2002.02.27 wed「ダイエット大作戦」


旅行の後、93キロまで絞れたままだと思った体重は、実は95キロだった。

「たぶんこの眼鏡が2キロくらいあるんじゃないかな・・・」と思って外してみる。すると計数が見えない。

やむなく眼鏡をかけなおして、身長174センチを設定してみる。身長を設定して体重を測ると、体型評価が示されるタイプのヘルスメーターは、楽に「ふとりすぎ」を回っていた。

なんとなく、
身長の方を調節してみる。理想的な体型になるまでずらしていくと、身長は214センチだった。

体重計に乗ったままで、シークレットシューズ(実在)とシークレットカツラ(未確認)の併用を案じてみる。

「誰にも気づかれずに身長が○○センチのびる!」

というのが、その手の商品のキャッチコピーだが、さすがに
40センチ誤魔化したら気がつかれるだろうと思った。



というわけで、ダイエット大作戦は終了。
地道に運動して痩せていこうと思う。









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2002.02.26 tue「育毛の結果」


あるとき兄が言った。

「ちょっと頭、濃くなったんとちゃうか?」

「え、そ、そうかな?」

と平静をよそおって応えつつも、内心では小躍りする。

自分の頭髪(とくにてっぺん髪)の様子というのは、デジカメなどで上から撮影するという屈辱的な方法でしか視認できないので、自分でもよく分からないのだ。客観的に見ても、多少は頭髪が増えてきたらしい。

新しい毛根が生きてくるまでの期間を考えると、そろそろ効果があっても然りだ。
ひたすらストレスの軽減に勤めた日々のたまものであろう。

「で、いま体重何キロ?」

「・・・95キロ」

思うさま食事を楽しむという、対ストレス作戦の思わぬ(ウソつけ)弊害である。
頭髪活性化の代償は、おもに腹部に来たようだ。




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2002.02.25 mon「まじない」

うちの母は、おまじないの類が好きだ。
泥棒除けであったり、稲荷様のものであったりと様々だが、家のあちこちに
いろんな護符が貼ってある。
もちろん節分ともなれば、豆はまくし、恵方に向かって巻きずしを囓(かじ)ることも欠かさない。

兄は基本的にそういうものを馬鹿にしているし、姉は「それにどういう意味があるのか、納得できないことはしない」というスタンスで、ひたすら癒し系グッズへの信仰を深めている。

私も、理由がないと納得は出来ない。

だが、たとえば「ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれる」というのは本当だと思う。
テレビで、浮気を隠していた男性が、そのウソが発覚した瞬間に舌を抜き取られたように言葉を失ってしまう様子を見たことがある。経験上でも、ウソをついてしまったとき、自分は語る舌を持たないのだと気づくことは誰にもあるだろう。
「閻魔様に・・・」というのは、それを子供にも分かりやすいようにした例えだ。
「食べ物を粗末にすると目がつぶれる」と言うのは、糖尿病で視力を失う例を聞いて、こう言うことなのかと思う。

また、ユダヤ教の戒律で「豚を食べてはいけない」という教えがある。
神様からその戒律を得たとき、当時のユダヤの民には、細菌という概念がなかった。顕微鏡どころか、ろくに薬もない時代である。
こんなときに「豚はサルモネラ菌や豚コレラという細菌をもっている場合があり、そうでなくとも有鉤条虫症などをおこす可能性がある。火を通しても感染する恐れがあり、発症した場合の処置は・・・」と話しても分かろうはずがない。
「ええい、いいからお前ら豚だけは喰うなよ! わかったな!」という感じなのだろう。神様も大変だ。

だから、理由が提示されないので納得は出来ないが、わたしは、母のまじないの類にも、何らかの意味があるのだろうと、とりあえず信じている。


そういうスタンスなので、自動的に節分の豆まきは私の仕事になっていた。
更新するのがすっかり遅れたが、今年は日記のネタにしようと思っていたので、豆まきに隠された意味など考えながら、家の全部屋を上から順に回る。

「例えば、家中の悪霊を追い払うために、清めの塩のように豆を投じる、という意味があるのかも知れない」
「しかし、デンロク豆ごときに、はたしてそんな
霊的ミサイルのようなオフェンシブパワーがあるのだろうか?」

そうしていろいろ思案しながら、ひと部屋ひと部屋を丁寧にまわるうちに、ふと気がついたことがあった。

ホントにあちこちに、こんなところにまで、と思うところに御札が貼ってある。
母は、家族を守るために御札を貼り、貼り替えの際には、一年間家を護ってくれた古い御札を丁寧に扱うのを思い出す。そして家のひと部屋ひと部屋を、とても大切に扱っていることも。

この家を一番愛しているのが母であることは疑いようもない。

そうなのだ。これと同じで、「豆まき」の意味は、スピリチュアルな攻撃力による霊的自衛とかではなく(まあそーゆーよーな意味もあるかも知れないが)、家族を守る意志から出発した愛の儀式であり、また家族を守ってくれている家への感謝の儀式なのではないか。

自分は、あたりまえに存在している「家」という環境に対して、感謝もなにもなかった。ふだん使わない部屋になど、感心すらなかったのだ。こうしてひと部屋ごとに豆をまいていると、あらためてそう思う。


べたべたと、執拗なほど御札を貼る母の気持ちが、少しだけ分かったような気がした。

おまじない、と馬鹿にするが、なにかへの愛情を原点に出発したまじないには、それだけで意味がある。
わかりやすい御利益や、目に見える効果ばかりを論じるのは、無粋なものだと思った。



そういうわけで2月3日は、わたしなりに、家への感謝など、心をこめて豆をまいてきた。
ありったけ心をこめた分、相対的に声量は極限まで下がり、他者からみるとポソポソ呟きながら豆を二三粒落としているだけに見えたかも知れない。でもいいのだ。これは家を愛する儀式なのだから。









