2001.12.31 mon「2001年から2002年へ」


2001年が終わる。

一年前、21世紀が始まったときには
「ちくしょう! まだ自動車に車輪がついてやがる!!」と思ったものだったが、今年も終わろうとしているのに「革命的な乗り物」と噂され、空を飛ぶような話まで伝わってきた「ジンジャー」(←まちがい・・・だと思う動画)には、結局タイヤがついていた。(下の方に動画リンクあり。こちらは公式)がっかりである。


個人において今年いちばんの出来事は、6年勤めた書店を辞めたことだろう。
退職前後の日記では、大変だ大変だと労働条件に文句をつけ、ひとり愚痴をならべたが、周りの環境を客観的に見てみると、私よりも大変な人はたくさんいる。恥じ入るばかりだ。


辞めた後は各地を遊び回り、絵を描きまくり、ここではとても書けないようなことを色々やり、ネットで知り合った人とたくさん会えた。
そうしてあっという間に年末である。

書店勤めの間にやり残したことは、かなり消化できたと思う。

来年は、はじめのうちこそ準備に費やすが、出発の年だ。







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2001.12.29 sat「墓参り」


ある女性から「死んだ祖母が枕元に立って、『自分の周りには、いつも明るく花が咲いていて、お線香のいい香りがしている』と語った」という話を聞いたことがある。

夢を見た本人の思い当たる節は、日頃から母親と通っていた、月に一回くらいの
墓参りだと言うことである。
祖母が亡くなってからの墓参り歴は、母親の方が圧倒的に長い。しかし、嫁は好かんが孫は可愛い祖母の心情が、孫娘である彼女の夢枕に、影を立たせたのだと思われる。(彼女自身も、幽霊をよく見る体質らしく、それも手伝っているのだろう)

彼女は、照れながら「ちゃんと届いていたみたいで嬉しい」と話してくれた。
本人の口からはでなかったが、彼女はたぶん本当に祖母を悼む気持ちで、墓前に立っていたのだと思う。

おそらく、彼女のように、こころをこめて手向けた花には
霊的な価値があり、死後の世界でも、故人のまわりで美しく光りかがやくように咲くのだ。


人間は死んだ後も、魂の存在となって、霊の世界に生き続ける。そして、故人を慕う生者の気持ちは、そこにも届くのだ。
ただそれは、義務的に墓参りや焼香をするだけで通じるものではなく、どれだけのこころがこもっているか、という点が大きいと思う。なにせ相手は精神だけの存在なのだから、通じるとすればそれしかない。



「いい話を聞いたなあ」と思い、私も祖母の十三回忌を前に墓を掃除しにいった。もちろん仏花を持ってだ。
ひととおりの掃除を終え、線香に火をともして、手を合わせる。

この失業保険で生活している時期の1400円(350円×4束)の花は、その霊的な価値から推察するところ、霊界でも核爆発の閃光なみに、すさまじく光って見えることだろう。

祖母には、よくよく感謝していただきたい。

そう祈って墓前を離れた。



それが11月のことだったが、先日年内最後の墓参りに行ったところ、水入れの茶碗が、
真っ二つに割れていた。
発見した瞬間、思わず墓前で硬直してしまった私の頬を、十二月の寒風が吹き抜ける。


そういえば祖母は、生前、気性の激しい人だったと聞いている。

もしかして癇に障ったのだろうか。

それとも、眩しすぎたのかな・・・?


そんなことを考えながら、寺僧に替えの湯飲みを譲ってもらい、こそこそと墓の手入れをする。

今度は神妙に手を合わせながら、たしかに、こころというのは通じるようだと私は思った。





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2001.12.27 thu「陳腐ドラマCDのフォーマット」


