2001.07.24 tue

(お詫びと訂正)

「おとなげ日記」として出発する予定だった当コンテンツですが、実際に変換してみると

「大人毛日記」

になることが判明、足の親指毛日記とか腹毛日記とか、ももの毛姫とかならまだしも、大人毛というのはいくら何でもアレなので削除することにしました。

そういうわけで当コンテンツは、

「寄道余所見」

と、改名し、おいそんなこといいから早く関西オフ会日記書けとか7/18の更新はどうなってるんだとかええいいただきものとリンク以外はほとんど半年近く更新してないサイトマスターに言われたくないわとか、うじゃうじゃやりながら更新していきます。

内容は読んで字のごとく「よりみち」と「よそみ」の記録です。



寝言日記の頃にも書きましたが、この日記もまた、自分の余裕です。







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2001.07.23 mon

(関西オフ会日記の前に)

「寝言日記」は、書店で働いている日常と、その間の「よそ見」を記した日記だった。

決して「ああ誰か「天使のお仕事」っていうKanonの同人ゲームもってないかなあ、そして、かしてくれないかな、しおけっとで完売したとはなあ、通販ももうだめかあ、なんとかして手に入れたいなあう〜んむにゃむにゃ」とかいう真性の寝言を記録したものではない。

検索で「寝言日記」とやってみると、これが意外にヒットする。
だが、そのほとんどは、同名の、よその日記だった。
しかも、そちらは、ホンモノの「寝言」の日記だったりする。

これでは、そちらの寝言日記に申し訳ない。
以前からの懸念でもあるので、退職を機に、日記の名前を変えておこうと思う。



というわけで、次回からは、新タイトル

「おとなげ日記 〜寄道余所見編〜」

の更新開始である。


天野の「大人らしさ」や「思慮深さ」を描く「おとなげ」日記となるだろう。

その大人らしさが、たとえば退職時の餞別金を全部マンガに投じるとか、実はその動機は、オフ会などでよく会う友人知己に、御心配を描けたお詫びにマンガをプレゼントしようとか、しかもそれが「妄想戦士ヤマモト」だとか、これ贈れる友人知己ってどんなんだとか、まあそういう思慮深さを描く日記なのだ。

そして再就職と結婚までの寄道(よりみち)と余所見(よそみ)っぷりを描く日記になるに違いない。
旧タイトルの「寝言日記」も、内容はまさにこれだった。



ああ、いやいや、もちろん、キリスト教のあたりとかは、ホントに寝言ですにょ?



ちなみに、日記の紹介などでリンクをはる場合、日記タイトルは、けっして漢字に変換しないように願いたい。

「おとなげ日記」が「大人気日記」になってしまうからだ。






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2001.07.22 holy

「私の名前は、乳首魔人!

「うわ、なんだ、最近の真面目な日記の反動か!?」

「天野殿に一言もうしあげたいことがある!「ロボットのココロ」のマルチ絵、なぜトリミングを、もう32ピクセル、下げて乳首を描かない!?」

「いや、最初は描いたんだけど、なんか幼女ヌードみたいで条例が・・・・。で、なんで32なの? 計ったの?」

「貴様に、絵を描く人間の価値をおしえてやろう」

「そ、それは昔の日記にも書きましたし、もういいですって、あの、聞いてませんね」

「それは、死ぬまでにいくつの乳首を描いたかだ! イラスト描き、あまつさえ女性を描くことを趣旨とするなら、人生に置いて平均0.5CPP(0.5乳首/ピクチャー)を下回るようでは、人間失格ですぞ。この数値こそが人間としての価値を決めると言ってもなんら差し支えあるまい! 幼女ヌードにみえるなどという理由で、それをトリミングするなど、ああ幼女ヌード、いやむしろ幼女ヌードの」

「幼女ヌード幼女ヌードって連発するな! このページが条例監視の検索に引っかかったらどうする!」

「突然ですが、眼鏡っ娘教団茨城県支部長、推参!

「そっちの趣味はないわ!」

「マルチに感動したフリして、実は委員長にはまっていた天野氏のために、今日は「委員長の歌」を作ってきました。こほん(咳払い)いいんちょ〜が、かけていた〜、眼鏡の〜フレ〜ム〜♪」

「わあ! それ関西オフ会(ヨコハマの話題が出ないヨコハマオフ会)で、やるかどうかわからんけどカラオケのときまで封印!」

「我が名は、ストロング仮面!

「む、名前だけはまともそうな・・・」

「ストレートなロングヘア(=ストロング)を、体力と金銭の限り愛する正義のマスクマン参上! か、か、神奈さまああああああっっ!!」

「ええいっ こいつも手遅れか!」

「チキンカレーには鶏肉が、ビーフカレーには牛肉が入っていますが、ということはポケモンカレーとウルトラマンカレーには、それぞれポケモンとウルトラマンの肉が入っているということなのでしょうか」「そういえば昔、カードキャプターさくらカレーもありました」「猟奇なカレーだとは思いませんか」「というか、その肉はいったいどこから手に入」

「やかましい! 私はしばらく旅に出るから、ついてくるなっ! ていうか、そういう質問メールやめろ! 面白いとネタにするぞ!? 」


というわけで、明日から関西でのオフ会がはじまる。
その期間、上記のような内容のメールがきてもレスが遅れるので、御容赦されたし。


注:
この人物は、たぶん実在しません。ですが天野は、非常によく似た人間を知っています。が、彼らとは関係ないことを、いちおう明記しておきます。





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2001.07.21 sat

ここでは急な話だが、実は7/20(正確には8/20)をもって書店を退職した。
一ヶ月の誤差は、たまりにたまっていた有給休暇消化のためである。

辞める理由は、端的に言えば、続けていく自信がなくなったからだ。
仕事、趣味、そして将来において持つ家庭。この三者のバランスをとる自信が無くなったのだ。

ただでさえ、結婚したら自分の時間は無くなる。これに異存はないし、望むところだ。
だが、仕事に時間が奪われすぎることが、容認できなくなったのだ。


会社でこんな会話があった。

「○○さん、髪の毛のびすぎですよ〜 息子さんに嫌われちゃいますよ〜」

「大丈夫。こどもの起きてる時間には、家に帰れないから」

これが、この会社での家庭持ちの生活だった。
こんな状態のまま40才、50才までこの仕事を続けるわけにはいかない。




自分はなぜこの会社に入ったのか。

それは何と言っても、本が好きだったからである。
そして、この会社の理念に感動したからだ。



入社した当初は、若いと言うこともあり、人間関係にこそ悩んだが日々が楽しかった。

ただ仕事の時間はその当時からすでに11時間を平気で回っていた。現在の平均13時間(月に100時間の残業)よりは楽なものだが、いずれにせよ働き過ぎである。

だがそれは、先日来、日記に書いている、この会社の基準を果たすためだった。
最近はいった新入社員も、残業しても残業しても終わらない仕事の量と高密度さに驚いているだろう。

自身の価値観も会社の理念に近かったせいか、私はすぐに中心人物である社長に気にいられた。
そして、F店での店長をやらないかと持ちかけられた。

このときの私は、決して店長をやりたかったわけではない。
店長の任を拝命した理由は、自分を鍛え、人を使っていく能力というものを身につけ、そして、彼女を迎えるのに充分な実力が欲しかったからだ。

社長の信頼を得、店長を勤めているが、鍛えられる反面、自他共に認めるように「自分は店長に向いていない」ということを認識する。実際、甘いだけで、良い店長ではなかった。

店長辞退を社長に申し出たが、代わりがいなかった。店長の激務に、就任こそするものの、耐えられる人間がいなかったのだ。そのまま二年半が過ぎた。

この会社は、長続きせず辞めていく人間が多かった。通常業務でも、その内容の高密度さに誰もが残業する。そして手当は出ない。そのためだけではなく、向き不向きもあっただろうが、私の知っている限りでも、33人入社し、17人が退職している。一人は死んだ。
書店の理想を語るだけ語った後で書くのは申し訳ないが、これが現実である。
いや、あれだけの理想だからこそ、実現の犠牲は大きかった。
このグレードの書店が、「若いうちしかできない仕事」であることは、まちがいないだろう。

なかでも、コミック担当でツブれた人は多い。最近就任した新人をのぞく、経験者8人中5人が退職している。
コミックは、商品単価が安いせいと、当社のステータスでもあるために、とにかく販売される量がすさまじい。すさまじく販売された分のすさまじい注文、すさまじく入荷した商品のすさまじい陳列など、作業量はすさまじく多い。

そのコミック担当を、後継者がいない状態で退職した者がいるため、私がやることになった。

これで店長を辞することができる! と思ったが、実際には店長兼任だった。
店長の頭数が足りなかったからだ。


コミック兼、店長。
誰からも無謀な試みであると言われた。「死ぬよ? 保証する」とまで言われた。

死を保証されたのは初めてだ。でも自分はこれを受けた。

自分が成長するであろう、という見込みから、試練に飛び込む気持ちでもあったが、同時に、他に頼るべき人のいない社長の、支えになりたかったからだ。





そうして移動した先は、一宮店。先の日記に書いたので隠語にする必要もあるまい。
ここは、三階建ての店だった。売上金額にしてF店の倍、売場面積にして三倍である。

初めてのコミック担当は、噂には聞いていたが人間一人が処理するには、あまりに多い販売量だった。
丸一日を費やしても終わらないコミックの仕事(三階)の上に、一階二階の仕事の監督もしなければならない。気がふれそうな日が続いた。