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2002.02.24 holy「いままで愛したアニメ・ゲームタイアップの雑誌をはじめとする、その手の雑誌連載漫画とかとにかくそこらへんのそういう濃かったり痛かったりする奴」

アンドロイドのメイドさんという設定からしてかなり直球な
「まほろまてぃっく」(ぢたま某:ワニブックス・ガムコミック)で、アニメ・ゲームタイアップの雑誌についての幕を開けよう。ついてこれない人も多いと思うが、これまでの日記を読んできた人なら耐えられるものと信じて進める。

「メイドもの」の多くは美少女ゲームとして存在している。それら既存の安易な作品群には、メイドが主人に奉仕する動機が不自然なものが多く、ただ読者の征服欲をかりそめに満たすだけの話が多かった。

メイドものに発生する設定の不自然さ、すなわち「なぜ、こんなに可愛い女の子が、そこまで無条件で主人公に奉仕してくれるのか」という問題は、近年一般向けコミックに、そのジャンルが滲み出すように波及してきたとき、やはり追求された。

無条件の奉仕といっても、それが母親や、プログラムされたメイドロボットや、金銭による契約や、精神のコントロールなどによる奉仕を強要しているという設定では悲しい。
主人公に、とんでもないカリスマ性があって、それゆえに惚れ込んで尽くしてくれるとかいうことも、設定上あり得るが、そんなものに、どこまでも感情移入できるものではない。

こういったメイドものの奉仕動機において、一線を画して登場したのが「まほろまてぃっく」である。

彼女の奉仕動機は、無理なく、また悲しくドラマチックで秀逸だった。とりあえず第一話を読もう。背景とか、平均的な画力の安定には欠けるし、悪い意味を含めてメイドものと代表と言えるものではないが、とにかく設定は良い話だと思う。

彼女が、仕えている優(すぐる)のことを愛しているかはわからないが、彼女の事情と義務感と使命感から出発し、持ち前の性格から奉仕が進行してるこの物語が、どう決着するか、とても注目している。



次いで取り上げておきたいのが、メイドものと言えるかどうかはともかく、日本人が好きな「自分を一方的に慕ってくれる後腐れ無い女の子がとつぜん空から降ってくる話」では、かなりの良作と見ている
「ハニー・クレイ・マイハニー」(おがきちか:少年画報社・アワーズライト)、 「ほのぼの、ほろり」と帯に書いてあるように、そういう他愛のない話が好きなので、気に入っているものの、ヒロインよりも、脇の方に目がいく誰にでもある傾向のせいか、バチスカーフ・ラブな「成恵の世界」(丸川トモヒロ:角川書店・コミックエース)、 眼鏡っ娘の美学というものを、いち早く追求したコミック作家として一部では極めて有名だった西川魯介が、Hコミックばかり出版されてると思っていたら、知らないうちにアニマルとかで描いてたのがうれしかった「屈折リーベ」「SFフェチスナッチャー」(ともに西川魯介:白泉社・アニマル)、 そっちの方面で痛い話となると、小野寺浩二作品は外せなくなってくるが、個人的に好きな「外道校長・東堂源三郎」(小野寺浩二:雄出版・メガストア)はともかくとして、この人の過去の作品はいろんな意味でリミッターが掛かっていないので、遡(さかのぼ)るのは辞めた方が良いだろうから、初心者にすすめておくのが、これでも比較的ヌルい「妄想戦士ヤマモト」(小野寺浩二:少年画報社・アワーズ)、同人誌の世界などを扱ったコミックでは「この世に存在しない想像の産物やモノに救われるなんて、そんなものに癒されるなんて、ボクはダメだ」と自虐的になる主人公に「人が人の創造したものに癒されるのが恥ずかしいことなら、ラブソングなんかこの世から消えてなくなるよ」と笑い飛ばすのが良かった・・・と思ったら巻末になぜか、ふくやまけいこさんが寄稿していてビックリした「辣韮(らっきょう)の皮」(阿部川キネコ:ワニブックス・ガムコミック)、「私、異性に興味のある異性の方には興味ありませんの」と言う耽美系同人誌サークルの女子高生の日常とかが歪んで描かれていてこれはこれで、タイトルも含めかなり痛ましい「全日本妹選手権」(堂高しげる:講談社・アッパーズ)、 ガンダムの漫画ではなく「ガンダムを愛している姿勢」を描いた漫画として、ガンダマーなら是非よんでおきたいのが「濃爆おたく先生」(徳光康之:講談社・マガジンZ)、 テキストと台詞回しで笑わせると言ったらパッと挙がるのが「エクセル・サーガ」(六道神士:少年画報社・アワーズ)「神聖モテモテ王国」(ながいけん:小学館・サンデー)「ゲノム」(古賀亮一:ビブロス・カラフルBee)あたりだが、なかでもおすすめなのが、成年漫画でもないのに成年誌にずっと描いていたゲノムの作者・古賀亮一が、最近ようやく電撃大王から出した、読むのに妙に時間がかかるが音速丸のことがあまり他人と思えない「ニニンがシノブ伝」(古賀亮一:メディアワークス・電撃コミック)、 モトネタがかなり難しいものの、それゆえに分かるのが恐ろしくもあり、ちょっぴり快感な「ももえサイズ」(結城心一:シュベール出版・零式コミック)、 感情移入、というか、いろいろ事情が移入しそうなテキストと勢いが魅力の平野耕太の諸作品では、やっぱり「進め!! 聖学電脳研究部」(平野耕太:新声社(倒産)・ゲーメストコミックス)、 テキストというよりは、反対に「間」を使って、何も考えていないこと、もしくは言葉にならない精神の世界を、うまく表現している・・・って、こんなテキストに書くのも無粋な気がするくらい有名な「あずまんが大王」(あずまきよひこ:メディアワークス・電撃コミックス)、 電撃大王といえば、まだコミックにはなっていないどころか、読み切りが数本しかのっていないけど注目はしている「錬金術師」(逢摩文七郎:メディアワークス・電撃大王)、 単行本化が最も待たれる作品と言えば、もっともわかりやすく痛ましく、私もラブやんラブでアフタ増刊はこれのあるゆえに本誌よりも高評価をつけているくらい好きな「ラブやん」(田丸浩史:講談社・アフタヌーン増刊)、 痛ましいキャラが主人公といえば、そのパイオニアとして外せない、CDドラマの山口勝平の演技が素晴らしすぎた「GOD SAVE THE すげこまくん」(永野のりこ:講談社・ヤングマガジン)、 永野のりこといえば子育て漫画を描くと聞いたとき、ドタバタものかと思ったら「やはりこの人は純粋だった」と思い知らされた良作・・・でもやっぱりマニアネタばっかりな「ちいさなのんちゃん」(永野のりこ:アスペクト・産経新聞)、 ちょっと古くなったところで、「現代科学って、こんなに面白かったのか!」と感動させられた「まんがサイエンス」(あさりよしとお:学習研究社・ノーラコミックス)、 学習雑誌連載のため、かなり抑え気味に描かれている先作に対し「容赦のないまんがサイエンス」といえる「確かな知識と豊かな教養で、みもふたもないギャグをする」あさりよしとお氏の魅力爆発の「HAL」(あさりよしとお:ワニブックス・ガムコミック)、 そういう意味では、唐沢なをき漫画も近いが、出会いのきっかけとなった「電脳なをさん」(唐沢なをき:アスキー・週刊アスキー)を除いては、一番好きなのが「ヌルゲリラ」(唐沢なをき:エンターブレイン・アスペクトコミックス)、 この流れで、とり・みきを出すと、いちばん好きなのが「とり・みきのキネコミカ」(とり・みき:ソニーマガジンズ)、あずまんがとは、また違う「間」が面白い「遠くへ行きたい」(とり・みき:河出書房新社・テレビブロス)、 ここに分類していいものか分からないが、その種のコミックでは一番好きで、取材の切り口がかなり内側まで入っているエッセイ漫画「オールナイトライブ」(鈴木みそ:エンターブレイン・コミックビーム)、 そして、これらすべての分野を愛する者の本棚においてほぼ間違いなく確実に所蔵され、もはやホテルにある聖書のような存在ですらあり、最近、最終巻のあたりは伊藤氏が脚本をやっていたという話を聞いて驚き、またこっちのページでは、連載当時にしてはかなり容赦なく張られていたパロディの原典がこまかく紹介されているので、一度行ってみることをおすすめする、もうこのネタが共通語ですらあるほどの大聖典「究極超人あ〜る」(ゆうきまさみ:小学館・サンデー)を基本中の基本として挙げておこう。






