遠野美凪の肖像
portrait
(2002.12.18 wed)
序
あれは、絵を描かなくなって、しばらく経ったころ。
絵も文章も満足できたとして夜想曲を停止するときに、ひとつの心残りがあったことを思い出した。
それが「AIR」の遠野美凪の絵である。
私が絵を描きたいと思うのは、シナリオにひかれた度合いとは、実はあまり関係がない。
ゲーム中や、他の絵や写真に触発されて、ふっと浮かんでしまうのだ。したがって、絵のきっかけは非常に受動的であり、そのシナリオにどんなに感動していても、全く「絵」が降りてこないことも多々ある。
それと同時に「こんなに感動しているのだから、なにか絵を描きたい」と思って描くときもある。
ただ、これは我が入っているので、うまくいかないことも多い。たいてい、資料をかき回して悪戦苦闘する。
この両方の状態に、私の中で半端にひっかかっていたのが遠野美凪の絵だった。
とにかく、絵が降りてこない。
感動して描きたいと思っているのに、絵が思い浮かばない。
ずっと、そんなジレンマを持っていた。
一枚だけ描いてある絵(絵本を読んでいる美凪と眠っているみちるの絵)は、かなり初期の頃に落っこちてきた絵で、みちるの事情を自分なりに推察して迎えた三度目のエンディングで、泣きに泣いた経験(私の場合は、みちるエンドの方でコアヒット)以後は、本当に何も落ちてこない。
なぜ落ちてこないのか。それはたぶん、フォトジェニックとしては美凪の方を認めているのに、やはりみちるの方に大きく感情移入しており、美凪の本質が掴めないでいるからだろう。下手をすると、わたしにとって美凪は「ただのものすげえ美女」でしかないのだ。
一度は「まあいいか」と思ってあきらめ、夜想曲を停止したが、遠野美凪への愛に関しては世界に並ぶ者無しのサンフェイスさんの内面世界に触れるようになって、みょうにこの未練が燻(くすぶ)る。
このころ彼と始めていた幾度かのメール交換の後、わたしは直接きいてみた。
もし、サンフェイスさんに「絵として見てみたい遠野美凪」の姿があるのでしたら、教えていただきたい。それを呼び水に、私の頭に、なにか絵が落ちてくるかもしれないから、と。
サンフェイスさんは、快く引き受けてくれて、とても長い時間をかけていくつかの長大なテキストを送ってくれた。
そこに書いてあったことは、赤裸々なほど丁寧に書かれた、サンフェイスさんの美凪観であった。
ここで紹介する三枚の遠野美凪の絵とテキストは、サンフェイスさんのテキストを原作とし、天野が自分なりにそれをビジュアル化した、いわば合作であり、そのドキュメントである。
作画の原作
サンフェイスさんのテキストから得た、遠野美凪のキーワードがある。
それは「祈り」と「寝顔」だった。
(以下サンフェイスさんのテキストより)
「祈り」は、他ならぬ美凪のキャラクターそのものだと思います。
オープニングのキャラ紹介で登場する手を前に組んだ彼女の姿が、はじめてプレイした時から印象に残っていたのですが、改めて考えると、あれこそ彼女を象徴する姿だったように感じます。
夜の星を見るとき、空に消えてゆくシャボン玉を追うとき、そしてみちるにまなざしを向けるとき、いつも美凪の中にあった感情。
それは「希望」でも「願い」でもなく、
やはり「祈り」という言葉こそ相応しい。
切実で、遠く。
強くて、儚く。
それにとらわれて、美凪は立ち止まっていた。
でも、それがあったからこそ、そこから前に進むことができる。
観鈴の「ゴール」へと続く無数の人々の想い、
みちると共に、彼女もまたそのひとかけらだったのだと思います。
「寝顔」のほうは、個人的な欲望です(笑)
バッドエンドに進んだ場合、往人と旅立った美凪は、もう二度と、心から安らかに眠ることはできないでしょう。
そんな美凪を、せめて一晩でも安心して眠らせてあげたい。
その安らかな寝顔を見てみたい。
そう思います。
ていうか俺の胸で眠れ!(←台無し)
というわけで(以下略)
(さらに中略)
「バッドエンドの美凪が好き」で始まった自分の「美凪萌え」がAIRプレイ時から今までの間にどうやら少しずつ変化しているようです。
といっても美凪が好きなことには変わりなく、主に自分の視点、立ち位置の変化ですが。
そしてその要因の中には天野さんの絵から受けた影響が少なからずあると思います。
「萌え文集2」の原稿の中に幼子を連れた父母の写真があるのですが、天野さんの絵に出会う前の自分であれば決して「家族」にカメラを向けたりはしなかったでしょう。
