2006.12.13 - A part -「済州島で」2006年07月14日


ゆきこさんと旅行第一弾から帰宅した。ところで婚前交渉はいたしません。(信じられない方もおられるでしょうが、いたしておりません)

「満足する」という状態の基準となるコップが、その喜びごとにあるとして、今回はその「喜び」が四種類あったのだが、
その全部が溢れかえっていた。すばらしかった。その場所、その時の記念がほしくて、普段は絶対に買わない、置物系のおみやげまで買ってしまった。

それくらいに、感動した日々だった。ほんの四日間ほどだったが、お互いに深い心情の世界を理解し合えた。
結婚し、いきなり二人で暮らし始めるというのは、わたしたちには難しいことだったかもしれない。
だから、生活時間の一部をしばらく共有するような、そんな生活から徐々に入っていけるのが、自然でよかった。
別々の部屋で寝起きし、食事をともにし、机をならべて学び、いっしょに遊びに行き、奉仕活動をし、お互いの現地でできた友人のことを報告して笑いあう。

まるで、兄妹のような、そんな生活をすることができた。
男女は、ほんとは兄妹のようにお互いが近しくなって、そして
信頼関係が家族のように自然と強固になって、それから結婚すべきなのかも知れない。











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2006.12.13 - B part -「不条理への対処」


名古屋駅でゆきこさんと別れて、海外で使えなかった携帯の電源を入れた。メールチェックしてみれば天野判断での高レベル案件が6つ。どれも緊急にして、かつ突発。その突発は充分できる予測を先方がしてなかったしわ寄せでもあるのだが、対処にあてる時間をどこにねじ込むか悩む。特に、あらかじめ休みにしてもらったはずの日が出勤日にされている点など、どうまとめたらよいか。どれも外せない用事ばかり。そして全部の要件に「必ず」がついてる。

ぐちゃぐちゃに散らかったまま火曜の引越を待つ部屋。「必ず」つきの呼び出し一件。「どうしても、かならず」つきの呼び出しも一件。しかも急に呼び出してるわりに先方はやけに強気。どうやっても時間短縮のできない仕事が連続投入・離席なしで720分(休憩無し)。帰ってきて降りかかってきた案件さえ無ければ、ちゃんと結果を出せるスケジュールだった。だが、こういう現状になってしまっている。

準備してあった状態を全部台無しにするように、外部から踏みにじられて、それでもやらねばならないとき。


真に正しくとるべき対処は、ひとつ。
わたしは、彼らの失策のせいで呼び出され自分の時間を奪われたのではなく、
自ら自身の判断で、彼らを助けるためにそこにいくのだ、と考えること。その方針で、自分を律すること。

そうでないと、彼らが悪人になってしまうからだ。








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2006.12.13 - C part -「成長」


実家に帰ってみると







甥ッ子がヤフオクで「ダ・カーポ」の抱き枕を落札してた。
 
(あまり考えたくないが・・・これか?)







いい笑顔だった。親のアカウントでとって自分で払ってるらしいが、ものすげえいい笑顔だった。


少し歩くと廊下に(おそらくカドカワからの)
「抱き枕(綾波レイ)」と書かれた納品書が落ちていた。
え、これも? と聞こうと振り向くと、甥の胸には
セイバーTシャツが輝いていた。
同じくらい甥の笑顔も輝いていた。

鬼のようにまぶしかった。









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2006.12.14 -A part -「感受性」2006年07月21日


年齢を経て感受性が鈍くなるということはない。

血と汗と涙の生活、あるいはその土台があり、そして多分これが一番たいせつなのだと思うが、
情が整理されていれば、人は年齢に応じて質は変わるが、ささやかなことにも感動したり、悲しんだり、感謝できる。

情の整理。
恨みや隠し事や遠慮や誰にも話せなかった悲しみや、自分でもわからない苛立ちや、どう解決すればいいのか糸口もつかめなかった問題の結ぼれ。

完全に整理されなくても、重要な問題のいくつかの解決と、立ち向かう決意が得られれば、


こんなにも熱い涙がながれる。
世界が美しい。










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2006.12.14 -B part -「新婚旅行第二弾:東京での日々と映画『日本沈没』」2006年07月26日


新婚旅行の第二弾に行ってきた。これは、実は出張みたいなものである。
26日の夕方にそのすべての使命を終え、徳島から来ていた人と友達になり、晴れているわりには涼やかな停留所でバスを待つ。

新婚旅行第一弾と同じように、三食同じものを食べ、スケジュールをほぼ同じくする生活だった。
近くなった、というよりは、ゆきこさんの「価値」を思い知ったというのが正直なところだ。 そして、お互いの使命を明確に理解できたと思う。
本当に感動的な日々だった。夫婦のあり方というものを学ばせてもらえた、素晴らしい機会だった。


帰りは、いろいろ寄り道して帰ることにしていた。
まず渋谷駅のコインロッカーに、風呂セット以外の荷物を入れて、シネフロントで
「日本沈没」をみる。
ふたりとも映画館で映画みるのが久しぶりなのと、
たぶん何みても面白い精神状態だったのと、知人の評価がかなり厳しかったのが逆に働いて、この映画の大スクリーン観賞効果が大きいのもあって、素直に面白かった。原作者の小松左京は、日本が沈没するという状況を「全部しらべた」と言う話である。観る前にずっと読みたかったその原作も購入したので、帰ってから読むのが楽しみだ。

日本沈没について、1973年に作られた藤岡弘氏の出てるの旧作の話など交えつつ、ゆきこさんと感想を語り合う。私もゆきこさんも、最後に小野寺のように生きられるか、が焦点だったと思う。

メガリスの崩壊やデラミネーションは、実際にはこれほどの短期間ではありえないだろう。だから、日本沈没はあくまでフィクションではある。
だが、私は思う。
この国は放っておけば沈むと。少なくとも、倫理の淪落によって地獄に沈むだろうと。
いまの小中高生の基準は、30台の我々が20年前にすごしてきたものとは、あまりにも違う。二人は近いうちに子供を授かるだろう。早ければ一年程度でありうる。その子を、いまのこの日本の環境で守りきれるだろうか。
テレビなどで伝え聞くだけでも、この20年の間にはずいぶんな変化があるようだ。
授かった子が15歳に、あるいは20歳になるそのころ、日本はどうなっているだろう。いっそ、国を見捨てて逃げ出したい。だが、日本の責任は、日本人が取らないといけないのだ。なら、この国をどうやって救うか、そして救える人材を、どう生み育てるか。同時に、成人するまでその子を守りきれる環境を、いまからどう準備するか。

「真剣にやろう」と、ゆきこさんが言う。そう、この二人が結婚を決意し、家庭を持つと本気で決めたときから、この戦いは、もう始まっているのだ。


映画が終わったのが20時44分。今回は夜行バスでの帰郷だ。出発は23:40なので、それまでに風呂に入っておこうと考えた。調べておいた池尻大橋の大江戸温泉は、
なぜか突然のガス事故で営業停止。とりあえず店主を励ましておいたが、やはり風呂には入っておきたい。夜行バスで気持ちよく寝られるかは、けっこうこれにかかっている。なので三軒茶屋まで足を伸ばした。ここは大学時代に住んでいたところで、17年ぶりに来てみると、かなり多くの店が変わっている。「あ、金物屋が駐車場になってる・・・」とか「映通社、まだ残ってるのかあ」とか、ゆきこさんにリアクションを笑われながら歩く。これだけ町が変わってると目指す銭湯はあるだろうか、と不安だったが、そこだけはきっちり残ってた。ありがたい。

一時間の入浴で、いい感じに疲れも取れてグデングデンになる。マクドナルドで一息入れてから新宿へ。ここでセンタービルとセントラルビルを間違えて、ゆきこさんをかなり歩かせてしまったのが申し訳ない。ちゃんと細かい下調べをしなかったのが反省点だ。どうにか乗り込んで、一路名古屋へ。 途中のサービスエリアでみた星が、きれいだった。


次は、仕事と、絵仕事と、6月末に契約し引越も完了した新居の家具選びと、婚姻届と、あとやっぱり半分も進んでない部屋の片付けと、そして、第三弾:真の新婚旅行への出発だ。



わたしたちは、たぶんそこで生まれ変わる。
あるいは、それからの生活で、すこしづつ。










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2006.12.14 -C part -「絵の話」2006年07月27日


たとえば、何らかの事情があって絵を描くのを止めたり、あるいはより強く「断念」したとする。

それは、その事情を完遂するために、惰性や逃避となる「絵描きの行為」を許さず、厳しく自分を律することのできる強い能力の現われなのだと思う。

だが、そうした自己否定でなくなってしまう情熱は、たぶん本物ではないのだと思う。本物は、どんなに否定しても否定しても、それでも出てきてしまうのだ。

絵の上手い下手にかかわらず、その人の根っこのところからすでに絵描きだった場合は、あるいは、その境地に努力で達するくらいに絵を愛していれば、

絵描きが絵を手放しても、絵が絵描きを手放さない。

絵描きは、やはりたまに休む。だが、そういうことがあっても、やがて復活する。私が知っているのは、ほんの二人ほどだが、そういう人の共通点は、たぶん
「絵を指で描くものと思ってない」ことだ。








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2006.12.15 -A part -「2006年7月後半のいろいろ」



