2000.12.28 thu 〜 2000.12.31 holy

2000年の質問ダイアリー


一番有意義な買い物はなんでしたか?

G4を買ったこと。ああ、バーチャルPCも使えるし(それが一番かい)G4最高ですな。

一番無駄だった買い物はなんでしたか?

叶精作に憧れたのだが、Poserを4万円も出して買ったこと。
3Dの人体が自在にポーズ指定できるので、難しいアングルの絵の助けになるかと思ったが、まったく使用せず。
体重のバランスなど調整する手間のうちに、自分でデッサンがとれてしまったからだ。

感動した作品はなんでしたか?

やはり「Air」と「Kanon」。映画では、「アイアンジャイアント」と「ガメラ3」。
意味合いは少々異なるが「ヨコハマOFF会ビデオレポート(参加者限定)」。

今年、もっとも驚いたことはなんですか?

かけ算のできない(ド忘れ、ではなく)高校生がいること。

今年一番悔しかったことはなんですか?

井上喜久子さんのトークショーが名古屋であったのに仕事の都合がどうしてもつかず、行けなかったこと。
ああ。あああああああ。まだ悔やまれる。

いま一番しあわせなことはなんですか?

・・・好きな人がいること。









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2000.12.26 tue 〜 2000.12.27 wed

度胸試しにもう一つだけ、クリスマス前後でなければ使えないネタなので書いておこう。

クリスマスと言えば、ホントは違うがイエス様の誕生日である。
イエス様は、馬小屋で生まれた。
さすが、偉大な宗教家は普通の人間とは違う、と思われるかも知れないが、これは、実はちょっとおかしい。
イエス様生誕の事情を、現実的に考えてみよう。

あるところに、大工のY君がおりました。
彼の婚約者のMさんは、コンビニでバイトをしていました。

二人はいまどき珍しく、清い交際をしており互いに肉体関係になったことは一度もありません。
ところが、ある日、Mさんが言いました。

「私は聖霊によって身ごもりました」

「なっ 何を◯◯◯◯◯◯◯こと◯◯◯!? お前◯◯◯が◯◯◯◯の◯◯◯◯!! だいたい◯◯◯◯◯に◯◯◯◯◯が◯◯◯◯◯◯かいーっ!!」

何と言ったか分かりませんが、ふつう信じるはずもありません。
婚約解消も考えたY君でしたが、思いとどまります。しかし、Y君とMさんは関係を持たないまま、月を過ごし、旅行中に、Mさんは出産することになりました。


このときY君は、積もりに積もった不信感が爆発します。

彼は、初子を産む妻のために、旅館の客間をとろうともしません。
「部屋がいっぱいだから」
などといって、陣痛のはじまっているであろう妻を、ガレージ(聖書では馬小屋)に連れていき、そこで、この真冬のさなかに産ませます。

出産なのです。ちょっと掛け合えば、部屋を貸してもらえないはずがありません。
彼は、あえてそうしなかったのでしょう。

工具の入っていた段ボール(聖書では馬のエサを入れる飼葉桶)にI君は産み落とされました。





と、こんな感じであったと思う。
脚色は、これでもかなり抑えてある。聖書の記述に従って書いたつもりだ。

聖書には、逐語霊感説というのがあり、聖書に書かれている言葉はすべて神の啓示であり、真実である、と捉えられている事が多い。何もかも、神の意志のように思われている節もある。

この馬小屋での出産も、救世主に必要な過程であったと信じている人も多いだろう。

だが、これが現実だったと思う。

自分の知らない男の子供を身ごもって、その正体を明かそうともしない婚約者をもつ男の視点から描いてみた。

その続きもある。産まれた子への仕打ちだ。





その後、やっとY君とMさんは関係を持つようになり、子供もたくさん産まれますが、I君だけは、ひどく冷遇されました。
あるとき、伊勢神宮(聖書ではエルサレム)へお参りに行った帰り、Y一家は、I君だけ神宮に忘れてきてしまいます。そして家路につきます。

彼らは、I君がいないことに気がつくまでに、まる一日かかりました。

ほとんどどうでもいい扱いです。

三日かかってやっとI君をみつけたMさんは、彼をしかりましたが、I君はこう言いました。

「僕のお父さんは神様だから、僕はY父さんの子供じゃないから・・・僕の居場所はここ(神宮:エルサレム)なんだ・・・」

I君の幼少期は、悲しく、愛されない日々でした。





マリアは聖母などといわれるが、そうでもないな、と私は思う。
イエス様は、決して弟たちと平等になど、愛されなかっただろう。食事は常に残飯、衣服は一番のボロ、イエス様に良くしようとすると夫のヨセフが怒るので、マリアもイエス様を無視しがちになる・・・。