ところで、このあいだ、近所にある「とりけい」というニワトリ専門の料理屋で、ニワトリの鶏冠 (とさか)を食べた。
思ったほど不味くなく、ちゃんと食べられた。コリコリして、なかなかに美味である。

無茶なつなぎだが、これとおなじように、評判も聞かないし、期待もしていなかったが、意外に面白かった本というのがある。こういう本は、見つかると妙にうれしい。
決して大ベストセラーのような、確かな面白さではないが、自分好みな世界が描かれている、心地よい作品との出会いである。

こういう出会いがあると、「ほかに、これと同じ雰囲気の漫画が、出版界には、まだ隠れているのではないか」と思うようになるだろう。
そういう人は、ここに記したマンガのひとつでも好みと重複していたら、他のどれかもためしに読んでみると「求めていた雰囲気」に合ったものがあるかもしれない。

もちろん、ここの選んだ作品は、私の琴線に触れる要素が、それぞれの漫画にあるだけなので、同じ弦を持っていない人には、面白くも何ともないかも知れないが、そこそこ高いヒット率が出るのではないだろうか。

私の場合は、複数の信頼できる筋から同じ本が紹介されてはじめて「購読」というフラグが立つが、ここも含め何度も見かけるタイトルがあったら、読んでみることをおすすめする。







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2002.02.23 sat
「いままで愛した青年漫画」


(思い切り息を吸う)