ゆきこさんに正体をバラす。具体的に言うと
夜想曲を見せる。

「拓美(ホントは本名)さんの絵、すきですよ」と言われて悶える。安堵と気恥ずかしさと緊張がごちゃ混ぜになって、なんというか、こう、・・・吐きそう
で、でもよかった、これで
家庭内公認で絵が描ける。後ろめたさゼロ。よかった。よかった。・・・たぶん。



ゆきこさんに車を運転してもらう。

彼女は免許とって一年たっていない。しかも教習所を出てからの運転経験は
わずかに二回(ともに友人車)。うち一回は車庫入れの練習のみと聞く。
しかし同乗してみると、これが上手い。自分の運転技術以上のことは絶対にしない
鉄板の安全運転。でも速度や車間距離は適切で迷惑運転でなく、発進・加速・ブレーキなどパワーの曲線が雲定規を使って描いたような美しさ。感想を伝える「あなたの運転は、つまらん」言われて喜ぶゆきこさん。

笑いにしながらも、よかった・・・と安心した。
こどもが生まれたら、母親が病院に連れていくことは日常茶飯事だからだ。









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2006.12.15 -B part -「結婚式への道」D-DAYマイナス91 2006年07月14日ごろの話


結婚式をしよう

そう思ったのは、新婚旅行第二弾から帰ってきてからだったと思う。
それまで、式をやるつもりはなかったのだ。

ごく近い身内だけをあつめて、どこかで食事会でもすればいい。そういう
地味な結婚式でいいと思っていた。
これは男性の私もそう思っていたし、ゆきこさんも「お金がかかるし、大変そうだから」と賛同していた。

だが、あるときこの考えを変えた。
真剣に家庭を持っていこうと思ったとき、そして子供を育成していこうと思ったとき、はたして周りの助けや理解無しに、それが可能だろうか。
世界的に見れば治安は良いかも知れないが、それでも連日の危険なニュースに満ちたこの国で、
ふたりだけで子供を守りきれるだろうか
新婚旅行第一弾・第二弾の中、さまざまに話し合って、私たちの出した答えは
「無理」だった。

自分一人で生きていくのなら、人間関係など無視しても、どうにか生きていけるかも知れない。
だが、この世界と引き替えにしても譲れないほど愛しいこの家庭を、自己満足ではなく、その価値にみあったものにしていこうと思ったとき、社会に、わけても親類縁者に助けてもらわなければ、その成立はありえない。


他人にすがってでも、この家庭を護りたいのだ。

だから、結婚式をしよう。正式に、親戚の方々にご挨拶をしよう。
そう考えた。


「親戚や親兄弟に助けてもらわなくてはいけないから」
そう唱えての結婚式への出発だが、実はこれは表向きの理由だ。
もうひとつ、別の理由がある。


この愛しい伴侶を生み育ててくれた人と、その人に連なる親族を愛したい。
そして、この人の親族を愛してからでしか、
このひとと公的に結ばれることには筋が通らない。
だから、それを行うおもてなしの場を設け、全員を集めて歓待し、挨拶し、決意を述べよう。

そう思ったのだ。

そのために必要なのが結婚式だった。



この決意の上で、私たちは式の準備をすすめていった。
そして、そのなかで我々は自分で決意したこの意味を様々に理解していくことになる。
これからそれを、日記という体裁でレポートして行こうと思う。

外的には準備にかかった手間や決定要項。
内的には気をつけておけば良かったこと、準備の意義と価値、そして結婚式で得られるものについて、書いていきたい。
人物の写真だけは載せられないが、例によって
かかった費用の詳細に至るまで詳細に書きたいと思う。(実際いくらくらいかかるのか、知りたい人は多いはず)

進行としては、通常の日記を挿みながら、進んだ内容を記録していくつもりだ。
式の当日を「D-Day」とし、当時の日付から逆算した式までの残り日数を記録していこう。
結婚式の決意をした日を2006年7月14日と仮定し「マイナス91」とタイトルに表記する。

これは、決意から91日、つまり、およそ三ヶ月で挙式に至った、その記録でもある。
内外ともに、いつか結婚式に挑む後進たちの参考になれば幸いである。








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2006.12.15 -C part -「結婚式のスタイル・規模・地域・そして時期」D-DAYマイナス84 2006年07月21日ごろの話


もともとやるつもりではなかったので、結婚式でやりたいことは特になかった。

「ゆきこさん、結婚式でなにかやりたいことはある?」
「・・・特には・・・」

思えば、
ホントにこだわりの無い花嫁だった。
私にしてみれば、女性というのは、結婚式のことを小さい頃からずーっと夢に見ているものだと思っていた。少女のあこがれの最たるものは、おそらく「結婚式」であろう。もし
幼い頃から温めていた夢があったら、多少の無茶は聞こうと思っていた。もちろん、親戚をもてなすことが中心である。その上で、実現可能な方向性を検討して、新婦の「こだわり」を実現させていこうと思った。その決意も

「ないよ」

あっさり白紙化した。

そうは言われても「結婚式は女のもの」である。
思い通りの式ができなかったことを、
一生涯ぐちぐちぐちぐち言われ続ける夫婦もあるらしい。
それだけは無いようにと、ことあるごとにゆきこさんに確認したが、いま思い返しても、まったくそのへんの出しゃばりがなかった。(結局は二人で検討していくことになった)

ところで、ゆきこさんは「自分は結婚できないと思っていた」のだそうだ。「嫁いできた」というより「もらってもらう」という、そんな意識がずっとあったのだと思う。
でもとにかく、結婚式は私よりゆきこさん優先だ。いろいろ聞き出したり心理テストみたいなことまでして

「強いていえば、
白無垢(しろむく)が着たいな。和風の式がいい」

と、やっとそれだけ引っぱり出した。とりあえずこれは確定である。


「白無垢」とだけ書かれた紙を二人の間に置いて、ついで出たのは「結婚式をどこでやるか」という問題だった。

私たちのそれぞれの実家は、岐阜と山形にある。中部の真ん中と、東北の日本海側だ。
結納の時は、電車で片道7時間かかった。けっこう遠い部類に入ると思う。

たとえば、東北と九州くらい遠く離れた実家同士の結婚式の場合、移動の手間などを考えて、東京で式を・・・と単純に考える向きもあると思う。だが結果として、
新郎新婦が現在生活している地域、すなわち岐阜に絞って良かったと心から思った。

というのも、とにかく結婚式には
式場との頻繁な打ち合わせが必要なのだ。これをしなければならない以上、新郎新婦の現住所から近いところに設定するのが、一番いい。

そんなわけで、
開催地は岐阜中心で(もしくは二人の生活拠点と親族生活圏から、一時間で移動できるエリア内で)と決まった。


ついで、
人数である。


「岐阜の親戚はいいとして、山形からはどれくらい来るんだろう。そもそも呼べるくらいの親戚ってどれくらいいるの?」

「20人くらいですねえ。ほとんど来ると思いますよ」

「でも山形からだよ? 結納の時あれだけ大変だったんだ。
じいさんばあさんばかりで半日かけての強行軍旅行なんて、下手したら何人か死ぬぞ。実際に呼んでみたら、ずいぶん減るだろう」

「そうかもしれませんけど」

「まあ、地元ならともかく、こんな遠くじゃ半分くらいには減るね。10人くらいだろう。うちの親戚と合わせて20人くらいの小さい披露宴になるな! うん」

「そうかなあ」


蓋を開けてみれば、40人だった。
山形のお義父さんが声をかけてくれたのだろう。ほとんどの親族は「いく(より正確には『いぐ』)」と応えたそうだ。山形から20人近い参加が表明された。
ゆきこさんの予想は当たった。実際に結婚式の打診をしてみれば、
打率9割だったのだ。

いまだもって、
なぜこうまで喰い付きが良かったのかわからないが(後に、結婚式に呼ばれたら必ず行くというのが山形の県民性・・・という話も聞いたが)、とにかく最終的には20人が来ることになった。おおよそ出る予定であろうわたしの親戚と知人、そしてゆきこさんの岐阜での友人をあわせて、ざっと40人である。多少の上下があると思うが、それくらいの規模の会場を借りればよい。人数は決まった。




ついで決めるのは、
時期だ。

ところで、うちの結婚はちょっとイレギュラーな流れで進行している。
両親への挨拶は・・・2月までに行った。
結納はというと・・・6月に完了している。
婚姻届を出したのが、7月31日。
新婚旅行へいくのが、8月7日から。
同居のはじまりが・・8月16日から。
そして結婚式が・・10月14日。

つまり
式だけが後回しになっているのだ。本来は8月頭にやる流れだろう。

だが、やはり
夏場に結婚式をやるのは自殺行為であると思う。こんな時期に着物など着たら、二日前くらいから無水断食でもしてないと汗が噴き出すだろうし、汗で流れるメイクが気になるというのも可哀想だ。あと、親戚の方々も正装で夏場の冠婚葬祭というのはキツいだろう。
しかも室内では一転して式場内がものすごく寒い。クーラーなどの
空調が花嫁の衣裳にあわせてあるからだ。ふつうに季節感を考えた服を着てきた女性客がガタガタブルブル震える。そして式場と披露宴会場の間の移動中、わずかな時間に熱線に炙(あぶ)られて体調を崩す人もいる。なにより冷房も熱射も、お年寄りには毒だ。