少なくとも自分にとって、天野さんの絵はそれほどに影響力のあるものでした。
その天野さんが画家活動を再開されるのは、とても嬉しいです。
こんな言葉ももらった。絵描き冥利につきる。
そして、いただいたキーワードをもとに絵を一枚、描いてみた。
「よるのとばり」
(2002.08.04)
※ 作画原寸は画像をクリックして参照してください。
屋上の別れのシーンの後、金網にもたれている美凪である。
いままで祈るように見つめてきたみちるとの決別であり、「そらにみちるおもい」の対になる絵でもあった。
これは厳密には「祈り」というより「祈りのその後」という感じの絵だろう。
苦労したのは金網。けっきょく手で描いた。
色は、くすんだ感じのセピアトーン(?)を貴重にし、最暗部は青(実際には紫)を入れている。
「美凪の『祈り』について」:サンフェイスさんからのコメント
これは「祈っている美凪の絵きぼんぬ」という意味ではなく、彼女の存在感が「祈り」という言葉に象徴されるようななにか痛切なものとして自分には感じられる、ということです。
美凪は原作中でも大ボケでほわほわしてたり母性的だったりするので、どちらかというとKanonの秋子さん的な「安定したキャラ」として扱われることが多いような気がするんですが、自分にとっては、美凪は秋子さんよりも、はっきりと観鈴ちんに近い存在です。
別に祈っている姿でなくても、どんなシチュエーションでもいいから「痛切な存在」である美凪の絵を見てみたい、と思って書きました。
そういう意味で、天野さんが送ってくださった絵の一枚目はまさしく「祈りのあと」でした。
みちるには申し訳ないですが「憑き物が落ちた」ような雰囲気ですね(笑)
自分の言う痛切さを通りすぎた後の、前向きな寂しさを感じます。
この後に、二枚目を仕上げた。
「なつかしい木綿の匂い」
(2002.08.08)
※ 作画原寸は画像をクリックして参照してください。
二枚目は、まだサンフェイスさんからのテキストを戴く前に、自分の考えで描いてみた「縁側で窓を拭く美凪」である。仕上げとしてはこれが二番目になった。
この絵は、まちがいなく、人物の倍以上、背景に手間がかかっている。
背景の多くが木目なので柔らかさが欲しく、これも手で描いた。途中でいちど熱が出てきて(マジで)、妙に苦労した絵である。
バケツがどう描いても金属製に見えず苦労した。
絵の右側にあるべきなのは、ほんとは壁ではなく襖(ふすま)か、障子だろうとか、左側の奥に、カーテンか何かがあるべきとか、そもそも奥にある板はなんだとか、いろいろあるが、ぜーんぶ省略している。そこまで背景にそそぎ込む精神的な余裕はなかった。
絵に、生活感さえこもっていればいいと思っていたから。
絵のもつ「生活感」について
この絵は、「みちるとからまない」という条件(美凪の絵、だから)があって、例の「愛情に満ちたあたたかい空気」というのを出そうとしており、しかも「とはいえ往人の絵なんか描きたくねえ」と考え「そうだ、ひとりの絵でも、目線の先にサンフェイスさんがいるとすれば、オトコを描かなくてもソレっぽくなる」と思い至り、いつもの癖で、原作の描写からは意図的に外した「生活臭いかんじ」を味付けに描く・・・という思惟の流れでできた絵だった。
KEYのキャラには、下手をすると秋子さんにすら生活感がない、と私は思う。
それを逆手にとり、その匂いを「味」にして料理してきたのが、いちおうの私の画風である。
前に描いた「夕暮れと割烹着」に象徴されるが、わたしがやりたいのは、KEYのキャラクターからあまり感じられない「生活感」をビジュアルにすることでもあるのだ。
ゲームの中で完結してしまっている人物たちを、現実的に描いてみたい、それで、少しでもキャラに近づきたい、と私は考えているのだと思う。
サンフェイスさんのコメント
キャラクターの「生活感」については、それがオリジナル・二次創作を問わず「作品」としてある限りにおいて、自分にとっても感動の対象になります。
むしろ最も重要な要素と言って良いかもしれません。
だからこそ「夕暮れと割烹着」が大好きなわけですし。
ただ、そこに自分の自我を割り込ませようとした時だけ、事情が変わります。
作品に触れているとき、自分の存在は、その世界の空気と一体化しているような感じで、キャラクターの生活を優しく包み込めるのですが、現実の自分とキャラクターとの間に具体的な関係性を想定しようとすると、どうしてもキャラクターの生活感を削ぎ取るような方向でしか、それを思い描くことができないのです。
