2001.11.14 wed「天野の姉」

母の希望で、稲沢にいる姉に会いに行った。
姉の部屋に上がったのは、ここへの引越を手伝って以来だった。

車を停めて、姉の部屋に上がる。
姉は嬉しいのか、よく喋った。(以下、関(せき)弁と口語は、すべて標準文語などに、
意図的に誤訳しました。原文は推して知るべし)

「はい、お茶いれてあげたから、ひどく感謝するように。これは全部100円均一で買ったカップです。トレーもです。経済観念にすぐれた私の買い物上手ぶりに、よくよく感心するように。眼鏡を外したとき、いつもどこに置いたか忘れてしまうというので購入したこの眼鏡入れも100円でした。使ってないように見えるのは完璧に気のせいです。あら、こんなところにゴージャスにも松茸が! すごいね、玄関先に松茸を飾るなんてお金持ちだね! ・・・なぜティッシュで作って色ぬって火にあぶったフェイクだとわかりましたか。私の弟はエスパーですか。玄関に松茸を飾るのは変ですか、そうですか、そう思いますか。それ以前に私が松茸を買えるわけがないとはどういう意味ですか。ではプリンのカップを再利用してポプリを育てている慈愛に満ちた観葉植物栽培を美しいと褒め称えなさい。ついでに私の美貌も褒めなさい。褒めませんか。そうですか。眼の悪い人は眼科に行きなさい」

姉は学校の先生である。
最近はさすがに、パソコンが使えなくては仕事にならない時勢らしく、姉も先日ノートパソコンを買った。プリンターなど込みで18万円。ちなみにウインドウズXPである。それまで姉が使っていたのはワープロだった。

「そのワープロで作られたスケジュール表がこれです。どうです。とても計画的です。実行できたスケジュールには赤線を引きます。もう予定がビッシリでお姉ちゃんは忙しいです。ねぎらいなさい。ところで弟よ、今日の欄を見なさい。弟・映画に行くと書いてありますね。あんた映画にいきなさい。命令です。従え。ていうかすでに決定です。おごり? 気は確かか。あんたのお金で、あんたが映画に行く。これ決定。いいから従え。そのときこのカードにスタンプをもらってくること。これで欄が満ちて一回分サービスになるから、ほらここを見なさい。「来週『冷静と情熱の間』を見に行く」と書いてあるね。すでに姉はこういう予定になってるから。さあ行きなさい。見たい映画がなくても行きなさい。自腹を切って、見たくもない映画を、私がただで映画をみるというそのためだけに」

部屋中癒し系グッズとそれっぽい本、そして観葉植物がたくさんある部屋を後にし、姉の運転で昼食をとりに出た。

「この道路沿いの街路樹がとても綺麗です。『ポプラかねえ』お母ちゃんポプラは赤くなりません、これはクスノキです。『姉よどうみてもカエデだぞこれは』そうそう、私の友達で松井秀樹によく似た女の子がいます。そしてそのおばさんは西条秀樹に似てます。いまは笑うところです。笑え。また話は変わりますけどタイタニックの五万倍は泣ける映画があるので弟はこれを見るように。そういえばわたし自閉症かもしれません。弟よ何を笑うか。このあいだテレビでレインマンを見たのですが私もどうでも良いことをいつまでも憶えているから自閉症なのかも。どうしよう心配ですわ。日本中の自閉症の人に謝れとはどういう意味か弟よ」

急発進と急ブレーキで構成される姉の運転技術が遺憾なく発揮されて、車はショッピングセンターについた。ここの回転寿司は安くて美味いという評判だ。

「回転寿司は誰が考えたのかしら足の裏が見てみたいです。あんたそんな高い皿ばっかりたべては不許可ですよ。この物資欠乏のおり、そんなぜいたくをしていては帝国の勝利はないですよ。『うるせえ回転する寿司屋にはいるのは生まれて二回目なんだよ』、とはどういう意味がわかりません。『遊びに金をケチってどうするこういうとき気兼ねなく遊べるように日々節約してるんだ』、ですって? ダメですわ、お母ちゃんなんか言ってあげて。『680円のトロおねがい』お母ちゃんダメ。こっちの110円のタマゴにしましょう。『ええわお母ちゃんおごってあげるから』? あら、そう? じゃあエビフライ寿司ください」

食事が終わったので、ブラブラと店を見て回る。姉はパソコンショップへ入っていった。

「ノートパソコンを入れるカバンが必要ですが良いデザインがありません。あっても高価。安いのはちょっとぶつけたら中のパソコンが壊れそうです。なに?『わしのリュックは、ノートパソコンを保護するシェルつきだ』? 弟よそれを姉にゆずると良いことがあるにちがいない。『いくらで買い取るか』? 『すごく思い出の詰まった大切なカバンで20000円もした』? よろしい、2000円で売りなさい。いたい。弟よ、姉を蹴ってはいけません。姉に向かって『死ね』とは何事ですか。三発もローキックはいけません。お姉ちゃんの美脚は国の御宝ですよ」

その後、母と姉は、韓国式マッサージの健康ランドへ、私は見たい映画もなかったし、あっても友人と行きたいので映画館には寄らず、本屋で時間を潰した。

姉は、よくしゃべる。最近はいつもこんな感じなのだろうかと思って後で聞いてみたら、今日は出力120%くらいらしい。

色々聞いてみたら、それは仕事の反動だった。

姉が先生として勤めているのは、某名門小学校である。
大病院の息子とかが、市立小学校の校区を越えて登校してくるような名門だそうだ。
そのため、
小学一年生が、都市部の地下鉄を乗り継いで登校するそうである。朝は早くから出発し、学校が終われば塾に通い、家に帰るのは10時を回るそうだ。
小学一年生が、家には寝に帰るだけという生活をしているのである。

彼らは、学年が進んで部活をやりたいと思っても、塾のせいで参加することができない。このストレスが小学生のうちから蓄積される。
だから子供たちはイライラする。
学級崩壊、暴力事件などがおきる。授業や集会に全然集中しない。校長先生の話などもぜんぜん聞かず話してばかりらしい。
だが、わたしは話しを聞く限り、それも当たり前だと思う。

子供が先生にしゃべる。
それは無邪気さや興味というより、ストレス発散のために。

姉はそれを聞いて受け止め、ほめて励ますのが仕事だったのだ。

姉が、
どこで息継ぎしているんだろうと思うくらい喋るのも、無理からぬ事だと思った。ストレスのかかった40人の子供の話を受け止め続ける日々なのだ。
いま仕事が無くて、社会のプレッシャーとは無縁のわたしが、姉の話を聞くべきだろう。

