2000.04.29 sat ・ 2000.04.30 holy

むかし、小学生くらいの時、わが家にはすでにビデオデッキがあり(時代的には珍しかった)(ちなみにベータ)それでテレビのアニメや洋画劇場などを録画して楽しんだ時期があった。
テレビで放映されたとはいえ、映画館に行かなくては見られなかった作品が、いつでも見られるというのは、とても得なことに思えたものだ。

ただ、どうにも気になったことは、CMである。アイキャッチが入って、コマーシャルが入る。放送時には仕方がないが、ビデオを鑑賞する段では邪魔でしかない。
これをなんとか手動でカットする作業をしていたが、下手をすると作品自体が切れてしまうし、なにより物語に集中できない。私はそのとき切に願った。
ああ、CMに特殊な信号をかけて放送してくれるという条件で、それを感知したビデオデッキが自動的にCMカットするような、そんなビデオが出てほしい!
いつか、かならずそんなビデオデッキが発売されるだろう。消費者のニーズがあるのだ。出れば売れるに違いない。
私は、中学生くらいまで、そう思っていた。

その願いは、しかしテレビ局関係の仕事に就いたとき、無茶だと分かった。
ついでに、レンタルビデオ部門のある書店に就職したときには、そんなビデオ出されてたまるか、と思った。
商業主義と夢には、おおきな溝がある。

(ところで、私が知らないだけで、そういうビデオってあるのかも)
 
 
・・・と思っていたら、すでに発売されているようです。あらら。
世の中、便利になったものですが、スポンサーにはぴくぴくなビデオですな。







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2000.04.25 tue 〜 2000.04.28 fri

実は最近、人事があって、勤務店が変わった。
二年半ぶりに、岐阜の店に戻ることになったのである。
岐阜の店は、それまでの愛知の店に比べると、通勤距離も格段に近いし、フロアーもひとつ少ないので楽になるな、と思っていた。少なくとも同程度の仕事量であっても、通勤時間短縮による余裕はうれしい。

最初の頃は、働きながら、
まあ、前の店では、死ぬ死ぬ言いながら働いていたけれど、一階分少ないし半殺しくらいですむかな。
などとのんびり思っていたら、前任の人物が思いっきり外商の仕事を残していったため、現在、死に体である。
いままでの仕事にプラスされたのは、この外商と、新人教育であった。ここに来ても忙しさが加速するような気がするのは気のせいだろうか。

まあ、そうでなくても、売り上げ自体は、前店とそれほど変わらないので、考えてみれば、前の店より楽に過ごせるわけがないのだと悟ったときにはすでに朝の八時である。

仕事を切り上げて、帰る運転中にも、たびたび居眠りをしてしまい、一度は対向車線に完全に飛び出したこともあったが、はっと意識を取り戻し、事なきを得た。
ああ、いかん死ぬわこりゃ、と車を路肩に寄せて、仮眠をとる。
その薄れゆく意識の中で、

岐阜県の小人さんは、ちゃんと起こしてくれるんだなあ。

と、私はすこし感心していた。






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2000.04.23 holy ・ 2000.04.24 mon

親しい友人が、誕生日を迎えた。
名前を明かすと本人さんが照れると思うので、Mさんと呼ぼう。

Mさんは、優しい。
でもMさんは、優しいから、いっぱい傷ついてきたんじゃないかと思う。
Mさんは、いいところいっぱいあるのに。

Mさん、がんばろうね。







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2000.04.19 wed 〜 2000.04.22 sat

恥ずかしがり屋(笑)なせいか、自分は、感情を露わにして怒ったりすることを滅多にしない。
私が引っ込むことで、場がまるく収まるなら我慢しようと思ってしまうのだ。円和を重んじるO型の性格である。
だからというわけでもないが、場合によって、気持ちとは裏腹な表情をすることもできる。

たとえば万引きを捕まえたときなどに、
笑顔でニコニコしながら
「あんまりふさげたことをいってると、髪の毛とか燃やしちゃうゾ♪」
と極めて明るい口調で話すこともできる。
心の底から怒っていても、微笑むことができるのだ。

これをやると後で説教するときに、説得力を欠くので、よっぽどのことがないと、こういう話法は使用しない。
いままでやったこともないが、この間とりにがした、デジモンのカードを1万円近く万引きした小学生(発見できず)が捕まったら、
「背中の皮を、ラヂオペンチでねじ切っちゃうヨ♪」
とか
「くちびるなんかハサミでジョキジョキ切っちゃうゾ♪」
とか言って恐慌状態にしてみたい。






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2000.04.17 mon ・ 2000.04.18 tue