黒天野「KanonのアンソロジードラマCDが発売されてるようです。(12/22発売)」

白天野「今度のは、前作のようなゲームシナリオを音声化したものと違って、内容オリジナルのようだな」

「どんな話になってるんでしょうなあ」

「Kanonだけに、どんな陳腐な話になっても、売れることは間違いないが」

「でも、『アニメ店長・ラミカード娘。』に収録されている『陳腐ドラマフォーマット』のように、『南の島』もしくは『温泉』というネタだけはやめて欲しいものです」

「なんで、番外編ドラマCDというと、
南の島編とか温泉旅行編とかスペースオペラ編とか江戸時代編とかいったパターンばっかりなんだろうな」

「そういや昔『逮捕しちゃうぞ』でも江戸時代番外編がありましたっけ」

「それにしても、ドラマCDで温泉というのは、基本的に畑が違うような気もするが」

「声だけ聞こえてくる、というシチュエーションを表現するには優れたメディアかも・・・。とりあえずフォーマットにあてはめてみましょう。まず・・・」

 
「おなじみのメンバーが町内会の福引きにあたり、温泉旅行にでかける」か」

「まあ、これは秋子さんでしょう」

「並はずれた強運で、温泉旅行の招待券を当てるわけだ」

「でKanonの主要キャラクター全員が、なんだかんだで温泉旅行に行く、と」

「あー、ハピレスのドラマCDでも、こんな展開あったなあ」

「いや、もうハピレスどころじゃなくて、古今の番外編ドラマCDには
数え切れないくらいこのパターンがあるんだけどね。で・・・」


 
「『覗かないのは女性に対して失礼』と言って、お調子者キャラが宿屋の天井裏を匍匐前進する」

「これは北川のセリフだな。声が関智一だし。で気がつくと祐一が誘い出されている」

「ほっかむりして」

「そう、ほっかむりして」


 
「しかし板が外れて、どぼーん! と男湯に落下する」

 
「その男湯にはオチとして、無意味にマッチョ軍団がいたりする」

「ああ、なんかもう・・・」

「ちょっと時代を感じるけど、それでも、すでに手垢でべとべとのパターンだ」


「で、ええと
「ライバル組織が偶然おなじ温泉に慰安旅行にきてたりする」か」

「女神さまでもあったなあ」

「この場合は
To Heart か?」

「MOON.・ONE・AIR・痕・雫・まじアン・こみパあたりのキャラクターも同じ温泉に泊まってたりして」

最萌葉鍵トーナメントかい」


 
「カラオケで勝負! と言ってキャラソンで歌合戦。お手軽に満腹感を演出」

「キャラクターソングか・・・」

「よく歌手名=役名でシングルCDとか出てたっけ。レイアースとか」

「いまの声優さんはみんな歌が歌えるから、持ち味のアピールにもなるけど」

「でもこう言うのが過ぎると、
普通のアルバムよりベストアルバムの方が多くなるんだよね・・・」

「一時期の林原さんとかな」


 
「その後の宴会では、いつもは大人しいヒロインが意外や酒乱と判明」

「萌えとギャグ、最大のポイント」

「このフォーマットで、もっとも脚本家の腕が要求されるシーンです」

「KEY系もリーフ系もそうだけど、キャラクターが腹の底で何を考えているのか、ぜひ見てみたいぞ」

「ファンからの反発も絶賛も、ここでの反応が多いようです」

「まあ、この後の酒の勢いで脱ぐとかいうのは、別にして」

「お色気ものだと必須なんですけどね・・・」


 
「そして最後は、宴会を抜け出した主役カップルがちょっといい雰囲気になるも、のぞいていた一同がドドドーっと倒れ込んできて、ジ・エンド」

「あー」

「あーあ」

「ここまで読んだ人は、あまりドラマCDに馴染みが無くても、このオチには
思い当たる節があるんじゃないかなあ。」

「陳腐だな」

「陳腐だね」

「それでも、この手のCDがドンドン出てバンバン売れてるのは、声優さんが巧いだけで
「いいドラマだ!」と気に入ってしまうマニアの性(さが)ゆえか」

『いいんだ、井上喜久子さんの声さえ流れていれば(泣)』とかいう精神状態で、コミケの販売会場でやったこともないゲームのドラマCDをフラフラと買うような客なら、かんたんにだませるし、この類のドラマは業界から消えないでしょう。若い人にはいつまでも新鮮だろうし」


「だんだん不安になってきましたが、実際に出るKanonのアンソロジードラマCDは、どんな出来でしょうね」

「いくら何でも、このフォーマットどおりってことはないとおもうけど」

「万が一そんなCDだったら、
3150円は出せないよなあ」

「無職の人間にはキツイよなあ」

「でも、そういうCD、いっぱい買ってるんだけどね・・・」











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2001.12.23 holy「アロエの花」





ふと見ると、庭のすみの方で、
アロエの花が咲いていた。

アロエである。「医者いらず」ともよばれる、薬草として有名な多肉性植物だ。

アロエは、その名前自体が「苦みのある」という意味のアラビア語だけあって、口には好ましくないが、通じをよくし、副作用がまったくなく胃の働きを増進する薬として認められている。さらに、抜け毛の防止、頭痛、眼病、扁桃(へんとう)炎、切傷、火傷、湿疹、かゆみなどに効くという話だ。


それを、うちでは母が重宝していて、この大きな木立ちアロエを栽培している。
小さい頃から馴染みのある植物だが、花のことは、この目で見て、初めて知った。

もとは乾燥した地域の植物なので、日本では冬に咲くのも道理である。


まだ咲ききっていないが、こんな感じだ。これが、1月の終わり頃までかかって、下からほどけ、徐々に満開になるときく。



冬に咲く花は、珍しい。

春は華やかに、夏は元気に、秋は趣(おもむき)ある花が咲く。
だが、冬に咲く花は、孤高だ。

淡々と、しかし凛々しく咲く花である。

春夏秋の花の可憐さに比べれば、アロエのそれは、かわいくも美しくもないかもしれない。だが、私は立派な花だと思う。


「温暖な陽気の中で、充分な肥料と世話を受けないと咲けない」と言う花はたくさんある。

だが、苦い醜い恐いと言われ、放って置かれても人の役に立たんとする花がそこにあった。


寒風に泥水をすすって、それでも凛として花をつけるアロエの、驚異的な忍耐強さに、私はしばし、見とれる。

非常に人間味のある女性、とりわけ厳しい母親を思わせる植物だと思った。





アロエと言えば、物語では、この苦さが比喩に用いられるのを思い出す。
その苦味は、愛する男女が引き離されるときの、涙の苦みだ。

だが、時間をかけて成長し、やっとひとつだけつけることを許されたアロエの花の密は、驚くほど甘い。

これも人生のように思えた。








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2001.12.20 thu「ネコ」


ネコと言えば鍋である。秋から冬にかけ



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2001.12.20 thu「ネコ」


ネコと言えば、実家が呉服屋をやっているため、家屋を歩き回るペットが飼えず、私にはあまり馴染みのない生き物である。
だが、婚約者がネコ好きと言うこともあり、私もすこし
ネコに近づいてみようと思った時期があった。

