教 会
christchurch
(2004.04.27)
誰もいない教会の、おちついた静謐な空気が好きだと志摩子さんが言った。
このチャペルは、志摩子さんお気に入りの、祈りと黙想の場らしい。今日はじめて連れてきてもらえた。
リリアンのお聖堂(みどう)で、大勢で賛美歌を唱うのも厳かな迫力があって悪くないけど、わたしもこういう静かな雰囲気の方が好きだ。
仏像を見に行った先で、お寺の本堂や、静かな庭園にお邪魔することがある。そこで感じた雰囲気は、ここによく似ていた。
「静寂と空間は内省をうながす」と、どこかのお坊さんが言っていたっけ。宗教を問わず、高い精神はこういうところを好むのだろう。
声の響く礼拝堂で、お互いにだけ聞こえるくらいの声で最近あったことをいろいろ話す。菫子さんのこと、薔薇の館のこと、薔薇さまたちや、瞳子や可南子のこと、そして過去のこと、将来のこと。志摩子さんはなんでも聞いてくれる。思えばわたしばかりが、ずっと喋っていた。
日が落ちてきて、石造りの窓枠から光線が射してくる。そろそろ帰る時間だ。じゃあ、最後にお祈りしましょう、と志摩子さんが言った。
ちょっと驚いていると、居住まいを正して手を合わせ、志摩子さんがわたしの横で神様にお祈りをはじめる。
あわててわたしも真似てみたけど、つい志摩子さんの横顔をチラチラと覗いてしまった。
お祈りといっても、わたしの場合はお賽銭を投げて「いい仏像に巡り会えますように!」と御利益めあてで手を合わせるような信仰しかない。でも、そんなわたしでも、志摩子さんの横顔を見ていると、神様を信じたくなってくる。
かすかに夕陽をうけた、とてもきれいな横顔。
このひとは、いま神様と会っているんだ。
ぽそぽそと志摩子さんの唇から祈りの言葉が漏れる。
思えば、こうして志摩子さんが祈るのを聞くのは初めて。
誰もいない、静かな夕刻の教会。
すぐ横で、日々のできごとに感謝を込めて祈る志摩子さん。
そして、
ところどころでしつこいくらいでてくる「乃梨子」という名前。最初は驚いたし照れるけど、でも、やっぱり、嬉しい。
このひとが、わたしのお姉さま。
こうして並んで座っているだけで、嬉しい。いや、誇らしい。
わたしはこのひとのことを、心から敬愛している。
このひとの妹になれたことを、わたしは心から志摩子さんの神様に感謝した。
初めて描いた乃梨子の絵・・・というには豆粒くらいのサイズでしかも後ろ姿なのがアレですが、まちがいなく「マリみて」絵です。
PCモニターには宿命的に向かない縦長の構図ですが、いっそこれくらいのアスペクト比だと、スクロールで順に構成が視認されるなどの効果があって面白いです。
落ち着いてみると、もうちょっとリズミカルに視線が移せる構図だとよかったのですが、後の祭り。パースもおかしくて、いま見ると頭を抱えたくなります。
夜想曲2004年春のトップを飾りました。