イエス様は、決して栄光の主ではなく、愛の人格者でこそあったが、その境遇は、みじめで孤独なものだったのだと思う。

そう思うと、宗教画などで、あくまで格好良く描かれているイエス様の絵や、イエス様を、ただ憧れでしか見ていないミーハークリスチャンたちをみるとき、私は違和感と、一種の「お気楽さ」を感じるのだ。

僕らを助けてくれる、スーパーヒーロー・イエス様。
ねえねえ、はやく助けて。僕もう耐えられないよ。僕すごく不幸なの。

そういうメッセージを感じる。

そんな、ただすがるだけの愚民どもに

「うるせえ! イエス様の方が大変なんだ!」

私は、そう言いたくなってくる。



クリスチャンの、人を愛する姿は、人間的に見て素晴らしいと思うが、彼らの根底にある「救いを待つ」受け身の姿勢は、どうも好きになれない。

イエス様の立場に立とうとしたことがあるだろうか。
イエス様の気持ちを、理解しようとしたことがあるだろうか。

クリスチャンは、けっしてそんな罰当たりな考えはすまい。神の子・イエスキリストは自分たちとは違う。神様そのものなのだから、理解しようなんて、そんな、おこがましい。そう思うのだろう。




と、ここまで書いて、ふとヤバい気がしたので、おそるおそる肩越しに背後を見る。

誰もいない。
廊下まで出て確認したが、誰もいない。

なぜか大丈夫だ。
私は、若干の違和感を感じながらも、ホッと胸をなでおろした。

もしかすると一番やばかった内容(特にヨセフのくだり)かも知れないのに、どうしてだろう。
何度も叩いて潰されたのに、日記が更新されるのであきらめたのだろうか。

その日は、とにかくテキストを保存して、安心して休むことができた。やれやれ。





翌朝。

「店長、万引きの疑いをかけられたというお客様から、クレームの電話が・・・」

年内最後の休日のうららかな朝に、天井が落ちるかと思うほどの音量で鳴った電話に、叩き起こされる。

私は菓子折を持って、車で1時間のところにあるお客様のもとへ飯も喰わずに謝りに飛んで行った。

道中、私は、なんとなくつぶやいた。


「・・・うわー・・・」


天罰は、ひどく現実的な方法で下されたようだった。






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2000.12.24 holy 〜 2000.12.25 mon

黒「拙者「ばんぺいくん」・・・でござる」
白「コミックス化されないようなネタ書くな」
黒「ああっ マザクさんの脚っ アフタヌーン2月号 69ページの、マザクさんの脚いいいーっ」
白「やかましい」
黒「しかも全員看護婦!? ああっ俺◯◯◯が看護婦なのにッ! ところでAirはやっぱり美凪最高! 
  み・み・みなぎゃああああっ でも、みちるでも可!!」
白「おちつけ。もしくは死ね」
黒「そんなわけで、いま出てるアフタヌーン2月号は買いです。持ってる人は永久保存」
白「私も2冊買った」

閑話休題

黒「はい。では前回のフォローを」
白「ええと、では」



クリスチャンの隣人愛

クリスチャンは隣人を愛する。だが、その行いは、「隣人を愛せない人」から、やっかみをこめて「偽善的」と言われることがある。
なぜ一文のとくにもならない事をするのか、理解できないのだろう。だから、何か裏があるのでは、と彼らは邪推する。あるいは宗教というもののイメージ自体を正体不明だと捉える。

隣人を愛する人は、人を愛することで得られる喜びを知っている。だから人を愛するのだ。
「愛されること」でしか喜びを得られない人には、分からない次元かも知れない。


だが、人を愛する喜び、というのは、まだ人間の次元だ。

クリスチャンはこの上を行く。


彼らはこう考える。
世界全ての人間は、もとは神の家族である。「人類みな兄弟」というやつだ。
したがって、隣人は兄弟であり、助け合うべき親族である。

もちろん、家族や親戚の中には、いけ好かない奴もいるだろう。

でもクリスチャンは、彼らを愛する。
なぜなら、彼らの愛する神様が、喜んでくれるから。

隣人を愛するとき、クリスチャンの得る喜びは、要するに、

「家族が仲良くしているのを見て、お父さんに喜んでもらえた」

という歓喜なのだ。


たとえば、電車の中でおばあさんに席を譲るなどの善行をはたらいたとき、我々も知らず顔がにやけてしまう喜びがある。それは、心の中に、気持ちが沸き出すようなうれしさだ。

神様がその愛の現場を見て、おおいに喜ばれ、祝福を注いでくださるために、そう感じるのだ、と、クリスチャンは言う。

彼らは、神の前に子供であり、幼子であろうとするので、神様に喜んでもらいたくて、隣人を愛するのだ。
それは、子が親を、素直に慕う姿そのものである。




人を愛する喜び。
加えて、それが誰よりも愛する神様に喜んでもらえる歓喜。

これがクリスチャンの愛の原動力である。




その動機がなににせよ、私は素直にクリスチャンを尊敬する。


そういえば、クリスチャンの友人が、こんなことを言っていた。

「神を愛しても、人を愛さないクリスチャンを信用してはいけない」

神を知る者が抱く傲慢をそぎ落とし、人間を愛することに対する、この真摯さを、私は尊敬する。






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2000.12.22 fri 〜 2000.12.23 sat

