■ 2007.03.01 A 「妻を育てる」 いまおもうと、わたしたちの婚約期間はおそろしく長かった。 振り返ってみると、婚約期間の男性の使命というものが、なんとなくわかる。 うちの場合は特に、女性が精神的に幼かったので、それを育てていく役割があった。 やがて、妻となり、母となる女性として育てること。 たとえみためは若くとも、母の自覚ある人に育てること。 目の前だけ見ていては、未来は見えない。 この女性の人生に責任を持つ。そう考えたときの結論がそれだ。 これが、男性の使命だと、私は思った。 家庭教師みたいなものだと、いまでも思う。結婚してからは夫の立場で妻に対しているが、それまでは、どんなに愛していても指一本触れなかった(肩凝りがひどいのでもんだことがあったくらいだ)し、兄弟のような、あるいは執事のような立場で尽くしてきたと思う。 自転車と徒歩以外の移動手段を持たないゆっこさんを、なにかのたびに迎えに行ったり、荷物を持ってあげたり、いつの間に用意したのか分からないくらいのさりげなさで、彼女に仕えてきた。 そのなかで、彼女はだんだんと情を解放し、成長していった。 この期間は、長ければ長いほどいい。 正直、結婚したのはギリギリの年齢だったし、もっとお互いに成長は必要だと思う。 だが、家庭を出発するだけの最低限の内容は、この5年で獲得できた。 いま、美しく成長した妻が、あと少しで母にならんとする妻が、横にいる。
■ 2007.03.01 B 「思い出したように結婚式の話」 カメラマンの二人や、姉ほか親戚の方々から写真や、そのデータ、フィルムがとどいた。 ゆきこさんの実家に送るため、要所を押さえていて、かつ見栄えのする写真をセレクトしていく。 絞りに絞った156枚を、アルバムにまとめて送った。 あとは、写真のうち、ある程度まともに顔が写っている人数を数え、それだけ焼き増し、これを芳名帳をもとに郵送(今回はクロネコヤマトのメール便を使用)するわけだが、この帳面に名前しかかかないひとや、番地などを省いてしまう方がけっこういらっしゃる。 ここでも結局、最初につくったデータベースを持ち出した。 出席予定者に招待状を送るあたりから、 名前・よみがな・続柄・式での係・交通手段・着付けの要不要・引き出物の要不要・食物アレルギー・その他 これに、 郵便番号・住所・電話番号といった枠の表を用意し、出席者が確定してからは、席の順番に清書しなおして持ち歩いていた。 これがもう実に頻繁に必要とされる。とにかく諸方面からの確認が度々あるのだ。コピーをとりまくってどこに行くにも持ち歩いていたほどだった。 出席予定者のデータベースの準備。これを準備期間のアドバイスとして挙げておこう。 式が終わったら、今度は年賀状の作成にも使用するので、まだまだこのデータベースは使うことになる。 2〜3年、そのあともアルバムなどに挟んで保管しておこう。 たぶん、このペラペラのコピー紙二枚が準備期間の象徴になる。 それは、二度と会えないかも知れない、わたしたちを祝福してくださった親戚の名簿であり、この人達をもてなし、愛することを競った、夫婦の思い出でもあるからだ。
■ 2007.03.03 A 「ささや」 2006年10月29日ごろのお話 クロカワ時代に知り合った方が、近所でお店をひらいたので、ゆきこさんといっしょに行ってみる。 すごく素敵な、こじんまりとしたいい店だった。 なにより良いのが、店全体が静かなこと。モーニング目当てのやかましいオバサン連中がいないので、ちゃんと静かなのだ。 店内の一部が釜戸のなかのような形に切り取られていて、このなかがとても落ち着く。なぜだろうと不思議に思うほど落ち着く。 内装品や食器も素敵で、結婚式をさせてもらった「なり多」に並んで、素敵な店だった。 内装や椅子・テーブルなどに、一切の接着剤関係を使用していないというのもおもしろかった。壁紙もつかっていないし、合板による木造品も一切ない。そのせいか、店内の空気がすごく自然なのだ。化学物質に敏感な人には、特によく分かるだろう。アンティークの家具に、一部合板みたいなものがないでもないが、それは膠(ニカワ)を使用しているので、これも問題ではない。 あと、お客さんをたくさん呼ぼうと思っていないところがいい。 そとから見た感じ、よくよく注意してみて、やっと喫茶店であるとわかるくらいだ。 それに、料理が美味しい。 ゆきこさんがパスタを美味しい美味しいと一皿たべていた。何年も修行してきたプロの料理人の腕・・・という味ではないが、なにしろ体にいいものばかりを使っている。この時期の舌の厳しい妊婦が美味いというのは、本物だと思う。 静かに話ができること。自然食でうまいこと。近所であること。遅くまで(12:00〜23:00)やっていること。 友達と静かに話したいときなんかに、また利用しようと思う。
■ 2007.03.03 B 「よいモノをもらうスパイラル」 2006年11月2日ごろのお話 ゆきこさんは、何をもらっても喜ぶ。 だから、彼女に接するひとは、なにかあげようと思うとき、一番にいいものをあげようと思う。 一番よろこんでくれるひとのところに、ものを送りたいからだ。 だから、よろこんでなんでももらう彼女のところには、自然といいものが集まるようになる。 一番接点のあるのは母だ。 実家に来る度に、ん待ってましたとばかりに母はゆきこさんにものを与える。最近ちょっと趣味化しているらしく、手当たり次第に贈ってる節がある。 「ほら、これ持って行きなさい」 「うわあ、ありがとうございます!」 「これ食べる?」 「うはっ、いただきます」 「コレとコレもつかって」 「すみません」 「かりんとうの食べかけ、いる?」 「ちょっと待って、お母さん。その袋が開いてて半分以上たべてあるソレのことか」 「いいじゃないの。美味しかったし。もらって、もらって」 「ありがとうございます」 「ゆきこさんも素直に受け取るなよぅ」 人からもらったものを値踏みしない。 たとえ冗談でも文句をつけない。 ゆきこさんは、そういう人だ。 でも、昔のゆきこさんは、わりと普通に、そして無感動にものを受け取る人だった。 氷のようだった昔を思い出してみれば、いまの彼女のこころが解放されているのが、わかる。 すこし前、無性に「自分はそろそろ死ぬんじゃないだろうか」と、ふと考えてしまうときがあった。その理由は、きっとこれだろう。 彼女と出会ってからいままで、彼女を愛することが、わたしの人生の目的だった。 わたしの人生の成功条件は、彼女を愛し、そのこころを解放すること。 失敗条件はそれ以外のすべて。 2003.06.18の日記に書かれている。 掲げていた人生の目標が、ひとつ達せられたからだ。 ものを愛するひとのところ、ものに感謝するひとのところには、ものが集まってくる。 うちの家庭は、いまロクに買い物もしていないが、それでも食べ物と生活用品に溢れている。 これが解放の、ひとつの証拠だ。 ありあまる証拠の中でも、一番うれしい類の現象だ。 結婚で解放され、生まれ変わったゆきこさんの回りには、素敵なものがあふれている。
■ 2007.03.03 B 「よいモノをもらうスパイラル」 2006年11月2日ごろのお話 ゆきこさんは、何をもらっても喜ぶ。 だから、彼女に接するひとは、なにかあげようと思うとき、一番にいいものをあげようと思う。 一番よろこんでくれるひとのところに、ものを送りたいからだ。 だから、よろこんでなんでももらう彼女のところには、自然といいものが集まるようになる。 一番接点のあるのは母だ。 実家に来る度に、ん待ってましたとばかりに母はゆきこさんにものを与える。最近ちょっと趣味化しているらしく、手当たり次第に贈ってる節がある。 「ほら、これ持って行きなさい」 「うわあ、ありがとうございます!」 「これ食べる?」 「うはっ、いただきます」 「コレとコレもつかって」 「すみません」 「かりんとうの食べかけ、いる?」 「ちょっと待って、お母さん。その袋が開いてて半分以上たべてあるソレのことか」 「いいじゃないの。美味しかったし。もらって、もらって」 「ありがとうございます」 「ゆきこさんも素直に受け取るなよぅ」 人からもらったものを値踏みしない。 たとえ冗談でも文句をつけない。 ゆきこさんは、そういう人だ。 でも、昔のゆきこさんは、わりと普通に、そして無感動にものを受け取る人だった。 氷のようだった昔を思い出してみれば、いまの彼女のこころが解放されているのが、わかる。 すこし前、無性に「自分はそろそろ死ぬんじゃないだろうか」と、ふと考えてしまうときがあった。その理由は、きっとこれだろう。