このときの残業時間は、平均を出せないが、15時間で帰れると「今日は早いな」と思った。16時間で普通である。25時間働いた日は翌日に倒れた。

ちなみに通勤時間の2時間はここに含まれない。したがって帰宅後4時間で完全に回復しなければならない。そういう日が続く。運転中に居眠りして死にそうになったこともあった。運転中に意識がなくなり、気がつくとその間に、車がけっこう走っていたりすることは日記にも書いた。遺書を書いておこうかと思った。


だが人間というのは恐ろしいもので、やがてこの仕事にも慣れた。

コツをつかむこと、売上を落とさずに手を抜くことなどを、身につけたからだ。これがなければ、どうかなっていただろう。

勝利はしていなかったが、なんとか日々をこなすことができるようになった。だが、店長としては失格であったと思う。

婚約したことが、この苦難を乗り切る力となっていたのは、まちがいない。






そうこうするうちに人事異動があった。現在の本店である。
このときは、店長+コミック担当に、さらに新入社員教育担当という責任も付加されていた。この種の仕事ができる人間は、そういなかったのだ。



死ぬ、と思った。

でも「死ぬ」と認識しているうちは、人間は死なない、と自己暗示をかけて乗り切っていた。

「過労の最も恐ろしい点は、本人が過労と自覚していないことです」

というNHKの解説員の言葉に暗示が解けそうになるのを必死に押さえ込む。



教育中の新人が1人辞め、1人逃げ、生き残りが他店に旅立った後、さらに3人の新入社員を迎え、新店舗(K店)オープン準備が始まった。

欠員が出たのは、教育を担当していた私の責任である。新店舗はやむなく、店長と、文具、コミック担当以外は入社1ヶ月弱というピヨピヨ社員をスタッフとして出発した。



一方、本店の社員数は、通常6人のところが、5人になった。

誰かひとりが倒れても、店が回らなくなるため、誰も休めないというこの状態で8ヶ月を乗り切った。会議への参加はみな、自分の休日をあてることで乗り切っている。すごいことだ。ちなみに私は、先日も書いたが、コミックの会議と店長の会議があり、一時期は、本店改装計画の会議があるため完全週休一日制である。そして毎日13時間働く。

さらにF店などは、当時3人で運営されていた。いくらなんでも無茶である。だが現実にやっている以上、5人の本店が文句を言うわけには行かなかった。ちなみに、そのF店では、連日のように朝の3時に出勤し夜の9時に帰っている社員がいる。文句は言えない。

F店店長は後輩であるし、もし一人でも余裕があるなら、そっちに回ってもらわなければならない。私は、本店を5人でやっていくことを了承していたのだ。



本店では、どんどん忙しさが増し、チェックがおろそかになり、人間関係がギクシャクしていった。
ミスも増える。ミスの原因は、一般的にはシステムの問題か、スタッフの怠慢だと指摘されることが多く、実際よく言われた。

だが、もうひとつミスが発生する原因は「人手不足」にある。本来2人でやる仕事を1人でやっているのだ。ミスも起きる。だが、人が増やせないのだ。ミスをなくすには、1人が2人分働くしかなかった。


この時期に、この店の店長を拝命していたのが、この6年でいちばん辛かった。

誰かが苦労をする、という状況で他人に振ることができず、自分で背負い込んでしまう。私のやっかいなクセであり、このせいで、どんどん仕事に追いつめられ、ついにはチック症になった。顔面が痙攣する奴だ。自律神経の失調は、しかし自業自得だ。

もっと上手いやり方があったかも知れない。だが私には、それでしか、会社の理想は実現しなかった。


先日以来かいている書店の理想、会社の掲げる理想の基準を実現していくのは、決して不可能ではない。
完璧に永続的に実現することは難しいが、およそ近い基準はできている。
かつての本店には、すくなくともそれが確立していた。





だが、その背後には、従業員個人にかかる、すさまじい負担があったのだ。

あえて書かない情けない事情や、人間関係が限界まで煮詰まった、ということも含めたいろいろな事情があり、このとき、私の精神は折れた。



私はこの会社を辞める決意をした。
誰もが抱くであろう感想としての、もったいない、という想いも、ないではない。
だが、私は辞めることを決めた。

2001年4月のことである。






帆船は最も美しく、そして最も過酷な船舶だと聞く。

6年乗った「この船」は、苦労はあったが、いい船だった。
私は、ここで働けたことを誇りに思う。

そしておそらく、こんなに美しい船に乗ることは、二度とないだろう。
本音を言うと、残念だ。



だが、私の夢は、船に乗ることではない。

私の夢は、約束の島を見つけることだった。
そして、いま、探し求めた美しい岸辺が、そこにある。

わたしはこの島を守るために暮らしていく。

それは、この船に乗るずっと以前から、私が望み、決めていたことなのだ。







この会社の素晴らしさを、自分は良くわかっているつもりだ。
書店事情を書いている昨今の日記の「違いを創る編」の通りである。

この会社はとても魅力的で、辞めることが正しいとは思わない。
この会社は、少なくとも、お客様にとっては素晴らしい会社なのだ。

だが、この道を採れば、自分の仕事のせいで、家庭が犠牲になるのは確実だ。

何を失っても手放せないと思った、あの人との家庭が。

これだけは、容認できなかった。
そして、仕事の内容がこれ以上ゆるくなることは、現実的に、考えられなかったのだ。

私の退職願は、受理された。






それからの三ヶ月間。
特に店長を辞してからは、穏やかな日々が続いた。
仕事自体は、変わらないが、店長の重圧がそのまま無くなったのだ。精神的な安楽さは大きかった。

現在の本店は、従業員も充実し、問題なく仕事も進んでいる。そして新店長の人徳だろう、人間関係も以前のこすれあう刃物の如き雰囲気はない。

日記をまとめる時間もとれるようになった。
書店での経験を書くうち、ふと、この仕事を、充分な人員と満足のいく労働環境でやっていくことができたらな、と、そんなことを夢想する。

でも、それはやはり無理なのだ。
経営の事情も、ある程度は理解できている。人件費で傾いた会社はたくさんあるのだ。


この三ヶ月で、いろいろな思いが湧いてきた。
だが、自分はそれを全部整理することができた。






最後の数日間、いままで渡り歩き、世話になった支店に挨拶して回る。
今日は、本店で、会長に挨拶をした。

本店のパートさんたちとも、名残を惜しむ。

私は、仕事にばかり追われていて、そして甘いだけの、決して良い店長ではなかった。
だが、一人一人と別れの挨拶を交わすうち、自分がとても多くの人に慕われていたことに、ほんとうに今日、やっと気がついた。

それは社交辞令とは絶対に違う、思いに満ちた別れの時間だった。

今日ほど、心のこもった言葉や別れを経験したことはない。
いまさらながら「心がこもる」ということを実感している。

「心なんて目に見えないから、こもっているかどうかなんてわからない」

というような唯物論をたまに聞くが、それは例えるなら電波を体重計で測定しようと試みているようなもので、測定能力の開発されていない未熟児の戯言だ。


別れの時、ある人は泣いてくれたし、ある人はふてくされてくれた。なぜか、私が好きな物ばかりが、餞別に贈られてきた。



彼ら、彼女らの心が伝わってくる。

本当に感謝してくれていることが、伝わってくる。
これまで、甘いなりに投入してきた愛情が、いま還ってきているのを感じた。

よかった。
自分の頑張ってきたことは、こんなにあたたかくて、こんなに喜びに満ちたことだったのだ。




本当に良かった。
これで、私は、ここをスッキリと辞めていくことができる。
つらかった記憶も、なにもかも、感謝することができた。



最後の最後に、アルバイトたちが集まってくれた。
悪いと思ったが、私は彼らを帰した。

辞める人が多いせいで、あっという間に中堅になってしまった若い社員の1人と、最後の仕事帰りにラーメン屋に寄る。
中華ラーメンの「天下一品」略して「天一」ちなみに省いた部分は「下品」になるが、まあそれはともかく。
そこで「こってり」をズルズル食べながら、愚痴は多かったが、会社の未来について語り合った。

最後の日は、私の望んだ通りに、静かに終わった。
アルバイトたちと語り合っていたら、私はなんらかの未練を持っただろう。それを嫌ったのだ。彼らには、本当にすまない。

だが、これで一片の未練もない。
大きな区切りを、これ以上望めないくらい、キレイにつけることができた。


さあ「次」へ行こう。






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2001.07.20 fri

だいぶ前だが、まるうさんと会った。
実はこの人は支店に勤める新入社員である。

仕事のことで、いろんな話をした。

人間関係のことや、仕事が大変なこと、最近やめた先輩のこと、などなど。
新入社員の多くは、仕事時間の長さと作業内容の高密度に驚いていることと思う。

最初の一年は、がむしゃらに働いて、仕事を覚えることが大切だ、と話した。
仕事を覚えて、全体の流れがつかめるようになれば、仕事を早く、効率的にすませることができるからだ。



そして、休みの日には、しっかりリラックスする事。

高度な集中力は、深いリラックスがあって、はじめて存在できる。

私のように休日出勤を繰り返したり、仕事と寝場所の往復だけになってしまっては、結局、集中力を失って、効率の悪い仕事を延々と続けることになる。



それに仕事にばかり自分の全時間を使っていると、自分が無くなってしまう。

仕事自体が生活になってしまい、自分も、自分自身も、仕事なしには考えられなくなってしまうのだ。
こういう場合、仕事が無くなると、とたんにアイデンティティを失うケースが多い。

