「想いは、どこまで届くことを許されているのだろうか」

minagi  michiru

(2001.03.23 fri)


 
 
 
 
全編中、ドラマとしての衝撃度は、観鈴シナリオ(Air編)がもっとも大きかったが、個人的には、この美凪シナリオが一番好きだった。
俗に言う美凪編トゥルーエンドの感動は、美凪とみちる、そして少しだけその間に入っていった往人の絆があればこそである。
いずれ破綻することがわかっていながら過ごした、夏の思い出が終わっていく。

美凪とみちるを見つめる往人の視点から、この愛すべき姉妹(あるいは親友)の姿を描いておきたかった。
 

絵の苦労
秀作もなしにいきなり描き始めたので、美凪の似ないこと。
樋上いたる氏の絵は、顔が縦に短いので幼い印象がありますが、自分の絵では長くなってしまうので、ホントにお姉さんという感じになってしまいました。
読んでいる本は、小川未明の「赤いろうそくと人魚」。Airとは何の関係もありませんが、ちょっと似た後味を感じていましたので、持たせてみました。
 
 
 
 

みちるの存在位置

佳乃編の解釈にも書いたが、羽根はなにがしかの願いに呼応して、記憶に関する、何らかの現象を起こす。美凪の願いによっても、羽根は現象を起こした。

「妹がほしい」
美凪が物心ついたときから家にあったという「翼を持つ少女の絵」に、美凪は願った。
妹の誕生を願った、純粋で遠い記憶である。

しかし妊娠中毒症で母親が入院、母を案ずる美凪が、わずかに妹を憎んでしまう。
それが原因でないことは確かなのだが、「みちる」と名付けられるはずだった妹は死産となる。
美凪は、自分を責めた。
そして、母の変調。流産のショックから美凪を「みちる」と呼ぶようになる。
絶え間なくつづく父母の諍う声。やがて離婚。
母の笑顔のために、美凪は「みちる」と呼ばれることに従容と甘んじた。
 

そして彼女が小学校にあがるころ、みちるが現れる。
「みちるの前では、美凪でいられた」
彼女によって、美凪は失われつつある自己のアイデンティティーを、ようやく保持できた。

みちるは、本人が述懐するように、空にいる神奈の、砕けた心のかけらだ。
そのひとつ、いままで翼人が見てきた記憶の一部が、羽根に宿って地に降りているのだろう。その実体は、神社に祀られている。シナリオが違うが佳乃が触れたものであり、白穂の時代からあるものなのだろう。
社に祀られている羽根を「もうひとりの自分」と、みちるは言っている。

エンディングに出てくる父方のみちるの産まれた時期が、ちょうど、本編中のみちるの出現と重なると仮定しよう。
この誕生は、産まれてくることのできなかった、母方のみちるが、転生したということなのだと考えられないだろうか。

みちるは言う。
「会って幸せにしてあげたい人たちがいる」と。
人たち、である。
美凪だけではない。
おそらくは、みちるの父のためにも、現れたかったのだろう。

美凪の妹・みちるとして生を受けるはずだった魂は、父方の家庭において肉体を受け、美凪のもとには、彼女の願いを基点に、羽根の持つ膨大な記憶「いっぱいの人たちが見た。いっぱいの思いが羽根には詰まっている」を「わけてもらっ」た「まぼろしみちる」が現れたのだろう。

みちるの出現とともに絵は消失した。
実際には美凪の父が持っていったのかもしれないが、こめられた美凪の願いが絵を通じて羽根に重なり「まぼろしのみちる」が生み出されたのだろう。それを象徴する出来事だったのだと思う。

また余談なのだが、この翼人を描いた絵にも、なんらかの裏エピソードがあったのだろう。
この絵に関わった人間が、なんらかの形で翼人の悲劇を受けたからこそ、絵と羽根がリンクされたのだと思う。
 
 

みちると美凪の、ともにすごす日々が始まる。
だが、それは、いわば美凪が見ている夢だった。

それは小学生のころに抱いた美凪の願望の具現化である。
 

みちるが「妹」ではなく「親友」なのは、魂自体には人格ができておらず、ただ羽根の記憶が、願望を受けて具現化した、形成された人格的には、他人だからなのかも知れない。
 

だが、この二人の絆は、とても感動的だった。
 
 


 
 













 

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