バレエの話ははじめて読んだが、すごい世界だと思うと同時に、読んでいてブルブルッと震えが来る、んもうとにかく見せるのがすばらしく上手くておすすめな「昴」(曽田正人:小学館・スピリッツ)、 何巻かのあとがきでも語られていたが、作者は、なにが「かっこいい」かが、よく分かって、それを追求しつつ描いている漫画家であり、そのあたりの価値観が合うと、読むことが震えをともなうほどの快感になる「め組の大吾」(曽田正人:小学館・サンデー(少年誌だが作家つながりでこちらに))、 最初は絵で躓(つまづ)くが、そのうち「この絵でなければ描けない心理描写」が肝だと思える「カイジ」(福本伸行:講談社・ヤングマガジン)、 自衛隊内に数多くのファンを持ったという、潜水艦戦も、政治劇も、実に面白かった「沈黙の艦隊」(かわぐちかいじ:講談社・モーニング)、 ミギーが寄生獣側のことを一瞬だけ考えるシーンが、人間対寄生獣の全面戦争路線の伏線だったというが、やはりそっちに行かなくてよかったと思うアフタヌーンの産みだした最高傑作「寄生獣」(岩明均:講談社・アフタヌーン)、 アフタと言えば、連載初期と比べて、ベルダンディの性格に井上喜久子さんの影響がやっっっぱり出ていると思う「ああっ女神さまっ」(藤島康介:講談社・アフタヌーン)、 背景を描くのが好き、という作者へのインタビュー記事を読んで、ああなるほどと思った、これも今更いうまでもない「ヨコハマ買い出し紀行」(芦奈野ひとし:講談社・アフタヌーン)、 正直、毎号よむ気にならないが、たまに買ったアフタヌーンを隈無く読んでいると毎回かならず面白いから不思議な「神戸在住」(木村紺:講談社・アフタヌーン)、 物語のもつ、静謐に満ちた「寒さ」が心地よい、文句無しでおすすめな「蟲師」(漆原友紀:講談社・アフタヌーン)、 野山を愛する少年のこころそのままな作者の性格と、ほのぼの路線と郷愁ただよう物語で、その筋ではすっかり有名になった大石まさるの短編集、巻頭のカラーも素晴らしかった「空からこぼれた物語」(大石まさる:少年画報社・アワーズ)、 ただ淡々と日々の情景を描くということを、圧倒的なほどの写実的な画力で行うと、この人はここまで凄いものが描けるのか、といつも驚かされる作品の中で「孤独のグルメ」(谷口ジロー:扶桑社文庫)も、とにかく食欲がそそられて面白かったが、そういう意味では何と言っても「歩く人」(谷口ジロー:小学館文庫)、 かなり未来、余命幾ばくもなく、食事も出来ず、喜びにも死の圧迫にも無関心という状況で「愛人(アイレン)」と呼ばれる人為的に生み出された少女とともなる生活を望んだ主人公「イクル」は、やたら元気で情の深いその少女「あい」に救われ、彼女を愛していくが、人工生命である「あい」が確実に、イクルよりも先に生命を終えるという前提のせいで、二人の結びつきが、確かで、やさしさとぬくもりに満ちていけばいくほど、切なくなるという物語「愛人〜AIREN〜」(田中ユタカ:白泉社・アニマル)、 連載二年以上かかってやっと物語時間で一晩あけたとゆー凄いペースで進む最近のストーリーはともかく「蝕」までの物語は読み始めたら最後、どうしても止まらなかった「ベルセルク」(三浦建太郎:白泉社・アニマル)、 もう完全に時事を逸しているけど、当時は面白く、いま読んでもけっこう面白い、内容はタイトルがそのまんま言い表している「内閣総理大臣・織田信長」(志野靖史:白泉社・アニマル)、 ファンタジーの世界をここまで骨太に描ける数少ない作家であり、強靱で柔軟な価値観と、燃えるような勢いと、いい感じのノリで突き進む、一番強いのはオヤジキャラという点でも「尊敬する人物は須藤玉金と東方不敗」という私の見解と、まったく相違ない作風で、本来は次回の項に入るはずだが作品の雰囲気でこっちに来た「モンスターコレクション」(伊藤勢:富士見書房・コミックドラゴン)、 エッチな絵を含め、人間を上手く描ける人は多いが、そのなかでは画力・演出力ともに圧倒的な底力をもっている・・・凄いし面白いし絶賛したいと思うけどなぜか誉めにくい漫画「天上天下」(大暮維人:集英社・ウルトラジャンプ)、 神代やよいの「少しだけ・・・満足しているんだ」の一言で、いろいろ鷲掴みにされた「破壊魔定光」(中平正彦:集英社・ウルトラジャンプ)、 風見志郎が、妹の幻を振り切る瞬間、自分たちを選ばなかった兄に、驚きながらも「それでこそ・・・」という微笑みをみせる妹と、それを視界のすみにとらえて涙を流す志郎、このシーンでなんど見ても泣けてしまう「仮面ライダー・スピリッツ」(村枝賢一:講談社・マガジンZ)、 何かが分かっている男・島本和彦の、いま見るとそれほど感動的でもないが、当時の状況で魂に死ぬほどスパークした「根性戦隊ガッツマン」(島本和彦:朝日ソノラマ「炎の筆魂」収録)、 掲載紙のメジャーさで「炎の転校生」が有名だが、個人的にはこれこそ代表作だと思う「逆境ナイン」(島本和彦:徳間書店・キャプテン)、 続編「吼えよペン」と合わせ、漫画家というイキモノを知る良い資料である「燃えよペン」(島本和彦:竹書房・バンブーコミック)、 宇宙開発の過渡期、手が届きそうで届かない未来を舞台にした良質のSFで、確固とした世界観と、物語の閉めの上手さがホント素晴らしい近年の宇宙開発モノでは間違いなく、また漫画全体を見渡してもそうとう高い評価を得るべき「プラネテス」(幸村誠:講談社・モーニング)、 宇宙開発漫画の古典として個人的には絶対はずせない、恐るべき無言の説得力をもつ「2001夜物語」(星野之宣:中央公論社)、 画力・アイテム・設定などゲーム的な要素も目立ち、かなりマニアックなSFアクションエンターテイメントであるが、それ以上に人間の描写やキャラクターが面白い、あんまり上手くツボを突いてくれるのでどこを重点に誉めればいいのか分からないくらい好きな「銃夢(ガンム)(木城ゆきと:集英社・ビジネスジャンプ)、 前半のシッダルタの修行の半生と、あらゆる人生を象徴するような様々な人間模様がからんでくるのも面白いが、物語終盤のダイバダッタを見て、宗教理念というのは「自分なりの解釈」であっては決していけないものなのだ、と最後に思った「ブッダ」(手塚治虫:講談社・全集)、 氏の作品を読んでいると「手塚治虫の気配」を強烈に感じることがいまだにあり、作品を残す漫画家は多いが、作品に自分自身をこれほど残した漫画家がいるだろうかと感じさせられた手塚治虫作品全般の中で、実は一番好きなのが、知人に「あー、あのてんぷらの話ね」という一言で片づけられた「きりひと賛歌」(手塚治虫:小学館文庫)、 手塚治虫先生は、存在自体が既に別格なので、どこに分類するがいいか迷ったが、とりあえず、ここに書いた。