存在を仕事に依存するようになってしまうからだ。



仕事以外を大切にしてほしい。新人にはそう願う。

書店のルーチンワークしか知らない人間には、結局書店は、務まらないのだ。


たとえば、パソコンを持ってもいない人間が、適当に陳列したコンピュータ書の商品棚が、その筋のマニアたちを満足させられるだろうか。


キャンプもしたこともない人間が、適当に陳列したアウトドアコーナーの商品棚が、BE-PALを定期購読しているようなお客様を満足させられるだろうか。


人を愛したことのない人間が、適当に陳列した文芸書の商品棚が、ロマンを求める読者を満足させられるだろうか。


本を愛する生活だけの人間が作った本屋など、

人間の生活を愛する人間が作った本屋には絶対にかなわない。




「本の陳列方法」はすぐに憶えられる。

次は、担当している分野そのものの理解だ。

何がおもしろくて、なにが本質なのか。
実際にやってみてもいい。本を読んでもいい。
何らかの形で、自分が担当している分野を深く理解しよう。

そうして作られる売場は、ものすごくリアルで「わかっている担当者が作った売場」となるのだ。

書店にとって最も恥ずかしいのは(といいつつ、これは結構うちでも頻繁にあるのだが)「分かっていない売場」を展開してしまうことだろう。


コミックでも、コンピュータ書でも、ビジネス書でも、美術書でも、文芸書でも、趣味分野でも、その担当者は、初心者だけでなく、専門家を相手に商売をするのだ。



いかなる専門家を相手にしても、一歩も引かない。



そういう売場を展開していくこと。これが、本屋の理想だ。

そして、その一番の王道は、結局、仕事以外の時間をいかに幅広く楽しんでいるかを、土台とするのである。







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2001.07.19 thu

お給料の話をしよう。これ自体が区切りの原因ではないが、一因であることは、まあ確かだ。

書店員の給料というのは、なんというか、とにかく安い。薄利な商売であることは以前にも書いたので、お分かりのことだろう。


さて、たしか3月のことだったと思う。
週休二日でありながら、ある週は店長会議で、ある週は担当者ミーティングで、ある週は店舗改装のミーティングで、そして最後の週はお客様からのクレーム謝罪に費やし、完全週休一日だった月があった。

当時本店は、6人のところを5人で運営している。これは、つまるところ、イレギュラーなシフトに対しては休日をもって対処するしかないという状態であった。
ちなみに常勤の曜日は、平均13時間労働である。



・・・・。

思うところあって電卓アプリを起動した。

31日−9日休=22日出勤
22×13時間=286時間

店長会議8時間+担当者ミーティング3時間+改装ミーティング3時間+クレーム謝罪1時間=15時間(移動・準備時間ふくまず)

合計301時間




三途の川の臭いがした。

違和感を憶えながらキーを打つ。

基本月給 211,000円(店長手当、職能給など含む)

211000円÷301時間=701円




時給701円・・・。

時給701円・・・?

うちのアルバイトたちより安い。
しかもベースアップ前の新人以下だ。
10年前に勤めていた、ドミノピザの時給1000円には、かなり遠くおよばない。


何かの間違いかと思って、何度か計算をやり直しているうちに、めまいがした。

気を取り直そうと思って、テレビをつける。

「世界まるみえ! TV特捜部」で豪華クルーザーの特集をやっていた。クルーザーのシェフは少人数で富豪の舌を満足させる料理を作らなければならないため、一日に16時間働くという。

「おお、兄弟 ・・・」

私はテレビを熱い視線で見つめながら異境の海で働くコック長に語りかけた。
ナレーションが告げる。

 「そんな彼らの年収は、2000万円」

「てめえら他人だ!」

私はリモコンを叩きつけた。









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2001.07.18 wed

実は7/20をもって、ひとつの区切りを迎える。
このごろの大量更新は、それまでに書店での経験を書き残しておこうと思ったためのものだ。

今日は、万引きについて、語っておく。

万引きというのは、犯人たちに、悪事の実感がないのが最も悪質な点だろう。
コミックを万引きしていく人間の多くは、10代の学生だ。最近は古本屋に流す、質(たち)の悪い大人もいるが、やはり10代が多いようである。

現行犯で捕まえた万引き犯を、身元引受人がくるまで説教することが度々あるが、彼らは働いたことがないので、商品の価値について話しても、まるでピンときていない。

そのバーチャルな経験しかないお粗末な知性で「万引き=悪いこと」だと、やっと認識している程度だ。

その場では反省したように見える子もいる。本人も反省しているのであろうが、性根まで転換されることは、実はまずない。何日かしたら、今日のことなど忘れてしまうだろう。残念ながら、こういう子が多い。

あるいは、まったく反省した様子もなく「はあ」としか返事をしない子もいる。そのときは

「頭蓋骨をバールのようなものでこじ開けて、脳味噌の腐れ具合みたろか、コラァ!」

と、ちょっぴり怒った。

「これだけの規模の書店を回していくってのは、並大抵のことじゃないんだ! 200冊注文しても60冊しかこねえ攻殻機動隊の2巻(初回マウスパッド付き)とかを、必死になってかき集めてるんだよ! 一日に14時間働くことなんかザラだ!」

そんな時間はたらくことなど、想像もできないだろな、と思いながら話を続ける。

「16時間働く奴もいる!」

一瞬、時給の計算したろかと思うが、惨めになりそうなので止めた。

「そうまでして働くのは、この仕事が好きで、本が好きで、お客さんが好きなんだよ! そうまでして集めた本を、なんだと、勝手に持っていく!? お前は、これが1000円や2000円の価値しかないと思っているんだろう。だが、これは毎日死ぬような思いをしてやっと集めてきた商品なんだよ!」

毎日死ぬような思いをしたことのある人間が言うと、そこそこ説得力のある台詞だが、毎日死ぬような思いをしたことのない人間には、やはり通じないようだった。

「お前にも、好きな物があるだろう。好きなミュージシャン、好きな映画、好きなマンガやアニメ、その良さを何も知らない奴が、ゲラゲラ笑いながら指さして馬鹿にしたら、どう思う? 腹が立つだろう?」

このとき、はじめて学生の顔に理解の色が浮かぶ。

「そういう感じで怒ってるんだよ!! お前がすごく好きで、熱中して作ったものを、勝手に持って行かれて、その価値も解らない奴に無茶苦茶にされたら、お前、どう思う?」


声を落ち着け、静かに言う。

「お前は、我々のそういうものを、踏みにじっていったんだ。1000円や2000円の罪じゃない」





書店員は、商品に愛着を持っているので、その分、温厚な人間でも、売物の蹂躙には怒る。
だが、万引きに対しては、実際、どう怒ったらいいか分からない時があるだろう。みな、根が温厚だからだ。私は、スジを通す意味で、こうやって叱った。何かの参考になれば幸いである。





犯人を現行犯で捕まえられた場合は良いが、痕跡だけを発見した場合、未遂に終わった場合の憤りは、当て所がない分、いつまでも鬱積されていく。

本店には、6人の、未遂や証拠不十分だった万引き犯がいた。
店長を降りてから、コミックに集中できたため、未遂ながら1人を捕まえ、1人は、他のお客様に捕まえられた。
あと4人である。しかし、私はもう現場を監視することができない。



そこで、





宇宙 書店刑事カ○○ス

書店刑事カ○○スが、コミック売場を整頓するタイムは、わずか0.05秒に過ぎない。

では、その整頓プロセスをもう一度見てみよう。

「 横着!!」

ちゃんと掃除しろ

標準装備武装:ビームハタキ(ダスキン・エレクトロニクス謹製)






最後に、こう言うのを作って万引きを思う存分こらしめたかった。

それが悔いと言えば悔いだ。






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2001.07.17 tue

温泉に行った。
岐阜県は三田洞にある「三田洞神仏温泉」だ。
神社とお寺の間から吹き出した温泉なので神仏温泉という。名前のわりに霊験はない。

温泉施設の中は、老人ばかりだった。

最高歩行速度が、時速1キロくらいの老人がフラフラと歩いている。
設備が新しくピカピカなのに、人間のオーラだけで、見事なくらい、ひなびた感じに染まっていた。

身体を洗ってから、鉄分で赤く濁った湯に入る。
むかし社員旅行で行った有馬温泉に似た雰囲気だ。この泉質が良いのか、有馬もここも、湯が身体になじんだ。



店長という責務が消失し、改装も成功と言って良いグレードで完了し、いまはコミック担当の業務に集中している。
勤務時間も、かつての激しさから緩和され、日記を書けるくらいの時間には帰ることができるようになった。
だが、なれない自由を持て余すような感じがある。

業務としては楽だが、チカラが出ないのだ。
睡眠時間も充分にとれているはずなのに、それなりに疲れ、なにより怠(だる)い。
なぜだろう。


店長の頃の、忙しく、緊張していたゆえの「張り」が無くなったのを感じる。

そして同時に、失ってみてはじめて、公人に与えられるチカラというものを感じた。

自分を滅して、持てるエネルギーの全てを公のものに投入している人間には、その空になったタンクに、神様が燃料を注いでくださるのだろう。

時間的栄養的に充分な補給を受けている今の方が、チカラがでないというのも、そういうわけだ。
窮地に立った人間の潜在的なチカラだ、という考えもあるだろうが、そんなもので4年も戦えるものではない。

私が戦ってこられたのは、公人に与えられる神の力だった。

それが無くなったのがチカラの出ない一因だ。
そしてもうひとつ、緊張感ゆえに、いままで押さえ込まれていた体の不調が、一気に吹き出しているのが、このだるさの原因だろう。

