一番うれしい。
■990606holy
人と会う約束をしていたが、ダメになったので、腹いせにカラオケに行く。
ひとりで入るカラオケボックスは、空しい上に、なんとなく恥ずかしい。だが、せっかくなので、練習を兼ねて色々な歌を唄う。
「ぅ若い命が、真っ赤にもえーてーっ」
例によってアニソンである。
好きだが歌いにくかったゲッターロボを、ついにモノにする。マジンガーZも、また一段と「歌える」ようになった。ガオガイガーは、まだ難しかったが、いつかマスターしたい。ついでに、カラオケでの歌い方を研究する。ソファや、ステージでの立ち位置、マイクの向きなど試した結果、
「立ったままで、ミラーに自分の美しい姿(一部フィクション)を写しながら、拳を固めて、こめかみに血管浮かしながら歌う」のが、もっとも良い声が出せることを発見した。とてもではないが人には見せられない表情なので、まだまだ研究の余地はあるようだ。
■990605sat
長い間、日記が更新されなかった。
決してカレーにあたって、生死の境をさまよったとか、無実の罪で刑務所に拘留されたわけではないので、安心していただきたい。突然、モデムがおかしくなり、ネットに接続できなかったのだ。
仕事が忙しかったこともあり、原因の追及と設定の修復が、なかなか進まなかった。 毎日、日記を見にきている方々には、本当に申し訳ないことをしたと思う。原因に関しては、むかし飼っていて、死なせてしまったハムスターの呪いという説が、現在もっとも有力である。ていうか他に見あたらない。
日記を更新できないことが、自分自身けっこう辛く、すでに中毒になっていることを感じた。
■990604fri
いつか日記にも書いた、ベルダンディの絵を描きあげる。
「ああっ 女神さまっ」のビデオを、テープが裏返るまで見ようかと思っていたが、やめた。井上喜久子さんの声のベルダンディと、原作でのベルダンディは、人格として違う存在に思えるのだ。
どちらも素晴らしいが、今回は原作の方が近い雰囲気だと思ったので、ビデオはいっさい見なかった。それにしても、自分で描いたベルダンディに惚れ惚れする。
この日は、友人から、ちょっと重たい人生相談を受け、正味三時間弱ほど話を聞いて疲弊したあとだったこともあり、ふとみた、高精密プリントずみのベルダンディーに、癒されるような感動を覚えた。そうそう「一発太郎」という、各種検索エンジンに一発でHPの登録ができるサイトがある。
ここを利用して、昔のURL のままだった夜想曲を、現在のURL に登録し直した。
さらにCG関係の検索エンジンにも、登録したのだが、内容紹介で女神さまのことにも触れたので、この絵は早くアップしなければならない。いまのところ、わりと良い仕上がりになっているので、まずは安心だ。
■990603thu「世界中の誰もかもが、偉いやつに思えてきて、まるで自分一人だけが、いらないような気がするとき」
むかし中島みゆきが、そんな歌を唄っていた。
だれしも、ときには、そうなることがある。そんなときにお薦めなのが、刑務所だ。
警察所内の拘留所でも悪くない。刑務所はいい。
ここにはいると、およそ一晩で
「自分はなんて立派で、純粋で、善良で、平和的で、誇り高い、素晴らしい人間なのだろう」
と心の底から思い知ること請け合いだ。
たまに入ってみるといい。
自分の社会的な位置も、よくわかる。
■990601tue〜990602wed (二日分)カレーを食べた。
御存知と思うが、カレーは日が経つと美味くなる。大鍋に作ったカレーに、毎日火を通して食べていくと、微塵切りにしたタマネギやジャガイモが、だんだんルーに溶け込んでいき、三日目あたりで最高に旨くなるのだ。
ところが、我が家の大鍋では、せいぜい10食分の容量がやっとなので、普通は三日も持たない。
しかし本日、四日目にして、いまだカレーが残っている。
兄が外食したせいだろう。鍋に残るそれは、完全なゲル化をはたした、カレーの最終的な形態だ。美しさすら感じる。ところが、いざ輝く白飯にかけようとした瞬間、微妙な異臭が鼻についた。おたまを持つ手と、鼻歌が止まる。
落ち着いて考えてみよう。
昨日は、兄も食べなかったが、私も食べなかった。カレーには、最近火の入った形跡もない。そして、昨日は30度近い真夏日だった。
鍋に薄くへばりついたカレーは、そう考えてみると、心なしかデンジャラスな香りを湛えているようにみえる。
私は、夜空を見上げた。
無限に広がる大宇宙。
この広大な世界の中で、人間の一生など、どれほどのものだろう。
そんな人生、危険を避けて安全な道を選んだところで、たかだか100年ではないか・・・。わたしは、あえて危険を恐れず、邁進する道を選ぼう。
そう、恐怖に立ち向かう、誇り高き人間として。
カレーは、入れてもいないチーズの味がした。
「腐りかけがいちばん旨い」
この仮説は果たして真実だろうか。
私は、あくなき探求のために、この実験を敢行した。
トイレから10メートルと離れられず、貴重な休日を半分近く棒に振ったというのが、実験の結果だ。「腐りかけ」なのか「完全腐敗」なのか、食欲に目がくらむと、人間は判断がつかなくなる。
これも貴重な研究の結果である。