ruby

 

虜 囚
  
ruby

(980323mon)




大魔王の血肉と、天使のそれをもつサイザー。

彼女は、ひとつの人間の中に、神と魔という相反する矛盾した性相をあわせもっている。
二重人格ではなく、混在である。彼女自身、自分で思うより、人殺しの衝動がとめられなくなると語っている。彼女の中で、愛と義にいきたいと願う心と、破壊と殺戮を貪欲に求める衝動が常に葛藤しているのだ。
これは人間と同じである。それが特殊なケースをもって象徴されているにすぎない。

22巻でヴォーカルは、サイザーの体から魂を抜きだした。
はからずも、この役事は彼女の中の二つの道を、完全に分別してしまった。大魔王の血肉に悩まされていた魂が、ある意味ではじめて、その血の呪縛から解放されたのである。

その後の反魂の法により、ヴォーカルの創った魂に、魔族に血と肉が相対して、魔女としてその体は再生してしまった。 魔族の魂という、正統な主人を得た大魔王の血肉が動き出す。

ところで、その再生は完全ではないと私は考える。

23巻で、すがるオカリナと、とめるフルートを、サイザーは本気で斬った。かつて赤い魔女の名を馳せた殺傷能力なら、まっぷたつになっていたはずである。重傷どころではない。
それは、ヴォーカルの魂に呼応できない天使の血肉が動きを鈍らせたのだろう。
いま彼女自身である、天使サイザーの魂は、宝剣のルビーに捕らわれている。
彼女が体にもどったとき、その純粋な天使の魂に、天使の血肉が呼応するだろう。彼女は、そのとき己のなかで、完全な神魔の分離をはたす。天使の魂に従う血肉と、魔族の魂に従う血肉との。

そして戦いがはじまる。彼女自身が戦い続けた、自らの葛藤に、そのとき初めて決着がつく。
彼女は、それを信じ、まっている。
いまは、朱の宝石のなかで。
 

 
Macintosh Performa 5440(88MB)・Painter4.0・Photodeluxe1.0・WacomArtPad2

この絵はそういう絵です。今まで、殺戮の衝動や、破壊する喜びをわかせる血が、魂にべったりくっついていて、どうすることもできませんでしたが、魂だけ抽出して、しかも残った血に魔族の魂を与えて人格として具現化させたなら、あとは天使サイザーの魂が、それに打ち勝てばオッケー♪ と考えていたので、23巻のできごと自体を、さほど悲劇とは受け止めませんでした。

カマのアレンジが思いついた瞬間に、できあがった絵です。ちなみにこのカマは折りたたむことができます(笑)。

前に描いた「漆黒」以来、脚のきれいな女性をみると、つい観察してしまいます。

「はっ いかんいかん」

と思っていても、目はラインをとったり、影の付き方を克明に憶えたりしています。絵や写真や、ビデオなどの動画とは、ぜんぜんちがう情報が、脳に入ってきます。
「そこに、ある」という実感が、恐るべき説得力をともなって脳に結像するのです。

絵としての魅力をすさまじく発揮しつつ、さわれるような質感を表現できる画家がいます(寺田克也氏とか)。二次元ばかり見ていては、こういう絵は描けないのだなあと、しげしげ脚をながめながら、思いました。



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