そんなわけで、とりあえず温泉に来てみたのだ。

見上げれば天窓のキラキラした水滴の明かりが、見下ろせば湯船に浮かぶ太陽が、顔を照らす。
いまは、この安らぎを存分に補給しよう。

戦時中の話に興じる老人の声が、湯気の粒に吸い込まれるのを聞きながら、深呼吸をする。

はー・・・・。

いままで換気されたことのないくらいの、肺の深いところから息をついた。

力が抜けていく。


湯からあがり、一日中いるような老人たちをかき分けてロビーに出る。

牛乳の自販機があった。
たまらず二つ買った。

その場で一気に飲み干す。

「ぶはっ」

一息でひと箱を飲み干し、もうひとパックにストローを刺す。チェーンドリンクとでも言うのが正しいだろうか。
一ヶ飲んでも、もう一ヶある幸せである。

疲れが流れ出て渇いた身体に、80円の牛乳が染みていく。

ああ。
どう見ても、相当に水で薄めてある、うすい白牛乳が、こんなにも美味しい。


途中でアイスクリームを買って食べながら、車で帰宅する。
夕食を取り、ベッドで横になった。

最近は、しっかり八時間眠ることができている。
それまでが、いかに視野狭窄であったかを実感するようになった。


店長という責務にある中で、色々な心情、この立場でなければ味わえない心情を通過できた。
人間の心というのは、同様の立場状況を通過していなければ、決して解らない。
責任者、管理者の心情が解ったのは、何より大きいかった。

このことには感謝している。
だが、店長という仕事を、完璧に務めきれなかった悔しさと敗北感がいつまでも残っていた。

私は、己を鼓舞するとき以外で、自分が店長に向いていると思ったことは、一度もなかったのだ。

悔しいが、それは自分の能力だった。







「でも、男なら・・・」

眠りに就く前に、薄れゆく意識の中でつぶやく

「勝てる分野で戦わなきゃな・・・」




再起の力は与えられていたようだ。






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2001.07.16 mon

品揃えの強さ、というのは、書店のいわば肉体的な強さである。
それに対して「接客」というのは、精神のそれだ。

この会社の接客の基本姿勢は

「お客様の御要望に、とことんお応えする」

である。

具体的には、

お客様が探している本を、とにかく何とかして、必要な期限までに手に入れる。

という姿勢だ。
「姿勢」とまでしか言えないのが、ちょっと申し訳ないが。



お客様の探している本をうかがい、タイトルが曖昧な場合は、話を聞きながら、書誌データなどをもとに、本を特定するところまでおつきあいし、情報をもとに店内を案内して本をさがす。なければ、二週間ほどの期間を待っていただいての取り寄せとなる。

書店にできることには限りがあるが、そのなかで、お客様の欲する書籍を御用意するのが仕事の本質だ。




ところが、むかし、岐阜県のある書店グループで、こんな取り決めがあった。

「できるだけ、お客様からの注文(以下、客注と略す)は受けないようにしよう」

というものである。




その書店グループには、それなりの理由があった。


ここに500円の本があるとする。
この本が売れることで、書店が得られる利益は、取引先によって異なるが、大雑把に25%、つまり125円だ。
この利益は、人件費や通信費、水道光熱費その他、店舗を維持するための諸経費にまわるため、純利としては、いくらも残るものではない。

そしてこれは、あくまでも書店に置いてあった本が売れた場合である。

本の取り寄せとなった場合、話はさらにシビアになる。

まず、客注の商品は、出版社に在庫の有無を確認しなければならない。しかも、ほとんどの出版社は東京に集中しているため、地方からでは相当な電話代がかかる。滑舌よくスムーズに行けばいいが、確認の時間が取られると30円では済まない。100円ちかくかかるケースもある。

こういう客注が、毎日60件は下らないため、一人のパートさんが、電話注文作業に一日を費やすのが普通だ。当然、その分の人件費も必要になる。

さらに、入荷の際は、こちらからお客様へ連絡をする。お客様の指定番号が携帯電話だと、やはり40円くらいはかかってしまうだろう。

下手をすると、利益がでないどころか、客注は損でしかない場合があるのだ。

そして、電話で注文したはずの荷物が、いくつもの問屋を経由するうちに行方不明になったり、お客様への連絡が上手く行き届かないなどして、客注は、トラブルの原因になることも多い。



「客注を受けない」という、経費節減のために必死な、そのグループの考えも解る。

鉛筆一本からでも取り寄せます、というスタンスの場合、60円の文房具が客注になどなろうものなら、電話がつながった瞬間に純利益が吹き飛び、以降すべての作業は損失でしかないのだ。





だが、ここで 違いを創るのが、この店である。

本店オープンの時の話をしよう。

選ばれたスタッフは、何十年とやってきた書店と違い、キャリアが浅く、まだ「とにかく本が好き」なお客様の気持ちに近かった。
客注による損は解っている。だが我々は、注文してまで本を求めるという、お客様の御要望に、お応えしたいと思ったのだ。

他店研修のかたわらで、「違いを創る」を筆頭とする、本店オープンの構想が練られた。


とにかく客注を受ける。

そのために、リアルタイムの出版情報と単語単位で検索のできる優れた書誌データ完備と、豊富な在庫量、商品がなければ、その場で注文するという電話代を惜しまない確認姿勢、そして問屋に専用仕分け場所を設けさせたことで、通常より一手早い入荷経路、これらの整備が進む。



そして、従業員の能力強化も進められた。

ここの書店員は、本を棚に入れるときに、そのタイトル、著者はもちろんのこと、おおまかな特徴を理解した上で、陳列している。

ポイントは、タイトル、著者略歴、新刊帯のあおり文句、まえがき、そして目次だ。特に目次を読むだけで、実用的な本であれば、おおよそ内容を把握できる。
この土台があると、お客様からの質問に、かなり応えることができるのだ。

一冊の本を理解すると、頭の中に一本のひもが、蜘蛛の糸のように張られる。
様々な分野の本をたくさん理解すると、そのひもは縦横に張り巡らされ、網(ネット)のようになる。

ただ出版社別や、大雑把な分野別で、本を開きもしないで陳列している書店員との違いは、お客様から、書籍の内容に関する問い合わせを受けたときに、ハッキリと出る。



「井上喜久子さんに関する本を探しているのですが」


普通な書店員
「検索によると、写真集が二冊、あとはスカートのデザインの本が出版されてます」


異常な、ああいや、ここの書店員
「声優雑誌以外で、直接関係あるのは写真集二冊だけですね。スカートの本は同姓同名の別人です。私とりよせて確認しましたから間違いありません。直接関係なくてもいいならいくらでもありますよまずファミ通文庫で書いてる設楽さんはホームページやCDロムのテキスト書いているライターさんで文体があのままで楽しめますしコミックで言ったら山田太郎物語の綾子さんええ山田一家のあのズレたお母さんです性格そっくりですなあのひとの声やってますしそれをいったらああ女神様のベルダンディはベルダンディの方が連載中に井上喜久子化したと関係者に言わしめられたくらいのシンクロ率ですしそうそう今度AirのDC版で裏葉の声をやるそうなんですがこれはちょっといけませんな!強烈ですな!強烈すぎますな!ある種の暴力に近い強烈さですな!しかもいつまでもいつまでも受けていたい甘い暴力ですな!それはともかくAnimeToonz のCDはもう買いました?」

という感じである。
いや、ちょっと違うが、本の内容を数十冊程度しか理解していない人間のもつスカスカで粗雑なネットと、数千冊の理解を果たしている人間の緻密なネットでは、お客様の質問に引っかかって書籍を提示できる確率が段違いなのだ。

実用書などの、目的がハッキリしているものと違う、美術書やビジネス書、児童書などでこの検索能力は顕著に出る。

「あの、クマがネズミを拾ってきて一緒に住む絵本なんですが」

経験から言って、こんな問い合わせが頻繁にある。普通はネットを素通りだと思うが、陳列の際に、帯や内容を緩く憶えておくだけで、本は記憶の糸に引っかかる。ちなみにこれは「セレスティーヌ」だ。こんなに早く通じたのは初めてだと、お客様も驚いていた。

書名検索でなく、内容検索のできる本屋が実現しはじめていた。もちろん「大雑把な内容」に限るため、コンピュータ検索に頼るところも大きい。


そして、オープン初日。

本店は、つばを飲む間も無いくらいの大盛況となり、やがて

「ここにくれば何でもある」

というウワサが立ち、次いで

「ここにくれば、どんな本でも探して取り寄せてもらえる」

という話が、口コミで流れた。

そして何より、従業員の情熱と根性のおかげで、この本店は、一気に注目された。


この店がオープンするまで、近所の本屋の多くは、先述のように客注に消極的であったため、地域のお客様には、フラストレーションが溜まっていたのだろう。
それも手伝って、本店は一年を待たず、地域一番店となった。





あるとき、こんなお客様が見えた。

「あの、本を探しているのですが・・・」

「はい、何という本ですか?」

「ええと、実はタイトルも、著者も、出版社も解らないのですが」

頼りにしていたコンピュータによる検索はこの時点で無力化した。

同時に、この問い合わせに応えられた書店は、ほとんど無いだろうな、という感想を、応対した従業員はもった。

「内容は憶えてるんです。マリーとかいう女の人がハワイでウクレレを弾く話でした」

・・・・。

マリーとかいう女の人がハワイでウクレレを弾く話?