前職時代のある夜、深夜に帰宅するのがシフト上の習慣であった時期である。帰宅してみると庭先に、かならず一匹のネコを発見するようになった。飼い猫が夜の散歩に出ているのか、人を怖れるでもない様子だ。

そのネコにハムを一切れ差し出してみた。手からは食べなかったが、皿にのせて出すと、警戒しながらも食べはじめる。
おそらく、毎晩おそくに、このあたりを巡回しているのだろう。タイミングが合うので、私はこのネコを餌付けしてみようと思った。

ハムを食べるネコを見ながら、まず名前を付けようと考える。
「月影」とか「プラズマ」など、ハムスターのときもそうだったが、
私は名前にこだわる癖があった。

よく黒ネコを「クロ」、白ネコを「シロ」、虎縞のネコを「トラ」と名付けたりするのを聞くが、そういう安直なネーミングは嫌なのだ。




そりゃあ、もし






(画像の出所不明。著作権所持者様すみません)

こんなネコでもいようものなら「ドラちゃん」と名付けるしかない

だろうとは思うが、目の前の子は普通のネコである。できるだけ雅(みやび)な名前にしてやろうと考えた。

ネコの顔をじっと見る。目が合うのを嫌ったのか、ネコはつい、と立ち去ろうとする。「あ、おーい」と呼びかけると、一度だけ振り向いた。その拗ねたような顔が


(Michelangelo Buonarroti 1475〜1564)


こう見えた 私は、直感でそのネコを「ミケランジェロ」と命名した。

「よし、今日からお前の名前は『ミケランジェロ』だ! 略して・・・」

明日もハムを用意することを誓って、垣根を越していく後ろ姿を、私は見送った。

「ミケ!」

ネコは茶トラだった。




それからしばらく、午前3時頃の食事を提供する関係が続いたが、あるときぷっつりと終わってしまった。
仕事のシフトが早番に変わり、ミケにエサをあげることができなくなってしまったからだ。

やがて遅番に戻ったが、ミケはもう姿を見せることもなく、残しておいたハムも、朝まで手を着けられた様子はなかった。私とミケとのつきあいは、それまでだった。



ところが、先日、ばったりそのミケと再会することができたのである。近所の飼い猫なので、当然と言えば当然なのだ。だが、ミケは私のことを
完全に忘れているようである。

近寄って、ほんとにミケか確認したいが、警戒されているような雰囲気なので、遠巻きに見つめることしかできない。しゃがんで、名前を呼ぶ。

「ミケ、ミケ」

茶トラのネコにそう呼びかけるヒゲ面の男は、事情を知らない人が見たらかなり不思議な存在だったろう。
低いブロック塀の上に箱座りして、そっぽを向いているミケは、
耳だけこっちに向けてシカトを決め込んでいる。
ジリジリと距離を詰めたが、結局逃げられてしまった。




ネコを飼った経験もなければ、なつかれた経験も私にはあまり無い。ミケに逃げられたのは、こちらがネコという生き物をよく知らず、怖がっていたからだろうか。

あるいは、一瞬「天ぷらにしたら美味いかな」と思ってしまったココロを読まれてしまったのかもしれない。



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2001.12.18 tue
「死体・死人の顔・デスマスク」


死体を気味悪く思うことは、ごくごく当然のことである。

人間の顔の筋肉というのは、微妙な感情の変化を映し出す。これは実にこまやかで、例え本人が何も考えていなくても、潜在意識のようなものから、ふと頭をよぎった言葉にならない感慨までも、表してしまう。たとえ無表情に見える人でも、顔面の肉は筋力をたたえて、その人のこころの機微を、常に反映させているのだ。

しかし、死体というは、その筋肉の動きが完全に停止した状態である。

人は、誰かの顔を見るとき、かならずそこに感情を読もうとする。相手の表情の奥にある精神を、無意識に探るのだ。
これは、人間の習性である。

しかし、死体からは、それが見つけられない。だから死人の顔をみるとき、人はゾッとし、不気味に感じる。


それを気味悪く感じない人は、故人の過去の表情を思い出し、デスマスクに重ねているのである。

死に顔を気味悪く思うことを、恥じることはない。ただできれば、故人との楽しかった日々を、思い出してくれればいい。







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2001.12.16. holy「市歌」


私が住んでいる岐阜県関市では、私が小学生の時「関市の歌」ができて、音楽の時間に合唱したことがある。いまでは、昼12時をつげる放送の音楽で、市中央のサイレン塔からその市歌が流れているほどで、市民はこの歌をよく知っている。

