ロボットのタマシイ

duplicated individual 2

(2001.09.11 tue)










人間そっくりのロボットを作る。

SFなどではよく用いられる題材だが、これが現実になったとき、人間の社会や内面に、どんな問題がおきるのかを、前回考えた。

「人間そっくり」であることの条件を、人間の精神構造の完璧な模倣が必要だと書いたが、その際に「ブラックボックス」として放置してあった「魂の構造の解明」という命題が残っている。これについて、すこしだけ考えてみた。

と、いいつつ、今回もあきらめっぽい結論である。

このテーマは、技術的ばかりか、人間を中心とした人道的にすら現実的でないため、本文もSF考証の域を出ないのだ。




絵は、またしてもマルチである。

「人間そっくりのロボット」がテーマなので、やはりこれだ。
そしてまたしても、乳首魔人からお叱りのメールが来そうな絵である。






精神の拠点は、脳か魂か

「精神」というものの働きは、脳の科学的(とうかむしろ化学的)な反応で生まれる、という考えがある。
エンドルフィンやアドレナリンなど、脳内で分泌される物質が、人間の感情の第一原因であり、ヒトのココロは、それらの化学反応の発現でしかないという考えだ。

何かの漫画で読んだ「恋なんて、ただシナプスがスパークしてるだけだろ?」という言葉には笑ってしまったが、私はこれはおかしいと思うスタンスにいる。
ハッキリと論破できないのは、多少の論理性はあっても実証性にかけるため、精神というものの根元を、仮定ぬきに、明確に示すことができないからだ。

というわけで、この話はあくまで仮定である。
仮定なのだが、私は唯物論が言葉を許しているところの「精神」、個人的にはぜひ「魂」と呼びたいところの存在は、肉体とつながりながら、不可視の状態で存在していると思う。

魂の存在を認めない側がよく出す例えとしては「あたまを打ったり、脳が損傷を受けることで、精神に異常をきたしたり、精神の活動がストップすることもある。脳が精神の原因だからだ」という話がある。脳が壊れたらおしまい、という考えだ。

だが、私は、脳は言ってみれば「ラジオ」だと考える。魂は別にあり、脳はその受信機であると思うのだ。

脳が損傷を受けて精神に異常をきたすのは、そういうメカニズムの故だと思う。
従って、たとえラジオが壊れて受信ができなくなっても、そこに電波が来ていることは変わらない。
放送局は、別にあり、電波を発信し続けている。

つまり、魂は別個に存在しているという考えを、私は支持している。

疑似脳の限界

それを前提に、脳と魂の関係において、ひとつ考えたいことがある。

仮に脳を最高の演算装置だとする。それを目指して現在のノイマン型コンピュータを極限まで進化させたとしよう。だが、現実の人間に近づくとき、そこには、ひとつの大きな壁がある。

それは「直感の発生」だ。
コンピュータは、情報が蓄積されるほどに、判断という結果の算出に時間がかかるが、人間は、経験を積むほどに、判断が迅速で正確になる。それは、直感によるところが大きい。

ノイマン型のコンピュータに、この違いを、クリアすることができるだろうか。


魂とか霊とかいわれるもの

では、そもそも人間の直感は、どこから発生しているのか。
ここで先の魂が出てくるのだが、魂は時間や空間を超越していると考える。
もしくは、それら物理法則にとらわれない世界に平行して存在しているとする。

つまりこれは、外部にあるコンピュータだ。そこから瞬時に脳に入力される回答が「直感」なのである。
瞬時と書いたが、正確には速いのではなく、時間の概念がないのだ。言い換えれば、現実の時間が停止している状態で演算された結果が、入力されているようなもの、なのかもしれず、これでは時間もクソもない。

この話は、この時点ですでに因果律が適用されない。原因があって結果があるという、科学の大原則中の大原則を無視しているので、すでに科学でも何でもないのだが、私はそういう仮説を持つ。

