■ 2003.04.01
tue「役者の死」
更新をサボっている間に、井上遙さんと、天本英世さんが死んだ。
その訃報は、育ててもらった人が死んだような、そんなふうに受けとめられた気がする。
具体的に、ためになることを教えてもらったわけではないと思う。
でも、我々は、彼らから、たしかになにかを学んでいたのだ。
わたしはただのファンでしかなかったが、それだけは、確信している。
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■ 2003.04.03
thu「田舎のテレビ事情」
先週の話だが、落雷があった。
そのせいで、雷に弱いと言われていたISDNは無事だったくせに、テレビが、というかアンテナが死んでしまった。
被害を受けたそのアンテナは、実は、このあたり一帯の共同アンテナである。
山間(やまあい)の町なので、電波の受信が難しいため、このへんではお金を払って共同のアンテナに接続しているのだ。その巨大なアンテナのおかげで、田舎のわりに非常にテレビの受信状態がいい。実家では、コピーガードでも入っているのかと思うくらいに乱れた画像をβ3で録画して三倍でダビングしたような三重テレビも、ここだとクッキリと映る。
で、そのアンテナに電撃がぶちおちたようで、クロカワ全域のテレビが、いまダメらしい。
しかし、その情報がメールリンクなどで飛び交っているのだから変な話だ。
映像において、まさに陸の孤島という状態だったが、このころまだ緊張状態だった戦争などの情報は、メールでやりとりされていた。
それにしても、テレビを見なくなったものだと思う。
もともと、興味のあるドキュメンタリーか、アニメか、ニュースしかみてなかったし、実際テレビが映らなくなってもなんら問題ないと思っていた。むかしは情報や娯楽を得るのはテレビからだったが、いまはネットが存在している。
ネットからは、ニュースなどの情報が入るだけではない。私が興味をもっている面白い人は、たいていネットの中にいるから、娯楽としても、テレビよりこっちのほうが面白いと、私は思っているみたいだ。
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■ 2003.04.05
sat「生体リズム」
いつもこう、まず本題を提示するせいで日記タイトルと書き出しが被るが「生体リズム」というものがある。
これは生物がもつ基本的な生活パターンのようなもので、生活習慣とはまったく別のところにある揺るぎない体内時計のようなものだそうだ。これがズレると、人間の身体は、慢性的に悪くなるという。
これを正すには、規則正しく生活することが大切だ。書いてて馬鹿馬鹿しくなってくるほど、ありきたりな答えである。だが、どう規則的にすればいいのか、わからなかったので、いろいろ調べてみた。
まず、人間の身体は、夜の10時から2時までの時間に、もっとも身体の成長を促進させるという。子供のもっとも成長する時間もこの辺りと聞くし、大人にしても血液などはこの時間に作られるそうだ。
テレホタイムからが青春という時期を、ネット生活の初期に続けてきたせいで、いままでは実際、この時間帯こそが、休むどころか最大の活動時間であった。
引っ越したことでもあるし、このへんをまず変更してみる。
まず、夜9時に寝て、5時に起きる生活にしてみた。引っ越す前は「冗談じゃねえ」と思っていたが、これが、やってみるとできるものである。
朝起きられない場合もあったが、ほぼ一定時刻に、起床だけはする癖をつけているうちに、四時半頃に目が醒めるようになってきた。人体は、目から入る光で身体が目覚める信号が出るので、朝の早い季節などは、カーテンを開けて、太陽光を見るようにすれば、身体のほうが起きてくるだろう。
それでもまだ眠かったら、とりあえず起きて10分は意識をたもつ。その上で二度寝し、90分後に目覚ましをセットする。90分というのは、深睡眠周期というもので、90分ごとの切れ目だと、スッキリ起床できるのだ。
起きてから時間があるので、朝食はたっぷりとる。朝は、分解も早くいので太らないらしい。
集中力も朝の方がでるという話なので、更新もだいたいこの時間にやっている。
運動は、午前中ではなく、夕方にやるのが効果的だそうだ。仕事の後でかんたんな農作業をするのは、ちょうどいい。
仕事については、工場のスケジュールに従わざるをえないが、人間の集中力は、完全集中で15分、緩めでも90分が限界だと聞く。
