990731sat
最近は、初対面の人に出会うのが怖い。
「やあ、あなたが鯉や鳩にエサをあげることと、サンドバッグを叩くのが趣味で、一日に一升の牛乳を飲みながら、ゴキブリも殴ってつぶせる上に、井上喜久子さんのためなら人生を棒に振ることも辞さないと公言している、夏になると宇宙にいきたくなるとゆー病気をお持ちの、日記も書けばヌードも描く、鎖骨フェチのヤクザ店長ですね」
「やめてください」
こんなふうに呼びかけられたら(しかも一部に誤解あり)、さすがに叫ぶかもしれんなあ。
7月の日記を読み返して、そう思った。

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990730fri
◯◯◯というか◯◯◯というか、彼らのホームページが、最近たくさん作られている。
◯◯や、マルKの情報、◯◯◯◯◯など、コンピュータを使ってお仕事をこなしている◯もあるのだろう。(様々な事情から、明記できない名詞がありますが、ご容赦ください)インターネットがここまで普及している以上、ホームページがあるのも、当然と言えば当然だ。それに、コンピュータ技能をもった人材を募集するためにも、ホームページは有効である。
参考までに、ひとつのホームページを紹介しておこう。
黒竜会のホームページ

ところで、今日の日記には、じつは嘘の部分がある。



Q:さて、どの部分が、嘘でしょうか。

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990729thu
とても美しい鎖骨を見た。
ココネさんの絵を描いてから、どうも女性の、肩、首から胸へのラインに目が行くようになってしまい、たいへん困っている。キャミソールのお客様など来店されると、本当にたいへんだ。
正面からやや斜めの角度で、絵のまんまの構図に出くわすと、一瞬みとれてしまうのだ。困る困る。
そのお客様も、キャミで、しかも美しい鎖骨を持っていた。美しい鎖骨。美鎖骨とでも言おうか。
実物の鎖骨というのは、絵に比べて、段違いに美しい。
やはり実物には、かなわないなあ、と思う。

ところで、これは、断じてスケベ心ではない。
芸術を愛する、美しい心だ。
そのお客様は、実際、胸元のカッティング、というか切れ込みも、そうとうに深かったが、私が目を奪われたのは、あくまで鎖骨のみだったからだ。
ほら、やっぱり芸術の心だった。
あぶないあぶない。



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990728wed
英語でメールが来る。
「Sizer Art」とあったので、もしやと思ったら、アメリカ在住アメリカ人さんからの「ハーメルンのバイオリン弾き」ファンメールだった。どうも、夜想曲を賛美してくださっているような内容っぽい。
奇声を発して驚く(うひょーっ とか)。
以前、韓国にお住まいの Asteroid さんという方から、これまた英語でメールをもらったことがあった。
この時は、双方に共通の表示フォントは英語しかなかったので、英語で話をしたものだ。
ともに英語圏の人間ではないので、逆に、中学生ていどの英語で通じるのを、面白く思った。
その後、 Asteroid さんが日本語のフォントをマシンにインストールしてくださり、あまつさえチャットでの会話も日本語でこなすという、大変な多才ぶりを発揮してくださったので、私にとってのファーストコンタクトは、無事に進んだ。
だが、今度はそうはいかない。
まれにローマ字で、日本語も書かれている(Honnto-ni Gommen-nasai! 等)ので、日本語も、ある程度は、お分かりになるだろうか。
しかし、自分としても、多少の進歩を見せたい。
とにかく辞書を片手に、英語で、返事を書こうと思う。
だが、その前に、なんと書かれているか、正確に読みとる作業が先決だ。
解読をはじめて30分。「オクラホマ」とゆーところに住んでいることまでは、何となく分かった。
前途多難である。

「ハーメルンのバイオリン弾き」は、「ヨコハマ買い出し紀行」よりも、エンターテイメントとして有名であり、人気がある。連載期間も、アニメ化のされかたも、ぜんぜん違う。そして、少なくとも、より海外向けだ。英語のハーメルン系サイトもいくつかある。
最近の夜想曲には、ヨコハマのお客様が多い。私の中ではヨコハマの方が、現時点では大きいのだが、ハーメルンは、やはり有名なのだと、このメールをいただいて実感した。

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990727tue
大雨が降っている。鳥撃ちの散弾のような大きな雨滴が、ものすごい勢いで、際限なく降り注いでいる。
音も凄い。通勤時、車に乗っていると、外の音が全く聞こえないくらいだ。
水害も起きるし、通勤時にはいつもより時間がかかってしまうため、大雨は嫌がられることが多い。
だが、わたしは、これくらいの大雨は、実は大好きである。
なぜなら大音響で井上喜久子のCDをかけて通勤しても、まったく恥ずかしくないからだ。
「地味ーな、お父さんがー、あーる晴れた日にー、前方後円墳をー見ーにいきましたー♪」
通勤車の内装がビリビリ振動するような大音響で「かきくけ喜久子のさしすせソナタ 杉並公会堂公開録音CD」をかける。
これは同名のラジオ番組の公録をCD化したもので、朝きくと一日が台無しになり、夜きくと夢でうなされるというCDである。ちなみに私は、朝晩きいている。
信号待ちや、駐車場での、エンジン音が静まる時には、車内で聴いている音楽というのは、意外に外に漏れている。CDを聞きつけて
「あなたも井上喜久子さんが好きですね。仲良くしましょう」
と、一輪車に乗って接近してくるような剛の者も、なかなかいないと思うので、普段は、なんとなく音量を絞っていた。
だが大雨の日は、そんな心配は無用である。
だから私は、大雨が好きだ。



