真琴がものみの丘で消えてから、はじめての冬。
あれから一年が経とうとしていた。
冬枯れの草原を吹き渡る風に、澄んだ鈴の音がのる。
陽光がやわらかくあたる草場の、そのすぐ上で、風が踊っていた。
ものみの丘で復活する真琴です。
みなさん、この絵について、大きな声で一言いわせてください。
おしり描くのって、たのしいなあ!
乳首の倍くらい楽しいです。
真琴を愛する乳首の魔人が「またか!」と怒りそうな絵ですが。今回の絵のポイントは、おしりです。
Kanon原作での設定が何歳なのかわかりませんが、真琴幼女論を立てる者としては、あまり立派なお尻にしてもいけないし、リアルで美しくいやらしくないおしりを探求するのは、そらもう楽しゅうございました。気を抜いて描くと、八頭身で肉付きのよいモデル体型になってしまうので、せめて幼くしようと試みましたが、これが限界です。男女の特徴的なラインが出ていない、十代前半の体型というのは、難しいです。「ゲームの真琴より大人びて見える」との指摘もいただいてしまいました。
「やみなべ」で真琴をちびっことして描いたこともあって、復活する真琴は幼女にしようと最初は思ったのですが、どうしても「ろりぷに」な絵になってしまいます。しかもヌードです。さらに絵を描いた当日は日曜日で、おじゃ魔女どれみのあいこちゃんかわいいなあお父さんの気持ちよくわかるなあという精神状態なので、そのまま描いたら夜想曲が築きあげた何かが壊れるのではないかという危惧もありました。
結局は、光線が肉体を浮き彫りにするレベルの幼女絵がどうしても想像つかず、つい描きなれた体格に。
妖狐のちからが、ものみの丘に残されていた鈴を拠り所にして、真琴を再構築している。そんな絵として仕上げました。
祐一が鈴を残していったかどうかは、わかりませんが、復活を暗示するシーンでは鈴の音が鳴っていたので、そうではないかと思います。「美汐さんとの愛にいきようと決意した祐一が、捨てに行ったとか・・・。」と説を唱えると一部ファンから拍手の喝采がありましたが、それはともかく。
毎度のことですが、髪型の拘束すら吹っ飛んでるので、誰かわかりません。
ゲームが始まるとき、真琴がはじめて人間として現出した瞬間として描いても良かったのですが、これで鈴がないと、いよいよ誰かわからなくなるので、ゲーム後の世界としました。
この復活のシーンを描くにあたって、考えたことがありました。真琴は、妖狐が人間に変じて現れたわけですが、あの服はどこから用意されたのだろう、ということです。
いや、別にすっぽんぽんを正当化しようというわけではありませんが。
いくら妖狐とて、あの服も妖狐の存在を構成する一部とは考えにくいと思います。パジャマに着替えていたことなどからも、服はオプションと思えますし、妖狐の力で生成された「かさぶた」みたいなものだとしたら、いくらなんでも洗濯した秋子さんが気づきそうなものです。
しかし、すっぽんぽんでこの世に落っこちてきた真琴に財布と服を用意したばかりか下着から靴下まで履かせて、あまつさえ髪もとかしリボンを結び、身支度を整えさせたのがネコ・・・とゆーのはさすがに無茶ではないかと思うのですがどうでしょう。
Kanonの物語がはじまる前に、真琴をひろって世話したおばあさん(希望)がどこかにいたんじゃないか、などと想像します。その人が、いまはいない自分の孫の服とかを真琴に着せてあげた、なんて話があると私好みなのですが、そんな気配はゲーム中に全くありません。
それにこれだと、エンディングで服を着ていることにも、筋が通らないですからね。
みなさんは「妖狐が変じて現れた真琴は、なぜ服を着ていたのか」と考えますか?
よければ「Kanon掲示板」にてお考えをきかせてください。
まあ、私は真琴がすっぽんぽんであれば、何も言うことはないのですが。
これに関しては、せっつさんとmasterpieceさんから、非常に説得力のあるすばらしい考察を、チャットやメールで拝聴させていただきました。masterpieceさんの内容に関しては、こちらで公表されています。