鉄工所の仕事は、そのあたりお構いなしでシフトが組まれているので、意図的にトイレなどに行き、気分転換をしている。
昼休みなどに、ちょっと昼寝などしたいものだが、あまり眠りが深くなってしまうと、起きてもボーっとしてしまう。聞けば、30分ぐらい寝るのが理想的だそうだが、それで起きるなんて安心して眠れない。そう思っていたが、昼寝のプロに「寝る前にカフェイン性の飲み物を採っておけばいい」と教わった。紅茶や珈琲のカフェインは30分ほどで覚醒効果をもたらすので、いい感じに起きられるわけだ。
仕事が終わった後は、畑をいじってからすぐ家に帰る。もっとも、それは遊びに寄るような店がないからなのだが。
学校が終わった後は、塾に行かなければならない近所の小中学生を尻目に、漫画よんでアニメみてゲームしてネットを回る。社会人のくせに、およそストレスらしいものがないすげえ生活をしていると思う。
そんな感じで生活して、40日ほど経った。
体質が変わってくるのは、だいたい三ヶ月後くらいと聞くが、すでに身体が軽くなってきているのを感じる。
体重も減った。食事を自分でつくっているので調整が利くせいもあるが、油脂や高カロリーのものを、むやみに欲っしなくなったのも大きい。引っ越して来たときの95キロが、89キロ(4/21現在88キロ)になった。まあ、もとが余剰しすぎだったので、週1キロペースで落ちるのも、無理はない。これ以下は骨格の関係とかで徐々に落ちにくくなるが、身長が174センチなので、79キロくらいまで健康的に落とせたら感動的である。
いまはまだ楽な仕事のせいで、お給料は少ないが、そもそも出費も少ないので問題ない。
それでも、もう増えてたるむ一方かと思っていた身体が締まってくるのと、どこかしこにあった愁訴が消え、健康が得られていくのはありがたいことだ。
新しい生活パターンは、いいことばかりである。
ただ、この生活の最大の問題点は、やはりネット上でチャットなどに出られないことだろう。
がんばって起きているが、テレホタイムのころにはすでに意識がないのだ。
田舎暮らしでの人恋しさを、ネットに依存して満たしているので、これはさすがに、寂しいものである。
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■ 2003.04.06
holy「化け石」
4月はお祭りの時期である。
町内だけのイベントだが、6日には、近所の祠(ほこら)にお酒などを献備(おそなえの意)する行事があった。
新参者だが、とりあえず清酒を一本もって参加する。
回覧板で説明されていた件の祠は、道沿いの山肌にあり、そこには、大小二つの石が置かれていた。石は、幟(のぼり)や、神棚がなければそうとは分からないくらい自然に存在している。
だが、町内会長さんが説明するところによると
この石は「化け石」と呼ばれるもので、以前は別の場所にあったそうだ。それが戦後、道路工事にひっかかったとかで、祀る場所をクロカワに移すべく、運ばれてきたものらしいとのこと。
その「化け石」が、おおきい方の石で、それを見下ろす位置にあるのが「塞之神(さいのかみ)さま」と呼ばれるちいさな石なのである。これが御神体だ。
運ばれてくる前から「化け石」のルーツは不明で、最長老の人も御存知ではなかった。文書の類も残っていないため、それがどんなものかは分からないのだそうだ。「化け石」というが、べつに恐竜とかの化石でもないらしい。
毎度おなじみの説明なのか、町民に聞き流されているものの、天野は非常に興味をそそられた。
面白い話である。とくに「いわれ」が分からないあたり
どんな仮説・設定も立て放題な点が実にイイ。
巫女さんも呼ばないような、低予算のイベント(というかそのへんは全て後の飲食代に回る)(というかむしろ呼ぶのは神主だろうが)なので、礼儀として参加したが、田舎だ田舎だと思っていたこの地の、それもド近所(うちから200メートルくらい)に、こんな自由度抜群のネタが転がっていたとは知らなかった。
お供え物が、飾られていくのを見ながら考える。
「化け石」と言うからには、何かが変化(へんげ)したものだろう。石に化けるといえば、鬼や幻獣の類だろうか。あるいは、それらが封ぜられた石なのかもしれない。よくみれば、大きさも人体と同じくらいなのが、実にそれらしくてよい。そしてその封印をしているのが、この「塞之神さま」なのだろう。名前的にイカニモそれっぽいし。