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990726mon
どっかーん。わーい。
これが、何故か好評である。
昨日の、日記猿人投票ボタンの文句だ。
たぶん、例の絵を見た感想の、最も中心的な心情を、的確に表していたからだろう。
どっかーん。わーい。
うむ、実に、もっともな感想である。
この「突っ込みボタン」は、寝言日記の一部であり、これを含めて面白いのだから、毎回けしてしまうのは、残念だ、という、ありがたいメールもいただいた。
しかしながら、記録と記憶の残っている分いがいは、どうにも思い出せないため、22日あたりから、残すことにする。
どっかーん。わーい。
うむうむ、よしよし。



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990725holy
「ヨコハマ買い出し紀行」のココネさんの絵を描いた。
こちらがラフで、こちらが完成
当初の、水着のココネさんを描こう、という気持ちに、嘘や偽りはなかった。
ほほえましい体型で、かわいい水着の絵を描こうと、実際ペインターを起動させた頃までは、意識があったのだ。
私は、露出の多い人物画の場合、ふつう裸をかいてから、服を描きたしている。今回も、あとから水着を描くはずだった。
しかし今回は、つい服を足さずに、着色に入ってしまったのだ。
作業中盤で気がつくと、このラフである。
すっぽんぽんだ。
この絵に水着を描き込んで、水着絵らしくすることもできたかもしれない。
しかし、
あまりにもあまりにも美しく体の線が描けたので、私には、どうしても水着を描き足すことが出来なかったのだ。
最初は、ヌードということに抵抗を感じていたが「もういい!」と開き直る。
「このままいく! こ、この上に水着なんて、私には絶対に描けない!!」
それは、ひどく無粋なことのように思えたのだ。
そして完成度は、ご覧の通りである。
私の、現時点での最高傑作だ。ヌードにして良かったと、心から思っている。


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990724sat
先の日記にあんなことを書いたものだから、昨日の投票数が凄いことになっている。
一日で23位もランクアップだ。言ってみるものだなあ、と感心した。ありがたやありがたや。
ところで、この日記猿人には、1000近い日記がランキングされている。
この、他人の日記というのは、けっこう面白いのだ。
最近独走一位の「ちゃろん日記(仮)」(バーチャロン日記の番外編の意味らしい)はさすがに面白い。
日常の何でもないこと(でもなさそうだが)を、面白い視点で、うまく描いている。
「今日の花ちゃん」も、とても面白い。ぜひ見に行くべし。ネコが嫌いでない方には、かなり楽しめる。
毎日つづいていて、コンスタントに面白いのが、本当に感心してしまう。
風俗関係や性生活を思わせる日記が人気なのは、まあ仕方ないが、さすがに上位の日記には、文章やネタの組み方で、面白いものがあるものだ。
目下のところ、寝言日記の目標は「補陀落日記」だ。票差は少なく、ショートストーリーが面白い。
だが、それ以上に、とりあえず「ジョルノスカトロ日記」にだけは、負けたくないと思う。


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990723fri
最近、毎日、見に行くのが、日記猿人のHPだ。
日記猿人とは、インターネット上で公開されている日記を紹介し、投票によるランキングをつけるHPである。
ちなみに、この寝言日記もエントリーされている。最新日記の下にある、投票用のボタンが日記猿人につながっており、これを押してもらえると、ランキングの順位が上がるのだ。
実際に会える人で、日記を読んでくれている人には、しつこいくらい「投票してくれ」と言っている。
うちのアルバイトなど、かなり言われているので、そろそろウンザリしているかも知れない。
日記自体の情報はここで、「愛知県で某「書店の店長」を勤めつつ、「ハーメルンのバイオリン弾き」や「ヨコハマ買い出し紀行」のイラスト(Painter愛用)を描いて楽しむ日々を日記にしました。上記三点、興味ある方、見に来てくださいね。」
こんなことが書いてあるが、なんか違う。
初期はたしかにこんなつもりだったが、いまでは、完全に個人情報の自己暴露日記だ。
ここでは、投票してくれた方の情報もある程度わかる。ドメインのみだが、毎日のように熱心に投票してくれている方もいて、とてもうれしい。
気になるランキングは、こちらである。
6月は1185人中 652位だったが、
今見ると、999人中、301位だ。
すごい飛躍である。
ひゃっほう、と飛び上がりたいほどだ。
その前日は296位だった。300番台を突破したときには、じっさいに腰が浮いたものだ。
これも、投票してくださった皆さんのおかげである。
これは、本当にはげみになる。
どんなに順位が上がっても、けっして人目を気にすることなく、あられもない上に、みもふたもない日記を続けていこうと思った。