市歌とは、そういう親しみやすいものだと思っていた。


ところで誤解のないようにあらかじめキッパリと断っておくが、
うちの市ではないところで、こんな市歌がある。







もう、一番から
「少女の乳首の尖きに富士とがり」で、二番が「雲の崖に身を投げる少女の足裏」って、足の裏というのは「あんな女、ベルダンディさまの足の裏以下だ!」と女性の美しさやセックスアピールに代用される単語で、個人的にはこっちの方がエッチな気もするが、それはさておき、三番にいたっては「尖がり始める少女の乳首の富士」って、おいおい、誰かこの作詞の先生とめろ。それにしても、この市川市市民もしくは市川市職員は、だれも異議を立てなかったのだろうか。

聞くところによると、作曲の先生は、合唱などの世界では有名な大御所とのことである。
拝聴したことはないが、おそらくこの「透明の芯の芯」は、歌い応えのある、良い曲なのだろう。
そして、小学生の清らかな歌声を乗せると、これがまた、さぞかし美しい曲なのだろう。

私の出身小学校では、市歌を
大合唱したものだったが、この歌も、そんな使われ方をするのだろうか。

ぜひ聴いてみたいものである。






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2001.12.14 fri「イエス・キリストの十字架」


十字架のペンダントというものを、よく見かける。
そして教会に掲げられた、イエス・キリストの十字架像も。

信仰のあるものはもちろん、宗教に興味のない日本人の多くまでも、まるで美しいものを見るようにそれを見上げている。もうクリスマスも近いからだろうか。

だが、十字架それ自体が美しいと、我々は思っているわけではない。
ただ、清楚たるクリスチャンがいままで示してきた、人類の良心というべき清さ、その美しさに、シンボルとしての十字架を重ねているだけだ。

だが、十字架それ自体には、もっと凄惨な意味がある。


クリスマスを前に、街全体や店舗などが、緑と赤と、そして金色に飾られていく、そんな良い雰囲気の中で申し訳ないが、人によってはかなり不愉快に思うであろう話をあげておく。

イエス・キリストが十字架に架けられ処刑される話だ。

たぶん、十字架を見る目が多少は変わると思う。




ガリラヤの畔の村に生まれたイエスは、私生児の境遇で産み育てられた。普通であれば13才まで待ってエルサレムに参るのが当時の風習だったが、12才のときに連れて行かれたくだりなどからも、それがうかがえる。イエスは、やがてたくましく成長し、聖書の歴史から一度姿を消す。

この間の行方は、一説によるとチベットに旅に出ていたいわれる。エジプト・イラン・インドを通り、そしてチベットである。かの地にて17才から29才までを「イッサ」と名乗り、僧として暮らしていたというのだ。「聖イッサ伝」として知られているそれは、後世の創作という噂もあるが、原文がパーリ語で書かれていたことを考えると、書自体は、まず本物と見て間違いないだろう。

ともあれ、30才になり故郷に戻ったイエスは、神の国の福音を述べ伝えながら、ユダヤの国の、町を村を巡回しはじめた。
イエスの語る教えは、既存のユダヤ教と大きく違いながらも、それこそ今で言えば社会問題になろうとする勢いで、民衆のこころをつかんでいった。彼の教えは、律法でがんじがらめにされたユダヤの社会において、罪人を許す愛を説いたからだ。だが、その愛に満ちた教えは、当時の権力者である律法学者や祭司長の嫉妬を買う。彼らは、そのねたみから、当地を支配していたローマへの反逆罪として、イエスを訴えた。

そして、一方的な裁判がはじまる。最終的な責任者であるピラトは、イエスに罪がないことを認めていたが、祭司長たちにうまく扇動された群衆が、暴動寸前の勢いで、イエスを十字架につけよ、と要求してきた。それをピラトは、何度も棄却しようと試みるが、群集はなおも大声を上げて詰め寄り、わめきたてて「彼を十字架につけよ!」と叫び続ける。いまでいえば手拍子で「十字架! 十字架!」と連呼するような感じだろうか。

ピラトは保身のため勢いに負け、イエスの身柄は、ついに群集に引き渡されることになる。



この後、イエスが負う苦痛は、聖書ではじつにアッサリと書かれている。確かではないが、当時の死刑の風習、聖骸布などを調べた記憶などを参考に、
わかるかぎりこれを再現してみたい。ここが今日記の肝だ。


イエスは、いばらの冠を被せられる。いばらのトゲは、バラなどと違い、易々と皮膚を貫く、太くて硬く長いトゲだ。これで作られた冠は、当然、内側に向かってトゲが編み込まれている。しかもほとんど被ることのできないくらい窮屈な内径だ。これを、イエスは強制的に頭にはめられた。
よく絵画などで、そっと頭に乗せているだけであったり、細いトゲが申し訳程度に生えている冠が描かれているが、冗談ではない。
イエスは、骨に徹るくらいトゲの食い込んだ冠に、顔面が血に染まるほどの傷を負ったはずだ。