彼の内容検索能力には何も引っかからなかった。

「あの、すみません、タイトルの一部でもいいのですが、わからないでしょうか・・・?」

弱気になって訊いてみるが、やはり解らない。聞けばあちこちの本屋に尋ねては断られ続けたという。それはそうだろう。

「ここなら、どんな本でも探してもらえるって聞いてきたのに・・・」

お客様が嘆く。彼は少し考えた後、お客様を待たせて走った。
自分一基のネットで引っかからないのなら、他の従業員のそれを頼る手がある。いわばLANだ。情報網の合体である。

「男同士で合体だ!!」

と叫んだかどうかは知られていないが、彼は同僚に聞いてまわり、数分の後、ついに答えを探し当てた。

当時のアルバイトの一人が、その小説を知っていたのだ。細部は微妙に違うらしいが、喜多嶋隆の「ブラディマリー」という小説のシリーズにそういう話があるという。

幸い在庫もあったため、勇んでお客様にお見せすると、果たしてビンゴであった。
お客様は、旅先でこの本を途中まで読んだことがあり、続きが気になっていたのだという。
こちらが恐縮するほど感謝されながら、お客様は本を手に店を出た。



本は見つかった。

どこの本屋でもあきらめていた、恐ろしく貧しい条件での検索を、ここでは、あきらめなかったからだ。


それからほどなくして、こんなウワサを聞いた。

「ここにくれば、どんな本でも、それこそタイトルも、著者も、出版社すらわからなくても、探して取り寄せてもらえる」


お客様の御要望にとことんお応えする。

そういう店が生まれていた。








書店にとって、

大量の書籍が入荷し、それを棚に陳列する作業は大変なことである。一日にダンボールで60箱、ビニール梱包で150袋の本が入荷するのを、4人の社員と6人のパート、3人のアルバイト(+1名は返品)で、15時間(残業含まず)以内に、一日1500件以上のレジ業務と並行しながら陳列するのだ。

内容を理解している時間が惜しいかも知れない。
たしかに15万冊の本が毎日1000冊近く入れ替わる状況で商品タイトルどころか内容まで把握するのは並大抵のことではない。

だが、「愛する」というのは「感心をもつこと」だ。
本を愛するプロの書店員としては、内容把握にまで挑んで欲しい。

慣れと責任感があれば、一瞬で内容を理解できるようになる。
これは現実的に不可能なことではない。








またあるとき、こんなお客様が見えた。

年輩の「おばあちゃん」といった風情の女性が、こんなことを尋ねている。

「マークシート専用の鉛筆をください」

今で言うと toto あたりで使われそうだが、当時は単純にマークシートによる試験用であった。

「マークシート用でしたら、Bか、HBでいいのではないでしょうか?」

接客した従業員は、そんなものがあるとは知らず、通常の鉛筆をすすめる。
だが、婦人は、専用の鉛筆があるという話を聞いたことがある、それが欲しい、と言うのだ。

鉛筆と言えば三菱なので、三菱のカタログを調べてみると、ちゃんと「マークシート専用鉛筆」は存在した。これを取り寄せよう、という話になる。

だが、鉛筆というのは通常12本で1ダース。これが最低単位で、さらに注文単位は10ダース入りの1箱が最低になる。

つまり取り寄せとなると、最低120本を取らなければならないのだ。
おそるおそるお客様に聞いてみる。

「ええと、何本ほど御用意いたしましょうか」

「そうね、8本でいいわ」

112本の不良在庫が決定した瞬間である。

マークシート専用鉛筆は、1本で100円もする。
めったに売れない商品なため、常備せず久しいのだ。
お客様に売れない文房具は、結局、書店がお金を出して、メーカーから買ったことになる。

8本=800円売れて、25%=200円の儲け。
そして11200円分の支出である。

200円のために11200円出すのか・・・?

接客担当の頭に、一瞬だけ事情を話してお断りしようか、という考えが浮かんだ。

だが同時に「お客様の御要望に、とことんお応えする」という理念が浮かぶ。

彼は、この注文を受けた。





後日注文品が届く。間違いなく120本。
婦人に連絡し、結局1ダース買っていただいたときに、接客した彼は婦人から事情を聞いた。

婦人のお孫さんが、こんどマークシート式の試験を受けるのだという。
まさかないとは思うが、いざ試験のときに、全部の鉛筆がボキボキに折れているかも知れない。
そうでなくても、試験というのは緊張するものだから、せめて一番いい鉛筆を持たせてあげたい。
マークシート専用があるというなら、ぜひそれを持たせてやりたかった。

しかし、近所の何件かの文具店では、断られてしまい、ここまで足を運んだという。


「御無理を言いまして」

婦人は丁寧に頭を下げ、鉛筆の入った包装紙を胸に抱くようにして帰ったという。

祖母の愛。
孫LOVEであった。

彼は、しみじみと思った。

無茶な注文には、たいがい事情がある。

それを聞かずに、御用意するのが、粋というものだ、と。





ところで、これには後日談がある。

残った108本のマークシート専用鉛筆は、すぐに完売してしまったのだ。

考えてみると、お孫さんの住んでいるこの近辺の校区で、マークシート式の試験があると言うことである。ニーズはあるのだ。「マークシート試験に最適」とかなんとか宣伝文句をつけて陳列しておいたところ、ポップを残して、ひと月ほどで全滅してしまった。

以後、この商品は、当店の常備品となる。
毎年ある時期にだけ、良く売れる定番となったのだ。

もし、彼が他の文具店のように断っていたら、この売筋商品は、生まれなかっただろう。
この商売は、つくづく先犠後喜だ。








書店にとって、

客注は、確かに、損が出るかも知れない。
客注は、確かに、トラブルのもとになるかも知れない。

だが、お客様としてはどうだろう。

丁寧に対応し、念願の書籍や商品と引き合わせてくれた書店に、また来たいと思うのではないだろうか。

そう、書店の利益は、客注でのみ発生するのではない。それどころか、赤字となる客注販売など、全体の2%ほどのはずなのだ。
残りの98%が通常の利益を上げるのなら、2%のサービスを惜しむことはない。

損と解っていながら、お客様が本を求めることに親しみを感じて、客注に応じてくれる店。

こういう書店であれば、一度客注をしたことのあるお客様は、何度も買い物に訪れてくださる。

先に犠牲になっても、我々は後で歓びがあることを知っている。
客注は、損失ではないのだ。

そして何より、お客様にとっての得るところが大きい。
これを忘れてはならない。








マークシート専用鉛筆の場合は、幸い損失にならなかったが、実際に損か徳か、微妙な時がある。
我々は、もしそれが「このサービスをしたら10万円の損が出る」とかゆー状況なら止めもするが、もし微妙であったら、サービスする方を取ってきた。


こんなお客様が見えた。ちなみにこれは一宮にある店舗でのことである。

「この韓国語のテキストのテープを探しているのですが」

若い女性のお客様だった。
持参された本の巻末に、カセットテープ別売りの宣伝が記載されている。それを頼りに語学教材の棚を探すが、目当ての商品はランク外なためか、見つからなかった。

「すみません、いま在庫がありませんので、お取り寄せいたしましょうか?」

そうきくと、お客様は、傍目によくわかるほどにガックリと落胆なされた。



事情を聞いてみる。

お客様は、日本に来ていた韓国の男性と恋をし、結婚の約束をした。これから嫁いでいくのだという。
彼は日本語も韓国語も話せるので問題はないが、彼女の韓国語はまだまだ未熟で、特になまりのある地方での発音は、ほとんど解らないと言う話なのだ。

ある大手出版社発行のテキストでずっと勉強してきたが、ここになって不安になり、出立の前に、ぜひテープも入手しておきたいとおもったのだそうだ。
渡韓すれば向こうは、すべてネイティブなハングルである。日本語対訳になっているテープがあれば、ずいぶん心強いことだろう。

「ええ、ですからお取り寄せいたします。いつまでにご入り用ですか?」

そう聞いた彼の笑顔は次の言葉で粉砕された。

「5日後に出発なんです」


書籍の流通は、宅配便サービスの発達した今日でも、かなりの時間がかかる。

書店から出版社へ電話注文が届き、出版社から取次(問屋)へ週に一回の定期便で移動され、そこで各店ごとの仕分けを経て、ようやく入荷となる。当然、土日が挟まると、その間の進行はない。

おおよその平均で、14日かかる。
どううまくいっても、5日。しかもこの場合は土日が挟まるために、現実的には7日かかる計算だ。

たぶん、どこの本屋に行っても断られてきたのだろう。
名古屋市中区のアパートに住むという彼女は、ずっと店頭在庫を探し求めて、一宮まで来てしまったのだ。

だがこのとき「名古屋」という言葉を聞いて担当者の目の色が変わった。

「わかりました。そういうことでしたら、なんとかいたします。」

一宮の店は、実は名古屋に対してちょっとしたコンプレックスがある。
名古屋の商圏人口への妬みというか、量販において名古屋には勝てないという意識があるのだ。まあ、これは当時のもので、現在はどうか知らないが。


彼は思った。

名古屋のどこの書店でも、その本は手に入らない。
でもそれが、一宮店で手に入った。

ゆえに一宮店は、名古屋のあらゆる書店より優れている。


ちょっと間違った三段論法だった。

これが適用されるのは、そのお客様のイメージの中でしかないのだが、それでも彼は燃えた。



まず、お客様には送料負担を了承していただいた上で、その出版社から直接宅急便で書籍を送ってもらう、という手を打った。これなら、三日と待たずに届く。

だが、これはダメだった。その出版社は、直接販売をしていなかったのだ。
ならば、と彼はその出版社の出荷倉庫へ直接電話した。
無茶なことをするもので、その場にいた従業員のおばちゃんを口説き落とし、まさに直接に倉庫から送ってもらう約束を彼は取りつけた。

電話から耳を離さないまま、彼は、接客を変わってもらった先輩社員にむけてサムアップ(親指を立てる)サインをする。

・・・やりました!

先輩社員は、握った拳を掲げて返した。

でかした・・・!