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990722thu
「ヨコハマ買い出し紀行」をネタに、水着の絵を描こうと思った。
連載の方でも、夏の話になりそうだし、四巻での水着姿が、私にも強烈な印象で、いちど描いておきたかったのだ。
絵の構図やネタが、ぜんぜん浮かんでいなかったので、夜想曲掲示板で、詳細を募集してみた。
「水着を描くなら、アルファさんとココネさん、どちらが良いですか?」という問いである。
現在までの書き込みと、メールでのリクエストを表記しよう。

ココネさん。」
ココネかいてください。」
「私に聞かないでください。ココネに決まってるじゃないですか」
「個人的には、ココネ。」
「陸(海辺とか)にいるならココちゃん、泳いでいるならアルちゃん、という感じ」
ココネの水着絵。ビキニ。いや、じゃなくてもいいから、おへそ」
「砂浜に座ってるココネとか。」

あーもー、どいつもこいつも。
アルファさんは0.5票か!?
これは冗談だが、ヌードという話もあった。いや、ホントに冗談なので、読んでいる方、気分を害されぬよう。
総合すると、とにかく何が何でもココネさんで、海辺か砂浜というロケーション、ワンピではなくビキニ(へそだし必須)で座っている絵。ヌードも可。
はたしてこれに応えられるだろうか。
今度の休みにでも、ちゃんと描こう。


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990721wed
去年だったか、一昨年だったか、宮澤賢治・生誕100周年というフェアがあった。
これにちなんで、宮澤賢治関連の書籍類が大量に入荷し、またよく売れたのを憶えている。
「生誕100周年」である。とても昔のことに思えた。実際、宮澤賢治は、すでに歴史上の人物である。
しかし、このフェアをしみじみ見つめながら、私はある感慨に耽っていた。

「宮澤賢治って、金さん銀さんよりも若かったんだな・・・」


990720tue
わが書店は、草地に囲まれているためか、夏場には巨大な蛾が飛来する。
これに対し、女子従業員は様々な悲鳴をあげる。駆除するのは、どうしても男性従業員の仕事だ。
なんとか追い出したり、時には殺生もする。そうして出た死骸や、虫の息の虫を、紙などですくうようにして屋外に捨てるのだ。
今日も一匹の蛾を退治した。すくい上げようとしたが、うまくいかない。子供の頃のように、手でつかんだ方が早そうだと思ったが、これはためらわれた。

昔はわりと平気だった昆虫が、最近は、触るのに抵抗を感じている。
自分は、臆病者になってしまったのではないか、と懸念する瞬間だ。
だが、これはもしかして、触る必要が無くなった、ということではないだろうか。
子供の頃には触れなかったものを、大人になると、どんどん触らなければならなくなる。
だから、私の中で「昆虫を触るべき時期」が終わったということだろうか。
別の例えを考えよう。
計算や暗記能力は、学生の頃は本当に優れていたのに、社会人になったら急にダメになった、と嘆く話をよく聞く。ところが実際、社会人には、計算能力や暗記能力ではなく、実社会での問題解決能力や、クリエイティブな素養、人間関係の能力を問われることが多いのだ。
つまり「何かができなくなった」のではなく、もっと高度な次元に対応するために、個人の能力バランスが変化し「何かをする必要がなくなった」ただけなのだろう。そのかわりに「しなければならない何か」が、新しく存在しているはずだ。
そう考えると「老い」というのも、単純に能力の衰退なのではない。それまでの経験を活かして、次の段階の何かを成し遂げる、あるいは老成しなくては出せない味を出す時代に入ったのだといえるだろう。
だから我々は、若い頃の能力の衰えを嘆く必要はない。
ただ、年齢を重ねるに連れて、質的に高度な仕事をしているか、ということは、とても大切だ。

「こんなことを考えてみたが、どうだろうか」
「とても感動しました。しましたから、はやくそれをどうにかしてください」
私は、話している間中、紙切れの上にのせていた蛾の死骸を、おとなしく捨てに行った。
外では、多くの羽根虫が飛んでいる。
彼らもまた、幼虫の能力を失い、かわりに空を飛ぶ力を得ているのだ。


990719mon
私は、実は大きな機械が好きだ。
巨大ロボットの実物など見たら、かなり興奮するだろうと思う。
頑強で重厚な金属による、巨大なメカニズムの駆動は、男のロマンだ。

私は、実は宇宙も好きだ。
無限に広がる星の海を、地上からでなく、宇宙で見ることが出来たら、かなり興奮するだろうと思う。
やはり宇宙は憧れだ。三億円事件や競馬場で有名な府中にだけは行ったことがあるが、宇宙には、まだ行ったことがない。