以前、この話を、いっしょに宗哲(宗教哲学)やってた友人に話したら、「お前、ソレぜったいクリスチャンに言うなよ」と言われたことなので、クリスチャンの人は以下の内容を読んではいけないし、読んだ人は、クリスチャンに話してはいけない。

ドン・アスカロン氏(勇午おもしろいなあ)によると、クリスチャンは世界に10億人いるそうなので、6人以上人のいる場所では、この話はしないでおくことを、お奨めする。



キリスト教会は、主イエスの、十字架による救済を信じた瞬間に、その人は救われる、と言う。

原罪を犯したアダムとエバの子孫である我々は、すべからく全員が罪を持って生まれている。そして、聖書において罪に対する報酬は、死である。だが、我々の犯した罪を神の子であるイエス・キリストが十字架による死をもって、引き受けてくださった。その結果としてイエスの十字架上の死を救いと信ずるものは、罪=死の呪いから解放される。これが十字架による救いの意味だ。


「罪=死」が分かりにくい場合は、要するに「死んだら地獄行き」の意味だと思ってもらえればいい。

ちなみに救われた人は、死んだら楽園(パラダイス)に行く。
天国(ヘブン)とは、またちょっと別の所らしいが、私も行ったことがないので分からない。


十字架による救いは、不思議な論理である。
現実的に考えるとすり替えだ。
殺人を犯した人の父親が自殺したら、殺人犯の罪も消えた、という理屈である。いくらなんでも、不条理だ。

しかも、どんなに悪逆非道な人生を送ってきても、死ぬ直前にイエスの十字架による救いを信じれば楽園に行けることになるという。その人に苦しめられ、何一つ良いことなどなかったのに、それでも日々を感謝して歩んだ人がいたとしても、彼が無神論者だったら、地獄行きらしい。


この奇妙な教えが世界に広まったのは、ひとえに、中心人物のカリスマ性と、その論理(俗に言う「信じるものは救われる」論理)の異常なほどのわかりやすさの故だった。

現在も、一部新興宗教を除くほとんどのクリスチャンが、この十字架による贖罪を信じている。


だが、こんなことをイエス・キリストは一言も言っていないのは、聖書を読めば明らかだ。

宗哲の課題として聖書は読んだが、申命記のあたりで挫折したので、あまり強くは言えないが。



イエス・キリストの教えは、実際には大変に難しい。
イエスは言う。

「悪人に手向かうな。もし、誰かがあなたの右の頬を打つなら、他の頬もむけてやりなさい。あなたを訴えて、下着をとろうとするものには、上着をも与えなさい。もし、だれかがあなたに強いて1マイル行かせようとするなら、その人とともに2マイル行きなさい。求めるものには与え、借りようとするものを断るな。」

そして、

「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」

と。


キリストは人を愛する努力を説いている。
多くのクリスチャンは、これに感銘を受けて従おうとする。

だが、キリスト教神学は「そんなことをしなくても、十字架を信じさえすれば救われる」といっているのだ。


なぜこうなってしまったのか。
それは、キリスト教を大系づけた、パウロという男にあった。
彼は、その意味では偉大な人物である。彼の功績により、キリスト教は世界に広がった。

しかし、彼は偉大ではあったが、正しくはなかった。


彼はイエス・キリストには、逢ったことがない。少なくとも、直に教えを受けたことはなかった。
直伝の教えを受けた弟子たちが、教会に寄りかかって生活している事への反発から、彼はイエスの直弟子を軽蔑し、自立して個人的にキリスト教の活動をはじめている。

逢ったこともないイエスの教えは、あくまでもパウロの個人的な解釈として発展させられていった。
神観もメシア観も、全てパウロなりの宗教観なのである。

彼は社会的地位も、頭脳もある、非の打ち所のない大変に人望のある人物だったので「彼の考え」は、あっという間に「キリスト教」として広がってしまった。 パウロは、イエスの愛の世界を知らず、理解せず、彼独自の解釈をキリスト教に当てはめて、大きくしてしまった。

イエス・キリストをアイドル化し、自分のシナリオを当てはめたのだ。



これが、後に世界宗教となるキリスト教の出発である。
教祖(アイドル)が、強烈なカリスマを持った愛の人格者なのに、その人に会ったこともない奴がマネージャー気取りで「いやあ〜、あたしゃこう思うんですがね?」とかいって偉そうに、口も上手く、自分の講釈をたれたのがキリスト教神学だ。