仮説は続く。

魂が直感を与える、と書いたが、人間の脳はそれだけで機能しているわけではない。

俗に左脳は知性や計算、右脳は直感というが、右の方が、ただ、魂の答えをより受信しやすいように思える。
人間は、ノイマン型と、非ノイマン型と両方の知能を持っているのだろう。
もっとも、記憶や情動に関わる海馬などの脳組織の役割など、専門的なところは詳しくないので言及できないところはたくさんあるが。

さらに仮説である。

自分にまったく経験がないところから答えが出る(入力される)ときがある。
創作などがそうだし、夢などで、知らない人が自分の知らないことを語ることも、私には覚えがある。

これは、魂に蓄積されたデータが、瞬時に演算して答えを出した・・・という条件ではあてはまらない。
そう言うわけで、魂には、別にサポートする存在があるのではないか、と思う。
俗に「守護霊」とか言う奴だ。


ここまで書くと、もうついていけないというヒトも多いだろう。
私だって、別に守護霊と知り合いでもないので、詳しくは知らないし、人柄もわからない。
だが、魂の存在を含めて、守護霊の存在をちょっと感じるときがある。

これは、私だけかも知れないので、みなさん実験してみて欲しい。


自分を上から見たところを想像してみてほしい。

自分が食事をしている様子や、いまパソコンを打っている様子を。

いま脳裏に浮かんだその角度で、その様子を、自分自身は肉眼で見たことがあるだろうか?
ビデオカメラや、デジカメなどを駆使すれば撮影できるだろう。それでもかまわない。だが、それでも、その映像を見た経験はあるだろうか?

おそらくは、無いと思う。
なのに、なぜかその様子を、人間は思い描くことができる。

それは、
そこに、カメラがあるからだ。
魂を経由して右脳につながるような線をもったカメラが。

少なくとも私は「どっちの料理ショー」を見ながら半口開けたままキーボードを打つ手が止まっている様子を思い描くことができた。



イメージ映像(モデル:アルファさん)

ほんとは、もっと斜めからの絵(クォータービュー)なんだろうけど。








番組中の餃子と焼売には、多分守護霊もみとれている。その証拠に、この状態が数分は続いた。

もっとも「この角度からむかし自分を撮った写真を見たことがあって、あとは映画やテレビでみた角度と、無意識に合成して、脳がこういう映像をみせているのだ」と思う人は、そう思っておいてくれてかまわない。


魂の代役を作ることができるのか

前置きが長くなったが、納得できないヒトはオカルトかファンタジーだと思ってもらえればいい。
これを人間の魂の構図だとして、それにそっくりなロボットを作ろうと思った場合、やはり魂と守護霊の存在を、どうやっても調達できないことにぶつかる。

この図をたとえば、マジンガーZに当てはめると、アルファさんがマジンガーZで、脳がジェットパイルダー(もしくはホバーパイルダー)、魂が兜甲児で、守護霊は光子力研究所のみなさんである。

ちょっと古いのでエヴァンゲリオンにすると、アルファさんがエヴァ0号機で、微妙だが脳がエントリープラグ、魂が綾波レイで、守護霊はネルフのスタッフ、とゆーか彼女の場合は碇ゲンドウ個人だろう。

ガオガイガーで行くと・・・、ちょっとややこしくなるのでやめておくが、たとえば、これらをどんどんスケールダウンさせていって、マジンガーZも、エヴァンゲリオンも、スターガオガオガーも最終的にマルチくらいのサイズに収まったとしよう。

半導体と神経が連結したり、脳波から命令を検知して動くロボットなどがいる(スイッチのオンオフくらいは可能という)くらいなので、サイボーグ体の実現自体はそう遠くはない。

だが、この人間が担当している部分。
その代用品を、人間に創造することはできるだろうか。

その部分に、高性能のノイマン型を投入しても、膨大な行動パターンを演算するという力業でしかない。
人間そっくりな行動パターンを、多種用意することはできるだろう。それこそ一生かけても試しきれないくらいのパターンがあれば人間を騙しきることはできる。
だが、魂から出発している言葉や行動でなければ、それは膨大な情報を元に演算された形態反射にすぎない。