そんな私にとって、きのう行った各務原航空宇宙博物館は、素晴らしいところだった。
屋外、屋内ともに、航空機やヘリコプターの実物、宇宙開発の記録などが展示されている。
大型の航空機もあり、機体によっては、触れるどころか乗り込むことも出来るのだ。
私などは、けっこうドキドキしながら飛行機を見て歩いたものである。
個人的に最も楽しめたのが、宇宙船シミュレーターだ。
これは、マイクロバスほどの密閉式の筐体に、30人ほどで乗り込み、擬似的に宇宙船の航行を体験できるものである。
箱の中では、シートに体を固定して、スクリーンに投影される3DCGのアニメーションを見るのだが、このアニメが下手なゲームのオープニング以上の素晴らしい出来映えで、その上、筐体もがっくんがっくん揺れるため、本当に宇宙船に乗って、マス・ドライバーで射出されているかのような錯覚まで起こさせてくれる。
シミュレーションが終わってタラップを降りながら、興奮気味に宇宙旅行のことを語る自分がいた。
自分の目が輝いているのを感じた。
となりにいるmasterpieceさんの、少々あきれたような視線も少し感じていた。
いつか大きな宇宙船で、宇宙に行ってみたいと思う。
だが、爆発物の先端に人間をくくりつけて打ち上げるよーなロケットではなく、あるていど快適に、それこそ本屋でも乗れるような宇宙船の時代になるまでには、あと何年かかるだろうか。
宇宙船打ち上げの歴史資料エリアを回りながら、かなり本気で計算している自分がいた。


990718holy
masterpieceさんと会う。
氏は「ヨコハマ買いだし紀行」のHP「ちょろぼヨコハマ」の管理者であり、アマチュアだが小説家だ。
氏の書くヨコハマの小説は、作品への愛情、考察力、そして文章力が、みごとに融合した姿である。
私は氏の書く小説が好きで、メールで感想など送るうちに、ご近所さんであることがわかり、会うことになった。
「各務原航空宇宙博物館」という場所で会う。
二人とも、宇宙開発や航空機が好きな上に、双方の現住所の中間にあたるため、最適なロケーションだ。
「夏になると、宇宙に行きたくなりませんか」
初対面の相手にこの問いかけをして、のけぞられる。だが、すぐに
「いやあ、行きたいですねえ」と調子を合わせていただく。
いい人だ。
宇宙旅行、ロボット、そしてヨコハマにおける現実的なロボットの可能性について、時間を忘れて語り合う。
誰かに自分の考えを伝えるとき、HPを使うのは有効な手段だと思う。実際にはなかなか会えない遠隔地の人にも、時間を問わず閲覧していただけるし、メールなどで、リアルタイムのレスポンスが得られるからだ。
だがこうして、じかに会って語ることが出来るというのは、別格である。これこそ、思想、考察、意思の伝達のための、質として最良の方法なのだ。
会って語れるのは素晴らしい。
そして、こんなにも楽しい。
日本中のヨコハマを愛する人たちと、こうして会えたら素晴らしいな、と思った。

先日アップしたヨコハマのCG「朝の静謐」について。
これは、そもそもmasterpieceさんの小説に影響されて、描いたイメージ画だった。
そして、氏に、あとからストーリーをつけていただいたのが、絵にかぶせてある文章である。
私は、それが「アルファー室長と、ターポン(船)との会話」であると思い、その方向で考察を加えた。現在の「朝の静謐」である。
これが、会って話してみると、意味が違っていた。
氏による説明を拝聴する。
アルファー室長と同乗していたクルー達は、長い年月の果てに他界し、いままたターポンまでもが、現役を離れようとしている。
そのことを、ともにターポンで暮らした仲間に、報告しているところだったのだ。あの絵は。
違う解釈でびっくりである。
しかも「朝の静謐」の考えより、さらにドラマチックだ。
私もたいがい深読みする方だとおもっていたが、氏はもっと深かった。
さすがである。


990717sat
※著者注:本日の日記は、決して飲み食いしながら読まないでください。

この世に存在する、あらゆるものには、かならず存在の意義があるという。
仏教でも、キリスト教でも、よく言われることだ。
では、ゴキブリの存在意義は何だろう。
多くの女性に、恐怖と嫌悪の実体として扱われているゴキブリを、神様はどんな目的で創造されたのだろうか。
ある先生が、この問いに答えてくれた。
いわく「どんなに情けない男であっても、ゴキブリを退治することさえできれば、最低限、その時くらいは、女性に尊敬されることができるのだよ。そのために神様は、ゴキブリをおつくりになったんだ。人間は、尊敬しあって生きていかなくてはならないからね。」
「そんだけのためですか」と突っ込みたい衝動と同時に、真偽はともかく、私は感心していた。この先生は以前「恐竜があんなに大きな図体をしていたのは、地殻変動がおさまったばかりの、太古の地球の大地を踏み固めるためだ。そのように神様はつくったのさ。」と教えてくれたこともある。当然ながら、氏はクリスチャンである。変わった先生だった。
ゴキブリに話をもどそう。
先の理屈なら、私などは、かなり男のパーセンテージが高いといえよう。例によって学生時代、退治しても退治しても、続々と生産されてくるゴキブリを、蠅叩きひとつで駆除していた実績があるのだ。
しかし上には上がいる。
彼の名誉のために名前は伏せるが、私の友人で東大生がいた。彼の部屋で、テレビを見ながら食事をしているとき、ゴキブリがあらわれた。二人とも馴れているので、いまさら驚かない。そのとき突然、壁の方から破裂音がした。
ふりむくと、彼は壁を殴っていた。
一瞬、何が起きたか理解できなかった。しかしそれはすぐに氷解する。