そして
イエスは、鞭に打たれる。鞭と言っても、現在のような馬に当てたりカウボーイが使うような物ではない。革でできており、グリップから数本に別れてのびた先端には動物の骨、太釘(くぎ)、ガラス片、鉄球などがつけられている。これで背中を打たれるのである。「痛い」等というものではない。一発で皮膚が真皮まで裂け、次いで筋肉まで先端がめり込む。恐ろしく重い鞭による背中の打撲、裂傷、そして骨折。内臓の破裂もあったという。そして痛みのあまり気絶しないように、酔い葡萄酒を飲まされたり、塩水をかけられる。背中の傷に塩水である。そして、この鞭打ちが、40回続く。

この後、
イエスは自分がかかる十字架を背負わされ、みずからゴルゴダの丘へ歩かされる。
十字架である。それは、
そこに人間を釘付けにしてさらすための木で組まれた棒である。イエスは大柄な男だったという説があるが、その男の両腕を広げた以上の長さをもつ横棒がまず必要であり、縦棒には、頭の上に罪状書きをつけられるだけの分と、彼の身長、そして足の下に、処刑場に、観衆が見上げるほどの高さに固定してなお揺るがないだけの長さ、そして成人男性が固定されて何日も揺るがないだけの太さが求められる。

明確な寸法は失念してしまったが、横で180センチは越えるだろうし、縦では4メートルは下るまい。
そしてどんな木材かはわからないが、その径は、一辺が20センチはあっただろう。

そんな大木を背負って、町を歩かされるのである。しかも、目的地は処刑場であり、そこでは自分自身が「世界で最も残酷な処刑法」と言われる十字架刑にかけられるのだ。


聖書では一言「それから、イエスを十字架につけた」とだけしか書かれていないが、十字架刑がはじまる前にも、特筆すべき部分がある。


十字架とは、生きた人間を、釘で固定する架台である。
これも絵画などで、手の平と足の甲に釘を打たれている、痛ましいイエス様の絵を拝見するが、
実際は違う。

この釘も、その使命から察するところ、
20ミリほどの径があると思われるが、これで手の平を貫通し、固定しても、人間の体重がかかると、場合によっては手の肉が、中指と薬指の間から裂けて、逃げられてしまうことがあるのだ。したがって、公式なやりかたは手首に打つのである。肘から手首に繋がる二本の骨の、その隙間だ。これが手首で合体する手前に、釘、というか鉄の杭を打ち込むのである。

足もしかりだ。足を添える台が描かれている場合もあるが、死刑囚にそんなものは必要ない。これも手と同様に足の甲では、肉が裂け逃走されてしまう。従って、鉄杭は脛(すね)に打つ。しかも、左右の足を二本重ねて、弁慶の泣き所とも言われる向こう脛(すね)をまとめて貫通するのである。

これで、ほとんど間違いなく逃げることはできない。

十字架刑は、ここからはじまる。



地面に寝かされた十字架に固定されたイエスは、今度は、処刑場の大地、おそらくは十字架を固定するための穴があると思われる部分に立てられる。このときの描写として、よく腰を布が隠しているが、実際は全裸だ。

最初は、全身の体重が手首とすねにかかる苦痛が来る。これは容易に想像できると思う。
そして苦痛と疲労により身体から力が抜け、腕を水平に保てなくなる。すると身体は、胸から前のめりになっていく。腕を広げ、手首がどこかに固定されているつもりで前のめりになってもらえばわかると思うが、ここで来るのが
呼吸困難である。息ができないのだ。やむなく、死力を振り絞って、手首に打ち込まれた鉄杭を支点に、不格好な懸垂を行うことになる。わたしはこの苦痛を表現する言葉を知らない。おそらく片腕ずつの懸垂だろう。それで上体が持ち上がるとようやく息ができる。だがその状態は、腕を水平にして、しかも手首の杭で体重を支えているという、体操のつり輪などで見る十字懸垂と同じような状態だ。この状況で腰に力の入るはずもなく、全体重が手首にかかる。手首と背筋を使っての維持ができなくなり、身体がずり下がると、また呼吸ができなくなる。そして地獄の懸垂である。

十字架に架けられたものは、これを延々と繰り返す。
刑がはじまってしばらくすると、受刑者の肩関節は、この無理な懸垂のせいで
脱臼する。ほどなくして両肩とも抜けてしまうのだ。こうなると呼吸のための作業は倍の苦しみである。

健全な人間であった場合、この刑で死に至るまでには、数日を要すという。
苦痛は最大限に、致命傷のないまま時間をかけて、過労による死を強いるのだ。

しかし、鞭打ちが度を超していたという説もあるが、イエスは6時間で絶命した。
これを不思議に思った者もいたが、刑の後、イエスの脇を、ロンギヌスという兵士が槍で突くと、そこから血と水が流れ出たという。内臓が破れて、肺に水がたまっていたのだ。十字架刑は、これをもって執行完了の確認、終了となる。あとは腕と脚を砕いて遺骸を外し、墓に放るだけだ。


この刑罰には、手首と足の脛を杭で打ち抜かれ、しかもそこで体重を支えなくてはいけないと言う苦痛、さらに力を抜けば呼吸ができなくなり、呼吸のためには懸垂をしなければならない無限の苦悶、そして緩慢な内臓破裂と、肺に水がたまるという溺死に似た苦しみがある。