言葉使いをはじめとして、親の影響というのを、子供はまともに受ける。
店に来た小学生くらいの男の子が「おお、いい女がいるなあ」とか言ってるのを見て、彼の父親の言動の、まさに投影であると思ったことがあった。
親が野卑な言葉使いをしていれば、子供もそのごとくの言動をするようになるのだろう。

自分も、比較的ていねいな言葉を使う方だと思っていたが、ふとしたときに出る言葉が、甥っ子や、未来に生まれるであろう子供に、どんな影響を与えないとも限らない。今のうちから、修正しておく必要があるだろう。
たとえば万引きをした少年などを捕まえて、その子に反省の色がなかったりすると、つい「糞食らえ」とか思ってしまうことがある。

いけない。
いけないことである。
「糞食らえ」というのは野蛮な言葉だ。ちょうど、この言い方に関しては、ある掲示板で丁寧になおした言葉を聞いたことがあるので、ちゃんと、言い直そう。
うむ。では。

「糞食らえ」→「排泄物お召し上がりください」

・・・・。
いや。
これはこれで、なんだか逆に悪質な気がする。敬語というのは難しい。







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2000.04.15 sat ・ 2000.04.16 holy

原爆アイスに関する問い合わせが相次いだので、ちょっと書いておこう。
原爆アイスとは、近所にある「満月堂」という食堂のメニューで、練乳をたくさん使ったアイスクリームだ。
小さな金属のカップに、ちょうどニワトリの卵くらいのアイスクリームが、盛りつけてあり、スプーンがさしてある。味は濃厚で、量は少ないが食べ応えがあった。

なぜ「原爆アイス」という名前なのかは、よく分からないが、別にスプーンを引き抜いた瞬間、アイスクリームが内側に向けて破裂し、核分裂が始まるとか、一万分の一秒で半径6メートルの範囲では温度が30万℃に上昇するとか、30秒後に半径360メートル内は完全に破壊されるとか、半径1,500メートル内は重大な損壊となるとか、予想出力はTNT換算で10キロトンであるとか(参考図書:手製原爆の製造法)そういうわけではない。

でも、はじめてこれを食べたときには、妙に緊張したことを憶えている。
原爆と言うからには、アイスに混ぜてある放射能が舌にピリピリして美味とか、100個に1個の割合で「当たり」のアイスがあり、そのスプーンを抜くと・/FONT>アイスが爆発するとか(いや、それはむしろハズレか)いろいろ物騒なことを考えた。食べたら普通に美味であったが。

名前の由来は、おおかた、
原爆が落ちても、栄養のあるものをを食べてれば、大丈夫!
とかいう放射線の影響などまったく度外視した無責任なキャッチコピーで、情報の混乱した終戦後にうまれた商品なのだろうと思う。
そういえば、ウソか本当か知らないが、チェルノブイリがアレしたとき、大阪では放射能よけの焼きうどんが人気だったそうだ。厚さ1メートルのコンクリート壁でも染みだしてくるような放射能に、焼きうどんがどのように有効なのか、ぜひ聞いてみたかったが、たぶんこの商品は、もう店先から消えているだろう。
情報が混乱するのは、戦後も今も、変わらないようだ。

いつかは、店に人に真相を聞こうと思っているが、もしすでに知っている人がいたら、メールや掲示板で教えて欲しい。






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2000.04.13 thu ・ 2000.04.14 fri

誕生日占いの本が、よく売れていたので、ちょっと読んでみた。
自分の誕生日は、6月27日である。

「この日に生まれた人は、なんでも好き嫌いなく、よく食べるため
太っている。

というようなことが、その本には堂々と書かれていた。昔、占いのソフトでも、そんなことを言われたことがあるので、デタラメではないのだろう。
疑問にも思ったが、当たっているといえば当たっている。いま現在92キロ・・・いやすみません、93キロの体重なのだ。

一読し、本を置いたとき、突然わたしは理解した。

私が太っていることは、実はこの日に生まれたときから、決定づけられていた、動かしがたい運命だったのだ。私の豊満なウエストや、バスト100センチ(でもAAカップ)のプロポーションは、全宇宙の運行をつかさどる偉大な自然の摂理によって、宿命的に形成されたものだったのである。

なるほど! どうりで体重が増えるわけだ!

まあ、生まれた日のせいで太ってしまうのでは、仕方がない。痩せるために甘いものを無理に我慢するのは、天地を貫く大原理に反するのでやめることにし、心おきなく甘いものをいただこう♪

ではとりあえず、満月堂の原爆アイスでも食うか!