とうとう項も設けなくなってしまったが、まあそんなものだ。だんだん文章を切らずに書くほうが快感になってきたぞ。次回は最後に、あまり一般的でない青年漫画に移ろう。


ところで、ちょっと前に日記にも書いたが、私は寝る前に、習慣的に読書をしている。
これには精神のアジャストをする効果があるようだ。

嫌なこと、辛いこと、引きずってしまうことがあるとき、その精神状態とまったく違う漫画を読む。すると、漫画の中の世界に一瞬だけ行くことが出来、それで、あるていど精神が復調することがある。何かに捕らわれていた精神がニュートラルになるのだ。それまでの落ち込んでいた状態とは、少しだけましな精神状態でものを考えることが出来るようになる。

これが映画やテレビ、小説などでは、すこし手間が掛かるが、
漫画は、パッと読める。パッと読みはじめて、パッとやめられる。こんな簡単にその世界に出入りできる漫画という優れた表現形態を、わたしは素敵だと思う。

ただ、一方で、だからこそ、忙しくてストレスのある日本社会で、漫画のシェアは発展したのかも知れないとも、考えた。








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2002.02.21 thu「今まで愛した少年漫画」(※ 切るところを間違えないように)

少年漫画の五指を問われれば、ほぼ間違いなくズバッと挙がるのが
「覚悟のススメ」(山口貴由:秋田書店・チャンピオン)である。

何をどう評価すればいいか分からないくらい好きで、これは自分の「思いたい考え」を示してくれるからかも、と分析してみる。物語全体、という選択肢を除けば、ガラン城における覚悟・ブロブ戦での言葉「燃えているのは、はらら様への愛なのだ!」のくだりがもう、どうしようもなく好き。人間を憎む戦士と、愛する戦士の戦いが本筋で、人間のことを「たかが、雑草!」と言い放つ散(はらら)に、「雑草などという草はない!」と拳を固める覚悟、という両者の叫びの構図が、その象徴か。

この作品が、高い評価を受けているのは、よく言われるように「熱い」からだけではなく、そこに筋が通っている所にあると思う。そして、作品を貫くテーマに、揶揄しがたい説得力を持たせているのが、作者の「戦う姿勢」である。

バトルものの漫画を描く人はたくさんいるが、その多くはどこかで息を抜いていて、かつ、物語の登場人物に比べて脆弱な印象がある。だが、山口貴由から伝わってくる印象は、違う。
彼の戦いは、机に座って、ペンを走らせるだけである。だが、彼は間違いなく戦っている者の気配をもっている。剣で斬り合い、拳で打ち合って、ギリギリの生命線で生きているような、そんな戦士の気配をもち、その一面で修行僧のような境地で漫画を描く男に見える。思いこみかも知れないが、わたしは紙面からそういう作者を見いだした。もう、真面目だとか漫画に取り組む姿勢が真摯であるとか言ったレベルを超越して、彼自身が真剣化した戦士なのではないか、とすら思える。

同じ作者の作品で
「悟空道」(山口貴由:秋田書店・チャンピオン)も良かった。
「覚悟のススメ」と比べると、この作品は「心地よい言葉」がない。そのために、ややわかりにくく、売れ部数も及ばず、エンターテイメントとしては「覚悟」に負けるものの、私は、こちらの方が好きな部分もある。特に終盤、魔王戦での「色即是空」を具現化した戦いは、読んでいて肌が泡立った。三蔵法師のキャラクターも最後まで素晴らしく、そして「覚悟」同様、物語が最後まで描ききられているのも、この人の魅力だ。


次いで、一部では、究極のマゾ戦士とも呼ばれているが、たしかにそう見えなくもない
「DANDOH!!」(万乗大智:小学館・サンデー)

子供が大人と戦うゴルフマンガと書くと、コロコロコミックのようで、たしかにハッタリ漫画っぽい非常識ショットなどツッコミどころはあるが、読むとこれがかなり燃える。絵の隙が大きかったり、話に無理があるのはよーっく分かるが、好きなんだから仕方がない。
主人公の弾道が少年なので、パッと見そうは感じないが、肉体の限界を突破すること、勝負のために覚悟を決めている戦い方は見事というしかない。戦ってボロボロになっていく話に、どうしようもなく心ひかれる性質なので、これにはかなりはまった。だが、一面においてこの漫画は、確信犯的な、隠れ鬼畜ロリショタ萌え漫画だと思う。


「Biological Armerment On Help」つまり「生物による武装援助」と書いて「B.A.O.H.」とよばれる生物兵器の物語
「バオー来訪者」(荒木飛呂彦:集英社・ジャンプ)

「ジョジョの奇妙な冒険」直前の、荒木飛呂彦の作品である。2巻モノだが、これがもう実に面白い。異色だが、変身ヒーローモノと言えよう。一般受けはともかく、この頃から炸裂していた荒木ッ節がソレっぽいマニアに受けて、ファンロードではシュミの特集が組まれたこともあった。
この人と言えばやはり「ジョジョ」だが、第二部までは何度読んでも感動的で面白い。作者の映画好きは有名だが、やはり映画のような重厚さで描こうとしており、またそれに成功しているので、読み応えがすごいのだ。
第三部までは買って読んだが、第四部までは行かなかった。代を追うごとに主人公のガラが悪くなっていったのと、キャラの言葉遣いが汚くなったのに躓(つまづ)き、そこから引き込まれるほどの吸引力が無かったからかも知れない。


そして、本格ボクシング漫画の最高峰としてとどめを刺す
「はじめの一歩」(森川ジョージ:講談社・マガジン)
私的なベストバウトは、千堂とのタイトルマッチ、トレーナー対決でもあったA級トーナメントでのヴォルグ戦、そして伊達への挑戦である。
試合においての、確実な描画力に裏打ちされた上で発揮される、ボクサーの躍動感、そして特徴のあるファイターと、それに対する課題の克服を軸にすすむ試合前の雰囲気、同時に語られるそれぞれの選手のリング外の事情など、ドラマ的に盛り上がる構成、そして、このマンガの最大の魅力は、これらが、実にわかりやすく描かれているという点だ。これによって「はじめの一歩」は、一気に幅広いファンを獲得している。