そういうわけで、挙式・披露宴は後回しにし、
その時期を秋とした。これ以上おくらせるのもよろしくない。結婚にはやはり「機」があるのだと思う。母が会場えらびのアドバイスとして「料理にだけは力をいれること。不味いと一代いわれつづけるから」と言っていたが、そういう意味でも秋にやるのはちょうどいいはずだ。気候的に楽であるし、食材がうまくなる時期でもある。

あと、山形の親戚方には、わたしの実家地方の伝統芸能である
「鵜飼い」を楽しんでいただくつもりでいる。これの最終日が10月15日なので、ギリギリとはいえ、ちょうどいいだろう。 母が以前に最終日に鵜飼いの屋形船に乗ったことがあるそうだが、別に寒くはなかったそうだ。

というわけで、鵜飼いの期間である10月15日より以前で、日のよいときを占えるだけ占って、式の日取りを

2006年10月14日(土曜)とする。

この時点で、あと三ヶ月も時間がなかった。








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2006.12.15 -D part -「方向性を軸として会場を絞る」D-DAYマイナス76 2006年07月29日ごろの話


いろいろ話し合い、日時や場所、規模などの外的な条件は揃った。
その上でさらに検討し、加わった
「方向性」は三点。

まず、
料理が美味いこと
これは、おもてなし宴会の基本であろうと思う。

さらに、
衣裳の持ち込みが可であること。
うちは親戚に貸衣装屋がいて、そこで借りることはもう決まっているので、持ち込み料に問題のないことがひとつの条件であった。
知人の式では、どうしてもこの衣装で、ここで結婚式がしたい! と
レンタル料と持ち込み料金で50万円ちかく払ったケースがあった。1時間半ほどしか着ていない衣装に、50万円である。いくらなんでも、わたしたちはそこまで出せない。

そして何より、
和風の結婚式をしたいということ。
実家が呉服屋だということもあるし、年輩の方を多くお招きするであろうこともある。そして二人とも、和風の結婚式がいいと思っていたのだ。

そしてもう一点、結婚式の本質にせまる理由がある。
いつかの日記に書いた
「この国を救う、そういう人材を育てる家庭に」という志である。
その夢の出発を、やはりこの国の文化が色濃く出るスタイルでやりたかったのだ。


ともあれ、この「料理」「衣裳持ち込み可」「和風の式」プラス、先の日記で決まっていた


出席者:40人
式 場:神前結婚式ができること
予 算:150万円程度
    (実際には式場の経費以外に、交通費や貸衣装代などの諸経費で250万くらい予定)
エリア:現住所から1時間以内で移動できる範囲
日 程:10月14日


この条件をもって、先日無料で入会した「ゼクシイネット」
(結婚情報誌のネット版)で、やっとまともに会場を検索することができた。

該当する式場は数えるほどしかなかった。岐阜や愛知の北部に結婚式場は少ない。さらに条件でしぼると、だんだん会場が見えてくる。こういうときは、細部にこだわらないことと、まよったら中心コンセプトに立ち返ることが大事だ。
そうして、候補を二件に絞った。

フレンチ創作料理「なり多」http://www1.odn.ne.jp/narita/

そして

長良川岐阜グランドホテルhttp://www.gifugrandhotel.co.jp/)

である。



グランドホテルは兄が結婚式に使ったので、ある程度しっている。
まずは「なり多」の紹介文を読んでみた。


文化財奥村邸内 フレンチ創作料理「なり多」

(以下、ゼクシイ紹介より) 

160年の歴史ある豪商の邸宅をステージに、お洒落なモダンウエディングを実現。
レストランの建物は、文化財にも指定されている160年の歴史をもつ奥村邸。館内には貴重なアンティークが飾られており、ゲストの目を楽しませてくれる。外蔵での神前式は、雅やかな雰囲気で魅力的。お箸で食べるフランス料理は年配の方にも喜ばれている。


素直にこちらの方が、画像も多く分かりやすいかも知れない。

まずはこっちから・・・と思って行ってみたのだが、










その「なり多」に圧倒された。










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2006.12.15 -E part -「式場の確定」D-DAYマイナス76 2006年07月30日ごろの話



撮影:
北摂光画館

二人揃って、ほとんど手放しでここに決めかけた。それくらいこの会場は、魅力的だったのだ。

「なり多」のよいところは、なんといっても
「日本の風景」が邸内に残っていることだ。
手作りで微妙に波打っている年代物の硝子がいい。このときはまだ試食に至っていなかったが料理がまた凄まじく美味かった。邸内に飾られている小物、設備など、いちいちセンスがいい。木の床が、むかしの日本家屋の黒艶があっていい。庭園に、キリシタン灯籠があり、水琴窟があり、池にヤマメがいる。そして、名鉄犬山駅から近いのに、とても静かだった。

邸内をしつこいくらいに見せてもらったあと、プランの紹介を受ける。ブライダルの担当者もすごくいい人だった。ちなみに「藤永安企子さん」安心企画とかいてあきこ。本名だそうだ。なんとなく苗字ではなく「あきこさん」と呼ぶ。ここで過去に行われた結婚式の写真などを見せてもらい、衣裳の持ち込みなど条件が通じるか確認し、見積もりを出してもらった。金額・内容に問題なし。予定日も問題なくあいている。三ヶ月前からスタートして、当日までにこういう日程で決定事項を埋めていきましょうというスケジュール表をもらい、この段階で、今日はいったん失礼した。


「なり多」から出てきたときの第一声が

「さ、じゃあ悪いところを探そうか」だった。

一分経過して
「ないね」という結論に達した。


とにかく「なり多」は個性的だった。そしてものすごく魅力あふれる店だった。
こんなところが、他に探してあるかといわれれば、無いであろう。
どれくらい良いところかお見せしたいが、
実物を御覧にいれられなければ一割も魅力は伝わるまい。それが、悔しい。


ほぼ、こころの中では決まっていたのだが、一応、もう一件のグランドホテルにも行ってみた。
ほとんど「なり多」の決定を強固に補強するための、理由確保のためのような訪問だったと思う。説明をしてくださったプランナーの方には申し訳ない。

ホテルの会場をいくつか見させてもらった。どうしても
「よくある結婚式」のパターン化された(それだけにおそらくは最適な)風景ばかりが目立ち、いよいよ「なり多」の珍しさが際立つ思いだった。やはり遠くから来てもらうのだから、それだけの価値のあるものをお見せしたい。「なり多」は、その会場自体がすでに珍しく面白かった。

「なり多」に問題があるとすれば、それは収容人数50人(最大70人といっているが)が限度だということだ。
グランドホテルだったら、150人くらいの結婚式でも十分収容できる。大人数向きなのだ。

逆に言うと、わたしたちのような40人規模だと、
より力を発揮できる会場が「なり多」でもある。
ホテルで40人程度の小規模披露宴をやろうとすると、どうしても密閉された狭い会場のイメージがあるし、可動するパーティションで小さく仕切る形だと、となりのカラオケとかが聞こえてきそうだった。

そして、ホテルは料金も全体に割高だった。
肝心の料理も大したことはなさそうだった。

あと、ホテルはどうしても演出の都合上、
会場が暗い。自然光の一切はいらないところでやるので、ショーとしてはスポットライトの効果などが抜群に出て良いが、どうにも「暗いところでやってる」感じがあるのだ。「なり多」を見て、はじめて「ある程度の自然光のなかで、晴れやかに行いたい」という気持ちになった。


きまった。ここだ。
一件目の訪問で、すばらしい出会いがあった。神懸かり的なものを感じた。これは、もう当日の天気すら心配しなくていいくらいに、ついていると思う。

一般的な結婚式の体裁ではなく、自分たちの事情に一番適合するところをシビアに探したことが功を奏した。そして、運があったのだろう。本当によい場所がみつかった。



この後、8月にあった母の誕生日に予約をし、実際に「なり多」で料理をいただいてみた。
母とゆきこさんと、わたしとで、2900円のコース(女性用×2)と3900円(一般×1)のコースを食べる。
絶句するくらい美味かった。披露宴はとっくに予約から成約に至っていたが、間違いなかったことを再度確信した。料理は和食にしようかと思っていたが、やはりフレンチは美食の殿堂である。「お箸で食べるフレンチ」は、コンセプトにもピタリと合致して、大当たりだった。

ともあれ、日程・会場がきまった。次は招待状を出して、カメラマン(は、いちおう決まった)や司会を探し、と、まだまだ準備することはたくさんある。








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2006.12.15 -F part -「婚姻届」D-DAYマイナス75 2006年07月31日ごろの話


ところで、お互いに、
どんなにラブラブでも婚前交渉はしない考え(ここ重要)なので、新婚旅行第三弾(いよいよ真の新婚旅行)の前に、婚姻届だけは出しておいた。それが7月31日のことだ。

ゆきこさんの姓がかわる。
それまでの姓は、ちょっと男っぽい響きがあった。名前と組み合わせると、なお剛胆なイメージになる。
これが、わたしの姓と組み合わせると、不思議と女性らしい、さわやかで優しい名前になった。わたしは、この名前の響きを今日まで口にだしたことがなかったが、実際に耳できいてみると、繊細な、素敵な名前だと思う。