彼女と出会ってからいままで、彼女を愛することが、わたしの人生の目的だった。 わたしの人生の成功条件は、彼女を愛し、そのこころを解放すること。 失敗条件はそれ以外のすべて。
2003.06.18の日記に書かれている。 掲げていた人生の目標が、ひとつ達せられたからだ。 ものを愛するひとのところ、ものに感謝するひとのところには、ものが集まってくる。 うちの家庭は、いまロクに買い物もしていないが、それでも食べ物と生活用品に溢れている。 これが解放の、ひとつの証拠だ。 ありあまる証拠の中でも、一番うれしい類の現象だ。 結婚で解放され、生まれ変わったゆきこさんの回りには、素敵なものがあふれている。
■ 2007.03.05 A 「子供を育てるということは」 2006年11月8日ごろのお話 子供を育てるということは、大人を育てるということだと思う。 その子を、どんな大人に育てていくか。 その目標自体は、立っている。 異性からの誘惑に負けない人に。 公金を握っても、真に社会のために使う人に。 犯罪の影に、女と金。ある程度の位置に登ったとき、誰もがこれにひっかかる。そうして腐敗の沼に沈んでいくのだ。 連日報道される腐敗の根本原因は、これに打ち勝つ人間的内容を個人が持たないことにある。システムをどんなに換えても、問題は無くなりはしないのだ。 国家や団体を指導していくのは、結局は弁舌に長ける人でも、交渉の巧妙な人でも、カリスマ的な指導者ですらなく、金と女の誘惑に負けない人材だ。ここが甘くては、どれほどの能力があっても意味がない。簡単に失墜してしまう。 異性問題も公金問題も、個人の思考ではなく「情」の構造に関わる問題だ。 我が子には、その「情」を育てていく段階から影響を与えられる。 ここを目指して、教育を始めよう。
■ 2007.03.05 B 「消費」 2006年11月9日ごろのお話 食料品以外の買い物をまったくしていないような気がする。 ハードとしては、ウィルコムのZERO3を8月に購入した。あとは、LANケーブルを一本。以来なにも購入していない。パソコンのうち一台は壊れたままだ。5000円くらいで部品が手に入れば直ると思うが、これも手を着けていない。(2007年1月にBeeさんからタダでもらって直せました。Beeさん、いつもありがとう) 8月にパンツを買ったが、服にいたっては7月にユニクロでシャツを購入して以来、なにも買っていない。 そして、小松左京の「日本沈没」を映画で見た後に原作を文庫で買い求めただけで、この四ヶ月、仕事関係の実用書以外で、書籍をほとんど購入していない。 パソコンは、G4マックが450mhzながらまだ十分に使える。もちろん、いろいろやろうと思ったら足りないが、絵とテキストとHTMLエディタとしてならだいたい問題ない。 服は、やせてきているので、かつて太る前に着ていた服がカムバックしたため、用が足りる。 自分でも驚きだ。 本自体は多少よんでいる。風呂に入る時間を一時間ほどとっていて、そこでむかし購入した本を読んでいるくらいだ。シグルイ7巻あたりが欲しいところだが、差し迫って求めているわけではない。 なんというか、なければないで、どうにでもなる。 事情もそうだし、心情がそうなのが大きい。 精神が満ちていれば、外的な刺激が必要なくなるのだ。 そのせいか、最近ちょっとした感動や驚きに敏感になった。繊細になったのかもしれない。それまでの情的な刺激を求め続けていた自分からは、なにか憑き物が落ちたかのようだ。 この変化は、やはりゆきこさんのせいだと思う。 誰かと暮らしはじめるとき、二つのベクトルがぶつかる。 お互いを弾いたとき、それらは反対の軌道に向かって離れていくのだろう。 だが、ぶつかってひとつになれば。そしてぶつかる前にお互いに歩み寄る準備ができていれば、いままでとは違った方向へ向かって、一本の光線として進んでいけるのだと思う。 結婚は、運命を変えてくれる。 個人ではどうにも成らないと思っていた難題が、突然に解決したりする。 二人なら、なんだってできる。まるで十代のような、しかし根拠のある自信と高揚感。 上に向かって、ねじれをなおして、つないだ手のもう片方をいっぱいにひろげて、おおきな光の束になって昇っていこう。
■ 2007.03.06 A 「日本沈没1973(ネタバレ)」 2006年11月12日ごろのお話 草薙剛と柴咲コウの「2006」ではなく、1973年に製作された、藤岡弘の「日本沈没」を、レンタルで借りてきた。 原作を読んでいる途中なため、2006のようにかなりのアレンジがされているわけではなく、かなり原作準拠で製作されているのがわかる。そのせいか、途中まで、割と退屈な感じで映像はすすむ。 ソファで一緒にみていたゆきこさんは、開始10分くらいですでに沈没していた。東京を深度8の強震が襲うシーンで、両手でもてないくらいの大きさのガラス片が目につきささっている被災者の映像とかあったが、みなくて良かったと思う。起こさずにブランケットをかけて、そのまま私だけで観賞する。 要所要所に、2006でもオマージュとして使われたのであろう、モトネタとしての映像がある。 だが、ラストは違った。2006とは違い、1973では、完全に日本は沈む。 日本の沈没を予見し、脱出計画の中心人物でもあった田所博士が、最後に日本と心中することを語り、総理の前に現れるシーンがある。 ああ、このひとは本当に日本が好きだったんだ。 そう思えた。 4つの島で、ぬくぬくと育ってきた日本という民族は、幼い。 かつて日本人は、世界にでていっても、辛いことがあれば母のもとに帰ってくることが出来た。だが、もう母国の土はない。これから日本人は、厳しい世界の中で生きていかなければならないのだ。 日本人全員の父のような、そんな言い方で心情を吐露する博士。 総理に「日本をお願いします」と言い残し、ひとり田所博士は残る。胸に迫るシーンだった。そして崩壊していく日本列島。 パレスチナやベトナム難民の、悲惨な姿が記録された写真が、いくつも映される。日本人は、こんなふうになっていくのだろうか。そしてラストに、世界各地へ散らばる日本人の姿が、描かれる。 馬や牛を運ぶような車両にぎゅうぎゅうに押し込められた薄汚れた日本人が、世界へ散っていく。そのなかに、最後は救助活動に命懸けで取り組んできた藤岡弘の姿があった。片目を失い、片腕を白布で釣り、満身創痍といった出で立ちで、彼は貨物車の扉から外をみる。 彼のボロボロになった肉体は、沈没した日本そのもののようだった。 だが、彼の残された目には、ギラギラと燃えたぎる眼光がやどっている。 これが日本人だ。 絶望の中で、それでもそう思える、希望の光だった。 1973と2006。どっちがよいか。 そのテーマ性と、それを描ききったという点では、この対比はすなわち、小松左京と樋口真嗣の対比だ。これに関しては、わたしは小松左京を圧倒的に支持する。だが、いまの日本で、この原作通りの作品はきっと作れない。こういう形にせざるを得ないところが2006にはあったと思う。そういう意味で2006は、テーマ的には軽い。 だが、両者ともパニックものとしてまとめたところと「命懸けで日本人を救おうとする男の物語」としては、やはり比べることが出来ない。 どちらも、面白かった。