そんなことを考えながら、母と姉に合流し、姉の部屋に戻った。
姉はずっと話している。ちゃんと話を聞いてあげようと思った。

「この花束をよくみなさい。お金のないお姉ちゃんが前日の晩飯をおかゆにしてまで捻出した300円で花屋にこしらえてもらった花束です。美しいです。それ以上に、こうやってもてなそうという姉の暖かい心遣いが美しいです。泣きなさい。泣いた? じゃあ次。この観葉植物を見れ。100円均一で買ってきたコップに半透明の包装紙を巻いて輪ゴムでとめたものに、ポプリが活けてあります。すばらしいセンスです。お金を払ってでも見るべき芸術です。よく鑑賞しなさい。いつまでも見てるんじゃありません。『どっちじゃ!』、とはどういう意味ですか。小さいことを気にしない。次。これは、花束を作らせた花屋で、ただでもらってきた瀕死のポインセチアです。あなたがたへの愛のこもったおみやげです。もって帰ってかならず育てなさい。花屋がくれたけど姉の部屋にはいらないので持って行きなさい。『ゴミじゃねえか!』、とはどういう意味ですか。ゴミではありません。弟は姉の善意をなんだと思ってますか。いいから従え。葉っぱの裏にはビッシリと虫がついてますが気にしないで抱いて持って行きなさい。こら、いけません。お姉ちゃんのラブリーな部屋でポインセチアを故意に振り回してはいけません。半腐れの葉っぱから虫が、虫がーっ!」




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2001.11.13 tue「1988年のある高校生の問題意識」

「望郷のバラッド」は高校三年・受験の夏という、かなり破天荒な時期に書いたもので、結局、全国高校生文芸コンクールで入選した作品だった。

これを書いた1988年頃というのは、米ソの緊張が高まり(そのピークは1985年だったと思うが)いつ核ミサイルのボタンが押されるかわからず、
一瞬で世界が滅ぶ可能性がある時代だった。

そのころから、戦争、核兵器、自然環境の破壊などに意識があり、これらに対し、ものすごく憤っていたものである。

人類が絶滅に追い込んでいる絶滅危惧種の実態、ベトナム戦争での枯葉剤事例などを調べたのがきっかけで、人間は、なんという残虐な生き物なのだろう、と思った。

その線から、人類の残虐行為を調べだしたが(やな高校生だな)、あまりにたくさんあるので、ウンザリした憶えがある。

イギリス人のタスマニア土人絶滅(スポーツと称して、逃げる土人をジープで追い回して射殺し、毒の食料をまいて抹殺した史実)、ブラジルでの農園主(白人)によるインディオの虐殺(農園主は朝飯前の道楽として、木にくくりつけたインディオの肉体を、車を使って引き裂いて遊んだ。なぶり殺しにされたインディオは600万人に及んだ)あたりは、
実に調べ甲斐があった。

そして、出会ったのが「望郷のバラッド」で書いたマーシャル諸島での核実験の事実である。
正義感だろうか、ドラマになると踏んだからだろうか、私はこれを小説風にして、コンクールに応募した。

高校時代に抱いていた、人類への絶望と、それでも信じたいという希望のせめぎ合いが、作品にあらわれている。



最初にルーズリーフに書いた草稿は、原稿用紙に換算すると規定枚数(400字詰めで30枚)を大幅に越えてしまったので、削って文意の通る節は全てカットし、縮めに縮めた記憶がある。

一文に合成できる文章は、可能な限り合一した。そのせいで一文が恐ろしく長い。
本来の島名を「R島」とか「I島」にすることで、字数を節約したが、外郭が事実とはいえ物語部分はフィクションなのでその逃げ道でもある。登場人物も、さまざまな実在の人物のエピソードの合成で、本人にでも読まれたら訴えられそうだ。人物が英語圏の名前なのは、単に資料がなかったためである。

手元の原稿は、当時の草稿に朱を入れたもので、できるだけ投函時に近い状態で再現している。いまならこうなおす、という文章も、そのまま書いた。タイピングしながら、
もうなおしたくて仕方がなかったが。

13年前の文芸コンクール、そして高校生が書く文章のレベルが知れる作品である。
何かの参考になれば幸いだ。


核戦争の切迫した危機感が去り、冷戦を経て、中東問題がまとまりそうな兆しを見せたころに起こったテロ事件。核実験のことを調べながら怒りにまかせて冷蔵庫を殴ったりして(手首を捻挫しました)から13年たつが、まだ、平和は遠いのだろうか。



「望郷のバラッド」は、第一稿で怒りや憤りにまかせて書きなぐった部分を、あえて冷静な表現に推敲した。
そのため、訂正したり削除した文章がたくさんある。草稿に一説が残っていたので最後に書いておこう。
私が
いかに感情的になっていたかが、よくわかると思う。



(原案の草稿より)

たとえば宇宙人が地球侵略に来て

「我々には、この星の、人類はおろかあらゆる生物を、一瞬にして消滅させられる強力な爆弾がある! おまえたち人類が何千年とかけて築いてきた文明も、この星の美しい生態系も、なにもかも滅ぼし、この星を腐ったゴミにしてしまえる超兵器がな! さあ、おそろしければこの星を明け渡し、降伏するがいい!」

と脅かしても、我々はそんな脅迫には決して屈しないだろう。そして人類全体で声高らかにこう叫ぶのだ。

「そんなもん、こちとら自前で準備ずみだ!」

宇宙人は戦う気力を失って、帰っていくかも知れない。



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2001.11.11 holy「望郷のバラッド」






第三回全国高等学校文芸コンクール応募作品

「望郷のバラッド」(1988年)



 1



 もし再びこの島で、皆が幸せに暮らす時がきたら……。


低緯度地方特有の、突き刺さるような陽光の下、鮮やかなエメラルド・グリーンの海が、おだやかに凪いでいる。
サンゴと貝殻が砕けてできた石灰質の白い砂浜は、深緑の、ツタをからませあう木々が群集する森をふちどるように、視界の向こうへと続いていた。
濃い藍色の空へのびたヤシの木の、硬質な葉の隙間から、強烈な太陽光がさしこむ。


 元気だった私を思いだしてください……。


南の島の中央付近にそびえる、黒い玄武岩の山肌を見せる積層型らしい火山の中腹から、南の海に沈んでも、海のあざやかなエメラルドにのみこまれるまで透き通って見える遠浅の砂浜が一望できた。
静かに立つ波の音が、遠くから聞こえてくる。
岩礁や、小島らしいものが近海にいくつも見えた。遠くにも、島が連なっている。






枯れ、しなびたヤシの木が、天に向けてそのか細い幹をのばしていた。若々しい生命力を象徴するような張りを持つ蒼色の葉は、すっかりしおれてしまい、白く褪色している。このI島に残るヤシは、どれも一様に枯れていた。

完全に水分の抜けてしまったヘチマさながら、ティッシュペーパーのように乾ききった幹が、一軒の、経年劣化で色あせたコンクリート壁の家の近くに生えていた。その家の中に、窓の内側に垂らしたカーテンの隙間から、傾き出した太陽の光が照り込んでいる。