「なんか不思議な感じですけど、うれしいです」

と、ゆきこさんがはにかむ。


ふと感じた。
姓が変わるというのは、女性には大変なことだと思う。いままで使い慣れた名前が変わってしまうのだから。でも、実感としては、男性が感じる
「自分の愛するひとが同じ姓になる」ということで発生する「責任」、そしてこのひとを守っていくという決意のプレッシャーの方も、相当にあると思う。

すこしづつ、ともに暮らしていくのだという実感が持てるようになってきた。結納や婚姻届を、いい加減にイベントとして通過するのではなく、
その行事を通して獲得しなければならない覚悟が、お互いにちゃんと得られていると思う。


それら全てを通過、蓄積して、結婚式ができる。
10月という時期は、わたしたちにとって、これまで固めた決意と覚悟の、ひとつの総決算になるだろう。








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2006.12.16 -A part -「腰骨」D-DAYマイナス72 2006年08月03日ごろの話


先日、無理して甥っ子(
綾波レイのTシャツきて来るなよおめーはよ)と、その下の甥っ子(一晩に二回おねしょした)といっしょに四次元野球をしたのが悪かったのか、臀部から腿、ふくらはぎあたりにかけて、けっこうな痛みがあり、これがまた一向に収まらないので一日仕事を休んだ。

まさか筋肉痛かと思ったが、そういう痛みでもなく、どちらかというと神経の痛みっぽい。
とりあえず病院の整形外科に行ってレントゲン被曝してみた。お医者さんの曰く「最近急激に太った?」


すみません、最近急激に太りました。


書店時代には毎日立ちっぱなしで15時間とかだったのでナチュラルに消費されていたカロリーが、転職後デスクワークになったために
全部重量化しているのだ。


あー、やっぱりなあと思っていると、さらに衝撃の事実が。

「ここ、普通のひとは腰骨5個あるんだけど、君の場合は4個しか無いねえ」

なんと。

後の母のコメント
「あんた、○○○やったんかー」

ちょ、お母さん、
ナイーブなガラスの三十代には、もうちょっと回りくどい表現を使用すべきではないでしょうかと思いつつ、ちょっと得心もいく。

そういえば柔軟の特に前屈が苦手だった。いままでは単に腹がでているからだと思っていたが、骨格のせいもあったとは驚きである。


で、問題の痛みは、本来5個の腰骨を使って曲がっているのが、4個で曲がっているため、もともと無理がかかりやすく、体重の増加で椎間板が潰れそうになっているのではないか、そのために脚の神経に障っているらしいとのこと。

アドバイスを求めると「ストレッチと減量」と言われ、
対処療法の見本のような出し方で鎮痛剤と胃薬が処方された。


数日服用し、とりあえず、薬を使用しなくても痛みはなくなった。
これからは、ストレッチと減量が肉体面での課題となる。

書店時代には、とても気を回せないジャンルだった。でも、いまならきっとできる。骨格が許さないから80キロ以下になるのは難しいと思うが、現在の100をひょいひょい越える
小林誠が描くジオみたいな体形は脱したい。あと、お風呂あがりにはちゃんとストレッチすることにしよう。

「出されたら出されただけ食べる」という私の食生活は、そういう意味では他人が握れば容易にコントロールできるはずだ。
だが「あまり甘いもんばっか食べとると太るよ」といいつつ「チョコレート食べる?」と聞いてくる、この
溢れ出す矛盾にまったく無自覚な母はあてにならない。

ゆきこさんが頼りである。
彼女とともに、10月の結婚式までにオーダーメイドでない、
既製品の紋付袴を着られるよう、がんばろう。








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2006.12.16 -B part -「死闘」D-DAYマイナス69 2006年08月06日ごろの話


結局、2006年夏(当時)のコミケには行かないことにした。

ああ、今年は特に美味しかったのに、もったいない・・・という気持ちもあったが、それ以上に大事なことがあると判断したので、今回はパス。
心残りは、ジャンクヤードの打ち上げであるであろう、小川一水氏と、今回の挿絵を描かせてもらった稲葉氏との作品論が聞けないことと、高橋むぎさんが描く「なのは」の同人誌が読めないことだ。

だが、コミケに行っていたら、どうなっていたろう。
きっと大変だったと思う。
ゆきこさんにいろいろ誓った身としては、たぶん、誘惑とかで。


「あ、天野さん。これどうですか。
『涼宮ハルヒの瓶詰』 表紙きれいですよー」

「ぬう、こ、この長門は萌え・・・萌・・え・・ては、
いかん! いかんのだ!!

「はい?」

「誘惑には屈せぬ!!」

携帯展開 → 連絡先 → ゆきこさん → 発信 → 着信「はい?」

「ああ、ゆきこさんか。ハアハア、わたしだ、いや別に。ハアハア」


4分経過。

「ふー、すこし落ち着いた」

「あ、天野さん。これ
『闇の書の精神攻撃以降、たまに寂しくてクロノのベッドに潜り込んでくるフェイト』とか」

「ぐ、ぐぬぬぬぬ・・・」

携帯→連絡→ゆきこさん→着信「はい?」
「ああ、ハアハア、ゆきこさんか。ハアハア、わたしだ、いや別に。ハアハア」


21分経過。

「あ、天野さん。これ
『細い足の膝と膝を内側であわせたときにできる少女の股間の三角空間萌え本』

「うおっ うおおおおおおぉぉぉっっっ!」

ゆきこさん「はい?」

「ああ、ハアハア、ゆきこさんか。ハアハア、わたしだ、いや別に。ゼエゼエ」




この
「二次元美少女VSゆきこさん」というデスマッチ(主に私が)が予想されるため、たぶん、辛いだけだったと思うのだ。









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2006.12.17 -A part -「夕陽」新婚旅行第三弾 2006年08月07〜10日




愛知県の蒲郡(がまごおり)に来ている。
ラグーナ蒲郡竹島水族館以外に見所なくて、夕方になると二人でぼーっと夕焼けを見ていた。


「きれいな夕焼けだねー」

「うん、繊細な空だ。」

「今日の夕焼けは何点くらい? 」


ゆきこさんは、私が夕焼けマニアであることを知ってから、たまに点数を聞いてくる。

「98点 」

でも、ゆきこさんの横顔を含むと、プラス1億8千万点。

星が出るまで見てた。





新婚旅行第三弾である。
6月末に強行した結納旅行の7時間電車に乗りっぱなしというのが、正直こたえたのだと思う。この旅行に関しては

「海があるところ」
「温泉旅館」
「岐阜駅から電車で一時間以内」

という明確な条件で円を切って調べたところ、
蒲郡がヒットしたのでそこにした。
調べてみると知人が働いている旅館もある。評判も良かったので、宿はそこを選んだ。
緊張しつつ出発し、到着してから食事の時間まで、ぼーっと夕陽を観ていた。
以下、当日のメモより記録を写しておく。



食事が凄い量で、ちょっと体重心配だった。簡単に風呂。ぼーっとしつつ夕陽をみる。
ふたりでこんなふうに過ごしたのははじめて。個人ですら、おそらくはじめて。よかった。ふたりで波長が合っている時間の、なんて素敵でやすらぐことだろう。


8時には、花火が遠くで空を叩いていた。


ひざまくらを希望すると、すなおにやってくれるゆきこさん。ひざまくら効果絶大。胎内に回帰したような、そんな暖かさ。
せがんで、ゆきこさんの昔話を聴く。バレーボールのアタッカーだった話。「優勝します!」と壮行会で宣言したら優勝してしまった話。
自信がない自分。あたま薄いし、太っているし、総じて醜いし。それがほろほろと口をついて出た。弱音だった。甘えていたのだと思う。でも「ぜんぶ好き」と言ってくれるゆきこさん。

ああ、この人には甘えても良いんだ。誰に対してもやらなかった根っこからの甘えを、この人は受けとめてくれる。そう思えた。






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2006.12.17 -B part -「位置を守り、使命を放棄しないこと」新婚旅行第三弾 2006年08月07〜10日


旅行中にした話。

むかしある合宿に行ってたとき、そこの
起床BGMが「ロッキー」で、いまだにこの曲を聴くと少しだけ嫌な気分になる・・・とか、そんな話をする。

同じようなことが、元看護婦さんであるゆきこさんにもあるようだ。
彼女がむかしいた病院では、ナースコールのシグナルは「エリーゼのために」だった。これを聴くと、やはりいまだに嫌な気分になると言う。

死ぬほど忙しいときにこの曲に続いてお客さんや患者さんからの声が聞こえてくると
「こっちはそれどころじゃねえんだよおう!」と切れそうになるが、それでも看護婦さんは「はい?」とにこやかに応対するのだそうだ。

これは書店における
どんなにイライラしていても、お客様の前では笑顔でいられる技能と同じ種類のものだろう。

この訓練は、お互いにちゃんと積まれているらしい。


ところで、どんなにムカついていても、とっさに笑顔がでるということ。
これは悲しいことだろうか。
否、これは
自己管理能力だと思う。言い方をかえれば「自分の使命を放棄しない」という能力だ。


子供のいる父母がケンカするときがある。
夫婦のケンカはその間に生まれた子にとっては猛毒だ。
自分の生命の拠点が分裂しようとしている様子を目の当たりにする恐怖。それが、どれくらいの傷になるだろうか。それでもお構いなしに、自分の血気のままにケンカを続ける親がいる。