そう。
その結果、恐ろしい話だが、現在世界各国で信仰されているキリスト教は、イエスの教えとは、実は関係性のうすい宗教、いわばパウロ教にすりかわってしまったのである。

それでも、キリスト教は発展した。
イエス・キリストは、本当に素晴らしい愛の人格者だったから。



とここまで描いたとき、刃物どうしが擦れるような音が、突然に背後で響いた。

びくっとして、それまで気配の無かった部屋に向き直る。幽鬼のようにたたずむ人影を見て、思わず私は叫んだ。

「うわ、なんか知らんが柳刃みたいな短かいサーベルを十字に構えた物騒なおとっつぁんとオールバックの兄ちゃんが部屋に・・・やめろ! 私はただ、平和にAirの考察とか日記を書いていたいだけなんだ。そ、そう! この日記は寝言日記って言って、実はほとんど意味不明の寝言なんです。意識がある場合は脚色ですから、いや、もうまったく全部でたらめ! てへっ♪ イエス様バンザイ、ついでにパウロバンザイ! ところで、イエス様とエビス様って、なんか発音が似てますねってオイ、いきなりお祈りするな、サーベル鳴らすな、舌なめずりするな、エイメンていうなうわーっ





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2000.12.20 wed 〜 2000.12.21 thu

黒天野「うぃーっす、久川綾でーす」

白天野「黙れ」

黒「いや、一年ぶりですな、こういうオチは」

白「今度はまずいだろ、今度は。世界中にクリスチャンが何億人いると思ってるんだ。最近、外交が思ったよりウマいんで順調っぽく見える、「一日に一食も御飯を食べる」朝が鮮やかな国(その北部)とは違うんだぞ」

黒「中近東の一部からは喝采を浴びるであろうとどこかのマンガに書かれていましたが、何の足しにもなりませんでした」

白「ネタ三つ目で殺られてはなあ」

黒「王立国教騎士団(通称:ヘルシング)に秒殺。ただでさえ Air がコア・ヒットして、半死状態なのに」

白「よく死ぬ男だ・・・。天野本人としては、クリスチャンを尊敬するエピソードもあるわけだし、ちゃんとフォローしておこう」

黒「では、その話を」

白「その昔、渋谷のセンター街を歩いてるとき、ビルの谷間でぐったりしてる中年のサラリーマンがいたんだ。」

黒「前の日に痛飲して、酔いつぶれたまま寝とったわけですな」

白「昼近い時間で、誰も気にしず通り過ぎるのに、彼に「もしもし」と声をかけて介抱する一人のシスターがいた。その姿は光って見えたね」

黒「お前は見てるだけだったのになー」

白「お前もだろうッ まあ、それはともかく、我々とそう変わるわけでもない同じ人間なのに、この違いは、やはり信仰の力だと思ったんだ。宗教哲学やって、知識とかでクリスチャンを馬鹿にする前に「実体で人を愛する」という点において自分はかなわないな、と思ったんだ」

黒「なるほど、では、我々は、せめてクリスチャンを応援しよう。」

白「そうだな」

「スゲェイカス神の国のためにガンバ! アーメン!」

白「だからそういう言い方、やめろ!」







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2000.12.17 holy 〜 2000.12.19 tue

クリスマスが近いので、キリスト教のことを、ちょっと書いてみようと思う。

キリスト教は、世界宗教として先進国の多くで信仰されており、本質的に素晴らしい教え、あるいは真理に近いもの(真理ではない)だと思う。
だが、大学で宗教哲学をかじり、キリスト教の教義や歴史を調べるうち、結構いろいろな問題があることがわかった。

宗教における教義は、その中心人物(教祖)が没した後に編纂された場合、様々に曲解されて伝えられることがある。
その代表的なものを、いくつか記してみよう。


※ なお、これから書くことは、キリスト教の功労を考えれば、重箱の隅をつつくようなことなので、その宗教の本質をバカにしているわけではないことを、留意しておいて欲しい。



クリスマスはイエス・キリストの誕生日で、12/25と言われているが、実際には違う。
これは、イスラエルで生まれたキリスト教が世界に発展していくとき、ある太陽神の生誕日と混同されてしまったことに由来する。正確な日は不明だが、冬なのは確からしい。


「天使」という存在の、羽根と輪っかは、ギリシャ文化圏を通過するときに、キューピッドのビジュアルイメージを取り込んでしまったものと言われている。確かに、聖書には天使の描写こそあるが、羽根も輪っかも描かれてはいない。


当時の国際語(現在で言うところの英語)は、やはりギリシャ語で、聖書の内容も、ギリシャ語に翻訳された。だが、ここで数多くの誤訳が生まれている。
ギリシャ語訳では、イエスを産んだ女性、俗に言うところの「聖母マリア」を「処女」として記されている。たしかルカ伝だったと思う。だが、この原典であるヘブライ語の聖書には「処女」ではなく「若い女」としか書かれていない。「若い女」を「処女」とした誤訳である。わからないでもないが、教義の本質に関わるため、このミスはかなり深刻であり、今さらという感もあって、このことはあまり語られていない。

