瓦礫の号哭

a grudge

(2001.09.15 sat)


アメリカでの同時多発テロを見て描いた。
報道の中では、火災についてそれほど話題に上っていない。

だから、この絵の火災は、この女性の心理描写だ。



多くの人間が、このテロを憎んでいる。
愛し、投入し、失敗し、やり直し、知恵や体力、心情、そのすべてで形作ってきた世界が、一瞬にして不条理に奪われたのだ。この女性のように。


アメリカでの、アラブ系アメリカ市民への嫌がらせが報道されている。
不当な扱い、暴行、店舗に銃弾を撃ち込んだり、お前たちのせいで何千人も死んだ、という悪質な電話。
被害にあった側の、あてどのない怒りを、関係があると思われる所に向けたいのはわかる。
だが、それ自体が、唾棄すべきことだと、わかって欲しい。

悪を働いた者の、属する団体・民族・国家・宗教などの全てが悪人でできているわけではないのだ。
アラブ人や、イスラム教徒すべてが憎むべき悪なのではない。

テロを行った個人たちが悪いのだ。

だが、人は、そのグループに対する安易な偏見で、属国民に嫌がらせをする。
○○人は悪人ばかりだ、××野郎は見かけたら殺せ。

なんという情けない、安直な見解だろう。

この世には「悪の世界」が点在しているのではない。

ただ馬鹿な個人がいるだけだ。


白ブタにも、黄色いサルにも、ニグロにも、イスラームにも、クリスチャンにも、坊主にも、どこにだって、どんな人種のどんな組織にも、馬鹿はいる。

なのに、その一人の馬鹿を見て、その仲間全部を「お前らが悪い!」と決めつけ、あまつさえ嫌がらせをする。そのあまりに安易な憎み方を、私は嫌悪する。

そして、その楽な憎しみに行動をまかせて報復をしようと他人の尻馬にのって偉そうに正義を掲げる者を、わたしはテロリストと並べて認識する。

彼らも、犯罪者やテロリストと同じ馬鹿だ。
しかも、実行する勇気や、追いつめられた環境がないだけの、みじめで愚かな馬鹿だ。

ニューヨークのボランティアたちを尊敬し応援しつつ、同時に報じられるアラブ人への迫害を見て、前者の積んだ国家的な徳が、後者の馬鹿共に台無しにされているのを感じながら、この文を書いた。





この絵は、わかりやすい。
この絵は、この惨劇を作ったものを憎ませるだろう。
怒りで感情的になるとき、その憎むべき本質をずらして、大きく属する国家や思想そのものを巻き込ませるかもしれない。
我々は、衝撃を受けたとき、何を憎むか感情のままに流されてはならない。







絵について。

これはもうホントに適当に描きました。
熱い風、燃える炎から色を取ったので、カラーリングは楽に。
ガガガっとあたりを取って、水滴ツールでガシガシと炎の風を描くだけです。

場所が場所だけに、子供の被害者は少なかったろうと思う。テーマを厳格に捉えれば、父親を失った子供の絵であるべきかもしれません。
でも、私が心をこめて、こういう号哭を描けるのは、「子供を失った母」という題材だけのようです。











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