慣れている強い日の光が、まぶたごしに眼窩のそこを灼きつける刺激に、意識をとりもどした聴覚が、次いで子供たちの歓声をききとる。老人・ジョンは目を覚ました。

自分の部屋にいることが、おぼろげにわかってくると、今度は体を動かしたくなる。椅子に座っての無理な姿勢で眠ってしまったため、思うように筋肉が伸縮せず、動かそうとする関節に何かがつまっているようなもどかしさを感じた。両腕を頭上にひっぱりあげて体を伸ばし、そして弱くなった足腰に力を込めて、老人は前かがみになって立ちあがった。

オーバーサイズの白い服地のシャツとズボンは、浅黒い老人の肌色に対比されて鮮明にうつる。衣類を含めて、椅子も、机も、キッチンも、戸棚も、この部屋にある家具は全て、米国の中流家庭あたりで使われるような、原色の「製品」であった。決して南国の、粗い手作りの家具はおかれていない。

老人は窓まで歩み寄り、半開きになっていたカーテンをはぐようにして両側に払った。まどの外で「あのころ」と変わらないのは、太陽だけである。

厳しい表情で、藍から朱へと変わりつつある空を見あげる。眼はどろんと濁っていたが、かすかに瞳の奥に燃える燐火のような光が、若いころの彼の溌剌とした生き様を映していた。
その精悍な顔の皮膚は、黒い墨が落ちきらないで薄く残っているように、小麦色ではない黒色である。そしてそれは、決して自然の天候下では成らない、魔物の息を吹きつけられたような、毒々しい色であった。


白くペイントされた木のドアが、ゆっくりと、甲高い摩擦音を発して開かれ、老人は家から、緩慢な動作で歩み出た。歓声をあげながら背の低い子供たちが、家の前の砂地を、2、3人で走りすぎていく。一瞬立ち止まってから、老人は気をとりなおして、コンクリートの歩道の上を歩き出した。

ゆっくりと、心なし背を伸ばしながら歩く老人の後方から、ディーゼルエンジンの音が聞こえてくる。自分の歩速よりもそれが速いと感じる頃、次第に明確になった機械音源が、老人の横を走り抜けた。青く塗られたトラックが、わずかに積み荷をゆらしながら、煙を残して走り去る。ガソリンが悪いのか、排気煙は非常に濃い。老人は咳きこみ、歩調を乱しながらも、歩き続けた。

小さな砂浜があった。コンクリートの歩道にコの字型にかこまれた、ちいさな砂浜である。老人は、一段高い歩道の上から、浅い海ではしゃいでいる子供たちを眺めながら歩いた。

砂浜には、ポリ袋や紙カップ、こまごまとしたゴミ、そして、投棄されたそれらのゴミのほとんどをしめる、5ダースや6ダースでは比較にならない、大量のバドワイザーの、変形した空カン群で、醜怪な汀(みぎわ)が形成されていた。


ゴツゴツとした岩の感触が心地良い海岸へ、老人は来た。すっかり落ちついてきた太陽が、どこか懐かしさを感じさせる朱色の光を放ち、海と陸のものをその光に染める。

岩場に立つと、老人は釣りをはじめた。毎日の習慣である。おもりを少し垂らし、振り子のように腕全体で反動をつけて、その重りを力強く放る。投げた重りに、巻きぐせのついたナイロンの釣り糸がらせんを描いてついていく。赤く照らし出された岩の上に、老人はゆるゆると腰をおろした。

糸を巻きつけた、リールがわりのバドワイザーの空カンを手もとにおいて、老人は、夕日が乱反射してきらめく海の面に眼を向けた。

その暗色の瞳には、懐古と悲哀の色が、混在していた。






猫のような奇声をあげて、純白の大きな翼を展開させた海鳥が、天高く、際限なく上昇していく。鳥たちが旋回をくりかえす空の下、幾数もの島が、小さく顔を出していた。海の色は、淡い。

M諸島に点在する島々の中では、特に際立った所もない小さな円形の島・R島は、それでもわずかな住民によって親愛されていた。

島の、深い緑の森の中央からは、煙突状の死火山が突出しており、その山腹にはこんこんと冷たい泉が湧き出し、ヤシをはじめとする様々な植物や花々が、島全体に、豊富に生えていた。

全てが鮮麗な色彩にいろどられ、限りなく優しい、植物の持つ、惜しみなく愛を与えるという優しい感覚が、その島にはあった。神の微笑を受けるに値する美島である。

高低差の激しい木々が生い茂る密林を、ガサガサと鳴らしながら笑い声があがった。木の陰から被さるように生えている枝葉をおしのけ、小麦色の肌をした魁偉な青年が、半身をのり出し、額の汗をふく。密林から足を踏み出して、男は後からついてくる女に手を差し出し、ひっぱりあげた。女の方は、すっかり息を切らしてぐったりしているが、それでも眩しいほどの優しい瞳に、笑みを浮かべている。色は陽に灼けて黒いが、眼鼻立ちの整った小柄な若い娘だった。

男の顔立ちからは、その情熱と明るさが、女の微笑からは心根の優しさが思いなされる。

柔和な体を男に支えてもらいながら、森を抜けて開けた視界に、女は嘆息した。

すぐ足もとには深緑の森林、それが切れた縁からは白砂の浜が広がり、透明な海水をへだてても、遠浅の砂浜はずっとひろがっている。

女は海風に吹かれながら、幸せそうに眼を細めた。

女はその名をエリーといい、男の名はジョンといった。


よく使いこまれ、あちこちの木肌がささくれ立った手製のカヌーが、幾艘も海へ出る。筋骨のがっしりとした海の男たちは、漁へ向かう精力の横溢感に満たされ、今日も大海へカヌーを押し出す。海と木々の、美しい恩恵のおかげで、島の民は幸福に暮らした。

子供が産まれた。激しく泣く生命を、満面に笑みをたたえたジョンが抱きあげて、大任をはたしたエリーに見せる。エリーは少しやつれた顔で、至高の微笑みをうかべた。

R島の碧い海と空、そして緑の木々に囲まれて、島の人々は、自分たちがその中にとけこんでいくような、幸福を感じている。幸せな日々は、何千年もの昔から延々つづく。


濃い藍色だった空が、ゆっくりと焼けてゆく。群青の空が天頂にかぶさり、夕日は鮮やかな光彩を放ちだした。夕景の海を、強烈な赤が染めあげる。

ジョンとエリーは、粗い砂の上に身を寄せてうずくまり、役を終えた日輪車に顔を向けていた。

この場を満たしている愛情に満ちた沈黙は、太陽が完全に没してからも、恒久的に続くように思われた。

事実、二人は幸せであった。


沈んでなお余光の残る、淡い色彩の空には、白く波が凪ぐ音以外、何もきこえない。昼間とはかわって、しとやかなきらめきを見せる海面は、はるか水平線の彼方まで広がっている。