かれは。

食事中に。

イワシのフライを私が食べている、目の前で。

てらてらと黒光りするゴキブリを。

殴ってつぶしたのである。

手に持っていたお箸を、ちゃんとテーブルに置いた上での右ストレートだった。コークスクリュー気味のねじ込むようなパンチである。左手にはお茶碗が掴まれたままであった。
よく見ると、部屋のそこかしこに、過去の激しい戦いの痕跡がある。
城之内(島本和彦著「炎の転校生」のキャラクター。殺虫パンチという必殺技を持つ。どんな技かは、推して知るべし)か君は、という冗談をかろうじて吐き出すことができたのは、私が日々ゴキブリ退治を行っていたという、修練による耐性のたまものだと思う。
東大に入り、あまつさえ食事中にゴキブリを殴ってつぶせる男。
彼こそ男の中の男である。
だが、あまり女性にもてないのは、なぜだろう。


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990716fri
CLAMPの「エンジェリックレイヤー」というコミックの一巻が、角川書店から発売されている。
女の子が「エンジェル」と呼ばれる人形同士を戦わせる、バトルもののマンガだ。
何かデジャビュを感じると思ったら、コミックの担当者があっさりと看破してくれた。
「プラレス三四郎です」
至言である。
プラレス三四郎とは、パソコンを駆使し、プラモデルで、プロレスをやるという15年くらい前にはアニメにもなった(しかもキャラデザは、いのまたむつみ)マンガだ。ちなみに、プロレスではなく、ガンプラで武器戦闘を行うのはプラモ狂四郎である。
両者から、男臭いロマンや、少年らしい憧れを抜くと、エンジェリックレイヤーになるのかもしれない。
990715thu
本屋というのは、意外に儲からない。
仮に、本が100万円、売れたとしよう。
1000人のお客様が、1000円くらいの本を買って下さると、そうなる。
そのうち最高に条件が良くても、75%は、仕入れ値である。これを問屋に払う。
残った25%の利益から、従業員の給料を払う。
さらに光熱費(照明や、エアコンなどの電気代)を払い、通信費(電話代)を払う。
そして、土地代(家賃)を払う。
これで一体いくら残るというのだ、と思っている矢先に、わずかに残った利益の、実に60%を法人税が持っていく。
60%である。
何年もかかって1000万円の利益を出しても、国がひょいと600万円持っていくのだ。400万円しか残らない。
お給料日に、給料袋を開けて金額を数えているときに、税務署がやってきて「じゃあ、税金として60%いただきます」などと言い、ひょいと六割もって行かれたら、諸君らはどう感じるだろう。
20万円の給料なら、8万円しか残らない。5万円のアルバイト代なら、2万円しか残らないのだ。
家に帰ってから、サンドバッグに強烈なボディーブローをカチ上げつつ「ふざけるなあああっ」と叫ぶしかないだろう。サンドバッグを持っていない人は、どうすればいいのか。買っておいて本当に良かったと思う瞬間でもある。
そんなやるせない思いを胸に抱きながらも、なぜ書店員は書店員でありつづけるのか。
それは、我々が本を愛しているからである。
逃避の手段として、本を愛用していることとは違う。本によって自分が高められることを愛する人が、長く本屋をやっていけるのだろう。
私たち書店員は、本を愛している。
たとえ、貧血の患者に献血を強要するような税制のなかでも。
990714wed
10年以上前に卒業した高校のOB/OGが集まって、年に三度ほど、創作のコピー本を作っている。
その本に、寝言日記を載せた。
普通の人にわかりにくい話はカットし、(だからといって、ここを見に来る方が、別に、何というか、その、異常な人というわけでは、たぶん決して無いだろうと、わたしは固く信じたい)それでも出てくる井上喜久子のことなどには注釈を加え、99年2月から5月の分を、とりあえず載せた。
製本できたオフライン版、というか、再生紙に印刷された寝言日記をしみじみと読む。
目の前で、プリンセスメーカーの所を読んで笑われるという、新鮮な感動があった。
普通の人にも受けるんだなあ、と認識をあらたにする。
でも、やはりブラウザで見る寝言日記の方が、私には面白いと思った。
活字で見ると、風情が違うのだ。寝言日記は、やはりネット向きである。
990713tue
まだ「レオン」を引きずっている。
映画の内容に障りの無い範囲で、牛乳の話をしよう。
映画の中でレオンは、健康のためか、牛乳をよく飲む。
実は私も、牛乳はよく飲む。
他に彼との共通点が無いのが寂しいが、この際よしとしよう。
最盛期の中学時代は、一日に200cc瓶で、牛乳を9本ほど飲んでいた。
一日に一升あけていたのだ。