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2000.04.11 tue ・ 2000.04.12 wed

「アイアン・ジャイアント(以下I・Gと略す)」を観た。

 期待して観たのだが、期待以上のすばらしさだった。

「大粒の涙」とか「ボロボロと涙が落ちる」という前評判が、はい、ええ、もう誇張でも何でもなく、そのものの泣ける話であった。
物語は、いたってシンプルで、ひねりも何もないのだが、その分、素直に観れば、ダイレクトに感動できる。トリックとか、構成の上手さではなく(感動させる、という点ではたいへんに上手い)直球でこころに来る映画だった。

I・Gは、地球に落下してきたロボットなのだが、その際の衝撃で記憶を失っている。
人格をもっていて、記憶がないために子供のように純粋であり、素直ないい奴だ。助けてもらった少年から、生命のこと、魂のこと、色々なことをI・Gは学んでいく。

今後観る方のために、物語の紹介は省略しようと思う。となると、特筆すべきはI・Gのしぐさや表情の面白さであろう。
顔の造りは単純だが、実に多彩な表情をする。ワッハマン風の味のある表情で、単純なせいか、みていて心が和む。さすがアメリカ人は、表情をつけるのがうまいと思った。
傷ついて辛そうな顔をするところなど秀逸で、気がつくとこちらがもらい泣きをしているほどだ。

泣かせてくれるポイントは、たくさんある。特に後半、ラストのくだりは、もう涙を拭く間が惜しいくらいである。流れる鼻汁もそのままだ。胸元にパタパタと音を立てて滴が落ちる。こころの片隅で「このシャツは洗濯だな」と思いながらも、画面に食い入った。

自己防衛機能のせいで、攻撃兵器を視認すると戦闘モードに入ってしまうくせに、戦車に打たれても、戦闘機にミサイルを撃ち込まれても、決して戦おうとしないのが泣かすぜ!
「ボク ジュウ(銃) チガウ」
わかってる! わかってるよ、I・G!
その彼が、(もう、彼と呼ぶべきでしょう!)あるきっかけによって、一転、戦闘兵器として完全に覚醒してしまった。戦闘が始まるが、この時代の兵器などまったく歯が立たない。その凄まじき破壊能力を見ながら、心のなかで叫ぶ。
ああ、I・G! そんなに少年を愛していたんだね! でもダメだ! 銃になっちゃダメなんだ、I・G!
そしてクライマックス。もう、口を押さえて声が出ないようにするのが精一杯であった。

けっこう書いてしまったが、本編のすばらしさは変わるまい。この映画は、ちゃんと時間をとって観ることをすすめる。レンタルリリースは6/9だ。 
すきな洋画はいくつもある。レオンとか、ブルースブラザーズとかも好きだ。でも今現在、「アイアン・ジャイアント」にまさって感動した映画を、私は思い出せない。





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2000.04.09 holy ・ 2000.04.10 mon

年齢の話である。
それでもガンダムネタなのだが、一年戦争の頃、アムロ君は15歳だった。普通に考えると、ちょっと信じがたい。
そして、ブライト艦長が、当時19歳である。
私は、18歳の頃その事実を知って、おいおい来年には戦艦一隻率いて宇宙で戦争ですか? と思ったものだった。

年月の流れるのは、本当に早い。
25歳になったときには「マカロニほうれんそう」のトシちゃん25才を抜いたのかと、たいがい感慨深いものがあった。
そしてもうすぐ30歳である。この年齢になって振り向いてみたとき、もっとも衝撃的だったことは、

27歳を回りバンコランより年上になったのだと気がついたときのことであった。






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2000.04.07 fri ・ 2000.04.08 sat

暖かくなったせいか、道ばたや信号待ちの歩道で、地面にお尻をついて座っている少年少女がいる。
店でも、本を立ち読みするときに、床に座っているお客様を、みかけることがあった。

私は、彼らをみっともないと思う。
最初は「しつけ」という言葉が浮かんだが、あの年齢では、すでにそうとは言えない。

これは「美学」の問題だ。
彼らは、たとえば地べたに座ることを、恥と思わない。猿のように、どこでも座る。
それを「みっともない」と思う美学がないのだ。

私から見ると、これはかなり格好悪い。美観を損ねるし、醜悪とさえ言える。
これが子供なら、まだいい。しつけの問題だ。

だが、10代から20代の人間がやっているのが現実だ。
彼らには、それを「かっこわるい」と思うような美学がない。

この美学がしっかりしている人は、行動も立派だし、

これがロマンに満ちている人は、行動が感動的になる。

そして、この美学があやふやな人は、疲れれば、どんなところでも、だらしない姿を見せてしまうのだ。






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2000.04.05 wed ・ 2000.04.06 thu