その中にぽつんと、小さなカヌーが二艘、浮いていた。星と風を頼りに、遠く島を離れ、魚を追い求める漁師たちだった。広大な夜景にあって、それは極端に小さく見えた。

空は次第に、群青色に染まりつつある。

不意に、航空機の、低く、くぐもったようなプロペラ音が、遠くからきこえた。漁師たちが何気なく顔をあげたその瞬間、夜空の紺色を、強烈な光が真っ白に瞬転させた。

それはさながら光の爆発だった。全世界が太陽に飲み込まれたような、恐ろしい輝きだった。
冷酷な白光の矢は、漁師たちの眼底を貫き、叫ぶ間もあらばこそ、全身の筋肉をきれいに灼尽し、蒸発させた。
猛烈な衝撃波の体あたりが、連続して強力な打撃をあびせた。挽きつぶされるような衝撃に、カヌーは海面を離れ、狂乱した大気によってきりきり舞いしながら木っ端のように吹き飛ばされた。

驚倒したような海水は大きくこそぎあげられ、狂瀾の激烈さで逆巻き、衝撃波のように急速に拡がった。
凄まじい光の球が中空に膨れあがっていた。太陽光の力と魔神の凶々(まがまが)しさを持った光は、すぐさま毒々しい黒煙と化し、なおも低空の大気を吸い込んでいる。、
溶解した天空が狂ったような乱光現象をおこす中、雷光を、膨大な傘の周辺で瞬かせつつ、轟然とした爆音とともに成長をとげていく、とてつもなく巨大な雲は、奇怪なキノコの形をしていた。

R島の浜辺でその光景を見たジョンとエリーは、立ったまま、驚愕と怖れにわななく躯を、必死によせあっていた。
M諸島の島々を照らし出し、巨大な津波を押し出し、そして今、多くの人々の瞳に焼き付いているその圧倒的な光景とは、まちがいなく、水爆の業火の光だった。

ジョンとエリーの間にできた男児ポールが、生後一年目のことであった。


悲劇がはじまったのは、実際、その瞬間からであった。
1954年の水爆実験の時、島におきざりにされて被災したR島民は、一時、別の地域に移され、そして三年半後、島に返された。久々に先祖の眠る島へ帰った島民は、ただそれだけで、幸せだった。しかしそれは、束の間の幸福だった。人々は、島が以前と変わったことを、敏感に感じたのである。

R島の唯一の医師であり、哲学者でもあるマイクは、帰った島で、広範囲で木が枯れ、海鳥が死んでいることを、患者から聞いた。彼の所へ来る患者は「捕った魚を食べると口の中がビリビリする」とか「夕方になると足腰が痛む」といった症状を、一様に訴えていた。

余談であるが、R島民を移送した米政府関係者のR・A・コナード博士は、当時こう報告したそうである。
「この島に人が住むということは、放射能の影響についての、貴重なデータを提供するだろう」

島に帰ってから一年間で、島民には著しい変化が現れた。体内のセシウム137は、一般人の60倍に、ストロンチウムは6倍に増えたのである。そのため島では、流産・死産が増え、また例え産まれても、その多くの子供が、どこかしこに奇形を持っていた。
そして恐ろしい変化が6年後におこった。被曝した人たちの中に、続々と甲状腺異常が見つかったのである。


ジョンは走った。全力で。
息を切らしながら、必死に、哀願するような表情で走った。

9年前に被曝した時、彼の顔と爪は、薄く煤煙がかかったように真っ黒になった。今でもその染みは落ちない。おそらく一生涯、洗われ落ちることはないだろう。
一緒にいたエリーは、他の島民同様、やはり甲状腺異常が出た。米国で三度、手術を受けたが、体調は悪化し、体は衰弱する一方で、ついに喉に異常があらわれた。甲状腺ガンだった。床から起きることもできず、体の随所に疼痛がひそみ、眠ることさえ難儀で、体力は間断なく襲う悪寒で、一方的に減衰していく。二度とこの足で歩くことができないと自覚しながらも、エリーは懸命に、己の体をむしばむ悪魔と闘っていた。

苦しい闘いだった。わずかにも運動していないのに苦息をもらし、自力では排便もできないエリーを、ジョンは必死に看護した。彼の心がつき動かすままに、眠ることも忘れて看病した。それが、もし彼ひとりのことなら、ここまで努力はできなかっただろう。

そしてついに、エリーの容態が急変したのである。
薬を分けてもらいに行っていたジョンは、知らせを聞いて、電撃にうたれたように体を硬直させ、ついで、うめくような声をもらして、つんのめるように走り出した。

ジョンは走った。かつて強健無比を誇ったこの両足の走速が、たとえいくら復活したにせよ、遅々としたものに感じるに違いない。
焦燥に心は過熱し、ジョンは吼え猛ようにエリーの名を呼んだ。


ジョンの家は、島民の手をかりての手造りで、平屋の大きな家だった。ドアがわりに、植物の皮を編んだむしろが、出入り口をすだれのように覆いかくしている。
そのすだれを、かきむしるように払いのけ、そのままの勢いで、ジョンが駆け込んできた。血走り濁る目を見開き、大きく肩で息をしながら、苦しそうに唾を呑み、歩調を緩めて、ゆっくり中央のベッドへ近づく。

ベッドのまわりを囲んでいた島民たちの顔が、全てこちらを向いていることなど感知できないほど、ジョンの意識はエリーに膠着していた。人垣の隙間から見える、仰臥したエリーの顔は、不整な呼吸に微かにおとがいをのけぞらせ、閉じられた瞳の下には、黒い隈がにじんでいた。
ジョンが近づくにつれ、島民が身を引き、道を作る。のしかかるような重い感情に、島民は身を引きつつ、ジョンの家から退出した。

ベッドのわきまで歩み寄ったジョンは、一度大きく息をすって、呼吸を落ちつけ、そしてゆっくりと片膝をついた。顔には、はげしい憂悶の色がしみついている。
ジョンの存在を察知したかのように、かすかに目を開いたエリーは、弱々しく、静穏な微笑をうかべた。
ジョンの手が、エリーの手を取り、二人の目線にからませる。つめたく、しっとりした感触が、ジョンの胸に熱いものを走らせた。

どんよりと曇っていたエリーの瞳に、微かな輝きが甦った。彼女の頬は、げっそりとこけおち、小麦の色によくやけた肌が、にわかに鮮やかさを失っている。

しばらくの沈黙があった。

聡明な澄を見せだしたエリーの瞳と、ジョンのやけつくような焦慮のまなざしは、言葉にもまして雄弁に、心理を語っていた。

エリーは、二、三度口を動かして何かを話そうとしたが、口をつぐんだ。そして少しふるえる声音で、一言だけ言葉をもらした。

「もし再びこの島で、皆が幸せに暮らす時がきたら……。」

哀調をおびた声音は、ほそく、美しかった。

「元気だった私を思いだしてください……。」

ジョンは、無理に微笑みをつくって、それに答えた。
落ち着きを保とうとしていたジョンは、奔流のように押し寄せる激情に、小さな手を握った腕を、こきざみにふるわせた。

なぜだ。なぜなんだ? なぜこいつが死ななきゃならない? 俺達が何をしたというのだ。庇護する力を持てなかった、この俺を責めればいいだろうに!