そして、ごく私的には、もう一点、このマンガを推すところがある。
それは、観客にまじるジム仲間や記者、そして何よりもリングアナが叫ぶ試合の解説だ。
森川ジョージの作画能力、演出手腕、ストーリー構成。彼の突出した漫画能力の評価はよく聞く。

だが、彼の文芸能力、ふさわしい表現を最も盛り上がる言葉で綴る力に、私は敬服している。



さて、少年漫画となると、有名すぎて今更コメントなどおこがましいと思える作品が多い。

当時は、かなりきれいな絵だと思っていたが、I''s(アイズ)の後でみるとそうでもないと思いつつ、心理描写の多くが作中で文章化されているなど、話はこっちの方が面白かった
「電影少女」(桂正和:集英社・ジャンプ)、 女子柔道を描いたのが、私の中で大ヒットし、桜子と袴田さんを心から素敵だと思った「帯をギュッとね!」(河合克敏:小学館・サンデー)、 殺人容疑を皮切りにどんどん追いつめられ、旧ソ連に捕まって洗脳されてなおまだまだ不幸に落ちていくという、こんな可哀想な主人公は初めて見たと思った「B.B.」(石渡治:小学館・サンデー)、 連載中で女性キャラ全員の乳首が露出していたという、ここまでヒットしてもサービスを忘れなかった「うしおととら」(藤田和日郎:小学館・サンデー)、 いまさら何をいうべきか、やっぱり15巻までしか人にすすめられない「ハーメルンのバイオリン弾き」(渡辺道明:エニックス・ガンガン)、 「北斗の拳」をどうしても引っ張ってしまうゆえに、この言葉は似つかわしくないと思われるかも知れないが一言で言うなら「美しい物語」と感じる「花の慶次」(原哲夫:集英社・ジャンプ)、 一時のブームはどこへ行ったのか、キャラクターの「立ち」だけでここまで見せられるという好例でもあった「ラブひな」(赤松健:講談社・マガジン)、 根強いファンをもつ小山田いくの初期作品にしていまだ私的には彼の最高傑作「すくらっぷ・ブック」(小山田いく:秋田書店・チャンピオン)、 当時のチャンピオンはいろんな意味で最高だった「マカロニほうれん荘」(鴨川つばめ:秋田書店・チャンピオン)、 私がこれを愛読していると言ったとき「こんなものまで・・・意外です」と言われたことがある「浦安鉄筋家族」(浜岡賢次:秋田書店・チャンピオン)、 現在絶版中の本で、こいつだけはなんとか全巻揃えて手に入れたいと思いつつ復刻を待っている名作中の名作「レース鳩アラシ」(飯森広一:秋田書店・チャンピオン)などなど。

読んだ本の裾野自体は膨大だが、タイトルを挙げるほどのものは、やはり少ないようだ。
そして、振り返ってみると、ぜんぜん最近の少年漫画を読んでいないことが分かる。ヒカ碁とか読んではいるのだが、これは単行本の完結を見るまで、まだ何とも言えない。

読み手の年齢が、描いてる人より年上になってくると、なかなか少年向けの漫画で面白いと思えるものがなくなってくるようだ。
今回も、かつてはおもしろいと思った本を、だいぶん外すことになった。


作品は変わらないのに、読む年齢で、評価が変動してしまう。
そう考えると、漫画自体の評価は、それに最もふさわしい年齢の世界でしか下せないものかも知れない。







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2002.02.19 tue「いままで愛した少女漫画」

あまり読んでいるとは言えない、レディスコミックを含めた少女漫画の中で、どうしても最初に指を折ってしまうのが
「バスルーム寓話」(おかざき真理:祥伝社・短編集)である。いまのところ。

おかざき真理は、不思議な線を描く。しっかりしたデッサンをもとに、消えては現れるような、もろい線で仕上げてあるその絵は、なぜか見ていて心地よい。画面から絵を引っぱり出すと、そのままボロボロと崩れてしまいそうな不思議な存在感を持つ。

青年誌で、原作者付きのエロティックな話
(「彼女が死んじゃった:集英社・ビジネスジャンプ」)も描いていたが、私は、この人のお嬢様なところがいいなと思っていたので、やはり「バスルーム寓話」の方が好きだ。

最近でた新刊表題が
「セックスをしたあとの男の子の汗はハチミツのにおいがする」(おかざき真理:祥伝社・ジッパーコミックス)とゆー、これほど買いにくいタイトルの本も近年なかったと思うが、やっぱり好きだ。美術書みたいな紙で製本されているのは、編集が、この人の描く線の質をよく分かっているからだなあ、と思う。


次いで、
「のら」(入江紀子:アスペクト)
住所不定で居候のプロフェッショナルな少女・のらがフラフラする話。彼女は、しかし精神的には、何にも頼っていない。あんまり多くの人がすすめるので読んでみたら、ホントに面白かったという好例。でも私がすすめる人からはあまり高評をもらえない。人を選ぶ漫画のようだ。


少女漫画ではないが
「蠢動」(園山二美:アスペクト・コミックビーム・「続」もあるので全二巻)
コミックビーム連載中だったが、ちょっと目を離したすきに、漫画家ごと「消えて」しまった。たしかに、今にもツブれそうな精神状態で描いているようなマンガだった・・・とも評すが面白い。特に連載最終期の一人芝居マンガは絶品だったが、単行本化されていないのが残念。復活の噂もチラチラときこえてくるが、いまこの人はどうしているんだろう。