玉串が納められ、町内の全員で二礼し、右手を一節したにずらして二拍手、そしてこころをこめて一礼する。
柏手を打つときに、指先を揃えるようなひとは、さすがにいなかった。
そして、その間中、伝奇バイオレンス小説の設定を考えてニヤニヤしているひとも。
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■ 2003.04.09
wed「ペース配分」
春先はよく雨が降る。
ジャガイモの芽がでるのを待つ間、その雨で活気づく雑草を、こまめに抜いておく。
とはいえ、今日のところは、雑草と言ってもそれほど生えていない。作業は楽だ。
ただ、雨のせいで畑がすこしぬかるむ。もとが田んぼなので水はけが悪いのは仕方がないが、せめて畝の間を深く掘って、畑の外周の一角に開いている排水孔へ、水分が抜けやすいようにしよう。
そうして鍬を振るった翌朝
「お、俺のゴッドフィンガーがああ!」
気をつけたつもりだったが、進歩がなかった。
鍬(くわ)使いの道は険しい。
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■ 2003.04.12
sat「猫の日」
どう見ても野生動物にやられたとしか思えない感じのニワトリの死骸が、うちの畑の前に転がっていた。
首をへし折られて、内臓がごっそりもっていかれている。
犯人は、ハクビシンらしい。このへんではたくさんいるそうだ。
だが、このクロカワには、もっと人間に危害を及ぼす生き物がいる。
4月12日、近所で、猫が人を喰っていた。
一人暮らしの老婦人が、30匹ほどの猫を飼っていたらしいのだが、何日か前に、彼女が心臓かなにがが原因で、人知れず死亡してしまったらしい。それまで餌の世話などをしていた人が死んでしまったので、猫たちも腹を空かせて困ったのだろう。彼らにどれくらいの忍耐があったかわからないが、結局30匹がかりで彼女の顔面や内臓をお食事されていたところを民青委員に発見されたとのことである。その第一発見者はきっと、しばらくは焼き肉などを食せなくなってしまっただろう。
人間の味を覚えた猫を放っておくわけにもいかないので、ちょっと前まで町内会で猫狩りが行われていた。16匹ほどは捕まったらしいが、具体的にどの猫が対象となるのかわからないので、捕獲を完遂するのは不可能だろう。猫好きには辛いニュースだ。
この話を聞いたときには、すごく驚いたが、しかし町民はさほど動揺してもいない。
そして、なんとなく「またか」という雰囲気が漂っている。
そのへんのことが恐くて聞けなかったが、なににせよ田舎というのは凄いところだと思った。
いまでもたまに、そのへんを猫が歩いていたりするが、気安く手など出さない方がいいと忠告される。
そんなわけで、日記読者の方で、なにか縁があり、クロカワの天野のうちに遊びにくる機会があったら、とりあえず気をつけておいて欲しい。このへんの猫は、人の味を知っているので、榊さん(あずまんが大王)の前に現れたかみねこ程度ではすまないかもしれないのだ。
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■ 2003.04.15
tue「萌え属性:不幸」
自分にとって、もっとも萌えるシチュエーションは何だろう。
工場の仕事があまりにも楽なので、たまにそんなことを考える。
これはまあ、ひとことで言って「不幸萌え」だろう。
どうも、わたしの場合、萌えの前提には、不幸があるらしい。
なぜなら、わたしにとっての萌えとは、保護欲の変形だからだ。
だから、不幸なキャラほど萌える。とはいえ、幸福なひとを自分以下まで貶めないと萌えられないとかそういうわけではない。その苦況の中でも失われない清さや純粋さに萌えるのだ。地獄の淵に咲く花は美しいという。罪悪の誘う風に吹かれても、決して堕さずに咲く勇姿が美しいからだ。不幸萌えの者は、その凛とした姿に引かれるのだろう。
たとえば「マリア様がみてる」の祥子さまである。
マリみてといてば、私は新刊「マリア様がみてる・真夏の1ページ」で志摩子さまが「乃梨子」と妹(スール)に呼びかけているのを脳内で再生した瞬間に「なんで俺の名前は『乃梨子』じゃねえんだ!」と両親を呪ったくらいには志摩子さまが好きだが、それはさておき、原作どおりだと祥子さまにはそれほど萌えない(卒業式のは萌えたけど)。
しかし、それもシチュエーション次第だ。