ほとんどの受刑者は、その苦しさに悶え、泣き、人生の全てを悔い、後にあらゆるものを呪い、そして、殺してくれと懇願しながら死んでいくという刑である。早いうちに発狂することのできた者は、幸運だという話だ。




これを、群集は見物する。
裁判官であるピラトが、この人に罪はない、と言ったのを無理に推して十字架に架けさせた群集が。

だが、この群集の中には、間違いなくかつてイエスの説教に触れたことのある者もいた。かつて何千人と聴衆を集めたイエスの実績から察すると、そうとうな数と思われる。

世を惑わし、ローマ皇帝に反逆し、偉大なる神の律法を破壊しようとした世紀の大罪人、ナザレのイエスが最後のとき、彼を少しでも知る者は、その誰しもが、心の中で叫んだだろう。


「はやく言ってくれ!」
「はやく呪いの言葉を、俺たちに!」と。


「思い切りくちぎたなく、おれたちを罵り、七代消えないような呪いをかけてくれ!!」


彼らは懇願するような気持ちで、そうこころに叫ぶ。


「たのむから、俺たちを呪ってくれ! でないと・・・」



俺たちは本物の救世主を、この手で殺したことになってしまう。


こころのどこかで、
自分たちがなぶり殺しにしている男が、もしや救世主なのではないか、という不安。彼らは耳を澄ます。一言でもいい。イエスが、普通の人間が必ずするように、我々を悪く言ってくれれば、自分たちは救われる。ああ、よかった。イエスは救世主ではなかった。ユダヤの民と世界を救う神の子なんかじゃなかった。ただのニセモノ、普通の犯罪者だった。そう思わせてくれる、彼が吐くはずの呪いの言葉。その一言を聞き漏らすまいと、無知な群集にまじる彼らは耳をそばだてる。脂汗をたらしながら、口では周りに同調してイエスを罵倒しつつイエスの嘆息に聴き入る。そして、やがてそこに、彼らが待ちわびたイエスの声がきこえてきた。




「父よ、彼らをお許しください・・・」


それはきっと、雷がおちたような囁きだっただろう。


「彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」


そして、至聖所にある天幕が、真っ二つに裂けた。

イエスは、キリストとして死んだ。



この日から、ユダヤの民は救世主殺しの罪科を背負うこととなる。裁判のとき「その血の責任は、われわれとわれわれ子孫の上にかかってもよい」とピラトに答えて言ったとおりに。イエスは呪わなかった。せめて彼らの罪を軽くすべく、神に取りなした。だが、彼らは呪われてしまった。自分自身の行いによって。



クリスチャンが接吻をし、胸に掛ける十字架は、救いの象徴である。だが、同時に、
これほどの苦痛と不当な仕打ちのなかで、それでも神と民を救わんとした、偉大な宗教家の勝利の証と、私は見る。

惜しむらくは、十字架刑などで死ぬべき人物ではなかったと悔やむものである。




「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪い取る者からは取り戻そうとするな。人々にしてほしいと、あなたが望むことを、人々にもそのとおりにせよ。(ルカによる福音書 6/27-31)」




胸にさげ、また教会の屋根に仰ぎ見、あるいは美しく飾られている十字架に、この苦痛とこの言葉を見てほしい。

それは、その出発も終局も、地獄のような苦難にみちたイエスの生涯の象徴でもある。

そしてその苦痛とその言葉こそ、人類の良心を導く偉大なる恩恵・キリスト教の出発点なのだから。








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2001.12.12. wed「アクセス解析」

黒天野「えー、じつは最近
「アクセス解析」というのを始めてまして」

白天野「いまバナーがはってあるから、気づいてる人もいるかも知れないけどな」

「夜想曲トップと日記各ページにハイパーリンクで飛んでくると、
そのリンク元のURLを記録してくれるという仕組みです」

「たとえば、誰かが『天使 イラスト』という条件で『Yahoo! JAPAN 』 に検索をかけ、出てきた結果から夜想曲へのリンクを開くと、

http://search.yahoo.co.jp/bin/search?p=%C5%B7%BB%C8%A1%A1%A5%A4%A5%E9%A5%B9%A5%C8

というURL(リンク状態)が記録される」

「これを管理人の天野は見ることができます。つまり、
誰のリンクから、もしくはどういうキーワードで夜想曲を探し出して、見に来たのか。それを調べられるわけです」

「とりあえず今日までの解析結果を見てみるか」


「夜想曲の入り口は、他のリンクページからアクセスが多いですな」

「HAPPYさんの『Concerto』、めぐみ佳さんの『眠りの森 Project』、薄荷さんの『クルエル+ムーン』などなど」

「ありがとうございます!」

「まだ解析はじめたばかりなので、総合的にはどこのリンク稼働率が高いかわかりませんが、なんか嬉しかったので書きました」


「これ以外だと、やはり検索エンジンからのヒットが多いようです」

「Yahoo で『ハーメルンのバイオリン弾き』と入力しても
ウチしか出ないぞ」「いいのでしょうか?」

「Yahoo 以外でも、『ハーメルン』や『ヨコハマ買い出し紀行』で上位に検索ヒットするのは、トップページの更新履歴で、タイトルの後に分類がずーっと書いてあるせいだろうな」