読み返すと少女漫画とよべるものが無かったので、挙げておこう
「天使なんかじゃない」(矢沢あい:集英社・りぼん)
「ご近所物語」がアニメになったこともあるので知っている人も多いかも知れない矢沢あいの名作。前職の社長婦人に読ませてみたら泣いて感動していたのが印象的だった。あまり読まない最近のりぼん系少女マンガの中で、これにだけは一目置いている。ラストあたりで、大規模な土砂崩れのような凄まじい勢いで登場人物がどんどん幸せになっていくカタルシスは、ちょっと凄いと思った。


さらに古いところで恐縮だが
「銀曜日のおとぎばなし」(萩岩睦美:集英社・りぼん)
不思議と男性読者の多い少女マンガ。あー、もう名作! 小人のポーのかわいさと言ったらあなたどうしますか。親子ものとか素直で健気な子供に弱い自分は、やっぱり泣いた。第一部のラストは、いつ読んでも、なんど読んでも泣ける。ためしに昨日読んだらやっぱり泣けた。ねりこちゃんのモデルだなどとは口が裂けても言えない。


ほかには、よく「空前のシベリアンハスキーブームを生んだ!」とか紹介されているがこの作品の最も注目すべきはその空気だなと思う
「動物のお医者さん」(佐々木倫子:白泉社・花ゆめ)、 少女漫画でないかもしれないが、混んだ電車の中で前に立っていた人が読んでいたのを盗み読みして不覚にも笑ってしまったのが出会いだった、動物コミックの火付け役「ハムスターの研究レポート」(大雪師走:偕成社+白泉)、 読んでもらった人から「思いがけず面白かった本ナンバーワンです」という誉めてもけなしてもいない微妙な温度(だけど暖かくはある)の評価を受けた、こんなに面白いのになぜ売れないのか不思議なくらい好きな「ぴっぴら帳(ノート)」(こうの史代:双葉社・アクション) 少女漫画を入り口に、この作品あたりから「わかってもらえない真実」と人間の極限状態の心理とかに興味をもちはじめた「ぼくの地球を守って」(日渡早紀:白泉社・花ゆめ)、 「ぼく球」もそうだったけどOVAの出来はこっちも良すぎるくらい良かった「ここはグリーンウッド」(那須雪絵:白泉社・花ゆめ)、 プランツドールと呼ばれる生きた人形を育(はぐく)む栄養は、専用のミルクと、あとはただ愛情のみ、という物語で、プランツの笑顔だけでも絵的に見る価値があり、物言わぬ人形が涙を流す話も、心に引っかかって取れなくなる「観用少女」(川原由美子:朝日ソノラマ・眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)、 主人公の葛藤と極限状態を描いた・・・と書くと陳腐だが、その実、内容と心理描写が凄まじく真に迫っていて読んでいて呼吸が止まってしまいそうになる「残酷な神が支配する」(萩尾望都:小学館・フラワー)、 もう古典もいいとこだが、いまだに上記の全作品を完全に押さえて少女漫画中(ともすれば全漫画中)では最高の評価をつけている、原作に沿わなかったアニメ路線のせいで、スポーツ根性ものと思われがちだが、原作は、実は非常に高度な精神の世界を描いている「エースをねらえ!」(山本鈴美香:中央公論新社・コミック文庫)、 絵の美麗さが極限まで高まったところで作者が霊感に目覚めて巫女さんになってしまい連載が中断、以降再開の目処が全く立っていない名作「七つのエルドラド」(山本鈴美香:中央公論新社・コミックスーリ)くらいしか推すほどの作品には出会っていない。

こうやって挙げてみると、書店時代に手をかけていた少女漫画の棚の膨大さに比べ、(特に新しいところの流行ものは)ぜんぜん読んで無いのだな、と実感する。りぼんと花ゆめも作家つながりでしか読まないし、なかよしはレイアースとさくらとセラムンしか読んでなかった(それも毎回ではないし)し、少コミやマーガレットには、まったく縁がなかったのだ。


男性にとって、少女漫画で描かれる女性は、女性の幻想する理想であり、またどうしようもなく現実的な姿でもある。
それは、どうしても男性向けのコミックばかり読んで育ってしまうわれわれ男性にとって、宇宙の半分を見るような、そんな世界に見える。








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2002.02.17 holy「コミック・漫画の、皮膚感覚的読書感想文」


ネット上でよく見かける「書評」というのをやってみようと思い、最初はコミックに絞った読書感想文を書こうと思っていた。

だが、好きな作品を挙げても、いまさら語るところを持たないものが多いことに気がつく。

実は、学校課題のような読書感想文は嫌いなほうで、このテキストを書き進めつつも、はたと

「読んで、ただ面白かっただけで、なぜいけないのか」

と、そんなことを思った。

物語の本質を、わざわざ分析し「こうだ」と発表するのが、ひどく
無粋な行為に感じたのだ。


だから今度の感想においては、
作品の本質を、とりたてて文章化しないことにした。

次回更新からの漫画に関する文章は、作品に「触った感じ」を、いわば
皮膚感覚に似た読書感想を書いたものであり、「私にとっては、この作品の、この部分の触り心地が好きで、それ以外の本質も見えるような気はするが、そんなのみんな分かってるだろう? だからとくに書かない」という、文筆業的にはどこも使ってくれないような、いろいろ失格なテキストである。(漫画によっては、その皮膚感覚でとらえた部分こそが本質だったりもするが)


そんなわけで、
その文章量と作品評価自体は何の関係もなく、最高レベルの内容と思いながら一言の評しか無なかったり、大したこと無いと思っていても、一項もうけてダラダラ書きつつ、マイナーな作品を褒めちぎったりしているとゆー身勝手な内容の上に、基本的に作品紹介になっていないということを、いちおう明示しておく。これは、いまこの時期に「どんな漫画を皮膚感覚的に愛していたか」の記録、と言う程度のものなのだ。