だが、これには実は事情がある。
今もその傾向はあると思うが、女子学生は、よく給食の牛乳を残す。もったいないということで、それが学校の冷蔵庫に貯蔵されていた。運動部などが部活の後によく飲んでいたが、冬場はどうしても貯まりがちになり、ついに冷蔵庫の棚が壊れるという事件があった。
解決を命じられたのは給食委員である。ちなみに私は副委員長の要職についていた。
何とかしろといわれても、中学生のことである。飲むしかない。われわれ給食委員は、ひたすら牛乳を飲み続けた。
委員長と私は、率先して処理にあたっていた。始業前に二本、給食時にクラスの残り牛乳すべて(だいたい四本くらい)放課後三本のペースだ。一日九本で、私などは、さらに家でも飲んでいた。
その結果、中学を出る頃、同じように牛乳を飲んでいた委員長は、異常に背が伸び、わたしは、異常に骨が太くなった。
高校へ進学した頃、交通事故で軽トラックに体当たりして宙を舞ったことがあったが、打撲ですんだくらいである。
このときのために、牛乳9本生活があったのだ。と事故当時、ぐしゃぐしゃになった自転車と、ボロボロになった学生服をみながら、私は神に感謝した。
映画の中で、レオンがあれだけ頑強な体を維持しているのも、牛乳のおかげなのだろうと、実感を込めて思う。
そんなわけで皆さん、牛乳をのみましょう。
990712mon
ジャン・レノの「レオン」という映画を見る。
うーん。いいなあ。これはいい。
マチルダも素晴らしく良いが、レオンは凄まじく良いぞ。ジャン・レノはいい役者だなあ。
日本語吹き替え版だったが、レオンの声が、これまた大好きな大塚明夫で、も〜♪
まだ見ていない方へのネタバレが、なにより恐ろしいので、内容には一切ふれずにおこう。
だが、これだけは言う。
目を開けて言う。
愛してるよ、レオン。
990711holy
「黄金の心」を先日アップした。
いろいろと、感想をいただく。
ある方が「こういう絵は、女性には描きにくい」と言っていた。
わたしの絵は、よく女性的と言われ、女性が描いていると思われがちだが、すると実際は男性のほうが、この手の絵は描きやすいのかもしれない。母性への憧れが、女性よりも強いからだろうか。
あるいは、女性にとって母の姿とは、将来の姿として、リアルすぎるのかもしれない。
母という心情を通過したことのある人には、この絵はどう映るだろう。
990710sat
むかし、夜想曲掲示板にも書いたことなので、御存知の方もいらっしゃるとは思うが、私の家には、サンドバッグがある。
購入当時、サンドバッグの中には、砂が入っていなかった。説明書には、大きく「別売り」と書いてあった。
私は説明書を破り捨てた。
後日、砂を購入するためにホームセンターに行く。
砂代を計算しつつ、未払いのサンドバッグ代を計算に入れると、銀行の預金残高が3桁を割った。
私は預金明細書を破り捨てた。

数日後、わたしは奇妙な噂を耳にした。
深夜に、バケツを持った不審な男が、児童公園の砂場を徘徊し、砂を採集しているというのだ。
だが、きっと彼には、なにか止むに止まれぬ事情があるのだろうと、私は思う。
きっと彼は心の中で、砂場で遊ぶ子供たちに、すまないすまないと思いながら、砂を集めたことだろう。
その証拠に、彼は一カ所の砂場からは、バケツ一杯分の砂しか盗んでいない。そして、一週間かけて近隣市町村の全砂場を総ナメにするという、たいへん根気のいる作業の末、サンドバッグを完成・・・ああ、いやいや、何らかの崇高なる目的を達成せしめたのだと思われる。
彼を責めてはいけない。責めるなら「砂は別売り」と明記していない通販記事・・・ああ、いえ、あの、矛盾に満ちた社会の仕組みこそを、責めるべきだろう。


990709fri
むかし、夜想曲掲示板にも書いたことなので、御存知の方もいらっしゃるとは思うが、私の家には、サンドバッグがある。
ボクシングの練習などで使う、おおきな円柱状のものだ。
男なら、一度は叩いてみたいサンドバッグである。
「あしたのジョー」をビデオで見たあと、どうしても欲しくなり、格闘技雑誌の通信販売で購入する。
商品はすぐに届いた。喜び勇んでパッケージを開ける手が、しかし、途中で止まった。
バッグや、土台は入っていたが、肝心の砂が入っていなかったのである。
そういえば、運送会社の人は、やけに軽々と搬入していたのを、ぼんやりと思い出した。
しばらく茫然としたままで「これではまるで、豆腐の入っていない湯豆腐ではないか・・・」とつぶやく。
「詐欺だーっ」と叫ぶまでに、さらに、二分ほどかかった。