従って、イエス・キリストは別に処女懐胎の後に産まれたわけではないのだ、とここまで書いたとき、背後でコト、と物音がした。

驚いて、誰もいないはずの自分の部屋を振り返る。
三人の人影をみた瞬間、私は混乱して叫んだ。

「うわ、なんか知らんけどハンドガンを横に構えた美人のおねーさん 手強そうな吸血鬼 困ったような顔した婦警 が部屋に・・・。 やめろ! 私はただ、平和に日記を書きたいだけだ! ここ(※)読んで、ここ(※)ってオイ、お祈りするな、銃の安全装置外すな、アーメンって言うなうわーっ」









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2000.12.15 fri 〜 2000.12.16 sat

暖房のやわらかい風が、頬に冷たく感じる。
それくらい、涙が熱かった。

時間に恵まれて、Airを一気にクリアした。
全シナリオをクリア。CG達成率98%である。

ショックというか、衝撃というか、思わず目を背けてしまうくらいに感動的だった。
もう、自分がどこで泣いたかすら、憶えていない。


全編が終わったときは、大変な精神状態だった。

キャラ萌えとかいうレベルではない。
「感動的」ですらない。
感動を測定する計測器があるとするなら、針が振り切れて、あげく、へし折れてしまったような状態だった。


自失という状態がしばらく続いていた。

うかつに物語を思い出すと、ぽろぽろと涙が落ちる。
そして、震えが来る。

Airの最終的な内容は、あまりにも、あまりにも、深く狂おしい情の世界だった。
それが、あくまでも静かで美しい演出に包まれたまま、狂瀾の激烈さで、心に押し寄せてくる。

わき起こる想いの全てを受け止めきることができない。
あふれた分が涙になって、パタパタと音を発して、膝に落ちる。

頭の中に、かろうじて「たいへんなものに触れてしまった」という考えが浮かぶ。
だが、ほとんど何も考えられない。

そして、何もできなくなる。いや、水を飲むことはできた。
コップ一杯の水を一息に飲み干す。



泣きつかれていた。

のろのろと、動き出して、ベッドに潜り込む。そして私は、すぐに眠ってしまった。

何時間か眠って、幾分回復する。


感動の余韻が、じんわりと残っていた。切なさというより、これはむしろ苦しみや喪失感に近い。

だが、この感動がとても大切なものだとは分かっている。


こころが、とても柔らかくなっているのを感じた。

こんなに、心の奥深くまで届けられた感動は、久しぶりだった。

Kanonを前提としても、そう感じる。


今は、この気持ちを、本当に大切にしたくて、いたわるように扱っている。




その日に、半日ほどのタイムラグで同じくAirをクリアしたKAZZさんと、チャットで話す。

誰もかも、一様に言葉をなくすようだ。
こころの状態を探るようにタイプされて転送される文章を呼んでいると、互いに、涙に暮れていたことが容易に想像できた。

そして、いままさに、同じように感動し、心を揺らしている人のいることが、とても嬉しかった。

もうすこし落ち着いたら、Airの具体的な感想を書こうと思う。
別のコンテンツで。








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2000.12.13 wed 〜 2000.12.14 thu

天野拓美は、いろいろ謎な人物だといわれる。

そもそも、日記を書く以前は、かなりの人数から「女性」だと思われていた。
男性からナンパメールをもらったこともある。あのときは悩んだ。(なにをだ)

あまり自覚がないのだが、絵の芸風と、日記の内容のギャップが凄いらしく、同一人物であるということが世界の三大七不思議(計21個)に数えられているらしい。


日記と絵のギャップは、まあ分かる。

「真面目で理性的で、心情的な世界を愛する人格」

と、

「マニアックに暴走する、年齢と知識だけは重ねた小児のごとき、みもふたもない人格」

との、いわば二人の自分がいるのだ。


便宜上「白天野」「黒天野」と呼ぼう。

ただ、これは正確には分裂しておらず、同一人格の二面性として存在している。


だがこれが激しく衝突するときもある。ひとはそれを「葛藤」とよび、自分自身の内部の戦いを認識する。

たとえば昨日の「Kanonのためにモニター調整をする」というのは「黒天野」の理屈だが、それを認めたくない「白天野」が文章をいじって、ああいう大義名分を載せる。

そんな感じだ。
従って「ホントはこうしたいくせに」という感想を抱かれることが多いと思う。天野としては、どちらも本音なのだが。


最近も、ひとつ、大きな衝突があった。
いっそ、人格を分割して、これを描いてみようと思う。


先のバーチャルPC上で、実は、Kanonだけでなく、Airのインストールも完了していた。

「Air」とは、Kanonを製作した「Key」というゲームメーカーの作品で、Kanonの次の作品にあたる。
Airは、大ヒットしたKanonで稼いだお金を惜しげもなく投入して作られ、その上で発売は延期に延期を重ねたものの、期待は高まる一方で、発売直後は、当然のように各誌のランキングを総なめし、今も驀進しているゲームである。
前評判は、できるだけ聞かないようにしていたが、それでも、Kanonを作ったスタッフによるものである。感動的でないわけがない。