だが、ここでひとつの問題が発生した。
倉庫からの出荷のためには、出版本社に伝票を送り、そのうえで発送しなければならない。
となると、到着するのは

「5日後、だそうです」

彼は送話器を押さえて報告した。

つまり、お客様の出発の朝である。その時刻までに届けばよし、しかし届かなければ、当然購入される方もなく、送料もこちらで負担しなければならない。

電話料金は、現時点ですでに赤字に突入している。

彼の目が泳ぐ。だが先輩社員はサラリと言った。

「問題ない。急いでもらってくれ」





客注の仕事というのは、実際に損か徳か、微妙な時がある。まあ、たいがい損なのだが。
我々は、もしそれが「このサービスをしたら10万円の損が出る」とかゆー状況なら止めもするが、もし微妙であったら、サービスする方を取ってきた。





5日後。
クロネコヤマトから小さな荷物がとどく。
すぐさま連絡を取ると、お客様はまさに自宅を出んとするところだった。


数十分後に、タクシーが店の前に止まる。

白いスーツを着た、あのお客様が降りてくる。

すでに切っておいた送料込みの領収書を添えて、店舗入口で会計をすます。

こぼれるような笑顔を、そのフロアにいた従業員で見送る。

「いってらっしゃーい!」
「おめでとうございまーす!」

小牧の空港へ向けて発車するタクシーから、お客様はずっと手を振っていた。

ほんとにずっと手を振っていた。

この店の駐車場は、狭く細長い。しかも慢性的に混んでいるため、なかなかタクシーが出られず、我々は、気まずくなるまで見送りを続けた。




このお客様は、たぶん、もう二度とこの店には来ないだろう。
だから、今回の赤字が補填されるような利益は、この人からは見込めない。

損だとは解っている。
でも、やって良かった。
この店が失ったわずかな金銭よりも、はるかに重大な価値のものを、あのお客様に提供できたのだから。



正味一分。やっと脱出したタクシーが消えるまでの間に、彼はそんなことを考えた。








こういう会社に勤めて、もう6年たった。

実家の近所の住んでいるおじさんが、ある日、店に来た。
聞けばちょくちょく寄っているという。

私の実家から、この店までは20キロほどの距離がある。
そして、その間で寄れそうな書店は、9件。コンビニを含めれば、実に14件ある。

だが、このおじさんは、品揃えと接客、そして注文の応対が丁寧で早いから、という理由で、ここまで足を運んでくださるのだ。
レジを打ち、「ありがとうございました」と挨拶して見送る。



ありがとうございました。

この言葉は、金銭の利益に関する感謝ではない。
「2000円お買い上げで500円の儲けですなゲーシシシシ」とかゆー意味ではない。

本の値段は、再販法により、古書やバーゲンブックを除いては、どこで買っても一定だ。
遠くて安い、も、近くて高いもない。それこそ、近所の本屋で注文して買えばいいのである。

でも、お客様はこの店を選んでくださった。




あまたある書店の中で、この店を選んでくださったこと。

損であっても客注を受け、残業が押すと解っていても本の内容把握に努め、人任せにすれば簡単なことは承知の上で品揃えにこだわる。

この店の姿勢を評価してくださっていること。

それに感謝して、書店員は、ありがとうございましたと、頭を下げるのだ。





私はそういう会社に、勤めている。





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2001.07.15 holy

「違いを創る」


それが、この書店のスローガンだった。

「違い」とは同業の他店舗との違いであり、またある意味では、過去の自店との違いである。


具体的に言うと

「品揃えにおける他店舗との違い」

そして

「接客においての他店舗との違い」

だ。



まず「品揃え」について説明しよう。

皆さんは、自分がむかし読んで感動した本が、いま、どこの書店に行っても置いてないことを嘆いたことはないだろうか。

また、置いてある本はどこへ行ってもあるのに、ない本はどこに行ってもない、ということを感じてはいないだろうか。

これには原因がある。


実は、ある種の書籍には、出版社による「ランク付け」がなされているのだ。文庫本や、コミックはほとんどがそうなっている。

これはあくまで例だが、売れるものから、Sランク(売上実績の上位50冊)、Aランク(同100冊)、Bランク(同150冊)、Cランク(同200冊)、Dランク(同500冊)、Eランク(同1000冊)と、注文書に明記してあるのだ。ちなみにその下には、「ランク外(全商品中在庫の存在するもの)」というのもある。

たとえば、ある書店には、講談社のコミックのために用意できる棚が、500冊分あるとしよう。
当然、売れるものから順に揃えたいのが商人なので、Sランクから揃える。すると、S+A+B+C(=500冊)までで棚が埋まってしまうため、それ以下は注文されず、書店に並ぶことはないのだ。

この注文書に表記されたランクを、全国の書店が鵜呑みにしているため、どこの本屋に行っても、品揃えが同じになってしまう。

講談社が「ヨコハマ買い出し紀行」をCランクから、Dランクに落としただけで、日本中の講談社用許容冊数500冊以下の書店からは、それはもう、いっせいに姿を消すのである。

これが「ある本はどこにいってもあるのに、ない本はどこにいってもない」という現象の原因である。
かつての名作も、時代の流れによってランクの外に追いやられてしまい、姿を消すのだ。



この現象に対して「違い」を作る。

これは、その書店の戦いだった。

まず、500冊置けるなら、S・Aランクを揃えた上で、あえてそれ以下を、全ランクから選ぶ。

Sランクの本を出している、ある作家に人気が集まっているのなら、その人の全著作をランク度外視で揃えてみる。
あるいは久しぶりに新作が出た作家の、過去の名作を揃えてみる。たとえば新井素子の「チグリスとユフラテ」が出たときに、こっそり揃えておいた「星へ行く船シリーズ」が売れたりするのだ。

お客様はランクを頼りに本を買っているのではない。
自分で欲しいと思った本と、その関連本を求められるのだ。

たしかに、ランクが高いのは、多くのお客様の支持を得ている証拠である。
なら、ランクを追うのではなく、その関連本を追ってみる。
この追跡の発想次第で、品揃えにはいくらでも違いを創ることが出来るのだ。



これは、出版社内のランクに限らない。

たとえば、スポーツというジャンルに置いて、やはり売場面積が決まっていれば、「野球」「サッカー」「バスケ」など、有名スポーツの、有名出版社発行書籍で、普通は埋まってしまうだろう。

だが、とりあえずメジャーでおさえとけ、ではなく、基本書籍を厳選した上で、あえて「ラクロス」や「なぎなた」そして「ゲートボール」なども置いてみるのだ。

これは、奇をてらえば良い、という発想ではなく、とにかくこの辺りで、やる人のいる全スポーツの本を、なんとか置いてみたいという気持ちと地域社会への責任感である。

カバティをやる人がいるなら(そして本があるのなら)カバティの本も、ぜひ置いてみたい。

これらは確かに年に一冊しか売れなかったりするし、大型書店にしかできない力技かも知れないが、この店の大きな「違い」となるのは間違いない。

もちろん、この状態で、充分な利益を出すのが担当者の仕事であることは、言うまでもないが。



また「違い」への意識は、出版社のブランドイメージを突破することにもなる。

たとえば、美術の教本といえばたいがい「マール社」や「美術出版社」あたりで揃えることができてしまうため、書店は、つい全セットをその二社で固めてしまい勝ちになる。楽だからだ。

だが、ここにあえて「エルテ出版」をまぜたり「建帛社」というマイナーどころ(すみません)を入れてみるのだ。

マール社は、たしかに幅広い商品を有している。だが、その商品群の全てが、教本としての最高傑作でないのも事実だ。言ってしまえばハズレもある。
それらよりも、確実にレベルの高い本が一冊だけ、出版社の地位的には、どマイナーなところから出ていることもある。

個人的な意見だが、人体デッサンに関しては、建帛社の「人体のデッサン技法」こそが、いかなる出版社のどの書籍をも右に出さない、素晴らしい教本だった。事実、売れている。


こういう本を、流通している分だけで130万冊を超える書籍の海から、探し出し、棚に入れるのだ。


これが、他店との違いを創る品揃えである。

さらにこの切り口が、月単位でドンドン変化していくと、来る度に新鮮な発見のある書店となっていくのだ。




だが、これにはひとつの欠点がある。

それは、ハッキリ言って、担当者は死ぬほど大変 だと言うことだ。

先述の注文一覧表のランクに従った品揃えなら、アルバイトにでもチェックさせられる。
表を頼りに、単純に、売れた本のうち、高ランク商品を発注、在庫内の低ランク商品を返品させれば良いからだ。

出版社の営業さんに棚の管理を任せれば、さらに楽である。とにかく有名ジャンルの本で埋めて、有名出版社の本で揃える。管理は実に楽だ。

だが、そういう本屋を見飽きた人間がやる本屋が、この書店なのだ。





死ぬほど大変である。

だが、それ以上に本が好きな人間だけが、この職業を続けることができる。

私の働いている書店は、こういうところだ。







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2001.07.14 sat

「改装も終わって、人員も増えた本店だが、まだひとつ問題が残っているな」

「鈴木さん(×2)の件な」

「どこでもあることだと思うが、この会社は昔から、同じ名字の社員が同一店舗に勤務することが度々あって、呼び方が毎回問題になる」

「山田、吉田、鈴木あたりが代表的だな」

「姓でなく名前で呼んだり、背の高い吉田を大吉、低い吉田を小吉と呼んだりして切り抜けてきたが」

「でも、今回の鈴木さんは、それぞれの店で鈴木さんと呼ばれてきた上での人事だから、呼び名を変えるのには、抵抗あるだろう」

「では「スズキ」をもじった名前であだなにしよう」「スズキ、スズキか・・・」

「ズッキーニ」

「それだけはイヤだと本人がいってる」

「良いと思うけどなあ」「ベーコンと炒めると、けっこう美味いし」「前世でイタリア人に恨みがあったのかも知れないな」

「そういうわけで、鈴木という名前の呼び方のバリエーション募集中です」




「しかし、なんだな、同じ名字というのはあれだな」

「なんだ」

養子縁組したホモのカップルみたいだな」

「・・・・」

「いや違うって」






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2001.07.13 fri

7/6に、勤めている本店が、改装オープンした。

そもそも、以前に店長であった私の仕事だったのだが、いろおんな面で限界で、天野のあらゆる意味でのあちこちがへし折れたため、新店長に責任が移ってしまったのである。見事にリニューアルオープンすることができたのは、このヒトのおかげだった。冗談ではなく本気でそう思う。新店長は、すごい人だ。