つづく



990708thu
モノクロサイレントムービー風に、絵まで付けて日記化(7月1日の分ね)し、あまつさえお客様を笑わせておいて、いまさら何だが、野口雨情作詞の「しゃぼんだま」は、悲しい歌である。
ほんのわずかな間しか、生きることのできなかった、そんな子供たちをうたった歌だ。
こうした事情を知っている方には、先の日記は不愉快だったかも知れない。
と思っているうちに、夜想曲掲示板にも、この件で書き込みがあった。でも、喜んでくださっているようなので、ほっとしている。
だが、子供心に「なんだか凄い歌だなあ、爆発とか(注:爆発はしていない)」と思ったのも事実なのだ。許されよ、野口先生。

990707wed
日本人は、よく働くと言われている。
発展や、質の向上を目指して、あるいは、純粋に仕事が楽しくて、やっている人もいるだろう。彼らを非難するつもりもない。私も仕事を楽しんで、深夜まででも、働いているつもりだ。
だが、日本人は、どうも働き過ぎなのではないかと思う。
しかも、死ぬほど働いても、遊んで暮らせるようなお金が手にはいるわけでもない。
なんだか、おかしいと、子供じみた考えになるときが、たまにあるのだ。
もし全ての企業が、競争するためでなく、お互いを活かすために存在していたら、そして人々がもっと生活を自然のなかに置くことができたら、無駄な贅沢をしなくなったら、今の半分くらい働けば、それで事足りる世界になるのではないかと思う。
そうなったら、わたしは、
毎日おいしい空気を吸い、
おいしいものを食べ、
少し働き、
絵を描き、
歌を歌い、
友人と遊び、
そして、少しだけ人生のことや、世界のことを考える。
そんな生活をおくりたい。夢のように思えるだろう。だが決してあり得ないことではない。昨日、東京と岐阜を見比べて、すこし感じた。

990706tue
出張で東京へ行ってきた。
ネットも含め多くの友人のいる地だが、かなりの強行軍だったので、まったくコンタクトできなかった。残念である。
990705mon
バイクに乗っている。今日も、少々遠出した。
乗りはじめたのは随分まえだが、腕はいまだに初心者級だ。3000キロほどしか走っていない。
教習所では、ただ乗り方を教わるだけで、街乗りのマナーやコツなどは、それほど教えてもらえなかった。本などを読んでは見るが、なかなか身に付くものではない。
そこで、バイク屋の親父に、そのことを相談してみた。
「タンデムシート(二人乗り時の、後ろのシート)で、自分の一番大切な女性が眠っている、と思って乗るといいね」
彼女を起こさないように心がけて、乗ってみなさい、という。
これは効果覿面だった。
クラッチのつなぎが丁寧になったし、スタートもブレーキングも静かになった。、急加速もしない。無理な追い越しや、運転能力限界の走りもしない。他車に道を開けてもらえると、とても感謝できるし、総じて無駄な動きがなくなったようだ。運転にも余裕が出てきている。
まだ、とても寝かせられたものではないが、仮に「女性」が同乗する場合、乗る前に遺書を書く時間や、十字を切っての最後の祈りの時間を要求されそうな運転や、彼女がバイクを降りた瞬間、両手を胸の前で組み、膝を折って天を仰ぎながら「生きてるって、素晴らしい・・・」とか「主よ、奇跡の生還に心からの感謝を・・・」とつぶやかれそうな、以前の運転よりは、はるかにましになったと言えよう。
たまに街道で、車間に凄いスピードと角度で切り込む、無茶な追い越しを見かける。
彼の後ろに乗っている「女性」は、かなり冷や汗を流していることだろう。

990702fri 〜 990704holy (三日分)

かつてのボクシング世界チャンピオン、マイク・タイソンは、少年時代、嫌なことがあると、鳩に餌をあげて自分を慰めていたという。
落ち込んでいるときや、鬱々しているとき、これはけっこう効果がある。

最近は御無沙汰だが、昔はよく観音様へお参りに行きながら、鳩に餌をやっていた。適当なところで餌をバラ蒔くと、すぐに群を成して集まってくる。
こういう群の中には、たいてい何羽かのレース鳩がいる。レース鳩とは、かつて伝書鳩として活躍した鳩の子孫で、その優れた帰巣本能で、遠隔地から飼い主のもとへ戻るタイムを競う鳩だ。昔は、鳩舎を持っている人もいたが、最近はあまり見ない。鳩レースは廃れているのだろうか。

彼らは、特に帰巣本能の優れた種類の鳩であり、多くが血統書付きである。それゆえに、お寺などにいるドバトとは、羽根のがらこそ同じだが、プロポーションや頭の大きさはぜんぜん違う。ちなみに、もっと簡単に見分ける基準は、足の輪っかだ。これが付いている鳩は、一応、日本鳩レース協会に登録されている鳩である。