「アイアン・ジャイアント」のビデオが手に入った。

前から、見たこともないくせに「アイアン・ジャイアントはいいぞ〜いいぞ〜いいらしいぞ〜」と歌ったり踊ったりして、レンタル部門の担当者に、そこはかとなくサブリミナルなアプローチをしていたおかげで、サンプルのビデオを取ってくれたのだ。(業を煮やしたのかもしれない)

「アイアン・ジャイアント」は、最近雑誌などの映画紹介によく取り上げられているので、知っている人は多いと思う。かの月刊アフタヌーンでも、かなり前から女神さまのテレビ画面に出ていたり、あさりよしとお氏がカットを描くなど、その作家陣のなかでも評価は高く、内容も感動的であるという。

あちこちのレビューで作品のことが語られているが、どのコメントにも、共通する要素があった。
それは
「いい年をした男が大泣きする」
というものである。
趣味が「感動して泣くこと」で、特技が「もらい泣き」という、いい年をした男としては、自然と期待も高まるというものだ。

そして、いま、目の前にサンプルのビデオがある。
だが、これはできれば、休みの日などに精神的な余裕のあるときに、じっくり観たい。
仕事から帰って、朦朧としながら、ついに半分以上眠ってしまったものの話は完璧に理解できた「スプリガン」とはわけが違う。「アイアン・ジャイアント」は、ちゃんと観たい。

そんなわけで、内容の報告は、いま少し後になる。
どんなズタボロの精神状態でも、感動できそうな、そんな予感がする。思いっきり期待して観たら、それほどでもなくて外した、という経験は多々あるが、これは、大丈夫だと思う。
この映画は面白い。
私の直感が、そう言っている。







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2000.04.03 mon ・ 2000.04.04 tue

犬の写真に眉毛を書き込んで、表情を作る遊びがあったが、東京にいたころ、その先駆的なものを目撃したことがある。その犬の名は、たしか「ルー」と言った。
いま思うと、火星人のような名前である。

ルーは、東京時代、近所で放し飼いにされていた犬だ。人なつこく、たまに頭を撫でてやることがある。その日も買い物帰りに、商店街でルーを見かけた。

なにかもらえるかと思って近寄ってきたルーの体の左側面には「◯◯精肉店」という店名と電話番号が、くっきりとマジックで書き込まれていた。
ルーはたぶん、その肉屋で飼われているのだろう。ひとなつこい性格をみこまれて、広告にされたのだ。

「えらいなあ、ルーは」
などといいながら頭をなで、ふと右側面を見る。
その身体には、首からお尻にかけて
「肩、ヒレ、ロース、リブ、ランプ」と、まるで牛の食肉切り分け表のように線がひかれ、それぞれに肉名が書かれていた。あまりのインパクトに、私は声を失った。
ルーはひとりハッハッと舌を出している。
「え・・・」
「えらいぞ、ルー・・・」
私は、やっとそれだけの言葉を出した。

いくらなんでも、犬の肉を店では使うまいが、以来わたしは、ルーのことを心の中で「非常食」と呼んでいる。ところでエクセルサーガで、「メンチ」という犬が出てきたときには、ちょっと驚いた。
広告のつもりは判るが、精肉店であれはやめた方がいい。







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2000.04.01 sat ・ 2000.04.02 holy

懐かしい話だが、「劇場板エヴァンゲリオンDEATH AND REBIRTH 」が、wowwow で放送されたことがあった。本編前に、ちょっとしたおまけが付いている。庵野監督がテレクラに入っている様子を撮ったものだ。
折しも、そこでエヴァンゲリオンの話題になった。
「映画になったってね、エヴァンゲリオン。もう見た?」と女の子が電話の向こうから聞いてくる。
「うーん、見たって言うと、見たのかな」
庵野監督は、そう応えていた。

アニメーターにとって完成した映像というのは、技術のかたまりにしか見えないときがあるという。

部外者からみれば、アニメは、描かれた人間が動き、しゃべり、ドラマが進行していく物語であり、インサイドしやすい人にはバーチャルな現実ですらある。

だが製作側は、それがどのような作画技術・撮影技術・編集技術・音楽音響技術で出来てきたか、全て知っているので、素直に感動できない。どんなに感動的な場面であっても、技術のかたまりに見えてしまうことがある。
これは技術を用いて感動を産もうとする者の支払う、代償であり、犠牲であろう。

よく、好きな分野を仕事にしていけたら最高だ、という話をきくが、こういう弊害もあるようだ。
やはり趣味は趣味としてとっておくのも、ひとつの道である。





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