誕 生

beginning

(990805thu)





「わたし達はどこにゆくのだろう」

「永遠」の代わりに手に入れたもの

あたらしい、いのち。

いつか、朽ちる日がくる

寂しくない、といえば嘘になる

こわくない、といえば嘘になる

でも、わたしの中でいきづく

この、あたらしい「船」が

わたしを

もうひとつの永遠にみちびいてくれる





この詩は、忙しい湖(めぐみ佳)さんから、いただきました。







「誕生」解釈についての諸説

表現したい要素が、絵としてあるていど完成しているため、この「誕生」には、ほとんど、なにも解釈を表していませんでした。そのせいもあって、掲示板へのプレアップをしたときから、この絵に関するヨコハマ的な解釈が、たくさん、メールにて送られてきています。

いわく、「ココネが、人間として生まれ変わったイメージ」
肌の美しさ、赤ちゃんのようなみずみずしさ、ほんとうに人間と区別がつかない印象が強かったようです。
ロボットや人形が、人間として生まれ変わる、憧れていたものになれる、という童話のようなイメージです。

いわく、「ココネがその身に「命」を宿しているイメージ」

ポーズ、乳房、目をひく「おなか」の印象が強かったようです。そして、A7シリーズが、一代きりしか、その世代を持たないこと(いまだ憶測)への抗議と、新しい命への憧れからでしょう、このイメージは多くの方が、思ったようです。
もし、絵のココネが、隠れている右手で、お腹を愛しげにさすっていたら、その目がうっすらと開いていたら、そして口元に笑みがあったら、間違いないところでしょうね。

いわく、「ココネが、ロボットとしての寿命を終え、朽ちていくイメージ」

これは、ラフ画を描いた当初、私が持っていたイメージです。
死期を悟ったロボットが、それぞれに、思い出の場所へ行き、朽ち果てる。
そんな絵のつもりだったようです。

注:ラフ画はこのページの一番下に。



創造の喜び

ところで、完成形のCGを仕上げているとき、上記三者の印象は、私の中には無く、あくまでロボットのヌードとして仕上げる気持ちがありました。
正直、この絵は、描くのを怖く思ったものです。なんども仕上げにはいることを、ためらいました。
まだ、ラフ画の段階で、エロスと芸術の明らかな分化がなかったからでしょう。

ですが、思い切って、描いていくうち分かってきました。
これは、ロボットであり、生命である「ココネ」を、創っていく作業なのだと。

この絵を描きながら、人間とロボットの違いについて、考えざるをえませんでした。この絵を人間として描いてしまうこともできるはずでしたが、私は、ロボットとして描いています。どこが違うとは言えませんが、描画動機の問題です。できれば、骨格や、内部構造などロボットであることを視覚的に分からせてくれる「絵」が欲しいと、描きながら思いました。
どんな風に骨があって、どんな風に筋肉がつながれているのか。それを考え考え、描き進めました。わきから見える背中の線など、その結果ですし、鎖骨から肩への線もそうです。そして、おなか。うすい腹筋があって、その奥に、内蔵が入っていそうに見えるでしょう? (これじゃ、危ない人だなあ)
この絵を描きながら、私は擬似的に、ロボットを、あるいは、生命を創造したような気分でした。
これは、人体をたくさん描き続けてきた、ある程度のキャリアがなければ、できなかったことでしょう。

完成形ができたときの喜びは、一種の感動でした。
絵描きには、こんな喜びがあるのだなあ、と驚きました。ま、バーチャルなものですけど。

 

作画の苦労と助け

胸は「けっこうある」という説が、某ホームページにありましたが、まあ、絵が絵ですし、エロスを抜く意味でも、そして、わたしにとってのココネさんの胸ってのは、これくらいが可愛くていいのではないかとおもうので、このように。
それに、これ以上大きくすると、体全体のバランスが、おかしくなりそうです。顔、胸、おなか、脚と、バランス良く注目されるには、これくらいがベストと判断します。

ところで、この絵の中で、もっとも苦労したのは、乳首です。
はっきりいって、恥ずかしくて描けません。

何をいまさら。(どういう意味か)
天野さんほどの人が。(だから、どういう意味か)

とおっしゃる方も多いと思いますが、これは本当に恥ずかしい。
もう、控えめに控えめに、しかしリアルに、描きました。
でも、恥ずかしさがなくなっていたら、たぶん、こんな綺麗な絵は描けなかったと思います。

このCGを描くとき、助けになった曲がありました。エンヤの曲です。
いのちの生まれる、海の音をイメージしてかぶせながら「シェパード・ムーン」より、How Can I Keep from Singing. を中心に、リピートをかけつづけました。
もう、あまりにもぴったりで、これなしには、この絵は完成しなかったと思うくらいです。


おまけ「ラフ画」

ラフ画のころ、この絵は、寿命を終えたロボットが、朽ち果てゆく姿でしたから、表面処理もあえてザラザラでした。そのままのイメージでしたら、いまにも、砂のように崩れ落ちそうな絵になっていたかも知れません。永遠と思われた、ロボット達の生命の終わり。静かに、老化もせず、成長もせず、ただ終わって行くだけの、ロボットとしての人生の終わり。
そんなイメージが、ラフ画の当時には見えていました。
ラフ画は案内の下に。




[もどる]