まぼろしのうみ

memoires

(2002.03.01 fri)




海へ行こう、観鈴。

ただそれだけのことが、どう足掻いても、できなかったから。

髪を切った観鈴との、あたりまえの夏。

その時が、どうしても、迎えられなかったから。


この海も、そして、この観鈴もまた、夏影に解けていくまぼろし。

ただ、私たちの胸にあるだけの幻影にすぎない。


海へ行こう、観鈴。

まぼろしのうみへ。









AIRで癒されると言うこと

いちがいに「ギャルゲー」とくくれない、AIRやKanonを、どういう分類に認定するか、という話がよく出る。そのなかに、たまに「癒し系ゲーム」という候補が出る。

たいがい一笑に付されるが、わたしにとってAIRは癒しだった。

事実そのままでないのが心苦しいが、以前に日記で書いたような過去がある。

だから、愛する娘を失った晴子の姿に、私は癒されたのだと思う。
失恋の歌で、失恋が多少なりとも癒されるように。



AIRをクリアした知人が、増えてきて、そのなかにひとつの法則を発見した。
AIRを終えて衝撃をうけた者の直後の行動は、たいてい走るか、寝るかである。
それは、熱心な片思いが、なすすべもなく失恋したときの無力感に、少しだけ似ている。





製作環境:PowerMac G4 450・WACOM FAVO・Painter7

マンデリンさんと、葉鍵最萌トーナメントの画像を見ていて、彼が「髪を切った後の観鈴を描いてる人は少ない」と指摘していました。

あのエンディングを見せつけられた後では、無理もないと思います。
絵描きは、死んでしまった観鈴を、せめて絵の中で生かしてあげたいと思って筆をとるのですから。

ですが、だからこそ一枚描いてみたいと思いました。
我々が見ている幻を。

この絵の観鈴は幻です。と同時に、間違いなく死んでいて、もうどうしようもない現実です。

その微妙な非現実感を、夏服が陽に透ける様子で描き、また観鈴の顔が見えないポーズ(海の資料写真にのってた少女のポーズもこんな感じでしたが)で仕上げました。

















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