自分をそのままあっち側に持っていくことも
彼女をそのままこっち側に連れてくることもできないのですね。
このへんは殆ど身体感覚なので言葉にするのが難しいんですが、自分は作品を「そこに愛しい人が生きている、確かなひとつの世界」としてかけがえなく大切に思っている一方で、現実に自分が生活しているこの世界も「抜き差しならない確かなもの」として知覚しており、ふたつの世界の間には決定的に遠い隔たりがあると感じているようです。
ちなみに、矛盾を承知の上で自分を介在させようとしてしまうのは、相手が他ならぬ遠野美凪だからです。
今のところ他のキャラクターに対しては、そういうことは考えません。
それほど美凪を愛している、ということですね。(核爆)
この絵は、先述のように、天野の中にある「遠野美凪」のイメージのひとつを形にしたものだが、描いた本人にも、美凪がどういう立場で、着物をきて掃除などしているのか、よくわからなかった。
以前のサンフェイスさんのコメントにある「(美凪は)秋子さんよりは、はっきりと観鈴ちんに近い」という言葉とは裏腹に、母性的で家庭的なものを、この美凪には託してしまったのかも知れない。ただ、その一方で、絵描きの直感的には「美凪にふさわしい、いい絵だ」とずっと思えていた。
これは、絵を塗り進めていくうちに、だんだん意味がわかってきた。
自分がこの絵に投影した美凪のイメージは、彼女の性格はそのままに、ただAIRの悲劇の要素がなく、普通にけっこんして幸せに暮らしている彼女の姿だったのだ。
普通の、なんでもない、あたりまえの家庭的な幸福。それを、彼女に得てほしかった。
美凪の着物を塗りながら思う。
私は絵を描くことで、「あっち側」で、彼女たちが生き生きと生活している様子を作り出し「あっち側で、彼女たちを豊かに存在させたかった」のかもしれない。決定的な遠い隔たりを、自覚した上で。
一枚目はサンフェイスさんのリクエストに半分こたえる形に、二枚目は、天野としての美凪観だったと思う。そして、三枚目は一・二枚目の集大成となった。
「あの日に止まった風を」
(2002.08.11)
※ 作画原寸は画像をクリックして参照してください。
リクエストの趣旨としては「寝顔」
ロッキングチェアーで眠ってしまった美凪の絵である。
「凪」という字は、風が止まると書く。その名の通り、彼女の風は、母親から「みちる」と呼ばれ、それを甘受したときから止まっていた。みちるが現れてアイデンティティを取り戻してからも、美凪と母の間では、風は止まっていたのだろう。
この絵に描かれているのは、まさに「美凪」
美しく止まったままの風である。
この絵は「寝顔」というキーワードを得たときに、ほとんど自動的に落っこちてきた。
「安らかな寝顔」とのリクエストだったが、この美凪には、全体に安らかならざる緊張感がある。
だが、そう気がついてもなお、修正せずに描き進めたのは、この絵にこそ「祈り」に近いものがあると思ったからだ。
結果、リクエストのテーマを両方内包する絵として完成している。
三枚目の絵で苦労したのが、美凪の顔のつくりである。
美凪の顔は、あくまでも「いたる絵」を土台に描いているが、いたるキャラというのは、基本的に顔が丸いのでふくよかに見える。だが、もし現実にいたら、ホントはもうすこしスッキリした輪郭だろうと思うのだ。
そう考えて、最初から天野絵ではなく、「いたる絵」を天野的に大修正した遠野美凪の顔が、この絵の感じである。
だが、さすがに「いたる絵」は手強く、途中どう描いても顔が佐祐理さん(Kanon)になってしまい、苦労した。
「目が違うのかな」と思ってなおすと、今度は瑞佳(ONE)になる。なんとか「美凪っぽい」感じになるまでは、幾度とない修正が必要だった。
余談だが、二枚目の着物の絵のときは「美凪は一見するとたれ目っぽいけど、じつはネコ目なのではないか」という観点で描いている。
美凪の身体のことも悩んだ。
ゲーム中でもあった「身長が高く、スタイルがいい」という公式な説明を拠り所にしたため、特に一枚目と三枚目は、線画の段階でものすごく手足が伸び、構図のせいもあってスレンダーな感じに仕上がっている。
だが、美凪と言えば、けっこうグラマーというか「胸がでかい」イメージがあるのだ。どう描いたらいいのだろう。