ケンカが起こるのは仕方がない。だが、それを見られた瞬間に、その夫婦は自分たちの事情以上に、子供のために「父母」たるのが親の位置ではないか。子供が心配して顔を出したそのとき、
「ううん、なんでもないよ〜♪」瞬時に自分の怒りをひっくりかえして笑顔で子供に安心を与えるという使命があるのではないか。

そうやって態度を急変させることは悲しいことでも、誤魔化しでもない。
それは
自分の使命を放棄しない決意の現れだ。


そのための訓練を我々は積んできたのだ。
自分のあるべき位置を放棄しないことの尊さを、わたしたちはお互いへの尊敬とともに自覚している。



「かけがえのない女」と「仕事」の板を前にして、わたしは前者をとった。

夫であり、やがては父となるであろうその位置を、わたしは絶対に離れたくない。







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2006.12.17 -C part -「水族館」 新婚旅行第三弾 2006年08月07〜10日


二日目である。

近場にあった水族館に行ってみた。
アシカショーと、ハコフグがくるくる回っているのをみて喜ぶ。けっこう水族館はみてきたが、それでも知らない生き物がいてうれしい。でもさすがにキャアキャアいいながら歩くのはしんどく、ちょっと休んで、ガストで昼飯。なにせ旅館のメシが多いので少な目に注文した。

そこでまた色々な話をした。思い返すと旅行中はよく話をしたものである。自分の持ちネタがけっこうあるから、というのもあるが
「この人とは、良心基準に照らして問題なければ何を話しても大丈夫」という安心感が生まれたからだと思う。昔の失敗や、いまも持ってる恥の記憶。おたがいに恥ずかしいことを打ち明け合った仲ということと、同時にお互いに良識のある範囲でしかそういう話をしない、あるいは場所をわきまえて話すという信頼があるからだろう。

いい時間になったのでホテルから迎えに来てもらう。お疲れのゆきこさんは部屋でお休み。わたしは風呂に。
ゆきこさんが誰とでもべったりなタイプでないことは事実なので、一人の時間を作ってあげようと思う。一時間くらい風呂に行く。


このころだった。
いっしょに生活する時間がいままでで一番ながい。
そのせいか、ゆきこさんが、いつにもまして愛おしくなる。

みていて、かわいい、うつくしい、あるいはそれ以上に素晴らしいなにかという感想が湧いて、・・・とにかく困った。







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2006.12.17 -D part -「世界を手にいれる方法」 新婚旅行第三弾 2006年08月07〜10日



世界一よい伴侶を手に入れることは、

世界を手にいれることと同じ価値がある。








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2006.12.17 -E part -「女性を育てるということ」 新婚旅行第三弾 2006年08月07〜10日


美人は、なぜ美人なのだろうか。
それは、美人は、
自分が美人であることを知っているからである。
一般的に美人であると思われる芸能人や漫画のキャラを思い出してみよう。彼女ら、自分が美人であることを「自覚」している人からは
「美人のオーラ」がでている。だから美人に見えるのだ。

逆に「自分はブスだ」「自分なんて」と思いこんでいる人は、自分に対して「ブスだ」という
暗示をかけ続けている
特に、男女においてこの差は顕著だ。女性は、どうしても人から言われた評価を受けとめてしまうから、誰かから言われた言葉をずっと潜在意識にもっていたりする。「きれいだね」あるいは「ブス」という言葉を。そして、影響を受けて
そのごとくに成長してしまう
だから、後者の場合、どんなに外見のパーツやバランスが悪くなくても、自分を不美人だと思っている人は、美人に見えなくなってしまう。

一方、外見はそれほどでもないのに、とても美人に見えるひとがいる。
先の「美人のオーラ」(美人のムードと言っても良い)を持っている人は、美人に見えるということだ。
彼女らは、潜在意識のどこかで、自分に対する何らかの自信を持っている。

大学時代の先輩で好例がある。実はちょっと前に写真の整理をしていて、その先輩の顔をまじまじと見る機会があった。彼女は、わたしの記憶にある印象では「美人」だった。明るさと暖かさと聡明さのある美女だったと記憶している。
だが、お世辞にも写真の上の先輩は美人とは言えない御面相だった(いや、本当に失礼なことを書いてるとは思う)
それでも彼女は、あの当時とても美しく見えたのだ。多分いまでも、実際に会えば、先輩は美しいだろうと思う。それはなぜか。

彼女が話していた子供時代のエピソードがある。

「父は、私と外へ遊びに行ったとき「くーちゃん(仮名)、きれいなお花が咲いてるねー。でも、
くーちゃんの方がずっときれいだよ」と、ことあるごとに、しつっこいくらいにほめてくれました」

世界にあるどんな美しいものよりも、さらにおまえは美しいという評価を受けながら、彼女は育ったのだ。根底にある揺るぎない美の自信。これで彼女が美人に見えないわけがない。
輝くような内面の自信が、その人を美人にするのだ。


さて、前フリが長かったが、ゆきこさんの話である。
彼女が一度自分の容姿について書いた手紙をくれたことがあった。
独身最後の誕生日にくれたその手紙には、自分の容姿や性格にすぐれてない部分があることが書かれていた。そこをむかし男性にからかわれたこともあるとも書かれていた。手紙の趣旨は結婚への希望と感謝の内容だったので感動しつつ読んだが、前半のコンプレックスの部分は、読んでいて悲しかった。
ゆきこさんは、
彼女をからかった奴の言葉を真に受けて、ここまでコンプレックスをもって育ってきてしまった。自分を不美人だと思いこんで、いままで苦しんで来たのだ。

なんて愚かなことだろう。
あの先輩ですら(いや、ホント、すんません)、自信の有無で美人に見えるのだ。

もともとが美人なゆきこさんが、あまりにももったいない。


彼女は自分に自信がなく、「わたしのことを愛してくれるひとは、いないんじゃないかな」と思っていた。
女性を石に例えれば、
自分のことを石ころかなにかだと思っていたのだ。

だが、宝石でない女性など、この世にはいない。

美しくない女性もいる、という意見もあるだろう。
だが、宝石にもいろいろあるのだ。生まれたままで美しい真珠のようなものもあれば、その数倍の価値がありながらも薄汚れたガラス玉にしか見えない状態で掘り出されるダイヤモンドだってある。磨いてこそ光るのだ。

とはいえ程度がある、という意見もあるだろう。
では、誰でも知っているケースを紹介しよう。
(「ひっくりかえったオモチャ箱」より一部転載)


ブリジッド・バルドーは、冴えない少女だった。「わたしはブスだから」が彼女の口癖だった。事実彼女は少女時代、へんてこなネコのような顔だった。

ジュリー・アンドリュースの少女時代の悩みは、
自分の顔が「みっともない」ことだった。

オードリ−・ヘプバーンは自分の娘時代をふりかえって言った。
「わたしはいつも、みにくすぎるか、ふとりすぎるかしていました」
事実、そう思っている頃の彼女は、それほど目立つ女性ではなかったそうだ。

あの、オードリー・へプバーンがそう思っていたのである。
誰かが彼女を見いだして磨くか、あるいは彼女の中に自信が生まれなければ、伝説になるほどの美女は生まれなかったろう。
自分を石ころだと思っている宝石の、なんと多いことか。

いま思えば、最初に会った頃のゆきこさんは、
コンプレックスの固まりだった。自信がなくて、わたしと恋をしていくことに前向きになれなかった。わたしはずっとゆきこさんを綺麗な人だと思ってるし、言っているのに、本人に自覚と自信がないのだ。私の言葉を信じてないようだった。
長年ふみかためてきた岩盤のごときコンプレックスが覆らないらしい。この認識のズレが腹立たしかったので、ある時期から、具体的には引っ越してきてもらって遠距離恋愛に終止符を打ってから、その辺を明確に指摘するようにした。いまからでも、わたしは先輩のお父さんと同じ立場にガッチリ立って
徹底的に教育してやろうと思ったのだ。

ありていに言うと、彼女の容姿に対して私が思っていることを、
全部そのまま伝えた。彼女の口から誰かに言われたまちがった認識がでてくる度に全部かっぱいでやった。だんだん彼女も、私の口から出る新しい自己認識を「聞いてもいいかも」と思えるようになってきたと思われる。でもそれは、まだ最近のことだ。
そんななか、あらためて機会があった。この新婚旅行中である。

旅館の夕食を食べているときに、そういうチャンスがあったのだ。
思えば、この旅行中にも、ゆきこさんのいいところがたくさん見つかった。そこへ、いまだにいくつものコンプレックスを大事にかかえている彼女から
「私のどこがいいの?」というフライ・イントゥー・ザ・ファイアな質問が来た。「待ってました」とばかりに一気に、ビジュアル面を皮切りに上から下までまとめて語った。