■ 2007.03.06 B 「写真」2006年11月17日ごろのお話 10月14日に行われた結婚式の写真の焼き増しが、ようやく終わった。 分配作業もおよそできたので、あとは送るだけだ。 ところで、この式には、ビデオカメラマン1人、スチール(写真)カメラマン2人という体制で臨んでいる。三人とも無報酬で撮ってくれたのが、本当に有り難い。 ビデオはまだ作業が大変らしく見ていないが、写真はすごかった。 総枚数、1004枚である。 この中から、選びに選んで158枚のアルバムを作成し、ゆきこさんの実家に用意した。また、ある程度以上の大きさで顔の映っている人には、焼き増しして御礼の手紙といっしょに送る。この場合の枚数は正確にはわからないが、焼き増し総費用は24000円ほどだった。 見返していて、実感する。 悔いの残らない、いい結婚式だった、と。 思えば、こだわりのない結婚式だった。 こだわればこだわっただけ、結婚式には悔いが残ると思う。 個人的なことにはこだわらず、ただ、招待した親族のためにこだわった。 彼らをもてなすことが出来たというその満足感だけが残っている。 写真も、きれいにとれていた。 自分たちにしては、できすぎなくらいに、よくできた結婚式だった。
■ 2007.03.09 A 「ジャズやるべ」 映画「スイングガールズ」を、ついに見た。 知人がのきなみ関口さんに撃沈されているのがよくわかった。 「これって、ジャズ?」の直前のシーン。 あの中央分離帯で背伸びしてるときのX脚が、こお、実に、たまらない。 付け根からひざに向かって結ばれた線が拡がりながらかかとに降りてきて揃えられたつまさきで結ばれているからXというよりはむしろ8の字かもしれないがとにかく、リアルであんなにピンキーっぽい脚ははじめてみたと感動した。全編でもっとも鮮明に覚えているのがあのワンシーンだった。あと、絶対領域というか、女子高生の膝ってまぶしい。 関口さん関口さんと書いたが、映画自体、すごく面白かった。 ところで、山形を舞台にしたこの映画を、ゆきこさんと一緒に見た。 なにか懐かしそうな表情で、山形出身の彼女が画面を見ている。 映画が面白かったことも、この表情を見られたことも、うれしい休日だった。
■ 2007.03.09 B 「身軽であること」 2006年11月25日ごろのお話 身軽であること これは、結婚してからも変わらない。 独身時代にためこんだ書籍類も、かなり処分した。いまや、借りている本と、本当に残しておきたい本が段ボールに数箱あるだけだ。 家具類でいちばん高いのがエアコン。モノを持たない、執着しない生活。そういう状況をキープしているので、 いつ、どこにでも行ける。 いまうちにある財産は、お互いしかない。 それが、とても身軽でここちよい。
■ 2007.03.10 A 「正義」2006年11月26日ごろのお話 正義は勝つ。 だが「正義側であれば勝てる」のではない。 敗北させようとするあらゆるものから正義を守り続け、正義であり続けることが最後までできなければ、どこにいても負けるのだ。 正義は、最後まで正義であってこそ、正義として勝利できる。
■ 2007.03.10 B 「5ヶ月」2006年12月05日ごろのお話 報告してなかったが、4ヶ月の検診の時点で、ゆきこさんのおなかの赤ちゃんは、8センチに成長していた。 8センチというのは丸まっている状態での測定で、足を伸ばすと、だいたい15センチくらいらしい。 かなり大きくなった。ゆきこさんのおなかも、ちょっと膨らんでいる。 ゆきこさんは、もう普通のジーンズなどはとっくにはけない。 ノーウエストのワンピースがメインで、パンツ系は通販で買った妊婦さん用のジーパンを主に着用している。ウエストの両サイドにジッパーがついていて、おなか周りだけ広げられるものだ。昔「貫禄がでてきたお父さん用」の式服でそんなギミックがあったのを、なんとなく思い出す。 ちょっと前までは、パッと見で妊婦とわからないので「たまひよ」のラベルをかばんに下げたりしていた。でも、いまやマタニティファッションも実に似合う雰囲気になり、いろんな人から声を掛けられたり、道を譲ってもらったりしている。 つわりの症状も治まり、ゆきこさんは甘いものや肉類も良く食べるようになった。つわりの時期は、味覚が変わったり、疲れやすかったり、ひたすら眠かったそうだが、よく聞くところの「吐くつわり」ではなく、いたって軽いものだったと思う。お母さん思いのいい子だ。 赤ちゃんは、4ヶ月としては順調。そして昨日5ヶ月に入った。 5ヶ月である。テキストによると胎児は25センチくらいになる時期らしい。5ヶ月目に入ったばかりなので、いまはおそらく20センチくらいだろう。 検診のとき、赤ちゃんが動いている様子をゆきこさんがみせてもらってきた。 とにかく凄くよく動く赤ちゃんだったそうだ。 画像のプリントアウトを見せてもらったが、もう目の位置とかも、荒い画像の上からでもよくわかる。 そして、おそらくは安定期といっていい時期だと思う。 もちろん「安定期」などと言っても、気を抜けるものではないが、それでも、ちょっとだけ緊張を解くことを、自分たちに許したい。 ところで「胎教」という言葉がある。 赤ちゃんは胎内でいろんな音を聞いたりするし、母親の精神状態をダイレクトに感じたりするので、お腹にいるうちからかなりの影響を受ける。その影響はとても魂的なレベルで教育されるという話だ。 知人に、結婚にどうしても希望が持てず、付き合っている男性がいても、その姿が見えないと物凄く不安になる・・・という人がいた。彼女が自分で言っていたが、自身が母の胎にいる時代、母は父親が浮気をしているのではないかと、ずっと心配していたのだという。そのせいだろうと、彼女は冷静に分析していた。 音楽やリラックスも大切だと思う。だが、母親の精神状態が、子供の精神の根幹にそれほどまでの影響を与えるなら、その間に、自分が休みたい・怠けたいという気持ちよりも誰かに尽くすことを選び続ける愛の生き方こそが、最高の胎教になるのだろう。そして、それがゆきこさんの胎教だという。 ゆきこさんの胎教は「ひとのためにつくすこと」 体はいたわるが、無理をしないその上で、後輩の面倒を見に行ったり、ひたすら掃除したり、ボランティアの活動をしたり、私の生活を助けてくれたり、母と一緒におさんどんをしたりする。あとはお祈りだとか。 つくづく、すごい女性だと思う。
■ 2007.03.12 A 「腹帯」2006年12月11日ごろのお話 12月11日の犬の日に腹帯をつけ、親戚を回り、帯祝いを配った。 歩いていける範囲には赤飯(おこわ)を。遠方には紅白パッケージの砂糖を送った。 いま、ゆきこさんは妊娠五ヶ月目。順調に赤ちゃんは育っている。 昔は、妊娠して身体が変化してしまうのが怖かったと、ゆきこさんは言う。 妊娠の最終期は、普通にしていても、ふくらんだおなかの上に石鹸とかが乗っちゃうくらいにお腹が突き出す。お腹以外にも妊婦の身体にはさまざまな変化がある。 「でもね」 ゆきこさんが膨らんだおなかをなでながら言う。 「いまは、それがうれしいの」
■ 2007.03.12 B 「帯祝い」2006年12月11日ごろのお話 帯祝いで配るのは一般的に粒あんのあんこ餅で、これを包丁で切って、断面であずきが切れてなかったら男の子、切れていたら(あずき自体の断面がみえていたら)女の子・・・とゆー性別判定の妙な占いの話をきいたが、これホントだろうか。また岐阜県の珍祭の一種ではないかと疑う。うちでは赤飯と砂糖だったので試しようもなかった。 あと、この時期に母の指示でアワビを食べた。昔からの伝統らしい。 タウリンという目によい成分がアワビには含まれていて、これが赤ちゃんの目の組成のために必要なのだろう。成分については最近の調査で分かったのだろうが、昔の人はそれをどうやって見抜いたのか、不思議な話である。 で、これをオスとメスの両方を食べるそうだ。母が、近所の鮮魚に定評のあるスーパーにねじ込んで仕入れさせた。魚介類を性別指定して注文というのは、なかなか無いことだと思う。だが、スーパーの担当者はおめでたと分かったようだ。さすがの定評である。 お値段は、肝とあわせて3980円。 この時期のマタニティ関連の出費では一番くらいの単価じゃなかろうか。
2007.03.14 「ホテルウェディングの視点」 ホテルウェディングの視点 結婚式場側のスタッフからみたホテルウェディングの相場と常識について、杉田さんから寄稿していただきました。承諾をいただけたので、転載させていただきます。 当日記には、「自分たちの結婚式の参考にしたい」と言ってくださる読者さんもいらっしゃるものの、あくまで「なり多」での結婚式についてしか語っていないため内容は偏っており、普遍的とはいえません。 それだけに、一般的なホテルウェディングの観点こそ必要だと思うので、この寄稿はとてもありがたいです。「なり多」についての当日記での記述もあわせ、結婚式の参考にしていただければ幸せです。