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2002.02.15 fri「エクソシスト」


これもちょっと前の話だが、テレビで映画「エクソシスト」を見た。
最初に見たのは小学生の頃だったが、いまみるといろいろ違って見える。


なにより物語の冒頭に、われしらず引き込まれた。

仕事の都合で引越してきた母子家庭。女優であり、撮影に追われる母親。別れた夫のことを、電話でヒステリックに罵倒する母。それを影でみている娘・リーガン。さみしくて母のベッドに潜り込むリーガン。仕事仲間とのパーティーに入り浸りになっている母。帰りを待っていて眠れなかったリーガン。

そしてある夜、仲間と夜遅くまで騒いでいる母の前で、ついに発現する悪霊現象。

悪魔が娘の精神に侵入する瞬間である。その
「こころの隙間が拡がる過程」が見事に描かれていた。

衝撃的な悪魔憑きの映像ばかりが注目されるが、これが1949年に起こった実話「メリーランドの悪魔祓い事件」を元にしていることも含め、物語の説得力は、前半45分の、こういう描写の確かさにあると思った。


リーガンに憑いた悪魔との戦いは、イエズス会派のカラス神父(若い)とメリル神父(ベテラン)によるものだったが、せっかくの二人体制なのに、若い方が未熟すぎて、ベテラン神父の足を引っ張っているのが、どうにも歯がゆかった。
ベテラン神父の死に激昂し、我を忘れてリーガンに飛びかかるカラス神父。自分自身に乗り移らせて始末をつけるのは、壮絶ではあるが、エクソシストとしては失格だと思う。彼の未熟さが情けなかった。

ホラーものの映画に詳しいわけではないが、人間がきちんと描かれていると、「恐い」という魅力以上に、ドラマが見るものを引きつける。というか、これはホラー映画ではないな、と思うがどうだろう。

今度機会があったら封印バージョンも見てみたい。

(日記更新時は、役名が間違っていました。現在は修正してあります)





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2002.02.13 wed「就寝前読書」


「寝る前に本を読む」もしくは「本を読まないと寝られない」という人は、けっこう多いと思う。こんなテキスト系コンテンツを毎日みにくるような人は、大半がそうだろう。

仕事が忙しい人は、新刊や未読の本を、その時間に処理するケースが多いと思うが、就寝前の読書は、一度読んだことのある本が良いという。

新本であり、ましてそれが予想に反して面白かったりすると、ドキドキしてねつけないからだ。

たとえば、
山上たつひこの「光る風」(筑摩文庫)(「がきでか」以前に描いていたシリアスな漫画)など言語道断である。

古い漫画だが、作品自体が強烈であったばかりか、私が生まれた年に雑誌連載されていたのになぜか児童館にあった1970年の少年マガジン(猫目小僧とか載ってた)を小学生の頃に拾い読みしてしかも偶然にのっていた当作品中もっともえげつないカットをそこで見たためトラウマとなり家に帰ってもショックのため寝るに寝られずそのまま寝ゲロを吐いて窒息しそうになったマンガがまさにそれだったりして思いがけず25年ぶりの心的外傷との再開を果たしたりするからだ。

そのまま、どうしても寝られなかった。


遠回しに推薦しているのだが、ハッキリ言って私にも、この漫画が純粋にどこまで衝撃的なのかよく分からない。

もし読んでことのある人がいたら、感想を共有したいものだ。






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2002.02.12 tue「映画・風の谷のナウシカ」


だーいぶ前だが、金曜ロードショウで「風の谷のナウシカ」を見た。

中学の頃から何度も見てきたが、泣いたのは初めてだった。
傷ついた王蟲の子を群へ返そうとするナウシカ。怒濤の中にあって静かなる死、そしてナウシカの復活。ある程度の深度まで逝った人には当然のたしなみだと思うが、いまだに
台詞も一字一句、効果音に至るまで諳(そら)んじられるほどよく知っているのに、それでも泣けてしまった。

この年になって分かること、感じられることはいくつもある。と言うよりは、社会的に色んな立場を通過することで、人の心情が分かるようになるのだ。かつての自分では泣けなかったのは、まだ人間の情というものが分かってていなかったのだと、つくづく思う。

いまは少しだけ、ナウシカの苦労が身近に思えるようになった。

ナウシカを演じた声優の島本須美さんは、「ルパン三世・カリオストロの城」のクラリス、「めぞん一刻」の音無響子、「ジャイアントロボ」の銀鈴、ハーメルンで言えばホルン様を演じるなど、ホーリーボイスの大ベテランである。

彼女がナウシカを演じたのは、もう17年も前だ。


ナウシカといえば、劇場版は、スパッツが
あろうことか肌色なので「パンツはいてないのでは・・・?」と誰もが訊くに訊けずに当惑したり、非着用説を唱える派はひたすら病気の心配をしたり、「ハドソン婦人の握れるくらい細いウエストと比べると、ナウシカは健康的な体型だなあ」とか「それにしても、胸でかいなあ」などと感心しながら何度も見たものだった。

ナウシカの胸といえば、宮崎監督と、島本須美さんとの、こんな対談がある。


(宮崎)「ナウシカの胸は大きいでしょ?」

(島本)―はい(笑)

(宮崎)「あれは自分の子供に乳を飲ませるだけじゃなくてね、好きな男を抱くためだけじゃなくてね。
あそこにいる城オジやお婆さんたちが死んでいく時にね、抱きとめてあげるためのね、そういう胸なんじゃないかと思ってるんです。
だから、でかくなくちゃいけないんですよ」

(島本)―ああ………なるほど…(衝撃!)

(宮崎)「その、やっぱりね、胸に抱きしめてあげた時にね、なんか安心して死ねる、そういう胸じゃなきゃいけないと思ってるんですよ」

(島本)―よくわかりました。


いい話だ。

いま聞くと、意味が良く分かる。


10代は経験に、20代は実行に、そして30代というのは何かを味わうのに、最も適している時期なのかも知れない。





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