騎士王

king arthur

(2005.05.14)




彼方を見つめる気高い瞳。




2004年06月01日。「遠坂凛の金属バット文庫」の挿絵のためにプレイした「Fate/stay night」を終了した。

一番燃えると言われた二周目のヒロインである凛は、正直なところ魅力的だがバランスの良いキャラで、とりたてて「なにかをえぐられる」ことはなかった。

シナリオとしては三周目の桜ルートが一番すきだった。スケールの大きさのせいか桜の心情がやや語り不足な気がしたが、(主人公中心なので無理もないが)凛も士郎もここですごく生きていると思う。

だが、全編を振り返ってみても、セイバーシナリオは特別だった。
セイバーには、ほんとにこころを奪われたのだ。


それは、彼女のシナリオのエンド。全ての戦いが終わった最後の最後。彼女を連れて逃げ出してしまいたい衝動に耐えながら、それができたらどんなにいいか思いつつ物語をすすめる。

彼女とて士郎とともにいたくないわけがない。だが、彼女は自分自身を放棄するという堕落をしなかった。それは最後まで自分の位置を見失うことのない正しさであり、彼女の気高さだった。

とはいえそれは決して盤石の決意ではなかっただろう。一国を支えてきた巨石のごとき責任感を、おそらくは揺り動かすほどには士郎にひかれる気持ちがあったのだと思う。だが、彼女は位置を選んだ。それは決して苦渋の選択でも、これしかなかったのでもなく、それでこそセイバー自身の意志だったと思う。

だからこそ、最後の最後になって、わたしはセイバーに恋をしてしまったのだ。


おおよそ、自分の素直な気持ちに従うべきだという風潮が現代にはあると思う。
そしてそれは、無責任に自分の欲のままに生きる理由に用いられやすい。
だが、流されるでなく、決して無理にねじふせるでなく、彼女はその情熱もそのままに、自分の選んだ道を歩み抜いた。

それは、積極的な意味での運命に従う姿勢だ。だがその胸に、士郎への想いが満ちていなかったはずがない。

どちらかを選ばなければならないそのとき、彼女は片方を切り捨てなかった。すべてをもって、彼女は聖杯を断つという道を選んだのだ。
それが、わたしにはあまりにも尊く美しい精神にみえたのだ。


彼女自身が最後に、ひとことだけ、自分の気持ちを吐露する場面がある。

「士郎、あなたを愛している」

寂しい。別れが辛い。だが、それに報われてあまりある一言。
そうだ。真にそれを得ると言うことは、いたずらに長い時間をともに費やすことではない。
未来がないと分かっていながらしたセイバーとの恋は、だからこそ信頼と情熱に満ちていた。



セイバーは、少女であることを捨てて王となった。
そして英霊となる契約をし、いまだ死んでいない身でありながら使役されるものとして、別の立場を得た。
そして、彼女自身が夢と言う、衛宮士郎との日々をすごし、ここへもどってきた。

だから、彼女の魂には、あの日々が刻まれている。

王としてしか生きられなかった彼女が、少女として衛宮士郎という愛する人を得た。
セイバーは、穏やかに眠る。
ただ辛い戦いのなかにしか人生をもたなかった彼女は、はじめて当たり前のやすらぎを得てこの世を去った。

王として、そして愛する者との日々を得て、死をむかえるセイバー。
こんな立派な王と、素晴らしい少女とともに戦えたことを、嬉しく思う。

王として英霊として歩みきった彼女の死に顔。
それに、わたしは静かに感動した。





1年前にクリアしたシナリオであり、おおよそそのとき書きなぐって最近リライトしたテキストである。
シナリオの感想はひとまずテキストで受けとめたものの、この一年間、それを絵にして表現することができなかった。セイバーの送った苛烈な人生が、その尊さが、あまりにも気高くて、どうにも絵にできなかったのだ。

もし絵に描くとして、彼女の人生が現れるとしたら、それはその顔である。少女の身でありながら一国を率いた彼女の顔にこそ、その人生は現れるだろう。生き様を絵巻のように描くこともできるかもしれない。だが、わたしはそれが滲み出た表情を描きたかった。

騎士王としてのセイバーを描いている公式の絵がいくつかある。風に流れる雲を背景に、逆さに立てた剣の柄に両手を添え、彼方をみているセイバーの姿は、オープニングやデモ映像でよく目にする代表的なものだ。これが一番近い印象ではあるが、かの絵はセイバーの表情がスッキリしすぎている。これがどうしても違うと思えてならなかった。

彼女は決してシンプルな青臭い理想に殉じて生きたわけではない。外敵との戦いと、同時に内部からも攻めを受ける日々。あまりにも複雑に押し寄せる内外の攻撃を受けつつも、その矛盾で破滅するわけにはいかない立場である。彼女はその強烈なプレッシャーの中で、王としての生き方を貫き通した。

セイバーは女性として生きていない。女王ですらなく、ただ王であったろう。
ならば、たとえ15才ほどの少女の外見だったとしても、その人生はかならず顔に出ているはずだ。

だが、そんなセイバーが描けない。
女性は、ただそこにいるだけで女性らしい空気を放っているはずなのに、私の想起する彼女にはそれすら皆無なのだ。ところが顔は美少女であるというこの矛盾。

これが消化しきれず、Fateについては凛の絵ばかり数枚描いた。
だが、わたしがFateをやって一番に描き出したかったのは、世にあふれる可愛いセイバーではなく、騎士王としてのセイバーだった。
王の風格と責任感をもった少女。おそらく妙な気負いなどはなく、自然体のまま、ほとんどわからないくらいの歪みしかない自然体で、王としてあったのだと思う彼女。



はたして、ここでその絵が描けているだろうか。

そして、わたしは彼女に少しでも追いつけているだろうか。


















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