■ 2007.03.16 A 「日々のいのち」2006年12月17日ごろのお話 会っていても、会っていても まだ会っていたくて 一緒にいても、一緒にいても もっと一緒にいたい。
■ 2007.03.16 B 「結婚式のビデオ到着」2006年12月17日ごろのお話 ロメオさんにお願いしてあった結婚式のビデオ撮影。その編集版が届きました。 DVD三枚組で。 ディスク1が111分で、ディスク2が87分、そしてダイジェスト版22分が着いて、しかも完全オリジナルパッケージ。 (左:本編DVD二枚組。これにダイジェスト版が別パッケージで付属。右:ビデオテープ版も同様) パッケージのあまりの出来映えにゆきこさん大爆笑。 本編にあった「愛情濃度急上昇中」のところで天野さんも呼吸ができなくなりました。 とりあえずダイジェスト版のみ視聴しましたが、このロシア映画ばりの長さの本編を、さあどこで時間を取って観ようかが悩みどころ。 しかし、これゆきこさんの家に送ったらまたひと騒ぎあるだろうなあ。
■ 2007.03.18 A 「テキスト」2006年12月22日ごろのお話 文章かいてる時間がない。 ネタはもうあふれかえるほどあるのに、それをテキストにするべくパソコンの前にすわっていられる時間が無い。 絵なんかもうぜんぜん描けてない。 これも、描きたい絵のヴィジョンがどんどん溜まっている。 なぜ書けないか、そして描けないのか。それは ゆきこさんとの時間が、あまりにも素晴らしすぎるから。 世界で一、二を争うくらいの、贅沢な悩みだと思う。
■ 2007.03.18 B 「胎動」2007年1月7日 12月の中頃、ゆきこさんのお腹のあかちゃんが動いているのが、彼女自身にはっきりとわかるようになったという。 幸せそうな顔で「あ、いま蹴った」と呟くゆきこさんに聞いてみる。 「最初に胎動を感じたのはどんなときだった?」 「テレビの天気予報をみているときに。右のほうを『ぽこん』て」 それ以降もおおきな衝撃ではないものの、胎児が動くのをゆきこさんは感じるという。 そして、母体が感動しているとき、子供が動くのだと、最近のゆきこさんは語る。 母と子は、つねに感動を共有している。 映画を見て泣きそうなときにも、おいしいケーキを食べているときにも、赤ちゃんの動きを特に感じるのだそうだ。 わたしとゆきこさんが、同じ場所にあってなにかに感動しているとき。 美味しいものを食べて心が動いているときや、感動的な映画を見ているとき。 彼女は、わたしとそしてお腹の子供と、三人でこれを分かち合っている。 対して私は、ゆきこさんとともにある喜びだけ。二人だけだ。 それが、ちょっとだけさみしい。 「はやく生まれてこないかな」と呟くわたしを、ゆきこさんがクスクス笑う。 でも、わたしが赤ちゃんにアプローチする方法がひとつある。 ゆきこさんを感動させると、あかちゃんもうごくのだ。 きっと、父と母が愛し合っていることが、うれしいのだろう。 だから、 彼女を如何に感動させるか。 最近は、そんな風に愛している。
■ 2007.03.20 A 「男女共同参画社会実現の動き」 大前提として簡単に調べただけだが、共産主義の根本について書く。 共産主義の生みの親、マルクスは厳格なユダヤ教の家庭で育った。彼の父は大変に厳しく戒律を守る厳格な人物であったという。ほとんど自由らしい自由は、彼にはなかったろう。 だが、そののち彼の家はクリスチャンに改宗する。だが、そうなるとかつてのユダヤ教徒の仲間からは裏切り者扱いされ、クリスチャンからはイエスキリストを殺した大罪人の一味として迫害された。 マルクスはその生活の中で、悲劇の根源は、親が子供から自由や労働力の対価である金銭や、まあありていにいって「幸せ」を奪うなどの「搾取」にあると考えた。親が子供から奪い、夫が妻から奪う。家庭が搾取する。宗教が搾取する。だからこれを無くそうと考えた。これが共産主義の出発である・・・と思う。囓った程度なのだが。 共産主義国家や、革命による政権の交代などは、このあと出てきたレーニンが言ったことに過ぎず、源流のいわんとしているところは、家庭の価値を破壊することと、宗教の撤廃であろう。 さて、その前提で観ていくといろいろ「これおかしくないか」と思う社会運動の根っこが見える。 「男女共同参画社会の実現」 ちょっといきすぎたやり方が目立つこの運動。 男女が共同で、というこれ自体はいい。だが、それをどういう観点で実現するかが問題だと思う。 いまは「女性の自立が必要だ」こればかり叫ばれているように思える。 彼らの主張を見てみよう。 女性の自立とはなにか。 それは経済的自立であり、性的自立である。 経済的自立についていえば、こうだ。 家事と育児をしている専業主婦は、お金がもらえない。 そんな彼女らは愚かであり、軽蔑すべきである。 いままでいわれてきた母親像はすべて神話である。 だから、女性はどんどん家庭を捨てましょう! どんどん経済的に自立しましょう! これだ。 この運動は、母親らしさを全否定する。 それはすなわち、女性らしさの否定だ。当然、そのためには男らしさも否定しなければならない。 その観点から、言葉による区別を「差別」とし、この「らしさ」を徹底的に否定してきたのがこの手の運動の姿だ。よく学校教育の現場で「ぼく・わたし」という言い方を修正するとか、なにもかも真っ平らにしようとする方針がみえるが、あれの根っこがここにある。 この理屈の上に立った観点なので、たとえそれが家庭内においての正しい役割であっても否定する。 これで家庭は崩壊する。父も母も、自分の役割を否定されているのだ。やっていいのは、自分勝手に生きることだけ。彼らは言う。家庭は多様なのです。役割など決めるからいけないのです、と。 性に関しても、どんどん自由になることを宣言している。学校の性教育などひどいものだ。差別してはいけないからと、男女を同じ部屋で着替えさせたり、性を大事にすることはおしえず、ただ避妊さえすればいいと教えている。 結果としての家庭の崩壊。 共産主義の目差すところだ。 これに対して、マザーテレサが、実にいいことを言っている。 1995年第四回北京女性会議の席に出された書簡だが、当の会議では無視されたものだ。引用の全文は長いので後述するが、骨子はこう言うことだと思う。 他を愛することとは、自分を愛することからはじまります。 ですが、女性らしさを否定することは、女性が自分を愛さないこと。 それで人が愛せますか? 愛に満ちた家庭ができるでしょうか? 日教組は「国からの支配を不当な支配」として、やりたいようにやってきた。彼らの方向性も、家庭の崩壊と、宗教の排除にある。 実に見事に実現している。彼らの教育で家庭は崩壊し、宗教の話はおおっぴらにできない世の中になった。ちょっと異常なくらい「宗教ってこわいよね」という価値観がはびこっている。宗教の排除は、こうして意図的に行われている。