理想的な状況としては、まず、小笠原家がとつぜん没落する。負債があってすべての財産がとられてしまい、体ひとつで放り出される祥子さま。あの御容姿なので、モデルの仕事にでもありつければそこそこの生活は出来そうだが、そんな器用なタイプではないし、頼るところが祐巳しかいなかったら、そうはなるまい。
ここは、どこをどう転落したのか、縫製の内職とか、身近なところで、鉄工所の女工さんとかに落ち着くと、いろいろそそる。破れた軍手をつくろうような、そんな貧乏暮らしで戸惑いながら、それでも気高く生きる祥子さまと、健気にそれを支える祐巳すけの物語。
もうこれだけで飯が食えるくらい萌える。
とりあえず、ほつれ髪でなれない苦労をする祥子さま萌え。
わたしは近所のオバサンになって
「えらいわねえ、祥子ちゃんは」
とかなんとかいって、豆の煮物とかを差し入れするのだ。
だいたいそんなようなことを8時間くらい考えているうちに、今日のお勤めも終わった。
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■ 2003.04.17
thu「主婦疑惑」
変なオチだと思いながら、前回の日記を読み返す。
たまにだが、自分の正体は、主婦ではないかと思うときがある。
飯をつくるのが異様に楽しかったり、トイレ掃除に燃える自分を確認していると、いよいよそう感じるのだ。
ひょっとして、自分の中には主婦がいるのではないか。
あるいは、自分は、ちょっと細い婦人を丸呑みしたバケモノなのではないか。
腹を割いてみると、なかから昭和の母が出てくるのではないか。
そんな気が、たまにするのだ。
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■ 2003.04.20
holy「就農の窓口」
厚生労働省が、失業者対策として、就農者を募集するそうだ。
年間5000〜12000人の就農者を実現させたいという。
とはいえ、たぶん農業としての独立を具体的に支援するとかいうより、農業法人への就職を斡旋する程度なのだろう。食っていけなくて農業を諦める人はたくさんいたが、就職という形ならやっていけるかも知れない。
とはいえ、人を雇う余裕がないから法人就農は少ないのだ。このへんに金銭的な援助が来るわけではなく、具体的には職安と就農センターの「連携」とのことなので、さほど大きな変化はないと思う。
単に調べる手間が省け、わざわざ敷居の高い就農センターまで出向く必要が無くなる、いわば間口が広がるだけではないかと思う。だが、やる気のある人は、敷居を越えて、ちゃんと調べて進むだろうから、これだけでは興味本位の人が増えるだけで、意味がないのではないか。
とはいえ「どうしても農業がやりたい」と執着するより、就職の一環として入っていくような、あまりこだわらない人の方が、すなおに農業に就けるかも知れない。
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■ 2003.04.30
wed「気候の差」
晴天のおかげで、12日ごろに出はじめたジャガイモの芽が、ようやく出そろってきた。
大きいものだけ雑草を抜きつつ、ジャガイモの芽を1〜2本にする。残す芽を押さえて、残りを引き抜くのだ。これは、芽の数が根の数に影響するからである。個数を少なく大きい芋を作りたければ、芽を少なく。逆をやりたければ、芽は残す。
5月は事情があって、畑仕事が出来ないかも知れない。茄子やトマトなど夏野菜をはじめようと思っていたが、これは断念する。
ようやくジャガイモも芽が出てきたわけで、4月になってすでに中盤から終盤。世の中は、だいぶん暖かくなったらしい。
名古屋に住むBeeさんは、おもわず扇風機を出したそうだし、同市のmanieraさんは、すでにクーラーを投入したという。
だが、なぜかクロカワでは、4月でも霜がおりる。
「こ、このへんって、いつもこんなんですか?」
「まだまだ寒いよ」
「まだまだまだまだ」
「うちに北海道から来たお客さんがいたんだけど、冬に言ってたもん。
『この寒さ、なんとかしろ』って」
「あ、あの、みなさん、いちおう聞きますけど、こたつって、いつ頃片づけます?」
その場にいた全員が口を揃えて答えた。
「6月」
えらいところに来たものだと思った。
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