「あなたは髪がツヤツヤですごくきれい。それと、額が輝くように美しい。眼鏡のせいで小さく見えるけど実はおおきな目がかわいい。その上の二重瞼がかっこいいの自覚してる? あと、すっと通った鼻筋は、あなたの身体のなかで一番きれいなところだと思う。いや、ほんと綺麗なライン。唇のやわらかい感触が最高。高音域の歌声が美しい。『それは昔にも音楽の先生に言われた』? だろう? 前歯が愛くるしい。歩き方もあわせてゆきこさんは小動物的な可愛さがあってたまらん。動物に例えるとリスだな、リス。熊っぽくドスドスあるくひとや、しゃなりしゃなりとフラミンゴみたく優雅にお高く歩く人がいるけどが、あれらとはちがう「てこてこてこてこ」って歩く感じがかわいい。『そんなこと言われたの初めて』? いや、何人かはそう思ってるはず。面と向かって言うひとがいままでいなかっただけ。そういう意味では、私が見つけるまでよく守られていたと神に感謝したい。さて。耳は、人の話をすーっと聞き流しちゃう形してるのが難ではあるけど『うわ、見破られてる』形はいいよ。ちょっと横むいてみて。耳の形は、その人の知性・情緒・行動を表してる。耳たぶが豊かだよね。あなたは私以上にほんとは情深いんだと思う。知性は鋭くはないけど豊かって感じだ。だから知識欲はあるはず。本を読むの、すきだよね 『すき』 一カ所にとどまるのが好きで、飛び出していくような行動力はないけど、基本を守るのには向いてるから実は家庭的なんだ。そういう、とても女性的でよい形の耳をしている。そして、あごから耳へのラインがいい。頬骨が張ってないからゆるやかな影が出てて綺麗だ。あとあなたのその横顔! 人体デッサンの基礎技法に照らして考えてみても破綻がないくらいに綺麗なラインなんだよ。人間の理想的な横顔っていうのはじつは数学的な法則性があるんだけどそれにのっとって描かれた完璧な横顔と同じラインをあなたはもっている。さっきも言ったけど、鼻筋がすっと通っているからモデルみたいなんだよ。『そういえば、横顔はほめられたことがある』? そうだろう? 横顔の美しい人は、自然と尊敬される人だね。なにより子供にいい。横をあるいている母親の顔を子供が見上げたとき、わたしの母は美しい人だって、イヤでもわかる。子供にとって母親が美しいことほど誇らしいことはないからね。『ありがとうございます』? 礼はいいよ、褒めてないし客観的な考察を加えてるだけだから。前から言ってるけど、あなた自分が美女だって自覚ないんじゃないの? 冗談じゃないよ。怒るよ。怒れるよ。『美人だなんて、いわれたことない』なにいってるの。99年以降で私がその現場に立ち会っただけでも、あなた二回は明らかに直接『きれいですね』って言われてるよ。そのとき二回ともあなた『いえいえ、そんな』って否定してたけど、直接言うひとが二人いるってことは、その背後に潜在的な同意見者が40人はいるってことだよ。あなたの日常的な関係者が何人いるかしらないけど、40人っていったらけっこうな割合でしょう。ほんとにわかってないの? 『わたし美人だって自覚もったほうがいいのかな』? む、そこは自信だけもっておいて。あなたはその自分の魅力に対して控えめなところと、それをひけらかしたり誇示したりしないスッキリしたところが美点なんだから。『・・・・はい』いま『?』最後のとこ、あれはあなたを褒めた言葉だよ。あとは客観的な観察。『・・・ありがとうございます』」


いつまでもいつまでも誉め続けられるという不思議な体験(しかも全部根拠を明示された上でのもの)からか、ゆきこさんはすこしぽーっとしていた。

(このあと、首から下についてのコメントが続くが後略。さらに彼女の内面についてのコメント、エピソードを根拠とした分析が続くがこれも以下略。結局、18時から食事をはじめて、終わったのは19時40分だった)


さっきも書いたが、自分が美人であることを知っている人は、美人のオーラがでている。先述の先輩は、無自覚に美人である自信のある人だった。彼女はそういう点ではコンプレックスがなく、安定していた。そうやって
女性を安心させるのは、愛の言葉なのだと思う。そしてそれを語って良いのは、そして正しい愛の言葉で語るべき使命をもっているのは、その女性に責任をもつ親と、その女性に責任をもつ夫だけだ。

わたしは彼女に責任をもつと決めた。
この間違った認識でいままで苦しんできた女性を、新生させると決めた。
だから、正しい愛の言葉を面と向かって語り続けている。

今日も、明日も。




「人を愛するとは、価値のない者に価値を見いだし、価値を与えることである」という言葉がある。

まるで上から見下ろすような言葉に思えるかもしれないが、これを言った人は、自分には価値がないと思いこんでいた側なのだろう。謙虚な言葉だ。
変なコンプレックスをもって自分の価値を見失っている彼女も、そういう自覚があったのだと思う。
そして、この言葉を言った人は、価値を見いだされ、生まれ変わったのだ。

愛による、人格の新生である。
「人は変われる」という言葉をよく聞くが、それは
誰かがその人を愛して尽くして、それでやっと変わるのだ。
相手の責任を追及して注意しても変わらない。
人の根底が変わるのは、ただ愛によるのだ。

そして愛を貫くための努力と忍耐。「どうしてそこまでしてくれるのか」と相手が降参するまで尽くすという、そういう愛に触れたときにこそ、それまでの価値観を捨てた生活が、新生が、人間にはできる。

そして、一人の人間を根本から新生させるのは、長い時間をかけた、一人の人間の一生分くらいのエネルギーの愛が必要なことなのだとわたしは思う。

だから私は、彼女しか愛さない。他にまわしている余力は一滴もない。
ゆきこさんを新生させること、彼女を愛しきることは、残った一生を使いきるだけの価値がある。

いいかえればそれは、
人間の一生分くらいの愛を投入しなくては完成しない「伴侶」という作品だ。
わたしは、それを作ることを決め、その対象を彼女に決めた。

私は、彼女を「幸せな人間」として完成させる。
ゆきこさんは、わたしが作ってきたどんな絵や文章よりも愛情のこもった最高傑作になるだろう。

だから私は、
たとえ絵を描かなくなっても、芸術家でいられる。
私たちは、一生かかって一枚の絨毯を織るようなスケールの、夫婦愛の芸術家だ。




時間も体力も財力も知力も情熱も、投入して投入して、彼女のいいところを探して育てる。
端からこれまでの日記を見ていると、ゆきこさんには、いくらでも褒めるところがあるように見えるかもしれない。だが、彼女のそれは正直、目立つところにはない。まだ磨かれてないのだ。よくよく観察し、誉める根拠を関心をもって探さないと、彼女の美点は見つからない。

でも、わたしが彼女を愛し育てる、そう思って彼女と接するようになってから、ゆきこさんはさらに急速に美しく、優しくなった。(「女性は、愛して育てることで、はじめて理想的な妻になる」という言葉があるが、よくわかる)
わたしがゆきこさんのことを「世界一いい女」と言っているのは、いまだ原石な、その内部を知っているからだ。
ゆきこさんは、たまに、わたしが「世界一」といってるのを冗談だと思って、わらってとりあえず感謝してくるときがある。でも、わたしは、研磨前の世界一のダイヤモンドを、ただ世界一のダイヤモンドだと言っているだけなのだ。

「・・・ありがとうございます」

誉めるたびに、照れて恥ずかしそうに笑みながらそういう彼女は、こちらが100%本気で言っているということを、まだわかってないらしい。
これからも、
毎日毎日手を変え品を変え、ありとあらゆる切り口で、自分が美人だと思い知るまで、しつっっっっっこいくらいに教えてやろうと思っている。


ゆきこさんがどんなに素晴らしい女性か。

私を、誰にも話せない絶望と憎悪の地獄から救ってくれた彼女への、感謝と尊敬と愛情をこめて。







ところで、最近、ちょっと自信がついてきたらしい。
このあいだ、ゆきこさんがこういった。

「お化粧、うまくなったんですよ」

「綺麗な方が、いいでしょ・・・?」











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2006.12.17 -F part -「ラグーナ蒲郡」 新婚旅行第三弾 2006年08月07〜10日


三日目。今日も、のんびり行こうと思いつつ、フロントさんにすすめられるままに「ラグーナ蒲郡」というテーマパークへ。
いい天気だった。結婚式に備えての日焼け対策も万全にして、出発である。
手始めにジェットコースターに乗った。

わたくし 「うわああああああああーーーーーっ!!!」
ゆきこさん「あはははははははは」
わたくし 「ひいぃぃぃいいいいいーーーーーっ!!!」
ゆきこさん「うふふふふふふふふ」
わたくし 
「ぎにゃああああぁぁぁぁあああああーーーーっ!!!」

いままで知らなかったが、
ゆきこさんは絶叫もの平気な人だった。
すみません、もうしわけありませんと、なにに対してということもなくなんとなく謝る天野。

ちょっと回復をまって「ファイア・ファイア」へ。パンフに載ってたものと比べて、つまらなかった。残念。
アイスクリームが食べたいな・・・と前日もらしていたのを憶えていてくれたのか、ゆきこさんが誘ってくれてジェラードを食べる。

目当てだった3Dシアターが調整中とのことなので、パンフを改めてみる。
面白そうなのが、アロマキャンドルを自作できるという「アネモス」 いまおもうと、ラグーナで一番よかった。

最初に
「新婚旅行なんですよ」とカウンターの人にいうと、「ウッヒョー!」とかそんな感じの驚き方で、以後そのお姉さんが異様に親身になって教えてくれた。ジェルキャンドルの作成を指導してくれたそのひとは、あとで考えるとほとんど素人が研修うけただけの販売員さんだったが、印象はよかった。(正直、技術的にはどうかなと思うんだけど)