※参考資料 マザーテレサの書簡全文 第4回国連世界女性会議に宛てたマザー・テレサのメッセージ 親愛なる皆様 第四回北京世界女性会議の全参加者に神の祝福があらんことを祈っております。この会議により皆様が神の計画の中での女性の特別な役割を知り、それを愛し自ら敬うことにより、女性たちが一生を通じてその計画を実現することを望みます。 私は、なぜ男性と女性が全く同じであり、男女の間の素晴らしい違いを否定する人たちがいるのか理解できません。神からの賜物はすべて良きものですが、みな同じではありません。私は、私が貧しい人々にしているように、自分たちも行いたいという人たちに対して、しばしば「私ができることはあなた方にはできないし、あなた方ができることは私にできないことがあります。しかし一緒になってやるなら神のために素晴らしいことができます」と申し上げます。男性と女性の間の違いはちょうどこのようなものなのです。 神はわたしたち一人一人をお造りになりました。そしてさらに偉大なことに、互いに愛し愛される存在にしてくださっています。それでは、なぜあるものを男性に、またあるものを女性に創造されたのでしょうか。それは、女性の愛が神の愛の一つのかたちであり、男性の愛も、もう一つの神の愛のかたちであるためです。男性も女性も違った方法で愛を表現するように造られており、男女がそれによってお互いを完成させ、一緒に神の愛を完全に表すのです。これは、どちらか一方だけではできないことです。 女性特有の愛の力は母親になったときに最もはっきりと現れます。母であることは神の女性に対する贈り物です。われわれは、男女を問わず全世界に喜びをもたらす、この素晴らしい神からの贈り物に対して、どれほど感謝しなければならないことでしょうか。 しかし私たちは、特に愛することや他人への奉仕より仕事や地位を重要だと考えたり、中絶という悪なる行為によって、この母性という贈り物を破壊しています。 どんな仕事も計画も財産も自由というアイデアも愛に取って代わることはできません。母性という神の贈り物を破壊することは、神の女性に対する最も貴重な贈り物、すなわち女性として愛する能力を破壊することです。 神は私たちに「汝を愛するごとく隣人を愛せよ」と言われました。だから、まず私は正しく自分を愛し、それから隣人もそのように愛します。しかし、もし神が私を造られたように自分自身を受け入れなければ、どうやって自分を愛することができるでしょうか。男女の素晴らしい違いを否定する人たちは、神が造られたように自分たちを受け入れないため、隣人を愛することができません。 彼らは世界に、分裂と不幸をもたらし、平和を破壊するだけです。たとえば、私がしばしば申し上げてきたように、中絶は今日、最大の世界の平和に対する破壊であり、女性と男性を同じくしようとする人たちは皆、中絶に賛同的です。 死や悲しみの代わりに、世界に喜びと平和をもたらしましょう。そうするために、神に平和という贈り物を請わなければいけませんし、お互いを神の子女、兄弟姉妹として受け入れて愛することを学ばなければいけません。子どもたちがいかに愛し祈るかを学ぶ最良の場所は、母親や父親が愛し祈るのを見ることができる家庭であります。 もし家族が破壊され不和が生じたりしているなら、いかに愛し祈るかを知らないで多くの子どもたちが育つことになります。そうした家庭崩壊が多く見られる国では、多くの問題を抱えています。私はしばしば、とりわけ裕福な国々で、子どもたちが、親から愛されず疎外されていることから逃れるため、麻薬などに手を出すのを目にしてきました。 しかし、家族の絆が強く家庭が円満な時であれば、子どもたちは父母の愛の中にまさに神の愛を見て、大きくなり自分たちの国を愛すべき祈りに満ちた場所にしていくのです。子どもは家族への神の最大の贈り物であり、母親、父親の両方を必要としています。なぜなら、父親は父親らしく、母親は母親らしいやり方で神の愛を体現して見せてくれるからです。ともに祈る家庭はお互いに離れていくことはありません。家族が結びついている限り、神が彼ら一人一人を愛されたようにともに愛し合うでしょう。そして愛によっていつでも安らぎがもたらされるのです。 さあ、心の中に愛の喜びを抱き続けながら、会う人ごとにこの喜びを分かち合いましょう。北京会議のすべての代表者や、この会議によって支援を受けようとしているすべての女性たちが、ともに愛と平和の中で過ごし、私たちの家族と世界を神のために何か美しいものにするために、ひとりひとりがマリアのように慎ましく清らかであるようにお祈り申し上げます。 さあ、お祈りしましょう。 すべてを神の栄光と御心のために。 神の祝福があらんことを。 マザー・テレサ
※参考資料 マザーテレサの書簡全文 第4回国連世界女性会議に宛てたマザー・テレサのメッセージ
親愛なる皆様
第四回北京世界女性会議の全参加者に神の祝福があらんことを祈っております。この会議により皆様が神の計画の中での女性の特別な役割を知り、それを愛し自ら敬うことにより、女性たちが一生を通じてその計画を実現することを望みます。
私は、なぜ男性と女性が全く同じであり、男女の間の素晴らしい違いを否定する人たちがいるのか理解できません。神からの賜物はすべて良きものですが、みな同じではありません。私は、私が貧しい人々にしているように、自分たちも行いたいという人たちに対して、しばしば「私ができることはあなた方にはできないし、あなた方ができることは私にできないことがあります。しかし一緒になってやるなら神のために素晴らしいことができます」と申し上げます。男性と女性の間の違いはちょうどこのようなものなのです。
神はわたしたち一人一人をお造りになりました。そしてさらに偉大なことに、互いに愛し愛される存在にしてくださっています。それでは、なぜあるものを男性に、またあるものを女性に創造されたのでしょうか。それは、女性の愛が神の愛の一つのかたちであり、男性の愛も、もう一つの神の愛のかたちであるためです。男性も女性も違った方法で愛を表現するように造られており、男女がそれによってお互いを完成させ、一緒に神の愛を完全に表すのです。これは、どちらか一方だけではできないことです。
女性特有の愛の力は母親になったときに最もはっきりと現れます。母であることは神の女性に対する贈り物です。われわれは、男女を問わず全世界に喜びをもたらす、この素晴らしい神からの贈り物に対して、どれほど感謝しなければならないことでしょうか。
しかし私たちは、特に愛することや他人への奉仕より仕事や地位を重要だと考えたり、中絶という悪なる行為によって、この母性という贈り物を破壊しています。
どんな仕事も計画も財産も自由というアイデアも愛に取って代わることはできません。母性という神の贈り物を破壊することは、神の女性に対する最も貴重な贈り物、すなわち女性として愛する能力を破壊することです。
神は私たちに「汝を愛するごとく隣人を愛せよ」と言われました。だから、まず私は正しく自分を愛し、それから隣人もそのように愛します。しかし、もし神が私を造られたように自分自身を受け入れなければ、どうやって自分を愛することができるでしょうか。男女の素晴らしい違いを否定する人たちは、神が造られたように自分たちを受け入れないため、隣人を愛することができません。
彼らは世界に、分裂と不幸をもたらし、平和を破壊するだけです。たとえば、私がしばしば申し上げてきたように、中絶は今日、最大の世界の平和に対する破壊であり、女性と男性を同じくしようとする人たちは皆、中絶に賛同的です。
死や悲しみの代わりに、世界に喜びと平和をもたらしましょう。そうするために、神に平和という贈り物を請わなければいけませんし、お互いを神の子女、兄弟姉妹として受け入れて愛することを学ばなければいけません。子どもたちがいかに愛し祈るかを学ぶ最良の場所は、母親や父親が愛し祈るのを見ることができる家庭であります。
もし家族が破壊され不和が生じたりしているなら、いかに愛し祈るかを知らないで多くの子どもたちが育つことになります。そうした家庭崩壊が多く見られる国では、多くの問題を抱えています。私はしばしば、とりわけ裕福な国々で、子どもたちが、親から愛されず疎外されていることから逃れるため、麻薬などに手を出すのを目にしてきました。
しかし、家族の絆が強く家庭が円満な時であれば、子どもたちは父母の愛の中にまさに神の愛を見て、大きくなり自分たちの国を愛すべき祈りに満ちた場所にしていくのです。子どもは家族への神の最大の贈り物であり、母親、父親の両方を必要としています。なぜなら、父親は父親らしく、母親は母親らしいやり方で神の愛を体現して見せてくれるからです。ともに祈る家庭はお互いに離れていくことはありません。家族が結びついている限り、神が彼ら一人一人を愛されたようにともに愛し合うでしょう。そして愛によっていつでも安らぎがもたらされるのです。