体内で血が、ぐらぐらと煮立つような感覚と、胸中が心痛にねじまげられる思いに、ジョンは奥歯をかみしめて、ぐったりと頭を垂れた。げっそりとそげおちたエリーの頬に、やすらかとも言える微笑みが浮かんだ。

「私もあなたのことはわすれません。私は、いつでも、あなたの……。」

何と言うつもりだったのだろう。わずかな唇の動きは、すでに声になっていなかった。
弱り切った心臓が、最後の脈をうち、その機能を停止した。
ハッと頭を振りあげたジョンの頭に、一瞬、エリーの言葉がよぎった。

 good-bye

視界には、目を閉じ、石玉のような色を呈して横たわるエリーの頭があった。急速に物質へと変化していくかつての妻を、信じられぬという面もちで、ジョンは見た。つきあげてくる恐ろしい喪失感に、頭を振りまわして、ジョンは叫んだ。悲憤の涙を散らし、胸の張り裂けるような号泣を噴出させた。それは、いつまでも甲高い音を続ける、とめどもない哀しみに満ちた挽歌だった。 



そして悲劇は、ジョンの息子にもふりかかった。被爆当時一才だったポールは、14才になった時、甲状腺異常を告げられた。彼は米国で手術をうけ、一度は父親の前に元気な姿をあらわした。しかし19才の時、白血病と診断され、再び渡米した。

米国へ向かう息子の乗った貨客船を見送った時、ジョンは、氷の指が全身をはいまわるような悪寒を感じた。


ポールのように、10才以下で被曝した子供たちは、十中八九、甲状腺異常が見つかり、島の医師マイクのノートには、甲状腺手術のマークが次々と増えた。

そして甲状腺異常は、核実験の際、被曝していなかった者の中からさえも、出はじめた。

M諸島の、特にビキニ環礁で炸裂した12発の核爆弾によって、実に直径1000キロもの海域が、非居住地と化したことが、証明されたのである。

米軍の白人たちの言うには、この実験は「人類の福祉と平和のために、必要な実験をするから」という理由で、マーシャル・ビキニの島民に了解を得、行われたらしい。
白人たちのいう「人類」に有色人種は含まれているのだろうか。


手術のため、米国に渡っていたポールが、帰ってきた。
しかしジョンが最後にポールに会ったのは、臨床の床だった。
ポールは体のあちこちから血を流し続け、酸素テントの中で死亡した。
灰の色をしたポールの体の傍に、ジョンはがくんと腰くだけに膝をついた。膝から下が、急に消失した様な感覚であった。
茫然自失と、精力が流出してしまったような脱力感に侵され、彼はしばらく、誰とも言葉をかわそうとはしなかった。

1985年、R島民は、島を出る決意をした。
その際、米国関係はまったく手を貸さず、彼らは自力で島を脱出した。
米国からの援助はこなかった。来たものはパンフレットだけであった。


「M諸島の放射能」
アメリカ、エネルギー省は、R島民に、パンフレットを見せて説明した。

「放射能は自然界にもあり、核実験の影響があるといっても、たいした量ではない。また、もし島に暮らしていて身体に障害が出ても、それは実験のせいだとは断定できない」

パンフレットには、そう書いてあった。挿絵は、右手が手首あたりから無い、微笑みをうかべた少年のイラストだった。
ジョンは、それを地に叩きつけた。


もうR島民は、米国の言うことを信じる気になれなかった。
彼らは、彼らの祖先とともに、自然の精霊と、それに司られて、一種の共同体を営む自然界を、こよなく愛していた。自然、彼らにはとくに海は、神であり祖先である。海なしに、彼らは彼らの暮らしも、彼ら自身も考えられなかったろう。それが、海はおろか自然そのものに対してすら無慈悲な、この偽善者を、どうして信じる気になれようか。

彼らは自力で島を脱出した。放射能で汚染された島で、彼らは28年間も暮らした。
多くの、親しい人の眠るR島が、深く、いまだ美しい藍色の海に浮かんでいる。
しかしこれ以上、私たちはここでは暮らせない。
島民はもう、誰もR島を振りかえらなかった。






I島には、すでにサンゴ礁の島々も、あの美しい海も、たわわに実るヤシもない。
R島を追われた人々は、今は米国からの賠償金と食料で、無気力な生活をおくっている。
青いトラックが、ビニールにパックされたパンやビスケットを、定期的に運送し、無償で島民に配った。

この一方的な唯物主義に対して、島民はただ配給を甘受することしかできなかった。
働く苦労もなく、楽に日々を送ることができる。しかし唯物至上主義者の価値観には、魂のそれが排除されていた。
かつてM諸島の男たちは、カヌーでこぎ出し、様々な島へと海を渡った。時には星風を頼りに、幾日も航海した。しかし、今、I島の誰からも、そんなM諸島の人間の輝きを見つけることはできない。

多くの人々が、疲れた顔で、まずそうに干し魚を食べる日が、これからも続く。





夕焼けが凄まじいまでに鮮やかであった。
血染めのような夕景の海辺に、老人が一人座っている。
強烈な血の色の空間にいて、老人は懐旧の儀式を続けていた。

あの出来事から30余年、村人と島とを失い、妻子を失った老人ジョンは、汚れきったI島の海辺に、それでも毎日姿をあらわす。
彼は今でも、R島の夢を見ていた。魚釣り、カヌー遊び、楽しかった若いころのR島の暮らしが、くりかえし脳裏にうかぶ。甲状腺を手術し、毎日欠かさず薬を服用する生活についても、それは変わらない。
すみずみまで、大きく狂わされた自然の島、R島の放射能は、もはや以後数万年、消える見込みはないという。

「だけどあの島は……。」

口の中だけで呟いてから、ジョンは優しく目を細めた。

「……一番の島だった」

その言葉が妙におかしかったように、ジョンは苦笑した。

 あのことさえなければ。

誰かの声が聞こえた。しかしジョンは、首をめぐらせなくとも、それがどこにいる誰かわかることができた。

 美しい島であり続けられたのに。

それは亡霊の声だった。多くのR島民の残留した魂の言葉を、彼は聞くことができた。全ての死者が、今彼とともにある。


 核爆弾によって自然を破壊してしまうことは、人間そのものが滅びることにつながる。あの悪魔の平気は、人をたくさん殺したし、木や海も殺してしまった。人はもっと自然を愛さなければならない。自然は神の恵愛のあらわれではないか。自然は人間のものだ。人間が愛することで、はじめて自然は美しく応えてくれる。人が自然を愛する。すると自然は美を返してくれる。それがあまりに美しいため、人はさらに愛を注ぎたくなる。それが本来の姿ではないのか。
 しかし目先の事情しか考えず、人類の大いなる友を、人間は破壊し、日々失っている。それを悔やみもしないでな。