神社や寺院にいる彼らは、ちょっと一休みのつもりで入った軒下で、不覚にも帰るべき家を忘れ、野生化してしまった鳩だと思う。まだ不慣れな訓練中にそうなることもあるだろうし、北海道・東京間1100キロを飛ばせるような長距離レースだと、かなり訓練を積んだ優れた鳩でも、帰巣不能になることがあるという。

ところで彼らは、総じて育ちがいい。飼い主が栄養のバランスを考えた、適量の食事を用意してくれる生活に、どっぷり浸かっていたため、神社などの厳しい社会の中では、餌を得るのも大変なのだろうと思う。
わたしは、レース鳩を見かけると、不器用なその子を狙うように餌を投げてやる。だがそれでも他の野生味あふれる俊敏な鳩に横取りされている。やはり要領の悪いレース鳩が生きていくのは大変だ。彼らも、たぶん飼い主のところへ戻りたいのだろうと思う。恋しいのだと思う。だが、彼らはもう、戻れないのだ。

彼らは、もう、ここで年をとって死んでいくしかないのだ。
彼らの心の中に、飼い主を慕う気持ちが、いまも残っていたとしても。

片方の足を失ったレース鳩が、いた。
最後に鳩に餌をあげたときに見たので、かれこれ5年ほど昔である。
彼は、その怪我でレースから脱落したのかも知れない。あるいは、このお寺で足を失ったのかも知れない。
新参者で、マナーを知らない鳩が、群の力関係を無視して餌を食い、仲間に殺されてしまったり、ひどい怪我を負うことは、よくあるそうだ。
彼の場合はどうだろう。
いつか飼い主の所へ戻るために、いまここで傷を癒しているのかも知れない。生き抜くことと、帰るべき家の方角を見失わないまま、ここでじっと力がつくのを待っているのかも知れない。
何年もたって、鳩が帰ってきたケースも、決して珍しいことではないときく。
彼が、まさにそうなのだと、私は思いたい。

前フリが長かったが、先日およそ5年ぶりに、鳩に餌をやりにいく。

天使などの羽根絵を描くときの参考にしようと、スケッチブックと鉛筆を持って、バイクで観音様に行った。片足の彼がいた寺院だ。

餌(20円)を買おうとして驚く。鳩に餌をやることは、この数年のうちに禁止されていたのだ。
文化財が鳩の糞で痛むから、というのがその理由である。餌がもらえなくなったせいか、軒下などにいる鳩も、むかしより、ずいぶん数が少ないようだ。とりあえず、片足のレーサーは見つからなかった。
仕方ないので、たまに降りてくる鳩を狙って、スケッチする。何枚か描いて、私は観音様を後にした。


「餌をあげたい」という気持ちが、どうにも残ったので、しかたなく苧ヶ瀬池という近所の池に行く。
ここでは鯉の餌(麩菓子)が売られている。
池のふちで、おばあさんが、銭形平次のように鯉に10円玉を投げつけていた。ふと立て板を見ると「鯉の餌、10円」と書かれている。なるほど、と私は手を打った・・・というのは冗談だが(おおい、山田君。歌さんの全部とれ)人が食べてもけっこう美味しい麩菓子は、一本60円で売っている。これを手に池に近づくと、馴れたもので、すでに鯉が群を成して押し寄せている。

ひとかけらちぎって、手を伸ばすだけで、反応している鯉もいた。水面が波打ち、大口を開けた鯉が跳ねるのだ。
「ほーら、おいしいぞー」と言って、そのまま自分の口に入れる。美味である。鯉は迷惑そうな顔をしているが、それでも去っては行かない。
少し罪悪感を感じたので、てきとうにちぎった餌を、池に放る。ひとつめが入ると、もう凄まじい勢いで鯉が群がる。餌を口にした鯉の上に、あきらめきれない鯉や、次の餌を狙う鯉が、次々と飛び乗っている。水面より、あきらかに高い位置で、多くの鯉が揉み合っているのだ。たぶんその下に、さらに多くの鯉が、土台となる下部構造を形成しているんだろうなと思った。とりあえず鯉の柱と名付ける。おもしろいので、どんどん餌を放った。ここを先途と死にもの狂いで、鯉が飛びつく。鯉の顔が真剣だ。眼が燃えている。エラから出る呼吸音にも迫力があった。

ここで私は、一つの学説を思い出した。鯉という魚は、かなり強靱な部類で、水なしでも30分ぐらいは生きていられると言う。そしてこの池の鯉たちは、餌を得るためなら肺呼吸も辞さないような地獄の亡者なみの根性と素質を持っている。このまま餌をとらせる訓練を続けたなら、あるいはいつか・・・。

鯉に餌を与える行為は、まさに「進化の促進」である。

あと6000年ほど頑張れば、この池から両棲の鯉が生まれるのではないかと、私はひそかに期待している。


990701thu

しゃぼんだま

とんだ

屋根まで

とんだ

屋根まで

とんで

こわれて

きえた




むかしは、こういう意味だと思っていた。