なんとなく、そのAirを起動させてみた。

「ちょっと待て」

不意に自分の中のもうひとりの自分が、意識に現れる。白天野である。

白「Airも持ってはいるが、とにかくもう一度Kanonをやる予定だったんじゃないのか?」

どちらかというと理性を司る性分のようである。

黒「いや、しかし、こう、俺の右手が・・・・。」

白「なに?」

黒「俺の右手が光って唸るっていうか・・・ Airをはじめろと、輝き叫ぶもんで、つい・・・。 出ろ! シャイニング・アッガイ! とかなんとか。さらにチボデー! ドモーン! とかうじゃうじゃ」

黒天野の言いわけは、かなり苦しかった。いや後半は言いわけですらない上、何のギャグなのか、たいへん分かりにくい。

黒の方に知性はあるが、理性はなかった。

「たしか、いま色々と、リクエストを受けていたよな?」

「はう」

「古いところから行くと、しろやぎさんに「三蔵様の絵を描く」とか言ってたし、世話になりっぱなしのマンデリンさんに「ラブひな」の「しのむ」の絵、ああ、あれはラフだったから、そのクリーンナップをすると断言したよな。masterpieceさんの考察A7にディフォルメ イラスト100枚描くって言ったよな?」

「あ、あれは一応89枚まで描いたんだが・・・」

「秋からKanonにハマって、一枚も描いてないだろう! KAZZさんのリクエストがKanonの美坂姉妹の食事風景だったし、それに、1月4日締め切りのKanon同人誌の原稿がある。これのためにも、Kanonをもう一度、ちゃんとやっておかないと・・・っておい、オレンジディスク(Airのプレイディスク)入れるな!

「すまん! だが、Airをやれと命じるんだ! 俺のゴーストが!!


人間の心には、このように二つの欲望が互いにせめぎ合っている。
だが、そのどちらを選ぶかは、本人の責任にかかっている。

結局わたしは誘惑に勝てず、Airをはじめてしまった。

ゆるしてくれ、諸方面・・・・と心で白天野が詫びる一方、顔は笑っている天野(黒天野支配)である。

その日から、Airがはじまった。


雪がちらつくこの季節に、真夏の物語(Air)である。
たしか粉雪の舞い散るKanonをプレイしたのは、夏の盛りだった。

「冬のゲームを夏にやり、夏のゲームを冬にやる」

白天野が皮肉を考える。その一方で、黒天野は、確実にAirの世界に飲み込まれていった。

白「ああ、この遠野美凪ってキャラクターいいなあ。昼飯はこの人と食べよう」

黒「そうだな、それがいい・・・って、ああっ、そうめんが、そうめんがーっ!

はじめてしまうと、もう白も黒もない。

何もかも解け合って、私はAirの世界に没入していった。








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2000.12.11 mon 〜 2000.12.12 tue

先月のことだが、ウインドウズ98のインストールディスクを手に入れた。
以前日記に書いたバーチャルPCを土台に、現在、うちのマックの中でウインドウズ98が動いている。

ウインドウズ98を入手したとき、ついでにメモリーも買った。これで、現在のメモリーは、384MBだ。

ただでさえ出費がかさんでいるのに、なぜ、ここでメモリーを増設したのかというと、これはもう、

ただKanonをやるだけのため

である。


ホクホクしながら帰宅し、セットアップに及んだが、これ自体は難航した。
98がインストールできたのは良いが、メモリー不足でKanonがインストールできなかったり、それでバーチャルPCの方の設定を変えているうちに、バーチャルPC自体を再インストールしなければならなくなったり、そうなると当然ウインドウズのインストールもやりなおしであったりと、不毛な戦いが続く。

結局、ウインドウズは簡易インストールに、そして、セカンダリハードディスクを大きくとって、そこにKanonをインストールすることにした。


夜中の二時半までかかって、やっと完了である。

「・・・やったああああああああああ

FBIにつかまった宇宙人のように、弱々しくバンザイして、勝ち鬨をあげた。

そして、せめて眠る前に、とデモだけ観る。






(いいのか?)