声は、かつてのR島の医師マイクのものだった。やせた、無精ヒゲののびた顔が、常に聡明な澄みを見せていた目が、思い出された。博識の彼の言葉は理解を絶するものがあるが、彼のその感性が、浸透するように伝わってきた。

老人は微動だにせず、静かに話を聞いている。

 自然は美しく調和のとれた素晴らしいものだが、人間はその中にあって違う存在だ。人間は科学技術を持っている。知という人間の、その神から与えられた特権に対し、人はまったくもって無責任だ。ひどいものではないか。ABC兵器、公害による汚染に、多種絶滅……。人間のだだこねは、数え上げればきりがない。

 しかしだ。これほどの力を持っているならば「うまくやっていく」道がどこかにあるはずだ。あの核爆弾をつくった学者も、米国の政治家も、それを追求すべきであろう。
 そして現実に、汚染や破壊は世界規模の凄まじいスピードで進んでいるが、科学も信じられないくらいのスピードで進んでいる。科学は、汚染や破壊を中和する、唯一の現実的な希望だ。政治で汚染と破壊は防げない。先進国がぜいたくを言う限りはな。
 だから私は、科学と、それを使う人間を信じたいのだ。



そうだ、人は本来、みな神の子なのだから。

 そうよ、あなた。だからあんなつまらないことは、もう忘れてしまいなさいな。

エリーの声がした。優しい声音だった。

 何かを恨みながら死ぬなんて、とてもつまらないことですもの。

そうだな、と、彼の心はゆるみだし、そして彼を解放した。人間とは、たしかにひどいことをやっている生き物だけど、少なくとも島の連中はいい奴ばかりだ。

 そうよ、あなた。 そうだよ、父さん。

エリーとポールが言った。微笑が察せる声だった。

これからが問題だ。炎に不純物を焼き尽くされるように、浄化されながら、ジョンは考えた。
人は誰でも、失ってしまったものが、何気ない生活をおうるうちに戻ってこないかと、無意識に願い、夢を待ちわびる。だけど、人生は、そこから「出るとき」に動き出すのだ。動き出してほしい。そして、それができるのは、若い者だけなのだ。

だが、父母の無力化したこの島で、その父母に育てられた子らは、それができるだろうか?
一瞬の疑念がジョンの魂の浄化に逆らったが、肉体はすでに、魂を手放していた。

ジョンは死んだ。
海辺で岩の一部のように。

太陽が沈み、夕焼けの薄れる頃、おだやかにゆれる海に、魚が一匹、水音をたてた。





あわただしく、作業用のツナギを着た男たちが配置につく。
油の染みだらけのボロ布で手をぬぐう男の目の前を、ライトアップされた明灰白色の艦上戦闘機が、航空母艦内の昇降用エレベーターにのせられて上昇していく。

第一格納庫(ファーストハンガーデッキ)からフライトデッキへ、空母のほぼ中央を、細長いミサイルを翼下にぶらさげた機が、ゆっくりと上昇し、上部甲板へ姿をあらわす。

着艦ポイントや、タキシング用らしいマーキングや、埋め込み式のライトの上を、下部衝突防止灯と翼端灯、前照灯を赤く点滅させながら、小さな待避所の前を、航空無線用のヘッドホンをつけた甲板誘導員(オフィサー)の指示に従って、戦闘機が誘導路(タキシングウェイ)から離床コースへとステアリングしていく。

パイロットが、離陸前の最終チェックを終え、シートに体を固定し、インカムで管制指揮所に離陸許可(クリアランス)を要請する。OKサインはすぐにかえってきた。
白いジェット戦闘機用ヘルメットのヘッドホンの片方に、酸素マスクをぶらさげた、まだ若い白人のパイロットが、オフィサーに手をふる。親指を立てる(サムアップ)サインを返して、オフィサーは戦闘機の前から退いた。

ジェットエンジンが、ゆるやかに赤光を放ち出す。カタパルトに接続された機体は、一度反動で沈みこみ、次いで一気に離陸速度で甲板から打ち出された。車輪を格納し、ゆっくりと上昇する。
実験用核弾頭を搭載した機は、長い推進炎の尾をひきながら、観測班の指定した海域へと、碧空に消えていった。






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2001.11.09 fri「出土品」


以前に「開かずの間」としていた隣の部屋の掃除が、ゆっくりだが進みつつあり、いまのところ「半開きの間」といった感じである。

無くしたと思ってあきらめていたものがポンポンでてくるのが、大掃除の嬉しいところで、本人も完全に忘れていたものが、どんどん発掘された。

「絶句」「二分割幽霊奇譚」(ともに原作:新井素子)のラジオドラマ録音テープや、同じく「妖精作戦」(原作:笹本佑一)のカセット。これは、そのうちCD−Rに焼いておこうと思う。

ハーメルンのイベントで買い漁った同人誌の数々。よねやませつこ(ダイモーン天女)さんの本は18禁以外全部買っていた。当時は名古屋でオンリーイベント(ツインシグナルと合同だけど)が催されるくらいの人気だったことを思い出す。

書店に勤めているとき「店内をより快適にするために」とかいう議題にあがり、実験的に焚いたアロマテラピーの香油が見つかる。二階建ての店だったため、一階で焚いても焚いても効果が無く、おかしいなと思っていたら二階の従業員が香気にあてられてバタバタ倒れたとゆーリラクゼーション効果抜群のラベンダーである。ちなみに自費で買ったので私のものだ。

他にもいろいろ出土する。
高校の頃、アップルシードに感化されて描きまくった
パワードスーツのスケッチ。ちなみに、のってるのはみんな女の子だ。大学の頃、何枚も偽造した学生証。10年前は人相が違っていた。インドでサイババからいただいた(人づてだけど)ヴィヴーティ(無くすな)。そして、部室に寄贈したままだと思っていた、高校の頃に書いた小説の原稿。


最後のは、ちょっといわくつきの一品で、とても驚いた。
完全に紛失されたものだと思っていたので、まさか再び読める日が来るとは、思わなかったのだ。

いい機会なので、一字一句、手直しせず、日記に載せてみようと思う。




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2001.11.07 wed「ピクミン」

黒天野「いやー、あのピクミンのCMいいですな」

白天野「最近みないけどな。あのストロベリーフラワーの歌がいい」(以下名称略)

「ぼくたちピクミン、あなただけについていく〜♪」

「今日も〜はこぶ、たたかう、ふえる、そして食べられる〜♪」

「いろんな生命が、いきているこの星で〜♪」

「今日も〜はこぶ、たたかう、ふえる、そして食べられる〜♪」

「かわいいねえ」

「かわいいな」

「ひっこ抜かれて、たたかって、たべられて〜♪」

「でも、わたしたち、愛してくれとはいわないよ〜♪」

「ひっこ抜かれて、たたかって、たべられて〜♪」

「でも、わたしたち、あなたに従い尽くします〜♪」

「初期CMの、森本レオのナレーションもよかった」

「ピクミンという生き物を知っていますか?
 ピクミンは自分を引っこ抜いた人を、親だと思ってついていく習性があるんです。
 親のために働いて、ときにはこんな獰猛な生き物とも戦って、あらら、食べられちゃってますね。
 夜になるとピクミンは巣に戻っていきます。
 明日も一日がんばってね。
 Nintendoゲームキューブ、ピクミン」

