夏の扉

calm summer

(990606holy)





そのひとの、やわ肌に。

そのひとの、豊かな髪に。

そのひとの、くちびるに。

そのひとの、ささやきに。

想いを、馳せていればいい。

それだけでいい。

私たちはこのひとを愛している。

だが、いまはそれだけでいい。

「ああっ女神さまっ」の14巻「ほうきの願い」は、けっこう身につまされる話である。
愛してはいけない人、成就し得ない愛にとらわれた人は、狂気に走るか、こうやって納得するしかない。

自分の愛情が暴走する前に「いちファン」として、納得するしかないのだ。
その人を奪うことが、その人を不幸にするならば、我々は、遠くから愛することしかできない。
空想上の人物や、アイドルを好きになってしまったときも、そうだ。
我々は遠くから「俺の嫁さんになってくれーっ(笑)」と冗談めかして叫ぶしかない。


女神考

「きれいな歌声、美しい顔だち、整ったプロポーション、おまけに誠実で、優しい」

15巻で千尋さんは、ベルダンディーのことを、こう言う。「完璧ね」「完璧すぎる」と。

よく、こんな人は現実にはいない、と漫画を指さして言われることがある。
男性が描く女性キャラクターというのは、しょせん想像か観察の産物といえる。
男性の、一方的な理想や妄想が作り上げたものに過ぎず「実際の女性は、こんなふうに感じないし、考えない」と糾弾されることもしばしばだ。
女神という立場上、ベルダンディも、ともすればそれに分類されてしまうこともあるだろう。
女神としての特殊能力を除いたとしても、人格者として、こういう人が実在するかどうかは、難しい話だと思う。

だが、実際の女性のこまやかさ、美しさ、慰労と感動を与えてくれる優しさ、など、多くの女性の持つ、素晴らしい美点が、漫画として表現された集合体が、ベルダンディの位置だと思う。
わざわざ書くこともないことだが。

ちなみに、同じことが、女性の描く男性にも言える。
こんな男がいるものかと、男性としては思わざるをえないようなキャラクターは、たくさんいる。
だが彼らはとても男らしいし、格好いいと思う。
同じ男性として、学ぶところはたくさんあるのだ。
そして、これは女性もまた然りであろうと思うが、どうだろう。


Macintosh Performa 5440(88MB)・Painter4.0・Photodeluxe1.0・WacomArtPad2

藤島康介氏の絵は、よく変わります。目や顔の輪郭が、特に変化に激しく。
現在連載されている、ペイオースを元に戻すエピソードなどでは、ベルダンディの顔が、かなり童顔になっています。個人的には、14〜15巻あたりの、顎の細い顔が好きです。

今回、もっとも苦労したのは、その顔でした。そのまま模写してもいいのですが、あくまで自分のイメージで、かつ原作から外さない形を求めました。顔だけで10回以上描き直しています。こういうときCGというのは、本当にありがたい。

今回の小技は、ノースリーブとカーディガンをレースにしたことです。かぎ針レースのニット風ですか。
まず、ベージュの基本色で服を塗りつぶします。これにフローターを被せ、それを暗い肌色で服を塗りつぶします。その肌色を消しゴムで消していくと、暗い肌色の下に、ベージュの生地色が現れてきます。あとは遠近感などを考えながら、胸の膨らみなどを、線であらわしていけば、出来上がりです。レースのパターンを勉強して、細い消しゴムでやれば、こんなざっくりしたカーディガンでなく、こった模様にできたかもしれませんね。





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