ところで、この改装はやはり大変だった。
三日間店を閉めての改装だったが、連日深夜におよぶ作業が繰り返され、従業員の疲労はどんどん蓄積されていった。
しかも、最終日は業者が清掃にはいるため、夜12時までしか仕事が出来ない。ピッチも上がる。

「今日は、そういうわけで時間がありませんね」

「いま〜、昼の1時だから〜。あと9時間だね〜」

のどかな昼休憩中の会話だったが、弁当を食べる全員の箸が止まった。

「9時間?」「なんで?」

「え〜、いま1時だから〜・・・」

「・・・・」

「・・・・」

「・・・あれ?」

「12−1=の計算が出来なくなってるというのは、ちょっとスゴイですな」

「ち、ちがう〜、あの10−1=で計算して〜」

「Tさん、あなたどこの星の生まれですか」「その星の自転は20時間周期ですか」「停車時間は銀河鉄道管理局の基準ですか」

「ひとを勝手に地球人から外すなよ〜」

「あははは、Tさんコワれてるなあ」

「あはは」「ははは」「ははははははははは」

みんな泣いていた。





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2001.07.12 thu

食事がまともにできるようになった。

店長を辞してからずいぶん経つが、いちばん安心した点がこれだった。

商店に生まれた人間に良くあることだと思うが、食事は、何事もなければ5分ほどで食べることができる。
店長時代の食事風景を記録しておこう。
売場から壁一枚へだてた事務所で、弁当を広げる。エプロンはとらない。ドアも開けておく。

さて、食事だ。

まず、湯飲みにお茶を注ごう。
渇いた喉を、よく冷えた麦茶で潤そうと口をつけた途端に

「店長ー!」

と呼び声がかかる。

「はーい」

コップを置いて売り場へ行く。
出版社からの営業さんが来ていた。10分ほど話をして、事務所に戻る。

気を取り直して、弁当のふたを開けた。
弁当のメインディッシュは鶏の唐揚げである。これを一口ほおばった。下味がきいていて大変に美味い。ここで汁の染みた御飯を口に入れようとした瞬間

「店長ー!」

「はーい」

弁当を置いて売り場へ行く。
お客様からの問い合わせだった。商品の売場に案内し、説明をする。

どんなに怒っていても、ニコニコできる特技の見せ所だ。

15分ほどかかって、食事に戻った。

ふうと息をついて、弁当に向き直る。絶妙の塩加減のサバがまだ残っている。おかずというのは、やはり御飯や薄味の野菜と一緒に頬張ってこそ、その味のハーモニーを楽しめるというものだ。

サバを箸でつまむ前に、ちょっと待ってみる。

約5秒。

店に問い合わせなどの気配はないことを確認し、ほおばった瞬間に

「店長ーっ!」

「うわああああああああああーーっ」

握りしめた箸を白飯に突き刺し(握りしめた箸を白飯に突き刺してはいけません)店舗の床を掘り起こすような勢いで、事務所を飛び出す。




食事風景は、おおよそこんな感じだった。
5分で食べられる食事に30分ちかくかかったりする。
めずらしくとれた休憩時間がこれで終了する。
時間が惜しくて、カロリーメイトを一日ひと箱という生活を以前にやったが、体をこわしたので止(や)めた。

ここまで来ると、もう、同情をひこうとか憐れんでもらおうとか、そういう人間性を超越していて、ただ 書く価値がある、としか思わない。



それでも、一件の呼び出しもなく、10分ほどで食事が終わると「今日は素敵な日になりそう・・・♪」と思うことを、こっそりと自分に許したりしていた。

いまは、店長を辞し、従業員も増えたおかげで1時間におよぶ長大な休憩を取ることが出来ている。

食事がうまい。






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2001.07.11 wed

店長を辞してから、ずいぶんたった。
正直、こころからホッとしている。

6年という勤続年数の三分の二をつとめた店長という責任分担は、私にはやはり重かった。

新店長が来た日の帰りに、駐車場を歩いていて、体中の無意識の緊張がとけて倒れそうになる
このときはじめて、自分がずっと緊張していたことに気がついた。

思えば、この店には、コンピュータを扱える人間が少なかった。そして、トラブルが多かったのだ。
私が店にいるときは何とでもなったが、いない日、つまり休みの日か、出勤前か、退勤後には、実に頻繁に電話がかかってきた。

電話が鳴る瞬間、ISDNのTAがカチッと言う音。これが反射的に恐くなってしまった。ああ、いったいどんなトラブルが起きましたか。いま婚約者と携帯で話しているところなんですが出ないといけませんか。私立文系の私に解決できるパソコンのトラブルが、なぜ誰も解決できませんか。それはまたコンセントが抜けているだけとか、そういうトラブルですか。私が今日何時間寝たか知ってますか。大金を払って契約しているシステムエンジニアは何もできませんか。電話でのSEの指示を誰も理解できませんかそうですか。

休日出勤であり、早出であり、再出勤である。

店長としての責任感から、いつ電話が来るか、という緊張が、あらゆる休みの時間において完全にとけず、つきまとう。
ついには自分のマウスクリックの「カチ」という音にすらも緊張してしまう。TA着信のたびに瞬間的に胃に穴が開くかと思う日々が続いた。




店長辞任は、この責任からの解放だった。
そのとき、体中の無意識の緊張がとけて倒れそうになったのだ。

本当に、そのときまで気がつかなかった。





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2001.07.10 tue

書店員として、自分の好きな作家の新刊が出たとき、その本を陳列する作業中は、けっこうニヤニヤしてしまう。
転じて、コミック全般も好きなので、本を出す作業中は、それほどきつい顔をすることもなく、少なくとも、精神面では平穏なまま作業が進む。

本が好きなわけだし、仕事中にニコニコしているのは、良いことだと思う。

だが、耽美は別だ。

ふだん棚に出している書籍のタイトルあおり文句の例をいくつかあげよう。(参考:比較的上品なリーフ出版の出版物)



「ご主人様とおよびなさい」
  いけないメイドだ。何かお仕置きをしないといけないな

「無器用なのは愛のせい」
  「きみは、ひどい」「ひどくても俺のことが好きなんだろうが」

「Kiss me, 生徒会長さま」
  「まだ駄目……今まで待たされたんだから、そう簡単にはイカせてあげない… …」

「研修医のレジスタンス」
  「やっぱり、ここって中から刺激されるとイイんだ?」

「ダンスはキスの後にして」
  「とうとう、食っちまったか――。」

「フィアンセになりたい」
  「二度とこの俺を忘れないように、その身体に教え込んでやるよ」

「バブルウォーズ」
  「今日の一番搾り。飲んでやろうか?」



こんな本を、三十男の私が、どんな顔して出せばいいのか。

本ののった台車を押して、売り場へ行く。
すると、スプーンポジションといえば聞こえは良いが、どちらかというと百式とメガバズーカランチャーの関係にあるような表紙イラストの小説を立ち読みしていた少女が、そそくさと逃げていった。

エロ漫画を読んでいた少年が、店員のおねーさんに見つかって逃げ出すようなものだろうか。

はあ、とため息をついて、本を並べる。

こんな本をニコニコしながら出していたら、自分は何者ですか。

混乱気味に自問しながら、本を出す。

結局、真面目に仕事をしている人のようなビジネスライクな表情を装って、出した。
普通、仕事中では滅多にしない顔だった。



・・・・


「いや、しかし耽美ネタが続くな」

「妙に受けがいいのが問題だ」

「特に諸方面からは、むかし使った「相撲(すもう)」という表現の受けが良くてな」

「相撲のイメージが悪くなるんじゃないか。相撲好きな人間にはイヤだぞ」

「・・・・」

「・・・なんだ」

「でも、相撲っていうのは・・・」

「すもうっていうのは?」

「裸の男が公衆の面前で全力で抱き合う日本の国技だろう?」

「・・・・」

「ばーい安永航一郎先生」

「・・・・」

「・・・・」

「おまえ・・・」

「いや、だから違うって」






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2001.07.09 mon

結婚する相手が決まってから、同居をはじめるまでの間には「最後のまとまった個人の時間」という意味がある。
したがって、思う存分趣味に興じる、たとえばシナリオ一本に12時間もかかるようなゲームをプレイするのも、テレビアニメの1シリーズを全部レンタルしてきて52話マラソンで観るのも、やるなら今である。

そんなわけで、とりあえず「To Heart」をはじめた。

To Heart は、形式自体はKanonにちかい、選択型のビジュアルノベルである。
放課後の主人公の選択を中心に、ストーリーが展開していく。
だが、その放課後において