さあ、心の中に愛の喜びを抱き続けながら、会う人ごとにこの喜びを分かち合いましょう。北京会議のすべての代表者や、この会議によって支援を受けようとしているすべての女性たちが、ともに愛と平和の中で過ごし、私たちの家族と世界を神のために何か美しいものにするために、ひとりひとりがマリアのように慎ましく清らかであるようにお祈り申し上げます。
さあ、お祈りしましょう。 すべてを神の栄光と御心のために。 神の祝福があらんことを。 マザー・テレサ
■ 2007.03.20 B 「子どもの権利条約」 家庭崩壊についてもうひとつ。 大人並の権利を子供に認めよう、という動きがある。 これは「児童の権利条約」のごく一部を拡大解釈させたものだ。 だが、我々はこの「児童の権利条約」という言葉をあまりきかない。 よくきくのは「子どもの権利条約」だ。 「児童」は守られる存在だから、この言葉は支配と被支配になるのでだめ。 「子供」ということばも「供」がお供する意味でこれも被支配なのでだめ。 なので「子ども」ということばが「ただしい」ということになった。いかに共産主義のイデオロギーが入っているかがわかる。 この条約は、本来発展途上国で、いままさに生き死にしつつある子供のために作られた。 だが一般に「子どもの権利条約」とされているものは、「児童の権利条約」の第12条から第16条だけを取り上げて、大人並の権利を与えようと主張しているものに思える。 川崎市なんかすごい。「子どもは権利の全面的な主体である」と謳っている。全面的主体。ありのままの自分を大切に、ということか。その権利は、ありのままなので、学校にいきたくないときは、いかなくてもいい権利。余暇を取ってゆとりを持っていきる権利があるから、と学校に行かずサボるのもとやかく言わない。 余暇を取ってゆとりを持っていきる・・・なんて大人にもできねーよ。 大人並の権利を与えるというが、これでは、子供をちゃんと教育しようという意志がないのではないかと思える。 彼らは「健全育成」という言葉も敵視する。 それは、決めて育ててあげる行為だから、と。 じゃあ、何がいいのと聞くと「成長発展支援」と応える。 子供にこう言うのだそうだ。「育ってください! 後押ししますから!」 子供が悪い方向へいっても、彼らはこれを規制するのは人権の侵害であるから、として正さず、悪い方向へも後押しするのだろうか。 できるのは、大人が子供を叱らない社会。 これで親子の関係は切れる。共産主義者の目的がまた実現する。 いじめの問題についても、同じような反応だった。 なぜいじめがおきるのかを彼らに問うと「管理からのがれるため、いじめをする」といい「もっと自由を与えたらいい」と答える。 だが、手放しでもっと自由を与えたら、子供はどうなるだろう。 大人は自分のこころで自分をコントロールできる。 だが子供はやりたいようにやる動物だ。いじめたいように、子供はいじめる。 だから教育がいる。躾がいる。 いじめちゃいけない、いじめは卑怯だ、という明確な教育が。 道徳、倫理を教えることを、子供を規制する行為である、とかプライバシーの侵害であるとして拒否されていないだろうか。子供の権利を大切にと主張しすぎるあまりに、ストレートにこれがいい、これがわるいと言えない限り、この国は美しい国にならない。 自分を律する人間を育てる。 自分の家庭は、そうしようと思っている。 だが、世の中では、そういう教育が、いま敵視されているようだ。
■ 2007.03.22 「目標という管理者」2007年1月4日ごろのお話 人間には目標が要る。 特に私のような人間には、コレがないとダラダラと怠けてしまうからだ。 だが、目標を立てて歩んだその外的な結果として、 目標を上回れば傲慢に、 そして 目標を下回れば卑屈に そうなってしまう人間性がある。 どんなに謙遜していてもいい気になってしまうし、切り替えた振りをしていても空元気だったりするのだ。 これは、 目標に対する外的結果だけを見ているとき、 そして 「その目標を達成することで何を得るのか」があいまいなとき、 そして 自分が目標そのものの奴隷に成り下がっているとき、 私たちはそうなってしまう。たぶん。 目標を達成することを通して、真に得るべきものはなんだったのか。 そのために歩むべきではなかったのか。 そうでなければ毎月来る目標を達成し続けることは難しい。 いつか、人間は疲れてしまう。 あるいは、同じところをぐるぐる回るだけになってしまうのだ。 戦争は、勝つことよりも、戦後の処理のほうがはるかに難しいという話を聞いたことがある。 目標を達することよりも、達したあとでこそ、その目的が現れるはず。 それを掴むまでが、目標を立てた甲斐だ。
■ 2007.03.24 「あたたかな眠り」2007年1月8日ごろのお話
それほど寒くもない夜なのに、 わたしの左腕にしがみついて眠る妻が愛しい。
■ 2007.03.26 「スパイ防止法の話」2007年1月10日ごろのお話 去年の暮れに、地元で拉致問題についての討論会があった。 残念ながら参加できなかったが、ざっとパンフレットの内容を見てみても、あれの根本的な問題点・・・というか対策についての話はないようだった。 対策、つまり「日本国内に、工作員をとりしまる法律がない」ということだ。 日本にはスパイを取り締まる法律がない。 それゆえに「スパイ天国」とさえいわれている。 たとえ、拉致しようとしている工作員が見つかったところで、それをどうこうする法律はないのだ。 これ、すごく変な話ではないか。 それを放って置いて、拉致被害ばかり問題視されているのはどうかと思う。 拉致工作に限らず、スパイ事件というのはけっこうあって、1980年の宮永事件というのが割と有名らしい(ネットで調べてる程度の情報だが)。これは、自衛隊員がソ連の情報員に秘密情報を売り渡した事件だ。情報員が無事に帰国してしまったので、起訴されなかった。 このころから日本は、スパイが堂々と空港を通って帰国できる国だった。 彼らには、まさに天国であろう。 で、その後の1982年、ソ連から亡命したレフチェンコという軍人(?)がした証言によると、実名を避けられてはいたが26名の日本人のスパイ容疑が発覚している。当時の社会党国会議員、同指導者、某新聞の編集局責任者、某テレビ局の役員などなど。「左」の実力者もしくはその関係者ばかりだったように思える。(まあ、自民党議員もいたが)実名まではわからないが、彼らは、ソ連や北朝鮮など共産圏の国のスパイもしくは「現地協力者」をしていたわけだ。コードネームまであったらしい。 国内にすらスパイを抱えている日本だが、これへの対策として「スパイ防止法」というのがかつて制定されようとしたことがあるようだ。 拉致問題、いろいろ言われているが、拉致工作員の「現地協力者」である彼らを裁く法律である。これを通すことが、拉致問題に対しての被害者救済と並んで進めるべき優先事項だろう。 しかし、これは制定にはいたらなかった。 その原因、この成立を頑強に阻止しようとしている団体が(最近、なんか宿命的に左とぶつかってるような気がするが)またしても共産党だった。 なにせ「スパイ防止法」が制定されれば、上記の現地協力者の存在が暴かれ、左翼政党は崩壊する。 案の定、これを恐れたため「制定阻止のため」朝日新聞が反スパイ防止法キャンペーンをやっている。1986年のことだ。 世界情勢も経済情報の報道も何もかも放り出して、一面からの大キャンペーンだったそうだ。 これが一流紙のやることだろうか。 これが功を奏したのか、それとも表に出ない事情があったのか、防止法はいまだもって制定されていない。 1977年から1983年にかけて、多数の日本人が北朝鮮の工作員などにより拉致、誘拐、監禁されている。 1986年、それでも、スパイ防止法は制定されなかった。 おかげで、今日も、日本ではスパイや工作員がウヨウヨしていることだろう。 おまけ 北朝鮮の核実験報道の見出し (せっつさんとこの掲示板から拝借・2006年10月の話) 産経 北朝鮮が核実験を実施 読売 北朝鮮が核実験を実施…朝鮮中央通信 日経 「核実験を実施」中央朝鮮通信 毎日 北朝鮮:国営朝鮮中央通信が「核実験を行った」と報じる 共同 北朝鮮が核実験 プルトニウム型原爆か 朝日 北朝鮮「地下核実験に成功」 (-@∀@)<成功おめでとうございます!