迷ったので、サンフェイスさんのもっているイメージはどんな風なのかと、これも聞いてみた。
(文月さんにきいたときには「美汐さんは細身でスタイルいいです」と、どきっぱり言っていましたな)
「美凪は一見するとたれ目っぽいけど、じつはネコ目なのではないか」
この観点には激しく同意です。
「まなざしが優しいのであまり意識させないけど、実はネコ目」
というのが、自分の中の美凪像になっています。
目つきとしては、ちょっとヨコハマのアルファさんみたいな感じですね。
他にマイ美凪像として思い浮かぶところでは
・胸は全身との相対比では大きいが、実寸はそれほど巨大ではない
・背は高いが、抱くと意外と細い(ぉ
・手足は長いが、手のひらとあんよは小さめ
・ほっぺがふにふにしている
・犬よりも猫
・タチよりもネコ(←ヲイ)
こんなところでしょうか。
「これはひょっとしてのろけなのか」と思いながらも、おおいに参考にしつつ、絵は描き進められていった。
三枚目である「あの日に止まった風を」については、下書きの段階で一度
寝顔のほうは、もう速攻お姫様だっこでお持ちかえり決定です。
でもまず、その前にそっとキスします(笑)
うー、かわいーよぅ。
という感想をいただいている。
その後、この絵が完成するまでの間に、いろんなメールのやりとりを行った。
それぞれの将来のこと、写真のこと、萌え文集のこと、「香里は受け」であることなどなど、サンフェイスさんの事情がかなりバタバタしていたのが申し訳なかったが、いろいろ語り合った。
その間にいただいたメールの中でも宝物なのが「よるのとばり」と「なつかしい木綿の匂い」の感想である。
いま再読してみると記憶していたイメージよりずいぶん短いが、そこから、サンフェイスさんが感動してくれていることがわかってしまうのが、不思議だった。
三枚目を仕上げている段階で、この絵こそは、彼の感動に応えようと思った。
「よるのとばり」と「なつかしい木綿の匂い」の二枚は、IRCや、天野がよく通っている仲間内の画像掲示板などに、線画の段階のものを出したことがある。
だが、三枚目の「あの日に止まった風を」だけはそれをしなかった。
(以下、自身のメールより)
(これは)以前にサンフェイスさんに送ったラフ段階のものを含めても、あなた以外の誰にも見せたことのない絵です。(文月さんにも確認をとったので、彼は「寝顔」という絵があることくらいは知っているはずですが)
天野は、自分の絵を客観的に見るために、けっこうラフや完成間近の絵を、人に見せます。それで一度、絵との距離をおく習慣がありました。
ですが、今回はそれをやっていません。
つまり、この美凪は、生みの親にして絵の父である私以外、いかなる男性の視線にもさらされたことのない完璧な処女性をもった絵です。
言うなれば「完璧な箱入り(娘)」
たいせつに育ててここまで染め上げた娘です。
どうかよろしくお願いします。
サンフェイスさんのレスは、大切な一人娘との結婚を許してくれた義父さんへの挨拶のようだった。
うれしかった。
先の二枚を習作とし、できたこの三枚目は、合作の集大成である。
この絵を贈ることが出来たのは、ヨコハマでサンフェイスさんと直に会う日の、出発直前だった。
思えば、このイベントを通して、自分はすでに、遠野美凪というキャラクターとサンフェイスさんという人物に、対面することが出来ていたのだと思う。実際に会ったとき、いきなり鋭い話ができたのも、そのおかげだろう。
こうして見ると、許可されたのにほとんど掲載できなかった、サンフェイスさんの「心臓のちかくで書く」という、本音ムキ出しのテキストを最初に受け取る。
それを読んで、一枚描いては送りつけ、感想を確認する。
幾通ものメール交換を経て、双方のキャラクターやシナリオ解釈への理解が高まっていく。
それらの作業は、AIRを愛するものとしても、絵描きとしても、サンフェイスさんのいちファンとしても、ものすごく充実しており、そしてむちゃくちゃ楽しかった。
あれは、週に数回サンフェイスさんの家に招かれて、遠野美凪嬢の肖像画を描く機会を得た画家のような、そんな「通い」の日々だったのかもしれない。
こうして長い時間がたっても、絵を見ているとそのときの楽しさがすぐによみがえる。
あの大切な時間の思い出が、三枚の絵にこめられているからだ。
ほんとうにいい絵を描かせてもらえたな、と思う。
ありがとう、サンフェイスさん。
そして、遠野美凪嬢。
あなたたちと知り合えて本当によかった。