夕闇の時代

Grandfather's Clock

(2002.01.23 wed)




夕凪の時代から100年。
おじさんもタカヒロも、マッキも、そしてオーナーも消えてしまった時代に、ひとり残されるアルファ。

長い間には、放浪をしたこともあった。
あちこちで顔見知りもできた。

それでも彼女は、この地に戻る。
そして老朽化したカフェアルファの一室で、彼女は自らの最後を迎えた。





大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計

百年いつも動いていた 御自慢の時計さ

おじいさんのうまれた朝に 買ってきた時計さ

今はもう動かない その時計

百年休まずにチクタクチクタク

おじいさんと一緒にチクタクチクタク


今はもう動かない その時計








この絵についての感想を、ちょろぼヨコハマ掲示板のmasterpiece先生よりいただいた。


Aタイプの寿命はおじさんやタカヒロ、マッキよりも長いでしょうが、アルファさんは彼らのいない世界に突然行くわけではありませんから、時が移るに従って新しく出会った彼らの子孫や余所から来た新しい御近所さんと楽しくやっていくと思います。でもそこにはやっぱり同じ舟に乗っていない違和感があるに違いありません。愛した者達とは、同じ時代を生き、そして死んでいくのが一番いいのだと思います。 (その時ちょうど恋をしていてまだ死にたくないとか思っていれば別ですが。)

天寿を全うせずに死んでしまうのは悲しいだけですが、100年生きれば思い残すこともだいぶん減っていると思います。残りは次の世代に託してもいいんじゃないかな。
アルファさんは子供を残せませんが、心の系統ならば残せるでしょう。 アルファさんと共に過ごした子供達にアルファさんの心のカケラが伝わっていくのです。

この絵では人類は減る一方で子孫や新しい御近所さんも来なかったのかな。 隣人としての役目が無くなった A7が寂しさからその活動を停止して何年も経った感じで。(masterpiece)




永遠に生きる違和感、アルファさんの死、その動機。
いつもながら絵の本質をとらえた感想で、恐れ入る。






賢明なる生き物は、自分の死期を悟ることが出来るのではないだろうか。

A(アルファ)型が、永遠に生きることが可能だとしても、それは人間に酷似した精神にとって、極めて不自然なことだと思う。肉体を持ち、目の前で、次々と生まれては老いて死んでいく人間を見ながら、永遠に生きる・・・という不自然さだ。これに耐えられる精神は、おそらく存在しえない。

だが、アルファさんの精神にも、自然の摂理がちゃんと働くのではないだろうか。
それが、聡明なロボットに生じる「死期を悟る」という現象であると思う。(もちろん、こんな描写は原作や設定にないが)

masterpieceさんが指摘するように、寂しさから活動を停止した、とも考えられる。私にも、絵を描いている間、その構想はあった。

だが、このアルファさんは、あるとき自らの使命(隣人としての役目、という説は私も近いと思う。たぶんアルファさんは、分かっていないようで、それをとらえている)と、生きて築いてきた人生に満足したのではないだろうか。

そして死期を悟った聡明な精神に従うように、彼女の機能は停止したのだ。
それは、ごく自然に行われたことだろう。



この絵に描かれている彼女の停止は、他者による破壊でも、自殺でもない。

そうだとすれば、大往生であり、大きく見れば喜ぶべきことだ。
しかし、永遠に朽ちることのない彼女の亡骸を見るとき、我々は寂寥感を禁ずることはできないだろう。

もしも、アルファさんが、寂しさからその生を「中断」したのであれば、外部からのコンタクトに反応し生き返る可能性もある。だが、私が思うように、自分の生命を完遂しての「停止」であったなら、昇華した彼女の魂は、身体に戻る必要はないだろうと思う。
そして100年ばかし遅れて、タカヒロやマッキやおじさんや先生や、そしてオーナーのところへ逝くのだ。




ところでこのテーマについては、masterpiece先生により、「夕闇の時代」の後のストーリーが描かれている。ココネさんの立場からもう一つの結論を落としたSSである。

「Grandfather's Clockに寄せて」

いつもながら、いや今回は特に、想像を絶する方向に展開している良作だ。






製作環境:PowerMac G4 450・WACOM FAVO・Painter7

「おじいさんの時計」は、むかし聞いたときはおじいさんの死を示しているようで泣いたものですが、いま永遠に生きるロボット(流れに置いて行かれる岸の者)という概念があると、時計の方に感情移入してしまいます。不思議ですね。

最初は「わかれのとき」の続編と考えていたのですが「死」を暗示する小道具ということで拳銃を思いつき、そのままアルファさんになりました。ですからラフ段階まではココネさんだったのです。

もともとは、どこかで「大きな胸のメイドロボ おじいさんのセリオ〜♪」という切なげな替え歌を聴き、そこから出た発想でした。
絵は、ワムウのリングをジョジョに残して死んでいくシーザー(ジョジョの奇妙な冒険の二部 懐かしいなあ)みたいな「満足して力つきた絵」を考えていて、白っぽくアイリスを飛ばして、キレイに昇華された命っぽく描こうと思っていたのですが、たぶん、蜘蛛の巣がいかんかったんじゃないでしょうか。おそろしく侘(わ)びしい絵になりました。

でも、こういう寂しくて切ない絵にも、わたしはひかれてしまうのです。



アルファさんが持っている拳銃は、オーナーから護身用に渡された例の宝物です。棺桶に入れるようなつもりで、死ぬときに持っていきたいと思った宝物なのでしょう。

でも、絵だけ単体で見ると、誰かを撃ったアルファさんが、脱力したまま停止したか、まさかの自殺のようにも見えます。これはこれで、ドラマですが。

ちょろぼの掲示板や某所の画像掲示板などに先行アップしたのですが、いろんな人から口を揃えたように「何かあったの?」と、心配されるなど、いつになくレスが多く、ちょっと嬉しかったり。

こういう「やな最終回っぽい絵」って、もしかして、夜想曲の「特殊な魅力」のなかでもちょっと有力ですか? 



















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