「私のせいで……」

こらえていたはずの涙が、一粒頬を伝った。

「彼女が納得した結果よ」

不安とか絶望とか孤独とか怒りとか、私から一気に吹き出したすべての感情をお姉さまは受けとめてくれた。私は、あふれる涙を止めることはできず、お姉さまの胸で泣き続けた。

「でも、私に会いさえしなければ」

栞はリリアンで幸せな三年間を送っていたかもしれない。

「そうね。でも会ってよかったのよ。人生は勉強だから。会って良かったって思える未来にすれば、それでいいのよ」




マリア様がみてる「白き花びら」より






導き

super rosa gigantea

(2004.03.15)




第三者あるいは社会という外部によって、否も応もなしに愛する者と引き裂かれた苦痛。
それはなにかを憎ませるのに、充分すぎるほど足る理由だ。
たとえ自分のせいだと自覚していたとしても、それでも恨みを抱く人間は憎む対象を求める。

憎らしい何か、恨めしい誰かを憎悪すればするほど、こんなにも憎んでいる自分が、転じていかに失ったものを愛しているかという仮初めの実感がもてるからだ。愛する実体を失い、飢え乾いたその人にとって、その実感は快楽となる。たとえ愛に似て非なると分かっていても、彼の人は毒のように甘美な、憎悪という快楽を求めるだろう。

だが、佐藤聖はそうならなかった。
それは、自分のこころの底まで招き入れたひとを奪われるという、いわば半身をもぎとられる苦痛にうちのめされたこのときの聖をうけとめ、彼女が曲がってしまわないように、短い期間とはいえしっかりと導き愛した、聖の「お姉さま」の存在があったからだろう。

私は、聖の時代の白薔薇さまに憧れる。そして、彼女にとても感謝している。





実は「マリみてで好きなキャラは?」と聞かれれば「聖さまとそのお姉さま」と答えかねないくらい「お姉さま」好きです。それでずっと絵にしたかったのですが、その聖さまのお姉さまは、原作中において名前も絵も特徴的な身体描写もありません。先日ようやくアニメの方の「白き花びら」次回予告で「それらしいお顔」が拝見でき、大喜びで描いてみました。

とはいえ、絵の方は全般に設定を無視してます。
ホームのシーンでは、次回予告によると黒いコートを着用されていたようですが、原作派の私としては、やはりリリアンのコートは白系として。
あと、原作にすら描いてなかったですが、このときM駅には雨が降ってたのではないか(根拠無し、というか間違いなく降ってねえ)と思い、しらたきのような雨を。まあホントのところは背景が寂しかったからなんですが。
あと、聖さまはかなり背が高いはずですが、胸で泣いて欲しかったのでお姉さまにはビールケースにのっていただいております。それと、この構図だと母娘像になってしまいやすいので、表情はなんとか「姉」っぽく。そして描きあげてみて気がついた最大の問題が。そう、この絵単体では


 説 明 な い と 何 の 絵 か わ か ら ね え


という点。

せめて、このシーンの台詞を被せれば「・・・あ? マリみて?」とか、分かってもらえるかもと思い引用。

こういった抱擁絵は、ハーメルンとかKanonとかのコンテンツで昔から描きまくってきたので、個人的にはマンネリ気味です。でも、やはりこのシーンのこの抱擁が、いちばん描きたかったんですよね。


ところで。

聖の「お姉さま」である先代の白薔薇さまを、なんと呼称するか。
一般には「前薔薇さま」とも言われますが、個人的には「スーパー・ロサ・ギガンティア」とゆーのが一番ステキだとおもいますががどうでしょう。















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