感動のあまり疲れが吹っ飛んだ。

「ああ、たった一本のゲームをやるためだけにパソコン買ってしまう「ちょっと俺やばいかも」系オタクの気持ちが、なんか分かるなあ」

オープニングの画面解像度がいまいちだったので、バーチャルPCの設定をいじって、ビデオメモリーを増やす。
マックのメモリーはその後もどんどん喰われていったが、やはりマイ・マッシーンで見るKanonは格別である。

よし、あとはタイヤキとイチゴジャムとアイスクリームをデザートに肉まんと牛丼を用意するか! と薄れゆく意識の中かんがえながら、その日は休んだ。



G4とバーチャルPCは、メモリー次第で、十分に使えることがわかった。

ところで、絵描きとしての見た場合、マックとウインドウズの一番顕著な差異は、モニター設定である。
マックよりも、ウインドウズの方が、標準設定において、画像の色が濃いのだ。

マンデリンさんのパソコンで自分の絵を見たとき、その色の濃さに驚いた。同時に、ウインドウズユーザーには、自分の意図した配色とは違った絵が見られている事実に気がつき、愕然としたものである。

さあ、どうする。
このままでいくか、モニター設定をウインドウズ調に変えるか。
しばし悩む。


ウインドウズに迎合するわけではないが、結局、マックのモニター色を設定変更し、ウインドウズに近くした。
夜想曲の文字色も、読みづらいと思ったので、新しいところだけ、変えてみる。

実際に絵を見てくれる人の多くは、ウインドウズを使っていること、そして、私の絵の場合、濃色より、薄色にシフトされた方が、絵として映えると思ったからだ。

けっして、Kanonをより正確な色調でプレイするためではない。



そして、新しくなったパソコン環境を前に、私は拳を握りしめて、呟く。

「よし、あとはドリームキャスト(Kanon込み)を買うだけか・・・!」






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2000.12.09 sat 〜 2000.12.10 holy

質問:「最近あじわった、最高級のぜいたく、といえば何でしたか?」

回答:

「休憩時間に休憩すること」




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2000.12.07 thu 〜 2000.12.08 fri

注:今日の日記は、一部が真実なため、情報を意図的に編集・改竄しておりますので、実際に起こった事実とは若干、細部が異なります。

うちの会社には、美星さんがいる。
「天地無用!」に出てる、あの人だ。

本人は、何気なくさわっているだけなのだが、必ず、なにか機械を壊す。
そして、笑っている。
美星さんである。


この美星さんが、先日、事務所の掃除をしていて、知らずに、Hubの電源を切ってしまった。
うちは販売業務に使うレジを、すべて事務所のサーバーで管理している。その両者を仲介するHubが落ちたため、レジが突然に止まってしまったのだ。現場はさぞ驚いたことだろう。

対処法は簡単。Hubの電源を再投入し、念のために各レジを再起動すればいいのだが、その日にいた社員で、そんな簡単なことすら分かる社員は、一人もいなかった。


電話で呼び出される。
休日出勤である。



その次の週。
美星さんが、今度はサーバーを落とした。

やり方は不明である。

証言「ちょっと動かしただけなんやけど、なんかピーッっていった」

原因の究明はあきらめた。

その日も、サーバーという観念すら怪しい社員しか勤務していなかったので、とにかく、システムエンジニアに電話するように指示したが、双方、話が通じない。「そのピーッと音がしている機械から出ているコンセントが抜けているはずですから、それを探してください」「抜けてません」「いや、抜けてるはずです」「ありませんよ、そんなの」「あなたじゃわかりませんから、店長を呼んでください」

手厳しいテクハラ(テクニカル・ハラスメント)を受け、彼は復旧を断念することになる。
美星さんは「ではお先に」とか言って、笑って帰った。


電話で呼び出される。
休日出勤である。

現場を見てみると、コンセントが抜けていた。



その次の週。
美星さんが落としたサーバーの影響で、レジが一台壊れた。

修復を試みるが、うまくいかず、ハードディスクの交換を迫られる。
だが、この日は金曜日。週末の始まりである。ただでさえレジが混んで大変な曜日に、処理機が欠けるのは何としても
避けたい。いやがるシステムエンジニアをなだめすかし(恫喝ともいう)仮の修復を行い、レジ用のソフトや設定を正常稼働中のレジからコピーし、流用する。なんとか週末を乗り切り、私は休んだ。

だが、応急処置にすぎなかったからか、そのレジがついにダメになった。


電話で呼び出される。
休日出勤である。



実際にはこの日は、出勤していた女性社員のがんばりで、壊れたレジを梱包、修理のために発送できた。
三日ほど経て、今日それが届いたので、深夜までかかって、セットアップし、ようやく復旧した。
明日からは通常通り使えるはずだ。



最近、休みのたびに、電話が恐い。
携帯電話の画面も、そ〜っとのぞき込む。
そして着信履歴がないのを確認すると、ほ〜・・・と息をつく。
そういう日々だ。お気楽に休めない。


とりあえず、会社のサーバーには、こういう張り紙がしてある。

「レジが停止するので、コンセントを抜かないでください」

自分の勤めている会社ながら、なんというか、ものすごくすごい注意書きだと思う。
だが、これが必要な会社なのだ。


パソコンが常識のように扱える世代との交代まで、あと何年かかるだろう。
張り紙を眺めながら、それは自分自身の耐久力との競争だと思った。







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2000.12.05 tue 〜 2000.12.06 wed:Kanon日記