「いいなあ、うん」

「プレイヤーのオリマー(宇宙旅行者)が、事故で漂着した惑星で、ピクミンと出会い、彼らと協力して、バラバラになった宇宙船のパーツを集めるゲームだ」

「・・・・」

「なにか変なこと考えてるだろう」

「これ、
メイドさんでやったらすげー萌えそうだと思わないか」

「おい」

「いや、こう、その主人公が漂着した惑星には、
ひっこぬいた人をご主人様と思ってついていくメイドさんの根っこが多数、植えられていてな」

「・・・・」

「地面から出ている生首を、こう」

「そのネタもうやめろ」

「じゃあ、ヘアタイを引っこ抜くと、メイドさんが「ご主人様〜」と叫んで・・・」

「マンドラゴラ
(根っこが人間そっくりの形をした魔法植物。抜くと悲鳴を上げる。その悲鳴を聞いたものは死ぬ)か。オリマー死ぬぞ、オイ」

「犬つれてこないと
(マンドラゴラを抜く際には、犬を使って引っ張らせたという)

「それだと犬を親だと思ってついてくな。まあ、それはともかく」

「ピクミンは、赤・青・黄と、色によって特徴があるから、それぞれメイドの役割ごとにメイド服の色が違うっていう設定でいこう」

「花右京メイド隊がゲーム化するとしたら、こんな感じかもな」

「いや、イメージ的には『まほろまてぃっく』のまほろさんだ」

「あんなメイドが100人もついてくるのか・・・」

「しかも『エッチなことはいけないと思います』『エッチなことはいけないと思います』『エッチなことはいけないと思います』と口々に呟きながら! うわー脳にくる!(うれしい)」

「メイドさんオンリーの創作同人誌即売会(コスプレ可)会場でコスプレイヤーの誘導とかしたら、こんな気分だろうか・・・」

「うーん、これで歌を聴き直すと、すーげー萌え!」

「でも、たべられる〜のあたりで『このゲームには暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています』という指定がいるぞ。ていうかゲームキューブのソフトでR指定ってあたりが、実現に当たっての最大の障害だ。」

「それ以前に、そんなビジュアルがあったら、ひとりも死なせられん・・・」

「お気に入りのユニットが死ぬと、ついリセットボタンを押してしまうファイアーエムブレムみたいだな」

「ピクミンだけだとゲームキューブ買う気にならないけど、これなら買うかも!」

「そんなソフトがでたらゲームキューブも終わりだな」

「じゃあ、ピクミン2が出るときに、ぜひ隠しモードで入れてくれ! 任天堂さん!」

「でも、任天堂は意地でも作らないだろうな、そんなゲーム」



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2001.11.05 mon「生首」

以前に、岐阜県関市の田畑には、マネキンの首を、そのまんま流用した「かかし」がある、という話を書いた。

今年も、それは活用されており、
あまつさえ流行しているようで、去年まで平凡なかかしを採用していた市役所前の広大な土地には、それはもう見渡す限りというかんじで生首が並んでいる。
どれも妙に整った顔立ちなのが、逆に不気味だ。

初めて見た頃には、恥ずかしい話だがホンモノの生首かと思って、車を停めて確認したこともあったが、もう見慣れてしまった。最近ではわりと平気になっている。

だが、もし
このゲームをやった後だとしたら、わたしはまた、この光景を、まともに見られなくなるだろう。
恐怖か爆笑かで。



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2001.11.03 sat「大道芸」

今年10周年になる「大道芸ワールドカップ」という静岡市(観光レクリエーション課)主催のイベントが、11/1から木金土日と四日間行われた。

これは、ストリートパフォーマーとも呼ばれる大道芸人が、静岡の駿府公園(をメインとし、その周辺のストリート)で持ち芸を披露するイベントである。

参加者は、世界的に有名なパフォーマーもいれば、渡航費自前で日本までくる外国人も多く、本格的でスケールが大きい。何より観光客にとっては「出かける価値のある珍しい催しがいくつあるか」という点において、実に見応えのあるイベントである。


夜半に、静岡駅前でCOBRAさんと合流し、このイベントのナイトパフォーマンスを見て回った。


最初に見た、王輝という人の中国雑技はすごかった。

鉄の支柱を利用してロープを張る。その太さは、親指と人差し指で作るわっかほどしかない。その上を、彼が軽々と歩く。

大道芸人というのは基本的に話芸(もしくは話さないこと自体を芸にする)が巧みで、観客も彼の世界にあっという間に引き込まれていた。そして突然、ロープ上からその反動を利して、トランポリンよろしく、まさかと思うような高さに身体を浮かす。その上で宙返りやトンボ返りなどのアクロバットを連続で披露。開始1分でとっくに彼のファンになっている観客は大興奮でヤンヤの喝采、声を出してない人は例外なく、呆気(あっけ)にとられて口をぽかんと開けている。最後は、体操種目鉄棒のフィニッシュのように着地を決めて、観客に応えた。

ただ凄いだけの芸でなく、場の盛り上がり、観客との一体感など、一流の大道芸人という感じだった。


ブルースブラザーズを基調にした、たぶんジョン・ベルーシを気取っている・・・という割りに、異様なほど芸才がただようクラウン(ピエロ)が飛んだり跳ねたりしながら、バルーンを作り、炎を吐く。情緒不安定かと思うくらいに馬鹿馬鹿しくてパワフルな芸だが、その実、プロフィールを読むと、すごい経歴(アメリカのリングリングサーカスのクラウン留学やディズニーシーでの現役パフォーマーなど)をもつ研究家だ。

そんな彼の芸を観ながら、ふと考える。


彼ら大道芸人が、この不安定で、収入も堅いとは言えないような生業についているのは「他に何もできないから、しかたがなく」では、決してないだろう。

そして才能があるから、でもないだろう。それだけで、こんなに過酷な仕事を、いつまでも続けられるわけがない。

ひときわ大きく、炎を吐き出すジョン・ベルーシ。観客の拍手。目を見開いて驚く子供の笑顔。

彼が舞台中央で、ポーズを決めて、観客に応える。

この道に喜びを見いだし、そのよろこびに自分の人生の価値を見いだしている。

彼の姿がそう語って見えた。

それはわかる。

だが、それだけではないはずだ。

彼らは何か、もっと別の所からエネルギーを発生させている。クラウンを見ながら、そんな確信が生まれていた。




COBRAさんの部屋に泊めてもらい、翌日、起きてみると、晴れの特異日とすらいわれたその土曜日には、雨が振っていた。

小雨ではない。傘にあたる雨滴の音が、けっこう気に障るほどの雨量だ。
しかし、大道芸を見に駿府公園に着いてみると、屋根をもたない会場でも、パフォーマンスは行われていた。