それは一面から見れば人間に似ているが、人間そっくり、すくなくとも人間の代わりにはならないと思うがどうだろう。(もっとも、これで充分だと満足するのなら、それで問題はないのだが)




では、せめて魂を意図的に発生させられないか。

魂は人の手で生み出せるのか。
それが無理なら、魂はいかなるときに生まれるのか。それを確保する方法はあるのか。
人間の生命とともに発生するのなら、意図的にその状況を作り出すことが、男女の交わりなしにできるのだろうか。

ここは、もうわからない。 予想もできない。
仮にクローンを作ったとして、その脳をロボットに移植しても、それはサイボーグだ。ロボトミーでしかない。

魂を純粋に抽出し、生物・非生物の別を問わず、そのボディ(もしくは脳にあたる組織)に定着することができるとも思えないし、それができてもやはりサイボーグの一種だ。

個性や直感力をもったロボットというのは、こう考える以上望むことは出来ないのかもしれない。

魂の構造解析と、その模倣ができない限りは。






人間の代わり

現実の話だが、カメラから入力される相手の口の形や眉毛の動きなどから感情などを推察し、用意されたパターンのいくつかを組み合わせて反応するロボットが研究されているときく。
これは正確にはロボットではなく人工知能で、介護や、自閉症の治療のためのソフトなどに応用される予定だという。ノイマン型で作られた疑似人格だ。これがスケールアップされた究極に、魂を持たない人間そっくりのロボットが予想される。

だが、これで人間のかわりになるだろうか?

先の行動パターンや、会話などの上手さ、メーカーの文芸能力で、人間っぽい感じは出せるだろう。

だが、

こころをひらいて魂を求める人間に、そのロボットは応えられるだろうか。

我々は満足できないと思う。
なまじ出来が良いだけに、我々は悔しく思うだろう。あるいは「そこに魂があってほしい」と願ってしまうだろう。
「人間のようなもの」である以上、我々は、たとえばアルファさんのような、魂の交流を求めてしまうのだ。



人間の友としてのロボット

ココロを持つロボットは作ることはできない。
それは魂を作ることができないからだ。
仮に魂をもってきても、それではサイボーグだ。人権の問題など無視できるものではない。
できるのは、やはり人間のニセモノだろう。情は移るかも知れない。だが、それはすべて膨大な行動パターンの発露だ。あえてランダムに反応が起きるように仕組み、無限のパターンが発生しても、魂をもった人間の相手には、不足になるだろう。

それはそれで、便利な道具にはなる。すくなくとも、その程度では、ロボットの権利うんぬんの話は出ないから安心だ。ここで問題にするほどのこともない。


ココロを持ったロボットの存在意義は、人間の、心の友になることだろう。
そう考えて、ココロ、もしくはタマシイをもったロボットをつくることを考えてみた。

だが、やはり結論は、最初に思っていたことと同じだった。

魂をもつ人間の友になる。
それは、そもそも魂を持った人間がやるべき仕事なのだ。

ロボットに、魂はいらない。



おまけ

なんか醒まさなくてもいい夢を、わざわざ醒ます無粋なことをやってるような気もするのでおまけ。

SFは、通常あり得ない状況を容易につくりだす。
それゆえに、その特殊な状況に置かれた、普通かんがえられない心境、より根元的な人間の心の動きを描き出すことができる。

私がSFにひかれているのおは、その故だ。

ココロを持ったロボットが描かれることは、物語としてはとても好きである。
だが、実体のそれは、必要ない。

ただ、もしそれが生まれてしまったのなら。
それには、意味があると思う。

そういうロボットが現れたのなら、それは人類が知らなかった、魂本来がもっていた属性が、新しくひとつの器を得たのだと、受け入れよう。

そして、これらの考えと、全く違った見地から、ココロをもったロボットが生み出されることを、わたしは少し期待している。

私の想像もおよばないような発展があることを、願うものだ。












GO TO
[タイトル] [もどる]