「『Kanon 解釈』や『Kanon 感想』で、検索して来てくれる人がいると、ああ、書いて良かった、って思います」

「ちゃんとヒットしてる感じがあってうれしいな」

「あと特筆すべきは「TINAMI」です。『ヨコハマ』をはじめ『Kanon』や『ベルセルク』、『女神さま』や『守護月天』『プリメ』で来てくれる人が多い。でもなぜかTINAMI での『ハーメルン』で来る人はいません」

「『Kanon お話 年齢高め』という玄人好みな検索で来てくださった方もいる」

「あと、TINAMI から『AIR』できてくれたりすると嬉しいです」

「『Air 銀色の海』っていう検索には驚いた」

「でも『www.usiwakamaru.or.jp内でAIRの解釈』っていう検索もあったし、単に場所を探していただけなのでは?」

「コンテンツ増えすぎてるからなあ」

「自分でも、日記の内容探すとき、Googleつかってるぐらいだもんな」



「トップページはこのくらいにして日記に行きましょう」

「日記のヒットは、実はとても多いです」

「もう、
物凄いです」

「寝言日記の頃から、一貫性なく書きまくってきたから無理もないけど」

「でも、日記の評価は
「おもしろい」の他に、どういう意味か不安だけど「役に立つ」という意見や「思想や考え方が参考になる」とかもあって、無駄じゃないと思うぞ」

「そうだな、たとえば
『人間的内容』とか『自然と人間の共存 システム もののけ姫』で検索かけてる人もいる」

「これなんか、検索者の意図や、人柄がほのみえてイイ感じだ」

「そういう人に、いままでの日記は、多少は参考になっただろうか」

「参考になったといえば
『横顔の書き方』という検索で来てくれた人」

「描き、ではなく書きとしてしまった誤字が幸いしたか。ちなみに
『全身の描き方』という検索結果もあった」

「あと参考になっただろうか、という点においてはコレ!」

『かつらの問題点』!」

「あー」

「これはねー」

「いろいろ
大事なものを捨てた日記だったからねー」

『育毛 イオン導入 販売』などなど、こういう類の検索で、続々ヒット中!