■ 2007.03.28 「北朝鮮問題について」2007年1月10日ごろに考えたこと 先軍政治という言葉がある。 2006年7月5日に、ミサイル7発が北朝鮮から発射された。 その費用、およそ70億円。 90年代に北朝鮮は、300万人の餓死・凍死者をだしている。 もし日本で、仮に5000人の餓死・凍死者がでたら、政権は交代するだろう。 でも、北朝鮮はそうならない。 2006〜2007年の冬は、重油の輸入や食料援助が(公には)ストップしているので、先の90年代以上の悲惨な状況になるといわれている。だが、北は国策を転換せず、70億円でミサイルを撃った。 2300万人(2005年の時点での推測。最新情報不明)しかいない国で、300万人以上死ぬというのが、その国にとってどういうことか。かんたんに想像できるだろう。 それでも北朝鮮は、いまの国家体制を守る。70億円でミサイルを撃つことを選ぶ。 ありえない考え方という声をあげる気持ちも分かるが、これはかつての日本と同じだ。 「ほたるの墓」で、あの兄妹を誰も救えなかったのは、日本が「戦時中」だったからである。これは、戦時国家のありかたなのだ。 北朝鮮が戦時国家である象徴は、北の頂点が国防委員長であることからも疑いえない。軍が政党よりも上位なのである。これが先軍政治だ。 そうまでして北朝鮮はどこと戦っているのか。 どこと負けてはいけないから、そこまでの無理をおして設備を整えているのか。 韓国ではない。北朝鮮は韓国を敵国とは認めていないし、韓国に対してなら核をもつ必要はない。 そして、中国でもロシアでもない。 北は、米国と戦うために、そしてその属国である日本と戦うために準備してきたのだ。 1968年 科学院成興分院での金正日の発言がある。 「我々は、もう一度米国と戦う覚悟をしなくてはいけない」 なぜ北朝鮮は、そこまで米国を敵視するのか。 朝鮮動乱の終結時、1953年に取り交わされたのは米朝間(正確には米軍中心の国連軍と北朝鮮の間)での「休戦協定」であった。 そう、北朝鮮は、まだ朝鮮動乱を終わっていない。 金日成の時代から、この戦いはあった。この休戦の日から、北朝鮮は米国と再戦するために努力をしてきたのだ。 朝鮮動乱の折り、マッカーサーは核兵器(原爆)の使用を検討していたという。 太平洋戦争を終わらせたやり方だ。北朝鮮と中国の共産軍を押し戻したあと、そこに核を打ち込む計画だった。 ちょっと前、日本に二発も落とされたのを目の当たりにしていた北朝鮮と中共軍にとって、これがどれほど恐ろしかったか。 いま戦っている米国は、使っちゃう国なのだ。 その恐怖たるや、当時の毛沢東の言葉に「例えズボンをはく生活ができなくとも、我々は核兵器をもたなければならない」というのがあるほどだ。核開発が、生活以上に位置付けられている。そして中国は1964年に、努力の甲斐あって核実験を成功させた。 核抑止の時代、米国は核をもっている国には、けっして核攻撃をしないという確信があった。だからこそ、米国に敵対する国は核を欲したのだ。 「核兵器を持たなくてはいけない」 悪の枢軸として名指しで呼ばれた国がある。イラク・北朝鮮・イラン・・・。イラクは2003年に攻撃された。となれば、次は順番でいって北朝鮮であろう。それだけに核実験は実施しなければならない。そう北朝鮮は考える。 だが、もう北朝鮮は先軍政治を継続することは不可能なところまで経済的にも追い込まれて来ている。 打開の道は、米朝の正常化しかない。 2003年8月の六者協議の時点で、北朝鮮には2個の「移動可能」な核があった。米国としては、対テロ対策ゆえに、北朝鮮の核開発と核の所持を阻止したい。北朝鮮からテロ組織に核が売られることが恐ろしいのだ。 米国の目的は北朝鮮の核廃棄である。とりあえず、これさえできればいい。正直なところ北朝鮮がその後どうなろうと別に関心はないのかもしれない。 一方、北朝鮮も一発の核に100億円(推定)かかっている現状である。当然、100億だけではなく、発射できる環境を維持するための経費も馬鹿にならない。とはいえ、その金をもっていても民を喰わせることもできない。米国の核の脅威がいまもあるからだ。これに対する恐怖が北朝鮮では相当に根深い。だが、人口2300万人がここまで飢えては、このままの先軍政治で未来は開けない。 だからこそ、この戦時体制からの開放を! これを北は求めている。 麻薬もニセドルも、米国との戦争状態にあるから行われてきた。だからこそ、米朝が正常化されれば、北朝鮮は変われるのだ。そして兵器の維持費に費やされてきた国家の財産も、ゆるやかにだが、人民のために使われるだろう。 各国からの北朝鮮への援助は相当額予定されている。だが、米朝が正常化する前に送られても、これはミサイル代になってしまうだろう。正常化のあとでなくては、意味がないのだ。 北朝鮮の味方は中国では? という見方があるにはある。だが、中国による解放があっても、北朝鮮は自分たちが属国にされることがわかっている。中国は、結局北朝鮮の資源をねらっているだけなのだ。 だが、米国によって解放されたなら、独立できる。 北朝鮮は、実はそのことがわかっているのだ。 だから中国を中心に六カ国会議を行っても無意味であり、事態は進展しない。 中国も、北朝鮮を大きく援助している・・・とは聞く。だが、中国がしているのは、実際には解決を目差した援助ではない。ただの引き延ばしだ。 中国は、米朝の和平を怖れているからである。 正確には、北朝鮮という「近所の大問題」が解決されることで、次に中国に対して「で、そちらの民主化はどうなっているのか」と追求されることを怖れているのだ。より正確には、それによっておこる中国共産党内部の崩壊を怖れている。 その回避のため、中国にしてみれば、北朝鮮には不安定であってもらわなければ困るのだ。「民主化うんぬんより、中国がこうやって援助しなければ、北朝鮮はどうなっちゃうとおもってるんですか?」と言えるために。 そして、北朝鮮が不安定であればこそ、中国の考えは米国に通用する。これが中国の外交カードだ。 北朝鮮としては、いろんな意味で近しい中国に米国との仲立ちに立って欲しい。だが、中国はそれだけはしないのだ。 中国に北朝鮮問題を解決しようという意志はない。経済制裁に関わっている振りをしてわざわざ北朝鮮と中国の国境に有刺鉄線だかフェンスだかを設置してはいるが、あれも映像に映る地域のみで、全国境線に本気で引かれてはいない。 そして米国はというと、実際のところ対テロ対策の一環として北朝鮮からの核流出を怖れているだけで、こちらも本気ではない。イラクに対しての方が遙かに真剣だ。ハッキリ言ってしまえば、アメリカ人にとって北朝鮮のことなどどうでもいいのだ。