ふたりの船
blue city
(990301mon)





北の町の見える丘。
アルファに誘われて、ココネは初めてここに来た。
 
「はー、ここですか」
「そう、ここ」
「個人的なイベントっていうのは・・・?」
「まだ時間があるの。ちょっと早く来すぎちゃったかな」
「あ、わたしお弁当つくってきたんです」
「わ」

アルファはうれしそうに手をあわせた。

「サンドイッチ・・・」
「サンドイッチっていうと、あのパンでハムとか玉子をはさんでたべるという・・・」
「大丈夫ですよ。作ってきたのはジャムとか甘いものばかり挟んできましたから」
「なあんだ、安心したよー」
「タマゴとかもダメなんですか?」
「うーん、動物性タンパク質はダメみたい。慣らしていこうとは、してるんだけどね」
「そうですか。えーと」

ココネは籐の鞄を開いた。



「これが野いちごのジャムサンド、あんずジャムサンド、チョコレートサンド、それはトマトとレタスです。こっちはスコーンとニンジンのクッキーです。」
「おいしい! これは?」
「ゆであずきとホイップクリームをまぜて、はさんでみました」

気にしないで食べていたアルファは、ほどなくしてひっくり返った。

 
全身の神経がビリビリと振動している。総覚的には、じ〜んと響く感じだ。
さっきまで泣いて平謝りに謝っていたココネは、ひざまくらをしてくれている。
「大丈夫ですか、アルファさん。本当にすみません・・・」
「ううん、もう大丈夫だよ。だいぶいいよ」

半身を起こす。
 

 
夕景に、空が焼けてきていた。

やがて天頂から群青が降りてきて、空を夜がつつむ。

「これ・・・」

「そう、これ」

 

水没した街の上で、無数の街灯が光っていた。

 
 
ヨコハマ考
社会的な地位など、すべて取り去った、ありのままの姿というのは、現代の社会では特にちっぽけに見える。
長い間つとめてきた功績や、たとえば社長といった地位が、まるで自分自身の一部のようになってしまい、いざそれがなくなると、急に自分がみすぼらしく思えてしまう。ありのままの姿とは、そういうものになってしまった。
たとえばアルファさんは、何ももっていない。とても自然に、ありのままに生きている。彼女から奪うことのできる社会的地位などは、あまりないが、仮に全てを奪っても、彼女はあまり変わらないだろう。
わたしはそんな彼女がとても好きだ。

「常連」という言葉でその距離を置いてはいるが、アルファさんに恋をする人は、作中の世界でも多いだろう。しかし、彼女は変わらず、時とともに恋する者だけが老いていく。残酷なことだと思う。
やがて訪れる別離を、苦しみとして予感させないのは、おじさんとアルファさんの仲がいいからだろう。こんな関係になれるならと、我々は安心できる。
しかしそれでも、ロボットと思ってしまうとき、私が安心して描けた「二人構図」の絵は、アルファとココネだった。彼女らは、同じか、同じ航路と速度の船にのっている。


制作環境:Macintosh Performa 5440(88MB)・Painter4.0・Photodeluxe・WacomArtPad2

北の町(横須賀だろうか)を見下ろす丘の上で、弁当を広げる二人。六巻のレコード3を見て思いついた絵でした。
二人が座っているのは、作中でアルファさんが腰掛けている、円環状の塀のつもりでしたが、描きあがってからよく見ると、こんなに幅はありませんでした。
小物(水筒とかサンドウイッチとか)を描く楽しさを発見した絵でした。



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