春のはじめには、いろんなものがやってきて、そして、去っていく。
この空は変わらない。
ここからまたはじまるのだ。
Kanonのエピローグで真琴の再生が暗示される丘は、春らしい日溜まりで描かれることが多い。
だが、彼女が生まれるのは、こんな夕景とはてしない大地の間からでもよいと思う。
ここは、彼女が人間として受肉し、この地に現れる直前の世界。
宇宙の法則をねじまげた末に、かりそめながら、それでも再生をゆるされた祝福の世界だ。
風邪を引いたときに思いついた情景を、そのまんま熱もひかないうちから描いた「ものみの丘」の絵。
そのせいだと言い訳したくなるくらいに、光源位置等でたらめな絵である。
ただ、広い大地に少女がひとり、という情景を描きたかったのだと思う。
ひとのいない風景はさみしい。
真琴の、自分が孤独であることに気づくこともできなかった境遇と、その寂しさは似ているのかも知れない。