「よかった、少しは役に立ってるみたいだ」


「ただ、
明らかにハズレという検索もある」

「というかこっちの方が
圧倒的に多い

「順にあげていこう」

『ヘルシング』

「あー、去年の恐怖が」

「そろそろキリスト教ネタの季節だな」

「すみません。ヘルシングのコンテンツ一個もないのにヒットして」

『イラスト バイオリン』

「バイオリンのイラストが欲しかったんでしょう」「他にも『オカリナの絵』というのもある」

「そういや、『ハーメルンのバイオリン弾き』の絵だけで70枚以上描いてるけどバイオリンの絵は一枚も描いたことないなー。オカリナも、あのオカリナだけだしなー」

「詐欺だなー」

『オムライスの作り方』

「これ読んだ人は、最後に
ケチャップで『井上喜久子』と書いてくれたろうか

「まあ、作り方はたしかに書いたし、役には立っただろう。あの膨大なテキストの中から必要な部分だけ発見するのは大変だろうけど」

『着ぐるみショー+脱着』

「これ、なんでヒットしたんだ」

「うちを含めて、二件のヒット。しかも
両方役にたたなさそう・・・」

『ソフトボール イラスト』

「あー、ソフトボールマガジンの漫画ってどうなったのかな」

『アニース』

「日本で二番目に創刊されたレズビアン雑誌。五号で廃刊」

「ちなみに日本初のレズビアン雑誌『フリーネ』は二号で廃刊でした」

「書いたは書いたけど、これでヒットされてもなあ」

『鳩レース 順位 北海道 東京』

「やっぱりレース鳩を飼ってる人なのかな?」

「北海道・東京間というと、あの悪夢の1100キロレースか・・・」

『ネモ エレクトラ』

「ネモ船長は違うネモ船長だけどね」

『杉原千畝の本』

「岐阜県の偉大な人物・・・のところだな」

「二件ヒットだけど、
一方がまともな本の紹介だけに、逆に恥ずかしい

『ゲロリン スケート』

「おお、これは
伝説の二枚刃下駄スケートを知ってる人の検索だ!」

「でもちゃんと書いてないから、ヤキモキしてるだろうな」「しかも内容はKanonの感想日記だし」

『井上喜久子 旦那』

「毎朝、あの声でおこされる、世界で最も森里螢一に近い幸せな男」

「どんな人なのか、私が知りたいくらいだ」

『レガシィ 有名人』

「これでKAZZさんが有名になったら面白いけどなー」

『航空力学 飛行原理』

「ああ、ロメオさんとした話か」

「すごくちゃんとした航空関係サイトの中に、なにげなくターポンの話が・・・」

『夜想曲』

「これは多かった」

「たぶん赤川次郎のゲームノベルだろうな。あとは純粋にノクターンか」

『天使 イラスト』

「最初の例にあげた奴だな」

「これがまた、ムチャクチャ多かった」

「Yahoo の紹介でサイザーのことを天使って書いてるからだろうけど、天使のイラストって、需要あるよなあ」

「あ
『ハムスター 泳ぐ』で検索した後、さらに『ハムスター 頬袋 泳ぐ』で検索やり直してる人がいる!」

「あの日記読んだハムスター愛好家から、お叱りのメールがきませんように・・・」

「この人も、ハムスターを頬袋で泳がせようとしたんじゃないかなー」

「しかし、こうしてキーワードだけ見てると、あ、あのときの日記に間違ってヒットしてるんだな、って思い出されて懐かしいぞ」



『ラ・シレーヌ 井上喜久子』

「お! 来ました!」

「しかし全体的に見れば、日記における、井上喜久子さん関係の検索結果はごく少数」

「しかも遠い」

『井上喜久子』だけで検索すると55件目かあ」

「もっと上位ヒットするようにしなくてはいかんか?」

『井上喜久子 コスプレ セーラームーン』

「お、これはけっこう上の方に」

「検索した人、友達になりましょう」



「日記の趣旨と、検索意図とが
微妙にズレている結果もあるな」

『白い水着』とか『チャイナガール イラスト』とか」

「ヨコハマを求めての検索じゃないだろう。絶対に」

『割烹着 CG』

「これは月姫じゃないかなー」

『キャットスーツ』

「これもプリメじゃなくて目当ては実物だと思う」

『前田愛 足のサイズ』

「知るか!」

「全身のデータベースを作ってるんだろうな、このヒト」「こわー・・・」

『下腹部 短刀』

「これはわからん」


『幼女ヌード』

「うわ! ホントにひっかかった!」

「乳首魔人さまの時だな」

「しかも、
goo 検索で筆頭ですか?」

『幼女』単品もあるな」

「連呼するからだ」

『幼女 温泉』

「しつこいぞ」

『幼女,ヌード』

「区切るな!」

「あ
『眼鏡喫茶委員長』! なんか嬉しい!」

「ヒットしたのは、うち一件だけ?」

『メイド服 天野 ご主人様』

「まわりは
ソレっぽいKanonのSSばっかだな」

「こういうのけっこうあるぞ」

『守護月天 縛 CG』

「うわー、わかりやすい」

「ザナさんが六倍角で怒ってる」

『カードキャプターさくら ヌード』

「うわー、しかもけっこう上の方!」

『ガレージキット 乳首 ベルダンディ』

「うわー、さらにヒットはウチだけ!?」

『無料 コスプレ メイド アダルト』

「こんな検索で、8ページも潜って来るんじゃないっっ!!!」

「ヒットされる方もされる方だけどな・・・。おまい、少し落ち着け」

「だれだ『ボンジュール イメクラ』でうちに来た奴ァ!!」


『おもらし CG うんこ』

「なんかそっち系のナマグサそうなサイトのズラズラならぶなかに、ぽつーんと「寝言日記」が」

「おまえらなー・・・」

「伏せ字にすべきだったかな?」

「いつだったかクリスマスの店内に、うんこが落ちてた話だろう? 伏せる必要はない。屈するな。・・・ああ、でも
なんかヤだ

「本人は、けっして嫌がらせに来てるわけではなく、
いたって真剣に求めるものを追求しているだけで」

「イヤだよー。それでもなんかヤだよー。
なんでガレキのベルダンディに乳首を追求するんだよー。OVAのときの微笑ましいヌードで充分じゃないかようー」

「ほら、ラストだ。しっかりしろ、テーブルの下から出てこい。最後ぐらいきっといい結果があるさ」

「うん、そうか。わかったよ。これが最後だ」

「男の乳首 小説」

「・・・・」

「・・・・」

「他には
『耽美小説 出版情報』

「・・・・」

「あ、しかもこれウチだけだわ」

「あのさあ」

「どうした」

「解析はじめて、いま何日目?」

「まだ10日目」

「・・・・」

「10日間でこれだけの誤爆アクセスかー。すごいなー」

「そうか・・・。わし、もう帰る」


「登録してあるアクセス解析のCGI は、
最大90日のログ保存が可能です。三ヶ月後を、またおたのしみに!」







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2001.12.8. sat「PC環境の記録」

日記につらつらと書いたことだが、せっかくなので、現在のPC環境を整理しておこうと思う。

よそ様がどんな環境でパソコンを使っているのか、というのは、実はとても興味がある。だが、初めて訪ねたページなどで、マイマシンの紹介を見に行っても、どうも要領を得ないことが多い。

メーカーと機材の名称、数値などが記録されているだけ、というケースばかりで、数字を読む能力がないせいか、あるいは機材の中心がウインドウズのせいか、どうも私にはピンとこないのだ。

そんなわけで、夜想曲の場合は、できるだけ目に浮かぶように書こうと思った。結果として、異常にわかりやすいとは思う。

パソコン環境(2001.12.08)

日記の内容に多少重複する部分もあるが、こちらがどんな環境でやっているか、参考になれば幸いである。




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