行程としては、ジェルをちぎって煮とかし、アロマを5滴たらし、色をつけて、ガラスカップの中に流し込む。



私のとゆきこさんのはこんな感じ。
それぞれに勝手なイメージで作ったつもりだったが、はからずも「天の上」と「地の上」みたいな構図に。
白熊はわたしたち。どちらかがいないときの慰めになるだろう。

ジェルを固めている間に、
トヨタのトランペットロボを見学する。
愛知万博からの移設で、売りは「人口唇による演奏」である。トランペットをもったロボットが、実際に吹いているのはわかるし、トランペットの奏法が人口唇以外のものでは構造上できないこともわかるが、もうちょっと人口唇のメカニズムの説明や、他のジャンル(医療技術とか表情のあるロボットとか)への応用展開の展望がほしかった。あと、エンターテインメントとしてはつまらない。
演奏をおわって手を挙げるロボット。でも誰も拍手しない。
あまりにも動作がロボットすぎて、情的に反応できないのだ。やっとのことで管理をしている人にむけての拍手がでる。そんな感じだった。

簡単に食事して、フェスティバルマーケット(要するに土産物売場)へ。海産物のおみやげを買ってホテルへ行く。毎度のことだが外出時にはホテルの人に迎えに来てもらう。本当にありがたい。



ゆっくりと焼けていく空を見ながら、じっくりと時を過ごす。
誰かを妬む、うらやむと言うことはあるか、という話をする。私たちには、いま、それがあまりない。一般的には不思議なことかもしれないが、わたしたちには、なぜか自然なことに思える。かつてはある状況が羨ましかった。でもいまはそうでもない。ゆきこさんと出会って、かつての苦難もいまは感謝できている。


「東京で
(新婚旅行第二弾)、むかしのこと、いろいろ話したけどさ」

「うん」

「実はもう、誰も恨んでいないんだ」

「そう、よかったですね・・・」


 あなたのおかげだ。








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2006.12.17 -G part -「彼女の価値」 新婚旅行第三弾 2006年08月07〜10日


旅行中、ゆきこさんが、わたしが
一般的に女とはこういうものだと思っていたパターンを、ことごとく外していることに、いくつも気がついた。

書ける範囲では、
買い物がほとんど素通りなことである。わたしの知ってる女性の買い物は異様に長いのだ。でもゆきこさんは自分ひとりのときはこだわるが、人と一緒にいるときは、極力相手の時間を優先するという。だから、わたしが知っているゆきこさんの買い物の様子はほとんど「素通り」だ。ものすごく早い。
そういうところも、そして他の女性が情的問題で苦しんでいることを見て比べても、このスッキリした女性の、類い希なる罪の浅さに驚く。


振り返ってみて、彼女の女性らしさを知った旅行だったと思う。
信条は「無理をしないこと」といいつつ、不快感を押しのけてでも正しい道だけは譲らないその立派さ。そしてみための美しさ。豊かな胸。北国でそだった肌理(きめ)の細かい肌。大きいのにちいさく見える手。なによりただ一人の夫だけを愛そうとする姿勢。およそ女性に対して私の本性が感じる魅力のすべてを、おつりがくるほど持っているゆきこさん。

わたしにとって「女性」はこの人しか存在しない。
それが実感できた新婚旅行だった。









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2006.12.17 -H part -「新婚旅行の成果」 新婚旅行第三弾 2006年08月07〜10日


四日間の日程を終え、蒲郡から岐阜に帰ってきた。

宿泊した温泉旅館はすごく気をつかってくれるいいところで、旅行自体が守られている気がするほどだった。

さらに特筆すべきは料理で、
毎食たべきれないくらい出たが、魚貝類と海草、野菜がメインのごく和風で、油脂とカロリーが少なかったのであろう、ふたを開けてみれば、二人とも2キロやせていた。

うまいうまいと、太るのを覚悟で食べたのだが、肉を食べない和食がいかに健康的かを思い知った。
減量を課題とする新生活のヒントを見た気がする。









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2006.12.18 -A part -「趣味」D-DAYマイナス62 2006年08月13日ごろの話


ゆきこさんとの会話中に発覚した、彼女の趣味。





「炊きたてごはんの湯気の匂いが好き・・・」





たしか
東京マルイの社員でそんな人がいたな。と思いつつ、普通の人だと思ってたゆきこさんにちょっとマニアックな嗜好があると、なんかうれしい。ちなみに、古い御飯(冷凍とかそういうの)を先に食べないといけないんだけど、それを食べ終わった後に、炊きたて御飯があると、ちょっとつまむという。

「食後の軽いデザートに御飯」 である。

ブレンド米よりは、やはりブランド米が好きで、
聞いたことのない銘柄がスラスラ出てきた。ちなみに、ふりかけもごま塩も、なにもかけないで食べるらしい。お米大好き。一番すきなのが「新米の炊きたて」 タイ米はまずくて食べられなかったそうだ。

この事実はきまって、80年代にオタ文化のバイブルとなった
ある学生服のアンドロイドを思い起こさせるが、そのネタで突っ込むには、まずゆきこさんの教育が先決である。いっしょにくらすようになったら、最初は「あずまんが」あたりから洗脳をはじめ、最終的には「シスタープリンセス」くらいの毒素までには耐えられるようにしたい。

ところで、御飯ネタだと、わたしの友人で

「カツ丼をおかずにライスをたべる」

という人がいたが、それに匹敵する遠さの趣味だなあ、と言ったら、おおよそ想像通り

「ええー、ふつうだよー」

という、
ちくしょおうおれはよっぱらってねえぞーぅ、ヒック的なコメントがあった。

まあ、この趣味をひっぱりだす前に
「カレーなどのぐつぐつ煮える音が好き」という自分の趣味公開もあったからなのだが。

あらためて、夫婦の生活とは、自分のはずかしいところを見せあう生活なのだなあと思った。








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2006.12.18 -B part - 「変身」D-DAYマイナス61 2006年08月14日ごろの話


どこもかしこもコミケごくろうさまでした話題(友好関係がしのばれるな)の中(当時)、ゆきこさんのこと。

新婚旅行から帰ってきて、二日間だけ会えない期間があった。
わずか二日。それでも二人とも会えないことがたまらなく切なかった。そしてやっと会えた昨日、


すごい美女がそこにいた。


あれから二日しか経ってないのに、
彼女は恐ろしい勢いで変身していた。

重かった前髪をバッサリ切って、ゆるくパーマをかけているせいか、

眼鏡がないせいで目が大きくみえるためか、

会えてからずっとニコニコしてるからか、

三日前の最後にみたときから、ゆきこさんはまた一段階、美しくなっていた。
そして優しくなっていた。むかしの
ツンツンしていた時代の彼女とは、完全に別人だった。


女性は、ほんとに変わる。
自信の有無と、情がちかくなったというだけで、こんなにも変わるものなのかと、あらためて驚く。

それはまさに、石ころが宝石に化けるような変身だった。


この日は、家具を見に行き(ゆきこさんは、とにかく高品質を前提に値段の最低限を行こうとする。堅実だ)、姉と甥に面通しをし(お互いに大好評だった)、仏前とお墓にお参りし(真剣に手を合わせてる様子が幼く見えた)、夕食をうちで御馳走になり(わたしと甥がガンダムの話しでもりあがっているのを見て笑ってた)、そして花火をみた。

新居の大窓が、ちょうど花火の上がる空に面している。
寝室から、ふたりでずっと見ていた。

枝垂れ柳の好きなゆきこさんが、たまに「わあぁ・・・」と声をあげながら、花火にむかってちいさく拍手していた。


かわいくてしょうがなかった。
二日会えないでいただけで、狂いそうだった。

今年の、恩恵の多そうだったコミケに、それでも行かないと決めたのは正しかった。

心から、そう思った。










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2006.12.18 -C part -「戦争との戦い方」D-DAYマイナス58 2006年08月17日ごろの話


戦争が国家間または民族間で起こるとするなら、その原因はどこにあるか。
争いやいがみ合いは、国家・民族間だけでおきているのではない。それは、地域でも、家庭でも、そして個人レベルですらも、いさかいとして起きている。
逆に考えれば、個人の中で、あるいは家庭の中で発生している争いが、スケールを大きくしているのが戦争だと私は捉える。「誰も、戦争なんかしたくないんだ」と言うのと「誰も夫婦や親子で争い合いたくなんかないのに」という嘆きは、本質において同じだと思うのだ。

戦争の原因は、人間のこころの中にある。
それは、相手のことよりも、自分の都合や事情を優先させようとする心。
特に関心のない相手なら、その生活を踏みにじってでも、自分がちょっと得をすることを当然の権利として行う心。
こじれた関係を放置して責任をとらない心。
自分をかばう心。

これらが戦争の原因だ。
さらに言い方を変えれば、これら自己中心的考えを野放しにしている人種の集合が、戦争という不可視の流れを作っていくのだ。

これを政治的に解決するのは難しい。


自分以上に他を愛する心。
相手の事情や気持ちを自分のそれよりも大事にする心。
理解できない相手に、それでも尽くそうとする心。

そういう心がないところに、戦争は発生する。それは国家間に、民族間に、団体の中に、あるいは家庭の中の親子や夫婦の間に、そして悪いことだと知りながらも行う人間の中に、自分自身の育てるべき心を痛めつけていくのだ。