イスラエルやユダヤが身中に深く入り込んでいる米国にとっては中東の方が、はるかに一大事である。すくなくとも、イスラエルは確実に核をもっていることもあるのだ。 北朝鮮は、制裁されてこそいるが本気にされていない。 そして解放してほしいと思っているが、どこもそれを本気でやってくれるところがないのだ。 この、北を真剣に解放しようと思っている国がないことが、北朝鮮問題最大の問題点だといえる。 かつてあった、リビアと米国との問題は、イギリスを仲介にして真剣に取り組まれたため解決した。 だが、いまの北の問題に関しては誰もがバラバラだ。 北朝鮮問題を解決するには、日本と韓国がひとつになって、ロードマップを提示して行かなくてはいけないだろう。日韓米の結束は不可欠だ。 今年2007年には、北朝鮮でいろんなお祭り(記念祭など)がある。これにかこつけての、一年以内の正常化は可能だ。ただし真剣でありさえすればの話である。 もし正常化が成されて、北朝鮮が解放されたら。 38度戦を撤廃し、最初は連邦制によるスタートからだろう。 一国に二つの体制が同居するところからのスタートがベストな流れだと思う。 これが統一へすすんでいくそのモデルとして注目すべきなのが、日本国内にある民団と朝総連だ。ひとつの国の中で、象徴的な団体がひとつになれれば、平和的な解決・統一へのモデルとなりうるだろう。これを応援したい。 おまけ ・1 ところで、なぜ最近になって北朝鮮が六カ国会議にでてくるようになったか。 それは、まるでやる気のなかった米中が真剣になったポイントがあったからだ。 それは日本の発言だった。 いつだったか、日本も核武装してはどうかという話がかなり公式な場で出たのだと思う。(誰が言ったのか覚えてないが・・・麻生さんだっけ?) それを「日本に核の火が起こった!」としてライスが飛んできたのだ。 米国の外交テーマは、ヨーロッパと日本に核を持たせないことだからだ。 考えてみれば日本が核をもつことはありえない。 貿易立国が世界を敵に回すような要素を持ちうるはずがないのだ。 日本で出たのは「でも、話をするくらいなら・・・」というスタンスだったのだろう。 それでも、米中は本気になりかけた。 北朝鮮は、その「本気」をもとめている。 おまけ・2 さて、2006年10月に核実験を行ったと言われているが、北朝鮮は実際に核兵器をもっているだろうか。 答えは否。核兵器に限ったことではないが、この手の兵器は、最低三回は実験に成功しないと実戦につかえるようなデータにはならない。 インドやパキスタンでも、5回は核実験をしている。 1回の実験で核武装完了とは言い難い。 とはいえ、日本は安心してはいけない。 日本にとって、核の有無以前に北朝鮮は脅威である。 いま真剣にならなければ、本当の戦争に雪崩れ込むかもしれないのだ。 たとえ核はなくとも、北朝鮮は多くのミサイルを保有している。 テポドン2は、6700〜10000キロを射程距離として作られている。その目的は米国本土を撃つためだ。 ノドンの射程距離は1000〜1300キロ。この距離で作られているのは間違いなく日本のためだ。米国にはとどかないし、韓半島内で使うならスカッドミサイルがすでにある。 このノドンが、およそ200基。 すべて日本用だ。 これをどこに撃ち込めば日本を効率的に壊滅させられるか。 入り放題のスパイが、この情報を北朝鮮に送っている。 米軍基地、自衛隊基地、原子力発電所、都市・・・。 なにせ200発あるのだ。県庁所在地レベルまでターゲットにしても、的(まと)の方が足りないくらいである。 そして、日本だけではない。 2007年3月に、経済制裁の解除(BDAの凍結解除)を受けて北朝鮮は核施設の停止に着手するというが、マカオの銀行にある29億程度のお金がどうこうなったところで、現状ではどうなるものでもない。 そもそも米国は、BDA「との」取引をカットオフしている。米ドルを断たれたBDA自体から、北朝鮮に実質どのくらいの金額がもたらされるのかは非常に怪しい。 現状、国家間の関係は、たいして変わっていないのだ。 北朝鮮は依然として、解放の希望が失われ、完全に追いつめられれば、撃って出ざるをえないくらいの逼迫した状態にある。 そうなったら、どうなるか。 開戦をしかけた北朝鮮には、米軍が殺到する。 そして、中国ののど元で米軍が戦闘することになる。 しかも、核地雷があるといわれている38度線上で。 世界大戦である。 現代戦が世界大戦規模で行われたら、この世界は、崩壊するかもしれない。
■ 2007.03.30 A 「さらやま・1」2007年1月12日ごろのお話 ゆきこさんといずれアニメを見る生活をするために、とりあえず、いつかAIRかKanon(ともに京アニ版)をみるために、まず・・・ 「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見る。 すごく長い道を歩みだしたような気がしないでもないが、ヤマトが海中から発進するシーンの、主題歌のオーケストラ版音楽でゆきこさん反応。 「あ、動いてる」 胎教成功 よし、じゃあ、次はガンダムいくか。
■ 2007.03.30 B 「さらやま・2」2006年11月26日 胎教の成功を祝いながら、最後まで「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見る。 このヤマトは、むかし見たビデオ版ではなく、近所のゲオで借りてきたDVD版なのだが、最期の最後にあるメッセージが、つまらない、あたりさわりのない方向に改変されていた。なんか、ホントに、すごく残念だ。 この年になって「さらヤマ」を改めて見て、やっとわかった世界がたくさんある。 かの作品は、自己犠牲の美談であるとか戦争賛美であるとか人が死にすぎるとか、いろいろ言われるが、それでもあの物語りに感動してしまうのは、そこに不可能を可能にする人間の戦いがあるからだ。 絶対に崩せない現実という壁。それでもこれを打ち破らねばならないときがある。 そして、誰かが供物にならなければ突破できない機というものが、たしかにあるのだ。 「無理をしない」とか「まず自分の幸せを確保してから」とか「死んでしまって何になる」とか、そんな甘えがあっては突破できない世界。そんな姿勢では、ただ現実に押し戻されるだけの世界。 現実に呑み込まれていては、乗り越えることの出来ない壁のその向こう側を歩くためには、誰かが供物にならなければいけないときがある。 そうしてこそ、はじめて不可能が可能になるのだ。 私たちも、ああやって戦わなければならない。 36歳。沖田艦長の言っていたことが、やっとわかってきた。