CGコンテストで審査員特別賞をとった。

このコンテストの主催はゲームショップなので、賞金の5000円は、ショップで販売しているCDに替えて送ってもらった。

 KanonのドラマCD「沢渡真琴ストーリー」と「川澄舞ストーリー」である。

ドリームキャスト版は声があると聞いていて、その評判も伝え聞いていただけに「声のあるKanon」が気になっていたのだ。

先月買った、異常に臨場感のあるスピーカーで、まずは「真琴シナリオ」の方を聴いてみる。

一時間もすると、私の涙腺はほとんど破壊されていた。

このCDの、とくに秋子さんのセリフは、前評判も相当なモノで、私はあらかじめ知っており、警戒もしていたが、それでも感動してしまった。このセリフは、仕事中でも、思い出しただけで涙が滲むので「涙スイッチ」と呼ぼう。

それにしても、声優さんの力というのはスゴイ。

Kanonの声入れに反対の方もいたようだが、私は、プレイ時に疲れていたせいか、いまいち感情移入できなかった真琴シナリオで泣くことができたので、本当に感謝している。

今さらながら、聞き手の感情移入を助ける、言い換えれば、気持ちを染み込ませる声優さんの能力というものを思い知った。



声優さんのブームがもう、何年も続いている。

それは物語の「受け手」に疲れている人が多く、よりたやすい感情移入の方法に偏ってしまうからかもしれないな。

エンディングを聴きながら、ふとそんなことを思った。





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2000.12.03 holy 〜 2000.12.04 mon

「人間には、物語が必要だ」

「水中騎士」(木城ゆきと)で、語られていた言葉である。
無くてもかまわないけど、あると楽しい、という程度の認識ではない。

「物語」は「必要」なのだ。


マンガや小説などの物語に、我々はなじんできた。
だが、これらは「勉強の邪魔」と、教育熱心な大人に、不要なもののようにあつかわれてきたせいか、やはり何かの「ついで」のように思っていたきらいがある。

マンガや小説などの「物語」は、たとえばビジネスの本であるとか、実用書など目的意識のハッキリした本とと比べては「役に立たない暇つぶし」であると、とらえられることが多い。
マンガなど、特にそうだ。


では、それら「物語」は不要なものか、存在しなくてもかまわないものなのか、というと、それは違う。
こうして本屋、とりわけコミック担当になってみるとよくわかる。

肉体が、空気や飲食物の影響を受けるように、精神の構築に、人間は「物語」の影響を受ける。

マンガ、小説、映画、ドラマ、ドキュメンタリー、あるいは身近な人間の生き様まで。
それら「物語」は、メディアを問わず、時として人生の方向性を決定し、また生きる力を与えもするのだ。


しかし、まあ、これは理屈だ。

「人間には物語が必要」という言葉を一番実感するのは、実際に、好きな物語を読んでいるときである。「ああ・・・なんて楽しいのだろう」と、実に単純に思う。

読むのが楽しみな本に出会えると、こころが高揚する。

「さあ、今日は帰って、この本を読むぞ♪」

書店によった帰り、ホクホクしながら帰宅した経験のある人は、多いだろう。

仕事が忙しい時期や、疲れて帰ってきたときも、よほど体力に余裕がなければ眠ってしまうが、そうでなければ、たいてい本(やはり物語)を求め、読んで眠る。一日の最後に、自分の波長に合う本で、精神的な調整をしている感じだ。


いっとき、現実の世界を離れることのできる「物語」。
それは時に人の心を救い、ときに道を示し、ときに陥りやすい失敗を指摘し、ときに心を和ませ、悲しませ、喜ばせ、幸せにする。

もし、この世界に物語が存在しなかったら、あるいは希薄であったら。そう思うとゾッとする。
私のような、物語を愛し、それによって生きる力を得ているような人間は、すぐに死んでしまうだろう。



一日1000人が「物語」を求めて来る売場に、終業後の深夜ひとり立つ。
そして、ゆっくりと棚を見渡した。

「「物語」を販売することは、決して無駄なことではない。」

自分が担当しているコミック棚に、手を触れる。

「これらは、逃避の手段や、時間をつぶすためだけに生まれた文化ではない。」

私は、確信をもって、つぶやいた。

「人間には、「物語」が必要なんだ」







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2000.12.01 fri 〜 2000.12.02 sat





最近、開発した技。





ひとりクロスカウンター


1.肘を曲げて、自分の顔を殴る。

2.そのまま肘を鏡にくっつける。


鏡のなかの自分に右クロスしてるように見えるゾ!(ちょっと想像力いるけど)

風呂上がりなどに、やってみよう!






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