奇跡の人生

mother horn

(2000.03.24 fri)





もう一度、できるなら・・・。

天気のいい日に、部屋から出て、窓の外をながめるホルン。
それは、ひととき公務を離れて、遠い地で戦う娘を案じる母の顔だった。
通りかかったクラーリーが、はっとして、陶然とホルンを見つめる。

もう一度、できるなら・・・。
あなたと、もう一度だけでも・・・。

クラーリーには、ホルンがそう呟いているのを、聞いたような気がしていた。

「フルート・・・」

ホルン昇天
女王としての使命が、フルート王女に移ったことを象徴するかのように、ホルンの衰弱はいよいよ激しく、決戦のときには、ほとんど体力と呼べるものは残っていなかったことだろう。
しかし、そのホルンが、全軍を送り出したのちに、覆面を外して顔を見せたとき、老婆のように憔悴しきっていたその顔は、輝くほどの若い生気に満ちていた。

この現象あるいは表現には、様々な解釈や意見があるようだ。
私は、ホルンは、そのときには既に死んでいたのだろうと考える。
人間は死ぬと、霊の存在になる。それが輝くような魂を持っていたなら、肉体を脱いだその姿は、同じように美しく輝くだろう。

私たちは、肉体を脱した、ホルンの魂の輝きを見たのだ。

外的には、老衰した死体であったかもしれない。だが我々は、ホルンの死に顔を見たのではなく、ついに魔に奪われることなく、国を、世界を、肉体が力つきるまで愛し抜いた魂が、美しく昇華する様をみたのだ。
最期の若く美しいほほえみは、まさにそれであり、偉大なる者の証だった。

そして、たぶん、ホルンの体は、驚くほど、紙のように軽かったのだろう。そんな気がする。

奇跡の人生
生まれたばかりの娘を、戦火の中、手放さなければならず、15年の年月を経て、やっと再会したときに、またしても戦争が勃発、これを親子で乗り切るも、戦争の後、娘は世界を救う使命を帯びて旅に出た。
待つ母に、しかし寿命はすでになく、この戦いを終えて再会することは期しがたい。
それでも、ホルンは娘の使命を後押しする。女王としての、母としての愛情をもって。


制作環境:Macintosh Performa 5440(88MB)・Painter4.0・WacomArtPad2

静かにたたずむ姿勢と、やさしく差し込む光線のせいで穏やかな絵に見えますが、例によって苦しげな絵です。

悲しさと悔しさ、そして焼け付くような愛しさが混在した想い。
この道を選んだことを決して後悔すまいという、愛情に裏付けされた強固なる決意。
そして、女王として王女をではなく、母として娘を愛することを、自分に許した、ほんのひとときの時間。

描きはじめは、ぼんやりとしていましたが、最終的にこの三点に絞って描き進めました。
表情が納得できないときなど、こういう「絵の方向性」を考えてあると、迷わず進むことが出来て良いです。人間の心を描くときには、結局、フィーリングではなく、どこまでその人間を理解できているかが大切なようです。



[もどる]