二階を歩く
一階を歩く
学校を出る
家に帰る

と言う選択肢があると、一も二もなく、真っ先に家に帰ってしまう。

仕事が押している反動だ。

何事もイベントが起きないままドンドン日付が進む。

「おいおい、このままだとダークプレイになるぞ」
白天野が指摘した。ちなみにダークプレイというのは、誰とも仲良くならずにシナリオを進めるやり方を言う。

白「ここまでの登場キャラクターで気になるやつはいないのか」

黒「うーん・・・雅史かな」

白「・・・・」

黒「ほら、まあ自分には婚約者いるし、女性キャラにはどうも」

白「・・・ああ、結局ダークプレイになってしまった。最終的にエンディングを飾ったのは・・・・」

黒「・・・雅史だな」

白「・・・・」

黒「雅史って、下手するとレミィよりカワイイよな」

白「おまえ確か、耽美担当だったパートさんが退職してから、一時的にとはいえ耽美の担当してたよな・・・」

黒「・・・・」

白「・・・・まさか」

黒「いや、違うって」

白「四店舗あるうち、三店舗の耽美担当者が全員女性で「三人そろってタンビーズ」とゆーお寒い呼ばわれ方されてるなかで、唯一の男性担当者というのは、ある意味もっとも核心に近い立場ではないかとゆ」

黒「だから違うって!」

白「じゃあ、気を取り直して二周目いくぞ。To Heart といえばマルチだな。この子はいい子だぞー、聞いた話によると。」

黒「同一人格の一端がホモで、もう一端はロリか・・・」

白「やかましい!」

黒「ではペド野郎と呼ぼう」

白「同じだ!」

黒「あ、マルチが出たぞ。あたまなでよう、あたま」

白「なでなで〜」

黒「なでなで〜」


結婚するまでに、変な方向に目覚めませんように。

分裂した自分を客観的に観る自分自身が、どこかにいた。






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2001.06.28 thu 〜 2001.06.29 fri

店長時代の末期は、本当に忙しかった。
そのせいで、いろいろ非道いことをやったものだ。

ひとつだけ告白しておこう。

私は「嫌がる女性パートに、無理矢理○○○○○○○○○○○した」ことがある。


私も辛かったのだ・・・。
でも言い訳でしかない。

彼女はうらんでいないだろうか。







(答:○○○○○○○○○○した=耽美小説の担当を任命した)





もしくは

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2001.06.26 tue 〜 2001.06.27 wed

6/11、映画「メトロポリス」を見に行った。
ドイツ製の4時間モノクロムービーではなく、手塚治虫原作のアニメである。

キャッチコピーは「心のないロボットに、愛は生まれるか」。
この類のテーマと来れば、同伴者はこの人、masterpieceさんである。


待ち合わせ場所は、岐阜県羽島市にある「カラフルタウン」
ここは、イトーヨーカドーなどのショッピングセンターや、飲食店街、映画館などの集合店舗である。

1Fフロア中のかなりの面積が、トヨタやダイハツなど、自動車メーカーの展示場になっていたので、映画が始まるまでの時間つぶしに見物する。
愛車のパルサーも10万キロ超えたので、そろそろ換えどきかもしれない。全ての展示場を隈なく見て回る。

「10万キロ走った車のオーナーとしては、この展示場の感想はどうですか」masterpieceさんが訊いてきた。

「コ・・・・」

「コ?」

「コンパニオンがいねえ」

残念がりながら、ナムコワンダーパーク(ゲームセンター)へ向かう。先述の車の流れか、レースゲームが異様に多い。

コーナリングを失敗したら、筐体もクルクル回転するべきだよな、などと無責任なことをぼやきながらオープンカー筐体でリッジレーサーをプレイ中のカップルを冷やかしつつ、歩き回った。


「お、トラックボールのゲームがありますね」

「これで、ピンポイントバリアを、こう・・・」

「いや〜ん♪」

低い声でシャミーの声マネなどしつつ、ついでにマクロスだと書かなければ分からないような小ネタをはさみながら、ゲームを物色する。


撃って殺すゲームがコレしかなかったので、けっきょくタイムクライシス2をふたリプレイする。たまにmasterpieceさんが操る1Pを誤って撃ち殺したりしながら、上映時間まで遊んだ。


15時40分。

ゲームを切り上げ、まずい菓子と高いペプシを買って、映画館に入る。


メトロポリスは、以前から気になっていた映画である。
二人とも、情報を一切入れずにこの映画に臨んでいるほどで、気合いも充分だ。


編集が上手いので、つい観る気にさせられる「千と千尋の神隠し」の予告が流れ、そして、メトロポリスが始まった。





二時間後。






ガラガラ、というか6人しか入っていない映画館を無言で立ち去る。

「さあ、筋の確認をしましょうか」

とりあえず、パンフを買い、映画館を後にした。

「メトロポリスは、おもしろい!」
「映画館の音響設備が良すぎて、誰もいないサラウンドのスピーカーあたりに人の気配がする!」

などとやかましく話しながら、落ち着ける飲食店を探した。
最初、甘味の店に入ろうかと思ったが、1400円のケーキセットというのが、どうしても納得できなくて、結局、安いオムレツ屋に入る。

座った途端、メトロポリスの感想、そしてロボットのココロについての話で盛り上がった。

遠慮なく、ロボットとかゾンビとかとかマルチとかヨコハマとか人類とか子供を産むとか殺すだとかいろいろ口走って語らう。

我々は、店の従業員や近接する席のお客様がたの眼に、どんな人種に写っただろう。

夜想曲内に上記二つのコンテンツをつくり、公開してあるので、会話の内容については参考にして欲しい。

結局

「ココロのあるロボットを作るのは日本人だ!」

という結論に達したころ、粘りに粘っていたオムレツ屋を閉め出された。

時刻は21時を回っていた。



こういう話ができるのは、やはり彼をおいていないと認識を新たにする。
また一方で、彼は、わたしの大切な友だと実感した。

ここにはまだ書けないが、オムレツ屋では、ロボット談義の後、私の拙い心情の吐露を、彼は懸命にきいてくれた。
このごろのKanonやAirのネタは、さすがに辛いようだが、日記に書かれている事を通じて、私のことを本当に良く理解してくれている。
寝言日記大団円間際に、こっそりやっていた黒バック黒文字の「count dawn」も、気がついてくれていたのには驚いた。

いままでも友達のつもりだった。
でも、いまは本当に、大切に思う。




最後に駐車場で、おみやげを交換した。

私は、「あずまんがリサイクル」とブルーベリーのジャムを。
パソコンを常用している人間にとって視力の低下はとても気になる。私もそうだし、彼もそうだろう。そう思って、これを選んだ。ブルーベリーは目にいいと聞く。ほかには、彼が読んで無さそうなコミックをいくつか貸した。

彼からは「チョコエッグ」をもらった。
恥ずかしくて、深夜のコンビニで、ひとつふたつと買っていたのだが、かれの土産は箱単位である。大人の買い物だった。

どこにもテキストで露出はしていなかったと思うが、よく私の喜ぶものが解ってるものだなあ、と驚く。欲しかった雷鳥とアライグマが二匹ずつも入っていてホクホクだ。


そしてもう一品は「ガンジスのスゴイ水」だった。

「・・・・え?」

「ガンジスのスゴイ水です」

「ヴィダーインゼリーの容器に入ってるんですか?」

「あぁ、これは私が汲んできたから」

「日中の熱のせいかパンパンにふくらんで、飽和励起状態になってますけど」

「あー・・・これは、ちょっと飲まない方が良いかな」

「こ、これって中身は真剣になんなんですか!?」

「いや、だからガンジスのスゴイ水なんですよ」

「成分未調整?」「そう」

「生きて腸まで届きます?」「何が届くやら・・・」


甥っ子が春のお祭りの時にすくってきた金魚が、うちの水槽にいる。
水槽の大きさの割りに数が多すぎて、ドンドン死んでいった中で、なんとか生き残った四匹がいる。
大自然を上回る地獄のよーに過酷な環境で生き抜いた金魚だ。彼らの生命力は、驚嘆の一語に尽きる。

とりあえず金魚(検知器)に飲ませてみるか・・・。

そう思って受け取った。



肌寒くなった駐車場で、再会を約す。
交差点で、車を並べ、そして別れた。

充実した休日だった。





家に帰って、しばらく逡巡したのち、件のガンジスウォーターを、自ら飲んでみた。
美味かったような気がするが、緊張のせいか半分も味がわからなかった。

飲んでから24時間たったところで「無事です」と報告したら「生育までに二週間」と言われた。




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2001.06.24 holy 〜 2001.06.25 mon

実はずいぶん前のことなのだが、店長を辞めた。

5月14日のことである。

私が本店の店長に就任してから、しばらく後に、成績が落ちだした。いまだもって回復していない。
通常6人で運営すべき店舗を5人で回す、しかも新人一名以外の4人は、私を含め色々問題のある顔ぶれであることなどなど、条件に問題はあったが、それをコントロールするのが店長の仕事だった。

しかし、それが出来ず、実績が下がった。責任をとるのは当然のことだった。

最近ようやく、入社以来の三分の二をすごした、4年という店長勤務の時間を振り返ることができている。

それはまた後々に語ろう。



解任が決まってから、従業員にそのことを話した。

「店長は、ただの天野さんになっちゃうんですか」

「ただの・・・まあ、そういうことです。とりあえず5月14日からは新しい店長さんが来るので、よろしく。支えてあげてください」

「わかりました。ところで店長(天野)のことは何と呼べばいいんですか?」

「うーん、では 天野様 と」

「・・・・」

「・・・・」

「・・・・」

「すみません、ごめんなさい。天野さんで良いです」





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