一輪車やBMXでの曲芸など、路面状態次第の芸が中止されていたのは、当然と言える。

だが、単純に考えて、普通の芸でも、出来るような天候ではない。


なのにお客さんは集まってくる。


そして、傘で出来た環の中央、ズブ濡れでも歓声を巻き起こす大道芸人。

みな傘を持っているので拍手が出来ない。

パフォーマーは、観客を助手に願うも、雨に晒(さら)すをのをためらうだろう。

傘のせいで後列は視界が悪く、新しい客が寄ってもすぐに離れてしまう。

雨天を考えれば驚異的な集客だが、そうでなければ倍は見込めるはずの客席は、普段の半分以下だ。

でも、彼らは芸をする。




私は、あっけにとられて、その現象に見とれてしまった。

こんな状況でも、彼らは芸をやるのだ。

この駿府公園に客はいる。そして雨のせいで芸の出来ないパフォーマーもいる。となれば、今日はクラウンなど、雨天上等な芸人の独壇場だ。それだけに儲けはあると踏んだ、というのが決行の理由かも知れない。でも、これは半分だろう。


私は大道芸人の友達を持っていない。自分でも経験はない。


だから、ここにいる、もう何年もこの芸の道で喰ってきた人たちが、どんな心境で雨に打たれているのか。どんな精神状態で11月の冷たい雨中に芸を披露しているのか。

それはわからない。




なぜ彼らは、こんなコンディションでも芸をやっているのか。

彼らにとっての、儲けや、プライドだけでここまでできるものだろうか。


いや、そんな動機でやる芸で、ここまで人が喜ぶだろうか。




観客席から引っぱり出された青年が、ずぶ濡れで、パフォーマーとの掛け合いに乗る。でもすごく楽しそうだ。

傘のせいで拍手の出来ない観客が、思いっきり笑い声をあげることで、彼らの芸に応えた。

いつの間にか、パフォーマーのサポートをしていた青年が、ピッタリと息を合わせて(パフォーマーの方がうまく誘導しているのだと思うが)掛け合いが盛り上がっている。拍手がない分、笑い声や「おおーっ」という歓声がアクションに応じてわき起こる。


そのとき私は、やっと気がついた。

昨日から見た全ての芸に共通することがあったのだ。




昨夜は、クリスマスイルミネーションのオレンジ光のせいか、会場はまるで暖かい夢のような雰囲気だった。
テレビで見るのとは、明らかに違うライブ感。それは「リアル」だという以上に「暖かかった」

観客のまなざし。歓喜、おどろき、ぽかんと口をあけて、うわーっと歓声をあげる彼らの顔。

ざっと見回すと、家族連れが多かった。仕事帰りのサラリーマンもいた。私のような観光客もいた。
それぞれ、なにがしかの悩みや仕事のプレッシャー、ストレスをもってここにいる。

でも、それを一時でも忘れた笑顔、それがここにあった。
観客の輪の内側は、すべてそんな笑顔で覆われていた。


そして、その全てが、中央のクラウンを見つめてみる。

観客の、全ての苦悩から解放された極上の笑顔を一身に受けて、まさに輝いているのが、彼だった。

これがきっと、彼らの原動力なのだ。




この仕事ほど、やってみないとわからない職種も無いだろう。
塀の向こうからああだこうだと言うようだが、私は、あまりに陳腐な「笑顔がエネルギー」という言葉の実態を、ここに見たような気がしていた。


・・・雨など関係ないのだ。
笑顔があるから、芸人は「のる」。


客席から芸人だけを見ていたからわからなかったのだ。客の笑顔を見ればわかったことだった。

失敗したら命がないような芸を喜んで披露する人も、人から馬鹿にされながらも破天荒な芸に興じる人も、そして雨に打たれても芸を続ける人も、原点は同じくしてここにあったのだ。




雨足がいっそう強くなる。

だが、雨ざらしでガンガン盛り上がっていくステージが、そこにあった。

その光景はもう、不思議でも何でもなかった。



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2001.11.02 fri「夜話」

静岡のCOBRAさんを訪ねた。

かの地で開催される「大道芸ワールドカップ」を観覧するついで、という体裁だったが、その実は彼に会いたかったからだ。

以前にチャットでうかがっていたせいか、COBRAさんの部屋は足の踏み立て場もないほど、物が散乱している、というイメージがあった。

ちょっと前に入れてもらった某氏の部屋も、座布団ほどの平地が確保できるのはベッドの上とパソコン前の座席(車のシートを持ち込んである)のみで、来客はみんなベッドで三人並んで正座とゆー何かの罰ゲームみたいな有様だったのでそれに被ったイメージだったが、いざお邪魔してみると、部屋はスッキリと片づいていた。

「私は、ポワント(つまさき)で、数センチだけ露出した床を正確に突き刺してバレリーナのように移動した」とか
「負けないくらい散らかってる我が部屋で鍛えられたパ・ドゥ・シャを披露した」とか
「ちらかった部屋に住む人間は、つま先立ちで歩く分、天国に近いのかもしれない」など

日記に書こうと思ってあらかじめメモ帳に文章を書いておいたのが、ぜんぜん杞憂だった。
逆にものたりない気分でてくてくと部屋を歩く。

「じゃあ「R.O.D.(READ OR DIE)」のDVDでも観ましょうか」

「おお! わたし原作者のファンなので、観たかったんですよ〜」

放送中のアニメのほとんどを、録ったはいいが観る暇なし、という風情でみっちり積まれた録画済みビデオテープの箱を尻目に、深夜のDVD鑑賞がはじまる。「明日は朝6時に起きましょう」と宣言しつつも、そのまま天野が興味をもっていたTRPGについて説明してもらったり、Kanonの話を経て、おそろしく底深いCOBRAさんのメイド学の話題が出たあたりで、その起きる予定の時間になってしまった。

本音を言うと、COBRAさんとは、もっと人生とか社会問題とか、そういう本質的な話をしたかったと思う。
お互いに、まだ赤心をさらして話せなかったのが、残念だった。

でも、むかしした「会いに行く」という約束が守れてよかった。

ひと眠りしてから、明日も開催されている大道芸を見に行こう。



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2001.11.01 thu「絵描きさんに100の質問」

「100の質問」というフォームが流行っている。

「日記書きさんへの100の質問」や「100の萌え」などあるが、テキスト系コンテンツを持っているサイトとしては、これは「質問への回答」ではなく、「質問に応えることで信念を表明する」もしくは「質問をダシにして笑いを取る」ためのものだと思うがどうだろう。

天野本来の属性である「絵描き」を選んで、100の質問に答えてみた。

書き上げて思ったのだが、普通の日記の、最低でも半月分はあろうかというネタを投入してしまったため、書く側としては、ひどく損をしたような気もする。

さすがに長いので、20分ほど時間をとって読んで欲しい。

 「絵描きさんに100の質問」に答えました。



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