これは「局地的な戦争状態」と言える。「ちいさな戦争」だ。これが集まって「戦争」を起こす。


だから、戦争の反対をするなら、まず自分のこころのなかに、戦争のない平和な世界が実現させることだ。

もしくは、自分の家庭が戦争のない状態になっているか、だろう。

もしすべての家庭に戦争状態がなければ、その家庭が集合した国家に戦争がおきるだろうか、その集合体である世界に、戦争がおきるだろうか。

戦争のない世界を真に望むのなら、
その発生源たる個人のこころの中にある戦争状態を解決しなくてはならない。

その個人のこころは、家庭のなかで育成される。
ならば、わたしは
戦争の因子をもたない家庭をつくることを目差す。
理解できない相手を理解しようとし、自分が損をすることを恐れず、他に尽くすことのできるそういう家庭を。

それが、
もっとも確実な戦争の滅ぼし方だ。
わたしは、それで行く。

わたしは、戦争に反対しない。
わたしは、戦争を滅ぼす。

最終的に戦争のない世界を、先述の理屈で実現させる場合、現状から試算して600年くらいはかかるだろう。
しかもこれは、
殲滅戦だ。だから戦争状態の駆逐には、あと10〜20代くらいの時間がかかると思う。でも、何事にも出発点というのは必要だ。ここから、足元から、がんばっていこうと思う。


むかし、
マザー・テレサが日本にきたとき、日本を評して
「この国にも飢えはあります」と言った。
物質的にはめぐまれすぎなくらいに豊かだが、その心の中に飢餓があると彼女は言ったのだ。

日本は政治的には戦争状態にない。だが、この国にも戦争はある。激しく人を傷つける戦争が。
そしてその原因は、家庭にある。

だからこそ、家族を愛することこそが、戦争を滅ぼすための戦場だ。
そこは、多くの人が「愛せない」と言って逃げ出す、激しい戦場だ。



これを勝利しないかぎり、世界に平和はない。















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2006.12.18 -D part -「擬態」D-DAYマイナス57 2006年08月18日ごろの話


私にとって「女性」と呼べるのはゆきこさんだけなのだが、それでも街中で異様にスカートの短い女子高生とか派手な格好をしている女の人を見ると、一瞬
「女性を見る目」でみてしまいそうになる。

この現象について、男性だから目を引かれるのはしょうがない、というウヤムヤな結論は、なにか違う気がするのだ。
では、こんなにも妻を愛していながら、それでも他のひとに目を引かれるのはなぜだろう。
先日ふとんの中でひらめいた。



あれは
擬態 だ。



アレは、
実は女性ではないのに、女性の振りをしているイキモノで、勘違いしてふらふら近寄ってくる虫をまんまと騙して食っちゃうとゆーよーな習性をもつと思われる。
なるほど、道理で女性かと勘違いするわけだ。

たぶん、触れられるくらいの距離に近づいたところで、急に首から上が裂けて展開し、刃物のように硬質化した無数のあぎとで「バツン」とばかりに食われちゃうのだろう。

あぶないあぶない。
たぶん、過去何千年という人類歴史のなかで、この擬態に騙されて信用を失ったり、財産を失ったり、生命を失ったりした人は大勢いたのだ。

どんなに女性っぽく見えても、それは私が女性として愛すべき女性ではない。
それ以外の何かだ。いままで、うかつに手を出さなくてよかった。


本物は、ひとりしかいない。













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2006.12.19 -A part -「才能」D-DAYマイナス56 2006年08月19日ごろの話


愛という言葉を連発することがある。
ほめる言葉を連発することがある。

それは、ともすれば薄っぺらく思われることがある。愛の言葉は、ここぞというときにこそ効果があるという理屈もわかる。
だが、
普段からひとをほめていない人が、いざというときに愛する人をほめられるだろうか。練習も、訓練もなくできることではないと思うのだ。
人をほめることには、練習がいる。けなすことの何倍もむつかしい。

「はずかしいから」という人もいるだろう。だが、
真剣な愛とは恥ずかしいものだ。それを誤魔化すことはない。わたしはとっくに開き直っている。

そして、言わなくてもわかる、というのは日本人の傲慢だ。
ハッキリと言葉にだして、その人以外に誰もいないところで、面とむかって言わなくては愛は十分にはつたわらない。

前職で、職業柄パートさんや社員をほめる機会はたくさんあった。それを、「誉める訓練」をしてきてよかった。
ゆきこさんのいいところを見つけてそれを伝えるとき、彼女のどこかをほめるときに、
はずかしいという種類の抵抗がほとんどない。この上で子供ができたら、その子が溺れ死にするくらいまでほめる自信が、わたしにはある。


わたしは自分を天才だと思うときがある。
ゆきこさんのいいところを見つけてほめる天才だ。
神様は、よくわたしにこんな才能を与えてくれたと思う。

わたしには、この才能だけあればいい。








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2006.12.19 -B part -「招待状」D-DAYマイナス55 2006年08月20日ごろの話


さて、愛情に満ちた日々の中ででも、結婚式の準備はすすめなければならない。

日時や会場などの概要が決まったところで、次に進めるべきなのは、
招待する対象者のリストアップだ。その上で、招待状を送る。

なにせ、一ヶ月前には、出席確定者の名簿を作成しなければならない。
予定日に出席できるかどうかの調整も対象者にとっては重要なので、できるだけ早いうちに招待状をだしておく必要がある。

まずは
投函の日を決めた。8月22日の「大安」に招待状を出すこととする。
ちなみに、招待状は「なり多」の用意したセットから選んだ。一通399円。相場としては普通だろう。
9月9日までに返信という趣旨で、メッセージも印刷してもらった。

印刷ずみのセットが届いたら、その封筒に直筆で宛名を書く。書いてもらうサービスもあるが、人数も少ないし、費用もばかばかしいので、忙しくて動けない人以外は自分で書いたほうがいいかも知れない。
書き損じもあるので、封筒はすこし多めにもらっておこう。(人数準拠で、一枚単位で請求されるので、その分の費用はかかる)

けっこう薄い招待状セットを選んだが、それでもやはり送料90円はいる。切手は、絶対に郵便局へ持っていって、測ってもらってから買おう。25gまで80円。50gまで90円(2006年8月調べ)。郵便局には、結婚式の招待状用の縁起の良い切手があるので、それを使った。

「9月9日までにご返信ください」と書いておいたのだが、この返事が返ってくるのが、けっこうギリギリだった。前日になって何通も届いたりする。
だが、これは返事が早ければ早いほど助かる。いつか自分が呼ばれたら、すぐに返事を出そうと思う。

そして9月9日。返信ハガキがそろったところで、返事のなかった人には電話で確認し、いよいよ人数確定となる。そしてその上での具体的な準備段階に入るのだ。

ところで、「ご」出席の「ご」や、名前の下の「様」を消さずに返信する人がなかにはいた。
こちらから出す招待状は、相手の名前に敬意をもって「さま」とつけるが、往復ハガキなどで返事を出す場合「様」や「御」を二本線などで消さなければ、それはつまり「俺様」という意味の手紙として相手に届いてしまう。気をつけよう。



さて、ハガキが帰ってくるまでの間に、挙式・披露宴の大まかなイメージを決める。

二人の希望を話せるだけ話し、それに応じて準備のスケジュールを組んでもらった。
その上で、だいたいの総費用を見積もってもらう。ここで想定予算とあまりにも違う場合、プランの変更をする。

次いで、衣裳あわせの準備。これは親戚に貸衣装屋がいるので、ここに頼むため「なり多」さんのは断った。

そして、ウェディングアイテム(席次表、席札、芳名録、引き出物など)の検討である。

普通はこのへんまでだが、すでに予定日まで二ヶ月ほどなので、前倒しでいろいろ準備をすすめる。
出席者の返事がそろうころには、当日の進行まで、おおよそ決めてしまっていた。










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2006.12.19 -C part -「薬」D-DAYマイナス54 2006年08月21日ごろの話


歯の治療をしている。
残念ながら神経にいっちゃうくらい悪くしていたので、麻酔を使っての治療をしている。

口の周辺が麻酔のせいで膨張してるような感覚が嫌いだ。
そして、麻酔がきれてからの痛みが嫌い。鈍痛も疼痛も、場合によっては訪れる激痛も。あと、麻酔で悪酔いするのか、変な頭痛がするのも嫌い。

ところで、歯科医からは「とんぷく」をもらっている。痛み止めだ。
でも、薬に慣れているとそのうち効かなくなりそうな気がするので、昔から、できるだけ我慢して痛みが消えるのを待つようにしている。

むかし気功の先生(っぽいひと)に「痛いときは、痛い場所に意識が集中する。それによって『気』が送り込まれる。だから治っていく痛みもある」という話をきいた。

痛みを意識している方が、治りが早いらしい。
そう考えてうんうん唸っている。まだ麻酔による麻痺が残っているのに、すでに歯の治療痕が痛みはじめてきた。しかも仕事で動いているので、血流にあわせてぐあんぐあんと痛む。この段階でこれでは、麻酔が完全に切れたらどうなるだろうと、正直ちょっとおびえて、そしてイライラして、痛みがだんだん明確になってきたそのとき、


ゆきこさんがお水ととんぷく持って、不意に仕事場に現れて一言。

「たまには薬に甘えるのもいいよ」


救われた、と、

そして、このひとは神様だと、そう思った。








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絵描きと管理天野拓美air@niu.ne.jp